「4コママンガのススメWeb」は Tumblr から note に引っ越します

 管理者のすいーとポテトです。ブログ引越のお知らせです。

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4コママンガのススメWeb

 過去の記事の移行は難しかったため、note ではまっさらからの更新になります。今後もこの Tumblr は削除せず残し続けますので、過去の記事は引き続きこの Tumblr を参照ください。

 Tumblr での更新はこの記事が最後になります。note でも「4コママンガのススメWeb」をよろしくお願いします。

読み手が感情移入するための余白――橋本ライドン『妹・サブスクリプション』

(注意:この記事は『妹・サブスクリプション』の核心に関するネタバレを大量に含んでいます。)

 全てを読み終えた後の感情は怒りだった。それは、最後まで人間性を獲得することができなかったみゆきに対する怒りである。

 失われた人間を模倣する人造人間技術「レプリカント」が実現された近未来で、失踪した妹・今日子のレプリカント「きょんちゃん」と暮らす姉・みゆき。2か月前に書いた記事の後、物語は佳局へと入っていき、そして結末を迎えた。みゆきとかつての親友・正美の対峙、今日子とその親友・吉乃の再会、そしてみゆきときょんちゃんのクライマックスである。

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妹・サブスクリプション (シリウスコミックス)

posted with AmaQuick at 2024.03.22

橋本ライドン(著), 講談社 (2024-03-08)

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145146ページ〕

 クライマックスで、みゆきはレプリカントのきょんちゃんの変化に動揺しながらも、自身がこれまでに犯してきた過ちにようやく気づく。「私はずっと過去を見てたんだ」と。そして二人が抱き合いながら言葉をやりとりする場面は、二人の対話に見えて、実は本物の今日子に対するみゆきの届かない独白だろう。目を見ることなく吐露する言葉にきょんちゃんがどのように反応するかは、みゆきにとってもはや問題ではない。むしろ言葉を吐き出すことそれ自体が、すなわちみゆきが過ちを自覚したことのあらわれこそが、この場面における焦点なのだ。

 ここまでこのように読んだ私はこう考えた。みゆきはついにレプリカントのきょんちゃんを捨てるのだ、と。本物の今日子はみゆきの認識では行方不明であり、またレプリカントのきょんちゃんの次の個体も工場が焼けてしまったので、どちらにももう会うことは叶わない。それでも、自覚した過ちと決別するために、まさに過去の象徴たる最後に残った一体のきょんちゃんを、みゆき自らの手で破壊するものだと信じていた。

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147148ページ〕

 しかし、みゆきはそうしなかった。あまつさえ、今の住まいを引き払ってレプリカントのきょんちゃんと逃げ、楽しそうに遠出の遊びに来ているではないか。最初こそ入水心中エンドだと読んでいたものの、後にアップされたこの楽しそうなイラストを見て、その可能性は捨てざるをを得なくなってしまった。


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100ページ〕

 これでは、レプリカント会社の代表の「結局 偽物で構わないのだ」という言葉を認めたことになっているではないか! それとも、最後の一体になって替えが効かなくなったからレプリカントのきょんちゃんはみゆきにとって偽物から本物になった、とでも誰かは言うのだろうか。レプリカント自体が最初から本物の今日子の代わり=偽物だったにもかかわらず?

   ◇

 二人が抱き合いながら言葉をやり取りする場面を、私は読み違えたのかもしれない。146ページと148ページのセリフの反復を考えれば、みゆきの言葉はレプリカントのきょんちゃんにまさしく向けられたものと読む方が自然にも思えてくる。ダメな自分には偽物がお似合い、といったみゆきの消極的な諦めという読解だ。あるいは、みゆきの言葉は確かに独白だったが、同時に決意でもあったという読み解きもありえるだろう。過去を反省しつつ、しかし今日子との再会はもはや叶わない(みゆきの主観では今日子は行方不明である)のなら、せめて目の前のきょんちゃんを精一杯愛していこう、という積極的な諦めだ。これならまだ物語的な救いがある。

 しかし、いずれの読解を採用しても、私の怒りが収まることはなかった。なぜなら、私はこの作品の読解において絶対的に親・今日子かつ反・みゆきの立場であるからだ。その理由は、本作の第三期(今日子の過去編)の終盤における、今日子のこのセリフに心震えたからだ。

姉ちゃん 私がいなくなったら 姉ちゃんも私のレプリカントを作るのかな


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8990ページ〕

 これは今日子の嘆きだ。誰かに否定してもらいたかった、できることならみゆきにそうしてもらいたかった悪い想像だ。「昔のきょんちゃん」でも「理想のきょん」でもなく、今ここにいる今日子と向き合ってほしかった、という叶わぬ願いだ。それは、個々の人間が代替不能な存在として、人間でない複製・改変可能な何かに取って代わられることなく、あるがままに尊重されてほしい、という人間的な祈りだったのだ。

 今日子にかように言わしめたみゆきを、私は決して許すことができない。今日子は全てにおいて正しく、みゆきの情状は一片も酌めない。この姉妹の悲劇が勘違いから始まったものだとしても(詳しくは単行本収録の描き下ろし番外編を参照)、思春期や反抗期という知識によってみゆきが誤りを正す機会はいくらでもあったはずだ。

 ひとことで言えば私は、みゆきは自身の過ちを改めてくれる、とギリギリまで信じたかったのだ。しかし、みゆきは最後までレプリカントのきょんちゃんから離れることができなかった。今日子の叫びを、またはレプリカント会社の代表の言葉を、ついぞ否定できなかったみゆきは結局、偽物の機械ではなく本物の人間こそを愛する、という人間性を獲得できなかったのだ。悲しいが、そう言わざるを得ない。

   ◇

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123ページ〕

 私の読みが公平世界仮説に依った、かつ寄ったものであることは甘受しよう。『妹サブ』の物語展開は徹頭徹尾、みゆきと分かりあえ得ない者同士の相対であった。正美、吉乃、今日子、そして社会。それぞれに譲れない信義があり、どこまで行っても『理解すれども納得せず』を超えることはなかった。みゆきが「正美は正しい」ことは認めつつも「正論で片付けられない」としていることがその証左だろう。

 ここで重要なことは、作者の橋本ライドンは『妹サブ』のどの登場人物にも肩入れしていない、ということだ。世界がこうあり、またキャラクターがこう生きるから、その間の衝突で生まれるドラマを、達観あるいは諦観した――作者でさえ物語世界には介入できない、という――視座から巧みに写生することによってこの作品を描き上げたように思うのだ。だからこそライドンワールドでは、現実世界と同様に、公平世界仮説が成立しない。不合理も矛盾も、作者による意図的な味付けではなく、作品世界に生きるキャラクターという素材の味わいとしてあらわれるのだ。

 つまるところ、橋本ライドンはキャラクターを描くのが上手すぎるのだ。作者自身にとってさえも、作中のキャラクターは物語のための道具ではない、というスタンスでマンガを描いているのだ。だからこそ、それぞれのキャラクターに生々しさがあるし、また読者こそがそこに肩入れして感情移入する余地が生まれる。そして複数の並行した立場の中から、私はこのキャラクターを、そしてこの読みを選ぶ、という能動的な読書体験を可能にしているのである。

 また、ハッピーエンドやメリーバッドエンドといったものは、『妹サブ』においては物語が目指すべきゴールではないどころか、結果的にたどり着いてしまった一点ですらない。それすらも読者体験にゆだねられているのである。そして、かような複数の読解は多義的な場面描写だけでは成立し得ない。肩入れしたくなるほどに強烈な実在感を持つキャラクターがあってこそ、多義性そのものという客観視点ではなく、それぞれの意味に依った主観的な読解に強度が生まれるのだ。

 ここまで来ると作者は、『どのように読み解いても構いませんよ』というサービス精神を超えて、『あなたならどう読み解きますか?』と読者に対して挑戦状を突きつけているようにも思えてくる。そして2か月前の記事で私がほのめかした社会的な読解への志向は、全てではないにせよ、大部分が吹き飛んでしまった。そのような小手先(もはや小手先だと言い切ろう)だけで『妹サブ』を読み解こうとするのは無理だと悟ったからである。

   ◇

 いつかどこかで私は、確かとある歌手に対するインタビュー記事の中で、歌い手が感情を込めすぎた歌は聞き手に響かない、なぜなら聞き手が感情を込める余地がないからだ。だからプロの歌手は聞き手のための空間を空けて歌うのだ、といった旨を読んだように覚えている。

『妹・サブスクリプション』は作者が個々のキャラクターに肩入れしないことによって読み手が感情移入するための余白を残した作品と言えるだろう。それはまさにプロのワザだ。そして私はそのワザに見事にやられたのである。「全てを読み終えた後の感情は怒りだった。」と率直に表現するしかないほど、フィクションの存在に肩入れしてしまった。そう観念せざるを得ないほどの圧倒的なキャラクターの力が、この作品にはあったのだ。

(すいーとポテト)

アプリネイティブは生麻雀に憧れる ――卯花つかさ『ごきげんよう、一局いかが?』

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(2巻P77)

 光の麻雀漫画、卯花つかさ『ごきげんよう、一局いかが?』の第2巻が発売されました。

 1巻レビューはこちら。

 1巻は大げさではなく革命的な麻雀漫画でした。麻雀初心者の女子高生たちがお昼休みにアプリを使って、美少女アバターの姿で対局する。そして一喜一憂し、笑い、話を弾ませる。打てば打つほど、仲良くなる。彼女たちの日常には負の要素は一片たりともなく、ただひたすらに麻雀への愛と希望が満ち溢れていました。
 そして2巻になって、彼女たちにある欲求が芽生えます。

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(2巻P55)

 アプリでしか麻雀を知らない彼女たちにとって、雀卓の上で実際に牌を摘まんで遊ぶ「生麻雀」は憧れの対象なのです。バイトまでして遂にチャンスを得ました。
 ここからの彼女たちの様子は全てが共感できるものでした。

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(2巻P56)

 そうだよなあ、初めて見たときは感動したよなあ。全自動卓って冷静に考えると凄いシステムですよね。

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(2巻P57)

 初心者あるある。これ、何気に現実ならではの行為ですよね。アプリにこんな機能はないので。現実の「何でもやれてしまう」面白さがここに見て取れます。

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(2巻P64)

 アプリではサポートしてくれたことも、現実では自分で考えなければなりません。フリテンは初心者にはかなり難しい概念ですが、それを知って「ウワーン!」と叫ぶ彼女は、生麻雀の醍醐味を全力で味わっているのです。

   *

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(2巻P93)

 現代の麻雀を取り巻く環境はガラリと変わりました。麻雀は雀荘で打つものではなく雀魂のようなポップな麻雀アプリで遊ぶものだと考える人が、あるいはもう多数派かもしれません。
 本作が素晴らしいのは、そんな現状を「目新しいもの」として強調して描くのではなく、ごく当然のものとして描いている点です。作為的な匂いが一切しないのですね。アプリのフレンドルームで友人のログインに気づいてLINEで連絡する、なんてシーンがさらっと描かれているのには驚愕しましたよ。

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(2巻P96)

 こういったアプリネイティブとも言えるような彼女たちが生麻雀に憧れてバイトまでする、というところがまたユニークですよね。もちろんその作劇には狙ったようなところは全くありません。全ては自然な心の動きにより展開していきます。

   *

 最後に、本作の麻雀に対する姿勢を象徴するようなコマを紹介します。

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(2巻P104)

 いわゆる「ラス確定」の和了りでも、別にいいじゃないか。和了れたこと自体が楽しいんだから。ギャグ風に処理されてはいますが、これこそ本作が描きたいことなのではないかと思うのです。

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ごきげんよう、一局いかが? 2 (まんがタイムKRコミックス)

(水池亘)

カリスマお嬢様の降臨ですわ!――師走冬子『不遊美堂家の名にかけて!』

 おーっほっほっほ!よろしくてよ!無知なるあなたがたのためにこの4コマの面白さを教えてあげてもよくってよ!

 高飛車お嬢様スタイルでこんにちは。量産型砂ネズミです。今回取り上げるのは師走冬子さんの新作『不遊美堂家の名にかけて!』です。ふゆみどうと読みます。

不遊美堂家の名にかけて! (1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)ALT

不遊美堂家の名にかけて! (1) (バンブーコミックス 4コマセレクション)

posted with AmaQuick at 2024.03.05

師走冬子(著)
竹書房 (2024-01-17)

Amazon.co.jpで詳細を見る

 主人公の不遊美堂星羅(せいら)は金髪縦ロールで上流階級出身。高笑いをしながら登場する完璧なお嬢様スタイルで、そして何事にも形から入る主義なのです。

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 まずこのお嬢様というスタイルについて解説をしておきます。

 竜崎麗香 (りゅうざきれいか)とは【ピクシブ百科事典】 (pixiv.net)

 スポコン漫画の金字塔の一つ『エースをねらえ!』の登場キャラである竜崎麗華、通称お蝶夫人が有名です。ピクシブ百科事典にもあるように、現在イメージされる金髪縦ロールでお嬢様言葉を使うキャラクターであり、そのインパクトの大きさから、お嬢様キャラのテンプレートを確立するまでになりました。。現在隆盛を誇っている悪役令嬢作品もお蝶夫人に源流を持つのです。お蝶夫人というキャラクターは創作界隈でエポックメイキングなキャラクターであったのですね。作品現役世代でない方々への解説でした。

 『不遊美堂家の名にかけて!』の主人公・不遊美堂星羅もこのテンプレートのキャラクターです。テンプレートそのままのキャラ像を用いること自体が一つの面白さになっているのです。

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 星羅の初登場シーンです。イメージ通りのお嬢様キャラが教壇に立って自己紹介をする。テンプレート通りのお嬢様キャラ自体の面白さに加え、教壇の上に立って自己紹介をするという行為で、この星羅というキャラが一般常識の外で生きていることが読者に認識されます。それを強調するのが迎える生徒の心の声。新連載1話目の1本目でこの作品がどんなものかを読者に提示するインパクトがあります。

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  2本目、3本目で星羅のキャラクターが残念かつ鉄のメンタルであるであることがわかります。お嬢様のテンプレートをギミックにした作品であることを描きながら4コマとしての面白さもちゃんと押さえているのがさすがです。師走冬子さんのコメディセンスの良さが「秘密の花園ですわ」の3コマ目のセリフ「すげーな パンツ見えそう」です。パンティーでもショーツでも下着でもなくパンツ。10代男子のバカっぽさと淫らさのないエロの組み合わせ、さらに読んだ時のリズムの良さ。オチにつなげるコマとして良い仕事をしています。

 星羅がぶっ飛んだお嬢様キャラな一方で、脇を固めるのは一般庶民の普通の生徒です。伊藤と綾瀬。この二人は星羅のこの学校での初めての友達で、一緒に星羅の埒外な行動に付き合います。作品の構造でみると星羅に対してのツッコミ役と進行役を担っているキャラたちです。

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 担任から星羅のお世話を頼まれる形になった伊藤と綾瀬は最初貧乏くじを引いた感じを出していますが、星羅の友達になっていき友情を強くしていくのが心地よいのです。関係を深めた二人はそれぞれ面白い面を出していきます。

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 星羅が熱帯雨林でナマケモノを保護したというのを聞いた伊藤は天然ボケキャラを見せています。

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 綾瀬は星羅により教室でグラビアアイドルにならされた時の反応です。2コマ打ち抜きで水着スタイルを見せながらのこのセリフは笑いを誘います。

 伊藤と綾瀬は階層の違いからくる異文化交流をコメディに仕上げるのに不可欠なキャラクターですが、それぞれが単体でも笑いを取れるポテンシャルを持っているのです。

 さらにキャラクター同士に隔意がないことが作品を読んでいて心地が良いのです。クラスの中には不良や黒ギャルなどがいますが、星羅や伊藤、綾瀬とも友好的に接します。

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 黒ギャル虎尾にギャルの何たるか教わりみんな仲良くギャル化です。これが感動エピソードの後にくるのが面白いのですよ。「仲良き事は美しきこと哉」この精神が『不遊美堂家の名にかけて!』そして師走冬子作品全体の魅力なのです。

 主人公の不遊美堂星羅をテンプレートなお嬢様キャラにしたことで、ごく当たり前な事がとんでもない面白さに生まれ変わる。『奥様はアイドル』という長期連載の次にこの作品を作り上げる手腕はさすがです。コメディの面白さと師走冬子作品の心地よさを改めて感じさせる作品です。

(量産型砂ネズミ)

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画像出典 竹書房 『不遊堂家の名にかけて!』1巻 P11,P3,P4,P7,P46,P94,P59 掲載順

約束された幸せなんて見えなくても――黄身子『本当のヒロインはこんなこときっと思わない』

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〔58ページ〕

 内なるポテ子さんがギュルンギュルンしたので、本日はポテ子さんがお送りします。

 黄身子『本当のヒロインはこんなこときっと思わない』は恋する女の子たち、あるいは恋に恋する女の子たちを描いた4コママンガです。主役は一人ではなく複数で、その恋模様も様々だけど、どの子にも共通していることがあります。それは「面倒くさい」ということです。とてもイイですね。私も面倒くさい側の人間だという自覚があるので。

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本当のヒロインはこんなこときっと思わない

posted with AmaQuick at 2024.02.24

黄身子(著), すばる舎 (2022-07-23)

Amazon.co.jpで詳細を見る

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〔40ページ〕

 女の子たちの面倒くささを読み解くカギは、タイトルにもある「本当のヒロイン」です。絵本や小説やマンガやドラマの中で、苦しみや悲しみにも負けることなく立ち向かい、最後には大きな愛を手に入れるヒロインの主人公。ファンタジーでしかないはずの存在を、しかし「本当の」と呼んでしまう。どうにも矛盾しているはずなのに理解できてしまうのは、きっと恋や愛それ自体や恋愛というアクティビティに『本当の形』が存在するのではないかという――思い込みであれ願望であれ――観念があるのかもしれません。

 あるいは「本当の」は「約束された幸せが待っている」と置き換えてもいいのかもしれません。最後にハッピーエンドになると分かっていれば、どんな苦難だってきっと耐えられる。でも現実には未来なんて見えないから、今の自分が本当に幸せな結末に向かっているのかどうか疑ってしまうし、この苦しみや悲しみを真正面から上手く受け止められずに次の一歩が踏み出せないでいてしまう。それもまた恋愛や人生の味わいなのかもしれないけれど、“あなたの人生はあなたが主役です”と誰かは言うけれど、じゃあ私はその主役をどのように演じればいいのだろう? そんなの誰も教えてくれないよね。


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〔114ページ〕

 「正しい」やり方なんて知らなくても、「本物」かどうかなんて分からなくても、恋はしてしまうもの。この作品を読んでいてイイなと思ったのは、そういった『本当の形』を思いながらも、恋愛の中で相手や自分自身の気持ちと真っ直ぐに向き合う女の子も描かれているところです。ここじゃないどこかに「本当」があるんじゃなくて、自分が感じた全てが本当なんだ。そう気づいて認めてしまえば、心の中のモヤモヤがスーッと晴れていく。それだけでどこかへ踏み出していけるわけじゃないけど、少なくとも今ここに私は確かにいるんだって。自信と呼べるほど強くはないけど、大丈夫だって思えるんだって。そんな機微ある感情が巧みに描かれているんですよね。


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〔110ページ〕

 相手や自分自身と向き合うということは、あなたと私で話すということ。恋人同士であっても「恋人」という型にはめるのではなくて、個人と個人で関係を築くということ。右側の子の「君だから」を期待しちゃう気持ち、分かりすぎる~。左側の子の「それでもいっか」もグッときます。もちろん、これはホントに「私じゃなくてもいい」と思ってるわけじゃなくて、その裏に“あなたを実際に励ましているのは確かに私なんだから”という自負が見えるのがイイんですよね。

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 恋愛の『本当の形』に自分をはめようとするから苦しくなるのなら、そんなものにはめなくたっていい、と言うだけなら簡単なのです。『本当の形』を捨てることが「約束された幸せ」に別れを告げることと等しいのなら、そんなものはありもしないと分かっていても、手放しづらくて仕方がないものでしょう。だからこそ、相手や自分自身の気持ちと素直に向き合うことは尊いのだと思います。全てが手探りで、全てがぶっつけ本番。苦しみや悲しみが報われるとも限らない。それでも一歩踏み出せるとしたら、ひとえに“やっぱりあなたが好きだから”という素直な情動ゆえ。そして迷い悩む日々に何度も“やっぱり”に戻ってくるからこそ、二人の日々は積み重なっていくのだと思います。その先に約束された幸せなんて見えなくても、きっと大丈夫。日々を積み重ねたことそれ自体を幸せだって言える日が、いつか来たらいいなって、思えるようになるはずだから。


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〔107ページ〕

 素朴な気持ち、忘れないようにしたいですね。


(すいーとポテト)

ユニークな言語感覚、王道の青春 ――有馬『エイティエイトを2でわって』

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(1巻P22)

 有馬『エイティエイトを2でわって』は独自の言語感覚によって描かれた青春物語です。作者の「言葉・台詞」に対するこだわりようは並ではなく、全てのコマ、全ての台詞が精密に考え抜かれています。

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(1巻P17)

 「ピアノへの反抗期」というワードはわかりやすく独特で、この作者にしかないセンスを象徴しています。また、1コマ目の「鍵盤……でしたっけ?」という少しひねった言い回しはさりげなくも効果的で、なかなか他人には生み出せないユニークさを感じさせます。更には4コマ目、「ポテチ『とか』食べてました『けど~』」という台詞は、内容自体はありがちにも見えますが「とか」「けど~」といった細部の表現で独自性を演出しています。そして3コマ目、一見普通の内容ですが、見逃せないのは「フ……」「ゴクリ……」という書き文字。これがあるだけでこのシーンの茶番っぷりが浮き彫りになり、思わず笑ってしまいます。
 このように、どのコマを取ってもオリジナルな創意工夫が施されており、非常に手の行き届いた作りであると言えます。ここまで徹底してやっている作品はなかなか多くないですね。
 他にもいくつか例を見ていきましょう。

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(1巻P23)

 流れるような台詞の最後に「聴きてえわ…天才のピアノ…」。これはもう作者以外の誰にも思いつきようがないですね。こんな台詞が無数にあるのが本作です。地味ながら付け加えると、「聞」ではなく「聴」を使っているところもポイント高いです。

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(1巻P26)

 シンプルですよね。それなのに真似できそうもない。天性のセンスです。

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(1巻P50)

 「味気」という言葉のユニークさに着目する感度の高さと、それを膨らませる技量。これ、本当に真似できないですからね。

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(1巻P77)

 キャラクターの性格を考慮し、「おおむね…」ではなく「おおむねェ…」とする。キャラに合わせた台詞を描くということはわかるのですが、そのために「ェ」のカタカナ一文字を挿入するというのはわからない。でも圧倒的に正解なのですよね。このあたり、計算ではできないような気がします。

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 このように、言葉の表現に特色のある本作ですが、あくまでそれは世界を彩るための飾り。その本質は王道の青春物語です。ピアノの世界で夢破れた少女が、純粋にピアノを愛する少女と出会って心を揺れ動かす。そんな普遍的なストーリーに作者は真正面から取り組んでいます。それはとても真面目で誠実な姿勢であり、故に本作も気品と知性の溢れる作品となっているのです。

 確固たる信念で丹念に織り上げられた逸品です。心からおすすめします。

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エイティエイトを2でわって 1 (まんがタイムKRコミックス)

(水池亘)

悪魔なメイドは少年の心を通わせる物語――あきらんぬ『キミはあくまでも。』

 

キミはあくまでも。 1巻 (まんがタイムKRコミックス)ALT

キミはあくまでも。 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

posted with AmaQuick at 2024.02.04

あきらんぬ(著)
芳文社 (2024-01-26)

Amazon.co.jpで詳細を見る

 今回取り上げる作品は、あきらんぬさんの初コミック『キミはあくまでも。』です。作品要素としておねショタ、メイド、メガネっ娘、異種交流、触手プレイとディープな要素がてんこ盛りとなっています。これらの要素をひっくるめて一言でこの作品を紹介するなら、おとぎ話4コマというのが最適ではないでしょうか。

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 作品の冒頭で[西暦20XX年 イスタリカ国 「ハーグーヴァ島」]と語られています。架空の国と島、そして特定されない年代。これはおとぎ話で言うところの「昔々あるところに」という枕詞と同質の効果があります。これを作品冒頭に置くことで、おとぎ話、ファンタジーであるということを読者に提示する舞台装置となっているのです。おとぎ話であるなら悪魔が登場するような設定も繰りだすことができますね。

 メインキャラは二人。上流階級に属する少年・ヴェネル・ノートン。ノートン家の次期当主が約束されています。容姿端麗で聡明な少年ですが、館にヴェネル以外の家族はいません。学校へも行かずに孤独を抱え一人で何をするわけでもなく日々過ごしていました。

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 そんな彼の前に現れたメイドがエクールカ。美人でメイドでメガネっ娘で巨乳という妖しく官能的な雰囲気をまとっている人物ですが、彼女はタコの悪魔が人の姿に変身しているのです。つまりタイトルの『キミはあくまでも。』は悪魔とあくまでものダブル・ミーニングになっているわけですね。

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 ノートン家の館にはエクールカ以外にも使用人が多くいますが、表情が描かれることはありません。キャラクター性がないのです。使用人たちがヴェネルに隔意を抱いている、もしくはヴェネルがそう思っているからか。どちらにせよヴェネルにとって、自分を見てくれているのはエクールカだけであるというのがよくわかる演出であり、この作品は二人の物語であるというのが伝わってきます。

 エクールカはヴェネルに対して過剰なスキンシップを仕掛けてきます。ここに極上のおねショタを楽しむことができるのです。

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 未だ思春期前とはいえエクールカの肉感的な身体に密着されて赤面するヴェネルからは熱き滾りを得ることができます。ショタがお姉さんキャラに対して赤面する姿には世界に光をもたらす力がありますね。赤面しながらなんとか毅然とした態度をとる努力をするヴェネルというキャラが素晴らしい。

 さらに悪魔と人間の異種交流が加わります。触手に絡め取られる少年という倒錯したシチュエーションもまたそそりますね。

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 異種交流、一歩進んで異種ラブは古今、洋の東西を問わずに王道のシチュエーション。それにおねショタを組み合わせた時の素晴らしさは最高です。見ているだけで目の保養になります。また、エクールカとヴェネルは個々のキャラクターとしても魅力的であり、その核となるのが二律背反の気持ちにです。

 ヴェネルは自分に関心を示してくれるエクールカに安らぎを得ていますが、悪魔である彼女が何を目的として自分に近づいたかという警戒感を持っています。

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 ただこの警戒心はエクールカが悪意を抱いていないのを証明したいことの裏返しと読み取ることもできます。それはヴェネルのこの内面から想像することができるのです。

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 そしてエクールカの方はヴェネルに好意的な感情を抱いていますが、悪魔が善行を為すという矛盾を抱えています。その理由は1巻ではまだ語られることがありませんが、ヴェネルと過去に何かあったのではないかというのをうっすらと読み取ることができます。

 特にヴェネルの感情の揺らぎは、悪魔が人に害をなす存在で決して油断して良い相手ではないことを理解はしていても、孤独な心を満たしてくれるエクールカへの好意のせめぎ合いが繊細に描かれていて、おねショタシチュエーションに深いドラマ性を持たせています。エクールカは何もかも見透かしている反面、目的がなかなかはっきりと明かされないことにより、はっきりとした結論を持てないヴェネルの感情描写が際立つ構造になっているのです。

 『キミはあくまでも。』おねショタや異種交流がまず目に留まりますが、ヴェネルの視点から見るジュブナイル作品としても大変面白いです。孤独な少年のもとに現れた理解者との時間の共有。求めているものを満たしてくれる優しさと、決して手に入らないのではないかという予感を合わせた悪魔のメイドとの交流。美しく淡い色をした感情に彩られたおとぎ話が語られます。

(量産型砂ネズミ)

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画像出典 芳文社 『キミはあくまでも。』 1巻 P7,P2,P6,P13,P30,P24,P40 出展順

全人類よ、今すぐ橋本ライドンさんの『妹・サブスクリプション』を読んでくれ

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なかよし姉妹 – 2023年10月10日〕

 可愛すぎる妹シリーズの印象で読み始めてみたら、まさか骨太のSFヒューマンドラマになっていくなんて、連載当初は思ってもみなかったんですよ、マジで。

作品の紹介に入る前に

 この記事で紹介する『妹・サブスクリプション』(妹サブ)は、ぜひともツイッターで毎日21時に更新される最新話を連載で読んでいただきたい。3月8日に発売される単行本を待つことなく、今すぐ連載で読んでほしいのだ。それくらい、この作品を連載で読む体験にはすさまじいものがある。

 今から連載を追いかけるには、まずは min.t で公開されているこれまでの連載まとめを読むといいだろう。連載開始は2023年10月10日であり、これまでの話数は約100話、すなわち100本の4コマなので、それほど難なく追いかけられるはずだ。その後、連載媒体である「ツイシリ」アカウント @twi_sirius、または作者・橋本ライドンさんのアカウント @hashimotorideon をフォローいただければ、最新話の更新やその周知が流れてくるだろう。

 以下、この記事は作品紹介の都合上、これまでの連載のネタバレを含んでいる(できるだけ軽微なものに抑えたつもりではある)。妹サブのマンガ体験を十全に味わいたい方は、この記事の続きを読む前に、ご自身で連載を読んでいただければ幸いである。

前置きはここまでにして作品の紹介に入る

 妹サブの舞台は、失われた人間を模倣する人造人間技術「レプリカント」が実現された近未来。主人公の一人である姉のみゆきは、妹・今日子(きょんちゃん)のレプリカントとともに暮らしている。冒頭で引いた第1話の時点で、妹は既にレプリカントなのだ。その設定は連載初期に少しずつほのめかされていった。


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お姉ちゃんの部屋 – 2023年10月10日〕

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嫌いな業者 – 2023年10月12日〕

 連載開始から3日目までの印象的な場面を挙げよう。意識を失ったと思しき妹の体躯が、姉によって鍵付きの部屋に引きずられ、「回収センター」を名乗る者によって箱詰めされる。それも複数体が同じような姿で。この時点で、妹は人間ではなくロボットのような何かであること、またタイトルの「サブスクリプション」は昨今の継続購入サービスを意味していることが推察できた。だがその核となる設定はまだ示されておらず、確証がないまま不穏な空気が醸し出されていったのだ。

 妹サブのマンガ体験の面白さは、こういった毎日のハラハラドキドキにある。各話で明かされる事実が断片的であり、次の更新は翌日を待たなければならないことから、その間に想像や考察が否応なく膨らむのだ。ここまでに私が述べたあらすじや解説は過去の連載を読んだ後だから書けるのであって、現在進行形で読んでいたときには翌日の展開を予想しても外すことは日常茶飯事だった。外してもその日のうちにスッキリできるならまだ良くて、時には何日も核心が伏せられたまま物語がジリジリと進み、早く真相と答え合わせさせてくれ!と悶絶と期待が入り混じった感情に駆られることもしばしばだった。


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いつも通りの朝 – 2023年10月23日〕

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あなたにだけは話したい– 2023年10月30日〕

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あなたは異常 – 2023年11月3日〕

 作中で「レプリカント」という単語が初出するのは連載開始から2週間後、妹がレプリカントだと姉の口から名言されるのはさらに1週間後、そして壊れやすいからサブスク形式だという設定が述べられるのはそのまた4日後であった。ここでようやく、妹が“意識を失った”こと、複数体存在したこと、そして回収されたことに合点がいき、もやが晴れるようなカタルシスが得られた。そして同時に、これらの場面はみゆきとレプリカントの、そしてレプリカントと社会の関わりを示してもいたのだ。

妹サブのタテ軸とヨコ軸

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妹は そのままで – 2023年10月13日〕

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いつも通りの朝 – 2023年10月23日〕

 妹サブの読みどころはいわばタテ軸とヨコ軸に大別される。タテ軸は、みゆき(姉)から今日子(妹)に向けられる“家族愛”の歪さだ。今日子のレプリカントを溺愛するみゆきは、オモテ向きには頼れる保護者でありつつも過保護のきらいがあり、妹離れできていない姉のように見える。だが実際にはもっと悪いのだ。


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悩めるお姉ちゃん – 2023年10月14日〕

 その悪さは、みゆきが今日子のレプリカントと相対していない、ウラ側の状況で見え隠れする。キーボードを猛烈に叩いてサポートチャットに要望を送り、無機質なビジネス応答に舌打ちしながら怒るみゆき。その態度と「直せ」という強い口調には過保護を超えて、“愛する”妹を自らの管理と制御の下に閉じ込めて作り変えんとする魂胆があらわれている。もちろんリアルタイムの連載時には、本物の今日子は真に素直な子だったという可能性もあった。しかし現在までにその可能性は明確に棄却されている。


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瞳に星屑をまぶして – 2023年11月29日〕

 さらに悪いことに、みゆきは自身の行いが正しいとかなり純粋に信じている(少なくとも、この記事の公開時点で、これまでの連載を素直に読む限りでは)。みゆきの信念は関係者との間で軋轢を生んでいき、それがまたドラマになるのだ。

 もちろん、みゆきはわけもなくレプリカントに手を出したわけではい。作品設定では、レプリカントを正当に得るには対象の家族が亡くなったとされる必要がある。みゆきが今日子自身でなくそのレプリカントと暮らしているのには相応の理由があり、それもまた連載の中で描かれている。これらの事情を理解した上でなお、彼女の“家族愛”は歪だと言わざるをえないものであって、控えめに言っても全てを首肯することはできないものなのである。こういったアンビバレンツな人間模様や読後感もまた妹サブの魅力である。


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いつも通りの朝 – 2023年10月23日〕

 そして読みどころのヨコ軸は姉妹をとりまく社会との関わりである。それは家族や友人といった近しい他者にとどまらず、文字どおりに世の中の状況を含んでいる。作品世界の中ではレプリカントが社会問題になっており、受容する動きもあれば批判する動きもあることが、連載開始から2週間のうちに示された。そしてこの記事を公開した時点で進行中の連載では、レプリカントと社会のあり方がまさに描かれようとしているのだ。これは本当に連載で読んでいただきたい。


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違わない – 2023年10月26日〕

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初めて わかってくれた人 – 2023年10月31日〕

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知らない友達 – 2023年11月12日〕

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あるアルバイトの苦悩 – 2024年1月9日〕

 かような背景をベースにして、姉妹の生活とみゆきの思いは他者と相対される。近しい者では、例えば共生を否定した両親、カミングアウトを“ひとまずは”受容したみゆきの友人、何も知らずに“再会”した今日子の友人。より社会の側では、例えばレプリカント企業のカスタマーサポートで働くアルバイト。他にも、みゆきと同様にレプリカントに手を出した別の家族や、レプリカント事業の起業者なども登場する。かくして社会の中で姉妹模様が描かれ、また姉妹模様を通じて社会が描かれる構造は、科学技術の“もしも”と同時にそれが存在する世界での人倫を描く、骨太なSFヒューマンドラマの基礎となっているのである。


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今日子 中3の夏 – 2023年12月10日〕

 その中にはもちろん、もう一人の主人公である、“在りし日”の妹・今日子も含まれる。今日子の過去、あるいはやがてレプリカントに手を出すことになるみゆきの過去は、これまでの妹サブの連載の中で最も重要な物語である。これもぜひ連載まとめで読んでいただきたい。

「今」すぐ読まれるべき、ということ

 以上、私がこの記事で急ぎ語りたかった、今すぐの「すぐ」について語り切ったつもりである。ここからは、連載がまだひと段落していない現状では拙速で蛇足かもしれないが、今すぐの「今」について少しだけ語りたい。本格的な語りは単行本の発売後に別の記事を起こす予定である。

 妹サブを読み進めていくと、私は現実の現在におけるいくつかの社会問題をどうしても連想せざるを得ない――ひとつは毒親に代表される支配的な家族である。みゆきは親ではなく姉だが、家族の御旗のもとに個人(今日子はみゆきの姉である前に今日子個人である)の人格を支配どころか改竄までせんとする姿はまさしく毒親のそれに当たると言えよう。もうひとつは人格ある他者を部分的に模倣する技術であり、その最たるものがいわゆる生成AIである。特に妹サブにおいて中心的に描かれる家族と故人というテーマにおいて、私はTEZUKA2020・TEZUKA2023プロジェクトを真っ先に思い浮かべた(奇しくもTEZUKA2020プロジェクトの単行本は、3月に刊行予定の妹サブとの単行本と同じく、講談社から刊行されている)。故人・手塚治虫の版権を管理する法人やその家族が関わるこのプロジェクトは、仮に著作財産権の観点で正当だとしても、死後も譲渡できない著作者人格権の観点では正当性をどのように主張するのか。まさか家族の御旗のもとに正当性を主張するとでも言うのだろうか。よしんば法的に許されたとして、法に先立つ人倫として許されるべきなのか――こういったことを考えてしまうのだ。

 妹サブは意図的にせよ結果的にせよ、現実のかような社会問題を空想のSFマンガの形で読者に問いかけているように思う。レプリカントの「レプリカ」は複製を意味する言葉だ。そして人間が『死後に』『他者によって“正当”に』『“複製”と称される行為の対象になる』ことは、人間の尊厳に踏み込み、個人主義を溶融させ、代替可能性を加速させる営みと捉えられるだろう。かような世界において、人間が人間らしくあること、あらゆる何かに先立つ個人であること、そしてその人格が代替不能であることは、いかにして成立し得、また成立“しなければならない”のか――過剰な願いかもしれないが、私はそのひとつの答えを、あるいは少なくともその確固たる問いを、妹サブには描き切ってほしいと思っているのだ。

(すいーとポテト)

ダジャレを言うこと、距離感を測ること ――ため『鈴宮さんのダジャレをスルーできない』

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(1巻P8)

 わかるなあ。わかる。

 ため『鈴宮さんのダジャレをスルーできない』はヒロイン・鈴宮さんの繰り出すダジャレの数々を楽しむ漫画、ではありません。フォーカスしているのはダジャレそのものではなく「ダジャレを言う」という行為とそれにつきまとう「空気を読む/読まない」の繊細な距離感です。

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(1巻24P)

 会話の中、不意にダジャレを思いついて言ってみたらしーんとなってしまった、という経験は誰しもあると思います。そもそもダジャレとはそんなに面白いものではなく、それを脈絡なく披露する行為は空気を読まず破壊していることと同じです。それでも、どうしても言いたくなっちゃうという点が鈴宮さんのユニークなかわいらしさですし、それを許容する主人公・嶋くんとの「特別なつながり」としても機能しているわけです。

 またこの作品は嶋くんの「他人の懐への入らなさ」に対する物語でもあります。

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(1巻P10)

 幼少期から転校を繰り返し、友人ともすぐ別れることが常態化していた彼は、他人とあまり深く関わろうとしない人物となっていました。象徴的なのが次のシーン。

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(1巻P49)

 自分で自分のことを八方美人と呼ぶ主人公なんて初めて見ました。読んだ人ならわかると思いますが、彼、全く八方美人じゃありませんからね。そういったシーンは皆無に等しく、それだけに彼の自己評価の歪みがクローズアップされます。
 八方美人って、要はその場の空気に合わせて適当なことを言う人です。ダジャレで場を無差別に台無しにするような行為とは対極に位置するものです。嶋くんが何を思って自分を八方美人と言ったかはわかりませんが、少なくとも彼は鈴宮さんのダジャレに適当に付き合っているわけではありません。
 平穏に日々を過ごしたいはずの彼は、寒いダジャレを繰り返す鈴宮さんのことだけはどこか放っておけず、関係を深めていくことになります。不可思議ながらもかわいらしい彼女の存在で、彼の何がどう変わるのか。それがストーリー上の大きな読み所になっています。

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(1巻P61)

 恋愛沙汰になるのかならないのか曖昧なまま続いていくノリも面白いですね。

   *

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(1巻P64)

 ダジャレとはすべからく無駄なものです。その無駄で会話の流れを止めてしまうことから露骨に呆れられることもあります。それでも鈴宮さんはダジャレを言う。そこには、言う相手への甘えと信頼があります。だからこそ彼女は安心してドヤ顔できるのです。
 他のテーマでは描けない人間関係を形にした青春物語として非情にオリジナリティの高い作品です。おすすめします。

 最後に鈴宮さんの素敵なドヤ顔を見ながらお別れです。

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(1巻P20)

鈴宮さんのダジャレをスルーできない 1巻 (まんがタイムコミックス)ALT

鈴宮さんのダジャレをスルーできない 1巻 (まんがタイムコミックス)

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ため(著)

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(水池亘)

愛すべきポンコツキャラ達の狂想曲――双葉陽『ばーがー・ふぉー・ゆー!』

ばーがー・ふぉー・ゆー! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)ALT

ばーがー・ふぉー・ゆー! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

posted with AmaQuick at 2023.12.24

双葉陽(著)
芳文社 (2023-11-27)

Amazon.co.jpで詳細を見る

 今年最後の取り上げる作品はきららMAXで連載中の作品、双葉陽さんの『ばーがー・ふぉー・ゆー!』です。

 本作の主人公にして笑いの肝であるのが春原(すのはら)こむぎです。第1話の時点で休みの日にはベットに入ったままソーシャルゲームでひたすらハイスコアを目指しています。プレイしているゲームも人気作品ではなく、マイナーで旬の過ぎたハンバーガー店で店員になるゲームで、登場キャラのピ・来栖というキャラに熱を上げている感じです。部活もせずに友達もなし。勉強に力を入れているわけでもない。

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 学校で友達を作ろうと試みますが、そのやり方がイタイことこの上ない。ハンバーガーの帽子をかぶって注目を浴びようとする行為には厨二病の症状が見受けられます。自分が思い入れのあるものは他者も同様に価値を認めていると思い込む。自他の境界があいまいな思春期にやらかす案件です。こむぎというキャラが今までの人生で友達関係を作れなかったことが容易に想像できるのです。

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 これらのこむぎの持つザンネン要素は埒外なものではなく、人が誰しも経験するザンネン要素をカリカチュアライズしたものです。読者はこむぎというキャラに共感や理解を持つことができます。さらに妹のまいにこむぎを肯定させることによりネガティブ感を軽減させる演出もしています。肯定させるだけでなくこむぎがアクションを起こさせるきっかけも同時にまいに言わせているのが秀逸です。

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 第1話目で描かれるこむぎは家族という一切遠慮のない相手に見せる地のキャラと、人間関係を構築できていない相手に対する素っ頓狂なキャラの二つを見せています。

 紆余曲折の後にこむぎはモグモグバーガーでバイトをすることになります。職場での仲間という関係を得たこむぎが新しいキャラを見せます。毒舌キャラです。

 モグモグバーガーの立地は吉祥寺駅のすぐそばです。そのおしゃれ街・吉祥寺に恐れおののくこむぎの発言です。

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 ナチュラルに町田を下に見ている発言です。神奈川県との関係でネタにされる町田市というのが下敷きに毒舌ですね。ネタにされることが多い町田ですが、街の持つスペックの高さはかなりのものであるとフォローしておきます。

 仕事仲間という関係性を構築したとはいえ、まだぎこちなさを見せる中でこの毒舌発言をしてくるのです。コメディリリーフとして大変良い仕事をしています。さらに関係性が深くなるとこの歯に衣着せぬ、身もふたもない発言をこむぎはします。

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 病気で休んでいる人の家に行っているのにもかかわらずこの発言と行動。第1話で友達を作ろうと迷走しまくっていたこむぎにこの対応をさせること自体が、作品全体を通しての笑いにもなっています。ちなみにこむぎがこの塩対応するのにはちゃんとした理由があるのです。

 こむぎは第1話目のエピソードで人間関係の構築が下手であることが描かれています。それが一度仲間の輪に入ったらかなり踏み込んだ関係を作っていく、かなりオタク気質の強いキャラクターです。オタクにありがちなキャラクター性に、共感や親近感を覚えるのも魅力の一つではないでしょうか。

 もう一つこの作品での面白さの肝はこむぎと他のキャラクターの関係性の変化です。そのキャラクターは小浦零(こうられい)です。こむぎに次ぐサブヒロインのポジションで、同じくバイトをしている兄の透が大好きな女の子です。お兄ちゃん大好きっこですが、その感情は天井知らずというか底が抜けているというか、なかなかの業があります。

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 先ほどこむぎが病気の男性を放置して帰ろうとしたエピソードを紹介しましたが、放置された男性が透なのです。看病なんかしているところを零に見られたらめんどくさいことになる。それ故の発言と行動だったのです。それほど度を越したブラコンの零ですが、こむぎをバイトに誘ったきっかけを作ったキャラでもあります。登場時は先輩としてこむぎを引っ張っていましたが、実はこむぎより一月早く入っただけで、新人研修も未だに合格していない状態で、こむぎよりポンコツだったのです。

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 こむぎにド直球に失礼なことを思われています。

 零のポンコツが判明したことによりこむぎとの関係が変化します。こむぎにツッコミを入れていた零がボケにまわることになるのです。そしてボケレベルはこむぎを超えていきます。こむぎと零の二人がボケを担当することで笑いのバリエーションが増えるのです。

 『ばーがー・ふぉー・ゆー!』ではキャラクターのポンコツ具合が魅力になっています。「愛すべきバカ」という表現がありますが、この作品では「愛すべきポンコツ」といったところでしょうか。ポンコツ部分ではあるけどそれが良さでもあるという描き方がされているのでコメディとして

秀逸な作品となっています。

(量産型砂ネズミ)

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画像出典 芳文社『ばーがー・ふぉー・ゆー!』1巻 P10,P13,P11,P31,P111,P20,P43 掲載順