いつものこと

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誰かがやっていたのを見て書き出したけれど30もろくに思いつかなくて、生活と地続きでかついつもしていることの発展でできることしか出てこなくて、鬱に片足どころか膝下くらいまで突っ込んでいることを改めて自覚する。何かを考えたり実行する意欲がない。朝も目覚められず仕事や家事はおろか夜は入浴すら億劫で、思考がまだらで、真夜中に悪夢で魘され動悸で飛び起きたりする。

でもまだこの冬は文字が読めているのが救い。1週間で6冊読んだ。そろそろまただめになるだろうという予感はある。

瞑想やマインドフルネスで不安感を手放すことが自分の精神に寄与すると思えない、だから今は飲酒が心の拠り所。なにもかもが不確かで期待できない日にも、おいしいお酒はすべてを忘れさせてくれるから。

私のことなら心配しないで、この世界が狂っている。

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躁気味のときは何を着ても楽しく、調子のいい秋口には来たる冬のためにと数着服を買うのだが、寒さが一番堪える頃はいつもUNIQLOのスウェットに戻ってきてしまう。今年はXLサイズの白を3枚と無地の靴下を5色買ってそれ以外は全てクローゼットから出した。私はもうこれだけ着れば良いのだという安心感、緩んだ身体と弛んだ精神、冬は寒い、辛い、嫌い

履き慣れた靴を脱ぎ捨てるとき

ついにCOVID-19に捕捉されてしまった、発熱はほとんどなく、倦怠感もそこそこに済んでいるが、嗅覚が無になったことにより、日々の楽しみの大部分を占める飲食への興味が湧かなくなってしまった。だってコーヒーは熱い泥水だし、チョコレートは焦げたクレヨンだし、カップ焼きそばは異星人の内臓、カレー粉は柔らかな土で、ウイスキーは消毒液。大好きな世界にそっぽを向かれて、久しぶりの失恋にショックが隠せない。わたしの鼻はなぜ顔の真ん中にあるというのか!間抜けなツラで鼻うがいをするためなのか。
貧食を悔い改めよという神託だろうか。確かに生活の中心に置いて、リスクヘッジもしていなかった。少し熱りを冷ましたほうがいいのかもしれん。

傾ぐ巌の

自分の人生とは飽きるほど向き合ってきたものの、関わる他者の人生を労わるようなことをできた試しがなくて、そんなでいいのか36歳、と思ったり思わなかったり、やりたいと思ったことをやるためにある程度の道筋はつけられるし行動することはできるけど、誰かのためにとなにかすることはまったくもって易しくない
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酔うために飲む酒をやめたい、と、酔わないとやってらんない、のせめぎあい / 持て余した脳がビールの泡ともウイスキーの香りともつかぬ夢を見る 
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熱を帯びたこどもの指が私の耳朶に触れるとき、吐瀉物を胸で受け止めるとき、作った食事を残される時、その不愉快を飲み込みきれない狭量な自分に失望する、互いに無害であることなんてできない距離感ですべてを受け入れることが愛ならば私のこれは愛じゃないかもしれない、意地とか執着とかのほうが近いところにある
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何度でも眠りなおそう、朝が来るまで