2015年06月08日

見つかっちゃったらしょうがない

今日も最初にお願いします。

いつもありがとう。

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今日も何か書こうとして、こうしてPCの前に来ました。

最近ずっと大和田菜穂さんのことが続いているので、今日は何か違うことをなんて思いましたが、他に伝えたいことが出てきません。

たぶんこれが、これまで伝えてきたことの真髄だからでしょう。



非二元(ノンデュアリティ)の洞察は多くの人に訪れています。

僕自身も長きにわたって伝え続けてきました。


ノンデュアリティは、「いまここ」という言葉にも置き換えられます。

「いまここ」とは、時間や場所のことではなく、自己が消滅した時の存在形態です。

実際には、「いま」しか時は存在せず、「ここ」以外に何も起きていません。


自己とは、「いまここ」以外に目を向ける探究装置のようなものです。

だからノンデュアリティは、「私はいない」という宣言になるのです。



さて菜穂さんは、

「ノンデュアリティはスピリチャルではない」と言います。


なぜなら、スピリチュアルの分野は数々あれど、それらが目指しているのはすべて、自己の救済だからです。

世界の救済でさえ、それは個々の救済の集合です。

より楽になるため、より気高くなるため、より安心するため、より幸福になるため、より力強くなるため、より自由になるため・・・

誰がそうなるのか・・・「自分」です。

そのためなら、ノンデュアリティさえ手に入れようとします。


でも最初はそれでいいのです。

そうやって真実の人のもとにあれば、突然、化学変化が起き、ただ在ることが知られます。

本当は知る人はいないのですが、言葉としてはそういう表現になります。

そしてあらゆる探究が終わり、生まれてこの方ずっと探し求めてきたものが、すでに自分自身としてあったことを知るのです。


「はい、いっちょあがり!」

ってなもんです(笑)



僕の話は観念っぽくなりがちですね。

彼女の凄さは、何か国語にもわたって、このことを見事に言い切れることです。

なぜ言い切れるのか。

それは、彼女がすでに「それ」だからです。



ある時彼女が言った言葉で、印象的だったものがあります。

正確ではないかもしれないけれど、主旨を書いてみると・・・


世界にノンデュアリティについて語る人は多いけれど、完全に「ここ」にいる人はあまり見かけない。

だからと言って、完全に「ここ」にいる人がいないのではない。

何も特別なことではないから、たくさんいるはずだ。

でも、その状態にあれば、自分から伝えようとすることはない。

私もこうなるとは思っていなかった。

誰にも知られず、静かに生きている人は多いと思う。



もしかしたら、あなたの隣の人がそうかもしれないですね。

僕も常々思ってきました。

歴史に刻まれた覚者の名前しか知らないけれど、その背景には、多くの名もなき覚者たちが静かに生きていたはずだと。

このことは、僕たちにたくさんの可能性を感じさせてくれますね。


彼女の場合は、彼女の変化を見た友人が、彼女を録画しyoutubeに載せたことが発端でした。

それがきっかけで、日本で本を出すようになり、今日に至っています。


こうして見つかってしまったからには、あとは流れのままにいくしかないですね。

しかも阿部に見つかったら、もう諦めるしかありません(笑)



すべては思し召し。


流れのままに。






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Posted by Toshiro Abe at 11:57│Comments(88)
この記事へのコメント
実に清々しいです。
心から溢れる歓びに包まれています^^

阿部さん、ありがとうございます。
そして、これまで静かに生きた多くの名もなき覚者たちに、心から感謝申し上げます。

すべては流れのままに、ですね^^

この宇宙である大いなる意識に、感謝いたします♪
Posted by カイヴァルヤ at 2015年06月08日 12:10
大和田菜穂さん

彼女の瞳は、なぜあんなに美しいのだろう!?

YouTubeの中の彼女の瞳に釘付けなわたし。

黒くてなんとも艶っぽくキラキラゆらめいてる。

菜穂さんの話題とても楽しみにしています。

阿部さん、いつも、ありがとう。
Posted by hami at 2015年06月08日 12:14
今日の記事を拝見していて、ノンデュアリティーは自己の救済ではない、という言葉に、あぁそうだったんだと思いました。
いつもノンデュアリティなメッセージを見ると、感覚ではそれを肯定してる感じなのですが、頭では乱暴な言葉で言ってしまえば、「だから何?」とか「それでどうすればいいの」とか「それを知って(悟って)どうして嬉しいの」とか「それのどこに希望があるの」といった複雑な気持ちになっていました。
余計に絶望しちゃいそうな感じで、疑問ばかりでした。
でもそういう気持ちになるのは、そこに自己の救済がないからだったんだ、ということが今日なんだか納得できました。だからか~、と^^
Posted by ノッキ at 2015年06月08日 12:17
阿部さん応援してま〜す✨✨✨
いつもありがとう
Posted by 天川惠理子 at 2015年06月08日 12:18
>それは、彼女がすでに「それ」だからです。
そうですね。動画からでも本当にそう感じます。
同じ印象を向さんにも感じます。
自然からも感じます。ただ、自然だと人間と自然は違うという分離が働きがちなので、同じ人間であってそれのお二方のような人はありがたいと感じます。
こういう方からはもう言葉はいらなくて、同じ空間を共有すれば自ずとそれが分かる気がします。

阿部さんは「それ」を翻訳?して言葉というワンクッションをおいて示す。「それ」を体験する乗り物の一つとして瞑想を紹介する。「それ」を忘れて苦しんでいる人に対して大丈夫と励ます。

いやあ、ほんまええコンビですなあ。

阿部さんいつもありがとうございます。
Posted by マイペース at 2015年06月08日 12:20
本当はどっちだっていいし、どうだっていいし、それがどうした、なんですけどね。
Posted by すずめ at 2015年06月08日 12:30
大和田さんのYouTubeを見たときに、「そうそう、元から離れた自分と元はそうだった」という気持ちから、「これが、わかったら、無理に何もしたくない」という気持ちが湧きました。
頑張って我を張って「誰かに伝えたい」気持ちが無くなりました(^^;;

その後音楽仲間に出会い、私のギターが「我を張っていた」ことがハッキリわかりました。

阿部さんのお話は、観念的なのかもしれませんが、大和田さんの状態を訳して 観念が好きなひとに 伝わりやすいのかもしれませんね。
Posted by sui at 2015年06月08日 12:31
今日も素敵なブログありがとうございます。
なぜか「行きなさい」の釈迦、「おいでおいで」の仏陀という言葉を思い出してしまいました。
Posted by きじ at 2015年06月08日 12:45
悟ったけど悟りなくない。一瞥に抵抗したくなるような葛藤ってあり得ますか?「わかっちゃいるけどやめられない」みたいな。
Posted by マシャ at 2015年06月08日 12:50
こんにちは!
大和田さんのお話をyoutubeで拝見しました^^

さてさて。
「わかる」って何でしょうか?
分かる、とも書かれるように、
それをそのもの(他と違うもの)として認識(分かる)するということならば、そもそも分かる必要など無くって、わからないのが大和田さんの言う所の「ナチュラル」なのでしょうか?

たとえば、「犬」とわかるには犬とネコの違い(分ける)が分かるからわかるのであって、でも、本当は、犬もネコも人間も「わからない」?

人間社会で生きる上で便宜上「分かる」事を求められるし、分かってもらいたいと求めているけれども、本当には分からなくて(分けなくて)いいのでしょうか?
言葉遊びみたくなってしまいました…。

ああ、わからない。
考えるな!感じろ!…モヤモヤ感しか感じられないです。
Posted by みーた at 2015年06月08日 12:55
「自分がいまここに乗っている」

と全身でリアルに感じながら

この動画を見てみてください。


「いまここ」に導かれます。


https://www.youtube.com/watch?v=fAEVqEq0o2s


「いまここ」に強烈に集中すると

「いまここ」に強烈に導かれます。


「いまここ」は思想・哲学ではありません。

「いまここ」は全身全霊の体感です。
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2015年06月08日 12:55
最近は、阿部さんと大和田さん以外の方のメッセージは、心に響かなくなってしまいました。

10月に真言宗で出家得度する為、現在修行中なのですが、それもただ楽しくて、やりたいからやっているというだけで、真言宗の修行やお大師さまのメッセージで、何か覚りを得られたらとか、そういう期待は全然無いです(笑)。

逆に、真言宗の仲間達に、ノンデュアリティのメッセージを広めちゃおうかな?などと企んでいます。

このところ、ちょっと心配なのが、阿部さんファンの女性の方々が、大和田さんに嫉妬しないかな?ということです。私は男なので、全然そういうことはありませんが、阿部さんのメッセージだけでなく、阿部さんのキャラクターが大好きな女性も多いと思いますので・・・。

いらぬ心配スミマセン。これからも大和田さんのこと、どんどん書いてください(再笑)。
Posted by 齋藤弘之 at 2015年06月08日 12:58
阿部さん、いつもありがとうございます。

阿部さんは訪れる事を「化学変化」と表現されますが、実際、脳に何か変化が起こるのでしょうか。

ご存知かもしれませんが、「ブレインアップデート」という手法(セラピー)があって、他人が非二元を経験させてあげられるようなのです。

下の動画の15;50~でその瞬間をご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=g4Cj9pl4Y5k

それが「化学変化」であるならこれもありだと思います。今さら測定不可ですが、阿部さんや菜穂さんの前後の脳の状態を比較出来たら面白いですね♪
Posted by 黒崎顕 aka たこぴゃろ at 2015年06月08日 13:01
「ノンデュアリティはスピリチュアルではない。」
「多くの名もなき覚者たちが静かに生きてきた。」ああ、これで合点がいきます。私自身は一瞥なんてしたこともないど。阿部さんのブログを見つけたのは最近で、何故か、これは(この人は)真実を語っているなということだけはわかりました。大和田菜穂さんについても、それは同じでした。ただ一つ小骨のようにひっかかっていたのは、スピリチュアルなるものとノンデュアルが一緒に語られることでした。かなりの違和感がありました。それが、今日の記事で納得できました。ありがとうございました。
Posted by アレレレ at 2015年06月08日 13:09
阿部さん こんにちは。

どうしても、理解できませんね~

>菜穂さんは、 「ノンデュアリティはスピリチャルではない」と言います。
>なぜなら、スピリチュアルの分野は数々あれど、それらが目指しているのはすべて、自己の救済だからです。

これって、ノンデュアリティは、誰も救えないってことですよね・・・・

>より楽になるため、より気高くなるため、より安心するため、より幸福になるため、より力強くなるため、より自由になるため・・・
>誰がそうなるのか・・・「自分」です。
>そのためなら、ノンデュアリティさえ手に入れようとします。

本当は知る人はいないのに、なんで、そのノンデュアリティを人は手に入れようとするんですかね・・・
誰がそうなるのか・・・「自分」はそうならないのに・・・

ノンデュアリティをわざわざ探求し、それを知らなくても、心が満たされて平和であれば、知る必要はないのでは??これも「いっちょあがり!」って感じ(笑)
Posted by エコル at 2015年06月08日 13:14
阿部さんこんにちは♪

いままで真実に到達すれば「個」が救済されると思っていたので今日のブログを拝見して混同してしまっていたもどかしさが消えてちょっと嬉しかったです(・v・)

大和田奈穂さんに会ってみたいなぁ…
Posted by ヒカゲ at 2015年06月08日 13:18
語る人は、これからどんどん増えそうですね(笑)

私も「それ」であることの確信を得て、「ここ」にいることを体感し続けたい!

阿部さんが「ここ」にいる人(いないけど)になったら、どう変わるんだろう?
全ては思し召すままですね。
Posted by カララ at 2015年06月08日 13:22
いつもありがとうございます。

今日も良き一日になりますように。
Posted by ほったん at 2015年06月08日 13:33
阿部さんのおかげ☆♪

ありがとうございます☆♪

阿部さんのお人柄に救われています☆♪
Posted by くまちゃん at 2015年06月08日 13:35
違う話で恐縮ですが、最新の阿雲の呼吸で阿部さんが、現在ランキング一位のブロガーについて軽く触れて黒澤さんとネタにされていましたね。そのせいかどうかはわかりませんが、彼が先日の記事で阿部さんや黒澤さんをほのめかしてやはり軽くディスってました。

結局のところこうしたことは全て「単なる」ストーリーに過ぎないので、気にすること自体が無駄なんでしょうが、お互いにこうして「かまし合う」のは例えそれがONEネスなどをネタにした場合でも現象界では必然なんだと改めて感じました。

阿部さんが前から繰り返しているように、別に聖人君子でもなんでもないので腹も立てれば言いたいこともいうわけで、それも含めて笑える余裕が、つまりは気楽さが必要なんだなぁととりとめも無く考えた、というかそんな思考が湧いて来ている次第でございます 笑
Posted by クゥ at 2015年06月08日 13:41
阿部さんへ
Twitterに くぅ。
さんという方がおられます。彼女は非二元はとうに、体験済みなのだそうです。地球体験をしたくて、自我をもどしてもらったとか。
今は、非二元となった後の生き方のサポートをされているそうです。大和田菜穂さんや、パパジにプラスアルファのような…
この方も、大和田菜穂さんのように女性です。
Posted by あき at 2015年06月08日 14:11
こんにちは。
実は阿部さんのブログはここ2〜3年訪れてませんでした。
3年程前にセミナーは一度伺いましたが。
でも、数日前なぜかのぞいてしまい(笑)、大和田さんの存在を知ってしまいました。
それから、YouTubeを何度も何度も見て、衝撃を受けております。
正直、精神世界やスピ系に、少し嫌気がさしていたのもあって(個人的に)、彼女の痛快な表現にはかなりワクワクしてしまいました。
大和田さんのメッセージを聞いてから、今まで一生懸命読んでいたブログが、全く読めなくなってしまった現状です。
この現実が、今後どうなっていくのか全く分かりませんが、大和田さんの存在を教えていただき、ありがとうございました。
Posted by とも at 2015年06月08日 14:22
ノンデュアリティ・・・
特に大和田さんの「既に愛の中にある」という本は、私には理解できなかった。
ただ、このブログに集まる人たちの多くには、理解&共感されているようですね。
なんだか理解できなかった私が落ちこぼれのように感じてしまいます。

おそらく、ノンデュアリティは真実なのでしょう。
でも、それは非二元性の世界を体験した人だけがわかることで、非二元性の体験がなく、悩み苦しんでいる人にとってはなかなか理解できないです。

そういう意味では、ここ(阿部さんのブログ)は、非二元性の体験が得られるように、瞑想の奨励や気づきのために様々な話をしていただき、非二元性の体験していない人にも、手を差し伸べてくれました。
大和田さんは、「気づきに瞑想は必要ない」と言っているようですが、それは気づいた側からの話だと思います。
ノンデュアリティは、今悩み苦しんでいる人たちにとっては真実であっても、救いになるとは思えません。

せめて、このブログは、今までと変わらないでいてほしいものだと願っています。
Posted by いつまでも変わらないもの at 2015年06月08日 14:33
みーたさん

人は産まれたばかりの赤ちゃんの時、犬も猫も識別(分かる)すくことはできませんよね。
犬とか猫は、後天的に回りから教えられた概念です。『あなたは人間』という概念もそうです。

『いぬ(犬)』や『ねこ(猫)』という文字は、実体ある犬や猫そのものではありませんね。
動物が動く様をイメージとして記憶に留め、そのイメージに『いぬ(犬)』や『ねこ(猫)』を紐付け、
そのイメージに近い動物が実体として現れた時、イメージから逆引きで犬や猫と
称しているわけです。

つまり、言語でコミュニケーションする時の約束事として『犬(猫)と呼ぼう』と
決めているわけで、実体としての犬や猫そのものとは全く関係ないのです。
ですから、犬を『クルマ』、猫を『船』と呼んだとしても間違いではありません。
(社会的には間違いですが)

犬や猫の実体が目の前に現れた時、「あっ!犬だ!」、「可愛い猫だね」などと
言語による結び付けを想起することなく、ただ実体をありのままの事実として
見つめるというのがノンデュアリティや禅が教えてることです。
対象を見つめ何であるかが分かるということよりも、『ありのままを見つめる』
という肉体の認識機能の方に着目しなさいということです。

(言葉ではなかなか伝わらいですね)
Posted by 模察 at 2015年06月08日 14:45
そこにいていいんだよ(^^)
Posted by たにあいやすゆき at 2015年06月08日 14:47
 
東北の梅雨はどうなるのって最近思います

えーと いま どの辺だったかな?

ときおり 雨が降ります

けっこう どしゃ降りっぽくね

でもね 土を見ると すぐ乾いてしまう

今年は雨の具合が悪そうです

西風が吹いているけど 冷たいし・・・・

でも ワクワク感が止まらない

今年は面白い年 
Posted by ムー at 2015年06月08日 14:49
阿部さんも、私に見つかっちゃったから仕方ない!(笑)私に愛された人は、なぜか超多忙になる宿命なのです(笑)

阿部さん、こんにちは(^-^)

阿部さんは私たちの目線に合わせて伝えて下さってるだけで、菜穂さんみたいに「それ」を貫いて話すことも可能ですよね?

でも、それをしてしまうと意味不明なまま、気づきに至らない人が続出してしまいますから。

私が阿部さんに惹かれたのはその人間臭さです。苦しむ人に寄り添う姿、命懸けの強さ、笑いのセンス(笑)、計算ではとても書けない魂を震わせる言葉たち。心を癒すあたたかな歌声には最近気づけました(^^;が、そんなblogじゃなきゃ、気づくも何も、すぐに去ってます、きっぱり!!

阿部さんあっての菜穂さんだと思います。だって菜穂さんを理解できる人でないと、プロデュースできるはずがありませんから。

『それ』そのものを静かに生きておられる方、いっぱいいらっしゃるかもしれないですが…世界人口からすると、まだ少数な気がします。。(根拠のない想像 笑)

今日の記事も、面白かったです。

阿部さんが成し遂げたい?ことって、上辺だけの救済ではなく非二元シフトによる根本的解決ですよね。
わかってきているつもりでいましたが、まだ私はわかってないです(^^;

でも、阿部さんのblogを見つけて、やっと終わると思った直感だけは間違いないと確信してます。
無意識に探していたこと。スピリチュアルが何かもわからずに癒されながら、でも何か違和感がありどっぷりハマることはありませんでした。

でもここにはその違和感がないんです。

書き始めるときりがありません(^^;
私が書きたいことがなくなる日って来るのかな…(笑)
Posted by つぐよ at 2015年06月08日 14:50
で、阿部さんご自身はどうなのですか?
Posted by 匿名さん at 2015年06月08日 14:57
阿部さん

だからよ~!!って感じですか(爆)

すみません(汗)
Posted by エコル at 2015年06月08日 14:57
>しかも阿部に見つかったら、もう諦めるしかありません(笑)


あはははは
笑ってしまいました


阿部さんの現象、大好きです(笑)
Posted by 薄茶色 at 2015年06月08日 15:03
「自己の救済のため」っていうのは、人としてちょっと恥ずかしいことなのかな?って思っちゃうけど(^^);・・・・そうでもない?

菜穂さんのお話だと「私」は探求エネルギーだと言うんですから、私は「自己の救済のため」にしか動けないってことですね。

人として恥ずかしいなって思いつつ、ノンデュアリティーのお話を聞きたいです(´⊆`*)ゞテヘヘ 
Posted by 緑色 at 2015年06月08日 15:15
私は丁度一年くらい前から

特に百姓さんや漁師さん林業等の自然と向き合って

お仕事をしている方達は自覚はしていないけど

ほとんどの人達が覚醒しているのではないかなと思うようになりました

覚醒とかそんな事に興味も無くまた考える事も無く
目の前のやる事を淡々とこなして精一杯に生きている

本当は職業にも関係ないのだけれど!!
今日の記事でやっぱりゴロゴロいるかもと思ってしまいました

いつもわくわくをありがとうございます
Posted by YABOI at 2015年06月08日 15:23
スピリチュアルではない。
救済とは無関係。
要するに宗教チックなものでは全然ない。
それをあえてカテゴライズするならば、アートなんじゃないでしょうか。
美しさの大元がひとりの人間を通して現れている。みたいな?
Posted by an at 2015年06月08日 15:23
大和田さんの紹介も含めこのわずか数か月の間にわたしのマインドも大混乱を起こしていました。

Non-dualだかワンネスだか知りませんが、覚醒したところで変わらない日常が続くわけで、
絶対的が愛がそこにある、といって引きこもっていたところでこの次元では支障がでます。

やれサットサンだミーティングの参加だーとなってはまたお金が必要だし、
そのときだけ高揚感を味わってまた日常。

成功セミナーならぬ、アヴァタイトビジネスの到来でしょうか。。
その餌食になるのはもうやめようと思いました。

正直瞑想も必要ない、とか衝撃的なNon-Dualの到来で、FF瞑想はじめたわたしは、
もう何個あるのかマントラ伝授にどんどんつぎ込んでいる自分に目が醒めました。
そうせざるを得なくなる心理になるんですよね。どうしても。スピの怖いところです。
なんだったの。。って感じです。

わたしもこれにて探究の終わりとします。
結局どう生きても同じだ、っと一巡した気持ちです。
ストーリーとして瞑想も体験したかったことなので良しとしてますが。。

さようなら
Posted by 一期一会 at 2015年06月08日 15:44
いつもありがとうございます!
今日、気がついたんですが
私、自分、、、、って究極のひまなんじゃないかと、、、
やることがないなんて!

いままで何してたんだ!?
Posted by AYAKO at 2015年06月08日 16:15
自我は、「そうか、私は居ないのだ。」と納得したとしますよね。
で、自我は、今度は、「私は居ないつもり」に成ろうとしますよね。
それで、良いって事ですか?
Posted by ハナコ at 2015年06月08日 16:23
菜穂さんは「痛みはあっても苦しみはない」とおっしゃってましたね。

私、頭痛持ちです。

今、頭痛いです (><;)

Oshoもどこかで言ってました。

「頭痛は頭痛を経験することができない。
だから、頭痛を経験しているのは、頭痛ではない何か、ということになる」
みたいな。

うむ・・・なるほど。

頭痛を経験している「私」はいなくて、
ただ「頭痛」という現象がおきているだけ・・・?

はあ・・・なるほど。

・・・・・・ いやいや、でも、やっぱり頭は痛いし辛いよ~!

幻想というには、あまりにもリアルすぎる(泣笑)
Posted by 眠り姫 at 2015年06月08日 16:46
あきさん

>彼女は非二元はとうに、体験済みなのだそうです。地球体験をしたくて、自我をもどしてもらったとか。

非二元の世界で、誰に自我を戻してもらったのでしょう?
Posted by あれれ? at 2015年06月08日 16:49
最近、悟った人も多く出て来ているよ思いますが、悟った様な事を話しているスピリチュアル系の人も多くいる様なので、きちんと見極める必要があると思います。
理屈を並べるのではなく。体験しているから言い切れるって、見極める上でとても大切だと思います。

ところで、阿部さんの書かれた最新本「さとりの一撃 」をAMAZONで見付けて予約しました。
内容はどんな事が書いてあるか分かりませんが、本のタイトルで思わずクリックしちゃいました。(^^::)
Posted by 荒木 健治 at 2015年06月08日 16:54
右側イラストのラッコちゃんが変わりましたね!
「こんなの見つけたよ!」から、
ほっぺた引っぱって、これは、、、何て言ってんですか?(笑)
Posted by あはは笑 at 2015年06月08日 17:02
ノンデュアリティは理解するものでなく描写です、と菜穂さんは言っていました(^◇^)
私はとっても救われました(救われる私は本当はいませんが)♥
Posted by こじか at 2015年06月08日 17:03
ということは、だ。

救済にならない、ノンであるいて、あるこーる。

アベさんの大転換の意味がここにある。
Posted by 日和る at 2015年06月08日 17:13
私はいない って、やっぱり全然わからない。

まあ、いいや。(^_^)
Posted by ひよどり at 2015年06月08日 17:15
しかも阿部に見つかったら(笑
声出して笑ってもた。
Posted by Nobu at 2015年06月08日 17:45
大和田さんの本、一読し終えました。

最初、
「私」は正直あんまり興味がありませんでした。
「私」にはちょっと天邪鬼なところがあるので、
ここに大和田さんの名前が出れば出るほど、
「別に私は読まなくてもいいもん!」って。(笑)

だけど、
「私」以外の「何か」が読みたかったみたいです。

で。
読み終わって。
正直理解出来ません。(爆)

ただ言えるのは、
ここに書かれていることが唯一「リアル」なんだってこと。

それは言葉には出来ないし、
頭では、
とゆーか、
「私」には理解出来ないんだって事。

それなら理解しようとする無駄な努力をやめて、
降参するしかありませんね。

分からないものは分からないんだと。

分からないけどこれがリアルなんだと。

受け入れるしかありませんね。
Posted by ゆっち。 at 2015年06月08日 18:11
あれれさん

言葉は私のチョイスなので、適当にひょうげんしました。
でも、そうなんです。そこのところが聞きたいんです。
阿部さん、非二元で、菜穂さんのように個人的エネルギーがなくなったとして、Twitterのくぅ。さんという方の言うように、また個人的エネルギーを戻すことは可能なのでしょうか?
Posted by あき at 2015年06月08日 18:29
こんばんは


菜穂☆

菜穂☆

菜穂☆


記事


教えてくれる人がいるのはありがたい

と思っています


感謝☆感謝☆


ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2015年06月08日 18:48
私の思いを「いつまでも変わらないもの」さんが代弁してくださいました。阿部さん、まだ覚醒体験すらしていない者への救済も、今後も変わらず導いてくださいませ。大和田さん。本もみました。最初は猛烈に拒絶反応が起きました。でも正直それを分かりたい自分がいます。でも、どんなに想像しても思考に過ぎず、無理です。そういうものへの導きも忘れないでくださいませ。今週の比叡山。楽しみに参加していこうと思います。
Posted by ララン at 2015年06月08日 18:53
『ノンデュアリティー』って分離がないということですから、純粋な無心領域に気づいたらOKっていうことですよね。

人間として創りだしてるこの『私』の居る幻想の世界では、ただ起きてることが起きてるだけで、、。


エネルギー的な存在として自覚して生きていくっていうことをやってくだけですね。


でもお祭り騒ぎのようになってて 菜穂さんフィーバーを共に楽しませていただいてます 。 
Posted by ワン太郎 at 2015年06月08日 19:02
一期一会さん

すべてはあなたの内側で起こっている幻影なのです

あなたは誰とも出会っていません

あなたは誰とも別れていません
Posted by ノーバディ at 2015年06月08日 19:11
いつも読ませて頂いています
私もとうとう大和田さんを見つけてしまいました
動画を見て本を読んだだけですが凄いと感じました
Posted by 渡邊猛 at 2015年06月08日 19:17
ここでのご縁に感謝します。

阿部さん、大和田菜穂さんに出会えたことに感謝します。

大和田菜穂さんのYouTube動画拝見しました。

拝見した瞬間、「あーーー‼︎」って言葉にならない言葉が何度も溢れ出てました。

とにかく早く菜穂さんにお会いしたいです‼︎

阿部さんイベントの企画ありがとうございます。楽しみにしております。
Posted by きらら at 2015年06月08日 19:26
「救済する人」も「救済される人」もいないんだと思います。

数日前、
直属の上司に私の今までを否定されるような事を言われ、かなり傷付きました。
過去の経験の積み重ね=今の私だと思っていたから、
全てを否定されたように思えて、
悲しいやら悔しいやら腹立たしいやら…。
キリキリとした痛みを感じていました。

「十人十色、ひとそれぞれ。
価値観を押し付けないで欲しい」
「絶対負けない」
「私は私。それでいい」
「言いなりになんてならない」
そう思うことで、自分に固執していました。

でも、私はいないそうです。
とゆーことは、
私が否定される事も絶対にない。
だっていないんだから。
否定されたのは私じゃない。

大和田さんの本を読んでそう思えて、
胸のあたりのモヤモヤと、
感じていた痛みがすーっと消えました。

ずっと自由になりたいと思っていました。
誰にも何にも干渉されたくない。
私は私らしく自由に生きてゆきたいって。

なのに、
その私が一番自分を縛っていたのですね。
なんということでしょう。(笑)

ちなみに私は悟っても覚醒体験もしていません。
Posted by ゆっち。 at 2015年06月08日 19:49
安部さんいつもありがとうございます。

二回目くらいの投稿となります。

自分に正直になればなるほど、人が離れていきます...。今思えば子供の時からそうだったように思います。
それが嫌で、今に至るまで、人に合わせる→疲れる→また自分に正直になる。の繰り返しで常に孤独だなぁ。。って感覚に支配されて生きてきました。

安部さんを筆頭に、覚者と言われている人は常に人に囲まれているように感じています。安部さんの本もほとんど読み、大和田さんの本も読み、普通に人に囲まれて生きてきたんだなぁ。。って思っています。

精神的な孤独は辛いです。
人に理解されにくい個性でも、受け入れてもらえなくても、自分に正直に自分を受け入れることで、いわゆる、「いまここ」を実感?できるのでしょうか?
Posted by 結 at 2015年06月08日 20:27
私たちはなにかをすることを通して、
世界がよくなると思い込んでいますが、
すべてがただバラバラに起こっているならば、
なにかをしようとか、どうにかしようとか、
そういうことは全くトンチンカンですよね。
もしかして、良くしようという素朴で切実な気持ちが苦しみの源なのですか?
そうならば、救済そのものが苦しみの原因ということですか?
Posted by シャディ at 2015年06月08日 21:17
エコル さん

>本当は知る人はいないのに、なんで、そのノンデュアリティを人は手に入れようとするんですかね・・・
>誰がそうなるのか・・・「自分」はそうならないのに・・・

本当に知る人はいない世界には、ノンデユアルティを手に入れようとする人もいません。

この三次元は、二元の世界なので、知る人もいますし、手に入れようとする人もいます。
どちらか一方だけ、非二元の世界の解釈で理解し、他方は、二元の世界の解釈を与えると、混乱が生じると思います。

”誰がそうなるか、「自分」はそうならないのに・・・”
この場合も、同じ混乱が生じています。
誰もいない世界では、「自分」もいません。

>ノンデュアリティをわざわざ探求し、それを知らなくても、心が満たされて平和であれば、知る必要はないのでは??これも「いっちょあがり!」って感じ(笑)

はい、その通りだと思いますよ^^
必要であるかどうか?を自分がどう決めるかも、決まっていると思います。
が、自我意識にはそんなことはわかりませんから、自分の心のままに生きられたら良いと思います。
知りたいと思う人は探求するでしょうし、心が満たされて平和であることを求める人は、それを求めるでしょう。

そして、”心が満たされて平和である”ということは、誰もが望む境地ですが、
善悪、優劣、幸不幸という二極の対立の世界、つまり二元の世界において、
その望みが達せられるのかどうか?というところから、
本当の意味でのスピリチュアルな探究が始まるのかもしれませんね。

そして、どんな状態、状況であっても、ただそうである、と認めた時点で、この探求は終わる、ということになります。

まだ自己を識る探求の旅に出たことのない人、今途中の人、探求を終えた人、
それぞれが、プロセスであり、ストーリーであり、ライフである、ということです。

ですから、人間である間は、プロセスを、ストーリーを、ライフを楽しみましょう♪
”いま”と”ここ”に在る間だけのスペシャルな体験なので^^
Posted by カイヴァルヤ at 2015年06月08日 21:34
大和田さんの本をお持ちの方は、P144の最後のQAに着目してください。
一部引用させて頂きますと、
「熟睡しているときは意識がないので、私はそこにいません」

熟睡状態の時は、空(無)に触れているのです。
毎晩、誰もが私がいないことを経験してるのですが、それに気付きません。
何故なら、そこに意識が無いからだというのは理解できると思いますが、
意識が無いと、五感は機能停止し、思考も感情も起こりません。
ですから、当然そこには時間も空間もありません

睡眠中に夢を見ますが、この時、空(無)から意識が立ち上がります。
意識が立ち上がると夢を見ます。
時に、夢は現実と見紛うほどリアルです。
皮膚感覚や匂い、味まで感じます。思考も感情もそこにあります。
つまり、意識がある時に五感や思考、感情が起こるのです。
睡眠から醒めて目が開いた時に、私達は現実に戻ったと思ってますが、
実は夢を見ている時と全く何も変わってません。
(悪夢を見ると寝言を発しますが、自分では記憶はありません。
つまり、言葉を発することは思考や意思となんら関係無く、自動的
に起こっている事を示す現象です。)

熟睡してる時、意識が消えるということは、私=意識です。
意識は、空(無)から沸き起こる生命エネルギー(ライフ)そのものです。
空(無)は、無限の可能性に満ちており、あらゆることが可能で自由です。

語った内容は、全て自分の内面で起こってることです。
自分の外に答えを見つけようとすることは、夢(幻想)を追いかけて
て掴まえようとするのと同じで何も得ることはできません。
禅もノンデュアリティも、キリスト、マホメット、マハルシやマハラジ
などの教えは異口同音に『自分の内面を見つめなさい』と言ってます。
Posted by 模察 at 2015年06月08日 21:51
見つからないように頑張ります。w
Posted by N at 2015年06月08日 22:17
>すべては思し召し
流れのままに…


そうですね(^^)


>応援してくれないより、ずっと嬉しいです(^^)


はいはい(^^)
阿部さん、かわいいな~
応援させてくださいね(^^)

というか、いつも、ありがとうございます(^_^)


阿部さん

完全に「それ」とか、すでに「ここ」とかは、
自我の無い状態=真我(胸の奥の存在?)に繋がった状態と捉えていいのでしょうか…

にしても、段階があると個人的には思っているので、
感覚的には
すでに「ここ」はOKとしても、完全に「それ」という表現が?でいます。

(真理(非二元)からすれば、自我と思っているものも含めて本質の現れであり、真我といえるのでしょうけれど。)

阿部さんは沢山の覚者を見てきたと仰ってましたもんね…
菜穂さんは、二元からみたら、純度が高いという感じなのかな(^_^)
Posted by ようこ at 2015年06月08日 22:24
あ、ごめんなさい。

完全に「それ」ではなくて、

完全に「そこ」という表現でした…

細かいけど、訂正させていただきます。

失礼いたしました(^^)
Posted by ようこ at 2015年06月08日 22:39
名もない覚者の人達。。☆
たくさんいらっしゃるのでしょうね^^なんだか、すごいです☆

今日もポチッとしましたよ~^^♪
Posted by 未来 at 2015年06月08日 23:14
眠り姫さん、( ̄3 ̄)_θ 頭痛薬でもどうぞ
https://www.youtube.com/watch?v=kkECeW5mGkE
Posted by 茶舗りーら at 2015年06月08日 23:17
模察さん、認識しょうとしないで見る、認識しょうとしないで聞く、
つまり、何事をも認識しょうとしないで生活してみる、ということでしょうか。
危険でしょうかね!?
Posted by 茶舗りーら at 2015年06月08日 23:26
荒木健治さん、そういう人がお茶を差し出したら、遠慮なく投げ返しましょう。
ほんに、そういう人はホトホト困ります。
もうコメントさせないようにしましょう (*´ω`)ゞ
Posted by 茶舗りーら at 2015年06月09日 00:15
誰かを通して
現れる言葉たち

目に映るものたち

分別しなければ

全てはメッセージとなるのです

自分自身を信頼

(・∀・)ノ☆ヨッシャー
Posted by あるとない at 2015年06月09日 01:25
僕も前からなんとなく思ってましたが、阿部さんの文章を読んで、程度の差こそあれ『いまここ』に無自覚に存在してる人が身近にいるのかもしれませんね。

いつも生きる糧として瞑想と共に読ませて頂いてます。ではまた。
Posted by 沓沢周一郎 at 2015年06月09日 01:43
阿部さんが大和田菜穂さんをよく紹介されているので、動画を見ました。

阿部さんはじめ、これまで伝え続けてくれた人がいてベースがあるからこそだとは思いますが、菜穂さんの潔く言い切るところから、「自分はいない」の経験はなくても、腑に落ちることがありました。

「ただ起きている」それが自分に対してもそうであるという目線で、感情や、感覚や、行動、思考など、自分に沸き上がるものを見つめてみると、プラスもマイナスも豊かな経験や味わいだと思えました。

大きなマイナスが来たら…まだ自信ないですけど、貴重な感覚を味わえたと思います。

長い動画まで見ようと思ったのは、阿部さんが何度も菜穂さんを紹介してくれたお陰です。
少し紹介されただけだったら、少しだけ見て、通り過ぎていました。ありがとうございます。
Posted by ひろ at 2015年06月09日 04:05
いつも楽しく拝見しています。
今日はふと考えが降りてきたので、初めてコメント致します。

大和田菜穂さんのお話で
「人間のみが"自己意識"というものを持っており、その為に全体からはなれた、いつも何か足りない感覚を生む。
木やてんとう虫には、この自己意識がない。」
という内容がありました。

「全ては一つ」というお話もここに繋がると思うんですが
阿部さんのおっしゃる、「いまここ」「あるがまま」は、ある意味、てんとう虫のように"個"の意識を取り払うことで、生きる上での苦しみから
大きく開放されるよ、というものですよね。

ただ、この自己意識=自我があるからこそ、苦しみも生まれれば、「喜び」も生まれませんか?
てんとう虫には、例えば「子供を持った時の感動」、「努力して何かを成し遂げた達成感」、「好きな人を目の前にしたドキドキ感」なんてものはないんですよね。

【自我のネガティブな側面を上手にコントロールしてあげると、もっと生きやすくなるよ。】←阿部さん、大和田さんのお話

【結局はスクリーンのキャラだけど、せっかく人間として生まれたんだから、自我のポジティブな側面を最大活用しちゃおうよ!】←奥平さんを始めとした引き寄せ派の論調


両者、全く異なる話をしているようですが、主張の"大元"は同じなんじゃないかと思ったんですがいかがでしょうか?
スピリチュアルな世界に足を踏み入れると、途中で迷子になってしまう・・・とよく言われますが、この理解があっているなら、ものすごくすっきりするんですが。笑
お考えお聞かせ願えれば、ものすごくうれしいです^^
Posted by マナカ at 2015年06月09日 07:17
おはようございます。
ノンデュアリティーを探してて、菜穂さんにこちらで出会ったわけですけれども。 そして、感謝でいっぱいです。

ライフがすべて

物質を幻想と見破れずに有ると信じ込んで感情も含めての肉体まるごとで右往左往していたのが今ではウソのようです。


そして これを言葉で説明するには、 語り口が菜穂さんみたいな感じですと、一般受けするなと思いますね。
Posted by ヌーディー at 2015年06月09日 07:22
あの~私の感覚なので する~されて下さい。(永遠さん、特に、笑)

何で、自我を自我として 認識しているのか?
これが 原点にあって、出発点(真理理解)が ここにだけ ある気がします。

もともと 真我が 反応や思考や感情を体験しているだけの シンプルな現実に 際して、反応や思考や感情を自分として誤解認識しているだけでないでしょうか?

反応に名前を つけて 自我意識と言って 区別してるだけに 私には観えますし、思えます。認識だけが、違っていて 実際に行われているのは
いつも いつでも 真我が 自我という反応を 愉しんでいるだけなのでは?
Posted by アゲハ at 2015年06月09日 07:25
 わたしたちは意識であるっていうことが普通にお友達とのおしゃべりのなかで話せる時代が到来してるんですね。

変な人と思われたくなくて、頑なな凝縮したエネルギー身体になってたことにきづきましたよ。 軽くなりながらも、日常生活を今日を楽しく生きていけるのが嬉しいです。

みなさんがこういう話に触れて理解できるようになりますように。まずは自分自身が脱出できたのを静かに喜んでいます。でも、ここで話してしまっています。 阿部さんありがとう。そして いろんな意識発振してくださってるリーダー的ひとたち、普通にみせてくれてるノンジャッジな友人たちありがとうございます!!
 
Posted by ミナ at 2015年06月09日 07:35
茶舗りーらさん

認識しようとしないことなんて不可能です。
認識はあなたの意思とは関係なく、自由勝手に起こってます。
認識を説明させてください。

分かり易いように科学っぽく説明します。(科学は二元の世界のストーリーです)
外の物体に光があたり、その反射光が目に入り物体を認識します。
外の世界にある二つの物体が衝突すると、音が発生し空気を媒介として耳に入り音を認識します。
光と音には速度がありますので、私達が認識するまでには時間が掛かります。
ということは、私達は外の世界で起こった過去を認識してるのです。
神経伝達速度がある嗅覚、触覚、味覚も同じで、実際に起こった後のことを感じてます。
ですから外で起こったことは絶対に変えられません。認識が後ですから。
思考と感情も同じです。思考と感情が起こる直前の瞬間に、何を考えるか、何を感じるかが決まってます。

二元の世界では、『外の世界で変化が起こる』→『五感で認識する』→『認識がきっかけとなり思考や感情が起こる』という順番で起こってると固く信じてます。
非二元では、→がありません。
いまここにとどまると、→で示す関係性なく、全てが同時に起こってることが認識されます。

外の世界の『もの』を追うのではなく、内面で起こっている『こと』に認識(意識)を向けてください。
見ること、聞くこと、味わうこと、触れること、嗅ぐこと、感じること(感情にレッテルを貼らない)、考えること(考えてる中身は追わない)だけが人が認識できる事実です。
『こと』が全て体の中で起こっていると錯覚すると『私』が立ち起こります。
体は、認識するための『センサー』であり、意識がある限り、また体が生きている限り止めることは絶対に出来ません。

座禅は、『こと』に触れる修行です。慣れないうちは静かな場所で座る方が触れ易いですが、慣れれば歩きながらでも音がうるさくても出来ます。
内面で起こる『こと』に意識を向けることで自分を知ることが、非二元への入り口の一つです。
ただ単に『こと』に触れていると、自ずと阿部さんや大和田さんメッセージの
内容が、さも自分が初めてそれを見つけたかの如く浮かんで来ることがあります。表現や描写として。
これが腑に落ちるということです。
理解する(分かる)こととは違います。
Posted by 模察 at 2015年06月09日 07:50
いつもありがとうございます。
怒られたり、けなされたり、馬鹿にされたり、嫌味を言われたり
それに傷つくのは、私のストーリーの中です。
その際中に、傷つかない場所(反応しない状態)を探してみてください。
※無視という意味ではないです。
それがそれだと思います。
Posted by まっす~ at 2015年06月09日 08:04
Twitter上で盛んに発信してた方が、
突如お別れを言い、去っていくことが多々ありました。

Twitterという機能も、発言することも意味を持たなくなると
理解してました。

ゼロポイントに戻るわけですから。

仙人でしょうね。

あきさん、くぅ。さん知ってます。
ビジュアルは知りませんが、声はすごく可愛いですね。
この方です。
記憶が全て吹っ飛んで、母親すら分からなくなるほどの壮絶な気づきを
体験していまがあるようです。
この方、何十次元も体験してると言ってます。
二元、一元、ノンデュアルの先、が、あるよおな。
体験中はTwitterもお休みになります。
Twitterではもう会話にならない表現をされるので見てませんが...
瞑想で自由に行き来してるようです。
Posted by 日和る at 2015年06月09日 08:18
自分の答えを内側で見つけ得て、自分の夢(幻想)を創るのはいいです。.. か。

多くの方は、そこだとおもふ。が ..... 。
Posted by 日和る at 2015年06月09日 08:31
だって、

人間阿部さんもやってるんだもん。

光お。
Posted by 日和る at 2015年06月09日 08:37
カイヴァルヤさん お返事ありがとうございます。

>誰がそうなるか、「自分」はそうならないのに・・・
の意味、書き方が今一誤解でしたね。

そう、そうです。 誰もいない世界では、「自分」もいないのに・・・だから、誰もそうならないのに・・・と言いたかったのです!

私は、なんか知らないけれど、探求は終わっているような気がします。
どんな状態、状況であっても、ただそうである、と認めてしまったのです。
一瞥体験もないし、私は「いない」を体験してませんが、なぜか、阿部さんのブログを拝見している間に、心が平和で満たされています。ただそうである。事は起きている・・・

>人間である間は、プロセスを、ストーリーを、ライフを楽しみましょう♪
>”いま”と”ここ”に在る間だけのスペシャルな体験なので^^

はーい↑人間である間は(ドキッ)人間でなくなる日もある??
Posted by エコル at 2015年06月09日 08:50
アレレさんのコメントに同感致します
「ノンデュアルティーはスピリチュアルではない」とても府に落ちました、そして何故かとても「安心」しました、 何故にそんな感情が湧いたのか解りませんが、私のお友達にもオーラが見えるとか前世が解るとか「スピリチュアルな方」は何人か居ます、皆さん真面目で良い方ばかりで普通に社会生活を送りながら悩める人にそのスピリチュアルな力でアドバイスをしたりしてますが、わたくし個人的には違和感を感じる事もあります
誰かのコメントにも有りましたが、私もノンデュアルティーにしか興味が無くなりました
そして最近思う事は、これまでの人生で私が体験してきた事、これまでに触れてきた宗教で学んだ事、関わってきた人から聴いてずっと心に残っていた言葉、本屋から出ようとしたにも関わらずどうしても気になりまた戻って購入した本を読み受け多大な影響 あれもこれも、どれもそれも、みな今に繋がっていて、それがなければ安倍さんや大和田さんの話しは全くもってちんぷんかんぷんだったと思います(笑)
普通には理解しがたい事を根気よく伝え続けて頂いてありがとうございます
☆感謝☆
Posted by うりずん at 2015年06月09日 10:22
ごめんなさい(汗)
あべさんの漢字が間違ってました(謝)
「阿倍」ですね。
Posted by うりずん at 2015年06月09日 10:28
エコル さん

探求などしなくても、
(確かに、本人はしているつもりがないというケースもありますね)
苦しみを経験している内に、だんだんとわかっていく人もいると思います。

>一瞥体験もないし、私は「いない」を体験してませんが、なぜか、阿部さんのブログを拝見している間に、心が平和で満たされています。ただそうである。事は起きている・・・

意識の変化は、肉体が在る限り続いていくと思います。
阿部さんでさえ(?)進化の途中です。
(大和田さんも、まだまだ続くことでしょう)
しかし、ある一定以上に進化すると、もう元に戻ることはありません。
もう二度と重力圏に引き戻されることなく、
源へと加速度的に戻って行く、ということなのでしょうね。

>はーい↑人間である間は(ドキッ)人間でなくなる日もある??

正にその通りだと思います。
人間ですが、同時に、ただの人間ではない、と気づくことになると思いますよ(笑)
つまり、ただ人間であるだけでなく、それ以上の存在だったと思い出す、ということです。
自分が誰なのか?何なのか?を完全に身を以って思い出すことが出来れば、このゲームは終わりです。
それを昔から、”解脱”といい、”解脱”した場合、二度と人間に生れることはない、とされています。
(生まれる者も、死する者もいない、ということがわかれば、
”解脱”する者もいない、というナントモハヤな結論に落ち着く、ということなのでしょう、笑)
Posted by カイヴァルヤ at 2015年06月09日 10:29
"いまここ"も"Already in love"もお大師さんの"それ仏法はるかにあらず心中にして即ち近し"も白隠さんの"衆生本有(ほんぬ)仏なり"もぜ~んぶ同じことの違う表現。

自然に観照の崩壊が起こり、全体性に溶け込むんでしょうね(笑)
Posted by ラララ at 2015年06月09日 11:08
ここ最近は、大和田菜穂さんの言われることをじっくり聞き入って理解したいと思って過ごしてます。でも、言われるように理解できることではないし、その中へ行きたいと、いろいろ探ってきました。ヨガをしながら、瞑想しながら、私ではない全体の感覚までいけそう・・・と、でも、それを思う自分はまだそこにいて・・・、菜穂さんの言われてることが私には高すぎて、質問がいっぱい出てきて、阿部さんの本(不死のしくみ)を引っ張り出して読んでます。 うん、わかりやすい。 前回読んだ時とは、菜穂さんが入ったことにより、違う感覚で読み取れる。ありがとう!そのうち、私があなたであなたが私になれるかも?!
Posted by yukari at 2015年06月09日 11:23
そういえばむかしから

わたしなんてきえてなくなれ~と

おもっていたな~

いなくなったら

らくになれるならなりたいよな~

それだけだよ

なにがあってもかんしゃして

こころおだやかにくらしたいだけ

そうしたらかぞくもそうなるでしょ
Posted by つきよ at 2015年06月09日 11:49
それは海の波形を生み出す様に、人に置いても例外ではないのですね。

真実を語る者、それを聴く者、自我はそれをすぐさま自分本意にカテゴライズするけれど、

当然数え切れないほど無数のカタチがある中で、

ひっそりとそれを生きる人がいるというのは、すごく頷けます。

どうしても、それを生きる者=語る者というバイアスがかかりがちで、

正直どこかに特別感や違和感がありました。

言葉は音の羅列。ひとつの表現とはいえ阿部さんや大和田さんのお話に惹かれるのは、本質ダイレクトだからかもしれません。

大和田さんが阿部さんに見つかっちゃった事で(笑)、ここれから益々この事をスルーできなくなる人が増えると思いました。
Posted by 波形 at 2015年06月09日 13:00
横察さん、
ありがとうございます。
なんだかすっきりした気がします。
Posted by みーた at 2015年06月09日 14:23
初めて大和田菜穂さんが座って話している姿を映像で見た時、大好きなインドのパパジ師が浮かんできました。
姿は違うけれど醸し出す雰囲気が似ていて何だかとっても面白いなと思うと同時に素晴らしい時が来たんだなと感じました。

話している内容も好きですが出している音というか波動が好きです。

是非一度お会いしたい方です。

阿部さん、菜穂さんを見つけてくれてありがとう!
Posted by なし at 2015年06月09日 16:34
模察さん、特選米コシヒカリありがとうございます。
>内容が、さも自分が初めてそれを見つけたかの如く浮かんで来ることがあります。表現や描写として。
>これが腑に落ちるということです。

良く判りました。
僕は以前(連休前日?)に「わたしはとは何ものか!?」の偏見を述べさせて頂きましたが、
どこまで追及しても「私」が付いてきてしまうという疑問から、、
「私」とは、考えるから生じるんだという腑に落ちるような気づきがあり、
それが、「偽悟り説」を生み出してしまった分けです。
けど今回の回答から、その気づきも単なる妄想(ストーリー)だったと気づきました(笑)

色々と書きたいのですが、どうも良く思われてない方も居られるようなので、早々と早退させて頂きます。
誠にありがとうございました。
Posted by 茶舗りーら at 2015年06月09日 19:47
黒崎顕 aka たこぴゃろさん一押しの動画を見ましたが、おそらく腕の上げ下ろしは微妙なんでしょうか!?
動画では分かりやすい感じですが、多分にデモンストレーション的な感もします。
自分の中で曖昧な部分は、おそらく分かりづらいと思うのですが。

同じようなものに、読脳法というのがあるようです。
http://www.npo-za.org/zws/j_dokunouhou.html
https://www.youtube.com/watch?v=pvvO1_6LdA0

これを見ると非常に微妙だと感じられます。
数十年かかるとのことで、もうほとんど匠の技と言っていいでしょうか。
そこで、またまた文明の利器にご登場願う分けです(笑)
http://www.kachispo.com/k/67/

いかがでしょう、匠の技をすっ飛ばして、あとはマニュアルを習得するだけでしょうか(笑)
ほんに、マニュアル本なんか販売されてたらありがたいんですけどね。
Posted by 茶舗りーら at 2015年06月10日 20:03
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