ウーマンラッシュアワー村本大輔氏のステージを観て一人の松坂世代が思ったこと

高校三年の夏のことを今でもたまに思い出す。一言で言えば、とても嫌な夏だった。17歳とは誰にとっても美しい季節というわけではない。同級生の友人が大学受験に向けて着実に歩みを進めるのを横目で見ながら、自分には何もなかった。大学へ行きたいという意欲はなく、だからと言って貫きたい夢があるということもなく、自分には何が出来るのか以前に何がしたいのかが分からなかった。そのくせ自尊心だけは高く(これは今でもそうだが)、自己愛は人並外れで(これはむしろ未だに年々増している)、何もないくせに、自分には何かがあると信じ込んでいた。何か根拠があるわけではなく、そう信じ込まなければ、頭がおかしくなりそうだったからだ。

 

それはつまり今になって思えば、どこにでもいる17歳ということだが、当時のぼくはそれを知らない。自分の苦悩を一般化できるほど大人ではなかったし、自分の苦悩を愛さずにはいられないほどには子供だった。自尊心と自己愛を昇華させる手段は自慰行為しかなく、陰茎がこすれて血が出るほどオナニーをした。ズリネタは常に人妻の筆下ろしものの一択だった。気が遠くなるほど圧倒的な童貞だったし、誰かと対等にセックスが出来る自信や勇気なんて一欠片もなかったから、恋愛対象でない年上の女性から手ほどきを受けるというシチュエーションにしかリアリティを感じられなかった。その性癖は今でも続いているのだが、その話は長くなるのでまた今度にしてほしい。

 

その夏の日もまた、いつもそうであるように、母親が夕飯の買い物に行った隙を見計らってお気に入りのVHSテープを再生して、偽名しか知らない人妻から「男」にしてもらった。初めてなのにすごいじゃない、なんて言われれば勿論まんざらでもなく、鼻を膨らませながら中腰で停止ボタンを押すと、そこは1998年の夏の甲子園球場だった。松坂大輔という名前の同い年の高校球児が、マウンドで躍動していた。その汗は文字通り、きらきらと輝いていた。その完膚無きまでに美しい汗は、自分がいま手に持っているティッシュの中の濁った精液と、同い年の男の体内から出た汁だとは到底思えなかった。

 

次の夏が来れば、あの夏は、20年前の夏になる。だからもうあのときの感情を正しく言葉に替えることは出来ない。それをするには、あまりにも遠すぎる。だけど一つだけ確かに覚えているのは、あの日の松坂大輔をテレビを通して見た自分自身がこぼした暗い声だ。今に見てろよ。それは前向きな決意などではなく、ただの呪詛だった。精神の形としては通り魔に近い。だけどそう言うことしか出来なかった。そしていつか、この言葉を共有できる同い年の誰かが、きっと世の中に出てくるはずだと、そうじゃなきゃ嘘だろうと、そのときから思っていた。もちろん全ての松坂世代がそうというわけではないだろう。だけど少なくともぼくにとっては、松坂世代というのはそういった種類の、つまり、呪いの言葉だ。

 

このとき、村本大輔氏がどこで何をしていたのかをぼくは知らない。生まれ年の1980年に甲子園で活躍した「荒木大輔」からおそらく同じように取られた「松坂大輔」の活躍を、当時の「村本大輔」が見ていたかどうかもぼくは知らない。だからそれが偶然なのか必然なのかを計り知ることも出来ないが、松坂大輔選手が再起をかける今年、村本大輔氏は海を渡り、一人ステージに立った。その映像が、有料メールマガジンウーマンラッシュアワー村本大輔の『THE SECRET COMEDY SHOW』」でこのたび配信された。

 

ウーマンラッシュアワー村本大輔の「THE SECRET COMEDY SHOW」

https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/detail.php?mid=29&cid=1403

 

時を経て、今や松坂世代はベテランを越えてロートルと呼ばれる年齢に差し掛かっている。松坂大輔という稀代のエースに挑んだ同い年の男たちが順番に表舞台を去って行く。それが37歳のリアリティだ。決して若くはない。アスリートであればより分かり易いが、それは同い年の人間として他人事ではない。自分が出来ることと出来ないことのあいだで格闘し続けた20代があり、出来ることを突き詰めた30代があり、じゃあそこから次はどうするんだ、と、新たに問い詰められるというのがおそらく30代後半のリアルだろう。これはたぶんどの職種でも同じだ。問いに答え続けたこれまでがあって、そこから先、新たに自分で問いを作らなければいけないというのが、たぶん37歳の宿題なのだ。

 

出来ること、出来ないことが、もう分かる。やる前からそれが分かってしまう。貧乏なわけでない。たまにうまいものを食いに出かける程度の余裕はある。何なら家庭もある。守るべきものがある。17歳の頃、何もなかった自分に対して、見せつけてやれるほど、たくさんのものがある。でもたぶんそうはしないし、出来ないだろう。あいつのほうが本当はすごいと、心のどこかで知っているからだ。何もないからこそ何かを得ようと、そう思って本気でやってきた人生の長さがあるから、何もないやつの怖さに怯えるのだ。総合力なら勝てるだろう。知識も技術も経験もあいつよりは上だ。だけどそれは言い換えれば、総合力でしか勝てないということでもある。結局、人生の尺度を17歳の自分に設定している以上、あいつには永遠に勝てない。どうにかして引き分けに持っていくことは出来るだろう。でも、ある種の特別な馬鹿は、あいつに勝とうとする。2018年3月現在の、「村本大輔」と「松坂大輔」、二人の「大輔」は、正しくそういった、ある種の特別な馬鹿であると思う。

 

37歳。出来ること、出来ないことが、もう分かる。やる前からそれが分かってしまう。だからこそ、出来るかどうか分からないことに身を置く村本大輔氏の意義みたいなものに対して、一人の同い年として共感し、感動する。独りマイクの前に立ち、アクセントのおぼつかない英語で話し始めたとき、恐々と見つめながら、その言葉がウケを取れば、感激してしまう。ウーマンラッシュアワーが漫才の舞台でウケた笑い声の量と質が、村本大輔氏の背中を押しているのが、画面を通して伝わってくる。「俺が作ってきた漫才が、どんだけ笑かせてきたと思ってんねん? なあ?」という、自負と覚悟と矜持と、努力と技術と執念と、あるいは自尊心と自己愛が、紛れもなくこのステージに詰め込まれている。1本のマイクの前でしか表現し得ない人生が、この映像に、確かに凝縮されている。

 

だから、この村本大輔氏のステージの映像は、真剣に「お笑い」をやる人、あるいは「お笑い」を愛する人にとって、一つの試金石でもあるが、これほど素晴らしいものはそうはないだろうとも思う。「お笑い」は、少なくともぼくらにとっては、カッコいいものだった。最高に新しくて、オリジナルであることを恐れていなくて、孤高であることが許される特殊な職業だった。村本大輔氏は、その意味で正しく、「お笑い」の系譜を継ぐ者だ。カッコいいことにビビってない。それをしっかり実践できる人は、やはりそう多くはないだろう。しかしそれは他人事ではない。37歳。終わりじゃないのだ。村本大輔氏が出来るなら、ほかの誰かに出来ないわけじゃないだろう。まだ何も終わってない。それどころか、まだ始まってもないだなんて、なんて人生は永いんだろう!

 

1980年に生まれて、「お笑い」を好きな人生を選んで、本当に良かったと思っています。ウーマンラッシュアワー村本大輔さんにぼくが持ち得る限りで最大限の愛と感謝を。

モーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしい曲であるかを一所懸命に伝えてみる

2017年10月4日にリリースされたトリプルA面シングルの中の「若いんだし!」があまりにも素晴らしい。作詞・作曲のつんく♂さん、編曲の平田祥一郎さん、ミュージックビデオ監督の今村繁さん、そしてもちろん我らがモーニング娘。'17の皆さん、誰が欠けても成り立たない奇跡の作品としか言い様がない。というわけでモーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしい曲であるかを一所懸命に伝えてみようと思う。

 

まずはYouTubeにも上がっているミュージックビデオを観ていただきたい。事前情報として知っておいたほうが良いこととしては、このミュージックビデオの主役となっている美少女は工藤遥さんといって、このシングルでモーニング娘。'17を卒業することが決定しているということ。工藤遥さんは、モーニング娘。が大好きであるということ。それだけ知ってればあとは体と心が反応してくれるでしょう。まずはお聴きください。モーニング娘。'17で「若いんだし!」。

 


モーニング娘。'17『若いんだし!』(Morning Musume。'17[You’re Young Anyway!])(Promotion Edit)

 

何度再生してもその感動が薄れない、そればかりか再生する度に新たな発見が生まれるという恐るべき楽曲でありミュージックビデオである。これがモーニング娘。なんだよ!と、出来る限り大きな声で叫びたい。何かを本気で好きになることにはいつだってリスクが生じるけど、こんな素敵なご褒美が一生に一度だってもらえるのであれば、ぼくらはやっぱり河を渡ってしまうだろう。人生なんて、それくらいのものであっていいのだ。とにかく、モーニング娘。を好きで良かったと、心の底から宣言できる作品であることは間違いない。

 

というわけで、ミュージックビデオの時系列に応じて、モーニング娘。'17「若いんだし!」がいかに素晴らしいかをここに記す。

 

00分00秒〜

冒頭のカット、一人でバスに乗った工藤遥さんがすでに泣いている。この作品のテーマをここで視聴者に伝えると同時に、この工藤遥さんという女性が泣き虫な人であるということも紹介している。彼女がなぜ泣いているのか、その涙にどんな意味があるのかを、私たちは5分19秒のあいだそれぞれ考えることになる。この入り方は見事というほかない。そしてこれが、ラストカットへの伏線にもなっているというのがまたすごい。

 

00分49秒〜

「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」という歌詞はやっぱりあまりにもすごすぎて、つんく♂さんに敬服せざるを得ない。なぜってこれは、工藤遥の卒業ソングなのだ。アイドルグループからの卒業っていうのは、原則として一生に一度しかない。だからこそ卒業ソングというのは唯一無二のものとして特殊性を帯びるのだが、その中での「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」という、歌詞という形を借りたつんく♂さんからの工藤遥さんへのメッセージが、本当にらしいというか、つんく♂さんならきっと言うだろうし、そしてまた工藤遥さんに対してはこの感じが抜群にふさわしい。

 

女優になるという夢を追うためにモーニング娘。を卒業するという、それは工藤遥さんにとってはもちろん一大決心なんだけど、そこに重さを与えない。一生に一度の卒業ソング、しかも工藤遥さんがモーニング娘。のことを大好きだと知った上での「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」って歌詞をここで書けるのは、やっぱりつんく♂さんしかいないだろう。大好きなモーニング娘。を卒業して女優への道を選ぶってことが、それでも「何度も」の一つでしかないんやでっていう、そのエールの送り方がまさしくつんく♂印だ。

 

「何度もチャレンジすりゃいいじゃん!」って歌詞はつまり、モーニング娘。を卒業するっていうくらい大切な決心が、今後も生きてれば何度だって訪れるって言葉だし、「卒業ソング」のその先の人生に対して真摯にエールを贈った言葉だ。この一文だけで、工藤遥さんはつんく♂さんに出会うことが出来て本当に良かったなと、心からそう思う。

 

01分29秒〜

「What can I do?」という歌詞が、訳すると「私には何ができるの?」ってこの先の工藤遥さんの不安を感じさせながらも、同じ読み方で「わっきゃない!どぅー」と勝気なセリフとして捉えることもできる。矛盾する思いを言葉遊びで包括してるところがたまらない。もちろんその前提として、℃-uteの「わっきゃない(Z)」がある。この曲ではそれこそ「わっきゃない(Z)」と「What can I do?」を歌詞としてもじっている。

 

かつ「若いんだし!」では、「What can I do?」と「わっきゃない!どぅー」の両方の意味を感じさせながら、さらにサビの「若いんだし」ってフレーズの「わっかいんだし」って頭の「わっか」で音を当ててる感じもめちゃめちゃ巧いし、歌謡曲のやばさがある。音に合わせてイズムが見出されてく感じが、単純に肉体的に気持ち良いし、ちょっとしびれてしまう。

 

01分46秒〜

工藤遥さんは画面を右から左に、佐藤優樹さんは逆に画面を左から右に、それぞれ一人で歩いていく。1分56秒での「結局あの人と繋がってるんだよ」という歌詞で工藤遥が画面に手を振っているから、「あの人」とはつまり工藤遥である(って解釈もあり得る)ということが示唆される。この映像の作り方は本当に素晴らしい。歌詞の抽象性、っていうのはつまり誰がいつ聴いても感情移入できる余地を汚すことなく、歌詞が現すべき一つの光景を映像として描いている。一言で言うなら、粋だ。この粋って概念は、正しくモーニング娘。的であり、ハロー!プロジェクト的であるとも思う。

 

工藤遥さんは左へ向かい、佐藤優樹さん(と、後から合流する飯窪春菜さんと石田亜佑美さん)は右へ向かう。これは工藤遥さんにとっての卒業ソングだから、彼女たちは同じ場所から別の方向へ向かっているのだろうという解釈を許しながら、実はそうではなく、彼女たちは出会うために歩いているのだった。異なる道を、別々の方向へ歩いても、いつか出会うことが出来る。なぜなら「やっぱりこの空は続いてる」からだ。

 

だからこそつんく♂さんの「結果を先に気にすんな!」というメッセージが強い説得力を持つ。人は誰でも、その選択が正しいか間違っているかをその選択の時点で判定することが出来ない。それはいつだって後から気付かれるものだ。それでも確実に「やっぱりこの空は続いて」いるのだから、どんな道をどう歩いたって出会うべき人とは出会うし、自分がなすべきことといつかは遭遇する。だからこそつんく♂さんは工藤遥さんに「結果を先に気にすんな!」と堂々と言えることが出来るのであって、これこそがつんく♂イズムだ。胸にしっかり刻んでおいてことある度に思い出したい、真の名言ではないか。

 

04分19秒〜

「無くしたものばっかり数えても なんにも未来には繋がらないんだよ」という言葉もまた、本当に深い。額面通りに受け取ってしまうと、無くしたものを数えても意味がないんだから無くしたものを数えるな、と捉えることが出来るし、もちろんそういう意味合いもあるだろうけど、それでもモーニング娘。'17のメンバーたちの笑顔はあまりにも愛おしくて忘れることなんて出来ないだろう。彼女たちのことを「無くしたもの」として割り切ってしまうことなんて出来るわけがない、きっと世界の誰にだって。

 

だからここでのモーニング娘。'17のメンバーたちの笑顔やあるいは個々の存在自体は、工藤遥さんが「無くしたもの」ではない。そうではなく、工藤遥さんがこれまでの人生で「出会えたもの」であり、あるいは「手にすることが出来たもの」だ。そしてつんく♂さんは、それらを数えることは禁じていない。だから工藤遥さんはいつだってモーニング娘。での経験や出会った全ての人を思い出すことが許されているし、それはきっとこれからも、工藤遥さんの背中を押し続けてくれるだろう。

 

05分04秒〜

バスの中で一人で泣く工藤遥さんの涙に気付く者は、当たり前だが誰もいない。だがこのワンカットの後でモーニング娘。'17のメンバーに囲まれた工藤遥さんが泣いたとき、その涙は隠そうとしても、佐藤優樹さんに気付かれて、からかわれてしまう。工藤遥さんはモーニング娘。に加入して活動することによって、少なくとも、自分が流した涙に気付いてくれる素晴らしい人たちと出会うことが出来た。

 

そしてそれは、これからもずっと同じだ。モーニング娘。'17に残る譜久村聖さん、生田衣梨奈さん、飯窪春菜さん、石田亜佑美さん、佐藤優樹さん、小田さくらさん、尾形春水さん、野中美希さん、牧野真莉愛さん、羽賀朱音さん、加賀楓さん、横山玲奈さん、森戸知沙希さんは、卒業していく工藤遥さんにとっての「無くしたもの」ではない。彼女たちはこれからも、工藤遥さんが泣けばからかうように笑うし、工藤遥さんが笑えば自分たちのこと以上に喜んで笑うだろう。当たり前だ。だって、モーニング娘。っていうのは、そういうものなのだから。

 

工藤遥さんとモーニング娘。'17に、許される限りの愛と感謝を。あなたたちと出会えて良かった。好きになれて良かった。そしてこれからも、ずっと好きです。

ハロたん(ハロー!プロジェクトの楽曲で学ぶ英単語) lesson 1 カントリー・ガールズ「愛おしくってごめんね」

ハロたん(ハロー!プロジェクトの楽曲で学ぶ英単語)というのを思いついたので、書きました。第1回はカントリー・ガールズの「愛おしくってごめんね」です。ほとんど自分の勉強用に書き留めているので、第2回以降があるかどうかは分かりません。

 

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adorable 愛らしい

 愛おしくってごめんね:I'm sorry for being so adorable

count 数える

reply to 応答する

 メールは返さないよ:I'm not replying to your text

reveal 明らかにする

definition 定義

 女の子の秘密を明かさないのが女の子:Never revealing a girl's secret is the definition of a girl

fate 運命(さだめ)

honest 素直

sweet 甘い、可愛らしい

 カワいくないやり方:sweet way

clumsy 不器用な

incomplete 不完全な

charm 魅力

 中途半端も魅力のうちって:Being incomplete is a charm

for the sake of …のために

 ゆるしてよ愛ゆえに:Please forgive me , for (the sake of ) love

in person 自分で、直に、生で

 ちゃんと会って:I want to meet you in person

needy 貧乏な、求めすぎる、面倒な

 ちょっとめんどくさくって、ごめんね:I'm sorry for being so needy

habit 習慣、癖

be filled with …でいっぱいになる、満たされる

jealous 嫉妬深い、妬んで、(疑い深いまでに)油断のない

envy 妬み、うらやみ、羨望の的

selfish 利己的な、自分勝手な

patience 我慢、根気、忍耐

separate from …から離れる

 君の我慢も知ってしまえばどうしたって離れられなくなる:Your patience , I should know about it / I won't be able to ( leave you ) separate from you

lose oneself 自分を見失う、道に迷う、夢中になる/没頭する

ももちの小指は何を指し示していたのか? 〜「嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」を観て〜

15年間ずっと真っ直ぐに立っていたその小指は、夜空へ向けて伸びたままにステージの下へと消えて行く。そして客席からの歓声を浴びながら、嗣永桃子自身の手によってゆっくりと握られた。15年間お疲れさま、と言うように。2017年6月30日、青海野外特設会場「嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」の、それが最後の場面だ。

 

嗣永桃子ハロー!プロジェクトにもたらしたものは数多い。その中でもやはり重要なのは「プロフェッショナルとは何か」を理屈立てて考え、それを実践し、後輩たちに伝えたという点になるだろう。それは結局のところ「客前で起こることこそが真実である」というエンタテインメントの真髄、本質である。

 

たとえば嗣永桃子はコンサートで泣くことが滅多にない。涙を見せることがあっても、それが理由で歌えなくなったり喋れなくなるということはまずない。それは嗣永桃子の性格が冷淡だからということではなく、というか彼女はむしろ人並み以上に感情豊かな人間だと自分は思っているが、「本当の嗣永桃子」の心情よりも「客前の嗣永桃子」のパフォーマンスを優先する、と彼女が決めているからだ。いかなる理由であれ、「客前の嗣永桃子」の理想像が崩れることを彼女は避けていて、それこそが彼女にとってのプロフェッショナル観だ。

 

その嗣永桃子のイズムは、確かにカントリー・ガールズのメンバーへ正しく受け継がれている。「嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」でも、涙して歌えなくなるメンバーは一人もいなかった。船木結はメッセージを読み上げながら涙に暮れていたが、それでも嗣永桃子の言いつけの通り、最後まで途切れることなく読み上げていた。どうしても泣いてしまう本当の船木結に、客前の船木結は、決して負けてはいなかった。

 

そしてこの日の「愛おしくってごめんね」は、嗣永桃子が作り上げたカントリー・ガールズの、まさに最高傑作だと言えるだろう。良くも悪くも物語を背負った曲だ。しかし冒頭のセリフをここぞとばかりに取り上げたももちを、斜め後ろから困り眉毛でずっと見つめるやなみん。卒業コンサートなのに、どうしたって笑ってしまう。そして最後に、ほかの全員から蹴飛ばされて転んで悔しがるももち。この一曲のパフォーマンスの中に喜怒哀楽がある。これを、嗣永桃子卒業コンサートなのにしっかり出来てしまうカントリー・ガールズこそが、やはり嗣永桃子の最高傑作なのだ。

 

15年間という時間はアイドルにとっては決して短くはない。様々な偶然が重なったからこそ、私たちは嗣永桃子の大切な15年間を借りることが出来た。だからこそ、それは受け継がれなくてはならない。ファンにも、メンバーにも、スタッフにも。嗣永桃子は今日「私は自分のことが大好きです」と言い、そしてそうさせてくれた人たちに感謝の意を述べた。自分のことが大好きだと言い切るももちのことが大好きだった。出来るなら、ずっとももちにはそうであってほしい。だから私たちは、彼女のことを忘れない。思い出を後世へと紡ぐのは、残された者の仕事であり使命だ。

 

嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」の最後の場面は、それを見た多くの人間が想起したように、「ターミネーター2」のラストシーンだ。アイ・ウィル・ビー・バック。だがそれは、嗣永桃子の復活の予告ではないだろう。嗣永桃子はまだ生きている。私たちの中で、そして残されたカントリー・ガールズのメンバーの中で。いつだって蘇るよという、それは嗣永桃子のある意味での呪いの言葉だ。あの小指を見た全ての人間にかけられた幸福な呪いである。私たちは、これからもずっと、嗣永桃子とともに生きていく。

 

そして最後に、一つだけ。嗣永桃子は「嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」でまた違う呪いをかけた。「客前で起こることこそが真実である」を体現し続けてきた彼女は、「カントリー・ガールズのライブにはこっそり見に行く」「カントリー・ガールズの新曲が出たら聞く」とあの場で公言したのだ。彼女がそう口にした以上、カントリー・ガールズのライブは行われなければならないのだし、カントリー・ガールズは新曲を出さなくてはならない。そうでなければ寸法が合わないし、良くも悪くも愛に溢れた事務所だ、これを聞かなかったことには出来ないだろう。カントリー・ガールズはまだ終わっていない。終わってはならない。嗣永桃子がラストライブで客席と交わした約束は、呪いとして生き続ける。

 

嗣永桃子ラストライブ ありがとうおとももち」は嗣永桃子からの別れの挨拶ではあったが、それでも同時に、未来のカントリー・ガールズとの出会いの約束にもなった。素直じゃなくて不器用でカワいくないやり方だけど、愛おしくて忘れられないのだ。カントリー・ガールズの未来はこれからまた始まるのだという、つまり、それは、運命(さだめ)である。

5年間ずっと工藤遥を推してきた人が「THE INSPIRATION!」を観て思ったこと

自分の「推し」は工藤遥だ。少なくとも2012年7月から今日のモーニング娘。'17春ツアー「THE INSPIRATION!」日本武道館公演に至るまでの約5年間にわたってそれは変わらない。その間、道重さゆみさんの人間力に屈服し、宮本佳林さんを見て「キャワワ〜!」と声をあげたことも一度や二度ではなく、田村芽実さん(マリーゴールド)の「もう泣かないと決めた」を聴いて何度も立ち上がったものだが、それでも自分の「推し」が工藤遥だということに変わりはない。

 

推し」という言葉の定義はそれぞれだし、またそうあるべきだと思う。だからこれは個人的な話になるのだが、自分にとって「推す」という行為はある種の契約である。「好き」や「可愛い」といった感情の話とは違うジャンルにある。自分にとっては主語や主観をあなたに委ねますという契約が「推す」という行為であり、それは理屈を超えた倫理を信じてみるという精神的実践でもある。極端に言えば「推し」がカラスを白いと言えば白いと信じ、「推し」が白鷺を黒いと言えばそれは黒い。ぼくの中で「推し」というのは、そういった存在である。

 

工藤遥を「推す」と決めたのは、2012年7月のことだ。モーニング娘。にとって50枚目のシングル「ONE・TWO・THREE」のリリースに合わせたプロフィール映像。これが自分にとってのひとつの転機だった。このときまだ12歳の工藤遥は、ぼくがそれまでの人生で抱えるようになった常識を粉々にした。アインシュタインは「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」と喝破したが、自分がいつの間にかすっかり大人になってしまっていることを、ぼくは工藤遥から教わったのだ。

 

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「将来の夢」が何かと問われて「FBI捜査官」と答えるモーニング娘。のメンバーはたぶんこれまでいなかったし、これから先もいないだろう。しかも答える前に「これ、ちょっとどうしようかな……。いいですか?」と、答えをためているのだ。さらにその理由は「ドラマやアニメで探偵ものの作品を見ていて、自分だったら解決出来てる気がしてしょうがない」のだと言う。そこから「FBI捜査官」へ繋がる短絡さは尋常ではない。ぼくはこのとき30歳も過ぎていたが、これを見て決めたのだ。ああ、俺は工藤遥推して生きていこう、と。

 

「THE INSPIRATION!」の春ツアーは、だから自分にとっての「推し」が卒業を表明してから初めての舞台だった。工藤遥を観て泣いてしまうのかなと思えばそうでもなく、小田さくらの妖艶さに度肝を抜かれ、野中美希の成長ぶりに感動し、横山玲奈の笑顔に救われる思いがした。要は、いつものモーニング娘。のコンサートだった。いつものように、普通に特別な景色がそこにはあった。

 

だけどよく考えれば、ぼくにとってそれはいつものモーニング娘。のコンサートではない。工藤遥のことばかり見て、歌割りが増えたとか、ちゃんと歌えてるぞとか、ダンスも悪くないなとか、またすごい汗をかいてるなとか、モニターで抜かれたときに八重歯がちゃんと写ってるかなとか、やっぱりこの人の客アオリは抜群だなとか、いままーちゃんと目が合ったなとか、相変わらず太ももが白いなとか、総じてこの人はいつだって一所懸命なんだよなとか、それがぼくにとってのいつものモーニング娘。のコンサートだった。5年間、ずっとそうやって、モーニング娘。を観てきたのだ。今日はそれが出来なかった。これからって時にモーニング娘。を卒業するんだって、勝手にしろよという、そんな醜い気持ちがなかったと言えばそれは嘘になるだろう。大好きだからこそ、嫌いになろうとしてしまう。愚かなことだ。そうやってみすみす手放してきたものが、人生でいくつあるだろう。どうせなら、これからもずっと、好きでいたいだけなのに。

 

モーニング娘。工藤遥をずっと推してきた。それはぼくにとってちょっとした誇りだ。だけどそんな思いは、彼女にとってはただの他人のエゴだ。そう思ってほしいし、そう思われたい。誰かの理想のもとの中で生きるなんてのは、工藤遥らしくないのだ。あらゆる常識を蹴っ飛ばして、ガハハと笑いながら自分の選んだ道を生きていくのが、工藤遥だ。そんな男の子みたいな女の子を、ぼくはこの5年間、正しく推してきたのだ。

 

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くるり「男の子と女の子」

 

小学生くらいの男の子

世界のどこまでも飛んでゆけよ

ロックンローラーになれよ

欲望を止めるなよ

コンクリートなんかかち割ってしまえよ

かち割ってしまえよ

 

 

前田日明は「1年半UWFとしてやってきたことが何であるか確かめに来ました」とかつて語った。今日、日本武道館でぼくは「5年間、工藤遥推してきたことが何であるか確かめに来ました」と思っていた。その答えを言葉にするのはまだ早い。それでもこの5年間、工藤遥推してきたことは間違いではなかったと、100年後にもそう言える自信だけは確かにある。

変わる竹内朱莉 変わらない竹内朱莉

アンジュルムのコンサートツアー「変わるもの 変わらないもの」の中野サンプラザ、5月7日(日)夜公演を観た。ここ最近のアンジュルムのライブは観客席の隅から隅まで問答無用で屈服させる、アントニオ猪木の言葉を借りれば「こんな試合を続けていたら10年もつ体が3年か4年しかもたないかもしれない」といった鬼気迫るものがあるが、この日のパフォーマンスも圧巻だった。ハロー!プロジェクトの他のグループと比べて云々とかアイドルとして云々とかではなく、エンタテインメントのあらゆるジャンルに対してガチンコを仕掛けている凄みがある。勿論それは、スマイレージ時代から培った確かなパフォーマンスの力と、リーダーの和田彩花の大人げない、あるいは子供じみた、意地が産んでいるのだろう。

 

ツアーのタイトルは「変わるもの 変わらないもの」。その意図を存分に汲んだ演出とセットリストはスマイレージからアンジュルムへの今、そして未来へ繋がる歴史を強く感じさせるものだったが、そんな中でも自分の目を引いたのは竹内朱莉の存在感だ。先日、5月4日に放送されたJFN「JAPAN ハロプロ NETWORK」での自身の証言によれば、1997年11月生まれの竹内が最初にハロプロエッグのオーディションを受験したのは6歳の頃。「ハロプロエッグオーディション2004」では和田彩花前田憂佳福田花音小川紗季が合格しており、つまりオーディション歴で言えばスマイレージ初期メンバーと同期である。あれから13年。少女にとってその時間は、決して短いものではない。

 

スマイレージ初期メンバーとして活動し現在のアンジュルムにも在籍する唯一の人物、和田彩花の覚醒が、ここ最近のアンジュルムをエモーショナルな運動体にしているというのは紛れもない事実だ。「変わるもの 変わらないもの」というツアータイトルを彼女はしっかりと背負っている。だが同時に、そのそばにいる竹内朱莉にも自分の目は惹きつけられる。かつては少年そのものであり、どんな男の子よりも男の子な女の子、銭湯やトイレでも女性用よりは男性用が似合うだろうとさえ思わせてくれた竹内朱莉は、二十歳を迎えるこの2017年になって女性としての魅力が増している。髪も長く伸ばし、流し目なんて実に色っぽく、もし口を閉じてうつむかれでもしたらそりゃこっちだって男だ、ちょっと黙っちゃいないだろう。ホッピーのジョッキを6〜7杯でも傾けさせてくれれば、口説かない保証はない。

 

だがそれでもやはり、変わらない竹内朱莉が確かにいるという、そこが実に魅力的なのだ。今回のツアーではメンバーが短いパンツを履いて表面積の広い生足が露わになるのだが、竹内朱莉はそこでも一切のセクシャリティを感じさせない。それは理屈を抜きにして彼女しか成し遂げることの出来ない、ある種の業のようなものだ。セクシーさを感じさせないと言っているわけではない。セクシーという装いを竹内朱莉という個人が凌駕しているのだ。それが嬉しい。まるいまるいとは言われるが、ことさら太っているわけではない。だがその足だけを見ても、それが竹内朱莉の足だとすぐに分かる。彼女の歌声を聴いて、ああここは竹内朱莉のパートなんだな、と即座に分かるように。それは明らかに、竹内朱莉にちょうど良い足なのだ。セクシーかセクシーでないかという客観的な視点よりもまず先に、これが竹内朱莉だという個が飛び込んでくる。それは特別な魅力だし、意識して出来ることではない。言ってしまえば、それは竹内朱莉の才能である。

 

勿論アンジュルムの誰一人欠けても今のアンジュルムではない。今日のステージにいなかった相川茉穂でさえ、不在という形でアンジュルムに存在している。だが竹内朱莉の存在感は、その中でもやはり特別なものがある。和田彩花はその本質として成長あるいは変化を内包していて、それがいまアンジュルムの客席を熱狂させているわけだが、竹内朱莉の本質はむしろ不変あるいは普遍にこそある。こういった存在はやはり貴重であり探そうとして見つかるものではない。数多くの才能が集まるハロー!プロジェクトの中でも℃-ute岡井千聖ぐらいではないか。どんな場所でもどんなときでもその人間性が醸し出されてしまうというのはまさしくタレント=才能である。和田彩花がもしいなければアンジュルムの現在はあり得ないわけだが、同じ程度の強い意味において、竹内朱莉がもしいなければアンジュルムは今日のアンジュルムになってはいないだろう。

 

そんなことを頭のどこかで思いながら今日のコンサートを観ていたわけだが、竹内朱莉には一つだけ文句がある。言葉にしてしまうのも申し訳ないが、それは致命的な欠陥でもある。つまり、竹内朱莉の歌とダンス、そのパフォーマンスがあまりにも素晴らしすぎて、いちど彼女に目を奪われてしまうとそこから先、ほかのメンバーを視認できなくなるのだ。歌がうまいのは分かる。それはもう才能というかセンスがあるんだから仕方がない。だがそのダンスがまた異様に魅力的なのだ。決してスタイルが良いというわけではなく、手足も長くはない。なのに肉体の置き方が抜群に良い。巧いダンスは努力の賜物だが、竹内朱莉はその巧さが必ずしも必要とされていない曲でさえ動きで視線を惹きつける。スマイレージ時代のいわゆるアイドルっぽい楽曲、ある意味で緩慢な振り付けでさえ、手の先、足の先まで完璧に配置し、それを見る価値のある商品に仕立て上げている。言ってしまえば、これが芸というものだ。ほかの誰も真似が出来ない。所謂スキルメンと呼ばれるメンバーはハロー!プロジェクトの中にも少なくはないが、総合的なパフォーマンス能力で言えば、いま現在なら竹内朱莉だろう。なかなかそうは見えないタイプだし、そう思わせないというのもまた彼女の魅力ではあるが、とにかく抜群に巧い。そしてまた、巧すぎないのだ。コンサートの序盤で彼女のダンスに魅了された自分は、もうそこからは竹内朱莉しか見ていなかった。そんなつもりもなかったのに。

 

本来であれば、アンジュルムのメンバーを均等に観たかったのだ。そのためにチケット代金を払っている。つまり自分は竹内朱莉のパフォーマンスが素晴らしすぎることによって、あやちょ、かななん、りなぷー、むろたん、りかこ、かみこ、かっさー、以上7名のメンバーを観る機会を失われているということになる。これを大問題と言わずとして何と言うのか。竹内朱莉を観ることを選んだのが自分の自由意志だというのも事実だが、同時に竹内朱莉のパフォーマンスが素晴らしかったせいで他のメンバーを観る機会が失われたというのもまた等しく事実である。もし自分が竹内朱莉の同級生だったら、同級生というか同い年の幼馴染の腐れ縁というか、別に、異性としてどうこうなんてのは本当にまるでなくて。朱莉がアイドルになりたいとかオーディションを受けてるっていうのは親から聞いてたけど(注・俺の両親と竹内朱莉の両親は俺や朱莉が物心つく前から家族ぐるみで仲良し)、俺はジュニアの野球クラブに入ってたから土日は忙しくてあいつのコンサートに行ったことなんてなかったんだ。って言うか、正直、それを言い訳にしてたんだけど。あいつが遠くに行っちゃったってこと、頭では分かってはいたけど、自分の目でそれを直接見るのが怖かったんだ。俺の中での朱莉は、ずっと昔から知ってる、変わらないままの朱莉でいてほしかったから。

 

だけどもう、俺も二十歳になる年だから、今日の中野サンプラザに行って。最初の何曲かはアンジュルムのカッコいい感じだったから冷静でいられたんだけど、スマイレージ時代の曲が流れた途端になぜか泣いちゃって。「変わるもの 変わらないもの」って意味がいきなりリアルになる感じでさ。あの頃の朱莉と今の朱莉は、変わっちゃったかもしれないけど、でも朱莉は朱莉のままだったんだ。自分は自分で、あの頃と変わってないことに焦ってばっかだけど、でもこれからいくらでも変われるんだぜって背中を押された感じも確かにあったんだよ。朱莉が泣きそうになったときに俺は泣きそうになってたし、朱莉が笑ってたときに俺も笑ってた。恋とか愛とかそういうんじゃなく、もっと手前の感じで、ああ俺はやっぱり朱莉のことが好きなんだってしっかり思えたんだ。「変わるもの 変わらないもの」は、どっちも大事なものとして、ちゃんと俺の中にあるんだ。

 

コンサートが終わってから、朱莉に久しぶりにLINEを送った。「お前のことしか見られなかったじゃねーか! チケット代払え!」って。そのカラ元気が今の俺の全力だ。メッセージはすぐに既読になったけど、返事はまだ来ない。自分で自分が恥ずかしくて、既に消したい過去だけど、親指一つで消せるほどに人の過去は軽くない。だからこの時間になってもベッドの上で足をバタバタさせているのだ。

 

これは恋でもなく愛でもない。ただ単に、竹内朱莉のことが好きだという、そんな男がいたという話だ。

さくらえみ選手インタビュー(「水道橋博士のメルマ旬報」2015年4月10日&25日掲載)再掲

さくらえみ選手が古巣のアイスリボンの5月4日、横浜文体に上がるということなのですが、その一連のくだりが完全に面白いので、「水道橋博士のメルマ旬報」で一年前にインタビューさせていただいた記事をここにアップします。有料メルマガの記事なのでいずれ下げるかもしれないですが、5月4日に行く方はご参考に。

 

以下、記事内容の再掲です。

 

*** 

日々野瞳・試練の十番勝負が幕を開けた。いま現在、プロレスという名のつく現場で何が行われているのかを確かめ、それを伝えることになった日々野瞳。第三戦となる今回の相手は現役のプロレスラー、さくらえみ選手だ。現在38歳。2009年には名誉ある東京スポーツ主催の「女子プロレス大賞」を受賞した経験もある彼女は現在、プロレス団体、我闘雲舞(カトームーブ)を率いている。

 

我闘雲舞という団体を一言で説明するのは難しい。日本を中心に活動する女子プロレス団体でありながら、旗揚げの地はなぜか異国のタイだ。所属する主力選手たちで結成したアイドルグループとしての活動も行う一方で、ほぼ毎週末には市ヶ谷のマット(リングではなく)でプロレス興行を開催している。いま現在のプロレスの中で、というかいま現在のエンタテインメントの中で似ているものがないからこそ、我闘雲舞を一言で説明するのは難しい。

 

ただ、一つだけ確かに言えることがある。我闘雲舞というプロレス団体は、抜群に面白い。これだけは、間違いない。

 

記憶に新しいところで言えば、たとえば昨年、2014年の4月6日に我闘雲舞が行った興行は、ここ数年のプロレス興行の中でも珠玉であった。旗揚げの地であるタイから5人のプロレスラーがやって来て、日本のプロレスラーたちと戦う。大河ドラマのような、あるいは映画のような光景がそこには実際にあり、それはエンタテインメントの一つの到達点だと言ってもいい。感想を述べれば長くなるので、もし興味のある方は以下のリンク先を参考にしていただければと思う。

http://d.hatena.ne.jp/osamu-teduka/20140411#1397212051

 

我闘雲舞は、確実に、見れば面白い。特に来る5月2日(土)に板橋グリーンホールで開催される『ゴールデンムーブ2015』(17:30開場、18:00試合開始)は、年に一度の恒例である男女混合タッグ6チームが参加するワンデイ・ミックスドタッグトーナメント。去年、一昨年と会場で観戦しているが、この大会は老若男女誰に対しても自信を持ってお薦めできる。ここにはプロレスの魅力の全てがある。プロレスを知らない人が観ても間違いなく笑顔になり、そしてきっとプロレスのことを好きになる、そんな大会なのだ。

(※大会情報は以下のリンク先まで)

http://ameblo.jp/gtmvsakura/entry-12007747743.html

 

だが我闘雲舞というプロレス団体は、今のところ残念ながらまだまだ知名度のある団体ではない。それなのに、どうかと思うほどに面白い。だから今回のさくらえみ選手へのインタビューで、まずは我闘雲舞というプロレス団体のことを知ってほしい。プロレスが好きな方も、プロレスをこれから好きになる方も。そしてどうか、少しでも興味がわいたら、5月2日(土)の板橋グリーンホール大会へ足を運んでいただきたい次第である。

 

それではそろそろ、さくらえみ選手へのインタビューを始めよう。

 

——まずは我闘雲舞の旗揚げについてお聞きしたいんですけど。我闘雲舞は2012年9月にタイで旗揚げするわけですが、そのときのコンセプトはどういうものだったんですか?

「一番最初は、日本でやることはやったから、海外でプロレスをやりたい女の子たちを集めてプロレスをやろうと思ったのが最初のコンセプトです。それで、日本じゃない国で女子プロレス団体を立ち上げようと思ってやったところが、タイだってっていう。でも気付いたら男子レスラーばっかり増えちゃってどうなるのかなって思ってたら、日本でも女の子が入ってきて、って今はそういう感じですね」

 

——そもそもどうしてタイという国を選んだんですか?

女子プロレスをやっていくうえで、日本にはプロレスラーになりたい子がすごく少ないって感じがあったのと。あとは金銭面で夢がないって思ってたんですよね。でも逆の発想で、いまのギャランティしか稼げなかったとしても夢がある、っていうことを考えたときに、タイっていう国に目をつけて。物価が日本よりも安いから、プロレスラーになったらお金持ちになれるっていう。あとは日本からある程度近いところで日本と仲が悪くない国、ある程度安全で、っていうところで」

 

——今もタイには選手はいるんですよね? 向こうの選手たちはどういう活動をしているんですか?

「今は向こうには、女子が2人。男子はたぶん、8人か、9人? 気付いたら増えてて。向こうは向こうで活動してるから詳しくは分からないんですけど。タイにはプミくんっていう男の子が住んでいて、その子はすっごくプロレスに詳しくて。日本にいる私よりも先に日本のプロレスの大会の結果を知ってたりして、情報もすごく早くて。彼は今までわたしが会った人の中で一番優秀ですね。練習は空手道場を借りてほぼ毎日していて、大会は月に一回ぐらいやってると思います」

 

——練習はどうやって教えてるんですか?

「リングがないのでマットでやってて。一番最初に練習を教えたのが私なんですけど、言葉が通じないので、やってみて、真似してもらって、こうじゃないああじゃないって。でも言葉が分からないから『トゥートゥトゥトゥ』とか『トゥトゥトゥッ』とか、モールス信号みたいな感じで教えてます。そもそもタイにはマット運動みたいなのが学校の授業にないんですよ。生まれて初めてマット運動をして、地球が回ったー、とか語ってたりして。練習場所はタイに一カ所しかないので、みんな仕事が終わって時間をかけて来たり、休日に3時間ぐらいかけて来てくれたりとか」

 

そもそもタイにはプロレスという文化がほとんど根付いていない。ほぼ毎日のようにどこかでプロレスの興行が行われている国は、世界でも日本ぐらいだ。そんなタイと日本の違いに、戸惑うことはなかったのだろうか?

 

——実際にタイで立ち上げてみて、事前のイメージとの違いはありました?

「まず、簡単には女の子が集まらなかったっていうのもありますし。イメージと違ったと言えば、タイでは日本式が一切通用しないので。“頑張る女の子”を作るのは難しいのかなっていうのはちょっと思いましたね。タイって男の人が結構働かなかったり、頼りなかったりして、逆に女性が朝も昼も働いてて。夢を持ってるっていうよりも、現実を追ってる女の子たちがすごく多いから」

 

——タイにいる選手たちは、将来的にはプロレスラーとして成功するって夢を持って活動してるんですか?

「んー。たぶん、プロレスラーがプロレスだけで食べていくっていう発想が、最初からないんですよ。自分たちは学生だったり、仕事をしてたりとか、そっちの夢も追いつつプロレスもやってる感じですね。興行にお金を払うっていう感覚があまりなくって。スポンサーが大会についてみんなが無料で観るみたいな。外タレさんにお金を払うっていう発想はあるんですけど、タイ人の催し物にお金を払うっていう感覚が、まだあまりなくて」

 

さくらえみの言葉を借りれば、我闘雲舞の目指すところは「いつもそこにある、女子プロレス」だ。プロレスを特別なものでなく日常にあるものにしたい、とさくらえみは常々語っている。たとえば女の子が人生で3年間、部活のように、でも一生懸命取り組めるもの。あるいは、やろうと思ったらやれて、観ようと思ったら観ることが出来て、会いたいと思ったら会えるプロレス。それが我闘雲舞の目指すところだ。

 

学校や仕事のかたわらプロレスをやるというタイの選手たちは、そういった意味では我闘雲舞が目指すところからそう遠いものではないように思う。だがそれでもさくらえみは、我闘雲舞を大きくしたいとも語る。実際に今年8月13日(木)には、我闘雲舞史上最大のビッグマッチとなる後楽園ホール大会も開催される予定だ。我闘雲舞を大きくするという、さくらえみのその思いのきっかけとなったのは、一人の選手の言葉だった。

 

——当面の我闘雲舞の目標ってありますか?

「基本的にはやっぱり、大きくしないと駄目だなっていう感じで。本当は、大きくすると大変なので、学校終わっても何かしなきゃいけないとか。今は気楽に金土日しか活動してないですけど、そうなったときに里歩さんとか「ことり」さんとかは、やりたくないだろうなっていうのがあったんですよ。(※筆者注:里歩、「ことり」はともに我闘雲舞所属選手。里歩は現在17歳、「ことり」は現在16歳)やっぱり、プロレスで食べていくって本当に大変なことなので。そこまではしなくって、学校も楽しい、勉強もやります、っていう感じが一番良いのかなって思ってたんですけど。でも、あるとき里歩さんが、やるんだったら大きくしなきゃいけないですよね、みたいな提案をしてきて。ああ、だったら、そっちの道なんて全然あるんだからやろうよって、今はそういう感じです」

 

——なかなか難しい道のりですよね。

「自信はあるんです。でも認めてもらえないと駄目かな、とは思います。いや、たぶん里歩さんや「ことり」さんが他団体にがんがん出てったほうが早いと思うんですよ。プロレスを好きな人がプロレスを観てるわけだから。でもそれをやってしまうと、団体が分かれてる理由が分からなくなるので。団体が分かれてる理由をちゃんと作っておきたい。今は交流の時代なのでなかなか難しいんですけど、ちゃんと分かれていないと意味がないと思ってるので、あんまり他団体には出てないんです。そういう道もあるって分かってるけど、こっちの道を選んでるんだから、こっちの道で結果を出さないと、って。ただ、私が38歳から40歳、45歳になってもあまり変わらないと思うんですけど、里歩さんが17、18、19、20になることによって、色んなことが変わると思うので。早くしないと、っていうのはいつもすごくありますね」

 

以上、さくらえみインタビュー、前編をお届けした。旗揚げからこれまでの活動、これからの展望など、我闘雲舞のオリジナルさが少しでも伝わってくれることを願う。そしてなるべくなら、会場へ足を運んでほしい。我闘雲舞にしかないプロレスの面白さが、そこには間違いなくあることを保証します。

 

***

 

日々野瞳・試練の十番勝負が幕を開けた。いま現在、プロレスという名のつく現場で何が行われているのかを確かめ、それを伝えることになった日々野瞳。第三戦となる今回の相手は、前回に引き続き現役プロレスラー、さくらえみ選手だ。現在38歳。2009年には名誉ある東京スポーツ主催の「女子プロレス大賞」を受賞した経験もある彼女は現在、プロレス団体、我闘雲舞(カトームーブ)を率いている。

 

前回のインタビューで「我闘雲舞を大きくしたい」と語ったさくらえみ選手。来る5月2日(土)に板橋グリーンホールで開催される『ゴールデンムーブ2015』(17:30開場、18:00試合開始)は、年に一度の恒例である男女混合タッグ6チームが参加するワンデイ・ミックスドタッグトーナメントだ。プロレスの根源的な魅力が存分に詰まった素敵な大会になることは間違いないので、プロレスファンもそうでない方も、是非足を運んでいただきたい。

(※大会情報は以下のリンク先まで)

http://ameblo.jp/gtmvsakura/entry-12007747743.html

 

そして今年の夏は、我闘雲舞史上最大のビッグマッチも予定されている。8月13日(木)、後楽園ホール大会。普段は100人未満の市ヶ谷チョコレート広場を主戦場としている我闘雲舞にとっては、大きなチャレンジだと言えるだろう。このビッグマッチに向けて、さくらえみは一体、いま何を考えているのか?

 

——いよいよ今年8月には後楽園ホール大会も予定されているわけですが。

「いやもう、全然無謀だと思うんですけど! たぶんお客さん、300人ぐらいしか入らないんじゃないかな……」

 

——さすがにそんなことはないと思いますけど。でも、後楽園ホールでやる意味はある?

「たとえば他団体さんをたまに観に行ったときに、やってることは絶対一緒のはずなのに、スポットライトを浴びて沢山のお客さんに見てもらって、リングサイドをカメラマンさんが囲っていると、素晴らしいものに見えるんですよ。やってることは一緒のはずなのに、里歩さんや「ことり」さん(※注:ともに我闘雲舞の所属選手)はやっぱり一部の人にしか理解してもらえてなくって、広がっていかない。そうこうしているうちに、もしかしたらピークが今かもしれないじゃないですか。それを、無理をしないことによって、楽しいけれどどこにも行けないっていうのはどうなのかなって思って。もっともっとみんなの可能性を引き出したいなって思いながら、今はやってます。ゲスト選手は主戦場がほかにあるので、後楽園に毎月出てる選手もいるし、もっと大きなところでやってたりもするじゃないですか。なので、我闘雲舞のメンバーが自分たちの夢を叶えることが我闘雲舞なんだと思って」

 

——後楽園に向けての秘策はあるんですか?

「ないんです。秘策がない。何でかって言うと、ビッグマッチをやると、特別感って必要じゃないですか。でも特別感を出そうとすると、色んな人と混じらなきゃいけなくて、それをやった瞬間、後楽園だけ違うものになってしまう。あとは皆さん主戦場がある中で、条件も良くないけど普段から我闘雲舞に参戦してくれている方たちに上がっていただきたいと思うと、入り切らないんですよ、選手が。それをはめてくだけで、もう一杯になってしまうので。だから後楽園はたぶん、えっ、これで後楽園やるんだ、強気だねえみたいな、そんなカードになると思います」

 

プロレスの聖地とも呼ばれる後楽園ホールは、2000人規模の大会場だ。プロレスブームが叫ばれる今でも、この規模の会場を埋められる団体はそう多くはない。だが新日本プロレスDDTプロレスリングなど、定期的に後楽園ホールを超満員に出来る団体が存在しているというのもまた事実ではある。何度も言うが、我闘雲舞は抜群に面白い。その面白さを観客の動員に繋げるためには、一体何が必要なのだろうか?

 

——我闘雲舞の観客動員数を増やすために、何が必要だと思いますか?

「もちろん、色んな努力が。選手の試合に対する努力だったり、運営だったり広報だったりとかの努力が少しずつ足りないっていうのはあるんですけど。そういうのもまとめて、面白くないからだ、って自分なんかは思っていて。あそこは面白いのにお客さんが入ってなくて可哀想、みたいなことを言うのとかあるじゃないですか? でも絶対そんなことはなくて。面白さと動員数っていうのは絶対比例してるはずなので、それをもっと磨いていかないと、って感じですよね。楽しいだけでは人は来てくれないので、事件性だったりとか、ハラハラ感だったりとか、何が起きるんだ、っていうのがきっと足りないんだろうなって。もちろん皆様に来ていただいているので、私たちが提供しているものは今日現在の段階で一番面白いものを出してるって気持ちではやってるんですけど、楽しいだけでは人は来ない」

 

——それはすごく難しい部分ですよね。

「なんか、自分の中では殺伐としたものを出してるつもりなんですけど、なぜかそうならないんですよね……。でも一度、いつもと全く同じカードなんですけど、世代抗争って言ってみたりとか、軍団対抗戦みたいなことを言ってみたりすると、すごいお客さん入ってくれたりするんですよ。だからそういうのも大事なのかなって思って。よく誤解されがちなのが、さくらの世界を理解してくれる人たちと、さくらが楽しい世界を大事にしながら、小さな世界でやっていきたいんだな、って思われることがすごく多いんですけど。すごい沢山の人に見てもらいたいって思ってるんで。それがちょっと、うまくいってないところなのかなあって」

 

そういった状況の中で、我闘雲舞のメンバーはいま新たな試みを繰り広げている。それがアイドルグループ、ガトームーブ(アイドル活動のときはカタカナ表記)としての活動だ。プロレスのリングを飛び出し、いわゆるアイドルライブにもアイドルとして参戦。このアイドル活動が目指すところとは何なのだろうか。

 

——最近はアイドルとしての活動もされてますけど、それは外に広げるためなんですか?

「きっかけは、里歩さんなんですよ。里歩さんって、歌がすごく嫌いで。人前で歌ってるのを見られたくないってずっと言ってて。でもそんな子が、外に出るための一つの手段として歌を歌う、って言い出して、それはすごいことだと思っていて。里歩っていう選手を表に出したいって思ったのがまず最初のきっかけなんです。もしこれがたとえば、帯ちゃん(※注:帯広さやか。我闘雲舞所属選手)が店を出したい、私はおびレストランを作るって言ったらそっちも全力で支持するし。我闘雲舞の選手が何かをやろうって思ったときに、その方向性が、里歩さんだったらアイドルだったので。誰かがやりたいって思ったことを手助けして、そこからお仕事に繋げなきゃって感じですかね」

 

——ちなみにガトームーブの楽曲は、さくらさん自身が作っていますよね。どうやって作ってるんですか?

「鼻歌で頑張って作ってます……。歌として成立してない、とかすごい言われるんですけど。AメロとかBメロとかサビとかも意味が分からなかったし、ルールが全く分からないで作ってるので、こんなの歌じゃないって何回も言われながら作りました」

 

——そもそも歌が好きなんですか?

「そういうわけでも……。歌とか音楽は一切聴かないので、分からないんです。でも、プロレスって音楽が必要じゃないですか。それがいつの間にか常識みたいになってて。何でそれを、メッセージ性のあるものを探してきてあてはめなきゃいけないんだっていうのがあって。それっぽいのを自分で入れちゃえば、ショーになるし。あと、たとえば所属選手が5人しかいなくて、いま3試合しか組めないから歌があるんですよ。(※筆者注:我闘雲舞の市ヶ谷大会は、プロレスの試合が3試合と歌で構成されているのが基本)これで5試合あって、市ヶ谷で2時間やったら、疲れちゃうから。楽しいものも楽しくなくなるはずなので。選手がレフェリーやってるのも、自分の好きな選手が10分でいなくなっちゃうよりは、ずっと見られたほうが楽しいし。これがやりたくてやってるというよりは、ない中で考えたって感じですね。でもいまその形が変わらないのは、ちょっと惰性でもあるかなと思うので、市ヶ谷は大事にしつつ、板橋とか後楽園では違うものを見せたいなって思ってます」

 

5月の板橋大会、8月の後楽園大会と、挑戦を続ける我闘雲舞。これからの我闘雲舞は、一体どんな景色を見せてくれるのだろうか?

 

——これからの我闘雲舞の展望ってあったりしますか?

「色々考えも変わって、昔は新しい子が入ってどんどん循環すれば良いなって思ってたんですけど。それをAKBに例えるなら、今はSMAPみたいに、このメンバーで変わっていくしかないのかなって気持ちはしてます。何でかって言うと、新しい子が入らないから、動かないので。だから考え方を変えなきゃいけないのかなあって。もしかしたら今の5人で、ドラマをやるかもしれないし。5人でマラソンとかに挑戦するかもしれないし。この5人が変わっていく景色を見せていくことで頑張らなきゃいけないのかな、って気はしてます」

 

——いよいよ5月2日は、板橋大会です。ここで見られるものって何ですか?

「……男を利用した女の物語?(笑) うーん……。でも我闘雲舞で見せたいのは結局、里歩、「ことり」、帯広、北沢ふきん(※注:すべて我闘雲舞の所属選手)とか、あとはブリバト(LLPW-Xの所属選手、SAKIとMIZUKIによるアイドルレスラーユニット。我闘雲舞には継続参戦している)とか、女の子が普通に、何だろう、私は今日良い試合が出来なかった、でもあっちは輝いてるとか、そういうちっちゃい嫉妬とか。いちいち口に出さないことでも、ああこう思ってるのかな、っていう日常がすごく楽しくて。それが一言で説明できたらすごく良いと思うんですけど。……「サザエさん」みたいな感じですよね。毎週同じように見えるんですけど、ちょっとずつ違ってるみたいな。あとは自分がずっと言ってるのは、ご飯みたいなプロレスって言ってて。特別なディナーとかではないんですけど、それ食べないとっていう。今日見ても、帰ったらまた見たくなるっていう、そういうのを目指してます」

 

以上、さくらえみインタビュー、後編をお届けした。とにもかくにも、5月2日(土)は板橋大会だ。さくらえみが語る「ご飯みたいなプロレス」とは一体どのようなものなのか、是非会場でご覧になっていただきたい。そこにはきっと、プロレス会場にしかない、素敵な何かがある。

 

***

 

という感じでした。さくらえみ選手の言葉は単純に面白すぎるのですが、ご本人の中で整理されているわけではないので、相当時間をかけて編集しないと一切本意が伝わらないので苦労したということはここで書いておきます。まあ、でも、やっぱり面白いんですよ。5月4日のアイスリボン横浜文体は、久しぶりにプロレスでわくわくしています。

 

水道橋博士のメルマ旬報」ではまだ連載は続いてますので、お財布とお時間に余裕のある方は是非。

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