「KiyaKiya」 アニメーション
2010–2011
「KiyaKiya」 ドローイング シリーズ
2010–2013
「KiyaKiya」 ペインティング シリーズ
2010–2013
「KiyaKiya」 展示風景
ミヅマアートギャラリー、東京
2011
「KiyaKiya」 展示風景
galleri s.e、 ベルゲン、ノルウェー
2013
「てんとう虫のおとむらい」 アニメーション
2005–2008
「てんとう虫のおとむらい」
ドローイング シリーズ
2005–2008
「てんとう虫のおとむらい」 展示風景
ミヅマアートギャラリー、東京
2006
「てんとう虫のおとむらい」 展示風景
Taché-Lévy Gallery、ブリュッセル、ベルギー
2007
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「KiyaKiya」とは「胸がきやきやする」という古い日本語から取った言葉です。私は、澁澤龍彦『少女コレクション序説』中の「幼児体験について」という一編で、この言葉と出会いました。「何とも説明しがたい、懐かしいような、気がかりなような気分」、
「既視感(デジャ・ヴュ)」の気分を表すこの言葉の存在を知ったことが、「KiyaKiya」シリーズ制作のきっかけとなりました。
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私にはこんな思い出があります。
「赤ん坊の頃からのかかりつけの病院の待合室に、いつも読む絵本がありました。ある日、いつものように読んでいたら結末が違っていました。それからしばらくして、また読んだ時には元に戻っていました。」
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日常生活は一見同じ軌道をたどっているようですが、いつのまにか別の軌道に乗っているような気がする瞬間が、その中に潜んでいます。この思い出のように、起こりうるはずのないことが、ふとした時にリアリティをもって感じられる、
そんな感覚が本作及び「KiyaKiya」シリーズのテーマとなっています。
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KiyaKiya_drawing02
2011
KiyaKiya_drawing04
2012
KiyaKiya_drawing14
2013
KiyaKiya_drawing15
2013
KiyaKiya_drawing16
2013
KiyaKiya_drawing18
2009
KiyaKiya―知らない名前で呼びとめられる
2011
KiyaKiya―いつもと顔が違う気がする
2011
KiyaKiya―胸がきやきやする
2012
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「KiyaKiya」とは「胸がきやきやする」という古い日本語から取った言葉です。私は、澁澤龍彦『少女コレクション序説』中の「幼児体験について」という一編で、この言葉と出会いました。「何とも説明しがたい、懐かしいような、気がかりなような気分」、
「既視感(デジャ・ヴュ)」の気分を表すこの言葉の存在を知ったことが、「KiyaKiya」シリーズ制作のきっかけとなりました。
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私にはこんな思い出があります。
「赤ん坊の頃からのかかりつけの病院の待合室に、いつも読む絵本がありました。ある日、いつものように読んでいたら結末が違っていました。それからしばらくして、また読んだ時には元に戻っていました。」
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日常生活は一見同じ軌道をたどっているようですが、いつのまにか別の軌道に乗っているような気がする瞬間が、その中に潜んでいます。この思い出のように、起こりうるはずのないことが、ふとした時にリアリティをもって感じられる、
そんな感覚が本作及び「KiyaKiya」シリーズのテーマとなっています。
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KiyaKiya_painting01
2009
KiyaKiya_painting02
2011
KiyaKiya_painting03
2011
KiyaKiya_painting04
2011
KiyaKiya_painting05
2013
KiyaKiya_painting08
2013
KiyaKiya_painting09
2013
KiyaKiya_painting10
2013
KiyaKiya_painting11
2013
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「KiyaKiya」とは「胸がきやきやする」という古い日本語から取った言葉です。私は、澁澤龍彦『少女コレクション序説』中の「幼児体験について」という一編で、この言葉と出会いました。「何とも説明しがたい、懐かしいような、気がかりなような気分」、
「既視感(デジャ・ヴュ)」の気分を表すこの言葉の存在を知ったことが、「KiyaKiya」シリーズ制作のきっかけとなりました。
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私にはこんな思い出があります。
「赤ん坊の頃からのかかりつけの病院の待合室に、いつも読む絵本がありました。ある日、いつものように読んでいたら結末が違っていました。それからしばらくして、また読んだ時には元に戻っていました。」
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日常生活は一見同じ軌道をたどっているようですが、いつのまにか別の軌道に乗っているような気がする瞬間が、その中に潜んでいます。この思い出のように、起こりうるはずのないことが、ふとした時にリアリティをもって感じられる、
そんな感覚が本作及び「KiyaKiya」シリーズのテーマとなっています。
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KiyaKiya 会場風景
2011
KiyaKiya 会場風景
2011
KiyaKiya 会場風景
2011
この度ミヅマアートギャラリーに於きまして近藤聡乃による3年ぶりの個展「KiyaKiya(きやきや)」を開催いたします。
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近藤は2008年秋よりニューヨークを拠点に制作に取り組んできました。昨年はアニメーション作品「てんとう虫のおとむらい(ダイジェスト版)」が、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)で開催されたYou Tubeとのコラボレーション企画
「YouTube Play. A Biennial of Creative Video」においてTop25に選ばれ、また新国立美術館(六本木)で開催された「DOMANI・明日展 2010」にも参加するなど、国内外で広く活動しています。
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本展は、新作アニメーション「KiyaKiya」とそのドローイング、油彩、スケッチで構成されます。
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タイトルになっている「KiyaKiya」は「胸がきやきやする」という古い日本語から取った言葉です。近藤は、澁澤龍彦『少女コレクション序説』中の「幼児体験について」という一編で、この言葉と出会いました。
「何とも説明しがたい、懐かしいような、気がかりなような気分」、「既視感(デジャ・ヴュ)」の気分を表すこの言葉の存在を知ったことが、「KiyaKiya」シリーズ制作のきっかけとなりました。
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今回のアニメーションでは、少女が紙芝居を演じ続けています。近藤は紙芝居のページの表裏に時差があること(観客が絵を見ながら聞いている話は、その前の絵の裏に描いてある。つまり紙芝居の紙の表裏には、
1ページ分の時差がある)に気づいた時、日常生活のすぐ後ろにある、ほんの少しずれた別の世界の可能性を感じたと言います。
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作品中では、3つの世界が進行しています。どの世界にも同じ少女が存在し、それぞれの時間を過ごしながら、その軌道が少しずつずれ、互いに干渉し合い、入れ替わり、それでも気づかずにその軌道を回り続け、それを永遠に繰り返します。
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近藤にはこんな思い出があります。
「赤ん坊の頃からのかかりつけの病院の待合室に、いつも読む絵本がありました。ある日、いつものように読んでいたら結末が違っていました。それからしばらくして、また読んだ時には元に戻っていました」
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日常生活は一見同じ軌道をたどっているようですが、いつのまにか別の軌道に乗っているような気がする瞬間が、その中に潜んでいます。起こりうるはずのないことが、この思い出のようにふとした時にリアリティをもって感じられる。そんな感覚が本作のテーマとなっています。
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近藤は「とても個人的なことは、公のことよりも他人と共有できる」と言います。本展は、ずっと忘れていた大事なことがあったような、それを今にも思い出してしまいそうな、そんな息苦しいような懐かしい体験をさせることでしょう。
心の奥深くに仕舞われていた出来事が、ひょっこりと顔を出すかも知れません。
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KiyaKiya 1/15秒 会場風景
2013
KiyaKiya 1/15秒 会場風景
2013
KiyaKiya 1/15秒 会場風景
2013
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「2匹のてんとう虫を打ち殺してしまう」という出来事をから、この作品は始まります。
「胸元のボタンがてんとう虫にみえてしまう」ほどに膨れ上がった罪悪感と、
「今、どこかここではない場所に何人も自分が存在しているような気がする」という不安。繰り返しおしよせる罪悪感と不安の悪夢の中で、少女はスカートの内側に何百ものボタンを縫い付けていきます。
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怖いけれど何度もみてしまう絵本のページがあったこと。小さい頃に繰り返しみた悪夢があったこと。てんとう虫の足の節から出る黄色い液体がとても苦かったこと。てんとう虫が手から地面に落ちた瞬間、車に轢かれて死んだ事。
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小さい頃には怖くてたまらなかった、このような“悪夢”が、大人となった今では懐かしく美しいものとして思い出されます。時間とともに変化する記憶についての作品です。
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てんとう虫のおとむらい 2-10-02
2006
てんとう虫のおとむらい 2-13
2006
てんとう虫のおとむらい 2-19
2006
てんとう虫のおとむらい 3-11
2006
てんとう虫のおとむらい 3-09
2006
てんとう虫のおとむらい 1-11
2007
>てんとう虫のおとむらい 1-13-03
2007
てんとう虫のおとむらい 3-06
2007
てんとう虫のおとむらい 3-09-02
2007
てんとう虫のおとむらい 番外編05
2007
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てんとう虫のおとむらい 会場風景
2006
てんとう虫のおとむらい 会場風景
2006
てんとう虫のおとむらい 会場風景
2006
てんとう虫のおとむらい 会場風景
2006
2006年7月5日よりミヅマアートギャラリーにおいて近藤聡乃の初の個展となる「てんとう虫のおとむらい」を開催します。1980年生まれの近藤聡乃は2000年マンガ「小林加代子」で第2回アックス新人賞奨励賞(青林工藝舎)を受賞し、
2002年アニメーション「電車かもしれない」でインパクトの強い知久寿焼(元たま)の曲に合わせてリズミカルに踊る少女の作品でNHKデジタルスタジアム、アニメーション部門グランプリを獲得し、国内外で注目されている若手作家の一人です。
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今回の展覧会タイトル「てんとう虫のおとむらい」は、新作アニメーションのタイトルにもなっています。大学の卒業制作として発表した同タイトルのアニメーション作品に納得がいかなかったことから、
再度挑戦したこの作品は「2匹のてんとう虫を打ち殺してしまう」という出来事から始まります。「胸元のボタンがてんとう虫にみえてしまう」ほどに膨れ上がった罪悪感と、「今、どこかここではない場所に何人も自分が存在しているような気がする」という不安。
繰り返しおしよせる罪悪感と不安の悪夢の中で、少女はスカートの内側に何百ものボタンを縫い付けていきます。この少女は「英子(エイコ)」と名付けられ、マンガ、ドローイングなど作家の全ての作品にわたって作家にとっての理想の少女として登場しています。
水中でまどろむ英子やてんとう虫が絡み合い流れ出るどろどろした粘液など、思春期の少女の心理が英子を通して暗示的に描かれています。
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「みんなのうた」でよくみていた「メトロポリタン美術館」が怖かったけれど何度もみてしまったこと。小さい頃に繰り返しみた悪夢があったこと。てんとう虫の足の節から出る黄色い液体がとても苦かったこと。
てんとう虫が手から地面に落ちた瞬間、車に轢かれて死んだ事。このように小さい頃には怖くてたまらなかった“悪夢”が、大人となった今では懐かしく美しいものとして思い出されることに気付き、制作されました。
このアニメーションを通じて、忘れてしまったはずなのに皮膚感覚としてしっかり記憶している悪夢のように、懐かしいけれど不安な現実と妄想のはざ間を体感していただけるのではないでしょうか。
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またアニメーションでは描ききれなかった様々な情景がドローイング作品として展示されます。
不可視の記憶や幻想を不思議なリアルさをもって表現する近藤聡乃。小さい頃に誰もが体験した怖くて美しい感覚を再び呼び起こしてくれるそんな世界を是非お楽しみいただければと思います。
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hint 会場風景
2007
hint 会場風景
2007
hint 会場風景
2007
hint 会場風景
2007