東京都(二十三区)の図像板碑(41) |
東京都渋谷区東4 國學院大學考古学資料館
弥陀図像板碑 2
先の板碑(40)と同様に山王草堂にあった一基で、『昭和53年 東京都板碑所在目録(二十三区分)』(東京都教育委員会)の370に記録される板碑が本塔である。
現高47.2センチ、上幅28、下幅29、厚さ3.5~3センチの下部を欠失する緑泥片岩製の図像板碑。高さ6センチの山形の下に二条の刻みを持ち、直径23センチの大きな頭光をおう阿弥陀立像を彫る。像は顔の輪郭や三道、衣紋は陰刻する線で表され、胸元に挙げた左手の肘の当たりから下の部分はやや不鮮明であるが、衣紋の刻線が縦に刻まれる点から立像と考えられる。下部が欠失するので一尊か三尊かは断定しがたいが、石の大きさから見て一尊であったと考える。
頭の周囲には二重の小さな頭光を彫り、中に蓮華文を陰刻する。その外の大きな頭光には傘の骨状の放射光が六〇本の多さで彫り出される。頭光の中に蓮華文を彫り傘の骨状の多くの放射光を彫る板碑としては、埼玉県児玉郡児玉町保木野・鈴木家の弥陀一尊図像板碑(乾元二年)や、東京都東久留米市下里・石塚家墓地の弥陀一尊図像板碑(下欠)等が知られるが、本塔も同様に南北朝時代の造立かと思われる。
以上二基は、平成14年6月16日に同大学常磐松館で開かれた「東国文化研究会」の例会の折りに、特に調査を許可されたものである。
この時はその他に阿弥陀種子板碑(131.2センチ 永仁四年十月日)、弥陀種子板碑(111センチ 弘長三年七月日)、名号板碑(113センチ 貞治七年四月十九日)などを記録している。