2013年(10月期)の再放送を視た際に書いたメモが見つかったので、大筋はそれを転記する形、一部修正や追記や施しながら更新を進めていこうと思います。

 

以下、転記部分

・えりぃ~の通う那覇北高校野球部はサードが左利き(笑)
初放送の01年時はネットなんてまともに操れなかった頃で書きたくても書けなかったんだけど、あれは前の年の夏、(実際の)甲子園に出た那覇高校の左投げキャッチャー(その上たしかサードも左だったような。。)にインスパイアされてる系のアレだったりするのかな?
まあ、単に弱小すぎてそうするしか方法がないだけなのかもしれませんねw

しかし、若かりし日のベッキーさん可愛いよなあ・・・

 

・えりぃ~役の国仲さんが後日談で話されてた記憶がある「セリフに一杯一杯でご飯に一切手を付けない恵達」改めて把握して見ると、どこまでも初々しくて楽しいなあ(笑)そして、まあ作風やスタンスの違いもあるけど、「きらり」の演者さんはヒロイン含め、皆演技がうますぎるので、そこが国民的作品になれなかった要因なのかも・・・と。
もちろん、「純情きらり」という作品がそうなることを志して書かれた脚本ではないといえば、そのとおりですし、だからこそのヒロインオーデ廃止と宮崎さんの主演起用だったとも思うわけですが。

 

・那覇北高が初戦で戦い、見事勝利を上げた名門臣城高というのは、豊見城高のパロディーだったりするのだろうか。ちなみに2回戦の相手はコザ南と沖縄商の勝者。ありそうで実在しない絶妙なポイントを突いてくるよなあ・・・
 

・コザ南戦の一幕 13-13の9回裏に・・

えりぃ「勝ってる?負けてる?」るみこ「同点、同点、13-13!」

今にして冷静に見返すと、なんという雑な台詞回しなんだろう(苦笑)しかも9回表に2点差追いつかれてるのにw
で、結構色々雑な割に、ネット裏に大会役員が居たりする細かいところはちゃんと作りこんでるというね。

 

・恵尚にぃにぃがゴーヤーマンの企画制作を一家の前で発表するシーンを見ながら、大筋の台詞回しだけでなく、「えっ?」とか「はっ?」とか「なに?」とかいう細かなセリフが入るタイミングまでほぼ完璧に覚えている自分に驚くとともに、改めて、全朝ドラの中で、「ちゅらさん」という作品がどれだけ大きいかを思い知らされる思いがしますね。

でも、えりぃが意外に家族の仲を取り持とうと、あくせくして精神的に疲労を溜めてたりするようなセリフ回し以外の描写に関しては、案外当時の記憶通りではないなという印象で、やはりそこは当時まだいわゆる「厨房」でしかなかった自分との解釈の深浅にもかかってくるのかなと思います。
前は恵達のほうがよっぽど冷静で現実の見えてるキャラクターだと思ってたけど、今改めて見ると、やっぱり色んな意味で「ねぇねぇ」はえりぃなんだなと痛感させられる。面白いものですね。

2013年(10月期)の再放送を視た際に書いたメモが見つかったので、大筋はそれを転記する形、一部修正や追記や施しながら更新を進めていこうと思います。

 

以下、転記部分

 

『ちゅらさん』再放送の第1週視聴。『あまちゃん』の宮藤官九郎さんが「大事なことはほとんど1週目で言っているような気がする」とおっしゃっていましたが、『ちゅらさん』もその点で同種のスタンスを採る作品なんだなあということを改めて実感させられる、そんな素晴らしい「第1週」ですよね。『あまちゃん』視聴中なんとなく共通項を感じながら観ていた2作がこの時期の『ちゅらさん』再放送でそれとなく繋がったような感慨もありました。

しかし、この第1週90分というのは、最近よく放送されている「地域発スペシャルドラマ」のような形でまるごと放送されてもなんら違和感のない濃密さと完成度です。えりぃ~子役時代の浦野未来さんもやっぱ可愛いなあと懐かしみつつ、一番驚くのは、初放送時の自分はその浦野さんというさほど年が変わらなかったという事実。油断しているとあっという間に「あまちゃんを懐かしむアラフォーの俺」とかになってしまってそうで、ただただ怖い(汗)
 

[2024年追記]

そして11年後、めでたく(?)「あまちゃんを懐かしむアラフォーの俺」になってしまいました。

おまけに、現在放送中の朝ドラ『虎に翼』では和也くんの中の人こと遠藤雄弥さんがゲスい暴力夫・東田として登場。

これからどんな気持ちで『ちゅら』を視れば良いんだw

とりあえず、大いなるネタとして「和也くん、キジムナーが泣いてるぞ!」とだけ書いておきましょう(笑)

『音楽の聴き方~聴く型と趣味を語る言葉~』(中公新書 2009年)という本を読んでいて、なるほどなあと思わせる記載がありました。以下にズラズラっと引用してみます。

 

 

二十世紀初頭のドイツで活躍した切れ者の音楽評論家パウル・ベッカーは、「芸術(音楽)体験において、人はあらかじめ自分の中にあるものを再認識しているだけなのだ」として、次のように述べている。

「ある芸術作品が私に働きかけるか否かは、ひとえに私がそれを既に自分の中に持っているかどうかにかかっている。一見新しく見えるものも、実はこれまで意識してこなかったものが突如として意識されるようになっただけ(中略)私が感じたり、見たり、聴いたりするのは、私の中に既にあるものだけなのである。それが私自身の一部である場合にのみ、芸術作品は私にとって生き生きしたものとなるのである。それは潜在的な感情価の目覚めなのであって、決して絶対的な意味で新しいものではない」。

自分の感性の受信機の中にあらかじめセットされていない周波数に対して、人はほとんど反応出来ない。相性がぴったりの音楽との出会いとは、実はこれまで知らなかった自分との出会いかもしれないのだ。

(11~12頁)

 

(前略)嗜好や相性は必ずしも個人的なものではない。本人は純粋に自分の自発的な好みだと信じていても、それは物心ついて以来の、周囲環境からの絶え間ない刷り込みによって形成されてきたもの、その意味で社会的である可能性は高い。

(14頁)

 

桜子はまさにこうした環境のもとで自身の音楽観を築いてきた少女でした。母との思い出は短すぎて、「聴いてきた曲」という意味での継承は少ないかとは思いますが、(「聴く」だけでなく)「する」ことへの強い欲求を植え付けたし、大好きな父とその周りを包むように流れていたであろうジャズを中心とした数多くの楽曲は桜子の耳を鍛え、感性を育ててきた。

見逃されがちですが、有森家が中流以上の生活水準を有していたからこそ、成り立つことでもありました(有森家が裕福ではなくとも恵まれている部類だということは、斉藤先生のいくつかのセリフでも示されていましたね)。

第6週、人生で初めて聴いたジャズの生演奏に感激し、立ち尽くしてしまうあのシーンも、『ディスタンクシオン(ブルデュー)』っぽく言えば、「稲妻の一撃」の否定とすべきなのか、なるべくしてああなっている、「自分の中に持っている」ものの強烈な目覚めによるのでしょう。

このように桜子はある程度分かりやすいバックボーンを持っているのですが、次にもう一人の看板、達彦さんの履歴について考え始めると、これが意外に難しい。
もっとも、難しいからこそ考え甲斐もあるわけで・・・
 

次回は、そんな話をしてみたいと思います。