元漫画屋日記

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2023年は価値観の変化が表に大きく表れた一年でしたね。

あけましておめでどうございます。2024年も始まりましたね。私の介護士人生も13年目を迎えることとなりました。

 

語り尽くされてる話題とは思いますが、2023年はジャニーズの問題に始まる日本人の価値観の変化が大きく表れ、広がっていった一年でしたね。現在も続いている芸人・松本人志氏の話題、宝塚の自殺事件、すべて長年続いて慣習という名のもとに許容されてきた価値観が現代の価値観にそぐわなくなってきたことがSNSなどをベースに一気に露出されて糾弾されているというのが実態だと思います。こうしてみると科学技術の進捗というのも人間の価値観に大きく影響するというわけですね。

 

個人的に思うのはこの価値観の変化の芽が見えてきたのは2015年に話題になった森友学園の問題だったのではないかと想像しています。あの話題で「忖度」という言葉が日本中を駆け巡りました。私は不勉強にも忖度、という言葉をこの時初めて知ったのですが「あぁ、こういうことを『忖度』という言葉であらわせばいいのだなぁ」ということを知った人は割と多いと思います。情報を拡散していくのに「忖度」という言葉が便利に使われたことも変化のアクセルになったのではないかと想像します。

 

価値観の変化と言えば、昨年はChatGPTに始まる生成AIの話題が世間を席巻しましたね。その昔、写真が発明されたことで絵画は大きな変化を迎えたと思うのですが生成AIの運用実用化はそれ以上の変化を起こすと思います。それにともなって価値観も大きく変化するでしょうね。

 

昨年ジャニーズのニュースが世間を席巻した時に思ったことをどこかに書き留めておきたいと思ったので「そういえば、あのブログがあったなぁ」と思い出し書きました。今年も年頭から大きな地震があったり、世界各地で選挙が控えてたり、ウクライナxロシア、イスラエルxパレスチナの戦争も継続中と世界は揺れていますね。

 

個人的には昨年末に目標としていた資産額に到達できたので、これまでの生活スタイルを変えていく準備にむかっていく一年にしたいと思っています。まだしばらくフルタイム労働は続けていきますが、人生の残り時間も見えてきたので変えていかなければなぁと思っています。

元漫画家の介護士、コロナになる。

こんにちは。こちらのブログはまれに更新がありますが今回はコロナになってしまいました。いやー、ここまで来ると誰がなってもおかしくない状況だなと思いながら仕事してしましたがついになってしまいましたよ。

 

私の職場でもなんどかコロナ陽性者発生にともなう感染対応を含めて、何度か感染対応を繰り返してますが今回もコロナ陽性者発生にともなう感染対応中にもらってしまった形です。どんだけ感染防止対策をしても100%は防げませんからね。コロナが国内で猛威をふるい始めてから3年目でしょうか。まぁここまでよう回避してきた(無症状で罹患してたかもしれないが)とは思います。

 

経緯を申し上げると5日、6日と準夜勤(22時~翌朝7:00まで)をつとめて~まぁ感染対応中で「こりゃ残業せんと回らんっっ!!」という状況ですのでどちらも1時間程度残業して~7日の明けに帰宅。床につきましたが「なんか眠れんなぁ~、明け方にリポD飲んだからかな?」とか思いながらウダウダ過ごしながら夕方になり、「いいや、もぉいったん起きてしまおう!」と身体を起こそうとしたら…、

 

なんだかおかしい。なんか思うように起きれない。「???」と思いながら無理やり身体を起こして「なんかおかしいな…、ん?熱感ないか?」と思い至り体温を測ると37.1度…。私は平熱は低めなので37度あれば普段の状態ではないです。額に触れても熱い…これは、とようやくコロナ感染を疑い始めました。喉はいがらっぽいし、ダルいし完全に風邪症状を起こし始めていました。

 

こいつはアカンでとさっそく職場に連絡。深夜(8日)の24:40になると38.5度。「こいつはもうほぼ確定だな」と思いながら寝て、起きて測ると38.6度。「この状態で診察に出かけるのはさすがにキツい…」と、こんなこともあろうかと用意しておいたアセトアミノフェンを内服。自宅、および自室での療養体勢に入りました。

 

(実際に利用した病院とは無関係のイメージ画像です)

 

かかりつけの医院に連絡をとり、発熱外来を紹介してもらうが週明けのせいか電話が繋がらない!教えてもらった近場は全滅。グズグズしてると今日中の検査に間に合わなくなるかもしれんと結局自分で探し、車で行けるところ(ちなみに発熱外来で公共機関利用はNGです!車持ちで良かった!!)なんとか当日ギリギリ残り二人分の枠に駆け込めて受診予約がとれました。ちなみに20年くらい前に利用したことのある病院で診察券持ってた。

 

予約は取れたが予約の時間は16時。病変状態で2度外出せねばならんのだな~、まぁ診てもらえるだけでもありがたいと思わねばと思いつつ一旦帰宅。予約の頃は薬が効いて37.0まで解熱してたが16時の受信の頃は結局38.0度まで熱発してました(笑)「なんとか行けそうだから、素に近い状態を診てもらったほうがいいだろう」と追加で解熱剤は飲みませんでした。

 

で、無事にPCR検査で看護師見守りの中で自己採取し提出。「結果が出るのは明後日(10日)になります」と聞いて帰宅。ソッコーで処方してもらった解熱剤を飲みました。他に炎症を抑える薬とイソジンが処方されました。

 

翌9日、妹に送ってもらった海外製の抗原検査キットで確認してみたのが冒頭の画像になります。この時点でほぼ陽性確定。毎週、職場でも抗原検査キットで検査してるんだけど陽性判定を初めて自分の目で見ましたよ。しかし医療的には翌日の検査結果を待たなくてはならない。

 

10日に電話があって、陽性が確定。もうこの頃はコロナで間違いないと思っていたので「そうですか」って感じになっている。7日を発症日として翌8日からの10日間は自宅療養となりました。いや~長い経緯でしたね。

 

漫画家の頃は一人暮らしだったのですが、今は高齢の母と同居してるので母に感染させる可能性がやっかいです。いちおうそういう状況の人は宿泊療養の申請が出来るようなので、こちらも進めています。

 

こちらは妹の検査キットで確認した晩にAmazonに注文を入れて10日に届いた別の抗原検査キット。4つ購入し、一つ動作テストのために試したもの。

 

「T」の部分にうす~くラインが浮かんでいるのが分かりますでしょうか?かろうじて陽性判定です。通販で手軽に入手できる抗原検査キットは国の承認を受けていないものであるため「正式な医療結果」の材料にはできません。あくまで参考程度のものです。ものですが、いちおう陽性判定は出来たので今後も参考指標程度には使えそうです。

 

 

 

ようやく「正規品」と言える検査キットもネットで入手できるようになる方向なので、今後はこちらを入手できれば良いかなと思います。ただたぶん値段はお高くなるでしょうね。

 

いちおう自分の場合、「いつかかってもおかしくない」と思っていたので食料の備蓄もほどほど用意してました。以前から母とは食事を別々にしてましたし、トイレや台所、洗面所のタオルも別々にしてありました。この機会にネットスーパーとか宅配弁当とか積極的に利用してノウハウを身に着けておきたいですね。

 

宿泊療養になったらまた別にブログをアップするかも?

一生遊べるゲーム

表題は以下の記事を見て、このエントリーを思いついたので。

 

 

先日任天堂のSwitch(Lightのほう)を買ったんですよ。もう発売されてから5年は経過してるからモデル末期であろうタイミングで躊躇したんですけどね。「今買うなら、もっと早く買えよ」と我ながら思いましたね。

 

なぜ買ったのか?というと一つどうしても遊びたくなったゲームがあったんですね。

 

Bethesda Softworksは2011年に発売したゲーム「SKYRIM(スカイリム)」です。

 

 

10年以上前に発売されたソフトでSwitch版でさえ移植され発売されたのは2018年、4年前になってしまいます。しかも私は発売された当初の2011年にPC版を購入してさえいます。なぜか?

 

「持ち歩いていつでも、どこでも遊べるから」

 

これに尽きます。だから携帯性により特化したLIGHTなんですね。すでにPC版を所有してますから遊ぼうと思えばいつでも遊べます。しかし年をとったせいか、なかなか椅子に座って机に向かってゲームを遊ぶのがしんどい。Switchならいつでも、どこでも寝床でも風呂場でも車中泊中でも山歩きで遭難したときも!?も遊べてしまう。この魅力は他に替えがたいものがあります。

 

実際におおよそ10年ぶりにSKYRIMの世界を通勤電車の行き帰りや、ファミレス内、寝床で遊んでますからね。言ってしまえば、PC版を遊んでいた頃よりディープにハマってるくらいです。

 

コインランドリーで乾燥を待つ間もスカイリムの大地を徘徊できてしまう。

 

翻ってSKYRIMがどんなゲームなのかを説明すると約41平方キロメートルのタムリエル大陸の一部をゲーム世界に構築したオープンワールドゲームです。オープンワールドゲームというと「商人から英雄にも、盗人にも、はては暗殺者として生業に生活も出来る」とか「真のロールプレイ(役割りを演じる)が出来る」なんて説明がされることが多いですが、私の認識としては「大人のおままごと」です。

 

Bethesdaがこれまで発売し、私が遊んできたオープンワールドのゲーム、「Oblivion(SKYRIMの前作)」「Fallout3」「Morrowind(SKYRIMの前々作」はどれもこの「おままごと」をするのに適してました。自分で境遇や設定をこさえ(役割)て、それにそってプレイ(演じる)するのに最適化してゲームデザインされているのですね。「Fallout4」だけはちょっとその辺りに外れた違和感があって、あまり遊ばないで止めてしまいましたが。

 

これが楽しい。「適当に山賊を狩って、装備を奪い売り歩くスカベンジプレイ」「『武器を持つことが出来ない』という設定をもうけて召喚武器だけ使えるという縛りプレイ」「醜い顔立ちのオーク(種族の一種類)がイケメン目指して美女コンパニオンを連れ歩いてヒーローを目指すプレイ」すべてこれまでに実際に私が遊んできたプレイですが(笑)、そんな色んな遊び方が出来てしまう。

 

PCでMOD(非公式の追加データやプログラム)をバリバリぶち込んで遊んでいた頃のスクリーンショット

 

もちろんなんとなく適当に世界を巡って、適当にクエストを請け負って経験を積んでなんとなく成り上がっていくだけでも楽しいですけどね。そんな風に夢中になって遊んだゲームが「Switchならまた楽しめるかもしれない」と思い至ったんですね。

 

実際、「SKYRIM」のような元々ハードコアゲーマー向けな(要するに環境、ハード条件が要求される)ゲームをSwitchのような携帯ゲーム機で遊べるというのが一つの感動です。「あの広大な世界がこんな小さなゲーム機に収まってしまうなんて!!」という驚き。

 

しかもサクサク動いて、画面サイズが小さいこともありますがグラフィックにも不満を感じません。もちろん今どきの最先端のゲームを遊んでる人たちには物足りないかもしれませんが、「久しぶりに遊んでみるか!」といった思いつきゲーマーには十分です。毎回遊ぶたびにその点は感動してしまいますね。「SKYRIM」以上に遊んだ「Oblivion」や「Fallout3」が移植されたらもっと感動しますが、それは難しい話でしょうね。

 

で、記事タイトルに戻ると件の記事を読んで「Switch版のSKYRIMも、一生遊べるゲームになり得るなぁ」とそんなことを思って書きたくなったのでした。本当、寝たきりになっても手先とSwitchを保持し続ける筋力と視力が維持されるなら一生遊べると思いますよ。認知力の保持も必要ですが。

 

実際はどこかで飽きて間があいてしまったりするのでしょうが、Switch版のSKYRIMにはそれだけのポテンシャルが秘められてると思います。そういう意味ではコスパの良い投資になるかもしれません。私はSwitchで遊ぶのがコレ一本だけだったとしても十分に元は取れると感じています(褒め過ぎかな)。

 

私もずいぶん色んなゲームを買って来てしまいましたが、これだ!と思える数本に出会えるだけで十分なんだよなぁと思います。もちろん、その時その時に自分に適したゲームがある物だし、そんなゲームと出会うために色んなゲームに手を出さないと出会えないものなんでしょうが。

 

 

 

記念日

私のスマホはandroid。android には「KEEPメモ」という名のテキストアプリ(メモ帳)があります。Google得意の検索機能もあり、クラウドでデータも保存されるので機種変とかしてもアカウントでログインすれば簡単に移行もできて使い勝手が良い、シンプルなアプリで重宝しています。

そんなKEEPのメモの一つに「記念日」と銘打った物がある。「2016/05/26 髪の毛に白髪を発見」「2018/08/23 外為.comのトルコリラ円全ロスカットさる」とか本人以外にどうでも良い、下らない下世話な話が中心でここで書くのも極めて個人的な内容なのですが、

(ちなみに「頭部の」白髪は2021年7月5日に二本目を発見しています。もちろん自分が認知してない他の部位の白髪もあると思ういますが。なんか鼻毛の白髪は割りと多いです。鼻毛の白髪染めってあったりするのだろうか?本当にどうでもいいですね。)

今回ブログで触れたいのは2021年10月15日、長年私を悩ませていた「右膝の痛み」の原因が分かった記念日です。

 

割と子供の頃から、右膝が痛むことがあり、その頃はエうっ、エうっと泣いていました(笑)「成長痛」という物かもしれませんが、左膝が痛むことはなくそれとは違うと思われ、今回の痛みとも関連があると思われます。

 

そんな子供の頃から右膝に痛みがあったのですが、生活のなかで強く存在感を示してきたのは介護の仕事を始めてから。やはり漫画家の頃はデスクワーク中心であり身体、特に足腰を酷使することはあまりないわけですね。

 

(車で長距離を運転しているとアクセルを踏んでいる右膝が痛くなる、というのはありました。私にとってはあたり前のことだったのですけど、普通はならないんでしょうね。)

 

疲労で「足が笑う」という表現がありますが、そんな感じで膝に「遊び」があるような感じです。しっかり足を踏み込めないというか、支えられないような感じである時、利用者の歩行訓練で介助しながら階段の上り下りをしていた時に足が笑って軽くバランスを崩しかけたことがありました。

 

(その後、私の出来事とは関係なく階段を使った歩行訓練はリスクが高いということでやらなくなりましたが)

 

幸い自力でリカバリーして転倒や怪我などはしなかったのですが、傍で見ていた同僚から「大丈夫ですか」と声をかけられたくらいですから危なかったとは思います。痛みはそこまで辛いものではなく(鈍痛)、耐えられる範囲ですがこれでは仕事に支障が出るなと右膝にサポーターを巻くようにしました。

 

(自分のブログを検索してみたら当時の記録がありました。始めて半年でさっそく買ってたんですね。)

 

サポーターを巻くことで膝の遊びがなくなり、力が他所に分散されるような感じはなくなりました。それから10年…、だましだましでやってきてそれどころか山歩きなどにも目覚めて休日も進んで歩くようになったりしてましたがここ1年は以前より痛みが目立つようになり湿布を貼る機会も増えました。それどころか最近は左膝も痛むようになり(これこそは年齢的なもので仕方ないかなと思いますが)、「これはボチボチ、ガチで原因を突き止めといたほうがいいな…」と思うように。

 

それまでも整形に通ったりはしてましたが「年なりの変化は見られますが、レントゲン上は特に問題はないですね…」と言われ続け、対症療法的に湿布が処方されるだけだったんですね。

 

職場の派遣職員で右手首にサポーターをしている人がいて、尋ねると「MRIを撮って水が溜まってるのが分かった」と言った話を聞いたこともあり整形のドクターに相談して紹介状を書いてもらいMRIを撮ってもらいました。整形のドクターには「あまり期待はできないと思いますよ~」と言われましたが。

 

紹介状をもってMRIのある脳神経のクリニックに行き、そこで撮影してもらうとクリニックから直接整形の方にCD-ROM(!)が郵送され、後日私自身が診察結果を整形に聞きに行く、という段取りです。う~ん、早いとこクラウドなり通信を使ってデーターを送受信・共有するような環境になってほしいですね。なんてアナログなんだ!と思ってしまいましたよ。冒頭の写真がそれです。

 

で、ようやく診察結果なわけですがMRIを撮って分かったのは、

・半月板が水平に断裂している。

・十字靭帯に裂傷跡がある(過去に痛めている)。

 

というものでした。前者は年なりに割とある状態らしいので、長年の原因とは言いにくい。どうやら原因は後者です。

 

「過去に痛めた覚えはありませんか?腫れたと思うのですが」とドクターに聞かれたのですが、頭をひねっても心当たりを思い出せませんでした。右膝を腫らした記憶、ないなぁ。でも跡があったからやってるハズなんですよね。

 

手術を要するような状態ではないらしいですが、靭帯は繋がってはいるもの普通の人よりは「緩い」状態だそうです。私の膝に「遊び」がある、という感覚はこれが原因のようです。なんにせよ、原因が分かって良かったです。MRIを撮った価値があったというものです。

 

対策としてはよく聞く話ですが、「膝の筋肉を鍛える」しかないそうです。体操の仕方を描いたA4ペラをいただいたので、それを参考に普段の体操メニューにさっそく加えることにしました。

 

こんな感じ。

 

子供の頃に祖母の家に泊まりに行った時に、お婆ちゃんが寝床でやってた気がします(笑)。そんな年になったということなんですね~。

 

というわけで10月15日は長年の右膝痛の原因が分かった私の「記念日」になったのでした。

 

ボクシングのビデオを寄付してきました。

毎度久しぶりにアメブロを書きますが、近隣のボクシングジムにボクシング関係のVHSビデオを寄付してきました。

部屋の整理の一環でこれらのビデオを整理することにしたのですが、「VHSビデオ…需要あるのか?」と思いつつ、内容的には名試合や希少な物もあり、DVD化されてないものもあるはずで、破棄するには惜しい品です(自分用にはちゃっかりバックアップを撮ってる。)。ヤフオクとかメルカリとかで小金に換えることも出来たと思いますが、面倒&これだけの内容だしより良い活用法はないだろうかと少し頭を捻ったところ、

 

「ボクシングジムに寄付する」

 

という考えに至りました。近隣に「MTボクシングジム」という所があり、こちらに打診をとってみたところ、「貴重な映像ですね。」とありがたいことに関心を示していただき約束した18日の夕方に納品に行きました。

 

M.Tボクシングジム(公式HP)

 

車でよく横を通ることもあるので、世界王者(!)がいることもなんとなく知ってました。WBOフライ級チャンピオン、中谷潤人選手がその人です。すみません、ボクシング情報はすっかり疎くなってしまっていて詳しいところはまったく存じ上げておりませんでした。

 

ボクシングジムに足を踏み入れるのは10年以上ぶりのことになるでしょう。昔は漫画の取材目的などで幾度か通ったものでした。ちょっとワクワクしてました(^^)。

 

ジムではメールのやり取りをした村野マネージャーさんがいて、しっかりお渡しすることが出来ました。ちょうど件の中谷選手の防衛戦の国内最終仕上げのタイミングで12Rのスパーが始まるところで、どうぞと見学させていただきました。なんとラッキー!というか村野Mの心遣いですね。お忙しいだろうに!

 

写真はボカしてますが、黒いシャツ姿が世界王者の中谷選手です。サウスポーでさすがに上手いボクシングをしてました(当たり前か)。世界戦は9月11日とのことで、減量もあらかた追い込んでまさに疲労のピークのタイミングではないでしょうか。4Rずつかな?3人のスパー相手と代わる代わる対戦する形でしたが代わりバナは活きの良いスパー相手が飛ばす感じですが、次第にコントロールし始めるような感じでした。

 

ビックリしたのはスパー相手もそれなりの選手なのでしょうが、どの選手も普通にスリッピングアウェー(首を捻って相手のパンチを避ける高等テクニックの一つ)を当たり前に使いこなしていたことです。私がボクシングを熱心に見ていた頃は川島郭志選手を始めとして、本当に限られた選手しかモノにしてないような技術でした。エキサイトマッチ等、世界レベルの試合を手軽に目にするように出来たことも大きいのでしょうが、時の積み重ねなのでしょうねぇ。

 

もう一つ、昔よく取材させてもらった八王子中屋ジムの中屋会長(今は会長職を息子に譲られ、チーフトレーナーをされているそうです。)と再会できたことです。中屋会長もといチーフトレーナーはたぶん私のことは覚えてなかったと思いますけど(笑)

 

中屋CTから「うちの選手が湯場の息子との試合に勝ったんだよ。」とボクシング雑誌を開きながら見せてくれました。自己紹介を軽くして多少覚えていて下さったのか、私が知っている時代にそった説明をしてくれました(^^)。昔、湯場忠志というハーンズみたいな体格をしたスケールのあるボクシングをする選手がいたのです。カッコいいので好きでしたね。

 

中屋CTが会長職を離れていたり、ボクサーも自分が知っている往年の選手の息子たちが活躍する時代になっていて「次世代に移っているんだなぁ」としみじみ感じましたね。代わり映えのない自分が少々情けない気もしましたが、屈託なく笑えている自分も幸せ者であろうなとも思うのでした(^^)。

 

ジムの片隅にはWBOのベルトが飾られてました。ぜひ海外の指名試合を乗り切ってハクをつけて国内で防衛戦を行ってほしいですね!近年はボクシングを全くみてませんでしたが(先日のオリンピックで少しだけ見ました)、ちょくちょく見るようにしてみようかと思いました。

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