タイトルのような課題で、レポート課題が薬学概論の佐藤先生から出たので書いた。


概論の講義を参考にして書け、とか言われたけど、あまり出てないし、出てもほとんど寝てるのでどうしようもない。講義の記憶がない。だから薬学部に入って半年間経った今、なんとなく思ってることを素直に書いた。

そんなわけでだいぶイレギュラーな視点からの考察になった。


というわけで、堅い文章ということもあり、前々から思いのたけをブチまけつづけていたこのブログのほうで公開してみたいと思う。何か意見があれば、コメントしてくれると嬉しい。



ちなみに、

コピーライトは全部俺だ。全部自作文章だ。コピーするなよ。

コピペでしかレポート書かないor書けない人は、反省しなさい!そして自分で書け!


特にそこ!

彼氏のレポートを代わりに書いてあげて喜んでるそこのオマエ!そう、ネットで文章探してコピペでつなげて、自分と彼氏の二人分もレポート作って喜んでいるオマエのことだよ!せめてレポートは自分で書け。反省しろ!


~~~~~ではここから。長いよォォォ~~~~~~~~~



薬学は、生物としてのヒトに対する化学物質の作用を研究し、ヒトの病気の治療に役立つ化学物質を探し出すか合成することで、治療に十分な量を生産・供給することを最終目的とする。


ヒトの体内で起きる反応については化学・生物学を、また、薬となる化学物質そのものの性質を調べるためには物理学を用いる。そして、新薬開発のための研究開発費が等比級数的に増え続けている昨今では、薬が市場の中でどのように扱われるかという経済学的視点までもが求められている。


したがって薬学は総合的な学問領域である。




 薬学は理学と違って元来が実用科学であることから、薬学という学問は、研究する者の知的好奇心を満足させるだけに終わってはいけないと私は考える。


薬学は何らかの形で社会全体に利益のある結果を出さねばならない。つまりそれは、薬学領域ではよりよい薬を作ろうとする熱心な研究者を養成することはもとより、過去に作られた、効果はまちまちでも安価な薬を社会貧困層にまでしっかり流通させる活動や、薬に関係する法律をよりよい形に改善していく活動に携わる活動家・政治家・官僚を輩出することなどが求められるということである。


農学は人間以外の動植物を何から何まで扱う広域学問であるが、薬学には医学から薬学、生物学、薬品経済学、法学まで、人間に関するすべてを扱う広域学問になっていくことを期待したい。




 現在の薬学は、農学や工学、理学、教養の広域科学と連携し、多様性のある研究ができる環境が整っている。今後もこの連携・相互乗り入れは続き、生物科学としての薬学は他の分野、特に、動植物についての研究や工学の研究との相乗効果で面白い成果がこの先ずっと出続けるだろう。


逆に、薬学が農学を始めとする他の分野に対して、新しい視点を提供したり、研究成果を還元したりするなどして刺激し続けることもまた確かである。




 それに比べ、文科系との連携はどうだろうか。たしかに薬品についての経済学についての研究や、研究成果を事業につなげていこうとする研究がある。


だが、それらは東京大学の薬学部以外では、あまり目立っていない、関心を呼んでいないように思われる。それに、日本にある大多数の私立大学の薬学部では、薬剤師国家試験に合格することに主眼が置かれており、それらの学生が薬学部学生の大多数を占めるため、世間からはどうしても薬学=薬剤師と見られてしまいがちで、文科系とのつながりはまったく見えてこない。


薬は、貨幣と同じように、価値と兌換される物であると主張する以上は、法学や経済学に対して無関心を決め込むことは出来ないのであり、世に出回った薬を取り巻く環境を扱うそれらの文科系学問領域には、むしろ積極的に関わっていく姿勢が求められるはずである。



 私は特に、法律を扱う政治家・官僚の輩出が急務であると考える。薬品の扱いについては薬事法その他の法律で細かく決められているが、それらのルールを作っているのは、多くが薬学部出身者ではなく、文科系の者たちである。薬について正しく理解するためには薬学を学ばねばならない。


だが、薬学は上に述べたように理科系の中でも総合的学問領域であり、他の分野、特に文科系の者にとっては正しい理解を得ることが難しい。さらに彼らはどうしても過去の薬害事件の反省から薬品については危険性ばかりが目に付くらしく、ひたすら厳しく規制する姿勢をとる。日本では新薬の開発がやりにくいとは昔から言われてきたことである。


法律を扱う者が薬学を学ぶのが難しいというのであれば、薬学を学んだ者が法律を学び、法律を作り改正する立場になるしかないではないか。


特に、私が気になるのは、医師免許を持った政治家が多い中、薬剤師免許を持った政治家が少ないことである。薬学という学問領域を発展させていくためには、法律による適度な規制が必要である。緩すぎれば薬学は生命を扱うその性質上たやすく西洋倫理的禁忌に踏み込んでしまうだろうし、厳しすぎれば学問領域の発展そのものが阻害される。


適度な規制のためには薬学について正しい見識を持った者が規制を作る立場にいなければならない。



 薬についての経済や流通の現状についてもまだまだ改善すべき余地が多く残っている。


日本は国民皆保険制のもと、誰でも新しく承認された薬を比較的安価な値段で使うことが出来る。だが、これは日本だけが特殊なのであり、他国を見ればとても芳しい状況とは言えない。


アメリカ合衆国でさえも、危険性が少なく効き目が強い薬を使うことが出来るのは一部の富裕層だけであり、保険に入れないような貧困層はどこがどう痛くてもアスピリンで済まされる現状である。現在日本で1年間に飲まれるアスピリンが300トンであるのに対し、人口が日本の2倍強のアメリカ合衆国で1年間に飲まれるアスピリンは1万6千トン、200億錠にも達している。


アスピリンよりも副作用の小さいセレコキシブなどが開発されているにもかかわらず、それらは一部の人々に独占的に使われ、今もアスピリンがこれほど大量に飲まれている。よりよい薬が開発されるだけ開発されても、その後の流通については富裕層しかターゲットにしていないのは明らかである。特許切れの薬の流通などについては、適切な場所に適切な薬を、という見地から見れば明らかに手抜きされている。


「育薬」が声高に叫ばれる中、そもそも開発された薬が社会全体に流通しない状況が改善されずに残る理由はない。薬は少量で生命に多大な影響を与える物質であるから、薬の流通には当然、服薬指導など、薬学を学んだ者にしかできない業務が付随する。


したがって、これまでに開発した薬をいかにして社会の隅々まで「適薬適所」で流通させるか、ということもまたこれからの薬学が積極的に扱うべき領域である。




 以上、薬学にこれまで不足していたと思われる点について述べてきた。


一方で薬学そのものの歴史に目を向ければ、日本の薬学は当初から有機化学と分析に主眼が置かれ、その歴史は日本の有機化学の歴史でもある。したがって薬学には、これまで足りなかった視点を取り入れながらも、やはり有機化学の拠点としての研究成果をあげ続けることが期待される。


これまで薬といえば低分子が主だったが、これからの薬は、特に抗体をモデルとして高分子化され、また遺伝子工学の援用によって、選択性の飛躍的向上が図られていく。


そこではさまざまな学問の協力が必要である。薬学がさまざまな学問の成果を集約し、ひとつ上の次元でそれらを統合する学問領域に発展することを期待する。

やっぱり閉鎖しません!


ミクシイ日記で書くとうっとおしいようなことは引き続きこっちで書いていこうと思います。ということでよろしく!

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9月10日から、

なるべくただの小説は読まないで、ちくま新書とか中公新書、新潮新書を中心に読んでいこう、

国際問題、政治、経済、環境、科学・・・と幅広いジャンルで読書しよう、

という方向で「独り読書マラソン」を孤独に頑張ってるんだけど、昨日でとりあえず30冊達成。


9月時点に比べて教養はついてきただろうか。

水瓶からダバダバ零れ落ちていく記憶を一分一秒でも長く押し留めたいと強く願うのだけれど、コレはやっぱり脳ミソの限界、詮無いことだ。しかしそれにしてもこの頃物忘れがヒドイ。

記憶力の衰えをしみじみ実感中。チャーリーみたい。




できるのはただ、ひたすら読んでひたすらインプットし続けていくだけ。どれだけ長期記憶として残るのやら。

ああ無常。


あと70冊。2006年中には完了したい。