2004年から始めたブログ。結婚して、セックスレスで悩んで、不妊治療して、不倫して、離婚して、再婚して、波乱万丈な私の人生は、愛とセックスを追い求めた結果。なんと現在3児の母で海外生活3年目。仕事もセックスも子育ても夫婦関係も、全て全力で頑張ってます!
彼とのセックスレスで悩んでいた私。。。
そんな彼から突然プロポーズされ、
ついに結婚式を挙げました!
セックスレスに旦那の借金など悩みはつきません。。。
現在、不妊治療を始めて2年半
人工授精にて妊娠したものの
2度の悲しい流産を経験し、やっとの思いで妊娠・出産しました。
これでやっと人生順調!と思ったら
今度は、高校の同級生に告られ、心は揺れてしまいました。。。
結婚生活はどうなる?子供は?旦那は?
いったい何が人生の幸せなんだろう???
愛とセックスを真剣に考えるブログです。
翌朝、友人たちの声の中で私は、二日酔いの身体を起こして、頭を抱えた。(あ~~~、やっちまった~~~!!!)気軽な独身時代だって、こんなに頭を抱えるような一夜を過ごしたことなどなかった。よりによって、高校の同級生と。。。。どうするの?どうするんだ私??なかったことにできる???私のおかしな行動に気が付いた友人が声を掛けてくれた。「どうしたの、ゆな?」「えっと、、、どうしよう~、、、どうしよ~たぶん、N君と昨日、一瞬だけしちゃった。。。」「え~~!!!」それから、朝食会場へ行った私たちは、まんまと、N君と顔を合わすことなり、私は、彼の顔をちゃんと見られなかった。だから、朝食時にどんなだったかは分からないけど同窓会は、この朝食をもって自動解散という事になっていてN君は、後輩の女の子を車に乗せて、何事もなかったように、帰っていった。あれは、まさか夢???そうか、あれは夢だったんだ!何も無かったことにしよう!旦那には、、、どうしよう。。。。私は、優しい旦那を裏切った。どんな顔で帰れば良い?家は帰る車の中で、私は自答自問を繰り返しつつ旦那が待っている家にこのまま着かなければ良いのに、、、と、初めて旦那を裏切った罪悪感と戦っていた。。。。もちろん、なかった事になんて出来ない。自分の選択で、N君の告白に答えたのだから。。。。彼は、本気なのか???でも、そもそも私はN君のことを果たして好きなのか?これから、私、どうなるんだろう?罪悪感と底知れる不安で、私は自分自身、どうしたら良いかちっとも分らなかった。。。
部屋に戻ると、宴会はすっかりお開きモードで部屋には数人が残っているだけだった。さっきのは、何だったんだろう?と思う気持ちで私の心はドキドキだったけどN君は、部屋に戻ると何もなかったように普通で例の後輩のところへ行ってしまった。部屋の飲みもお開きになり、私は、自分の部屋に戻って寝ようとベットに入った時だった。N君からのメールの着信があった。『今から屋上に来られる?ちょっと話がしたい。』私は、ベットに入ってしまったからかこれから起こるべき、二人の関係を察知してか一瞬、返事を躊躇した。『分かった』そう、一言だけ送信して私は、寝ている友人たちを背に屋上へ向かった。「来ないかと思った。」「どうして?」と、私が答えたと同時にN君は私を抱き寄せた。「さっき言ったこと、本気だから。」私は、たぶん彼の胸の中で「うん」と答えたんだと思う。正直、お酒もかなり入って酔っぱらっていたしちゃんと頭が正常に働いていたかと言えばきっと嘘になる。私はN君と、キスをした。何度も何度も。。。。N君とは、もう15年の付き合いで、その間ずっと彼から、ちょっとした好意も感じてたしN君と初めてのキスくらい、まぁいいか(初めてのキスではなかった事が後に判明したけど)お酒に酔っている自分に言い訳している私がきっといた。「ずっと、ずっと考えてたんだ。お前が好きだ。」もともと熱い人だったけど、何度かキスをしているうちにN君はだんだんヒートアップしてきた。「俺、今まで抑えてた気持ちが抑えられない。」「え?なに?え???いや、ダメでしょ。こんなところで。」どんな時も冷静沈着で、きっと私が裸になって抱いて、と言ってもこの人だけは、人妻でいる限り絶対そういうことをしないだろう、と思っていたN君だ。N君の熱い気持ちに、私は戸惑った。彼もお酒が入っているからか私が戸惑っていることもまるで見えていない感じだった。屋上の大きい植木の陰に、私は押し倒された。「一つになりたい。」真剣な眼差しでN君がそういった。一つになりたいって。。。。クサすぎるセリフに思わず吹き出しそうになった。そして、高校時代にもらった熱いラブレターが頭をよぎった。本当に、この人、この熱さ、変わってないなぁ~と思い、なんだか可愛らしくも思えた。絶対にあり得ないことに、私はN君を受け入れて良い思う気持ちになった。そして、私たちは一瞬だけ、そうほんの一瞬だけ一つになった。。。。。
熱海でのお泊り同窓会当日は、初のお泊り同窓会ということでそれはそれは盛り上がった。もともと、一学年60名前後の生徒しかいなくさらに、その人数で全寮制となれば卒業してから何年経っても、みんなと会えば例えそれが学年を超えてたとしても、高校時代と同じ、独特の雰囲気が流れるのだ。N君とは、同窓会の下見に行った後もこれと言って特別に連絡を取り合うわけでもなかった。ただ、ゴルフコンペが朝早かったので希望者は、前泊も可能にしていて前泊はどうする?とのやり取りを一度しただけだった。私たちは幹事だったので、じゃあ前泊しようかと、いう話になったのだけど同期の友達と後輩の女の子も一緒に前泊をするとのことで、4人で前泊をすることになった。N君が、その後輩の女の子と一緒の車で来ると聞いていたし、何かとその後輩といつも一緒にいるので私は、すっかりN君はその後輩狙いなんだと思っていた。だから、その後輩と一緒に温泉に入った時などに私は、ものすごく彼女にN君をお勧めしたのだった。N君みたいな『良い奴』は、本心から幸せになって欲しいと思っていたし、N君の恋を応援したいと思ったからだ。それなのに、嵐のような出来事は突然やってきた。ゴルフコンペもホテルでの懇親会も無事に終わり部屋飲みへと移っていった。大量に買い込んでいたお酒も夜中の1時をまわる頃にはすっかり底をつき始めてた。私も、初めて子供を実家に預けて参加していたのでそれなりに、心置きなくお酒を楽しめていたけど幹事だったので、お酒が残りわずかであることが気になった。ホテルを出て5分足らずでコンビニがあることを知っていたし久しぶりのお酒に酔っていたことも自覚しており酔い冷ましにサクッと買出しに行こうと思い部屋を出たのだった。N君はと言うと、例の後輩とずっとベランダで話していた。良い雰囲気そうな二人の姿が微笑ましくも思え私はとっても満足だった。ホテルの坂を一人、海風が気持ちいいなぁ~と下りつつ歩いていたら、後ろから声がした。振り向くと、そこにN君がいた。「おい、一人で何やってるんだよ!」「え?買出しだけど。」「こんな時間に一人で出歩いたら危ないだろう!」「いやいや、ここ国道沿いだし、明るいし、コンビニすぐそこだから大丈夫だよ。」「荷物だってあるし、俺も一緒に行くよ。」そう言って、N君は買出しに付き合ってくれた。適当にお酒を買い足して、私たちはすぐにホテルに戻った。帰り道、お酒で酔っぱらっていた私はかなりルンルン気分で、ビニール袋をブンブン振り回していた。そして、途中からN君と手を繋いでいた。私にとっては、特別なことではなくお酒がはいってルンルン気分の時に、仲良しの同級生と手を繋ぐことはしばしばあったので友情としてのお手手つなぎのつもりだった。ホテルに着く直前、N君が突然立ち止まった。グイッと私を引き寄せると、突然キスをした。??? ん ???それから、私をギューっときつくきつく抱きしめた。一瞬、?が頭をよぎったけどお酒が回っていたせいか、なんだか安心感があった。そして、N君が私の目をジッと見つめながらこう言った。「お前、今幸せなのか?」「、、、、、、、。。」突然、今幸せか?と聞かれて私は『幸せだよ』とはとても即答できなかった。いつもいつも旦那との関係に、私の人生はこれでいいのか?女性として愛される幸せはもうなくていいのか?そうやって、いつも自答自問を繰り返いしていたから。。。すると、N君はこう続けた。「俺だったら、お前も、シーちゃん(私の子供)も幸せにできる。」真剣な眼差しで、静かにこう言った。私は、心の中で、きっとそうだろうなぁ。と思った。素直にそうだろう、と思った。でも、私は何も言えなかった。ただ、真っ暗闇の中で波の音だけが聞こえまるで夢の中にいるような、そんな感じだった。私たちの沈黙を打ち消すように突然N君の携帯が鳴った。例の後輩からの心配の電話だった。私たちは、ハッと我に返り部屋に戻ったのだった。静かに二人、手を繋ぎながら。。。。続く。。。。
同窓会で初のお泊り&ゴルフコンペを企画することになった。この企画は、元校長や元教員の方々も参加する予定で参加人数も多かったので、幹事あった私とN君は実際の会場となる熱海のホテルとゴルフ場へ日帰りの下見に行った。もちろん、旦那にはそのことを告げてあったし1歳ちょっとの息子も連れて行くことになっていたのでこれっぽっちも、浮ついた気持ちはなかった。ただ、驚いたのは1歳ちょっとになる息子が、どういうわけか私ではなく、N君に抱っこをせがんでいたことだ。ゴルフ場からホテルへ向かう山道で息子が嘔吐してしまい、着替えを近くのショッピングセンターで買う時もずっとN君が息子を抱っこしてくれていて店員さんに、「パパに抱っこいいね~。」と言われるほどだった。へ~、N君と夫婦に見えるんだぁ~と、あまりに身近でありえなくてなんだか可笑しい気分になった。けれでも実際はおそらく、どこから見ても私たちは仲良しな家族に見えたんだろう。一日一緒にN君といたけど恋人同士のような甘い雰囲気にはもちろん一度もならなかったし、N君が私に特別な感情を抱いていたとはこの時には少しも感じなかった。。。衝撃のお泊り同窓会の1週間~10日ほど前の話。
あまりに真実すぎて、 ブログ更新を躊躇っていたけど 現在が、あまりにも幸せな結婚生活を 過ごせているので、夫婦関係で悩んでいる方の 参考になれば、、、との気持ちで ブログを再開しようかと考えている。 3年以上、ブログを放置していたのにも関わらず 毎日、毎日500人以上の方が読んでくださっている事実はやはり、愛とセックスについて本気で悩んでいる人が多いって証なのではないだろうか?そんな気持ちも、再開のきっかけになった。現在の私はと言うと、、、『旦那』だった夫と離婚し、N君と再婚した。それも、かなりドロドロでドラマ以上の現実があったのだ。それは、追って書きたいと思う。そして、新しい夫との間に9カ月の男の子がいて更に、お腹に3か月になる赤ちゃんがいる。秋には3児の母になる予定だ。あれだけ不妊治療で苦しんだのに。。。。これも夫婦の相性なのか!?それとも、週5~6回もの夫婦の営みの成果か??簡単な報告まで。。。あまりに時間が経過してしまったのでどんな風に伝えられるか微妙だけど離婚から再婚までの話は、また後日。。。
その後、N君とは、まったく何もなかった。アブダビに転勤になった同級生が帰国した時にその子と3人で飲んだけど、その帰りに3人で彼の西麻布の家に寄って彼女の写真を見せてもらったほど。スラッとした美人さんだった。帰り際に、N君と握手をした。「本当に幸せになれよ。」と言って、私の手をなかなか放してくれなかった。けど、あの握手は友人として、お互いの幸せを願う握手だった。その後、私は赤ちゃんを産んで幸せの絶頂期にいるはずだった。だけど、実際はシー君を産んでからは夫婦喧嘩が絶えなくなっていた。何事も大丈夫♪の精神で大雑把な私の性格と小さいことも説明書通りじゃないと気が済まない旦那との子育ては、何をするにもお互い譲れず本当に小さなことで、すぐに言い合いになった。もちろん、セックスも全くと言っていいほどなかった。7月7日の入籍記念日にもセックスはしなかったし、旦那の誕生日にも、ちっともそう言う雰囲気にならなかったし、秋になった10月10日の結婚記念日には、私の方もすっかり旦那とセックスがしないとは思わなくなっていた。シー君が1歳になるか、ならないかの時期また、N君から連絡があった。同窓会の役員をやってくれないか、との相談だった。私たちが行っていた高校は、数年前に廃校になった。円安と同時多発テロの影響で、アメリカの全寮制の学校に子供を通わせても良いと思う親が激減したかららしい。とっても素晴らしい学校だったから、本当に残念だった。N君は、その学校の同窓会の副会長をしていた。廃校になると決まった時に、元担任の先生から頼まれたらしい。私の同期の役員をやっていた子が、結婚して地方に引っ越し、その代りをしてとのことだった。聞けば、年に一度集まる程度のことだと言うのでとりあえず、私は引き受けた。それからは、月に数度は連絡を取るようになった。同窓会主催のゴルフコンペの企画を私が引き受けることになったからだ。その打合せと称した飲み会をした時、N君が彼女と別れたことを聞いた。私は、その数日前に、旦那と大喧嘩をしていた。初めて、頭の中に『離婚』の文字が浮かんだ最初の喧嘩だったかもしれない。でも、離婚しても、再婚できる保証はどこにもないし、大体、子連れで再婚がどれほど難しいことか私にだって分かっていた。でも、残りまだまだ半分以上ある人生このまま、女として枯れていていいのか?セックスや本当の愛で満たされることはもうなくて良いのだろうか?夫婦って、こうして我慢して、ただの家族になっていくのが普通のことなのだろう?喧嘩がきっかけで、私の気持ちはいつも悶々としていた。仲直りしていた私は、なんだか少し複雑だったけど私も、このこと(旦那と今は仲良くしていること)をN君に話した。N君は、「え、そうだったの?そうだったんだ。。。今度、もし本当に離婚を考えた時は、ちゃんと俺に相談して。」とても、真剣にN君は私に言った。その帰り、また帰り際にN君は私の手を取って握手した。いつものように爽やかな笑顔だったけど、なんだか、その握手からはN君の言いだせない心の奥の声のようなものが、、、私には何となく伝わっていた。衝撃の同窓会の半年前の話し。。。
それから数週間後に、毎年恒例の忘年会で再会した。そこでのN君の態度は、いたって普通だった。あ、きっとあの日は酔ってたんだなぁ。と私も何事もなかったように、普通にしていた。けれども忘年会の終盤で、私たちは隣同士になった。もちろん、私はその時にはすっかりこの間のメールことなど忘れていた。周りの数人とたわいのない会話で盛り上がる。と、、、、、私の手にN君の手が少しだけ重なった。あまりにも自然だったから、この手をどけたらいいのか、どうしたらいいか良く分からなくなっていた。ほんの数分だったけど、N君は手をどけようとはしなかった。けど、私を見るわけでもないし私に色目を使っている感じでもなく何をN君が考えているのか、私にはサッパリ分からなった。もしかしたら、ただ偶然手が重なっていただけのことを私が、勝手に意識し過ぎていたのかもしれない。こんなことがあったけど、N君から毎日、メールが来るわけでもないし電話が来るわけでもなくただ、ありきたりの『忘年会、お疲れ様』のメールが送信されただけだった。ただ、私はなんだかモヤモヤした気持ちが残っていた。その話を、飲みに行った、仲良しの幼なじみ達に話した。どういう会話の流れだったか忘れてしまったけど「ちょっと電話してみなよ。」と幼なじみに言われ、一度だけ私から電話をしたことがある。N君の実家は、20店舗ほどの居酒屋を経営しているのだけどちょうど、二子玉川にあるN君の居酒屋で高校の同級生たち(メンズ)と飲んでいるところだった。私たちは本当は上野で飲んでいたのだけど私は、なぜか渋谷にいるとN君に言っていた。思惑通り、N君は近くだからおいでよ。と言ってくれ、私は幼なじみを連れて二子玉川までN君に会いに行った。とことん面倒くさがりの私が、電車で男に会いに行くなどよっぽどのことがない限りしないことだ。でも、その時は、このモヤモヤの正体を突き止めたかった。けれど、やっぱり私の中のこのモヤモヤが何かは分からなった。単に、この単調な結婚生活から少しのトキメキが欲しかっただけなのかもしれない。自分が女でいることを忘れない為に。。。帰りに、酒の飲めない同級生に車で送ってもらっただけどその車で、またまた手が少し重なった。驚いたのは、友達がガソリンを入れている時に車のエンジンを切ったら、隣のN君からドックンドックン、と心臓の音が聞こえてきたこと。あ、手が重なってるの、この人知ってるんだ。私は、その音で初めてこれが確信犯であることを知った。でも、やっぱりその後も特別な連絡はN君からはなかった。そりゃ、そうか、、、私、、、人妻だもの。。。逆に、連絡があってもきっと私は困っていただろう。それに、N君の性格から、不倫なんて考えられないもの。まぁ、こんなほんのり恋心も良いのかもしれない。たまには、自分が女であることを自覚したから。。。。それから数カ月後、、、、久しぶりにN君から友人の結婚式についての電話があった。私は、3年半の不妊治療の末、ようやく赤ちゃんができたことが分かったころだった。そのことを話すと、N君もようやく次の彼女ができたよ、と話してくれた。「本当、お互いこれで良かったな。ちゃんと、幸せになれよ。」ちょっと意味ありげにN君は言った。本当に良かった。本当にお互いちゃんと幸せになろう。この時は、本当にそう思ったし、そうなれると信じてた。。。
あれは、私が子宮外妊娠の手術をしたちょっと後のことだったと思う。突然、久しぶりにN君からメールが来た。「聞いたよ。大変だったみたいだね。時間がある時に電話できたらして。」ちょうど車の運転の休憩中だったからすぐに私は掛けてみた。「久しぶり、どうしたの?」「いや、なんかユナが手術をして大変だったって聞いたから。。」15分くらいの、普通の電話だった。「今後、久しぶりに飯でも食いに行こうよ。」「いいね~。」こんな会話から、トントン拍子に10年ぶり位で二人で食事に行くことになった。お店なんかは、N君にお任せだった。どうせ、その辺りの居酒屋かなんかだろうと思ってたから私はジプシー調のロングスカートにTシャツというラフな格好で行った。N君は、仕事帰りということでスーツだった。初めてじゃないけど、久しぶりにスーツ姿であったN君はキリッとしてて、素敵に見えたからああ、幸せでやってるんだなぁ、と安心した。お店の前に着くと、私はアレッ?と思った。赤坂にある、敷居の高そうな料亭風の個室懐石のお店だった。「ちょっと~、こういうお店なら、初めから言ってよ!普段着で来ちゃったじゃない!」私は、少しだけムカっとした。だって、失礼じゃない?ちゃんとしたお店に行くなら、それなりの格好で行きたかったから。「いや、だってユナの家、成田だろ?ここのお店は22:30までだから、絶対このお店なら、ちゃんと帰れると思って。」そんな風に、ちゃんと考えてくれてるのが嬉しかった。もちろん、その日は、ちゃんと旦那に話していて実家に泊まる予定だったから、私は終電のことなどちっとも頭にはなかったのだけど。。。私たちは、10年の分の話をした。高校の時に、私を好きだったこと。私の結婚式の後に、彼女の待つ家に帰れなったこと。結婚式で幸せそうな私を見て、複雑に思ったこと。日本酒のソムリエの資格を取ったこと。10年付き会った彼女と別れたこと。私に子供がなかな出来ず、不妊治療してること。旦那との価値観のズレについて。本当に、美味しい食事とお酒、楽しい会話で時間はアッと言う間に過ぎてしまった。いつの間にか会計も済んでいた。ご馳走になるつもりなんて、これっぽっちもなかったから2件目は私が出すから、と近くのバーに入った。そこでも、私たちの会話が途絶えることはなく懐かしい話しに話がはずんだ。2件目を出た後、なんとなく手が触れた。と、思うとN君は突然タクシーを止めて「お前、今日はもうこれに乗って帰れ。」と半ば無理矢理タクシーに乗せられた。????意味不明のままタクシーに乗せられた私はえ?何~???って感じだった。いや、まだ実感までの終電あるし。。。。けど、とりあえず、そのままタクシーで実家に戻ることにした。タクシーに乗ったら、すぐにN君からメールが来た。『突然帰しちゃってごめん。これ以上、一緒にいたら、帰したくないって思いで自分を抑えられなくなりそうだったから。今日は、本当に楽しかった、ありがとう。』このメールにも私は驚いた。やっぱりN君は紳士だなぁ~。と思いつつ、まだそんな対象でいた自分にも嬉しかった。N君、昔とは比べられない位、素敵な男になったなぁ~。おしいことしかかなぁ~?まぁ、私には旦那がいるし、N君との仲が進展するなんて、ありえないでしょ~。なんて、かる~く考えていたのだった。。。でも、きっとこのお食事会が、私がN君を男と意識した最初だったのかもしれない。。。
あの同窓会が10月だから、もう9カ月も経ってしまった。。。この9カ月は、私の人生でもっとも激動な数カ月だった。ありえないことがたくさん起こってしまった。。。ちなみに明日7月7日、七夕入籍した私は、七夕離婚します。まぁ、そのうち記事にしよう。話を戻して、、、、あの真面目で熱血のN君からの突然の告白に、私はただただ驚いた。N君について少し話しておこう。実は、N君からは高校1年の時に好きだと言われたことがあった。なんとなく付き合うことになったけど、熱血すぎたのと、強烈なラブレターに引いてしまい長期休暇で寮を離れたことをいいことになんとなく、友達に戻っていた。期間は1週間位だったと思うから、こんなのは付きあったうちには入らないのかもしれないけど。。。これは、つい最近彼から聞いて思い出したのけど高校3年の時も、私は彼から告られていた。当時、日本に皆で帰国していた時の飲み会の帰りで、ベロンベロンに酔っていた私は、その時も軽くかわしたらしい。すっかり忘れていたけど、その時に私は彼とキスをしたらしい。彼にとってはファーストキスだったそうだ。はっきり言って、言われるまですっかり忘れていた。。。まぁ、彼のことをその程度しか意識していなかった男だったのだ。高校生の頃のN君は、熱血のサッカー野郎で正直、オシャレとは縁遠い、汗臭い男だった。勉強もできたし、どちらかと言うと真面目なタイプ。高校1年の時から、停学を繰り返し、いつ退学になってもおかしくなかった私とは正反対のタイプだった。その頃のチャラコ私が、彼の魅力を分かるはずもなかった。そんなことがあっても、私たちは友達として仲良しだった。「俺とお前は親友だからな。」とN君は言っていたし、私も大切な友人だと思っていた。いや、本当は、心のどこかでは、彼が私のことをまだ好きかも知れないと思っていたのもしれない。それなのに、大学1年の終わりに彼女ができて突然、彼から呼び出され「彼女がユナと会うと嫌がるから、もう二人では会えない。」と、一方的に親友解除の申し出をされたのだった。へ~、男と女の友情はこんなもんか、と、思い知らされた瞬間だった。結局、N君はその彼女と10年間も付き合っていた。同棲もしていたし、その彼女をとてもたいせつにしていたしN君にはその10年間、浮いた話の一つもなかった。たぶん、落ち着いたら彼女と結婚するよ、とも言っていた。いつだったか、N君からその彼女が初めてのSEXをした相手だと聞いた時だったと思うけど、私が「え~、1人の女しかしらないでいいの?」と聞いたら「1人しか知らなくて、それで満足だったらこれほど幸せなことはないだろう?」ってサラっと言った。こんな男が世の中に存在するのか?本当か??と、半信半疑だったけど彼の行動を何年も見ていた私は、こう言う男が1万人位に1人くらいはいるのだろう、との結論に達したのだった。きっとN君と結婚する女性は幸せだろうなと、思っていたし、N君を好きになれなかった自分に対し好きになれたなぁ、逃した魚はでかかったなぁなんて思ったりもしていた。もちろん、異性として特別な感情を持ってはいなかったけど同窓会などで年に数回会う時は、やっぱり私たちは良く隣同士になったしなんとなく、深い意味ではなく仲良しだった。これは、私の推測だったけど彼女が一番大事だけど、きっと私はその次くらいに彼にとっては特別な存在なのかもしれないとN君の態度や言葉尻を拾って思っていた。もちろん、私にとってもN君は特別だった。なんて言っても1万人に1人の男だから。続く。。。。。。。
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ED=勃起不全旦那がEDになったのは、いつ頃からだっただろう?確か、結婚してから借金が発覚した頃からチン○の立ちは微妙だった。。。借金の事実を自分から言わせようと思い隠している事を言いなさい、と問い詰めたら「昨日、風俗に行ったこと?」と、全く想像していなかった答えを自ら白状してしまったその理由も、「最近、チン○が立たないから、他の人で確かめた。。。」とのことだった。だから、既に結婚2年目には旦那はEDだったことになる。まぁ、あの頃は、そんな言い訳ももっともらしく聞こえたので、信じてしまったけど今なら、そんな訳ないだろう!と、ビシッと言えるだろう。自分の奥さんとのセックスじゃ、立たない、と言う、男の人が実は結構多いということを私が知ったのは2、3年前のこと。同じ相手、同じシチュエーションでは気持ちが盛り上がらない、と言うことだろうか?若くてスタイル抜群の可愛い風俗嬢が相手なら普段は、顎がガクガクになるほど奉仕しないと挿入まで持ち込めない旦那のあそこも何もしなくてもビンビンになっているのだろう。じゃ、なかったらまだ携帯をアイフォンに替えて2週間しか経っていないのに早速、履歴に『ソープランド』の文字が浮かび上がって来るはずもない。。。今となっては、もうそんな事実もどうでもいいことだが。。。
子供が生まれてからほとんど更新してなかった。。。現在、子供は1歳5ヶ月になった。一番可愛い時期かもしれない。もちろん、旦那も可愛がってくれるけど、子供が生まれてから、旦那と喧嘩がたえないのだ。旦那とセックス?そんなもの、とっくに忘れちゃった。女32歳、まだまだ女として花咲きたいこの年にこんなんで良いのかなぁ?良い訳がない!愛って何?セックスって何?と思い、このブログを始めたのだが。。。私の愛が少し冷めた理由は、満足なセックスライフが送れなかったと言うことも、きっと理由の一つなんだと思う。もちろん、それだけではないけど。愛があれば全てを乗り越えられると思い親の反対を押し切って結婚した私。愛がなくなってしまったら、この先はどうなるのだろう?本当に、もう愛はなくなってしまったのだろうか?付き合っていた頃のように旦那に対する、何でも許せる気持ちはやがて復活するのだろうか?そんなことばかりを、考えてしまう毎日。。。もちろん、この1年半色々なことがあってこうなってしまったのだけど。
病院へ着いて、受付を済ませると早速、↓LDR室(陣痛、出産、回復までを過ごせる部屋)に通され、病院指定のパジャマやパンツ、ブラジャーに着替えさせられた。部屋を見渡しながら、綺麗で設備が整っているこの病院にして良かったなぁ、なんて考えていた。私の支度が終わると、看護婦さんが来て、母を一度部屋から出した。「じゃあ、浣腸をしますので。」と看護婦さんは、部屋のトイレに私を案内した。看護婦さんの手元を見ると拳大位の巨大浣腸を手に持っていた。こ、こんなに沢山の液体をお尻に入れるの???浣腸初体験の私は、その大きさにビビってしまった。「え?浣腸ですか?」「はい。赤ちゃんの通りが良くなりますので。では、トイレに手を着いて、お尻をこちらに向けて下さい。入れてる最中に、お腹が痛くなるかもしれませんが我慢してくださいね。」私は言われるまま、トイレに手をついてお尻を看護婦さんに向けた。う、あぁ~、お尻から液体が入ってくる。と、思うと同時にお腹がキュルーキュルーと、唸りを上げた。「はい、終わりましたよ。」そう言うと、看護婦さんはトイレが出ていった。私は、1,2,3,4,5と数えもう、無理!!!!!と、急いでトイレに座りこんだ。「はぁぁ~~~、、、、。うぅぅぅぅう~~、、、。」浣腸の威力って本当にすごい。お腹の全てが掃除されたようか気分だった。トイレに座りながら、出産準備段階で、こんなんなのか、と、これから、どんなことになるんだろう?と、不安になってしまった。。。。
陣痛促進剤を使用して出産する私は、7月17日AM8:30までに病院へ来て下さいと病院から言われていた。病院へは、家から車で10分程度で行けるのだけど自分で運転して行くわけにも行かないので母が朝に来てくれることになった。やはり初の出産、母の付き添いはとても心強く嬉しかった。母には、朝8:00までには私の家に来てね、と伝え、前日の電話を切ったのだった。普通は突然、お印があったり、陣痛がきたりで正確な出産日がいつになるか、分からないのだろうからドキドキしつつ、その時が来るのを待つものなのだろうけど私は17日、その日の朝からいよいよ出産だ!と意気込んで、朝6:00には目を覚まし入院の準備や、陣痛時に聴く曲の用意なんかをして母の到着を待っていた。が、、、、、、、、、しかし、、、AM8:00になっても母がやってこない。朝の渋滞にでも巻き込まれたか、と心配になり、携帯に電話をしてみた。「どうしたの?まだ?」「あ、あのね、、、ちょっと、寝坊しちゃって、今さっき急いで出たのよ。」「え?寝坊??8:30までに病院に行かないといけないんだよ。」「電話して、遅れますって言えば平気よ~。」結局、病院へ電話して遅れることを話し、了承してもらえたけどさ。1時間半も遅刻して、病院で受付を済ました私がなんだか恥ずかしかった。っつ~か、娘の出産予定日に寝坊って。。。。親としてどうなのよ~!
7月17日、午後10時57分3120gで、無事(?)男の子を出産しました!こんなのが、自分のお腹の中にいたなんて、、、。入院当日の朝からバタバタして初の出産は、想像以上に痛くて大変だった。産後10日たった今でも傷口は痛むし、赤ちゃんは夜泣きして毎日、本当に大変だけどやっぱり、可愛い我が子を見ているとそういう気持ちが吹き飛ぶから不思議。出産については、いろいろと書きたいことが沢山あるのでまた、明日以降に更新していきます!まずは、報告まで!
先週、妊娠39週目に入って、病院へ行った時のこと。先生から、子宮口が全然開いていない、と言われた。なんでも、身長が150cm未満の人は、骨盤が狭い可能性が高くその場合、胎児が下に降りて来られないから帝王切開になることが良くあるらしい。で、次の診察時に、骨盤のレントゲンを撮って胎児の大きさと、骨盤の大きさを計ることにした。で、予定日2日前の今日、再度診察へ行って来てレントゲンを撮ったのだが、先生から言われたのはこんな微妙な回答だった。「う~ん。今の胎児の大きさならギリギリだな。まぁ、おそらく通ると思うけど。。。」「え?ギリギリですかぁ~?主人は、安全に出産する事を第一に考えて、と、言ってたのですが、普通分娩で大丈夫ですか?」「まぁ、一度、普通分娩で挑戦してみて、ダメだったら帝王切開に切り替えましょう。」そんな、挑戦だなんて。。。でも、先生がそう言っているものを反対することも、出来ないような雰囲気だった。「え~、予定日は、明後日か。あんまり、胎児を大きくできないから、予定日過ぎて3日待って、21日までに陣痛が来なかったら陣痛促進剤を使ってみましょう。」話しが変わってしまうけど、実は、今、母方の祖母(96歳)が危篤状態なのだ。もう危篤になって10日ほど経つ。意識がなくなってしまって、半年以上。。。ついに、この8日間は、栄養剤を入れていた点滴も入らなくなってしまい、現在は水だけで生きている。私がグレて、親に心配を掛けていた時期もこの祖母だけは、いつも私のことを「この子は絶対、大丈夫だっぺ~。」と、いつも私を信じてくれた唯一の人だった。そんな大好きな、おばあちゃん。今の私の一番の気がかりは、もしかしたら、そんな祖母に最後のお別れが出来ないかもしれないってこと。親戚一同、すでに心の準備はできているのだけど、平日に、祖母のお葬式と出産が重なると、私の出産に付き添いがいなくなる可能性がある。先生にそのこと告げると、帝王切開に切り替えた場合、手術の同意書が必要だからそれはまずい、と言うことで急遽、明日から入院し、陣痛促進剤を使って出産しましょう、と、話しがトントンと進んでしまった。なんだか、出産ってお印があって陣痛が起こって、破水して、、、そうやって、順序よく進んで行くもんだと思っていたからなんだか、明日、出産です。と突然言われても、いまいち実感がない。でも、、、、、下から産んでも上から産んでもどんな順番だって、きっと、どっちにしても、痛いのは変わらないだろう、と心を決めて、明日、赤ちゃんを産んできます!!でも、やっぱり恐いよ~。。。。
予定日まで、あと23日!私のお腹は一気に膨らんでついに、下腹部に妊娠線らしいバリバリの傷まで出来てしまった。子宮外妊娠をした時の傷と、今回の出産による傷でもう、若い綺麗な体ではないなぁ~と、自分の裸を見つつ、もう誰も私を抱きたいとは思わないだろうか?と、そんなことをふと考えてしまう。。。それでも、順調に赤ちゃんがお腹で育っていることを嬉しくドスン、ゴロンと動く、自分のお腹が愛おしい。お腹が大きくて、日常生活を送るにも支障が無いわけではない。歩けば息切れをするし、様々な家事をするにもお腹が邪魔で、思うように動けない、お腹が張る。初めての出産だから、もちろん出産に対する不安もある。経験したことの無い、陣痛の痛みや恐怖の会陰切開。どんな痛みなんだろう~と想像しただけで、尻込みしたくなる。自分自身に、どんな弱虫な女だって経験してるんだから私が耐えられない訳ない!と言い聞かせることで、その不安を吹き飛ばそうとするのが精一杯である。そんな、恐怖心を少しでも和らげ出産時にリラックスが出来ればと思い、私は自分のお気に入りのリラックスソングCDを作る事にした。おむつのCMで使われているマユミーヌの『ほしのかずだけ』かりゆし58『アンマー』、Metis『母賛歌』、GREEEN『父母唄』等。作りながら、それらの曲を聴いていたら不思議と涙が止まらなくなった。私は、普段の生活の中で、親がどれだけ自分を愛しているかなどと言うことは、あまり考えて生きてない。思春期の頃は、両親を憎み、この世からいなくなればいいとさえ思っていた事もある。学校や時には警察からも呼び出され心配ばかり掛けていた。それでも、私の両親は私を見放さず、見守っていてくれた。ああ、私って本当に両親から愛されて育ってきたなぁ。と、改めて感じることができたのだ。母の性格からすると、私は4人目だから、私が生まれた時も、たいした感動も無くポン!と私を産んでたのかもしれない、と思う気持ちもなくは無いが、、、いや、いや、そんなはずは無い。あのエネルギッシュすぎる母が、10ヶ月も安静にして(?)お腹の中で私を育ててくれたのだ。その事実が本当に嬉しく、感謝している。私を産んでくれて、本当にありがとう!!!と初めて、自分が母親になる間際に素直に両親に伝えたくなった。
前回の更新から早1ヶ月。。。楽しみにしていた、私の誕生日セックスはやっぱり、旦那の言い訳によって延期されてしまった。次の休みは、GWだったのだが、今年のGWは、私の家族総出(7人)で沖縄旅行へ行ってきた。もちろん、親のスポンサー付きで。。。ANA系列のラグナガーデンホテルへ宿泊したのだが、部屋が和室スイート(12畳+8畳の和室)で、全員同じ部屋だったので、当然旦那とセックスが出来るような状態ではなかった。この、沖縄旅行、食べに食べた旅行で、妊娠中の私は、便秘薬を飲めずもともと、便秘持ちの私は、食べた分を排出することが出来なかった。5日間の旅行が終わり、家に帰るとパンパンに張ってしまったお腹が、急に痛くなった。夜中、お腹が痛くて目が覚めた。キュルキュルキュル~、と言う音が聞こえ、私は急いでトイレに駆け込んだ。妊婦になって、初めての下痢だった。。。用を足した後も、なんだか痛かった。翌朝、何故かお尻が痛いことに気が付いた。シャワーを浴びながら、お尻を恐る恐る触ってみる。ん??ん????なんじゃこれ????お尻から、ポチッと何かが出ていた。え!? まさか、これが噂に良く聞く 『痔』 と言うものなのか?それからの数日間は、本当に地獄だった。座るにしても、立つにしても、歩くにしてもとにかく、何か動作をするごとにお尻が痛むのだ。あまりに私が痛がるものだから、旦那が、心配してこう言った。「両膝付いて、馬の格好してお尻を見せてみろ。」セックス中じゃない、真昼間からアホみたいお尻を 「はい!」 と言って出せるほど、私はまだデリカシーが無いわけではない。渋っている、私に旦那は「恥ずかしがってる場合じゃないだろう!」と言って、私のお尻を確認した。「え?これ、やばいよ。イボから血が出てるし、すぐに病院へ行った方がいい。悪化して、もし、赤ちゃんに何かあったら大変だし。」確かに、尋常じゃない痛みに耐えかね私も、初めて『肛門科』なる病院を訪れた。それにしても、若い女性がが肛門科を訪れるには相当な勇気が必要なのだ。私は、何度もネットから近くの肛門科の情報を探しどんな治療があって、どんな診察を受けるのかを確認した。それでも、やっぱり病院の前を何度か通り過ぎてしまうほど気が引けてならなかった。。。診察室に入ると、そこには熊さんのような体格の良いおじさん先生がいた。「じゃあ、そこに横になってお尻を見せてくれる?あ、これは痔格だね~。妊婦さんは、痔になる人多いんだよ。」そう言うと、先生は、指で突然イボ痔を、私のお尻の中にしまい込もうとした。「あ!ヒィィィィ~!」とあまりの痛さに叫んでしまった。。。結局、イボ痔さんは、私のお尻に戻ることなくとりあえず、薬(座薬)での治療を始める事にした。お尻に自分で薬を入れたことなどない私は、仕方がなく、旦那に入れてもらうことした。両膝、両手を付いて、旦那にお尻を向けて薬を入れてもらう私は、思わず「もう、恥ずかしくてお嫁に行けないから最後まで責任とってね。」と、ボソッと呟いてみた。旦那は、なんだか嬉しそうにそんな姿の私を見て笑っていた。。。
す~かっり、ご無沙汰していた自分のブログ。。。気付けば、4月も半ば。私はと言うと、、、順調に赤ちゃんは育っていて現在、妊娠7ヶ月後半。お腹もぽ~っこり。お腹の中の赤ちゃんは、お腹の中でよく動く。最初に胎動を感じたのは、『20世紀少年 NO.2』を映画館で観ている時だった。「友達」が生き返る場面だったのを良く覚えている。映画にも驚いていたし、勘違いかも、、、と思っていたけど、やっぱりアレが一番最初の胎動だった。旦那とのその後は。。。。まぁ、順調だな。私の性欲は、やっぱり衰えず妊婦になった現在でも、やっぱり旦那と触れ合いたい。「2人が仲良くエッチしてたら、お腹の赤ちゃんも喜ぶよ。」と旦那を説得させ、3週間に1度くらいはセックスしている。足りないけど、、、、旦那も疲れてるし(4月から主任になって部下ができて更に忙しくなったから)私も、少しは我慢だ!もう最後のセックスから、3週間が経過するけどその時に、旦那にこう言われた。「お腹が目立ってきて、赤ちゃんが心配で立つものが立たないよ。」確かに、撫でても、吸っても、旦那のチン○ピクリともしなかった。一生懸命、なんとかして使い物になるようにした瞬間「早く、早くしないと、すぐダメになっちゃうから!」との旦那の声に、私はすぐさま旦那の上に馬乗りになった。1、2、3、4、、、、回振りくらいかな??旦那は、アッと言う間に果ててしまった。。。。よっぽど、イクことだけを考えてたのだろうか?旦那は、とりあえずイケたことに満足していたようだけど私としては、、、、まだアゴの疲れも癒え無い状態のままアッと言う間にお開きになってしまいあまりにも、物足りない気がしてならなかったのだが。。。。今は、お腹も更に大きくなっているから旦那、やっぱり、また元気になれないかなぁ。もうすぐ、私の31歳の誕生日。今年の誕生日セックスははたしてどうなることやら。。。。
結婚3周年を迎えた今年、私の心に、一つの変化が生まれ始めた。旦那とのセックスに対して興味がなくなってしまったのだ。もちろん、毎日の生活に対して不満がある訳ではなかった。ただ、なんとなく旦那とのセックスがつまらないと感じ始めたのだ。マンネリと言うか、次に旦那がこうして、ああしてっていうことが分かっていて、電気も真っ暗の中で、ムードも色気も何も無いこんなセックスなら別に、しなくてもいいかも、、、と、思ってしまっていたのだ。で、きっと、このことも原因の一つで私の一生、これでいいのかな?こんなセックスしか一生しなくていいのかな?もっと、自分にピッタリな人がいるかもしれない、と思い始めたのだった。で、そんなことを感じ始めていた8月末頃に高校の同級生からメールが来たのだ。『なんか、いろいろ聞いたよ。大変だったんだな。今度、時間がある時に連絡くれないかな?』おそらく、私の子宮外妊娠での手術のことを言っているのだと、私は思った。彼からは、高校の頃に好きだと言われてて一瞬だけ付き合ったような気がする。その後も、ずっと友人として仲良しだったけれど大学生になり、彼に彼女ができたら「彼女に申し訳ないから、もう二人では会えない。」と一方的に友人解消宣言をされていた。もちろん、皆と会う時は、普通に話していたりしていたけど、彼から、こんなメールが来るのは久しぶりだったので懐かしくなり、私は、すぐに連絡したのだった。「お、元気か?」「うん。もうすっかり大丈夫だよ。あなたは元気なの?」「俺は仕事が忙しいけど、まぁ楽しくやってるよ。」「プレッシャーとかもあって大変なんじゃない?彼女ともう10年でしょ?そろそろ、結婚とかも決意したら?」「ああ。。。俺、別れたんだよね。」「え?マジで???10年も付き合ってたの?だって、一緒に住んでたし、結婚するって言ってたジャン。」「そのつもりだったんだけどな。。。」「そっか~。何があるか分からないね~。あんなにラブラブだったのにね。で、大丈夫なの?」「おう、もうすっかり大丈夫だよ。お前とは、もう一緒に飲みに行けないなんて言ってたけどまだ、色々話したいことあるし、今度一緒に旨いものでも食いにいかない?」「そうだね~。行こう!」そこから、話しはトントン拍子に進んだのだった。続く。。。。