評論家の山田五郎さんの美術解説書(?)「へんな西洋絵画」を読みました。もう表紙をアンリ・ルソーにしている時点で優勝な感があります。こんな可愛くない子供の絵は狙って描けるもんじゃない。

 

本書はそのタイトルどおり「変な」西洋絵画をピックアップして解説した美術書なのですが、その「変な」理由は大きく分けて2つあります。それは…

 

・描いた人の技量がただ足りないせいで変

・技量は充分でクソ真面目に描いているのに何かがどうにかなって変

 

その「変」な理由を山田五郎さんがお笑いのツッコミのようにツッコミながら軽妙洒脱に解説しているのが面白いです。

 

まず、何と言っても「描いた人の技量がただ足りないせいで変」の筆頭は表紙にもなっているアンリ・ルソー。もうツッコミが追いつかない。

 

人物のデッサンがそもそもできてない。遠近法もまるで理解していない。描けない箇所は草で隠してごまかすものの、そのごまかし方すら下手くそで余計変になっている。

 

でも彼の絵を見ていると、不思議なことに、木の細かい描き方と葉っぱのグラデーションのつけ方は抜群に上手いことに気付きます。それが存分に発揮されているのが以下の作品。

 

アンリ・ルソーはフランスから一歩も外に出たことがなく、植物園に行って想像でこのジャングルの絵を描いたそうで、確かにライオンに襲われている動物が何なのか不明で動物の描き方は稚拙ですらありますが、その背景になっているジャングルの草木の描き方が実に見事。

確かに実際こんな場所なんかない、完全にアンリ・ルソーの想像、というか妄想の世界観の絵なのに不思議な魅力があります。彼が生きた当時は下手くそだと散々パリ市民に笑われただろうけど、今の価値観なら余裕で”アリ”でしょう。こういうテキスタイルデザインがあっても良いかもしれない。まさにアンリ・ルソーの場合「時代が追い付いた」という言葉がピッタリです。

 

あと何ともいえない味があるのがこれ↓

 

 

これは開拓間もない頃のアメリカで描かれた子供の肖像画。開拓間もない頃だからちゃんと描ける画家なんていない。でも子供の肖像を残したい、ということで、「普通の人よりはちょっと描ける」程度の素人画家が描いたもので、当然みんなデッサンがまるでなっていないヘタウマ。でもこれらも何から何まで下手くそなわけではなくて、グラデーションはできる、陰影をつけるのはできている、服の模様の描き方が細かい等、部分部分でできているところもある。こういう基本ができていないバランスの悪い技量ってまさに独学で描いている日曜画家という感じです。

でもこうしたヘタウマ絵画は今では「素朴派」という一ジャンルになり、アメリカ各地の美術館にちゃんと収蔵されているのだとか。こうしたヘタウマ絵画こそがアメリカ美術史の出発点だからでしょうね。

 

個人的に「技量は充分でクソ真面目に描いているのに何かがどうにかなって変」な絵で刺さったのはこちら。

 

ゴシックの画家カルロ・グリヴェッリの聖母子像なんですが、幼子のイエス・キリストの仏頂面が凄い。ただこの時代は神様を人間らしく描くのではなく、常人を超越した存在として描かなければならない制約があったので、可愛く描きたくても描けない事情があったそうですが。しかしそれにしても、描き方が細密で技量が充分だからこそ仏頂面のインパクトが凄い。

 

そしてもっと凄いインパクトなのがこちら。

 

 

 

これはイエス・キリストの受難を示すモチーフを散りばめた母子像なんですが、そのモチーフを持っている子供達がもはや仏頂面を超えてブサイク!尋常ではないブサイクっぷりですが、彼らは嬰児虐殺で殺された子供達だそうで、イエス・キリストに先駆けて受難のため死んだ子供達が、来るイエス・キリストの受難のモチーフを持って集まり幼子の彼を取り囲んでいるという絵です。

そのテーマを考えるとこの顔にも納得がいきます。あとゴシックならではの細密描写とセピアの色調も雰囲気が良くて、確かに顔の描き方それ自体は変、というかブサイクだけど、それも相まって何ともいえないゴシックならではの良さが見えてくるような気がしました。

 

西洋美術を真面目に解説した美術書ではなく、敢えて「変」という切り口で気軽に読める「軽い読み物」の体裁を取った本ではありますが、だからと言って読み応えがない内容ではなく、「変」という切り口から新たな美術作品の鑑賞の視点を提示している本でした。