2日前、講演会に行ってきた。演者は羽中田昌さん。
高校時代から将来を嘱望される名プレーヤーだったが、不慮のバイク事故で下半身不随に。9年間山梨県庁に勤めるも、高校時代の仲間がJリーグでプレーしている姿に触発され、指導者になることを決意。
5年間バルセロナにてコーチングの勉強をし、帰国後は車椅子で世界で初めてS級ライセンスを取得。その後、2008年から2年間、四国のカマタマーレ讃岐で監督を務めた方である。
そんな羽中田さん、実は僕が高校生の時にお会いしていただいている。
高校の時から指導者の勉強を始めた僕は、プレーできないことへの葛藤から、部活を休んでいた。そんな時に親が一枚の新聞記事を僕に差し出してきた。「車椅子でJリーグの監督になる」
これはもう、衝撃的だった。比較するわけではないが、自分だけがもの凄く大変な状況にいると思っていただけに、車椅子で、しかも、5年間もバルセロナで勉強していたなんて、どれだけの情熱を持った人だ!と思い、手紙を書いた。
数日後、家でまったりしていると、おかんが慌てて僕の方へ。
「あんた!電話かかってきたよ!」
「誰から?」
「羽中田さん!!」
「えーーーー!!!!」
ということになり、単身兵庫県⇒東京へ。当時高校2年生の僕に、すごく夢のある話をしていただいた。
僕がバルセロナに留学することになったのは、実はこの時のお話がすごく残っているからなのである。
そんな衝撃的な出会いを果たし、東京に行くたびに新宿のセンチュリーハイアットホテルでお会いしていただいては夢のあるお話を。
彼が監督になってからは、友人と一緒にカマタマーレ讃岐へ見学に行ったこともあった。
そして、今回の講演会は約2年ぶりの再会ともあり、すごくワクワクしながら足を運んだ。考えてみれば、直接色んなお話をしていただいたが、講演会としてお話を聴くのは初めてなのだ。
講演会では、2つのことがすごく印象に残った。
【見上げる】
羽中田さんはバルセロナ当時のお話を引き合いに出しながらこうお話された。
「人は何かを見上げていると謙虚になる」
「これはマシア(バルセロナの育成寮)の寮長さんが言っていたんですけどね、マシアの選手たちはいつもカンプノウを見上げながら練習場に行くわけじゃないですか、いつかここでプレーするぞって、だから今を頑張れる、だから謙虚になれるんですよ」
「僕はいつも何かを見上げていたと思う。サグラダ・ファミリアにしても同じ。特にセルジオ越後さんと通ったコロンブスの塔にはよく行って、じっと見上げていた。セルジオさんがその塔を車で一緒に通るときに、ブラジルから初めて日本へ来た時のことを話してくれた。様々な苦労をしたことを。今の僕の境遇はそれと同じだと。頑張れと。だからそうした気持ちを忘れないためにも、時々こうしてここに来ては見上げているんです」
【「ない」ということ】
「サグラダ・ファミリアがライトアップされるという話を語学学校の友達から聞いたんで、妻と二人で散歩がてら見に行こうという話になったんです。まだ夜まで時間があり、ちょうどそこにLoteria(宝くじ売り場)があったので、サッカーくじを買って、これを予想しながら近くの喫茶店で時間を潰そうということになりました。妻と二人で必死で予想しました。あまりに熱中しすぎて、時間を経つのを忘れてしまうほど。ふと気づけば、8時10分前でした。8時になるとLoteriaは閉まってしまうので、僕らは慌てて店を出ました。店を出て少し行ったところで、バッタリ足を止めました。ライトアップしたサグラダ・ファミリアが余りに綺麗で、何か吸い寄せられるようにそちらへ向かっていきました。するとそこでガーン、ガーン、ガーンと鐘が8回鳴りました。8時になってしまったのです。僕らは予想したサッカーくじを諦めました。帰り道、妻がふと『こういう時のくじが実は当たっているんだよね!』なんて言うもんだから、『そうかもね』なんて返事をしながら家路につきました。数日後の新聞を見てビックリ。僕たちが買ったくじは、15試合の予想中、14試合が当たり、配当金はなんと・・・・いくらだと思います・・・日本円にして、50000000万。5千万円です。1週間夫婦の会話がなくなりました(笑)・・・・でもね、しばらく時が経って、あの時、5千万が当たらなくて良かったねっていう話になったんです。これは負け惜しみでもなんでもなくて。あの時は本当にお金がなくて生活が苦しかった。だから、5千万が当たったら、頑張らなかったと思うんです。お金がなかったから、必死で頑張って、本を書いた。作文しか書いたことがなかったような僕が本を書いたんです。しかも3冊も。
あの5千万がなかったから、この世に3冊も本が出せました。そして、そうやって出せた本を介して、様々な出会いがありました。これは5千万がなかったからなんですね」
「こんな言い方はおかしいかもしれませんけど、僕は
歩けなくなって今は良かったと思っているんです。歩けなくなってから本当に様々なものを与えてもらった」
「『ない』ってすごいことですよね。自分は歩けないし、プレーの見本を見せることができない。でも、それによって、選手はより多くのことを考えるわけですよね
?『ない』ことの方が実は『ある』ことより多くの可能性を秘めていると思うんです」
すごいですよね。
僕はまだまだ、「心臓が悪くて良かった面もある」という言い方はできますが、「悪くて良かった」なんて言えません。羽中田さんのまっすぐな気持ちや、あらゆる物事の捉え方は本当にすごいと感心させられます。
来シーズンからは奈良クラブに舞台を移して、Jリーグを目指すそうな。常に「見上げて」いるんですね。本当に心から応援したいと思います。僕も頑張らないとね。
『あきらめなければ夢は逃げない』羽中田昌