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- 長谷川 毅
- 暗闘―スターリン、トルーマンと日本降伏
アメリカ、旧ソ連、日本。気が遠くなるほどの膨大な資料を駆使して、第二次大戦で日本が降伏するに至るまでの3ヶ国の内幕を緻密に検証する。とにかくその細部にわたる分析に、ページをめくるたびに圧倒された。とくにポツダム会談後、1945年8月の日々を、これら3ヶ国の政府要人それぞれがどのように考えてどのように行動したのかを、可能な限り著者自身の推測を除去し、当時の資料を丹念に読み解いて200ページ以上にわたって詳細に分析した本書の後半は圧巻! まるで巨大なジグソーパズルを作っていくように、膨大な資料を1つ1つつき合わせながら「事実をして語らしめる」という、恐ろしく根気のいる作業によって完成された本書は、読む者を圧倒する。
おそらく今後、日本の第二次大戦降伏に至る過程について研究する歴史家は、本書を無視できなくなると思う(それくらいに資料的価値が高い)。
本書によって、はじめて資料的裏づけとともに明らかになった事実はいくつもある。なかでもいちばん重大なもの(そして私自身、読みながらいちばん「エッ!」と驚いた点)は、「日本は広島・長崎に投下された原爆により戦争継続は不可能と判断して降伏を決断した」という通説が、まったく間違いだったという点である。天皇を含む当時の政府首脳が降伏を決断したのは、原爆投下によってではなく、実は8月9日のソ連参戦の衝撃だったことが本書によって明らかにされている。当時日本は、少しでもいい条件で戦争を終わらせようと、「一億玉砕」という勇ましい(かつ無責任な)表向きのスローガンとは裏腹に、舞台裏ではソ連の仲介を必死に求めていた。ところがそのソ連までもが日本に対して宣戦布告したことで、日本の指導者たちの大半が敗戦は不可避と判断し、ポツダム宣言受諾に至った。本書では、その間の日米ソ3ヶ国それぞれの指導部の内幕が、これ以上ないほど詳細に記されている。
それにしても、読みながらつくづくウンザリさせられるのは、「国体」という大儀のためなら人間の命など何とも思わない、まるでカルト宗教の信者さながらの、天皇を含む当時の指導者たちの姿である。1945年8月、沖縄で、広島で、長崎で、無数の人々が犠牲となり、もはや日本に勝ち目がないことは誰が見ても明らかだったにもかかわらず、なおも天皇を含む当時の指導者がこだわっていたのは、国民の生命ではなく「天皇と皇室の安泰は敗戦後も保障されるのか?」という、ただ1点だった(例えば8月13日の皇族会議で、朝香宮から国体が維持できなければ戦争を継続するつもりかと問われ、天皇はもちろんであると答えている)。そして、天皇を厳しく処罰することを求めていたソ連に占領されるより、アメリカに占領されたほうが皇室制度を維持できる可能性が高いと天皇自身も含め判断したからこそ、ポツダム宣言受諾を受け入れたのである。
戦後作成された「昭和天皇独白録」のなかで、天皇はポツダム宣言受諾を決心した理由について、戦争を継続すれば「日本民族は滅びてしまう」ので「赤子(せきし)を保護することができない」こと、また天皇家に代々受け継がれている三種の神器の「確保の見込みがたたない」こと、という2つの理由を挙げている。唖然とさせられるような後者の理由は問題外としても、前者については天皇がいかに平和を願う人であったかを示す証拠として、少なくとも日本国内では広く受け入れられている。しかし前記のように、実はこれは決して正しくなかったのである(実際、独白録に書かれた内容が天皇の本心だったとすれば、なぜ沖縄敗戦や原爆投下など、それぞれの時に「赤子」の保護を名目に和平へのイニシアチブを取らなかったのか説明がつかない)。
丹念に事実を積み重ねて、日本敗戦に至る日米ソ3ヶ国の内幕を明らかにした本書は、現代史の研究書として、そしてノンフィクションとしても、記念碑的作品である。
【読書案内】
はじめて旅する場所で、いきなり詳細すぎる地図をわたされても逆に道に迷ってしまうように、第二次大戦のおおまかな流れを知らないまま「暗闘」を読んでしまうと、なんだかよく分からないまま眠くなって、せっかくのいい本が「いい枕」に化けてしまうかも。そこで、本書を読まれる前に、まずは高校の世界史教科書の関連部分にざっと目を通して、おおまかな歴史の流れをおさえておくことをおすすめします。余力があれば、J・ロバーツ教授の「図説・世界の歴史」(創元社)シリーズ第9巻(第二次世界大戦と戦後の世界)[1]で大まかな歴史の流れを事前におさえておくと理解が深まります。
- 終戦における天皇の役割については「昭和天皇の終戦史」(吉田裕著/岩波新書)[2]がコンパクトにまとめられています。さらに詳しく知りたい方は、ずっしりと重みのある研究書、「昭和天皇(全2巻)」(ハーバート・ビックス著/講談社学術文庫)[3]をどうぞ。
日米の戦いの全体像についてさらに詳しく知りたい方は、真珠湾攻撃から敗戦に至るまでの日本の軌跡を、名もない一兵卒から天皇まで、さまざまな人の視点を通して壮大なスケールで記述したノンフィクションの金字塔「大日本帝国の興亡(全5巻)」(ジョン・トーランド著/早川文庫)[4]がおすすめです。
明治維新から1945年の敗戦に至るまでの間、天皇をめぐる思想(特に"国体"という概念)がどのように変遷し、いかにしてカルト宗教まがいの思想になり日本を破滅に導いたのかについては、当時の資料を縦横無尽に引用しつつ検証した「天皇と東大(全2巻)」(立花隆著/文藝春秋社)[5]がとても参考になります。
敗戦直後の日本については、ピューリッツァー賞も受賞した名著「敗北を抱きしめて(全2巻)」(J・ダワー著/岩波書店)[6]が、当時の社会を生き生きと活写しています。
- [1] J.M. ロバーツ, J.M. Roberts, 月森 左知, 五百旗頭 真
- 図説 世界の歴史〈9〉第二次世界大戦と戦後の世界
- [2] 吉田 裕
- 昭和天皇の終戦史
- [3] ハーバート・ビックス, 吉田 裕
- 昭和天皇
- [4] ジョン・トーランド, 毎日新聞社
- 大日本帝国の興亡
- [5] 立花 隆
- 天皇と東大 大日本帝国の生と死
- [6] ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
- 敗北を抱きしめて (増補版) ― 第二次大戦後の日本人