1939年と1964年にNYで行われた万博の会場跡地の公園。クイーンズ地区のフラッシングとフォレストヒルズにまたがるかなり大きい公園。おお外回りで歩くと15kmくらいになる。

日が長くなって来たこの頃日課の散歩で夕方に出向く。

丁度夕食時でカモが縦になってる。

 

 

日頃仕事で描く絵は本当に、スタイルからサイズまで多種多様。その場で言われたものをなんでも描けるようにしておかないといけない。 同僚というか大先輩でうまい、早いの人が沢山いて毎日勉強。 目の当たりにしたすごい!って言う記憶が薄れないうちに、もう一度一人で描いておくとしっかり染み込む。次に頼まれたときには自信持って引き受けられる。 60cm x 90cm  7時間。

 

ユニオンその2。
舞台美術家の場合だとユニオンのトーンがちょっと和らぐ。デザイン料はそれぞれの劇場が定めた額。デザイナーはユニオンからの恩恵が背景画家より目立ちにくいがプロジェクトによっては(大きい劇場)ユニオンのデザイナーしか雇わないとと言うところもある。客席200人前後の規模の劇場だとまあだいたいどこもそんなに変わらない。
デザイナー同士でよく言うのが絶対時給換算にしちゃダメってこと。(笑)その上私の場合は英語が母国語のデザイナーに比べて戯曲を読むスピードが圧倒的に遅いからさらにキツイ。(以前旦那と同じ戯曲読んでてスピードの差に改めて愕然としたことあり。)
で、裏技。
舞台美術かにも色々タイプがあって建築がバックグラウンドだと、建築的なセットが得意。ファインアートがバックグラウンドだと背景画を使ったものが多くなる。 私は後者。 
200人規模の劇場なら常駐の現場監督(舞台装置を安全に作る人)はいるが、常駐の背景画家がいることはまずない。
なのでいつもデザインをプレゼンして演出家が気に入っても混みいった背景画がデザインの中にあると劇場側から難色示されることは結構一般的。 なのでいつも自分で描きます。絵の具の量、色、の見積もり、注文表も全部やるし、劇場付きのインターンに一緒に描きながら教えるよ。って言って背景画家としては時給でもらえるように交渉する。(もちろんユニオンの何分の1のリーズナブル設定)あまり高飛車にふっかけると同じ劇場から2度と仕事が来なくなっちゃうからさじ加減大事。だいたいこの要求は飲んでもらえる。でちゃんと契約書を作ってもらう。これによって、1つのプロジェクトで2つ分の仕事になる。戯曲読むスピードの遅さをここでカバー。(アメリカで学んだこと:苦手なことを克服するより好きで得意なことをさらに研磨して苦手部分が気にならないようにすること。) そして舞台美術かと背景画家が同じだと色々スムースにことが運ぶ。現場監督と毎日絵の具まみれの木屑まみれになるからすぐ気心知れて仕事がしやすい。(だいたい同じスペースで仕事することになるから。(現場監督にヘソ曲げられると舞台美術かは手も足も出ない)
ただ唯一の難点は朝から夕方背景描いて夕方から始まるリハーサルにデザイナーとして行くと一人ブラック企業になりがち。

アメリカの舞台美術家、背景画家のユニオン。(この2つは合同)舞台美術家はプロジェクトごとにデザイン料が発生。背景画家は時給。訴訟の国アメリカ。プロジェクトごとに初日に死ぬほどサインしないといけない書類がある。こん中にはユニオンが定めた基本時給、8時間オーバーしたら基本給の1.5倍、土曜日曜の場合は2倍。ものすごく厳格。そしてユニオンに入っているとそこから健康保険も出してもらえる。国民健康保険というものがないアメリカでは保険がカバーされるか、されないかは死活問題。背景画家は基本フリーランスで、絵は描けるけどビジネスセンスはからっきしなんて人も多いから非常に助かる。 
背景画家としてユニオンに加入する場合、推薦状3通と試験(面接)が必須。その試験を受ける資格を得る方法が2つあって1つは3年間丁稚で背景画を手がけている背景会社で働くこと。もう1つが営利、非営利の劇場等で背景画家として六年以上の経験。 
面接では作品を見せるんだけど基本数十メートル四方のものなので多くは写真。ただ現物の作品提出も求められるため1つ60cmx90cm以上のサンプルも5つほど提出。 でどの作品もどの位の時間をかけて描いたか聞かれる。 これはユニオンの背景画家が時給、ユニオン加入歴が浅かろうが長かろうが皆同じため、どんなに綺麗に描けていてもスピードが伴ってないと一緒に仕事する時、足を引っ張ることになるためと思われる。 
日本の美大になかなかは入れず多浪して時間プレッシャーで描くブートキャンプにいたのが四半世紀後に超役立つ。先行投資だったのかな...?

やっと見つけた!!!!!ドラマのタイトル。

小学生の頃みたドラマ。家族が戦時中にタイムスリップしてしまうSFドラマ。高校生くらいの頃からもう一度見たいなあと探すもタイトルも覚えてなかったし、他に手がかりがなく見つけられず。 ただ最後破壊された東京タワーの映像だけははっきり覚えてた。

 

なぜか石坂浩二を見るとこのドラマのことを思い出してたから出てたのかと思いきや、出てないし。

 

昨夜なんとなくgoogleでSF、ドラマ、東京タワー、戦争、で検索したらヒットした終わりに見た街。

なんでこの組み合わせで今まで検索しなかったのか不思議なくらい。

 

動画があったから一気に見る。 これだ!!!!

35年経って見ると色々気づくね〜

 

まず、CM。 CMもカットされずにアップされてるけど、ドラマの合間に入るCMが少ない。 最初はCMカットでアップされてるのかと思うほど。 でCMに出てくる人たちがすごく大人。落ち着いて商品宣伝。

 

 

でドラマ。

まず時代設定が昭和57年。(1982年)ってことは戦後37年。 

ドラマの主人公のお父さん(細川俊之)が戦争経験者。

バリバリ現役世代が戦争経験者で戦後生まれは若いか子供っていう感覚。 これが一番新鮮だった感覚。

 

ドラマの中で、主人公が息子に「昭和19年っていうパパが小学校4年生の頃の戦争の真っ最中の時代に来ちまったみたいなんだ。」 

そして、「お前が生きて来た時代とはものすごく違うんだ。」

この二つのセリフになんだかえらい衝撃。

自分の息子にパパはね、という現代とほぼ変わらない優しいお父さん像でありながらこのお父さんが戦争を実際に経験しているっていう、1982年の普通に驚く。

 

1982年当時私も生まれているけどまだ子供で、この部分には反応しまかったけど、親子で同じ国で育っているにも関わらず環境がこんなにも違うなんてっていうところに今大衝撃。 

自分と20−30年下の世代の育った環境は、テクノロジーや流行りの違いはあっても生き死にに対するスタンスはそんなに変わらない。 明日爆弾が落ちて来て死んじゃうっていうようなとんでもない違いはない。

 

だけどこのドラマの設定時期だと親と子の世代で経験してることの差がとんでもなく大きい。

 

このドラマの記憶に焼きつく強さってこの差にあるような気がすると思った35年後にやっとまた見れた感想。

 

 

35年。

ドラマの設定&放映が昭和57年で戦後37年。 

今年2017年は昭和57年から35年。 ってことは自分がこのドラマを見た当時のことを思い出すとの主人公が戦争のことを思い出すのが間隔的には同じくらい。 そう考えるとさらに身につまされる身近さだわ。

 

 

 

このドラマには主人公(細川俊之)の幼少からの友達としてなべおさみが出てくる。

この役回りというか、喋り方というか見た目というかが昭和の山崎樹範みたいだな〜というとこも見所。

 

 

もう一度見てこよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼食後急に晴れ間出たな〜と思って外見てたらなんか葉っぱが一部だけガサガサ動いてる。そばにあった望遠レンズでのぞいたらなんかちっさい手が。可愛い。

激写してたら一生懸命よじ登ってうちの裏庭を横断。

ヤマアラシだって日光浴したいよね。

 

ちょっと脇腹えぐられてるけどしっかりタンポポの葉っぱ食べて日光に当たって早く良くなるといいね。

 

同じ場所、同じ時間で昨日と今日。

曇って霧が出ると空の半分は真っ白に。こっちが一年のうち200日ぐらい。 

曇ると夏でも冬でも同じような景色。

山の緑も違って見える。

夏の夕暮れの一枚。寝床に帰るところかな。

白頭鷲が大きい羽を気持ち良さげに広げて風に乗って飛んでる姿は本当に絵になるなあ。白頭鷲は非常にハンサム。

 

頭が真っ白で体が黒く強いコントラストがあるから木に止まっててもまあるい白い頭はかなり遠くからでも見つけられる。丸くて白い饅頭が木に乗っているようでカワイイ。

 

ただ自然界であんなに遠目が聞くことにどんなメリットがあるのかなぞ。 獲物に逃げられてしまいそうだけど。

 

 

 

 

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夕食後散歩。
雲はかかってるけど所々青空が見えてるのでジュノーではこれは晴れ扱い
潮の匂いとほのかなそよ風。気温17度。散歩には最高のコンディション。
今日1日の事を反芻しながら明日のことを計画。
天気が良かったら次の舞台装置のスケッチ浜辺でしよう

飛び立つ瞬間のワシを散歩中にパチリ。

まだ大人になりきってないからクチバシも完全な黄色じゃないし頭も真っ白じゃない。 なんとなくまだらな思春期。

 

散歩中にiPhoneのカメラで。 ボーっとしたワシでかなり近づけたけど、それにしてもiPhoneやるなあ。一眼レフに迫る勢い。あんなに軽いのに。