なんと前回の「ご無沙汰しております」投稿が2017年で

 

結婚して子供が生まれました、なご報告から更に5年も放置してしまいました。

 

 

義肢財団ももれなく新型コロナウィルスの影響を受けいろいろありました。

タイではコロナではなくCOVID-19(コーウィット・シップガーウ)と呼ばれています。

 

2020年の3月にタイで感染拡大による非常事態宣言で外来の義足サービスを完全にストップし、フェイスシールドやアクリル仕切りを作って病院に寄付をしたこともありました。

 

 

 

 

2022年にはTICA(タイ外務省管轄の国際協力機構)支援によりブルンジとセネガルからの新しい研修生の受け入れがあったり。

 

 

セネガルはウォロフ語、ブルンジはキルンディ語とそれぞれの言葉があるけれど、彼らはどちらもフランス語ができるので二国間では英語よりもフランス語で話す方が楽そうでした。たまに私にフランス語で話しかけてくるので「英語で話して」とお願いするのですが。

 

また新たな取り組みとしてセネガルとブルンジから電気系のテクニシャンに来てもらい、機械メンテナンスの研修も行いました。

 

そしてツイッターはじめました。

 

https://twitter.com/akiyo9244

 

初めに登録したのは2011年の震災の時。でもその頃は情報の集め方もわからずに9年ほど放置してました。2020年頃に情報収集と発信をしてみたいなと思いぽつぽつつぶやくように。お暇でしたらのぞいてみてください。

 

 

 

前回の更新から何年も経っておりました、ご無沙汰しております。(って、読んでる人いるのかしら?)

 

 

この数年のうちに、私の人生でいろんな変化がありました。

 

 

こちらで出会った人と結婚し、男の子が生まれて現在2歳になります。

相変わらず義肢財団で働いています。

 

 

タイ人と結婚すると話すと、初めうちの両親は「日本国籍を捨てるなんて!」とパニックになってましたが、国際結婚をするのに、国籍は変える必要ないんですよ?しかも苗字も変えなくてよく、パスポートもそのままでいけております。

 

今まで、頻繁にビザの更新があったので5年パスポートにしておりましたが、これからはタイ人配偶者ビザで1年に一回で良いので、次の更新の時には10年パスポートにしようと思っています。

 

 

 

1月に始まったタイ人の研修も、気が付くとあっという間に終了となり、5月22日、無事閉会式(研修終了書授与式とでもいいますか?)を迎えることとなりました。


下腿義足



サイム義足



大腿義足



膝義足




足底板




車椅子修理





などのコースを経た後は4週間の期間中に、実際に来た患者さんの義足(各自下腿2本大腿1本)を装飾を終えるところまでする、という課題をこなしました。

22人いる研修生に対して、4週間で財団に来る患者さんの人数に足りるはずもなく、不足分は財団スタッフおよび研修生(数名切断者がいました)にもモデルになってもらいなんとか人数が足りました。





5か月間、一緒に暮らしていたら仲良くもなり、喧嘩もあり、といろいろあったと思いますが苦労して研修を終えた彼らは最終日、達成感とともに晴れ晴れとした顔をしていました。



研修、無事修了おめでとう!
2014年の国際研修でバングラデシュ人の二人の研修生のうち一人が健康上の理由(から精神的な理由になり)で研修半ばで帰国しましたが、残りの一人では心もとないということで、追加でたった一人研修生がきました。


それが2014年の11月のことです。(国際研修が終わってからわずか2週間)



講義もマンツーマン


Mr.Azad アジャッドさん。彼はダッカの病院の手術室の助手をしていた人だそうで、上の人からの命令でタイでの研修に送り込まれてきたのでした。


英語もあまりできなく、そして生まれて初めての海外。本当に心細かったと思います。

そして、9人兄弟の家庭で育ち、今でもダッカの実家では大家族と一緒に暮らしているという彼がいきなり異国の地でコトバも通じない、食事も全然違う、友達もいない、という環境でやはりというかなんというかホームシックになってしまいました。


そもそも、財団の研修生用の宿舎が10部屋以上あるようなところで彼一人が生活しているのです。夜中まで人が途絶えず始終にぎやかな環境にいた彼にとって、耐えきれない静寂だったようで。

朝、研修が始まっても、どんよりとした顔で

「おばけに首をしめられた。。。。」と泣きそうになりながら説明しています。(実際英語が上手でないので簡単な単語と後はほとんどボディランゲージですが)




その話を聞いたドクターが「あの誰も居ない静かな研修生用宿舎がダメなら、財団スタッフ用の空いてる部屋に移るといい」とアイディアを出しました。

財団の単身スタッフが(たまに家族で住んでる人もいますけど。1ベッドルームで)住んでいる10部屋ならびの宿舎の、真ん中の部屋に移ってもらうことになりました。ここに移って、周囲に人の気配がするというので多少落ち着いたようではありました。


そして、まだ研修が始まって一か月経たないタイミングでモバイルユニットがありました。行ってもまだ作れるほどではないのですが、だからといってもぬけの殻の財団に残しておくのもますます鬱になりそうなので、モバイルユニットに一緒に参加してもらいました。これが、四六時中誰かと一緒に過ごすことができるので彼としてはとても嬉しかったようです。(本当に孤独が嫌いな人のようで)




いろんな作業も嬉々としてこなしてくれました。



直接の義足製作ではなく、アシスタントとしていろんな人の手伝いをしてもらいました。


一応記念に、モバイルの看板と撮影。
タイ語でしかも仏暦ですが、2014年11月23-28日 ナーン県プア病院にて義足無料提供モバイルユニットのようなことが書かれています。





そして、忘れてはならないのは、このチャイシーさんの存在。彼がいなかったら研修生アジャッドさんは無事に4か月の研修を終えることができなかったと思います。


というのも、初めの一か月で激しくホームシックになった彼は「この仕事は僕には向いてない。早く国に帰りたい」と訴えてきたのです。ホームシックだけであればなんとか励ましようがあると思ったのですが、この仕事が大好きな私にとって「この仕事は僕の仕事じゃない。僕は本来手術室の助手なんだ」と言い切った彼にカチンときてしまいました。


そして、本気で「じゃあ帰れば」と言ってしまったのです。

上のドクターにもその旨を伝えて「私はこの人の研修を続けたくありません、やる気のない人は送り返して下さい。」とも言いました。

ドクターは「うちは研修を受け入れる場であって決定権は全くない。研修生に、彼の上司へ宛てて訴状を書かせてメールでバングラデシュの病院に送りなさい。」と指示を出し、その通りにしましたが結局最後までその返事は来ることがありませんでした。


そうこうしているうちに、ダイレクターがチャイシーさんに「どんなことをしてもいいから、この研修生がホームシックでなくなるように、なんとか頑張ってちょうだい。そうしたら来年の給料アップしてあげる」と言って、チャイシーさんが「本当ですか!それなら頑張りますよ」と張り切った次第です。

給料アップ云々はおいておいて、本当にチャイシーさんの優しい人柄に随分助けられました。


ムスリムであるアジャッドさんが「市場で売ってる鶏肉はハラールじゃないから、活きた鶏を買ってきて自分でしめたい」と言えば「おう!じゃ活きてる鶏を売ってるところに連れて行ってやるよ!」と連れて行ってあげたり。戒律に厳しいムスリムは豚肉でなければどの肉でもいい、というわけではなく、屠殺の時にアラーにお祈りをささげたお肉(=ハラール、食べることが許されているもの)でないといけないと言います。







普段はしぶーい顔をしているワチャラ先生も、彼を励ますために「患者さんがこの義足を『すごくいい』と言ってるよ。君は素晴らしいテクニシャンだ!一緒に記念撮影をしよう。ほら、指をあげて!」とべた褒め状態でした。





12月、定番のドイステープにも連れて行きました。



そのさらに上に行ったモン族の村、ドイプイにも



お寺よりも、自然の景色がきれいなドイプイの方が気に入ったらしく

「ここはいいねぇ。この男の子たちと写真撮って。こっちの花とも撮って。バングラデシュに帰ったら、家族に見せてあげたい。」とにこにこしていました。 





眺めのいいカフェでコーヒーを飲みならひと休みしていると

「ここはすごくいいところだね、連れて来てくれてありがとう」とお礼を言われました。

こういう感謝の言葉が、何よりのねぎらいになります。





研修中、いろいろなことがありましたが端折ると、最終的には無事4か月の研修を終えることができたのでした。(最終日に遅刻してきたりと、最後までビックリですけど)





早いもので、1月5日から始まったタイ人の研修も2か月目になりました。
今年もまた大所帯で、研修生は23人です。






まだ全員の名前を覚えきれてないのですが、ウッタラディット、ピサヌローク、アユタヤ、ターク、ノンカイ、カンチャナブリ、パッタニー、コンケン、クラビ、ラヨーン、スリン、トラン、パッタルンとそれぞれの各地から集まった人たちです。




こちらは、下腿義足の装飾まで終えた「初めての義足」で記念撮影です。


バングラデシュ人の研修生も一人混じってまして、彼は別のプログラムでの研修ですが、一人で研修をしてるのが寂しいのでタイ人の研修生と一緒に記念撮影ができてとても嬉しそうでした。


去年と比べて、今年の研修生はだいぶ統制が取れてて落ち着きのあるグループだなという印象です。財団の敷地内にある宿泊施設で生活をしているのですが、共同キッチンやトイレ、シャワールームなどもきちんと掃除されている、とメーバーン(掃除係)が感心していました。


このまま、何事もなく無事に研修が終わってくれますように。

2015年になりました。

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
なんだか一年が経つのがあっという間ですね。


年末はチェンライに遊びに連れて行ってもらいました。

ちょうど市内で花祭りをやっていて、色鮮やかなチューリップやバラ、ユリ、ラン、シンビジュームなどが咲き誇り、観光客でにぎわっていました。






民族衣装に身を包んだ方がお茶の販売。メーサロンというお茶の産地で有名なところのお茶を試飲、販売していました。






何種類か試飲をさせてもらって買ったのは、チャー・シー・ルドゥ(4 seasons tea)というもの。なかなかよい香りでした。





シンハパークにも寄り





チェンライ市内からちょっと山に入ったところのリゾートに一泊。



屋上レストランは山に囲まれて、眼下にはチェンライ市内がのぞめます。


翌朝は午前3時に起きて、車で2時間ほどのプーチーファーへ。




ふもとの駐車場に車を停めて、専用のピックアップトラックに乗って登山口まで行きます。





午前6時を過ぎたころから、だんだん夜があけてきました。




雲海が広がります。
暑い国タイではめったに見られない風景で、この風景を見るために&寒い気温を体験するために、この時期本当に多くの観光客が(私たちも含めて)つめかけていました。






頂点にたどりつく手前に、ライオンヘッドといわれる、本当に獅子の頭のような形をした岩を見ることができました。




雲の切れ目からの日の出。
日の出って、なんというか、神々しいものを見たような、心が洗われるような気持ちになりますね。



そののち、来た道をは違うルートを通って山道の景色を楽しみながら、


滝に寄ったり




「今、パヤオにいるからお昼ご飯食べにおいで!」と電話をかけてきた財団スタッフの家に遊びに行ったり




ひまわり畑で写真撮影をしたり



そうしているうちにいつの間にか日も暮れて



夜にチェンマイに戻ってきました。


充実した一泊二日の旅でした。

連れて行ってくれた財団のスタッフのご家族や、旅先でお世話になった皆様に感謝♡
マンダレー二日目の朝



モスク。ムスリムの人たちも、ある程度の人数が住んでいるようです。




お堀にかかる朝日



お堀の南東から西に向いた風景。ここが一番好きな角度です。



道行く人の喉を潤してくれるお堀の木に置かれたお水。近所の人が朝汲んでくれているようです。なんだかほっこりしますね。



さて、二日目も昨日のバイクのおじさんがいろいろ連れて行ってくれるというので、お願いすることにしました。ガイド料を払うのにチャットが足りなかったので、両替したいと言ったら、連れて行かれたのがこちら。







どうやら金箔を売っているお店のようです。
小さな金の塊を30分かけて叩き続けるとこのような金箔になるのだそうです。ずいぶんと重労働ですよね。

なぜ連れてこられたのかわからず見学していたら、おじさんが「中でドルからチャットに替えてくれるよ」と教えてくれました。なかなか面白いものが見られました。



その後はお寺へ

仏像に金箔を張り付けているようですが、数年前の写真に比べて、体のブツブツがさらに盛り上がってきている気がします。この厚み、、、全部金なんでしょうか??




お寺を出た外は、なんというか、仏像ストリートでした。石を削って仏像を作っているお店が何件もずらーーーーっと並んでいるようなところです。



そののち、工芸品店へ。彫り物、塗り物、人形、絵画、刺繍、ありとあらゆるお土産物が陳列され、その場で実際に職人さん達が作業をしているところも見られるようになっている面白いところです。チェンマイでいうバーンタワイが一軒に凝縮されているような場所でした。


彫り物


刺繍


作業風景を見ながらお買いもの、の観光客



その後はシルクショップへ




ものすごく細かな柄をすべて手作業で編み上げていくのはすごいですね。


こちらも観光客でにぎわっておりました。


その後は、大勢の僧が托鉢をする寺院へ





でも、僧よりもギャラリーの観光客の方がものすごく多かったような。。。


こんな感じでした。


そろそろホテルに帰った方がいいかな、と思ったので、バイクのおじさんを探して「ホテルに戻りましょう」と言ったのに、着いたところが




こんな川。あきらかに市内から遠ざかってないですかい?


「景色のいいところだから、写真撮ってあげるよ!」と上機嫌のおじさん。そうですか、では。。。。


でもすでにホテルのチェックアウトの時間が迫ってるんですけど~。


英語での意思疎通が不安になってきたので、とりあえず GO back hotel now!って感じでお願いしたら、急いでるのを理解してもらえたらしく、バイクを超高速でかっとばして帰ってくれました。

時間に間に合うか、と、振り落とされないか、で二重にドキドキしながらも通り過ぎる牛さん達を撮影したりなんぞする私。



余裕をもって身支度してのんびりコーヒーでも飲みながらチェックアウト後にタクシーをまとうか、なんて私の空想はすっとび、バイクのおじさんにホテルまで送ってもらって超特急でシャワーを浴び服を着替えてチェックアウトして待機してたタクシーに飛び乗り、感慨深い思いにふける間もなくマンダレー市内を後にしたのでした。


またもう一度まったりプランで来てみたいなと思いつつ、バガン遺跡も気になる今日この頃です。


ヤンゴンでタイビザを申請して、研修に来ていた人たちと出会った後は、マンダレーの観光に行くことに。
最近某国から来た人が公金の無駄使いのようなことをしてる人を見てしまったので、それはイヤだ~、と思い

「今回のビザ申請のためのミャンマー渡航費・滞在費はすべて自分で出します。その後観光に行くので」と言い切りました。


職場に申請したのはミャンマーのビザ代とタイのビザ代のみです。


ビザ申請以外はほとんど観光のようなものなので、それもありかと。


さて、初めてのマンダレー、とってもよかったです。


ヤンゴン空港の国内線ターミナル

電光掲示板というものはなく、すべての乗客がいっしょくたに広いロビーで待っています。時間が来たら、プラカードボーイが航空会社と便名を告げながらロビーを一周するというスタイル。欧米人の観光客のみなさんがプラカードボーイの写真を撮っていたので、私も一枚。


マンダレーの空港に着いたら、交通手段はタクシーしかないのですが、ゴールデンミャンマーエアラインのお客さんは市内まで無料シャトルがあるそうです。(次回のための忘備録)


市内までは一律12000チャット(12ドル)ヤンゴンでの空港から市内までのタクシーが一律7000チャットだったので、ちょっと高いのかな?と思いしぶってたら

「タクシーを3人でシェアしたら4000チャットになりますよ」と言われたので


「急いでないから、シェアしてくれる人が来るまで待ちます」と、待つことに。

まもなく、一人のミャンマー人の男性が来たので、折版で一人6000チャットで行くことにしました。タクシーで走ると、一時間かかるんですね。たしかに12000チャットするのも納得でした。(ちなみにヤンゴンは30分ほどで市内に到着。)



アゴダで予約したホテルは、お堀にごく近いエンペラーホテル。歩くとすぐにお堀にぶつかります。




チェンマイのお堀とは違って、やや大きい、堀が幅広い、そして何より、お堀の中は一般に公開されてないんですね。


南の門を目指して中に入っていくと、軍人さんが待機してて

「外国人はここからは入れません。観光客は、東の門からのみ入れます」と教えてくれました。


仕方なくホテルに戻ろうとしたら、お堀の外側にいたおじさんが「バイクで送っていってあげようか?」と声をかけてくれたので、

「朝ごはんを食べてから、戻ってきますね」と答えていったんホテルに戻りました。

ホテルの隣にあるレストランで軽い朝食を取って、結局私はマンダレーの何の情報も持ってないし、あのおじさんの情報に頼った方がよさそうだ、と思ったので、また歩いてお堀の外側まで行って、おじさんに連れて行ってもらうことにしました。



こちらが、東門から入ったところにあるチケットブース。お堀のほとんどの部分が立ち入り禁止区域で、中央の王宮が観光客が入ってよいとされているところです。入場料に10000チャット(10ドル)かかりました。 




後でわかったことですが、このチケットはマンダレー観光名所5か所の共通チケットらしく、購入してから1週間の間であればいつでも行ってよい(ただし一か所は一回限り)ということになっていたようです。二か所目に行ったときにまた入口で「10000チャットです」と言われて「ええええ一か所に10ドルずつかかるの?」と驚いていたら、バイクのおじさんが「さっき買ったチケット、あれを見せればいいんだよ」と教えてくれて初めて気づきました。



こちらは王宮の鳥瞰図。ちょうど前日にヤンゴンの国立博物館で見た模型そのままだったので、感慨深いものがありました。 歴史的な情報はうろ覚えなのでなんとも書けませんがたしか18世紀頃に栄えた王朝のようです。



お堀のたたずまいや建築様式などはチェンマイ(ランナー)にとても似てる気がするのです。




一瞬、「あれ?チェンマイ?」っていう雰囲気が漂ってませんか。



でもちょっと違う点は、お堀の外側が市民の憩いの場として広々とした歩道、運動スペースが四面の各地に設置されていること。

これはお堀の東南の角にあるところで、マンダレーヒルを眺めながら汗を流すことができる絶景の場です。普段着の人も、スポーツウェアに身を包んだ人もたくさんひっきりなしに来て、家族や友達と会話を楽しみながら運動しているのが印象的でした。


朝には、集団で体操をする人、タブレットを見ながらダンスを踊る人、ランニングや散歩をする人がたくさんいました。



そして朝の托鉢の僧の姿も



面白かったのは、乗合トラックで来てそこから托鉢に向かう僧の集団と、托鉢を終えて乗合トラックに乗って去っていく僧の集団を見たこと。


皆お寺からずっと歩いてくるわけじゃないんですねぇ、とヘンな感心をしてしまいました。

ヤンゴンでやることと言ったら、タイ大使館に行ってビザを申請することと、つい先日研修を終えたばかりの人たちに会ってくること、の2つのみです。


それ以外の時間は空いているので、ここぞとばかりにシュエダゴンパゴダまで歩いてきました。



ヤンゴンのタイ大使館



シュエダゴンパゴダの門前町?屋根付きの階段の中には仏具やお土産を売る商店が並んでいました。


こちらは中からの様子


この階段を上っていくとチケットブースがあり、現在は入場料が一人10ドルになったそうです。(たしか2年前は一人5ドルでした)


私は前回中に入ったことがあるので、今回は外から眺めるのみ。




こちらは泊まっていたホテルからタイ大使館に向かう道中の、公園ごしに見たシュエダゴンパゴダ。




夜ライトアップされるとこんな感じになります。これもまた素敵な感じ。


14日はアメリカ大統領のオバマさんがヤンゴン大学に来ていたらしく、夕方市内の道は大渋滞。普段なら30分とかからず行けるところが、2時間半もかかりました。おかげで3時ころに行く約束だったリハ病院に着いたのは夕暮れ時の午後5時すぎ。仕事もとっくに終わっているのに、皆待っていてくれました。お待たせして本当にすみません。


懐かしい面々と。
左から、今年の研修生、サンさん、ニーニーさん、中央の女性ミンミンさんとその右のティーさんが昨年の研修生、そして一番右がここの主任のアルフレッドさんです。


ここNational Rehabilitation Hospitalは、今年開講したばかりのヤンゴンの大学の義肢装具学科の実技の場所として使われることになっています。(日本財団支援による)


そのために、以前訪れた時は古びた機材が埃を被っていたようなスペースがすべて改装され、学生さん用の作業台などで埋まっていました。



ペンキ塗りたてな感じの、学生さん用の新しい作業スペース。




そして、その後は皆で近くのレストランに行って楽しく食事をすることができました。あたたかくもてなしてくれた皆さんに感謝です。
2014年の8月に法改正がなされ、NGOで働く有給職員は、タイに1年以上滞在することが許されなくなったそうです。

なんのこっちゃな話です。



イミグレーション(移民局)に行って、「飛行機に乗ってどこか他の国に行って、それからタイに入国すればいいってことですか?」と聞いたら


「そうじゃなくてね。新しいビザをタイ以外の国のタイ大使館で取ってこなきゃダメなんですよ。」と係官に言われました。


へぇ、そうですか。


それしか方法がないということなので、ミャンマーのヤンゴンにあるタイ大使館で申請することにしました。

出発3日前にミャンマー政府のウェブサイトでEビザを申請したら、


http://evisa.moip.gov.mm/
(ミャンマー政府オフィシャルサイト)




なんと



「申請から許可の返信メールを送信するまで5日かかります」との表示が。クレジットカードで50ドルも支払った後なんですけど、、、。


どう考えても間に合わないので、その日のうちに大急ぎでバンコクスタッフにパスポートを送り、翌日お急ぎ仕上げでバンコクにあるミャンマー大使館でビザを取ってもらうことになりました。



チェンマイからヤンゴンまでは、ゴールデンミャンマーエアラインが格安で2848バーツで買えました。

http://www.gmairlines.com/
(ゴールデンミャンマーエアライン)





この会社2012年創業だそうです。予約のシステムは既存大手に比べると若干弱い気もしますが、スタッフさんなかなか好感度高かったです。

というのも、サイトで予約をしたらメールで

「○○銀行の、口座番号XXXXXX に 料金を振り込んで下さい。振込み完了時にはスリップの画像を添付して返信願います」との返事が来て、


翌日銀行のATMから振り込んだ後に携帯で写真を撮って添付しようと思ったらできなかったんです。


正直に「振込みは完了しましたが、私の携帯からでは画像が添付できませんでした」とメールしたらすぐに電話がかかってきて

「バンコクの予約センターのものですが、もしメールが無理でしたらXXXXXXXXXXの携帯にSMSで送るのはどうでしょう?」との提案が。


会社の番号ではなく、オペレーターのお姉さんの個人的な番号だったそうです。そこまで親切に接してくれてありがとう。

残念ながらSMSでも無理だったので、結局自宅まで戻ってPCに接続してからメールで送信することができました。



逆に悪印象だったのはエアーマンダレー。
ヤンゴンーマンダレーの国内線のフライトを予約して、「予約受付完了しました」というメールが来たので、それだけプリントアウトして、支払はヤンゴンの空港にあるオフィスでしてもいいかな、と思ってました。が、実はその後に「予約を承りましたが、満席でした」とメールが。その事実を知ったのはヤンゴンに着いた後。

幸い、フライトはヤンゴンに着いたその当日でなくて2日後の予定だったので焦らずにすみましたが、でもサイトで予約受け付けた時点で席はとれたと思いますよね、普通?

なので、エアーマンダレーからのおわびのメールの返信に、「エアーアジアのサイトを参考にしてはいかがでしょうか。満席の場合は予約が取れないシステムになってます。また、予約がとれた後にはキャッシュカードで支払いができるようになってます。このようにしていただけたらありがたいのですが。」とコメントしておきました。





11月19日追記: 先週の時点でEビザの申請から許可まで「5日かかります」と書かれていたのが、今日みたら「3日」に変更されてました。。。。 なんだかなぁ。いいことなんですけど。。もうちょっと早く改正してくれてもよかったのに。