NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム
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☆ハーレム日記リバイバル☆ 第102号 セントラルパークでエイズウォークに参加

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                    第百ニ号 05/26/2001
                                         Harlem日記
            
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*****セントラルパークでエイズウォークに参加*****

エイズウォークには、友人Aちゃんと二人参加した。エイズで苦しむ人々の為に募金を集める10キロメートルを歩くというイベントだ。9時半くらいにレジスターを済ませるためセントラルパーク入口へ向かう。

5アベニュー付近の入口からビッシリとテントに、受付の人が並んでいる。5分近く歩いても個人参加の札は見つからない。結局グループ以外の人は、どこの受付でも参加の手続きさえ済ませれば、良かったらしい。

「ヒロちゃん、いくら募金する?」参加者も募金を要請される。
「うーん、そうだねぇー皆いくらくらいしてるの?」
「隣の人ととかって、10ドルしかあげてないよ。」


「まぁーいいや25ドル一口みたいに書いてるから25ドルにするよ。」と、滅多
に募金なんてしたことないので相場がわからない。

「25ドルなんて、ちょっぴり太っ腹すぎたかな? 25ドルもあれば、酒が3杯飲
めたじゃないかぁ」などと、後からチチィーンとバーのレジスターの音が勢いよく頭の中でこだまする。ケチな私。

今朝は最高の気分。青い空、鮮やかなグリーンの木々そして、たちこめる馬のウンチの芳しい?

「Aちゃん。何がセントラルパークで許せないかって、この馬のウンチの匂い
だけは・・・。サイクリングでも馬の落し物がある72ストリートから下へは絶対、来ない。」

「私は、子供の頃に馬小屋とか牛小屋とか友人の家にあったりして、よく遊びに行ったから、ぜんぜん平気。むしろ懐かしい匂いに感じるわ。」とシンデレラの馬車みたいな・・・馬に目をやる。

もといニューヨークの馬は、そんな夢のような馬車ではなく、都会生活と過労で疲れきった様子の小汚い馬、真っ白であるべき毛も、ちょっぴり黄ばんだマダラ模様。

尻尾は黄土色になってドロドロ。ハサミでチョキチョキ毛先をカットしてあげたいくらいだ。

馬車を引くオッサンも怪しい笑いを浮かべる。こんなんに乗ってお姫様になった気分が味わえるんかい?

そういえばミッドタウンに住む友人Aの自宅付近を、こいつらが夜中にコツコツと帰宅するらしい。コツコツコツコツ・・・

Aが「私の王子様だ。やっと迎えに来た!」窓へ駆けよる。と、そこにはヨタヨタと過労死しかけたニューヨークの馬と怪しいオッサンの疲れて帰る姿。

さて、スタート地点には4万人がいっせいにスタート。といっても皆ダラダラ歩き出す。ニューヨークマラソンとは雰囲気が違う。鼓笛隊がダカダカダカダカダッダンとステキな行進曲を刻む。

「Aちゃん、朝メシ食ってきた?私食ってきてないから、腹へったよー。」Aちゃんの情報によると、前回参加した時にはキャンディーが貰えたりジュースが
飲み放題だったとか・・・。早くメシ食わせろーと出発早々フラフラした足取りなのだ。

途中ではボランティアが励ましてくれる。「みんなで一斉に騒ごうぜ〜」というと、アメリカ人は、きちんと反応し「イェーイ!」と叫ぶ。それにしてもアジア人参加者は少ない。わりとブラックの比率が高いと感じた。

王冠を被っている人は1000ドル以上寄付を集めた人の証。王様気分で羨ましい。

来年は「ハーレム日記ご一行様」で出て1000ドルを徴収した私が王冠を被るんだ!と夢を描く。

72ストリートの広場からスタートしてセントラルパーク最北端まで辿り着いた時には、少し膝や足首が痛くなってきた。ウエストサイドの公園横を歩いて72ストリートまで再び下る。

またまたボランティアの励まし、黄色い立ち入り禁止の黄色いテープを腰ミノにして即席フラダンスを踊ってみせる太めな中年白人男性。

交通整理をするブラックの警察はブラックの小さな女の子と、ラジカセから流れるヒップホップ音楽に合わせて腰をクニクニ振って踊る。さすがパフォーマーな奴らである。

通りではジュースや果物そしてチーズなどの配給があったが、アイスクリームが配られた時には。皆、まかれた餌ににじり寄る鳩のように、ガツガツと激しくアイスの箱を奪い去った。中には一人で4つも箱を手にする者もいる。持ってかえっても溶けて食えないだろうに・・・。

ようやくゴール。ゴールの証となるシールを貼ってもらう。「えぇーこれだけ?Tシャツとかが記念に貰えるんじゃないの?」と不服なAちゃんと私。テントではブルーのチケットと交換にTシャツを貰ってる人がいる。

「そういえば朝に受付してた時、隣でレジスターしてた兄ちゃんにはブルーのチケット渡してた。」とAちゃん。

「えぇー???じゃぁ私たちの分は受付の兄ちゃんが、ブルーのチケット渡し忘れたのかなぁー。」とテントでTシャツを配る兄さんに問う。

「ちょいとぉーわたし等、寄付したのに、どうしてTシャツが貰えないのさ。」兄ちゃんは領収書をチラリとのぞく。

「君の寄付した25ドルじゃだめで、後125ドル、つまり計150ドルの寄付が必
要なんだ。」えぇーってことは、隣でレジスターしてた若い兄ちゃんは一人で150ドル以上も寄付してたんだ。

と、王冠のみならず寄付の多い人はここでも待遇が上。まっ当たり前か。

ともかく、ニューヨーカーのボランティア精神は感心させられる。電車でも人々が物乞いに、金を渡してる姿を見かける。特にラテン系やブラックの貧しそうな人の方が白人より、金を渡してる姿を見る機会が多い。

未だアジア人が、金を渡してる姿を見たことがない。<そういう私も滅多に渡さないが>

アメリカ人は生まれ育つ段階で、人を助ける精神というものが宗教上から生まれ備わっているんだろう。今の無宗教な日本に必要なのは、英語教育よりも何よりも人を助けようという心の育つ教育なはずだ。

ネットで知り合って殺されたりするという非人道的事件が増えているのは、人間の生命の尊さや、人を思いやる気持ちを子供の頃から培う場所が欠けているからに違いない。

今回エイズウォークで私が学んだものは、4万人もの人が一つの目的で歩くということに対する連帯感と、僅かでも誰かの支えになれる行動ができたという充足感、皆と同時に歩き終えた時の達成感。

この後に飲んだ酒は、いつもより一層美味しく感じた。

 



エイズウォークに関する詳しい過去の記事>>>All About Japanの私の書いた記事より

 

 

 


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作者より
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ラッキー・チェンというドラッグ・クィーン<女装した男性>がウェイトレスをやってる店に行ってきた。店のショーよりも凄い客がやってきて・・・このお話はまた来週。
 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第101号 ビバ高齢出産!

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          第百一号 05/19/2001
             Harlem日記
        
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*****ビバ高齢出産!*****

その日、ブルックリンのベッドフォードからマンハッタンへ戻るはずが、間違えてブルックリンの奥地へ向かう地下鉄に乗ってしまった。

 

ブラックの兄ちゃんも数多く、なんだかハーレムに帰る時と乗客が似通ってきたなぁーなどと思ってたが、かなり行くまで気づかなかった。

車内では、たまにラジカセのボリューム大になり、ラップの音楽が鳴り響く。さすがはブラックの兄ちゃん連中。音楽が鳴っても「うるさい!」などと文句をたれることは無い。ただただリズムに合わせて身体を揺すっているのだ。

隣に座っていたヨレヨレのTシャツでブレードのオヤジも居眠りしてるのかと思ってたら、リズムに合わせて上下に頭が動き出した。カクカクと頭を動かす様はコメツキ・バッタを彷彿とさせる。

 

それにしても手にしてるスキャナーとプリンターのボックスはなぜかオヤジに似合わない。まさか盗んだんじゃないよね。

しかも袋はパステルカラーでBABY・BABYという文字が並ぶベイビー・ショップの袋。ちょっと待ったーどっからどう見ても中身と袋が一致してないぜオヤジー。

次の駅で太ったラテン系の50代前半くらいの女性が3歳くらいの坊やを右手で引いて、左手に乳母車を押して乗ってきた。隣の上下運動のオヤジは席を立つと「マミーどうぞ、ここへ座ってください。」と席を譲った。

親切なのだ。その上オヤジは前歯が二本も折れているせいか憎めないスマイル。


席に着いたラテン系の女性とオヤジは、お約束のように大声で世間話を始めた。

「26年ぶりに生まれたの。」というオバちゃんの言葉が私の耳をピクリと動かした。なぬっ?オバちゃんの子供かい。「娘は今、29歳なのよ。」なんだー聞き間違えかぁーやっぱり娘の子だよね。

 

ほーっと安楽の地へ誘われる、それでもやっぱり気になるオバちゃんの喋り。

ガーッハッハッと豪快に笑いながら「先月ママが亡くなって、今月、亭主の叔母が亡くなって、とにかくここ最近で5人も身内が亡くなったの。」身内が死んどるのに何で笑っとるんじゃい。

電車の揺れる轟音で聞き取りにくいのだが、それでもしつこく話しぶりを聞いてると、やっぱり坊やはオバちゃんの子らしい。

そんな中に突然、ドアを挟んで隣の席に座る乳母車に乗ったブラックの2歳くらいの女の子が奇声を発した。「ベイビー・ベイビーの袋だぁ〜わたちもほちぃー」と、スキッ歯のオヤジのスキャナーが入ったベイビー・ショップの袋を指差す。

「あれは、おじちゃんのモノよ!」若い母が説明する。オヤジは再びニコヤカなスマイルで若い母に問いかける「お子さんはいくつ?」「2歳なの」若い母も大声で答える。

するとラテン系の坊やが女の子にオモチャを見せた「これはどう?」女の子は目を丸くして欲しそうに手を伸ばした。坊やは右に左に揺れる車内を女の子の方へ向かって歩いてく。さすがラテン系、子供の頃から女に抜かりない。

その姿を、目を細くして見守るラテン母。とにかく坊やが可愛くてしょうがないといった雰囲気だ。20歳くらいで前の子を産んだとして29歳なら、どう考えても50歳は近いはず。

最近、友人と「日本は高齢出産を敬遠するけど、アメリカでは生理さえある限りは何歳でもOKって感じじゃない?アメリカはやっぱり医療技術が進んでるんだよ。」と話していたばかりだったので、オバちゃんを見て納得させられた。

ビバ高齢出産!オバちゃんのタフな姿を見ていると、私も高齢出産しても大丈夫なように身体を鍛えておかなくちゃーと改めて覚悟をきめる。しかし、タフなオバちゃんだった。はちきれんばかりの満面の笑顔とパワーを感じる太い腕。

こんな母に育てられるからこそラテン系ってパワフルなのだろう。



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作者より
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な・な・なんと〜近所のレストランをCafeglobe.com用にカメラマンの夏子さんと取材中、アル・シャープトン様に遭遇してしまった。アル・シャープトン様といえばブラックなら誰もが知ってる黒人運動家である。

レイ(夫)も前日に「アルはマイ・メェーン!だ。(奴は男の中の男だぜ)」と豪語していたばかり。派手なパフォーマンスに近いほどの様々な反対運動をひき起こしたりするから、ポリスが出る一幕などもあったりする。

 

その向うみずさ加減がカッコいいのだという。

彼が入ってきた瞬間、目を疑った。「よくできた着ぐるみだ。」と感心していた私。
 

オモチャのようにトコトコと歩いてテーブルにつく彼の姿は、失礼かもしれないが「かわいい!」とギューッと抱きしめて、枕の横に置いてあるテディー・ベア同様に添い寝したいほどであった。

彼の目は丸く輝いていて、ひたむきな情熱がヒシヒシと伝わってくる。私は興奮で震える足どりで近づいて「日本のライターなんですが、握手してください。」と強引に握手をせがんだ。硬い握手だが、彼の手のひらは厚くフワフワしていた。

図々しくも手にしていたデジカメで「一枚、写真を撮らせてください。」と、お願いしたら、ちょっと考えてから「OK」と頷いた。

 

写真を撮った後、私は隣にいる若い男性と女性秘書みたいな人の顔を見て「感激ですぅー」といわんばかりの満面の笑みを浮かべてしまった。ただのミーハーなパープリンばばぁ状態であった。
 

※なんとアル・シャープトン様がNY市長エリック・アダムスのキリスト教の洗礼にライカーズアイランドで立ち会ったというニュースを発見!

 

 

ライカーズアイランドといえば、NY市の刑務所がある場所。受刑者たちとNY市長が交流と同時に洗礼を受けたという。同じ目線に立てるNY市長は珍しい。それに立ち会うアル・シャープトン様もさすがだ。

 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第100号 ダンボは、これから人気になるスポット

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          第百号 05/12/2001
             Harlem日記
            
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*****ダンボは、これから人気になるスポット*****

「記事のためにブルックリンへダンボの下見に行くから一緒に行かない?」とE師匠から誘いのメール。

ダンボ?はて、サーカスの人気者な象くんにダンボと名づけているのだろうか?などと、耳をヒラヒラさせて空を飛ぶディズニーのダンボが頭に浮かんだ。


そういえば、小学校の頃に学校で観た映画では、ダンボがアクシデントで酒樽に飛び込んでしまい、酔っぱらって酒を飲んで酔っぱらったダンボの目の前にピンクの象が出てきて、

 

地獄絵なイマジネーションの世界へ誘うべくオドロオドロしい映像と共にタッタラータッタラーと怖〜い音楽が流れた。

子供にとってはオカルトチックで、酒を飲んだらピンクの象が出てくるから、飲んじゃだめよ〜という警告のように感じたものだ。

 

今では、ピンクのみならず青や黄色、緑の象が目の前に飛び出そうとも、恐れを知らず酒を飲み続ける怖いもの知らずな大人の私である。

さてダンボとはダウン・アンダー・ザ・ブルックリン・ブリッジの呼名。( DUMBO>Down Under the Manhattan Bridge Overpassの略)
 

それは、ブルックリンハイツから坂道を下って、ブルックリン・ブリッジのたもとに広がるお洒落なエリアを示す。

 

貧しいアーティストたちがレントの安い安楽の地を求めて移動したせいか、ギャラリーも多く音楽のイベントも目白押しな場所だ。

地下鉄High St. Stationを降りたつと、二人して現地地図の掲示板を食い入るように見る。

「おーパイナップルストリートにクランベリーやらオレンジなんてあるー可っ愛ぃー。私もパイナップルストリートに住みたぁーい」などと、ファッションライターとしてキャリアあるE師匠は乙女チック。

だがそれは、二人がこれから迷いこむ地獄への道を知らぬ無邪気な姿なのだった。

「川沿い、どっちだろう?」と師匠。(当時はGoogleマップなんてなかったので、地図をたどるのみであった。)
 

「うーん、どう考えてもあっちの方角ですぜ。」と橋の下を私が指差す。しかし、橋は2つある。マンハッタンとブルックリンなど、アバウトなワシ等はどっちがどっちか見当もつかない。

「洒落たカフェなんかがあるというWater St.を目指すぞ!」「おぉー!」といざ出陣。北東に向かって歩く。

しばらく歩いたが、Water St.が見当たらない。途中でラテンな日本語模様のシャツを着た派手なチンピラ風兄さんに道を問う。

 

「あそこを曲がって左だよ。」と東側を指差した。そしてさらに東へ。

「なんだか、寂しい雰囲気になってきたよ。」E師匠は不安げな顔になってくる。

コンクリートな建物は朽ち果てており、窓は蜂の巣のように無残にひび割れ、壁にはスプレーの落書き、というハーレムなんかより数段やばい雰囲気。

「うぅービッ、ビネガーヒル<エリア名>だーまさに酸っぱい酸っぱすぎるぜー大将!<師匠は私を大将と呼ぶ>」と、

どこをどう間違っても酸っぱい丘に洒落たカフェなんてあるはずがない。「パン工場があるよ師匠。もしや、このパン工場がカフェなんぞを一部で経営してるのでは?」とパン工場の裏側を偵察。

ゴミ箱にはヒッチコックの「鳥」のごとく無数の鳩さんたちがたむろっている。


廃墟でもたくましく生きる鳩さんたちは、カビの生えかけたパンの切れ端をガツガツとついばむ。腐りかけのパンは鳩さんの緑と白な落し物と混ざって、文字通り酸っぱい匂いがたちこめた。

「どうやら違いますぜ、師匠」と、鳩の背を見て問いかける私。

 

「うーん、しょうがない。もうちっと奥へ行ってみよう・・・」師匠は、まだまだ東へ歩く。

 

「師匠、もうかなり歩いてますぜぇー。もしやそれは、ガセネタでは?はめられたんじゃないですかぃ?」

東の土地も端へ行きつく寸前、偶然、ゲイっぽい小奇麗な兄さんが歩いてきた。


「すみませぬ御方、Water Stなるものを御存知でないか?」と私が問う。
 

「あぁーここからまっすぐ西へ向かって歩いていけば、ブルックリン・ブリッジの下に洒落たカフェやギャラリーがあるのよ。そこを探してるんでしょ?」と兄さんサラリと答えた。

ははぁーと察しの鋭い兄さんに頭を下げる。西へ向かうぞニンニキニキニキニンッ西にぃーはあるんだ夢の国ンニキニン。ゴーゴーウェスト「Byドリフの孫悟空」が頭の中で高らかに鳴り響いた。

「大将すまぬ。」声も少なに屍になりかけていたE師匠。1時間以上は酸っぱい
丘で、さまよった二人は西へ向かうのだった。

ようやく、お洒落な姉さんやら観光客がウロウロしているエリアへ到着。「あったーここだー。チョコレートの店。」と師匠。

落ち着いた青にペイントされた壁は新しい建物らしく小奇麗だ。店内はチョコレートを選んでくれる白衣に手袋の女性がスマイル。軽くチョコやカプチーノを楽しむために置かれた2,3のテーブルとイス。

酸っぱい地獄を見てきたワシ等にとってここは、まさに甘い天国!「アメリカのフードネットワークチャンネルでもお馴染みのJacques Torresの自家製チョコレート。

今最もニューヨークでトレンドなアーティストの集まるダンボで入手できる!」などというキャッチと共にファッション雑誌に掲載されるのだろう。

足にマメをつくってまでも聖地を追い求める、ライターの血のにじむような努力は微塵も文中には入れてはいけないのである。あぁーわびしい人生かな。ちなみに、ここのチョコはビターテイストで酒飲みにもOKな味。とってもいけるぜ。

隣のロフトっぽいビルには、水槽に浮かべたオモチャを大きなスクリーンに映し出すというギャラリーSmack Mellonがある。レント払って、オモチャの影を眺めてるという無駄といえば無駄だが、アートといえばアートなのだった。

 

私はこの無駄さ加減が気に入った。教えてください神様!の一語を、両手を絡めて叫びそうになる。

もっと東の川沿いは、マンハッタンの高層ビルが一望できて、素敵な景色だった。


決してビネガーヒルへは迷い込まぬよう「駅を降りたら北西へ進め!」と日本の皆さんには警告しておきたい。

更に、この後ランチしたピザ屋Grimaldi's<オーナーの伯父の店だったPatsy's
より改名>はお勧め!マンハッタン周辺に数店舗ある。 1933年設立イーストハーレムが老舗。炭焼きピザで生地もカリカリしてて美味!

ダンボの地図や紹介のあるサイト
http://www.dumbodirect.com/

本日ハーレム日記に登場した店

「Jacques Torres Chocolate」
66 Water St. Brooklyn
http://www.mrchocolate.com

「Grimaldi's Pizza Restaurant」
19 Old Fulton St. Brooklyn
Phone: (718)858-4300

「Smack Mellon」
56 Water St. Brooklyn

 

 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第99号 「・・・みたいなぁー」を英語で言うと

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                              第九十九号 05/12/2001
                            Harlem日記
           
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*****「・・・みたいなぁー」を英語で言うと*****

Like・・・これは白人の若い女の子の間で特に利用頻度の高い言葉である。街角で女の子同士が歩いてたりなんかして背後からストーカーのように近づくと、たいてい、

 

“I was like…”という会話を聞くことができる。ちょっと待てLikeの後の・・・部分は何て言ってるのか???聞き落としたのか???

と、さらにストーカーを続ける。そして、次の会話も“I was like…”なんなんじゃーやっぱり聞こえてないんじゃなくて言ってない。何が言いたいのか聞かせろ!とド突きたくなる。

日本の女子高生だと「・・・みたいなぁー」というのを語尾につけるが、まさにこれである。

 

だから、・・・の部分はなんなんじゃーとやはりド突きたくなる。たいてい・・・は、話の中で彼女たちのリアクションがどうであったのか説明してる部分だ。

目を皿のように見開いて指先を開いた右手を口にあてて驚いた表情をつくってみたり、チラリと冷めた目で人を睨み据えたりという応用などもあったりと五段活用さながらに使えるらしい。

会話の少ないアクション映画に、写真ばかりで活字の少ないファッション雑誌、ハウスやラップの音楽もリズムやノイズ中心なので歌詞は聞き取りにくい。

 

言葉や活字にふれる機会が少なくなったせいか、感情や様子を言葉で表現する人も減少傾向にある。

Eメールでも相手の表情が見えないからと顔文字などが普及しているが、言葉の表現だけでは感情を表現することが不可能だと誰もが踏んでるせいだろう。

 

私はライターなんてやってるくせに「言葉は要らん、目でものを言え!」と動物くん的に本能で生きる女なので、さほど気にしてなかったのだが・・・。

現代人のあまりに表現の乏しい言葉づかいには「だから、何があったんだ。どうしたんだ。何を考えたんだ。」と苛立ちを覚えるのだった。

その言葉づかいの乏しさに対し、救世主ともいえるのがヨガ。ニューヨークのスポーツクラブでも一部でヨガブームである。

 

あーヨガヨガヨガッタネー<失礼おやじギャグってしまいました>ヨガなんて黙々とやるのかと思ったら意外なことに言葉巧み。インストラクターは、とにかく言葉をかけまくる。

「ゆっくりと呼吸を〜吸ってぇー。は〜い、全てお腹の中の空気が出てしまうまではいてぇ〜。そして目を閉じてください。あなたは今、宇宙の真中にゆったりとした空間に一人佇んでいます。

 

それは広〜い広〜い・・・」ってな調子。

とにかく、私たち一人一人がイマジネーションの中で描き出すバーチャルな世界へ誘ってくれるのは、よりリアル感を増すことができるよう表現されるインストラクターの言葉なのである。

 

各個人がイマジネーションの世界に浸ることによってリラクゼーションの効果は発揮される。

もっとも英語のおぼつかない私は多少苦労しているが・・・。コブラのポーズなどと基本的な姿勢は、行くうちに覚えるだろうが、

 

仏教の誰々が、どーしたこーしたという説教は、あの世まで行ってしまいそうなほどに気の遠くなる話。まさに浮世を忘れるのには最適である。

ついでに言うと、レゲエのクラスの最後にも、横たわってヒョウ柄のスパッツを着たジャマイカンのインストラクターがリラクゼーションを行ってくれる。

「あなたは今、ジャマイカのビーチで横たわっています。抜けるような青い空と青い海。静かに波の音が聞こえてきます。」その言葉を聞くと、

 

マンハッタンのスポーツクラブの冷たいフロアに横たわっていても、本気で太陽の陽射しが照りつけ、潮の香りがするジャマイカにいるような感覚を覚える。

言葉は、私たちの心身に潜む感覚を呼び覚ましてくれる。広い空間や静寂、温かい触覚や安らぎといったものを自分自身のイメージで描き出すことによって、自律神経を自分でコントロールできるのかもしれない。

 

やっぱり言葉は最高だ!

 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第98号 男選びは株式投資

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                                            第九十八号 04/28/2001
                                        Harlem日記
            
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*****男選びは株式投資*****

帰国後に、3日間はJet Lag<時差ボケ>のせいで、昼夜が逆転し「眠れぬ夜」
を夜中に西城秀樹バージョンで口ずさんでしまった。近所で盛りのついた猫も大合唱。

オフコースバージョンは日本へのホームシックでブルーになりそうなだから、景気よく秀樹「傷だらけのローラ」熱唱時代の熱い歌いっぷりで、この歌を
歌うわけである。

それでもなんでも眠れやしないぜJet Lag。

そんな時に、なんとなく帰省中久々に日本で会った友人を思い出し、日本の女性について考えていた。

私の高校時代の友人は現在、ほとんどが日本で俗にエリートと呼ばれる人と結婚し子供にも恵まれて幸せに暮らしている。

結婚前はキャリアウーマンとしてバリバリ仕事をこなし、それなりに稼いでいた。そんな彼女たちが仕事を辞めて自らの将来を賭けるべく男を選んだことは、まさに株式投資(株=男)なのだ。

絶対に揺らぐことのない安定株(男)を手に入れるか、投資のリスクは大きいけど出世して人生を賭けた分が跳ね返ってくるなんていう嬉しいハイリスク・ハイリターンな株(男)もある。

若かりし頃は狙った東大君<東京大学卒>がオタク系だったせいで、別れを告げるとストーカーされてしまった、別な意味でハイリスクな株を買いかけた友人や、

男の家系全てが医者で、父が大工だった彼女の実家とは家柄が合わないと敷居の高い結婚を乗り越えてハイリターンな株を買った友人など、安定株を手にするまでに苦労はつきもの。

せっかく手にした安定株なエリート男も、勉強ばかりでわがままに育てられている人が多く、

「子供2人抱えているのに亭主が父親になれず子供のままなので、子供が3人いる気分だわ。」と既に株を「売り」に出したいと、こぼしてる友人もいた。

対して別パターンの友人。私のウッシッシーオヤジ系、「男は金と、セックスよ」

などと口にする超現実的女が集まる友人ばかりの中に珍しく、彼女は日本的美人で華道なんぞもこなす楚々とした女性。

モテモテなせいか30際半ばを過ぎても結婚を躊躇していた。が、「とうとう結婚したよ。」と昨年末に連絡があった。

今回、会ってみたら既に大きなお腹を抱えている。

「彼ったら最初に会った時、30過ぎてるって言ったくせに、本当は20代だったの。」と若い店頭株を手に入れた様子。

「若いってったってぇー、まぁー今は苦労するかもしれないけど、真面目そうだし将来の有望株かもよ。その上、種が青いから、きっといい子が生まれるわ。」と適当な助言をする私。

外国株を買い入れたのは、友人のKと私。Kは、日本で知り合ったドイツ人
と結ばれ2児の母となり3年が経った今、夫の転勤でフランクフルトへ移住することとなる。

まさに株の動向を調査するため現地へ出向だ。家を購入したらしく「ゲストルームもあるから遊びにおいでね。」と言ってくれた。

英語ならまだしも、ドイツ語なんて喋ったこともないのにドイツに行くなんて大変そうだが、

「言葉が喋れない分パーティーなんかで、お琴なんか弾けたら場を持たせることができるかなぁーって、お琴習ってるの。」と相変わらず卒のないKであった。

私の買った外国株であるレイ(夫)は、「買い」の直後に大手IT業界の傘下となりドーンと株が上がった。

しかし、IT業界不況の昨今、300人が同社でもレイオフ<レイオフ=解雇、レイのオフ会じゃないよ>されるという事態に及んだ。

株価が暴落するのは今日か明日かと不安におののいている私。そろそろ「売り」の頃なのだろうか。

※これは、まだ結婚前のネタっすね。株(相手)がどう変わろうと、結局は、自分自身に株があってこそなのだと思う今日このごろです。

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第96号 ニューヨークでの家具とのつき合い方

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                                            第九十六号 04/22/2001
                                        Harlem日記
            
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*****ニューヨークでの家具とのつき合い方*****

家具を購入するのはNYでは結構大変だったりする。

さて、どうやってこの狭いアパートの通路から運び込もうかと考えると春日三
球・照代の漫才「地下鉄地下鉄っていうのは、どこから入れたんでしょね〜。

これ考えたら、また寝らんなくなっちゃう。」状態になってしまう。

ロングアイランドやNJにあるIKEA<アメリカでは、アイケアと読む>という大型家具専門店はニューヨーカーの間でも安くてお洒落だと有名だが、全てが組立式だったりする。

大きなベッドでさえパーツがバラバラになっていて組み立てるのが大変だったと友人がこぼしていた。

ここの商品ではないのだが、組立式の食器棚をクリスマスプレゼントにレイ(夫)からもらったことがある。

大工の娘として育った私は、金づち片手にトントンできることが嬉しくて小躍りして喜んだ。

引出しさえも板のままやってくるから、立体に組み立てて、スライドさせる横の部分のローラーをネジでとめ、開き戸に至るまでネジでちょこちょことめていかなければならない。

どんなにがんばっても一日では仕上げることができない。裏側のボードは小さな釘をつかって打ち込んでいく。

私は子供の頃から建築業を営んでいた父の仕事をお手伝いしていたりしたので、軽快なリズムで釘を打ち込んでいった。

食器棚の上の部分を下の引き出しのパーツの上に乗せるのには大人二人がかりでないと持ち上げられない。レイに手伝ってもらって「よっこらしょ」と持ち上げた。

ようやく完成。(ちょっと開きの部分が傾いていたりするが)

だが、この食器棚、ブルックリンからハーレム、そしてハーレムをもう一度引越し。2回の引越しを繰り返すうちにかなりお疲れになったようである。

「がんばれよー」と声をかけながら、裏側のはずれかけたボードを再びトントンと修復したりして、かろうじて斜めに曲がった床の上に腰を据えた。

ある日のことだった。左手に電話を持って友人とくだらない話に花を咲かせ、そして右手で食器棚ちゃんの引き出しを開けようとする私。

一瞬グラッときたかと思うと「もうだめー」という声がどこからか聞こえてきたようだった。

レイはこの時、斜め横のソファに横になっていたのだが、二人で目を見合わせた。食器棚ちゃんの身の上に何が?

そこからはスローモーション。食器を入れたガラス扉の上部から斜めに崩れ落ちていく。

 

ガラガラガラガラーガッシャーン!!!まるで貧血状態の人間が倒れこむみたいに食器棚ちゃんは横たわった。

私は、なすすべもなく茫然と佇み、レイは耳をふさいでいた。

しばらく二人で放心状態。言葉が出ない。電話の向こうの友人が「何事?」と音のすごさに驚き、「ちょっと、後から説明する。」とすみやかに電話を切った。

しばらくして我に返った私たちは、割れて飛び散った皿やグラスをどう処理するかを検討。

「ごめんよ、こんなチープな食器棚プレゼントして。」とレイが謝る。
「なに言ってるの、食器棚ちゃんもがんばっていたじゃない。」

再びため息をつく二人。

次第に笑いがこみ上げてくる。


「なにを考えるでもなく、耳をふさいでしまった。どうしてなんだろう?」レイが笑いながら言う。

「そうだよー私を助ける余裕もなく、耳をふさぐなんて・・・それにしても、あの一瞬のレイの表情、最高。月に打ち上げられたミッキーマウスみたいな顔だった(どんな顔や)」

再び大笑い。

そして、破片をひとつひとつ拾い集めて、ほうきで小さな破片を掃いて、片付けた。

今も、この食器棚ちゃんは上部食器を収納する部分だけ健在。食器の重みに耐えながら生きぬいている。彼女の行く末はいかに。


 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第95号 ルームメイト

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          第九十五号 04/13/2001
              Harlem日記
            
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*****ルームメイト*****

ニューヨークは周知のとおり家賃がとっても高い。まず家賃はハーレムでさえワンベッドルームで800ドルから1000ドルが相場。ミッドタウンやダウンタウンではワンルームが1000ドル以下では不可能。

1500ドルをゆうに越えるから、二人で家賃を分けても750ドルは払わなければならない。

住宅環境としては日本で最悪だと言われている東京以下。その上家賃は今でも、『欽ちゃんの全日本仮装大賞』テレビ番組の得点ボードがズンズン点滅しながら上がっていくようにズンズン上がりつづけている。

そのせいかルームメートを持つことが一般的だったりする。狭い日本では、どんなに狭くても一人暮らしが普通だから、見ず知らずの他人と同じ屋根の下に暮らすなんて想像を絶することだろう。

私は日本人のルームメートと3回同居した経験を持つ。1度目はハーレム日記にも何度も登場しているJちゃん。当時は私のことを『我がままなクソババア』と私が部屋を空けた時には、わら人形を柱に打ち付けた日もあったに違いないが、

彼のことは未だに目に入れても痛くないくらい実の弟のように愛しい。

次は、MちゃんとWちゃん。彼女たちとはブルックリンで女の合宿状態。『説
教部屋』もあって、酔っ払っては若手のWちゃんに説教をたれていた。可愛さあまって、彼女の父になった気分で変な虫がつかないように見張っていた。

前置きが長くなったが、この度ここに登場するのはハーレムで一人暮らしを決意する前に出会った。「苦手な女性」の物語である。

ブルックリンで暮らしていた頃、MちゃんとWちゃんが日本に帰ることにな
ったので、Kさんを紹介された。彼女はスタイルも良く色白な美人で、とにかくその美貌のせいからか、人に頼ることを当たり前のことだと思っているタイプだった。

トークもちょっぴりスローなトロ系の天然で、ナメクジのようにノロノロ動く様は、『博多の塩』をグウの音も出ないくらいにふりかけて、溶ける姿を楽しみたい気分にさせる要素を含んでいる。

引っ越して来た時、電話を自分専用に引きたいらしいが英語ができないからと、Mちゃんに電話会社に問合せをしてもらっていた。しかし、うまく通じなかったらしく、二人で私の会社に電話をかけてきた。

私もやはり親切な日本人、ここで「仕事が忙しいから。」などと断ることもできず、忙しい合間をぬって電話会社にKさんのフリをして契約を進めた。契約時には細かなサービスの説明やらなんやらを聞いたり、決めたりしなきゃあならんので30分は時間をとられる。

自宅に帰って、「Kさん、電話会社契約しといたよ。電話番号はこれね。来週の土曜日には工事しにくるらしいよ。」と話す。

 

「あのーぉーロングディスタンスはどこにしたんですか?」(当時は、ロングディスタンスだと別会社になってたの?だね。。。)

「あー適当に決めといたよ。」

 

「私ぃーXX会社の方が良かったんですけどぉー。」

てめぇー「ありがとうございます。」の礼を言う前に、クレームかい!

あたいはあんたの秘書やないんじゃーと叫びたいが、たこ焼きを口の中にくわえた瞬間、外側は冷えているのに中はアッチッチーで高温な上、パンツのゴムみたいにタフなタコが入っていて噛んでも噛んでも、のみこめない状態だった。

そんな彼女のお願い攻撃は、二人で同居が始まってからもエスカレート。

怒りに震えながら自分の部屋に引きこもり、本格的な引きこもりの状態になるのに1ヶ月を要さなかった。

「ひろえさぁーん、ここの火災報知機の電池が切れてるせいで変な音がするんですけどぉー、管理人に言ってもらえますかぁー?」と、私が仕事に行く直前でバタバタしてる時に言ってきた。

「そんなの自分で交換しろ。」って管理人に言われるに決まってると思ったが、とりあえず聞いてみようと思ったお人好しの私が馬鹿だった。

無愛想に「電池くらい自分で交換してください。」と管理人に言われ、

 

何で私が管理人と話してるの?よーく考えると言い出しっぺの彼女が説明すればよいことなのに、英語の問題をタテに使われている自分がそこに居た。

「愚か者」って書かれた白い紙を背中に貼られて知らずに歩いてる私。

その後は、意地をはってしばらく警報機の妙な音を我慢していたが、むしょうにイライラして結局、私が取り替えた。

更には、私が寝ている時に、Kさんは夜中の2時に外から電話をかけてきて第一声から、

「ひろえさぁーん。XXってクラブは何処ですかぁー?見つからないんですぅー。」
 

馬鹿やろー見つからんのなら、その辺で勝手に遊んでおれ。と寝起きでイライラして「知らん!」と言って切った。

もっともっとプライベートな悩みや、その他もろもろは掲載を控えておくが、とにかく私は精神的にも末期状態となり、エアーガンを所持していたら縄でくくりつけて彼女を撃ちまくってやるぜ〜くらい凶暴になっていた。

「ひろえさぁーん」の声を聞くごとに、もとい、彼女が帰ってきたとドアの音がする度に、全身の毛が逆立ち心臓がドクドクと暴れだす。

「私の名を呼ばないでくれぇー。」と、知らずに白いローソクに向かって訳のわからない念仏を唱えていた。

そうして、とうとう切れてしまった私は、不必要に会社に電話してきたKさんを火山がドッピュ−ンと噴火するかのごとく大声で罵倒し、ハーレムに移り住むこととなったのである。

だが、彼女と別れて住むことにならなければ「ハーレム日記」は存在し得なかったわけで、ある意味ハーレムに住むチャンスを、ライターとして存在し得る私を、創った女だったのかもしれない。Kさんに感謝だ!

人生で苦い経験も、後のチャンスに繋がる布石になっているものだ。
<弘恵・今週の格言より>

※今の時代はハーレムのStudioでも一月1800ドルはするだろうから、高くて住めない。。。

あと、ルームメイトは日本人同士が一番いいけど、合わない相手もいるってことだ。


 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第94号さすらいのバーカウンター編 第二弾 怪しいネットワークアドミ

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                                        第九十四号 04/11/2001
                                           Harlem日記
            
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〜☆〜☆〜☆〜さすらいのバーカウンター編 第二弾〜☆〜☆〜☆〜

*****怪しいネットワークアドミニストレーター*****

いつものようにスポーツクラブを終えて、帰宅途中に一杯飲んで帰ろうとグランドセントラルステーションにあるトゥー・ブーツ<閉店>に寄った。

 

ここは元来ピザ屋なんだけど、バー・カウンターもあって、軽く酒が飲める。ここのバーテンダーのオヤジは25年のキャリアの持ち主。

オヤジは無気力に銀色のシェーカーを横方向へシェークしてマティーニを一杯つくってくれた。確かマティーニってステアするんじゃなかったっけ?まったくアメリカンなバーテンダーだ。

しばらくすると、隣に座ってきたのは白人の男性二人、だが私の隣には1つしか席が空いてなかったので別の席に移動しちまった。そして、入れ替わりに座ったのがブラックのオヤジ。

くたびれたペパーミントグリーンのシャツはカビの色、モスグリーンへと化している。顔はドラマ「踊る大走査線」の湾岸警察署の刑事課長役、小野武彦さんにクリソツ。

新聞片手にピザをぱくつきながら、グラスに注がれたウォッカをあおる。

オヤジは私のグラスを見て2杯目は「同じものを」と、たいていは自分が飲んでるものと「同じものを」のはずが、私が飲んでるものと同じものをオーダーしやがった。それがきっかけで話し始めた。

以下は、会話の抜粋。

「僕は、アメリカン・バンクでネットワークアドミニストレーターをやってるんだ。」なぬ?どこかで聞いたことあるぞ。

「夫も同じ職業です。じゃぁかなり稼ぐんでしょう?」
「そうだね。僕はボスだから。世界中のネットワークをとりしきってるんだ。日本に行ってる部下もいるよ。」

「大学の頃からコンピューターを専攻されてたの?」

「僕等の時代にはコンピューターのクラスなんてなかった。仕事をしていくうちにコンピューターの必要性に駆られて自分で学んでるうちに、ここまでエキスパートになったんだ。」

「それは凄いですね。」
「シスコのラウターのコンフィギュレーションなんかもやってる。」
「サーバーは何を使ってるんですか?」
「ユニックスだよ。」

彼は、ロングアイランドで生まれ、現在は奥さんと共にウエストチェスター在住だという。子供二人はベビーシッターに預けている。

「僕は、これからメトロノースに乗って帰るんだけど、君も125丁目までなら僕がチケット買ってやるから、一緒に電車で帰ろうよ。地下鉄よりも、格別に速い。」

「では、お言葉に甘えて。」とホームへ。太った白人女性が一人座ってる5人がけの席に二人向かい合わせで座る。車掌の兄さんがチャキチャキと軽快な音を立てて切符を回収している。オヤジは、ちょっぴりオドオドした目で兄さんの姿を追った。

なぜにぃー?<フリオ・イグレシャスのナタリー風にどうぞ>

オヤジが財布の奥底から取り出したのは、くたびれた回数券と私のための5ドル札。それを受け取った車掌の兄さんは「お客様の分の5ドルも必要です。」と、すかさず言った。

オヤジは渋々5ドル追加する。「そんなに高いのか?」オヤジが軽く文句つけると兄さん、

「お客様の125丁目までの回数券は、既に有効期限が切れております。」
おいおい、オッサン125丁目に住んどるんやないけぃー。あっしを騙そうったってーそうは問屋が卸さないぜ。

オヤジは、ばつが悪そうに喋りまくった。

 

「5ドルは高いよな。まったく・・・どうなってんだか。」オッサン、ウエストチェスターまでは、随分前から5ドル徴収されてるぜ。

とオッサンの喋りを、うわの空で聞いていた私は125丁目で、そそくさとオヤジ残して下車。

私たちが乗ったのはエクスプレスだったから、次の停車は125丁目から20分ほどかかるウエストチェスター。オヤジは、そのまま電車に揺られて行っちまった。その後、折り返しのチケットを買って125丁目に戻ったに違いない。

まったく、自分を演出するためにコンピューター用語だけは熟知してるオヤジが出没するとは、けったいな世の中だ。

 

※今は、ProvaというPizza屋になってるようだ。バーもまだある。きっと高いだろうから、行かないけど。

最近のトレンドは、フードコートみたいな店のビールを飲むビジネスマンが増えている。昔は、ビルの1階にバーがあって、そういうちょっと高級なバーへ行く人がいたけど、高すぎるからか、あまり皆が行かなくなった気がする。

 

こういうところとかが流行っている。

 

 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第93-2号 BAZAARニューヨーク特集号

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          第九十三号 03/31/2001
              Harlem日記
           
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*****BAZAARニューヨーク特集号*****

BAZAARのニューヨーク特集5月号が発売され、その記事の纏め役を勤めた伊藤操さんと同誌にも登場したメークアップアーティスト吉村綾子さんが紀伊国屋書店にて講演を行った。

ニューヨークコレクションのスライドを見ながら今年の流行は、ミリタリー風で強い女をイメージしてメークも目元にポイントを置いたものが多いといった解説をしてくれる。

わざとビンテージに仕上げたレザージャケットなども多く登場したそうだ。

吉村さんは、アカデミー授賞式の際には女優ウィノナ・ライダーやヒラリー・スワンクのメークも手がける達人。ご本人もメークは落度なく、流れる石と書いて「さすが!」と唸る東洋人の美しさ。

墨絵で掛軸にして飾ってしまいたいほどだ。

質問コーナーで積極的に手をあげた私は、本当は吉村さんに「コレクションでモデルを塗ったくったギャラはいくらなのですか?」と質問したかったのだが、それではとっても失礼なので、

「モデルさんをメークするのに時間はどの位かかるのですか?」と質問。

「ヘアーさんとモデルを奪い合いになるくらいの凄まじい舞台裏。20分くらいで一人のメークを仕上げます。」ということだった。最近はウェットティッシュ系のメーク落しがあるから、かなり楽になったとも言っておった。

講演終了後、操さんが日本へBAZAARの編集長となるために帰国することから、関係者によるパーティーが開催されるという。ライターのE師匠と私は、躊躇しながらも<私は当然イケイケだったが>、パーティーに参加することとなった。

Dish of Saltというチャイニーズレストラン。かなりお洒落で高級感漂う会場にはダンディーが服を着て歩いてるような売れっ子フォトグラファーやら、マンハッタンの高層ビルの一室で、夜景を見ながらけだるそうにタバコを吹かすのが似合いそうなカッコいいライターの女性を中心に50人近く集まっている。

その他、講談社や共同通信やらのニューヨーク支店の編集長、その上ダナ・キャランを創った男・滝富夫さんなどと豪華キャスト。

突然参加したワシはE師匠から、おはよう子供ショーのムックみたいだと後ろ
指をさされる着ぐるみのような素材のオレンジなトレーナーにスニーカーと、チャイニーズのデリバリーの兄ちゃんみたいな姿なのだ。

バー・カウンターから早速、離れない私は「ねぇーボンベイ・サファイアはオーダーできないの?」と数杯飲んだ後チャイニーズのバーテンダーにしつこくおねだり。しかし、この酒は料金が高いのでバッフェスタイルの食事にはオアズケ。

「飲み放題は安酒のみだとぉー?そりゃー私のような大酒のみがいれば、採算が合わないかもしれん。だけどぉーよー一杯ぐらいいいじゃないかぁー」と粘る。

その姿はまるで、ギャンブルで有り金全てスッて一升瓶を片手に鼻の頭を赤くして憤るオヤジだった。

さておき、テーブルに座った際にも若い兄ちゃんをおびき寄せる。ハーレム在住者らしく逆ハーレムなバーチャル世界を現実のものとするのに一分とかからなかった。とにかく若手3人のフォトグラファーは男前な日本人男児。

「美味しそうだー。」と口走ったのは、チャイニーズフードではなく兄さんたちにむけて放った言葉だったことは付け加えておく。

が、しかし、BUT、隣のテーブルに座っていた場違いな雰囲気<人のことは言えんが>で、レッドスネークカモ〜ンのゼンジー北京さんを彷彿とさせる男性が、笹に巻かれたチマキをパンダのように、がっついていた。

彼は、ネットワークアドミニストレータ−で、プライベートに操さんのHPづく
りを手伝っているのだという。男前よりもコンピューターに軍配があがるのは早かった。

ゼンジー氏の隣に喰らいつき、「サイトを数人のライターで運営する予定だけど、サーバーは自分の家で持つべきかスペースをレンタルすべきか。」といった話題で盛り上がる。

もうライターな皆さんとは別の世界、ITなオーラでバリアを築いていた。

そうこうしてる内、パーティーも終盤に近づく。先ほどのカッコいい女性ライターが操さんに向けて詩を朗読。彼女が自分の居場所を確立するまでニューヨークで頑張ってきた生き様を綴っていた。

数人のライターは「いい詩だったわねぇー。涙しそうになったわ。」と感銘している。

だが残念ながら私には共感できなかった。貧乏が故、サンクスギビングの日に粥をすすって生活しようとも、イーストビレッジの地下室で楽しく暮らしていた御気楽人間な私と「彼女の詩」は縁遠い世界だと感じたせいだ。

彼女は、私なんかには、とうてい理解できない高貴なるプライドと確固たるスタイルと複雑なる精神構造を持ち合わせているようだ。脳天気な私は決してカッコいい種類の人間に溶け込むことができない。

「同じライターという職業であってもカッコいい自分になれる人が羨ましい。」

とE師匠にぼやくと「大将は、そのオヤジっぽい自分らしさが売りなんだよ。」と励まされた。

あーあーいつになったら、米つきバッタのようにペコペコしないで暮らせるくらいくらい売れっ子になれる日がくるのだろう。だけど、おそらく売れっ子になってもパーティーは居酒屋「りき」で行う予定だ。

 

2次会は勿論ウサギちゃんが行き交うバーで!

※ウサギちゃんはいないが、うさぎという銀座の高級クラブのようなピアノバーはいまだNYにある。この店を支える日本人がいることは大切だと思う。

<閉店>DISH OF SALT
133 West 47St <bet6-7Ave>
212-921-4242

オーナーのご主人は、アーティスト。壁に飾ってある斬新なアクリルで描かれたビビッドなカラーの大きな絵は圧巻。全てアンディー・ウォーホール風なタッチだ。

 

 

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第93-1号 さすらいのバーカウンター編 第一弾 ハーレムの裏情報

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          第九十三号 03/31/2001
              Harlem日記
           
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〜☆〜☆〜☆〜さすらいのバーカウンター編 第一弾〜☆〜☆〜☆〜

*****ハーレムの裏情報*****

久々にレイ(夫)と喧嘩をしてしまい、気分転換にレノックス・ラウンジへ一杯飲みに行った。

125丁目を一人歩いていると、途中で赤いギラギラした反射鏡みたいなものが付いた大きなポラロイドカメラ調な古めかしいやつを首からぶら下げているブラックのオヤジに遭遇した。

 

「君を撮影させてくれ。」と言ったが、「金とるつもりでしょ。」と無視してラウンジに入った。

日曜日の9時過ぎだというのにカウンターは満席。ラム&コークをオーダーして立ったまま飲んでいた。奥の部屋ではジャズシンガーが歌ってる。あれ?日本の女の子だ。黒いロングヘアーに黒いドレス、壁に貼られたチラシにも日本名が。

さっきのカメラをぶら下げたオヤジが私の隣にやってきた。大きな身体をユサユサさせて、大きなバッグも一緒だ。


「あなたはフォトグラファーなの?どのくらいやってるの?」とオヤジに聞くと、
 

「プロで20年以上はやっているよ。この辺でオイラのことを知らない奴はいない。」
 

「今日は、日本のジャズシンガーが歌ってるんだね。」
「日本人客も最近とっても多いよ。日本から来たモデルやタレントもオイラが撮影したりするんだ。」

「私、この近所に住んでるの。」
「そうかぁー一人でこんな所にいたら、亭主にカンフーで技かけられるんじゃないのかい?」
 

「ジャマイカンなの。家の亭主はブラックよ。」
「そうかーてっきり日本人だと思っていたよ。オイラは一人暮らしなんだ。145丁目のレノックス。5つも部屋があるところに一人で住んでる。家賃は400ドル。」


「ひゃーっ、安い。」
「最高にイカした部屋なんだぜ。遊びにおいでよ。君は太目で僕のタイプだ。」


太目ってのは、ちょっとムカ〜っときたが、どうやら誉め言葉らしい。

「ところで中に入ってジャズ聞くと、いくらなの?」と、奥のジャズをやってる部屋に目をやる。入口のチケットを切るヨボヨボ爺さんにオヤジが「いくらチャージするんだっけ?」と問う。
 

「10ドルだよ。」
「10ドルもするんだ。だったら酒が2杯飲めちゃうから・・・。」と、この日はジャズを聴く心境でなかったので、オヤジと話しこんでいた。

するとショート・ドレッドの男前の兄ちゃんが、わけありな表情でオヤジの傍にやってきた。「パフィー<パフ・ダディーをブラックの人たちは、こう呼ぶ。>は、


やっぱりxxxxxにハメられたんだ。」と妙なことをオヤジに口走る。
「そうかー。」とオヤジもマジな顔つきで頷いている。

昨年タイムズスクエアのクラブでシューティングがあり、車で帰路へついたパフィーは警察に止められ、拳銃を所持していたことによって、この頃は裁判が続いていた。

 

結局無罪になったが、ハーレムの住人は彼の潔白を信じ無罪になることを願っていたようだ。

そういえばOJシンプソンの時も、ハメられたんだという噂がブラックの人々の一部で起こったことがある。まったくぅ〜本人にハメられたのかどうか真実を聞いてみたいものだ。

 

裏の世界では何が起こってるのか想像がつかないところが、恐ろしい。

裏の世界を知っているといえば、私は同姓なことから溝口敦というジャーナリストの密かなファン。彼の著書「チャイナマフィア」によると日本には、中国からの密航を仕切る人がいて、彼らを蛇頭と称するそうだ。

 

蛇頭は不正入国者から法外な渡航費をせしめる。

私は、てっきり中国<主に福建省>の人々が貧しいから日本や欧米に不正入国するのかと思っていたが、ジャーナリスト田中宇さんの「国際ニュース解説」を読むと、そうではないらしい。

渡航費だけでも、アメリカまで5万−6万ドル(500万-600万円以上)、西欧へ3万−4万ドル、日本へ1万−1万5000ドルも必要。それを蛇頭に支払うわけだから、貧乏人に支払い能力があるわけがない。

おまけに福建省は経済特区などもあり、中国で7番目に平均収入の多い地域で、不正移民を多く出している沿岸地域は、省内でも特に豊かな場所なのだという。


その福建では月に5000円も稼げれば良い方だが、ニューヨークのチャイナタウンの中華料理屋で必死に働けば、月に20万円になるから、出稼ぎにニューヨークへやって来るというわけだ。<田中宇さんの国際ニュース解説より一部引用>


http://tanakanews.com/a0911china.htm


余談だが、以前ニューヨークでは一部のチャイニーズが手軽な料金で簡単に人殺しを引き受けてくれるという噂もあって、時代劇・必殺仕事人みたいな稼業が本当に存在するのだと震えた。

 

過去プロの殺し屋に殺された日本人は、心の臓を小刀で一突きだったそうだ。

ハーレムのシュガーヒルは昔、リッチなジャズマンも住んでいる高級住宅地だった。が、1994年のウェズリースナイプス主演映画「シュガーヒル」では、同エリアを舞台に兄弟がドラッグディーラーとしてリッチに暮らしている。

その内兄はヘロイン中毒となってしまうのだが、痩せこけてジャンキーになってしまった兄の姿は、かなりエグイ。弟<スナイプス>はドラッグディーラーを抜け出すつもりが、モブ<ギャング>の抗争にもつれ込むというディープなもの。

それは映画の中の話だと思っていたが、ハーレム出身の友人<ブラック現在40代男性>によると、彼の幼なじみのほとんどが、若い頃にドラッグ絡みの抗争で亡くなっているという。

そんな過去をくぐり抜けてきたハーレムは、まだまだ完全に安心しきれない部分を今も残しているといえる。長く盛り場をウロついている平和な顔つきのフォトグラファーのオヤジは、意外に一般庶民の私などが知り得ない裏の世界を知っているのかもしれない。

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