☆ハーレム日記リバイバル☆ 第104-2号 辛口コラムシリーズ 第十弾 NYにおける子供の夜遊び
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第百四号 06/09/2001
Harlem日記
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〜☆〜☆〜☆〜辛口コラムシリーズ 第十弾〜☆〜☆〜☆〜
*****ニューヨークにおける子供の夜遊びについて*****
ニューヨークで、いつも驚かされることは、小学生くらいの子供たちが夜中まで遊んでいることである。ハーレムの公園<マーカス・ガーベイ・パーク>、いくら何でも夜の11時に公園でブランコに乗って遊んでいたりするのは、どうか?
と私は思う。
イーストビレッジの子供は、もっと最悪で午前1時、2時まで平気でウロウロしていた。酔っ払いがフラフラする周りでキャラキャラと黄色い声をあげて笑っている。親はドクロのタトゥーを入れた陽気なプエルトリカン兄さん。
まだまだ、親も現役で遊んでいたのだが。
かくいう私は子供の頃、不眠症だった。ニューヨークの子供たちが外でジャンケンしている宵の口10時くらいが当時は日本の子供の就寝時間だった。授業中に居眠りばかりしてたせいか、小学校三年生の頃は夜に眠れないことが多く辛くて泣いて母に訴えた。
「お薬のんでみる?」と睡眠薬を服用したこともある。
それでも夜中まで結局眠れない。そんな私を支えてくれたのがラジオだった。小学3年生の頃、初めて耳にしたタモリさんのオールナイト日本。
深夜放送に出会ってからの人生はバラ色。坪井ノリオ氏が「恋のイチャイチャ」などというHなことが書かれた手紙を読むに至っては、小学校6年生の私は耳年増になっていった。
一方、坪井ノリオ氏は当時「おはよう子供ショー」の司会も担当しており、夜中に聞いたHなパーソナリティーが朝には爽やかに「みんなぁー元気ぃ〜?」などという台詞をマジな顔で言ってるギャップは楽しかった。
中学に入ってからもタケシさんや、売れない頃の長淵剛さんがパーソナリティーのオールナイト日本を聞き、たいてい明け方までラジオにかじりついていた。
悲恋を歌う中島みゆきさんも夜中には別人のように明るいキャラで大好きなパーソナリティーの一人だった。
こうして高校生になった頃には、ラジオのみならず週刊文春や平凡パンチ、スポニチを読むオヤジのような変な方向へ向かっていた私。大好きな本は太宰治とプレイボーイはたまた本多勝一さんのジャーナリズムなどなどバラバラだった。
自分のことばかり語ってしまったが、幼少の頃の私なんかより更にニューヨークの子供たちというのは視覚的にも感覚的にも耳年増ならぬ精神年齢が高いといえる。
日本だと子供が遊んでるはずのない時間に外を闊歩してるのだ。少なからず男女のまぐわいなどは恋愛小説からでなく、目前にするだろう。
とは言っても夜の11時すぎ。まだまだガキの声が表の公園で、こだましている。しかも火曜日だ。もう12時になるぞぉー。昼間じゃないんだからガキの声はキャラキャラうざったい。
若いってことはいいことだガキたちよ。私なんて起きていれるだけ起きていることのできた時代は、既に通りすぎたんだ。若い頃のように明け方までクラブで踊り続けるなんて、超人的なことは今となっては不可能だ。
3晩続けてクラブに通って、ユンケルを飲んでまで大学と両立した頃が懐かしい。
確か睡眠時間2時間だけの日、1時間目の体育の授業はスケートだった。フラフラになりながらもスケート靴を履いて授業をクリアー。
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第104-1号 オペラを演じるレストラン
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第百四号 06/09/2001
Harlem日記
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*****オペラを演じるレストラン*****
オペラを演奏するレストランがアッパーウェストにあると、友人Aちゃんが言うので突撃。「カフェみたいな所だから、お茶しながら楽しめるみたいよ。」という話だったが、店に入るとそこはコテコテのイタリアンレストラン。
分厚いステーキやトマトソースもこってりとパスタにフォークを突き刺す客のみなさん。
「どうする?さっき家で肉じゃが定食喰らってきたばかりなのに、これ以上、食い物はノドを通らんぜ。」とアキちゃんに目くばせ。
「でもバーカウンターはいっぱいだし。」とAちゃん。
しょうがないので私はマフィアのボスみたいなマネージャーに声をかける。「ワシ等、メシ食って来たけど、テーブルには座れるんかい?オペラ見たいんだけどさ。」
「オペラを演奏してる代わりにテーブルは20ドルミニマムなんだよ。」「OKじゃあ、それくらい使ってやらぁー」ってな訳で、ピアノが置いてある角っこが、なんとなく見えるテーブルに案内された。
木目調のピアノにスポットライトがあたると、ピアニスト登場。「おぃおぃ婆ちゃんじゃないか。」どう見積もっても80歳近い白髪な婆ちゃん。足元もヨトヨトとおぼつかない。
「なんかーギャラけちってさぁー婆ちゃん使ってるようなオペラじゃー期待できないよアキちゃん。」と既に突っ込みはじめた私。
バーちゃんは、黒い小さなセカンドバッグをピアノの上に乗せると、ちょこんとイスに座った。鍵盤にスーッと指をおろす。ダラダラダラダララーンッダッダダーーーン。突然、雷が落ちたような激しい旋律に切れの良いピアノさばき。
「婆ちゃん足元はフラフラで、あの世も近いはずなのに指先は20代だぜ。」と私は驚愕の声をあげた。婆ちゃんはまさに職人!ピアノのキャリアを積んだ棟梁だったのだ。
オペラを歌う歌手が楽譜を持って婆ちゃんのピアノの譜面台にのせる。婆ちゃんは譜面どおりに美しい旋律を奏でる。グラマーでラテンの血が混ざってる雰囲気な白人のキュートな姉さんが歌いだす。
うーん前にエロビデオで見たことあるような?
そんな野蛮な私の考えを吹き飛ばすかのように、彼女の歌声は透明だった。アルプスの山々の水をクリスタルのグラスに並々と注いだような、溢れんばかりの清涼感。
コレステロールで固まりかけた血管の中の血がスーッと溶けていくように私の体の中にゾクゾクと響き渡った。
「うーん、姉さんのアノ時の声が聴いてみたい。」などと男子諸君のようにエッチなことを考えてるのは私だけだったのだろうか?やっぱりオペラ歌手ってアノ時も美しい声で・・・
ともかく姉さんが一曲歌い終わると次には別の女性が譜面台に楽譜をのせた。
スタンダードなナンバーのオペラはオペラ初心者な私たちにも受け入れやすい。数人の歌手がリレー形式で歌う。
真っ黒な髪をウェーブにした魔女のような美人姉さんは陰気臭い短調な曲ばかりをセレクト。かなり太い声帯を持ってるらしくレストラン中響き渡る声量で、このまま地獄へ連れて行かれそうだ。
「帰れソレントへ」いう小学校の頃に音楽の授業で歌ったことのある歌を、白人の太めな兄さんが歌った。懐かしいぜー。ってソレントがどこかも知らずに歌っってたけど、曲調からしてロシアだと勘違い。
イタリアじゃないのーまったく。
「オーソーレミーオー」太め兄さんは、両手を広げカンツォーネのこぶし。せっせと船を漕ぐ船頭さんが、まぶしい太陽に向かって高らかに歌うイタリアの青い水に囲まれた空気を夜中のニューヨークにもたらすほどだ。
客層は中高年が多かったが、若い子たちもグループでいるからスズメのように騒がしい。静かな曲になると中高年の客は「シーッ」と静かにしろという注意を促す。それでも若いスズメたちは喋りをやめなかった。
そうして2時間以上もオペラは続く。男女の愛を語るデュエットでは、太め兄さんと魔女姉ちゃんが、お口クチュクチュ・モンダミンを使ってないと口臭が気になるほどに近寄って歌う。
エンディングに調子にのった兄ちゃんは熱い口づけを。ギョエェーいくら仕事とはいえ、兄ちゃん口づけはいかんでしょう。ニューヨークにいてもイタリア人は、まだまだ熱い。興奮が覚めないうちに帰ろうと、それでも12時過ぎに店を出た。
オペラというものは金持ちがドレスアップしてコンサートホールで静かに聴くものだと敷居が高かったが、さすがニューヨーク!庶民のためカジュアルにアレンジされているので私にも楽しむことができた。
本日ハーレム日記に登場したレストラン
Taci Opera
グラバー園にあるプッチーニの像らしい
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第103号 ドラッグ・クィーンとは?Luckey Cheng's
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第百三号 06/02/2001
Harlem日記
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*****ドラッグ・クィーンとは?Luckey Cheng's*****
友人Aとラッキー・チェンに行った。この店の名前を口にしようとするたび私の脳内では、お約束のようにジャッキー・チェンやレスリー・チャンなどと
オヤジギャグが走馬灯のように駈け巡り頭蓋骨がカタカタと音をたてる。もちろん、いっさい関係ない。
ここはドラッグ・クィーンがウェイトレスを勤めるレストラン。薬のDrugじゃなく、Drag Queenとは女装した男性。
薄暗い店内は、ピンクや赤のヒラヒラドレスを着たブラックの背の高いウェイトレス。モノトーンのお尻が見えそうなくらい短くてタイトなドレスを身につけセクシーな日本人・アジア系ウェイトレス。
赤いチェック模様の「不思議な国のアリス」系衣装をまとった白人ウェイトレスは、厚化粧で隠しても男がぬけきれていないせいか、まさに季節はずれなハロウィーンパーティー。
私たちのテーブルを担当してくれたのは日本人。声はちょっぴり野太いが、それを除けば完璧な女。髪の毛はツヤツヤしたストレートヘアで長く腰まである。メークも落度ない美人。
おっぱいもデカイ!背も高くてスタイル抜群。くっそー女の私が生きていく価値を失うじゃないか。
彼、いや彼女は相変わらず太い声で「今日のお勧めメニューは、エビが丸ごと入ってる春巻き風アッペタイザーね。ホタテ貝のグラタン風は、マヨの味でしょっぱいから、おつまみには最適よ。」とフレンドリーな笑顔で指し示す。
「一番強い酒は?」と問うと、白と緑の絵の具を水に溶かしたような緑のドロドロしたカクテルを持ってきた。そしてライターで火をつけると炎が宿る。
「うわぁー燃えてるぅー凄いアルコール濃度」それでも「はやく吹き消さなくちゃーせっかくのアルコールがとんじゃう!」と慌てて吹き消す私。
しばらくするとショータイムが始まった。スラリとしたブラックのウェイトレスが赤いランジェリーで登場。客席から白人の女性がイスに座らせられアクロバットのように逆さになったり、
長い脚を大きく開いてパッとすぼめ彼女の首に絡めたり、あげくの果てに大事なところをさすったりというストリップショー風。
マナ板ショーさえ始まるんじゃないかと私はカメラを抱えて舞台のかぶりつき席を陣取り、お姉ちゃんの太腿に喰らいつきそうになった。が、残念ながらそこまではやらなかった。
「うーむ、このステーキこめかみが痛くなるくらい噛みつづけても噛み切れず、なかなか呑みこめない。」とAは目を白黒させる。肉はバーベキューのように真っ黒に焼け焦げてるわりに中は真っ赤。
口にすると、ちょっぴり焦臭い。「バーベキュー気分で食べればOKだよ。」とバーチャルバーベキューを楽しむ。お世辞にも、料理を堪能できるスポットとは言えないレストランである。
ショーはマイクを握った白人ウェイトレスに渡され、くだらないジョークをとばす。「やっぱり、日本のオカマバーの方が数段面白いし、ショーも洗練されてる。」
と私はAにぼやきながら、カルーセル真紀もたびたび訪れるゲイバーのある北九州の歓楽街を懐かしんだ。
しばらくすると、私たちの右隣のテーブルに上品な白髪まじりのゲイカップルがついた。「ここは、とても愉快なんだよ。」と来たことのある一方が静かにパートナーに語りかける。「どういった料理があるのかな?」二人はメニューに目をやる。
ピンクのナプキンをきちんとヒザの上に置いて料理を楽しむゲイのカップルを見てると、高級フランチレストランにいるような気分にさせられる。そんな優雅な時が流れる中、ドヤドヤと左隣のテーブルにやってきたのはレズビアンのグループ。
5カップル10人の団体さんで誕生日パーティーらしい。
席に着くやいなや、彼女たちはカメラのフラッシュをたきまくり撮影開始。イェーイ!とピースサインやら抱き合ってキスでポーズを決めシャッターを押す。
しばらくすると彼女たちの一人が肌色のモノを取り出して、それを手に撮影している。
隣の席から騒ぎに目を凝らすと、紛れもなくその肌色のモノは大人のおもちゃだった。そう、アメリカ版バイブ。拳銃スタイルでON/OFFスイッチが引き金になっている。
キャラキャラと笑いながら咥えたり、頬に近づけたり。アダルトビデオから抜け出たようなムッチリした白人女性のあられも無い姿に唖然とする私とアケピー。
ふと我に返ると『私も仲間に入れて欲しい』くらい妙にワクワク不思議な気分になっていた。「写真を撮ってもいい?」と隣の女の子に聞くと「もちろんOKよ。」
と拳銃スタイルのモノを私の方へ向け「チャーリーズエンジェル」と、はしゃいでいる。
昨今のレズ姉さんたちは「男にモテないからレズに走るんだ」などという考えは、てんで当てはまらない。アイドルっぽいラテン系のグラマーな可愛い女の子にニューヨークのトレンディードラマに出てきそうな細面でセミロングの女の子。
その他、セクシーボンバーが揃っていた。
ゲイが男同士の愛を求めるのと同じく、レズは女同士の愛を大切にする。だから、ここにいる女の子たちはオナベ<男装している女性>のように男になりたい女ではなく、女のままの女なのであった。
私たちは上品なゲイカップルと下品なレズカップルの団体の間というシチュエーションで、さすがニューヨークは凄い!と唸るばかり。<断っておくがレズの女性が、下品だと言ってるのではない>。こうしてゲイであることレズであることを隠すことなく大っぴらに楽しめるニューヨークの余裕は、さすがだ。
ラッキー・チェンというエキセントリックな場所だからこそ、こういう人々にめぐり合える。ともかく一生忘れられない楽しい思い出をつくれる店は、ニューヨークではここかもしれない。
本日ハーレム日記に登場した店
Lucky Cheng's
調子にノリすぎてカードの盗難にあった
たまには一人でお出かけしようと、一人で日系のバーに行った。っていうか、まったくの一人っきりでバーへ行くなんていうのは初めての経験。このトシで初体験だなんて。
チェリーボーイならぬ、チェリーバーってやつやね。
バーカウンターにいる日本人のお姉ちゃんは最初、アメリカ人の客にばかりいい顔をして、私はスルー。おばちゃんは、たいして金払いよくないってわかってるからか?どうせ、めったに来ないってわかってるからか?
彼女も仕事が忙しいのだから、それはそれでいい。
って、思ってたけど、さすがにおそすぎる。ので、上司の名前でボトルが入ってるはずだと言ってみた。もちろん上司の酒を勝手に飲むつもりはない。けど、そういう言い方をしたほうが自然だと思ったのだった。
ら、
秒で酒が出てきて、おつまみを頼んだら、そっちも秒で出てきたのだった。やればできるやん!
バーカウンターの隣には、アメリカ人と日本人っぽいカップル。ず〜っと話し込んでいた。奥のほうにもアメリカ人がゾロゾロと男性ばかり。
しばらく飲んでいると、隣のカップルの女性だけがいなくなったのか?それともカップルで出ていってアメリカ人が座ったのか?よくわからなかったんだけど、いつの間にかアメリカ人男性が隣に一人で座っていた。
で、なんとなく少しずつ、話しをすることとなった。Newsweekのブロガーもやっているから、今日は取材だったという話から、ジャーナリズムに関する話をしていたら、彼はブルームバーグにつとめていて・・・。というような話だった。
酔ってたので、ほとんど記憶にない。
その彼がチェックをもらったので、私もそろそろ帰ろうかなと思ってトイレへ立ったのだった。
バーカウンターの向こう側にいるお姉さんに、「悪いけど、バックを置いてっても良いかな?」って聞いた。「見ておきます」と軽い返事。
そして支払いのときになって、カードがないことに気づいた。前の店からカードをもらった後には、しっかり財布に入れたはず。だが、どこを探してもカードが見つからない。
結局、キャッシュで払ったのだけど。
この時、さっき隣にいたアメリカ人がいないことに気づいた。たぶんヤツが、カードだけ抜いたのかもしれん。ブルームバーグ勤務だなんて、嘘に決まっている。
すぐに家へ電話して、カードをオンラインでログインして、ロックをかけてもらったので、カードを使われることはなかった。
カードを盗まれたのは、ちょっと面倒だけど、すぐに新しいカードが来るだろう。
やはり一人で飲み歩きなんて、滅多なことはしたらアカンって思った。私が一人で飲むことは、ぜったいに無理って学ぶことができたので、カードを盗まれたことは、よかったのかもしれない。
支払いはキャシュだったけど、領収書を出してほしいと、レシートを渡してくれてるのにもかかわらず、しっかり上様みたいな書面のものを書いてほしいと求めた。が、今どきは、そんな領収書がないらしい。。。知らんかった。
結局、グダグタ言って、別のレシートをもう一枚、出してもらった。
バーのお姉さんにしてみたら、酔っ払いから絡まれて、最悪な夜だったに違いない。
私の書いてるNewsweekのブログ
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/bailey/
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第102号 セントラルパークでエイズウォークに参加
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第百ニ号 05/26/2001
Harlem日記
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*****セントラルパークでエイズウォークに参加*****
エイズウォークには、友人Aちゃんと二人参加した。エイズで苦しむ人々の為に募金を集める10キロメートルを歩くというイベントだ。9時半くらいにレジスターを済ませるためセントラルパーク入口へ向かう。
5アベニュー付近の入口からビッシリとテントに、受付の人が並んでいる。5分近く歩いても個人参加の札は見つからない。結局グループ以外の人は、どこの受付でも参加の手続きさえ済ませれば、良かったらしい。
「ヒロちゃん、いくら募金する?」参加者も募金を要請される。
「うーん、そうだねぇー皆いくらくらいしてるの?」
「隣の人ととかって、10ドルしかあげてないよ。」
「まぁーいいや25ドル一口みたいに書いてるから25ドルにするよ。」と、滅多
に募金なんてしたことないので相場がわからない。
「25ドルなんて、ちょっぴり太っ腹すぎたかな? 25ドルもあれば、酒が3杯飲
めたじゃないかぁ」などと、後からチチィーンとバーのレジスターの音が勢いよく頭の中でこだまする。ケチな私。
今朝は最高の気分。青い空、鮮やかなグリーンの木々そして、たちこめる馬のウンチの芳しい?
「Aちゃん。何がセントラルパークで許せないかって、この馬のウンチの匂い
だけは・・・。サイクリングでも馬の落し物がある72ストリートから下へは絶対、来ない。」
「私は、子供の頃に馬小屋とか牛小屋とか友人の家にあったりして、よく遊びに行ったから、ぜんぜん平気。むしろ懐かしい匂いに感じるわ。」とシンデレラの馬車みたいな・・・馬に目をやる。
もといニューヨークの馬は、そんな夢のような馬車ではなく、都会生活と過労で疲れきった様子の小汚い馬、真っ白であるべき毛も、ちょっぴり黄ばんだマダラ模様。
尻尾は黄土色になってドロドロ。ハサミでチョキチョキ毛先をカットしてあげたいくらいだ。
馬車を引くオッサンも怪しい笑いを浮かべる。こんなんに乗ってお姫様になった気分が味わえるんかい?
そういえばミッドタウンに住む友人Aの自宅付近を、こいつらが夜中にコツコツと帰宅するらしい。コツコツコツコツ・・・
Aが「私の王子様だ。やっと迎えに来た!」窓へ駆けよる。と、そこにはヨタヨタと過労死しかけたニューヨークの馬と怪しいオッサンの疲れて帰る姿。
さて、スタート地点には4万人がいっせいにスタート。といっても皆ダラダラ歩き出す。ニューヨークマラソンとは雰囲気が違う。鼓笛隊がダカダカダカダカダッダンとステキな行進曲を刻む。
「Aちゃん、朝メシ食ってきた?私食ってきてないから、腹へったよー。」Aちゃんの情報によると、前回参加した時にはキャンディーが貰えたりジュースが
飲み放題だったとか・・・。早くメシ食わせろーと出発早々フラフラした足取りなのだ。
途中ではボランティアが励ましてくれる。「みんなで一斉に騒ごうぜ〜」というと、アメリカ人は、きちんと反応し「イェーイ!」と叫ぶ。それにしてもアジア人参加者は少ない。わりとブラックの比率が高いと感じた。
王冠を被っている人は1000ドル以上寄付を集めた人の証。王様気分で羨ましい。
来年は「ハーレム日記ご一行様」で出て1000ドルを徴収した私が王冠を被るんだ!と夢を描く。
72ストリートの広場からスタートしてセントラルパーク最北端まで辿り着いた時には、少し膝や足首が痛くなってきた。ウエストサイドの公園横を歩いて72ストリートまで再び下る。
またまたボランティアの励まし、黄色い立ち入り禁止の黄色いテープを腰ミノにして即席フラダンスを踊ってみせる太めな中年白人男性。
交通整理をするブラックの警察はブラックの小さな女の子と、ラジカセから流れるヒップホップ音楽に合わせて腰をクニクニ振って踊る。さすがパフォーマーな奴らである。
通りではジュースや果物そしてチーズなどの配給があったが、アイスクリームが配られた時には。皆、まかれた餌ににじり寄る鳩のように、ガツガツと激しくアイスの箱を奪い去った。中には一人で4つも箱を手にする者もいる。持ってかえっても溶けて食えないだろうに・・・。
ようやくゴール。ゴールの証となるシールを貼ってもらう。「えぇーこれだけ?Tシャツとかが記念に貰えるんじゃないの?」と不服なAちゃんと私。テントではブルーのチケットと交換にTシャツを貰ってる人がいる。
「そういえば朝に受付してた時、隣でレジスターしてた兄ちゃんにはブルーのチケット渡してた。」とAちゃん。
「えぇー???じゃぁ私たちの分は受付の兄ちゃんが、ブルーのチケット渡し忘れたのかなぁー。」とテントでTシャツを配る兄さんに問う。
「ちょいとぉーわたし等、寄付したのに、どうしてTシャツが貰えないのさ。」兄ちゃんは領収書をチラリとのぞく。
「君の寄付した25ドルじゃだめで、後125ドル、つまり計150ドルの寄付が必
要なんだ。」えぇーってことは、隣でレジスターしてた若い兄ちゃんは一人で150ドル以上も寄付してたんだ。
と、王冠のみならず寄付の多い人はここでも待遇が上。まっ当たり前か。
ともかく、ニューヨーカーのボランティア精神は感心させられる。電車でも人々が物乞いに、金を渡してる姿を見かける。特にラテン系やブラックの貧しそうな人の方が白人より、金を渡してる姿を見る機会が多い。
未だアジア人が、金を渡してる姿を見たことがない。<そういう私も滅多に渡さないが>
アメリカ人は生まれ育つ段階で、人を助ける精神というものが宗教上から生まれ備わっているんだろう。今の無宗教な日本に必要なのは、英語教育よりも何よりも人を助けようという心の育つ教育なはずだ。
ネットで知り合って殺されたりするという非人道的事件が増えているのは、人間の生命の尊さや、人を思いやる気持ちを子供の頃から培う場所が欠けているからに違いない。
今回エイズウォークで私が学んだものは、4万人もの人が一つの目的で歩くということに対する連帯感と、僅かでも誰かの支えになれる行動ができたという充足感、皆と同時に歩き終えた時の達成感。
この後に飲んだ酒は、いつもより一層美味しく感じた。
エイズウォークに関する詳しい過去の記事>>>All About Japanの私の書いた記事より
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作者より
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ラッキー・チェンというドラッグ・クィーン<女装した男性>がウェイトレスをやってる店に行ってきた。店のショーよりも凄い客がやってきて・・・このお話はまた来週。
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第101号 ビバ高齢出産!
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第百一号 05/19/2001
Harlem日記
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*****ビバ高齢出産!*****
その日、ブルックリンのベッドフォードからマンハッタンへ戻るはずが、間違えてブルックリンの奥地へ向かう地下鉄に乗ってしまった。
ブラックの兄ちゃんも数多く、なんだかハーレムに帰る時と乗客が似通ってきたなぁーなどと思ってたが、かなり行くまで気づかなかった。
車内では、たまにラジカセのボリューム大になり、ラップの音楽が鳴り響く。さすがはブラックの兄ちゃん連中。音楽が鳴っても「うるさい!」などと文句をたれることは無い。ただただリズムに合わせて身体を揺すっているのだ。
隣に座っていたヨレヨレのTシャツでブレードのオヤジも居眠りしてるのかと思ってたら、リズムに合わせて上下に頭が動き出した。カクカクと頭を動かす様はコメツキ・バッタを彷彿とさせる。
それにしても手にしてるスキャナーとプリンターのボックスはなぜかオヤジに似合わない。まさか盗んだんじゃないよね。
しかも袋はパステルカラーでBABY・BABYという文字が並ぶベイビー・ショップの袋。ちょっと待ったーどっからどう見ても中身と袋が一致してないぜオヤジー。
次の駅で太ったラテン系の50代前半くらいの女性が3歳くらいの坊やを右手で引いて、左手に乳母車を押して乗ってきた。隣の上下運動のオヤジは席を立つと「マミーどうぞ、ここへ座ってください。」と席を譲った。
親切なのだ。その上オヤジは前歯が二本も折れているせいか憎めないスマイル。
席に着いたラテン系の女性とオヤジは、お約束のように大声で世間話を始めた。
「26年ぶりに生まれたの。」というオバちゃんの言葉が私の耳をピクリと動かした。なぬっ?オバちゃんの子供かい。「娘は今、29歳なのよ。」なんだー聞き間違えかぁーやっぱり娘の子だよね。
ほーっと安楽の地へ誘われる、それでもやっぱり気になるオバちゃんの喋り。
ガーッハッハッと豪快に笑いながら「先月ママが亡くなって、今月、亭主の叔母が亡くなって、とにかくここ最近で5人も身内が亡くなったの。」身内が死んどるのに何で笑っとるんじゃい。
電車の揺れる轟音で聞き取りにくいのだが、それでもしつこく話しぶりを聞いてると、やっぱり坊やはオバちゃんの子らしい。
そんな中に突然、ドアを挟んで隣の席に座る乳母車に乗ったブラックの2歳くらいの女の子が奇声を発した。「ベイビー・ベイビーの袋だぁ〜わたちもほちぃー」と、スキッ歯のオヤジのスキャナーが入ったベイビー・ショップの袋を指差す。
「あれは、おじちゃんのモノよ!」若い母が説明する。オヤジは再びニコヤカなスマイルで若い母に問いかける「お子さんはいくつ?」「2歳なの」若い母も大声で答える。
するとラテン系の坊やが女の子にオモチャを見せた「これはどう?」女の子は目を丸くして欲しそうに手を伸ばした。坊やは右に左に揺れる車内を女の子の方へ向かって歩いてく。さすがラテン系、子供の頃から女に抜かりない。
その姿を、目を細くして見守るラテン母。とにかく坊やが可愛くてしょうがないといった雰囲気だ。20歳くらいで前の子を産んだとして29歳なら、どう考えても50歳は近いはず。
最近、友人と「日本は高齢出産を敬遠するけど、アメリカでは生理さえある限りは何歳でもOKって感じじゃない?アメリカはやっぱり医療技術が進んでるんだよ。」と話していたばかりだったので、オバちゃんを見て納得させられた。
ビバ高齢出産!オバちゃんのタフな姿を見ていると、私も高齢出産しても大丈夫なように身体を鍛えておかなくちゃーと改めて覚悟をきめる。しかし、タフなオバちゃんだった。はちきれんばかりの満面の笑顔とパワーを感じる太い腕。
こんな母に育てられるからこそラテン系ってパワフルなのだろう。
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作者より
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な・な・なんと〜近所のレストランをCafeglobe.com用にカメラマンの夏子さんと取材中、アル・シャープトン様に遭遇してしまった。アル・シャープトン様といえばブラックなら誰もが知ってる黒人運動家である。
レイ(夫)も前日に「アルはマイ・メェーン!だ。(奴は男の中の男だぜ)」と豪語していたばかり。派手なパフォーマンスに近いほどの様々な反対運動をひき起こしたりするから、ポリスが出る一幕などもあったりする。
その向うみずさ加減がカッコいいのだという。
彼が入ってきた瞬間、目を疑った。「よくできた着ぐるみだ。」と感心していた私。
オモチャのようにトコトコと歩いてテーブルにつく彼の姿は、失礼かもしれないが「かわいい!」とギューッと抱きしめて、枕の横に置いてあるテディー・ベア同様に添い寝したいほどであった。
彼の目は丸く輝いていて、ひたむきな情熱がヒシヒシと伝わってくる。私は興奮で震える足どりで近づいて「日本のライターなんですが、握手してください。」と強引に握手をせがんだ。硬い握手だが、彼の手のひらは厚くフワフワしていた。
図々しくも手にしていたデジカメで「一枚、写真を撮らせてください。」と、お願いしたら、ちょっと考えてから「OK」と頷いた。
写真を撮った後、私は隣にいる若い男性と女性秘書みたいな人の顔を見て「感激ですぅー」といわんばかりの満面の笑みを浮かべてしまった。ただのミーハーなパープリンばばぁ状態であった。
※なんとアル・シャープトン様がNY市長エリック・アダムスのキリスト教の洗礼にライカーズアイランドで立ち会ったというニュースを発見!
ライカーズアイランドといえば、NY市の刑務所がある場所。受刑者たちとNY市長が交流と同時に洗礼を受けたという。同じ目線に立てるNY市長は珍しい。それに立ち会うアル・シャープトン様もさすがだ。
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第100号 ダンボは、これから人気になるスポット
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第百号 05/12/2001
Harlem日記
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*****ダンボは、これから人気になるスポット*****
「記事のためにブルックリンへダンボの下見に行くから一緒に行かない?」とE師匠から誘いのメール。
ダンボ?はて、サーカスの人気者な象くんにダンボと名づけているのだろうか?などと、耳をヒラヒラさせて空を飛ぶディズニーのダンボが頭に浮かんだ。
そういえば、小学校の頃に学校で観た映画では、ダンボがアクシデントで酒樽に飛び込んでしまい、酔っぱらって酒を飲んで酔っぱらったダンボの目の前にピンクの象が出てきて、
地獄絵なイマジネーションの世界へ誘うべくオドロオドロしい映像と共にタッタラータッタラーと怖〜い音楽が流れた。
子供にとってはオカルトチックで、酒を飲んだらピンクの象が出てくるから、飲んじゃだめよ〜という警告のように感じたものだ。
今では、ピンクのみならず青や黄色、緑の象が目の前に飛び出そうとも、恐れを知らず酒を飲み続ける怖いもの知らずな大人の私である。
さてダンボとはダウン・アンダー・ザ・ブルックリン・ブリッジの呼名。( DUMBO>Down Under the Manhattan Bridge Overpassの略)
それは、ブルックリンハイツから坂道を下って、ブルックリン・ブリッジのたもとに広がるお洒落なエリアを示す。
貧しいアーティストたちがレントの安い安楽の地を求めて移動したせいか、ギャラリーも多く音楽のイベントも目白押しな場所だ。
地下鉄High St. Stationを降りたつと、二人して現地地図の掲示板を食い入るように見る。
「おーパイナップルストリートにクランベリーやらオレンジなんてあるー可っ愛ぃー。私もパイナップルストリートに住みたぁーい」などと、ファッションライターとしてキャリアあるE師匠は乙女チック。
だがそれは、二人がこれから迷いこむ地獄への道を知らぬ無邪気な姿なのだった。
「川沿い、どっちだろう?」と師匠。(当時はGoogleマップなんてなかったので、地図をたどるのみであった。)
「うーん、どう考えてもあっちの方角ですぜ。」と橋の下を私が指差す。しかし、橋は2つある。マンハッタンとブルックリンなど、アバウトなワシ等はどっちがどっちか見当もつかない。
「洒落たカフェなんかがあるというWater St.を目指すぞ!」「おぉー!」といざ出陣。北東に向かって歩く。
しばらく歩いたが、Water St.が見当たらない。途中でラテンな日本語模様のシャツを着た派手なチンピラ風兄さんに道を問う。
「あそこを曲がって左だよ。」と東側を指差した。そしてさらに東へ。
「なんだか、寂しい雰囲気になってきたよ。」E師匠は不安げな顔になってくる。
コンクリートな建物は朽ち果てており、窓は蜂の巣のように無残にひび割れ、壁にはスプレーの落書き、というハーレムなんかより数段やばい雰囲気。
「うぅービッ、ビネガーヒル<エリア名>だーまさに酸っぱい酸っぱすぎるぜー大将!<師匠は私を大将と呼ぶ>」と、
どこをどう間違っても酸っぱい丘に洒落たカフェなんてあるはずがない。「パン工場があるよ師匠。もしや、このパン工場がカフェなんぞを一部で経営してるのでは?」とパン工場の裏側を偵察。
ゴミ箱にはヒッチコックの「鳥」のごとく無数の鳩さんたちがたむろっている。
廃墟でもたくましく生きる鳩さんたちは、カビの生えかけたパンの切れ端をガツガツとついばむ。腐りかけのパンは鳩さんの緑と白な落し物と混ざって、文字通り酸っぱい匂いがたちこめた。
「どうやら違いますぜ、師匠」と、鳩の背を見て問いかける私。
「うーん、しょうがない。もうちっと奥へ行ってみよう・・・」師匠は、まだまだ東へ歩く。
「師匠、もうかなり歩いてますぜぇー。もしやそれは、ガセネタでは?はめられたんじゃないですかぃ?」
東の土地も端へ行きつく寸前、偶然、ゲイっぽい小奇麗な兄さんが歩いてきた。
「すみませぬ御方、Water Stなるものを御存知でないか?」と私が問う。
「あぁーここからまっすぐ西へ向かって歩いていけば、ブルックリン・ブリッジの下に洒落たカフェやギャラリーがあるのよ。そこを探してるんでしょ?」と兄さんサラリと答えた。
ははぁーと察しの鋭い兄さんに頭を下げる。西へ向かうぞニンニキニキニキニンッ西にぃーはあるんだ夢の国ンニキニン。ゴーゴーウェスト「Byドリフの孫悟空」が頭の中で高らかに鳴り響いた。
「大将すまぬ。」声も少なに屍になりかけていたE師匠。1時間以上は酸っぱい
丘で、さまよった二人は西へ向かうのだった。
ようやく、お洒落な姉さんやら観光客がウロウロしているエリアへ到着。「あったーここだー。チョコレートの店。」と師匠。
落ち着いた青にペイントされた壁は新しい建物らしく小奇麗だ。店内はチョコレートを選んでくれる白衣に手袋の女性がスマイル。軽くチョコやカプチーノを楽しむために置かれた2,3のテーブルとイス。
酸っぱい地獄を見てきたワシ等にとってここは、まさに甘い天国!「アメリカのフードネットワークチャンネルでもお馴染みのJacques Torresの自家製チョコレート。
今最もニューヨークでトレンドなアーティストの集まるダンボで入手できる!」などというキャッチと共にファッション雑誌に掲載されるのだろう。
足にマメをつくってまでも聖地を追い求める、ライターの血のにじむような努力は微塵も文中には入れてはいけないのである。あぁーわびしい人生かな。ちなみに、ここのチョコはビターテイストで酒飲みにもOKな味。とってもいけるぜ。
隣のロフトっぽいビルには、水槽に浮かべたオモチャを大きなスクリーンに映し出すというギャラリーSmack Mellonがある。レント払って、オモチャの影を眺めてるという無駄といえば無駄だが、アートといえばアートなのだった。
私はこの無駄さ加減が気に入った。教えてください神様!の一語を、両手を絡めて叫びそうになる。
もっと東の川沿いは、マンハッタンの高層ビルが一望できて、素敵な景色だった。
決してビネガーヒルへは迷い込まぬよう「駅を降りたら北西へ進め!」と日本の皆さんには警告しておきたい。
更に、この後ランチしたピザ屋Grimaldi's<オーナーの伯父の店だったPatsy's
より改名>はお勧め!マンハッタン周辺に数店舗ある。 1933年設立イーストハーレムが老舗。炭焼きピザで生地もカリカリしてて美味!
ダンボの地図や紹介のあるサイト
http://www.dumbodirect.com/
本日ハーレム日記に登場した店
「Jacques Torres Chocolate」
66 Water St. Brooklyn
http://www.mrchocolate.com
「Grimaldi's Pizza Restaurant」
19 Old Fulton St. Brooklyn
Phone: (718)858-4300
「Smack Mellon」
56 Water St. Brooklyn
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第99号 「・・・みたいなぁー」を英語で言うと
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第九十九号 05/12/2001
Harlem日記
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*****「・・・みたいなぁー」を英語で言うと*****
Like・・・これは白人の若い女の子の間で特に利用頻度の高い言葉である。街角で女の子同士が歩いてたりなんかして背後からストーカーのように近づくと、たいてい、
“I was like…”という会話を聞くことができる。ちょっと待てLikeの後の・・・部分は何て言ってるのか???聞き落としたのか???
と、さらにストーカーを続ける。そして、次の会話も“I was like…”なんなんじゃーやっぱり聞こえてないんじゃなくて言ってない。何が言いたいのか聞かせろ!とド突きたくなる。
日本の女子高生だと「・・・みたいなぁー」というのを語尾につけるが、まさにこれである。
だから、・・・の部分はなんなんじゃーとやはりド突きたくなる。たいてい・・・は、話の中で彼女たちのリアクションがどうであったのか説明してる部分だ。
目を皿のように見開いて指先を開いた右手を口にあてて驚いた表情をつくってみたり、チラリと冷めた目で人を睨み据えたりという応用などもあったりと五段活用さながらに使えるらしい。
会話の少ないアクション映画に、写真ばかりで活字の少ないファッション雑誌、ハウスやラップの音楽もリズムやノイズ中心なので歌詞は聞き取りにくい。
言葉や活字にふれる機会が少なくなったせいか、感情や様子を言葉で表現する人も減少傾向にある。
Eメールでも相手の表情が見えないからと顔文字などが普及しているが、言葉の表現だけでは感情を表現することが不可能だと誰もが踏んでるせいだろう。
私はライターなんてやってるくせに「言葉は要らん、目でものを言え!」と動物くん的に本能で生きる女なので、さほど気にしてなかったのだが・・・。
現代人のあまりに表現の乏しい言葉づかいには「だから、何があったんだ。どうしたんだ。何を考えたんだ。」と苛立ちを覚えるのだった。
その言葉づかいの乏しさに対し、救世主ともいえるのがヨガ。ニューヨークのスポーツクラブでも一部でヨガブームである。
あーヨガヨガヨガッタネー<失礼おやじギャグってしまいました>ヨガなんて黙々とやるのかと思ったら意外なことに言葉巧み。インストラクターは、とにかく言葉をかけまくる。
「ゆっくりと呼吸を〜吸ってぇー。は〜い、全てお腹の中の空気が出てしまうまではいてぇ〜。そして目を閉じてください。あなたは今、宇宙の真中にゆったりとした空間に一人佇んでいます。
それは広〜い広〜い・・・」ってな調子。
とにかく、私たち一人一人がイマジネーションの中で描き出すバーチャルな世界へ誘ってくれるのは、よりリアル感を増すことができるよう表現されるインストラクターの言葉なのである。
各個人がイマジネーションの世界に浸ることによってリラクゼーションの効果は発揮される。
もっとも英語のおぼつかない私は多少苦労しているが・・・。コブラのポーズなどと基本的な姿勢は、行くうちに覚えるだろうが、
仏教の誰々が、どーしたこーしたという説教は、あの世まで行ってしまいそうなほどに気の遠くなる話。まさに浮世を忘れるのには最適である。
ついでに言うと、レゲエのクラスの最後にも、横たわってヒョウ柄のスパッツを着たジャマイカンのインストラクターがリラクゼーションを行ってくれる。
「あなたは今、ジャマイカのビーチで横たわっています。抜けるような青い空と青い海。静かに波の音が聞こえてきます。」その言葉を聞くと、
マンハッタンのスポーツクラブの冷たいフロアに横たわっていても、本気で太陽の陽射しが照りつけ、潮の香りがするジャマイカにいるような感覚を覚える。
言葉は、私たちの心身に潜む感覚を呼び覚ましてくれる。広い空間や静寂、温かい触覚や安らぎといったものを自分自身のイメージで描き出すことによって、自律神経を自分でコントロールできるのかもしれない。
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第98号 男選びは株式投資
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第九十八号 04/28/2001
Harlem日記
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*****男選びは株式投資*****
帰国後に、3日間はJet Lag<時差ボケ>のせいで、昼夜が逆転し「眠れぬ夜」
を夜中に西城秀樹バージョンで口ずさんでしまった。近所で盛りのついた猫も大合唱。
オフコースバージョンは日本へのホームシックでブルーになりそうなだから、景気よく秀樹「傷だらけのローラ」熱唱時代の熱い歌いっぷりで、この歌を
歌うわけである。
それでもなんでも眠れやしないぜJet Lag。
そんな時に、なんとなく帰省中久々に日本で会った友人を思い出し、日本の女性について考えていた。
私の高校時代の友人は現在、ほとんどが日本で俗にエリートと呼ばれる人と結婚し子供にも恵まれて幸せに暮らしている。
結婚前はキャリアウーマンとしてバリバリ仕事をこなし、それなりに稼いでいた。そんな彼女たちが仕事を辞めて自らの将来を賭けるべく男を選んだことは、まさに株式投資(株=男)なのだ。
絶対に揺らぐことのない安定株(男)を手に入れるか、投資のリスクは大きいけど出世して人生を賭けた分が跳ね返ってくるなんていう嬉しいハイリスク・ハイリターンな株(男)もある。
若かりし頃は狙った東大君<東京大学卒>がオタク系だったせいで、別れを告げるとストーカーされてしまった、別な意味でハイリスクな株を買いかけた友人や、
男の家系全てが医者で、父が大工だった彼女の実家とは家柄が合わないと敷居の高い結婚を乗り越えてハイリターンな株を買った友人など、安定株を手にするまでに苦労はつきもの。
せっかく手にした安定株なエリート男も、勉強ばかりでわがままに育てられている人が多く、
「子供2人抱えているのに亭主が父親になれず子供のままなので、子供が3人いる気分だわ。」と既に株を「売り」に出したいと、こぼしてる友人もいた。
対して別パターンの友人。私のウッシッシーオヤジ系、「男は金と、セックスよ」
などと口にする超現実的女が集まる友人ばかりの中に珍しく、彼女は日本的美人で華道なんぞもこなす楚々とした女性。
モテモテなせいか30際半ばを過ぎても結婚を躊躇していた。が、「とうとう結婚したよ。」と昨年末に連絡があった。
今回、会ってみたら既に大きなお腹を抱えている。
「彼ったら最初に会った時、30過ぎてるって言ったくせに、本当は20代だったの。」と若い店頭株を手に入れた様子。
「若いってったってぇー、まぁー今は苦労するかもしれないけど、真面目そうだし将来の有望株かもよ。その上、種が青いから、きっといい子が生まれるわ。」と適当な助言をする私。
外国株を買い入れたのは、友人のKと私。Kは、日本で知り合ったドイツ人
と結ばれ2児の母となり3年が経った今、夫の転勤でフランクフルトへ移住することとなる。
まさに株の動向を調査するため現地へ出向だ。家を購入したらしく「ゲストルームもあるから遊びにおいでね。」と言ってくれた。
英語ならまだしも、ドイツ語なんて喋ったこともないのにドイツに行くなんて大変そうだが、
「言葉が喋れない分パーティーなんかで、お琴なんか弾けたら場を持たせることができるかなぁーって、お琴習ってるの。」と相変わらず卒のないKであった。
私の買った外国株であるレイ(夫)は、「買い」の直後に大手IT業界の傘下となりドーンと株が上がった。
しかし、IT業界不況の昨今、300人が同社でもレイオフ<レイオフ=解雇、レイのオフ会じゃないよ>されるという事態に及んだ。
株価が暴落するのは今日か明日かと不安におののいている私。そろそろ「売り」の頃なのだろうか。
※これは、まだ結婚前のネタっすね。株(相手)がどう変わろうと、結局は、自分自身に株があってこそなのだと思う今日このごろです。
☆ハーレム日記リバイバル☆ 第96号 ニューヨークでの家具とのつき合い方
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第九十六号 04/22/2001
Harlem日記
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*****ニューヨークでの家具とのつき合い方*****
家具を購入するのはNYでは結構大変だったりする。
さて、どうやってこの狭いアパートの通路から運び込もうかと考えると春日三
球・照代の漫才「地下鉄地下鉄っていうのは、どこから入れたんでしょね〜。
これ考えたら、また寝らんなくなっちゃう。」状態になってしまう。
ロングアイランドやNJにあるIKEA<アメリカでは、アイケアと読む>という大型家具専門店はニューヨーカーの間でも安くてお洒落だと有名だが、全てが組立式だったりする。
大きなベッドでさえパーツがバラバラになっていて組み立てるのが大変だったと友人がこぼしていた。
ここの商品ではないのだが、組立式の食器棚をクリスマスプレゼントにレイ(夫)からもらったことがある。
大工の娘として育った私は、金づち片手にトントンできることが嬉しくて小躍りして喜んだ。
引出しさえも板のままやってくるから、立体に組み立てて、スライドさせる横の部分のローラーをネジでとめ、開き戸に至るまでネジでちょこちょことめていかなければならない。
どんなにがんばっても一日では仕上げることができない。裏側のボードは小さな釘をつかって打ち込んでいく。
私は子供の頃から建築業を営んでいた父の仕事をお手伝いしていたりしたので、軽快なリズムで釘を打ち込んでいった。
食器棚の上の部分を下の引き出しのパーツの上に乗せるのには大人二人がかりでないと持ち上げられない。レイに手伝ってもらって「よっこらしょ」と持ち上げた。
ようやく完成。(ちょっと開きの部分が傾いていたりするが)
だが、この食器棚、ブルックリンからハーレム、そしてハーレムをもう一度引越し。2回の引越しを繰り返すうちにかなりお疲れになったようである。
「がんばれよー」と声をかけながら、裏側のはずれかけたボードを再びトントンと修復したりして、かろうじて斜めに曲がった床の上に腰を据えた。
ある日のことだった。左手に電話を持って友人とくだらない話に花を咲かせ、そして右手で食器棚ちゃんの引き出しを開けようとする私。
一瞬グラッときたかと思うと「もうだめー」という声がどこからか聞こえてきたようだった。
レイはこの時、斜め横のソファに横になっていたのだが、二人で目を見合わせた。食器棚ちゃんの身の上に何が?
そこからはスローモーション。食器を入れたガラス扉の上部から斜めに崩れ落ちていく。
ガラガラガラガラーガッシャーン!!!まるで貧血状態の人間が倒れこむみたいに食器棚ちゃんは横たわった。
私は、なすすべもなく茫然と佇み、レイは耳をふさいでいた。
しばらく二人で放心状態。言葉が出ない。電話の向こうの友人が「何事?」と音のすごさに驚き、「ちょっと、後から説明する。」とすみやかに電話を切った。
しばらくして我に返った私たちは、割れて飛び散った皿やグラスをどう処理するかを検討。
「ごめんよ、こんなチープな食器棚プレゼントして。」とレイが謝る。
「なに言ってるの、食器棚ちゃんもがんばっていたじゃない。」
再びため息をつく二人。
次第に笑いがこみ上げてくる。
「なにを考えるでもなく、耳をふさいでしまった。どうしてなんだろう?」レイが笑いながら言う。
「そうだよー私を助ける余裕もなく、耳をふさぐなんて・・・それにしても、あの一瞬のレイの表情、最高。月に打ち上げられたミッキーマウスみたいな顔だった(どんな顔や)」
再び大笑い。
そして、破片をひとつひとつ拾い集めて、ほうきで小さな破片を掃いて、片付けた。
今も、この食器棚ちゃんは上部食器を収納する部分だけ健在。食器の重みに耐えながら生きぬいている。彼女の行く末はいかに。