怒れる男の別館だった…。

怒れる男の別館だった…。

別館としてやってきましたが、紆余曲折あって、こうなりましたw

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1990年11月、当時小学4年生だった被害児童が下校途中にナイフで脅かされて車のトランクに入れられて、犯人である佐藤宣行の家に運ばれます。
この佐藤宣行は当時28歳で、以前にも下校途中の少女を連れ去り、わいせつ行為をしようとしたが、それを見ていた同じ学校の少女が学校へ知らせ、全教師総動員で出向き、佐藤宣行を取り押さえた為に未遂でした。
この強制わいせつ未遂で懲役1年執行猶予3年の判決をうけた佐藤宣行は、その執行猶予中に新潟少女監禁事件を起こします。
佐藤宣行は父親が63歳、母親が36歳の時に出来た子供で、溺愛されて育てられたが、父親が年を取ってることや、父親の名前が古臭いことなどから、小学校でからかわれ、父親との関係が悪化します。
そんな中、父親は死亡し、母親と2人の生活が始まります。
高校を卒業して以来、仕事を3ヶ月しかしたことがなかった佐藤宣行は、母親と一緒では自立出来ないと考え、同じ家でも入り口を別々に改築してもらい、自分の部屋への立ち入りを禁じます。
これが9年2ヶ月もの間、母親に監禁が発覚しなかった原因となります。

そして少女と佐藤宣行の、2人の生活が始まりました。
初めは少女の両手両足を縛っていた佐藤宣行ですが、ナイフで脅したりすることを繰り返す中、少女が逃げ出さないと確信し、縛ることを止めます。
ちなみに、部屋に鍵をかけることもしませんでしたが、すでに少女は逃げる気力が失われてました。
そして何年か経ち、1日にコンビニ弁当をひとつしか貰えなくなり、40数キロあった体重も30キロ台まで落ち、体力も奪われます。
この点、検察側の主張は、逃げることを出来なくする為に食事を減らしたと主張しますが、佐藤宣行は否定しています。

佐藤宣行は父親から潔癖症という病気を遺伝していました。
人から触られることや、壁などを触ることを極端に嫌がり、そのうちトイレにも行かなくなり、部屋や風呂でビニール袋の中に用を足すようになります。
被害少女も同様に、部屋でビニール袋の中に用を足していました。
そしてその大便や小便の入ったビニール袋を、階段の端に並べていたのです。
後に少女を発見した保健所の職員は、佐藤宣行の家に入った時、目が痛くなるほどのアンモニア臭がしたと述べています。
しかし、人から触られるのも触るのも嫌いなはずの佐藤宣行は、被害少女を触ったり触られるのは平気だったようです。
この点、かなり矛盾しています。
佐藤宣行は、被害少女をベッドから下ろさないようにしていたのは、彼女を汚染させない為だと述べています。
しかし、9年2ヶ月の監禁の間、母親にばれる危険性がある為、僅か1回しかお風呂に入れてないのです。
本人自身も、1ヶ月に1回しか風呂に入っていなかったそうです。
そういう不潔な状態なのに、9年2ヶ月もの間、佐藤宣行は被害少女とずっと一緒に寝ていたのです。
つまり、人から触られるのも触るのも不潔で嫌だが、可愛い少女は別。
そして自分も別という考えなのでしょう。

監禁中は少女を殴ったり、スタンガンをあてたりすることを繰り返していました。
『おじさん』と言われただけで、鉄拳制裁を加えていたのです。
その理由は、同年代の人として扱ってほしかったからだと佐藤宣行は述べています。
なにを考えてるのでしょか。
当時で28歳と9歳という違いがあるのです。

佐藤宣行は、少女が保護される数年前から、母親への暴力をエスカレートさせていきました。
それに耐えかねた母親は、保健所に相談します。
そこで精神病院に強制入院させるという結論にいたります。
そして保健所の職員が、佐藤宣行の家に向かいました。

佐藤宣行の部屋に保健所の職員が入ると、佐藤宣行はベッドで寝ていました。
そして起こして連れていこうとしますが、佐藤宣行は暴れだします。
それをなんとか制圧して連れ出します。
この時、佐藤宣行は『もう終わりだ!うまくいってたのに!』と叫んでいます。
保健所の職員は、佐藤宣行を連れ出すと同時に、ベッドの上にある丸まった毛布が動いているのを見逃しませんでした。
そこで毛布を捲ると、被害少女がいたのです。
保健所が誰なのか尋ねても答えない為、佐藤宣行の母親を連れてきます。
そして母親が『あなたは誰?帰らないの?』と聞くと、少女は『ここにいてもいいですか?』と言うので、母親は『いいよ』と答えます。
しかし、保健所の職員はそんなんで納得せず、家は何処にあるのかと問いただします。
すると少女は、『もうないかもしれない』と答えたのです。
そこで名前など詳しく聞いたところ、9年2ヶ月前に行方不明になっていた少女だと分かったのです。
発見当時、少女はすでに19歳で、ひとりでは歩けない状態になってました。
ちなみに、毛布に包まっていたのは、佐藤宣行との約束の為です。
寝る時は、毛布に丸まり、髪の毛も出さないようにとのルールを9年2ヶ月もの間、守っていたのです。

少女の9年2ヶ月の生活は、テレビも見れない生活でした。
しかし、佐藤宣行はラジオを聞かせたり、新聞や漫画などを見せてたようです。
ちなみに、被害少女の行方不明の新聞報道なども見せていました。
佐藤宣行は、学校にも行かせられないので、知能の発達が遅れないように、新聞やラジオから流れるニュースのディスカッションを被害少女としていたようです。
保護された被害少女の趣味も、ある意味独特のものでした。
競馬、F1などのスポーツが好きだったのです。
これは、佐藤宣行の趣味でした。

そして裁判が始まります。
裁判中、取調べでも簡易鑑定の時にも言ってなかった、幻覚や幻聴が聞こえると言い出し、本鑑定をすることになります。
簡易鑑定と本鑑定は、精神鑑定のことです。
しかし、これによって分かったことといえば、佐藤宣行が人格障害であること、自己愛が強いこと、成人女性には興味がないペドフィリアであることでした。
当然、責任能力に問題はないとされました。
ちなみに検察側は、幻覚や幻聴は心神耗弱によって減刑を得る為の詐病だと切り捨てています。
実際、本鑑定での結論も似たようなものでした。

初めの時点で起訴された罪名は、逮捕監禁致傷と未成年者略取でした。
裁判において、加算方式はとれないことから、その中で1番重い罪の法定刑の範囲で刑が決まることになります。
それは逮捕監禁致傷で、当時は10年が最高刑でした。
そこで検察は追起訴を決断します。
それは窃盗罪です。
被害少女のキャミソールを、ある店から盗んでいたのです。
それはすでに弁償も済んでいて、不起訴が妥当なものですが、検察は起訴に踏み切りました。
それには理由があります。
最高刑が10年ではあまりにも軽い、ならどうするか。
そこで窃盗罪で追起訴することにより、併合罪で裁こうとしたのです。
併合罪とは、別々の罪を一緒に裁くことにより、その中で1番重い罪の最高刑の1.5倍、つまり、この件でいえば懲役15年の刑を科せるというものです。
ちなみに、未成年者略取と逮捕監禁致傷では併合罪になりません。
その説明はここでは省きますが、だからこそ窃盗罪での起訴が必要だったのです。

実際、検察官は論告でこう述べています。

『最高刑が懲役10年では、被害者の奪われた1日につき、僅か1日の服役で償うことになり、それではあまりにも正義に反する』

そして、この論告では異例の言葉も述べています。

『犯行の重大性に照らせば、未決勾留日数を1日たりとも算入するならば正義に反する』

未決勾留日数の算入について検察官が論告で言及するのは、非常に異例です。
実際、私は聞いたことがありません。

そして検察官は、併合罪での最高刑である、懲役15年を求刑しました。


新潟地裁での判決は懲役14年で、未決は約1年の算入でした。
これに対して佐藤宣行は、すぐに控訴を決めます。
ちなみに検察側は控訴していません。

そして東京高裁で判決が言い渡されます。
原判決を破棄し、被告人を懲役11年に処する。
なんと、3年間も刑が軽くなったのです。
この判決に対する東京高裁の判断は以下の通りです。

併合罪で罪を科す時、逮捕監禁致傷については懲役10年、窃盗については懲役5年と判断し、懲役15年に処することは出来るが、逮捕監禁致傷について懲役14年、窃盗については懲役1年として、懲役15年に処することは出来ない。
つまり、併合罪で裁く時にも、逮捕監禁致傷は10年が最高刑であるから、逮捕監禁致傷をその限度を超えて評価するのは違法であるという判断です。
今回の窃盗罪は微罪で、本来なら不起訴が妥当のものです。
だから、懲役14年を科すには、併合されてる罪が、少なくとも懲役4年に値するものでなくてはならないというのです。
実際、裁判長は佐藤宣行に、これは情状酌量とか、そういう理由ではないから勘違いしないようにと述べています。

これに対して検察側は、上告します。
そしてなんと、佐藤宣行もほぼ量刑不当と事実誤認の内容で上告しました。

そして最高裁ではまたも逆転します。
原判決を破棄し、一審での懲役14年を科したのです。
なお、この際に、約200日の未決もプラスされてます。
この判決に対する最高裁の判断は以下の通りです。

併合罪で罪を科す時、高裁はひとつひとつの罪で量刑を決め、それを加算するというやり方をとっているが、併合罪の目的はそうではなく、1.5倍の量刑の中で、総合的に量刑を決めることが目的と解するのが相当である。
つまり、併合罪とはひとつひとつの量刑を決めてそれを足すというやり方ではなく、2つの罪をひとつのものと考えて、総合的に1.5倍の中で量刑を決めるべきだというのです。

これによって、佐藤宣行の懲役14年は確定しました。
そして未決は約550日程度算入されました。


被害者の心の傷は一生消えないでしょう。
こんなクズが1年もすれば社会に出てくるなんて許せない思いです。
被害者には、恐れていた症状も出てしまったのです。
自分の父親を佐藤宣行と重ねてしまって、関係が上手くいかなかったそうです。
その父親は法廷の証言の中で、こう述べています。

『時間が…、時間が埋まりません!』

泣きながら、こう叫んだのです…。
娘さんがいる男性には痛いほど気持ちが分かると思います。
日焼けして凄い元気だった9歳の娘が、19歳になり肌が真っ白で痩せ細って帰ってきたのです。
そして男性不振になり、親子関係にも深い傷を残してしまったのです。
時間を返してほしいでしょう。
時間が埋まることはないでしょう。
佐藤宣行を殺してやりたいでしょう。

母親が法廷で証言する時、『今日、被告人に会いに行く』と母親から聞いた被害少女は、こう述べたそうです。

『あんな奴に会いに行くだなんて言わないで、見に行くと言って。あんな奴と同じ空気を吸うってだけでもお母さんが汚れる』

それを聞いた母親は、『大丈夫、裁判所に行った後、ちゃんとお風呂に入って、体をきちんと洗ってから○○(娘さんの名前)に会いにくるから』と言ったそうです。

ちなみに、損害賠償は一銭も支払われていません。
佐藤宣行の母親は土地も家も持ってますが、高齢なので、それを売ったら生きていけないとのことで、賠償しませんでした。

その後、佐藤宣行の母親は認知症になり、老人ホームに入りました。
その結果、賠償したのかは分かりません。
きっとしてないでしょう。
そうすると、佐藤宣行が出所しても、もう誰も彼を構ってあげられる人は存在しないことになります。
自分が刑務所に入っている間、母親を失うことになるのです。
その時、初めて佐藤宣行は気付くのではないでしょうか。
家族から強制的に引き離され、奪われる辛さというものを。




今では被害者も32,3歳ですかね。
元気で幸せに暮らしていることを祈ります。





もっと詳細を知りたい人の為の本↓
新潟少女監禁事件 密室の3364日 (朝日文庫)
14階段ー検証新潟少女9年2ヶ月監禁事件ー
新潟少女九年二ヵ月監禁事件―真相はこれだ!!


名前は公表しませんけど、とんでもなく醜悪な被告人を見たので、報告です。
罪状は、公然わいせつ罪。
女子中学校の前でおちんち…(ピーッ)を出した変態です。

薄気味悪い感じの人だったんですけど、話を聞いてるうちに、納得しました。
なんとこの人は、同種の犯罪が計7回の前科6犯なんです。
全部、女子中高生におちんち…(ピーッ)を見せるという犯罪です。
もはや病気ですよ…。

裁判の度に「カウンセリングに通います」と言いながら、全く行ってない変態君。
自分の病気を治す努力すら放棄してます。
そんなに気持ちいいんですかね?

前刑での刑務所から出所した後、何度も繰り返してたらしいです。
ちんちん出して刑務所行く人って、よっぽど繰り返さないと無理ですよw

ちなみに、彼は30歳です。

なにが彼を駆り立てるんですかね?
高揚感でしょうか?
女子学生の表情を見て性欲を解消するのでしょうか?
全部理解に苦しみますがw

この裁判、担当検事が女性だったんですよ。
きつそうな美人検事です。

私は、ふと考えてしまったんです。
もし、仮に、ここで被告人がちんちん露出したらどうなるんだろうかとw
凄いパニックになりそうだなとw
あの美しい美人検事の顔が歪み、激しくうろたえるのだろうか…。
それとも、顔を真っ赤にして怒り狂うのだろうか…。
それとも、恥ずかしそうに顔を背けるのだろうかとw
そう考えると、なんかワクワク感がw


しかし、ここで気づいたんです。
危ない危ない。
これが彼のような人間になる第一歩なのだとw
この一線で踏みとどまれない人間が、あそこにいるんだと。







ふぅ…、危ない危ないw
平成19年(ワ)第4156号 著作権侵害不存在確認等請求事件
原告 槙原範之 (槙原敬之)
被告 松本晟 (松本零士)

さて、前回の客観的事実を踏まえて、マッキーの言い分から始めましょう。


●実際に電話したのは?
平成18年10月11日だったと思う

●電話で話す前に、槇原さんの歌詞が銀河鉄道999の台詞に似通ってることを知っていたか
知っていた

●どういう経緯で知ったのか
デフスターから電話があって、これは松本さんと関係があることなのかと問い合わせがあった

●それに対して、どう答えたのか
全然知らなかったので、それはないと

●その時、デフスターから、松本さんがどう言ってると伝えられたのか
この宇宙で同じ考えをする人間がいるのは珍しい。是非話してみたいと言っていると伝えられ、そういう感じで言ってくれてるのかなと思って、嬉しかった

●それで1回目の電話で、松本さんからどう言われたのか
マンガでも書いているし、講演会などでもずっと言っているし、これは若い人に向けてのエールだと。私がいいと言っても、周りの者が許さないだろうと言われた

●それで、あなたはなんと答えたのか
盗ってないと

●それを聞いた松本さんはなんと言ったか
知らないわけないだろうと

●それで、あなたは弁解したのか
先生がのべつ幕なしというか、ずっと自分の主張を言い続けるので、口を挿めなかった

●最終的に、松本さんはなにを言ってきたのか
盗っただろうから謝れと

●それであなたはどう答えたのか
謝りませんと一言告げて、電話を代わった

●1回目の電話での松本さんは、どのような様子だったか
最初は落ち着いた口調でしたが、最後のほうは怒っていた

●その後、デフスターとの話し合いで、記憶に残っていたかもしれないという形で、謝ってもいいとなったのは何故か
クノールさん(ケミストリーの歌をCMに使った会社)、ケミストリーなど、今回の曲にはたくさんの人が関わってるので、穏便に済ませるならと思った

●その話し合いの後、2回目の電話をかけたわけだが、松本さんの態度はどうだったか
1回目同様、自分の話を繰り返していた。うんざりした感じだったので、1時間くらいに感じた

●あなたは口を挿まなかったのか
自分が口を挿めないくらいマイストーリーを語り続けるので

●それで結局、謝罪したのか
盗ったことを謝れと言われたので、謝れませんと言ったら、知らなかったことを謝れと言われたので、謝りました

●なんで知らなかったことを謝るのか
知らなかったことを謝るのは不自然に感じたのですが、事が荒立たないのであれば、これぐらいだったらと思い、実際知らなかったので、知らなくてすみませんと謝りました

●その後はどうなったか
一転して松本先生の口調が柔らかく、優しくなり、君みたいに前途ある若者に、このメッセージを言い続けてきた、機会があったら一緒に仕事をしようと言われた

●3回目の電話の時は、電話に出てないのか
出ていない

●松本さんの台詞を何処かで聞いたり見たりしたかもしれないと言ってないか
言っていない

●この曲を作ることになった経緯はどのようなものか
デフスターさんから、ライフソング、僕はそう呼んでるんですけど、それを作ってくれないかと言われました

●ライフソングとはなにか
ラブソングだと、恋愛中の人にしか向けられない。逆に、色んな人に力を与える歌をライフソングと呼んでいる

●この曲のコンセプトはなんだったのか
夢は時間を裏切らないをコンセプトに、プレゼンした

●どのような経緯で、この歌詞を作ったのか
7年前の事件で、仏教を勉強するようになりました。この詩は、仏教の因果応報という言葉からきている。因果応報という言葉は、悪いことをした時に使われるが、それだけじゃなくて、良い意味でも使われる。この花が咲いたのは、種を蒔いたから、種を蒔かなければ、花も咲かない、これも因果応報です。つまり、夢を叶えるのは時間がかかるけど、時間をかければ必ず叶うものなんだよと伝えたかった

●他にはなにかあるか
推測のような言い方じゃなくて、言い切ること、日常的な表現を使うことを注意して書いた

●始めに銀河鉄道999の台詞に似てると言われた時、驚いたか
驚いたというか、凄い同じような表現をするんだなって。ありふれた言葉なので、そういうこともあるなと思った

●盗作されたとされるフレーズは、どのような意味なのか
報道などを見ると、夢をすぐに諦めてしまう子供達が多くなっていて、それを仏教の考えで歌いたいと思った。そこに依頼がきて、ケミストリーくらいの年齢の子にこそ歌ってほしいと思ってたので、承諾した

●よく分からないが
時間という種を植えて、ずっと水をあげ続けてれば、花が出来ますよということです。分かりませんか?分からないなら仕方ないですね

●何故「裏切る」という悪い意味の言葉を使ったのか
良いことばかり並べても伝わらない。あんこに塩をかけると甘味が増すように、嫌な言葉を入れることによって、引き立つ

●では、時間も夢を決して裏切らないとはどういう意味か
時間も夢もなんにでも置き換えられるということです。夢が叶わなくても、そこで諦めないで、追いかけて欲しい。そうすれば夢に近づいていくという意味

●だとしたら、何故反復する必要があるのか
僕の場合は、後で音楽も付けるので、それに合わせるということもある

●「どんなときも」の歌詞は、両親がなにを言おうと、音楽をやりたいんだという自分の気持ちを歌詞にしたのか
う~ん…

●「好きなものは好きと言える気持ち」の好きなものとは音楽のことじゃないのか
これは映画の為に書いた曲なので

●他人に提供する曲と、自分で歌う曲とでは、作り方が違うのか
違いはないが、よく伝わる言葉を考える

●ライフソングは行き詰ることがないと言っているが、本当か
日常に感じた全てを歌に出来るので

●あなたは有名な詩人の本を読んでるようだが、影響をうけることはないのか
あると思う

●人の話や知人の話にも影響をうけるのか
余程良い話なら影響をうけるかもしれない

●あるインタビューの中で、自分は翻訳家みたいなものだと言っているが、自分の才能で詩を書いてるのではないのか
自分は才能があると言い切るのはどうかと、逆に伝えづらくなると思います。自分はなにを伝えたいのか、自分に才能があることを伝えたいわけじゃない。あの~、聞いてますか?(代理人は聞いてなかった)

●世界にひとつだけの花の歌詞は、自分の才能で書いたわけではなくて、神様からのプレゼントですとインタビューで答えているが、それでいいのか
そうですね

●ということは、誰かから貰ったということか
神様と書いてますよね?それっておかしくないですか?(誤導を咎めたと思われる)

●最後に、訴訟理由はなにか
メディアでずっと泥棒扱いを松本先生がするので、不愉快になった。人に夢を与える商売なのに、あの人は泥棒なんだよねという気持ちが入ってしまったら、なにも伝わらなくなってしまう。泥棒でないことを証明する為に、命がけになってもいいということ



松本零士の言い分
マッキーの証言と齟齬のない部分については省く


●あなたは、2回目の電話で、1時間も話し続けたのか
15分くらいだったと思う

●槇原は2回目の電話で、どのように謝罪したのか
見たか聞いたかして、それがすり込みかなにかになって、記憶に残ってたのかもしれないと言って、謝った

●知らなかったことについて謝れとは言ってないのか
知らなかったことについて謝れとは言っていない

●あなたが知っているはずだと思った理由はなにか
これは座右の銘として、長く使い続けた言葉なので

●CMに、コピーライトを表示できない理由について、デフスターから説明はあったか(デフスターの証人は説明したと言っている)
説明はなかった

●あなたにとって、この言葉とはどのような意味をもつのか
自分の生涯をかけた大切な言葉。夢というのは志ということです。それが第三者のものとなってしまうのでは、傷ついてしまう。これが著作権違反かどうかは問題視していない

●偶然似てしまったとは考えなかったのか
偶然似ることはありえない

●あなたは、公の場では、槇原が電話では認めて謝罪したと言ってないのではないか
言っていない

●普通は、電話では認めたのに、公では認めないと断罪するものではないのか
言わなかった

●あなたの性格は、こうと思ったら、凝り固まる性格ではないか
そうだと思う

●かつて、宇宙戦艦ヤマトの著作者と称して、同じくこの作品の著作者を名乗る西崎に対して、著作者人格存在確認訴訟をおこしたのは事実か
それとこれとは関係ない

●証人が凝り固まる性格であることを立証する意図
関係ない(ここで、裁判長が質問を認める)

●かつて、宇宙戦艦ヤマトの著作者と称して、同じくこの作品の著作者を名乗る西崎に対して、著作者人格存在確認訴訟をおこしたのは事実か
事実だ

●一審の判決はどうだったのか
西崎が著作者となった(2審では和解)

●キャプテンハーロックのゆうきけい(誰だか知らないので、漢字も知りません)が、スターウォーズのレイア姫に影響を与えてると公で言ったことはあるか
言ったことがある


本日はここで終了です。
まず松本零士、この人の言ってることは矛盾してます。
誰でも知ってるはずだ!と強弁しながら、第三者のものとなってしまうと言う。
誰でも知ってるのなら、そもそも槇原のものとは認識されないと考えるのではないか。
松本零士の論法だと、「銀河鉄道の夜」を書いた宮沢賢治のコピーライトを銀河鉄道999には表示させなくてはいけない。
新聞などの媒体に、謝罪文を掲載しなくてはいけない。
宮沢賢治の銀河鉄道の夜が先なのだから、一般的に銀河鉄道と言ったら銀河鉄道999と認識させてはならない。
こうなるのではないか。
マッキーは認めてないが、松本はマッキーが謝罪したと言っているのだから、謝罪があろうとも、メディアでの謝罪、コピーライト表示を求めているわけですからね。
そもそも、槇原は盗作したか分からないが、銀河鉄道999は明らかに影響を受けている。
自分がやるぶんにはよくて、自分がやられるのは許さないという発想は、朝鮮人、中国人の発想。

大体、誰でも知ってると強弁するこの台詞。
まず、殆どの人が知らないはず。
勿論、私も全く知らなかった。
そもそも、偶然似ることはありえないという根拠を示してほしい。
無茶苦茶な言い分としかとれない。
誰かが考え付いたのなら、いずれ同じこと考える人がいるのは当然。
マッキーが「ありふれた言葉なので、そういうこともあるなと思った」と言ってるように、そんな特別な言葉じゃない。
「我輩は猫である。名前はまだない」とか書いたのなら、完全にパクってるが、こんなんで自分以外は考えつかないと言い切る神経に感服しますわ。
まぁ、元々著作権侵害の成立要件の重要な部分である類似性、依拠性、このどちらも今回のケースでは認められないでしょう。


ヤマトの著作権といい、スターウォーズといい、これらから読み取れることはひとつ。
自意識過剰。

しかも、松本零士は、「物を作る者として、似たような物がないか調べるのは当然の義務だ。私が先に書いたことは間違いないのだから、知っていようが知らなかろうが、結果的に似てしまったら謝るべき。それがこの世界の常識であり、倫理だ」と主張します。
もう言ってることが支離滅裂です。
あなたは盗作したと騒いだわけです。
この裁判も、盗作したというのなら証拠を出せという裁判です。
それなのに、知らなかろうが謝れってのは、どういう理屈でしょうか?
これでは「知らなかったことを謝れ」という言葉も、本当に言ったとしか思えません。


ちなみに、松本零士の代理人は6人(全員男性)くらいいました。(マッキー側は女性2名を含め計3名)
マッキーとのインタビュー記事の意味のやり取りを見ていて思ったのは、左脳型の弁護士には、右脳型の人間の思考を読み取ることは難しいということです。
このやり取り、私が御殿場の時にいった「人が月を指差すと、凡人はその指を見る」という言葉がそのまま当てはまります。
つまり、物事の表面しか見ず、本質を見抜こうとしないということです。
「我思う、ゆえに我あり」という言葉を聞けば、考えることによって、自分の存在を確認できるという意味だと考える。
しかし、表面的に意味が分かり易いと、深いところまで考えない。
それが、今回のケースですね。

マッキーのことを知っている人なら、「才能で書いたわけではない、これは神様がくれたプレゼント」という言葉をそのまま鵜呑みにはしない。
というか、普通は鵜呑みにしませんね。
でも、弁護士達はマッキーに興味もないから、「才能ではない=他人の力」と受け取る。
「翻訳者のような者」というのも、知ってる人なら、そのまま鵜呑みにしない。
でも、弁護士達は興味もないので、「翻訳者=他人の言葉を直してるだけ」と受け取る。
言葉のクリエイターを相手にして、彼等の表現を一般的な表現として捉えることが間違いですね。
これをもって、マッキーが日常的に盗作していた可能性が高いことを立証しようとしてたんだから、笑えるというか呆れます。

逆にマッキーは終始一貫していて、言葉に詰まることもなく、矛盾もなく、合理的に説明出来ています。
説得力という点で、マッキーの完勝です。

マッキーが提訴したのは当然です。
マスコミによって植えつけられたものを取り除かなくてはならないのですから。
だって私自身、傍聴するまでは、マッキーが盗作したものだと思ってたんですから。
そのような認識で記憶に刻まれてる人は多いと思います。

松本零士の好きなようにやらせていたら、完全に泥棒として記憶に残ります。

結局、松本零士側の泥棒の立証としては、2つですかね。
①マッキーが、記憶にあったかもしれないと謝罪した。
②デフスターの文案が「快諾を得た」になっている。

この2点以外になにかありますかね?
①は、マッキーが完全否定してますね。
②は、快諾を得たという言葉から、松本零士の了承を得なければいけないものと認識していたということを立証したかったのでしょうが、デフスターの証人は先輩を立てただけと証言してました。
翻訳者発言もプレゼント発言も論破されちゃってますしね。


この裁判は、次々回には判決が出そうですが、どうせまだ続くんでしょうね。


あ、そうそう。
これ、盗作だと騒ぎ出したのは2ちゃんねるらしいですよ。
デフスターの証人が言ってました。
てか、また2ちゃんねるかw


※ちなみに、コピーライトとは、(C)←このマークのことです。
この後に、著作権者名が続くわけです。




マッキー曰く「世界にひとつだけの花」は仏教の「唯我独尊」から作ったらしいです。



その後の結果。
どうやら判決では、松本が損害賠償請求権を放棄した為、不存在確認は棄却になり、名誉毀損は認められて、槙原へ220万円の支払いが松本に命じられたそうです。
また、本文でも指摘してるように、類似性と依拠性は揃って否定されました。