2024年5月7日

 

 取り敢えず、やむをえず「同性婚」という言葉を使うが、「同性婚」を表現するにあたり「結婚」「婚姻」という言葉は廃しなければならない。

 「婚」といい「姻」といい、「女偏」が使われていることで明らかなように、いずれも「異性婚」を前提とする言葉だからである。

 そもそも「婚」は婿入りの意であり、「姻」は嫁入りの意である。

 

 「異性婚」を前提としている「結婚」「婚姻」という言葉から脱しない限り、「同性婚」は例外であるという考え方を乗り越えることが出来ない。

 

 しからばどのような言葉が代わりに考えられるか?

 筆者の思いついたところは「結縁」という言葉である。

 これであれば、いずれも「糸偏」であり、男女の別が問題とならない。

 

 再び、取り敢えず「婚姻制度」と呼ぶが、「婚姻制度」の変更は、単に法令制度の問題にとどまらず、言うまでもなく文化の問題である。

 このことを無視して制度化のみを追求するのでは、「異性婚」と「同性婚」との究極の非差別化を勝ちうることが出来ないであろう。

 文化という根っこから社会が変われば、法令制度はおのずからしかるべきものが生じるようになるであろうし、時の立法政策によって旧に復する懸念は無用となろう。

 

 「結縁式」「結縁届」「結縁祝い」「結縁制度」といった言葉が一般化した時に、同性婚制度化を目指している方々が真に狙いとするところに達することが出来るであろう。

 

 なお、以上は日本語についてのみ考えているわけで、他言語に習熟されている方によっての本問題についての考察を是非とも知りたいところである。

 

 

 

                       2024年5月5日

 

(定例の番外については朝日俳壇歌壇が休載のため休み。)

 

吉原大門のところにあった元引手茶屋(後注1)「松葉屋」への訪問及びその後の出遭いについては、4年前、1324(思い出ぞろぞろ「吉原・松葉屋」)に記述したところである。(https://ameblo.jp/ao2sai-sekimen/entry-12598298108.html

 この度、まったく予期せぬことながら、「荷風全集第15巻」(岩波書店)所収の「葷斎漫筆」(1933年(昭和8年))によって「吉原・松葉屋」と再び出遭うこととなった。

 「葷斎漫筆」は永井荷風が江戸時代の文人の何人かを紹介するもので、その最終部分に狂歌師戯作者大田南畝(1749~1823。蜀山人、四方赤良、寝惚先生等々様々な別名を有す。幕府御家人)が登場する。荷風によって「南畝七十五年の生涯、その作る所の詩賦文章一としてその為人(ひととなり)の洒脱なるを窺(うかがい)知らしめざるはなし。その声誉の死後一百余年を過ぎて猶顕著なるもの蓋(けだし)偶然に非ず。」とされている荷風絶賛の人物である。

 その大田南畝が37歳の時、裕福では決してなかったと荷風は分析しているのだが、「一擲千金贖身時」(身を購(あがな)う時千金を擲(なげう)った)として身請けしたのが「松葉屋」の抱(かかえ)(後注2)三穂崎だった。三穂崎は廓を出て名を賤(しず)と改め、そのしずが「松葉屋」の年中行事を語るところを南畝は随筆「松楼私語」としてものにしたのである。すなわち、大田南畝の「松楼私語」の「松楼」とはわが懐かしき「松葉屋」のことであったのである。

 「松葉屋」はその後所有者は変わったが明治大正昭和と存続し、1998年(平成10年)に至って廃業した。

 最後の女将で、「吉原はこんな所でございました」という著書(現代教養文庫、ちくま文庫)のある福田利子さんは2005年(平成17年)、享年85歳で逝去されたそうである。

 

 なお、「荷風全集第15巻」所収の「桑中喜語」(1926年(大正15年))に1904年(明治41年)荷風帰朝の時、荷風の劇評仲間14、5人が泊付きの祝宴を張った場所として「松葉屋」が登場するが、千束町1丁目の諸国商人宿とされており、極めて近くではありながら別の「松葉屋」と考えるほかない。

 

(注1)       

 引手茶屋とは、貸座敷(客と遊女が二人で過ごすところ)のうちの上級の大見世(おおみせ)に向かう客を迎え、芸者、幇間を呼んでお客をもてなし、そのあとでお客を大見世に送るのを仕事とするところ。いわゆる廓の三業(貸座敷、引手茶屋、芸者屋)のうちの一。

(注2)

   抱とは、年季奉公中の自立していない芸娼妓。←→自前

 

 

 

                       2024年4月28日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第555回です。

 ウクライナ詠、パレスティナ詠が歌壇に3首、俳壇にはありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

居酒屋の・天麩羅残る・花疲 (岡山市 西崎秋子)(大倉白帆選・岡山版)

 

 

(一句で花見の一日を尽くしている。)

 

 

花の杜(もり)・幾多の男・征(ゆ)かせたり

                  (一宮市 岩田一男)(長谷川櫂選)

 

 

(「花散る」美学を盗用悪用したのは国家だ。)

 

 

追ふ蝶も・追はれる蝶も・遊びをり (多摩市 金井緑)(大串章選)

 

 

(遊びせんとや生れけむ。)

 

 

荷風の忌・セルフレジにて・豆腐買ふ (東京都板橋区 藤倉信)(高山れおな選)

 

 

(荷風は男おひとりさまの大先生だ。手元にまったく不安のないという人ではあったが。)

 

 

【短歌】

 

 

無い知恵を・絞って脱法・穴作り・行くところまで行く・金権自民 

                         (東京都大田区 森田平三)

  

 

(こどもの頃、「こすい」といった。漢字で書けば「狡い」。「狡猾」の「狡」だ。)

 

 

藤棚の・花房たわわ・躊躇(ためらい)を・捨てて集まる・クマンバチたち 

                        (岡山県和気町 吉田茂七)

 

 

(羽音高く、傍若無人の感がする。)

 

 

奴(やつ)の弔辞・考えていて・ふと気づく・先に逝くのが・奴とは限らず 

                         (東京都荒川区 太田一政)

 

 

(不調と聞いてついつい考えてしまったりする。)

 

 

人間の・形に白き・布巻かれ・遺体がガザの・瓦礫に並ぶ 

                   (観音寺市 篠原俊則)(永田和宏選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

ウクライナの・攻撃止めぬ・プーチンが・テロの死者には・十字切りをり 

                    (浜松市 松井惠)(永田和宏選)

 

 

(ウクライナ詠)

 

 

父母なき子・子のなき父母の・増えつづく・カザに今宵も・月まるく冴ゆ 

                  (京都市 小池ひろみ)(馬場あき子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

 

                       2024年4月22日

 

 永井荷風の『花火』は大正8年7月、荷風39歳の作品である。

 『花火』は、もちろん荷風の実社会への冷ややかな、非関与というスタンスは変わらないものの、荷風が国家、社会に対する意識をかなり直接に表に出した珍しい作品である。

 『花火』は一般に、荷風が自ら、その文学者としての人生を江戸戯作者的なものに限定した動機・原因として、大逆事件における明治政府の不正義・理不尽に対して、自分がドレフュス事件に対して戦ったフランスの小説家ゾラの如くに戦えぬことを情けなく思い、自分を蔑んだためとしたものとして取り上げられることが多いようである。(大岡昇平はこの荷風の告白を「自己の無為を正当化するもの」として批判している。)

 しかし、『花火』はそれにとどまらず、学校で習った日露戦争の講和条件に抗議して発生した日比谷焼打ち事件、米価騰貴に怒って全国的に発生した米騒動の背景をなす、明治、大正期の庶民に形成されていた不安定な、自暴自棄的な心情を推測させてくれる。

 

 『花火』で言及されているは次の11件の社会的事象である。 

1東京市欧州戦争講和記念祭(執筆時)

2憲法発布祝賀祭(明治23年)

3大津事件(ロシア皇太子切付け)(明治24年)

4日清戦争開戦(明治27年)

5奠都(首都設定)30年祭における騒動(明治31年)

6日露戦争開戦(明治37年)

7日比谷焼打ち事件(明治38年)

8大逆事件(明治43年)

9事件名不詳の騒擾事件(大正2年)

10大正天皇即位式祝賀祭における騒擾事件(大正4年)

11米騒動(大正7年)

 

 そして、『花火』を読んで驚かされたのは、『花火』で初めて知った10の大正天皇即位式祝賀祭における騒動であり、それについての次のような記述である。

 「この日芸者の行列はこれを見んが爲めに集まり来る野次馬に押し返され警護の巡査仕事師も役に立たず遂に滅茶々々になった。その夜わたしは其の場に臨んだ人からいろいろな話を聞いた。最初群衆の見物は静かに道の両側に立って芸者の行列の来るのを待ってゐたが、一刻々々集り来る人出に段々前の方に押出され、軈(やが)て行列の進んで来た頃には、群衆は路の両側から押され押されて一度にどっと行列の芸者に肉迫した。行列と見物人とが滅茶々々に入り乱れるや、日頃芸者の栄華を羨む民衆の義憤は又野蛮なる劣情と混じてここに奇怪醜劣なる暴行が白日雑沓の中(うち)に遠慮なく行はれた。芸者は悲鳴をあげて帝国劇場その他附近の会社に生命(いのち)からがら逃げ込んだのを群集は狼のやうに追掛け押寄せて建物の戸を壊し窓に石を投げた。其の日芸者の行衛不明になったものや凌辱の結果発狂失心したものも数名に及んだとやら。然し芸者組合は堅くこの事を秘し窃かに仲間から義捐金を徴集してそれらの犠牲者を慰めたとか云ふ話であった。

 昔のお祭りには博徒の喧嘩がある。現代の祭には女が踏殺される。」

 

 また、5の奠都30年祭においても「式場外の広小路で人が大勢踏み殺されたといふ噂(うわさ)があった」とされ、9の騒擾においても「国民新聞焼打」「数寄屋橋へ出た時巡査派出所の燃え」「辻々の交番が盛んに燃え」「暴徒が今しがた警視庁に石を投げた」と、これまで知らなかった事件が書かれている。

 

 明治、大正期、東京には三大貧民窟と言われるスラム(四谷鮫ヶ橋、下谷万年町、芝新網町)があった。

 これに象徴されるように、後発資本主義国・日本の当時の庶民の日常的窮乏、貧富の格差は極めて重大なものであった。

 それを背景とする庶民の心の鬱屈が広く潜在する状態がその時代を通じて続いていたのだ。きっかけがあればすぐにこのような騒擾事件に発展する時代だったのだ。

 『花火』は短い文章ではあるが、今日の我々からは想像しがたい貧窮する庶民の荒廃した心情を浮かび上がらせる。

 

 

 

 

                     2024年4月21日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第554回です。

 ウクライナ詠、パレスティナ詠が歌壇に4首、俳壇にはありませんでした。後ろに掲げます。

 

 

【俳句】

 

 

引く雁に・ひとり手を挙ぐ・畑の人 (東京都足立区 望月清彦)(高山れおな選)

 

 

(人とのコミュニケーションを失ったがゆえ。)

 

 

路地曲がる・こと嬉しがる・春の風 (垂水市 瀬角龍平)(大串章選)

 

 

(荷風『日和下駄』に曰く「かくのごとく路地は一種言いがたき生活の悲哀のうちにおのずから深刻なる滑稽の情緒を伴わせた小説的世界である」。)

 

 

【短歌】

 

 

次々と・「裏金」の記事・目に入り・古新聞を・縛る苛立ち 

                (気仙沼市 大崎泰史)(高野公彦選)

 

 

(縛ったうえで焼き捨てるがよし、あの犯罪者たちを。)

 

 

足湯にて・見知らぬ人と・話すのは・相撲の熱海・富士関のこと 

                 (町田市 山田道子)(高野公彦選)

 

 

(罪なき、汚れなき、損得離れた、ただ純粋な一生懸命の姿。話題に最適。)

 

 

真夜中の・ナースコールに・躊躇して・夜はオムツで・朝まで耐える 

               (京都府 片山正寛)(馬場あき子選)

 

 

(我が身にもあり得ることと教えられる。)

 

 

喰い散らし・トビの餌場の・惨(むご)たらし・魚(うお)、骨となり・鳥、羽根ばかり                     (瀬戸内市 田野一義)

 

 

(案外身近なきびしい野生。)

 

 

お座りを・やつとしてゐる・ガザの子の・つみ木のやうに・瓦礫に遊べり 

                   (横須賀市 今津美春)(永田和宏選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

世界から・見捨てられたる・命とふ・ガザの看護師・現場離れず 

                   (秩父市 畠山時子)(馬場あき子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

「戦争は・悪だ」と詠みし・歌人あり・今こそロシアに・はたイスラエルに 

                   (多摩市 柳田主馬)(馬場あき子選)

 

 

(ウクライナ、パレスティナ詠)

 

 

ユダヤ人・アラブ人が共に・暮らしたる・フィルムに映る・眩しき春陽 

                  (石川県 瀧上裕幸)(馬場あき子選)

 

 

(パレスティナ詠)

 

 

 

 

                       2024年4月14日

 

 朝日新聞俳壇、歌壇等からの印象句、印象歌の報告、第553回です。

 ウクライナ詠、パレスティナ詠は歌壇にも俳壇にもありませんでした。

 戦争拡大の危険が迫っています。

 

 

【俳句】

 

 

すぐ上を・本物通る・犬ふぐり (町田市 岩見陸二)(小林貴子選)

 

 

(すぐ下を・同名花咲く・犬ふぐり。)

 

 

呈すべき・「我」なきままの・クラス会 (東京都世田谷区 田尾一吉)

 

 

(呈すること過剰な人もいる中で。)

 

 

樹のいずこ・知らず流れに・花筏 (津山市 町田三千代)

 

 

(隠れて見えぬところに一層のゆかしさが。)

 

 

はやにえの・百舌鳥(もず)鳴く声の・美しく(東京都 井田駒三)

 

 

(自然のちょっとした裏切り、意外性。)

 

 

【短歌】

 

 

公党の・裁きに見えた・その理不尽・一事が万事・我らにも向く 

                        (松江市 柳田十次郎)

 

 

(指導者のあの平気さは尋常ではない。その感覚で国民を扱うのだからこわい。)

 

 

                      2024年4月11日

 

 荷風にとっての女性とはお人形であった。

 したがって人格ではない。

 人格ではないがゆえに、かえってそれを崇めること人並ではない。

 まさにひざまずくのであり、ひれ伏すのである。

 そのような態度は荷風の作品中の各所に現われるのであるが、その極点というべきものを筆者は「断腸亭日乗」大正15年正月の記述に見る。

 「十二日‐‐‐この女父が豪奢を極めしころ不自由なく生い立ちしゆえ様子気質ともどもあさましき濁江の女とは見えざるもあながちわが欲目にはあらざるべし。瘦立ちの背はすらりとして柳のごとく、眼はぱっちりとして鈴張りしようなり。鼻筋みごとに通りし色白の細面何となく凄艶なるさま予が若かりしころ巴里の巷にて折々見たりし女に似たり。‐‐‐お富は年すでに三十を越え久しく淪落の淵に沈みてその容色まさに衰えんとする風情不健全なる頽唐の詩趣をよろこぶ予が眼にはダームオーカメリヤ(注:デュマの小説「椿姫」の主人公)もかくやとばかり思わるるなり。‐‐‐」

「二十三日‐‐‐夜初更のころお富来りて門を敲く。出でて門扉を開くに皎々たる寒月の中に立ちたる阿嬌の風姿凄絶さながらに嫦娥の下界に来たりしがごとし。予恍惚ほとんど自失せんとす。呵。」

 荷風は女性に媚びようとして過剰な表現をしているのではない。荷風はほんとうにそう感じ、その感じたままを、だから日記に、臆面もなく、正直に書いているのである。

 そして、かくも有り得ないぐらい崇め奉られた女性は、ほどなく、自分が実は人格としては遇されていないということに気がつく。

 その理不尽にいたたまれなくなって、荷風から離れていこうとする。

 一方、荷風の側においても、生活を共にすることによって否応なく、その女性が生ま身の人間であることに気づき、その人間臭さを嫌うようになる。

 荷風がその女性を嫌うようになったとき、企まずして、望みどおり、荷風は女性に捨てられるのである。 

 これを「啐啄同機」というのは熟語の誤用であろうか?

 かくして荷風の飾り棚に置かれるお人形は再三再四入れ替わることになることになるのだ。

 

 

                      2024年4月10日

 

 「セキュリティ・クリアランス制度」、「適正評価制度」などと訳されているが、何に対する「適性」かといえば、重要機密情報にアクセスすることについての「適性」であり、本人の能力を評価するのではなく、わかりやすくいえばスパイ行為を働くおそれがないかどうかを評価するのだ。これまで対象となる情報が防衛・外交・スパイ防止・テロ防止の4分野であったのに対し、今回経済安全保障という観点からの重要な経済情報、技術情報が加わることになる。これまでは対象となる人間はそのほとんどが公務員だったが(97%)、今回は民間人が多数対象となると予想されている。

 簡単にいえば、敵国に渡っては困る情報を取り扱える人間は民間人であってもあらかじめ国が調査し、合格しなければそのような情報を取り扱えなくなるということだ。企業の立場でいえば、国でアウトとされた従業員は特定の部署には配属できず、問題ない部署に回さなければならなくなるという、人事の強制が行われるのだ。

 この「セキュリティ・クリアランス制度」を導入する法案が9日衆院で可決され、参院に回された。共産党とれいわ新選組を除く野党もこぞって賛成したという。

 この制度の問題とされたのは、企業活動が制約を受けないか、プライバシー侵害が起きないかなどであったそうだが、野党は制度運用に対する国会の監視によって問題を回避しうるというような理解を示して賛成に回ったらしい。

 制度の必要性を一定程度認めざるを得ない現実、すなわち弱肉強食の国際的な敵対関係に我が国も巻き込まれているという現実、があることは確かだが、「セキュリティ・クリアランス制度」は長期的には人類に深刻な悪影響をもたらすことが考えられ、制度を導入せざるを得ないことは世界にとって極めて不幸なことと言わざるを得ない。

 

 国による「適性調査」は新しく内閣府に設立される機関によって行われるらしい。そして、調査項目としては、家族の国籍、本人の犯罪・懲戒歴、飲酒の節度、借金の状況、過去10年の海外渡航歴、税金の滞納歴などが挙げられている。

 しかし、制度が狙いとしているところを考えれば、すなわちスパイ行為の排除を考えれば、実際には以上のような調査項目に限られるはずがないことは明らかであろう。

 すなわち、スパイが生れるのは、経済的動機、異性関係といった個人的な事情にとどまるものではなく、思想信条、宗教その他による敵国との同調が大きな原因となるからである。

 したがって、対象者の思想信条、政治的傾向、支持政党、具体的国際紛争に対してとった立場等が調べられないはずがない。

 新調査機関が同じ内閣府に所属する内閣情報局、公安調査庁、また警察庁と横の連携を図るのは極めて当然のことであり、それをしないことはむしろ職務怠慢ということになる。

 「セキュリティ・クリアランス制度」を前にして、国家の重要機密情報になるような先端科学、先端技術にたずさわる優秀な学生たち、また若き研究者たちは、法文、諸規則、政府答弁が外見的にどうなっていようと、当然にこのような調査がなされることを予測するであろう。

 平和主義、国際協調主義が社会の好戦的な雰囲気の中でしばしば利敵行為と見なされ、弾劾されたことに彼らは鋭敏にならざるを得ないであろう。

 その結果、研究技術分野で将来名をなそうとする彼らの多くに起る対応は、政治的問題に耳をふさぎ、政治的関心を抑え、自分の専門の研究分野に閉じこもる、すなわちノンポリ、専門バカの道であろう。

 理科系、技術系の最優秀の人材から、湯川秀樹、アインシュタイン的な政治的な良心を発揮しようとする人物が生れてくる可能性が著しく狭められるのである。

 今年のアカデミー賞受賞映画、話題の「オッペンハイマー」が示唆するところは、ここにもあったはずである。

 極めて優秀な研究者たちの頭脳から発せられる貴重な人類レベルの警告を受けるチャンスを我々は失うかもしれないのである。

 

 すなわち「セキュリティ・クリアランス制度」の表面的な制度を検討するだけでは、この制度が本質的なところから検討されたことにはならない。

 野党の広い視野に立った本格的な対応を望むところである。

 

                      2024年4月9日

 

 永井荷風と言えば、狭斜の巷、脂粉の巷における四季の移ろいの中での女性の生態、男女の交情を描いた脱世間の作家というように一般に理解されている。そのとおりではあるが、荷風はその作品中の登場人物の口を借りて、あるいは作品中の人物の日記、手紙のかたちで、彼が生きている時代についての社会学的とも言うべき認識を開陳している。

 その鋭い、的確な認識ははるかに21世紀に至った我々の時代についても妥当する。

 荷風が曲がった曲がり角は我々に時代に通じる道への曲がり角なのだった。

 ここのところ筆者が遭遇した荷風の、その時代認識を以下に披露させていただこうと思う。

 

【「濹東綺譚」作後贅言(昭和11年)に登場する神代帚葉(荷風と交流のあった実在の人物で、街の雑学者)の語り】

 

「しかし今の世の中のことは、これまでの道徳や何かで律するわけに行かない。何もかも精力発展の一現象だと思えば、暗殺も姦淫も、何があろうとさほど眉を顰めるにも及ばないでしょう。精力の発展といったのは欲望を追求する熱情という意味なんです。スポーツの流行、旅行登山の流行、競馬その他博奕の流行、みんな欲望の発展する現象だ。この現象には現代固有の特徴があります。それは個人めいめいに、他人よりも自分の方が優れているということを人にも思わせ、また自分でもそう信じたいと思っている――その心持です。優越を感じたいと思っている欲望です。明治時代に成長したわたくしにはこの心持がない。あったところで非常にすくないのです。これが大正時代に成長した現代人とわれわれとの違うところですよ。」

 

「何事をなすにも訓練が必要である。彼ら(注:この文章でいう現代人)はわれわれのごとく徒歩して通学した者とはちがって、小学校へ通う時から雑沓する電車に飛び乗り、雑沓する百貨店や活動小屋の階段を上下して先を争うことによく馴らされている。自分の名を売るためには、自ら進んで全級の生徒を代表し、時の大臣や顕官に手紙を送ることを少しも恐れていない。自分から子供は無邪気だから何をしてもよい、何をしても咎められる理由はないものと解釈している。こういう子供が成長すれば人より先に学位を得んとし、人より先に職を求めんとし、人より先に富をつくろうとする。この努力が彼らの一生で、そのほかには何物もない。」

 

「浮沈」(昭和17年)の登場人物越智孝一の日記

 

「私の観るところ現代のわかき人たちは過去の人々のごとくに恋愛を要求していない。恋愛を重視していない。彼らが活くるためにぜひにも必要となすものは優越凌駕の観念である。強者たらんとする欲求である。これは男子のみではない。女子の要求するところもまた同じく、恋愛ではなくして虚栄である。‐‐‐‐恋愛が女子死活の大問題とされたのは過ぎ去った世のことである。男児が理想のために自由のために戦って死を恐れず、女子が愛情と貞操とのために身を捨てて悔いなかった時代は今はすでに過ぎ去っている。」

 

「世に人爵を求めて止まない者があるならば、これとは全く相反したものを求める者もあり得ることである。今日世人の成功と呼ぶもの勝利と言うものの何であるかを解剖して見れば、落魄といい失意と称するものの、それほど恐るべく悲しむべきものでないことが知られるであろう。‐‐‐‐‐‐心あるものが一たび現代を観察してただちに知り得るものは、嫉視羨怨の悪風ではないか。成功者の持っている者を未成功者が奪い取ろうとしている気運である。この一点より観察すれば現代の社会に起る事変という事変の真相はわけなく解釈せられ、従って恐るべきこの気運から遠ざかる道もおのずから明らかになるであろう。」

 

同じく「浮沈」(昭和17年)の登場人物藤木が玉の井の私娼窟で見つけた作者不明の手紙

 

「僕はある晩、千枝子さんが廊下の隅の部屋へ行ってしまった後、一人で眠られないので‐‐‐しみじみと千枝子さんの行動を観察した。そしてふと考えたのです。僕も千枝子さんのように運命や境遇に対して反抗もせず悲観もせず服従の中に安心を求めることはできないものだろうかと思ったのです。服従は恥辱ではない。僕は今まで自由思想を棄て全体主義に転向することを強者に強いられて屈服することだと考えていたんだが、千枝子さんはじめこの町の女性たちの生活‐‐‐否この町ばかりではない。女性の生涯は遠いむかしからすでに全体主義であったのだ。それをわれわれが無智だの何だのと考えたのは大乗的見地から見ることができなかったためでした。千枝子さんにはこんなことを言ったって何のやくにも立たないことは僕もよく知っていますが、そうかと云って黙っていることもできません。女性は我らよりずっと偉いばかりでなく、どこか奥底の知れない神秘そのものだ。千枝子さんが一人の男の要求に応じて、そしてすぐにまた次の男のところへ行く。その行動を静かに見ていると、僕はどうしても神秘を思わずにはいられない‐‐‐」

 

 

 

 

 

 

 

                      2024年4月8日

 

 マスコミは自民党組織的裏金作り問題の次の焦点は政治資金規正法の改正であるかのごとく報道しているが、笑止千万である。

 政治資金規正法の改正が重要な政治課題であると報じるのは、組織的裏金作りの問題の深刻性を隠蔽するために実態の解明を切り上げてしまおうとする自民党の作戦に乗るだけのものである。

 野党もそれなりの思惑があるので、政治資金規正法の改正に前向きの姿勢を示しているが、それを額面どおり受けとめるべきではない。(野党は自民党の金権体質を公然化すれば目的達成であり、政治資金規正法の改正それ自体はどうなろうとかまわないはずだ。)

 政治資金規正法の改正はほとんど無意味であって、それをめぐる議論は茶番でしかない。

 

 政治資金規正法の精神は、政治資金の収支を透明化するということにある。そのことによって違法な政治活動、すなわち選挙買収、口利き、贈収賄等を規制するとともに、政治活動を公的活動と位置づけて政党交付金の支給、政治資金の非課税という政治資金の特別優遇措置を講じることを制度的に支えるものである。

 しかし、一方で、自由な政治活動を保証する必要があるという名目で完全な透明化は好ましくないという立場がある。

 政治資金規正法はこの立場からの透明化阻止の圧力と法の精神たる透明化との妥協によって作られている。

 岸田首相が政党交付金から支出される政策活動費の透明化に一貫して消極的答弁を繰り返していることに象徴されるように、この構造はまったく変化していないし、変化しそうもない。

 したがって、政治資金規正法の改正が行われたとしても、透明化と非透明化との妥協点の位置に変化は生じるであろうが、非透明部分という「穴」が設けられないということは有り得ないことである。

 そしてさらに、税理に詳しい方ならば先刻御承知のように、専門の、第三者的、厳格な取締り機関がないかぎり、収支の透明化の完全を期すことは絶対不可能と考えなければならない。

 すなわち、政治資金規正法の改正によって透明化と非透明化との妥協点の位置が多少変化したとしても、我が国の政治制度に及ぼす影響はほとんど無いと考えるのが現実的なのである。

 そして、我が国の政治制度をより良くしていくためには、政治資金規正法の改正よりも、政治家という者に対する国民の冷静客観的な認識を育成するほうがよほど意味があるのである。

 すなわち、政治家とはかなりの割合(筆者の当てずっぽうでは自民党議員の過半)で、使途を明らかにする必要のない資金を求めるものであり、それによって票田を培養するとともに私的にも流用するものである、という認識である。

 「浜の真砂は尽きるとも」という現実認識が的確な対応方法を生むのである。

 政治資金規正法の改正をめぐる論議は時間と労力のムダと断言する。

 国民の正しい認識を醸成するために、今回の事件の実態をさらにさらに解明することが、我が国の民主主義にとってフルーツフルである。