こんな夢を見た。枕元に座っていると、女がもう死にますと言う。死んだら、大きな真珠貝で穴を掘って、星の破片を墓標にして、墓の傍で待っていてください。百年待っていてください、必ず逢いに来ますからと。苔の上に座り墓石を眺めていると、石の下から真っ白な百合が咲いて、「百年はもう来ていたんだな」と気が付いた。
第一夜
この「第一夜」は、まさに「乙女の本棚」。
ぴったりですね。
漱石にハマったきっかけが、この作品でした。
初めて読んだとき、なんてロマンティックなイケオジ(たぶん四十を過ぎて書かれた作品だったと思います)なんだと、この「第一夜」で漱石の印象が一変しました。
それから、片っ端から新潮文庫の漱石を読んだのを思い出します。
もちろん、それまでに『坊ちゃん』とか『こころ』は既読でしたが、それは、たまたま家にあった少年少女文学全集に収録されていたり、課題図書であったりで、好きで選んだわけでもなく、正直なところ特に心には残りませんでした。
私が、未熟だったということもあるでしょうが。
その後『夢十夜』は、何度か読んでいるのですが、覚えているのは、この「第一夜」と「第六夜」のみです。
アカンや~ん。
「第六夜」は、中学生の国語の教科書に載っていました。
これを読んで、やっと、あれは漱石だったのかと気づきました。
授業、ちゃんと聞いてなかった。
先生から、どうして鎌倉時代の運慶が、明治時代で仁王を彫っているのかと問われ、答えられなかったのを覚えています。
「第六夜」には、<こんな夢を見た。>の一文はありません。
答えにつまった私に、これは夢の話やからとニヤリとされたのが、よほど悔しかったのでしょうか、覚えているのはそこだけで、授業内容は、きれいさっぱり忘れてしまいました。
それでも、「第六夜」は、この思い出とともに、この先も忘れることはないように思います。
それ以後、何度か読んでいるはずなのに、この二つの夢以外は、どうも記憶があやふやです。
いくつかは、あぁ、読んだような覚えがあるなぁとぼんやり思い出しはしても、この先も、きっと一生記憶には残らないような気がします。
そんなことを思いながら、漱石作品の再読を密かにうかがっている私がいます。
忘れたらまた読めば良い。
「青空文庫」でも公開中です。
第六夜
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
描かれた絵は、私の漱石への思い入れが強すぎてか、残念ながらどうもイメージが合わず違和感を覚えました。
こちらも、この先、記憶には残らないような。。。
ごめんなさい <(_ _)> デス。
【おまけ】
◆国語の時間
小学校で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を暗記して、中学校の『平家物語』の「敦盛の最期」、松尾芭蕉の『奥の細道』、清少納言の『枕草紙』。
高校の国語では、森鷗外の『舞姫』、古文では紫式部『源氏物語』の「桐壺更衣」、『伊勢物語』の「筒井筒」、漢文で、『史記』の項羽の「垓下の歌」、杜甫の『春望』……。
そこは名作、ザル頭でも、いくつかは零れ落ちずに残っているものです。
ざっと思い浮かんだものだけでも、なかなかのラインナップじゃないですか。
どれも生活するうえで必要な知識というものではないけれど、なんだか心を豊かにしてくれる力を感じます。
授業で習わなければ知らないままだったかもしれません。
知らなくても、生きるために支障はないでしょう。
でも、なんだか寂しい。
この多様性に富んだ豊かな日本語を、もっと、しっかりお勉強しておけばよかったなぁと、今更ながらの反省の日々です。