青子の本棚

青子の本棚

「すぐれた作家は、高いところに小さな窓をもつその世界をわたしたちが覗きみることができるように、物語を書いてくれる。そういう作品は読者が背伸びしつつ中を覗くことを可能にしてくれる椅子のようなものだ。」  藤本和子
  ☆椅子にのぼって世界を覗こう。


青子が読んだ本の感想ハートです。




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毎年同じの今年の抱負。

 1.秘密は守る。

 2.陰口はたたかない。

 3.人は裏切らない。

に加えて、

 4.健康に留意。

 5.汚部屋整理。(使わないものは捨てる)

は、やはり年のせいか。(^_^;)



みなさま、今年もよろしくお願いいたします。☆-( ^-゚)v 


 

 

 

 

こんな夢を見た。枕元に座っていると、女がもう死にますと言う。死んだら、大きな真珠貝で穴を掘って、星の破片を墓標にして、墓の傍で待っていてください。百年待っていてください、必ず逢いに来ますからと。苔の上に座り墓石を眺めていると、石の下から真っ白な百合が咲いて、「百年はもう来ていたんだな」と気が付いた。

第一夜 

 

 

 

 

この「第一夜」は、まさに「乙女の本棚」。

ぴったりぽってりフラワーですね。

 

漱石にハマったきっかけが、この作品でした。

初めて読んだとき、なんて乙女のトキメキロマンティックなイケオジ(たぶん四十を過ぎて書かれた作品だったと思います)なんだと、この「第一夜」で漱石の印象が一変しました。

それから、片っ端から新潮文庫の漱石を読んだのを思い出します。

 

もちろん、それまでに『坊ちゃん』とか『こころ』は既読でしたが、それは、たまたま家にあった少年少女文学全集に収録されていたり、課題図書であったりで、好きで選んだわけでもなく、正直なところ特に心には残りませんでした。

私が、未熟だったということもあるでしょうが。     無気力

 

 

 

その後『夢十夜』は、何度か読んでいるのですが、覚えているのは、この「第一夜」と「第六夜」のみです。

アカンや~ん。ハートブレイク

 

「第六夜」は、中学生の国語の教科書に載っていました。

これを読んで、やっと、あれは漱石だったのかドクロガーンと気づきました。

授業、ちゃんと聞いてなかった。汗うさぎ

 

先生から、どうして鎌倉時代の運慶が、明治時代で仁王を彫っているのかと問われ、答えられなかったのを覚えています。

 

 

「第六夜」には、<こんな夢を見た。>の一文はありません。

答えにつまった私に、これは夢の話やからとニヤリグラサンとされたのが、よほど悔しかったのでしょうか、覚えているのはそこだけで、授業内容は、きれいさっぱり忘れてしまいました。

それでも、「第六夜」は、この思い出とともに、この先も忘れることはないように思います。

 

 

 

それ以後、何度か読んでいるはずなのに、この二つの夢以外は、どうも記憶があやふやです。

いくつかは、あぁ、読んだような覚えがあるなぁとぼんやり思い出しはしても、この先も、きっと一生記憶には残らないような気がします。ネガティブ

 

そんなことを思いながら、漱石作品の再読を密かにうかがっている私がいます。

忘れたらまた読めば良い。笑

「青空文庫」でも公開中です。

 

 

 

 オーナメント

    

第六夜      

 

 運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。

ふとん1ふとん3 

 

 

 

 

描かれた絵は、私の漱石への思い入れが強すぎてか、残念ながらどうもイメージが合わず違和感を覚えました。

こちらも、この先、記憶には残らないような。。。汗うさぎ

ごめんなさい <(_ _)> デス。

 

 

 

 

 

 

 

【おまけ】

 

◆国語の時間

小学校で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を暗記して、中学校の『平家物語』の「敦盛の最期」、松尾芭蕉の『奥の細道』、清少納言の『枕草紙』。

高校の国語では、森鷗外の『舞姫』、古文では紫式部『源氏物語』の「桐壺更衣」、『伊勢物語』の「筒井筒」、漢文で、『史記』の項羽の「垓下の歌」、杜甫の『春望』……。

 

そこは名作、ザル頭でも、いくつかは零れ落ちずに残っているものです。

ざっと思い浮かんだものだけでも、なかなかのラインナップじゃないですか。

 

どれも生活するうえで必要な知識というものではないけれど、なんだか心を豊かにハートしてくれる力を感じます。

授業で習わなければ知らないままだったかもしれません。

知らなくても、生きるために支障はないでしょう。

でも、なんだか寂しい。

 

この多様性に富んだ豊かなゆめみる宝石日本語を、もっと、しっかりお勉強しておけばよかったなぁと、今更ながらの反省の日々です。