「藤崎、旅の準備をしたまえ」そんな指導教官:古屋神寺郎(ふるやかんじろう)の言葉から民俗学を専攻する院生:藤崎千佳のいつもの旅は始まる。フィールドワークを旨とする古屋は、日本中を歩き回る。左足が悪く杖を必要とするのに、エスカレーターが嫌いで千佳を荷物持ちとして酷使する。おまけに毒舌である。民俗学を専攻した千佳に「希望にあふれた未来をことごとくドブに捨てたいらしい」と容赦ない言葉を投げかける。しかし、千佳はそんな先生のスーツケースを引き受けて、お供する。今回は野暮用がらみで、津軽きっての豪商:津島家の屋敷を訪れた後、嶽温泉へと足を運んだ。『嶽の宿』で出迎えてくれた和服姿の華奢な青年:皆瀬真一は、宿の主人だと名乗り、古屋とは旧知のようであった。
第一話 寄り道
古屋の亡き妻(皆瀬裕子)の実家を訪ね墓参り。(弘前)
第二話 七色
古屋の幼馴染の鍼灸師:土方を訪ねた後、松葉杖の青年とぶつかったことから、一緒に鞍馬に向かう叡山電車のなかで不思議な体験をする。(京都・鞍馬)
第三話 始まりの木
大学の講義に、あまり熱心でない古屋が、なぜか信濃大学の特別講義の講師を引き受けた。(信州・松本)
しかし、その後、膝の痛みを訴え松本の救急病院に。
そこで、「神様のカルテ」の進藤先生がカメオ出演?です。
第四話 同行二人
フィールドワーク中の二年先輩にあたる仁藤仁(にとうじん)の研究の確認と詰めのため飛行機嫌いの古屋と共に、十四時間を超える鉄道の旅で四国・高知へ。
翌朝散歩中に、僧の読経の声に誘われ歩を進めた千佳は、白衣姿の男性が倒れているのを発見する。
第五話 灯火
新学期からガイダンスを途中で放り出した古屋は、大学近くの輪照寺で枝垂桜の老木を愛でながら住職:雲照と茶をすすっていた。
余命宣告を受けた住職の病院への付き添いを古屋に代わって申し出る千佳。
そして、道路拡張のため、まもなく切られる樹齢六百年を超す花も葉もない桜が、満開に。
日本各地を巡りながら、偏屈と噂される古屋の過去と人となりが徐々に明かされ、千佳とともに読者の知るところとなります。
講義や会議をすっぽかし、出世には興味をもたず毒舌をまき散らす。
一見、偏屈と思われた古屋准教授ですが、読み進むにつれ、それらが確固たる信念を持つライフワークに繋がっていることが暴露されます。
そして、その背後では、民俗学の講座廃止問題やら、次期教授への昇進話が持ち上がり、上司である尾形教授が病に倒れ……。
純粋に学問だけに生きるのは、ムツカシイものですね。
しかし、その学問の最終目的はというと、現実に生きる人々のためなら、どうしても切り離せないのも仕方がないことです。
そのリアル世界に対抗するように、叡山電車の青年であったり、読経する僧だったり、満開の老木だったりの不思議な出来事に出会う千佳。
世の中には、目に見えないものがあり、理屈の通らないことがあり、どうしようもない不思議な偶然があることで、畏怖や恐怖や感謝の念を覚え、日本人は道徳心や倫理観を育んでこれたのだと教えられます。
旅先で出会うのは、ブナ・大銀杏・大柊・枝垂桜と、どれも樹齢を重ねた大木ばかりです。
御神木。
古来より、日本人は、様々なものに神を見て暮らしてきました。
トイレにだって神さまいる国だからね。
それも、<信じる者だけに救いの手を差し伸べる排他的な神>ではなく、<人間は皆生まれながらに罪人だと宣言する恐ろしい神>でもなく、ただ<人々のそばに寄り添い、見守るだけの存在>の神。
日本人にとっての神とは”人の心を照らす灯台”だの古屋の言葉に、癒されます。
そして、それがまたしっくりくるのです。
”もとより灯台が船の航路を決めてくれるわけではないし、晴れた昼間の航海なら灯台に頼ることもない。しかし船が傷ついた夜には、そのささやかな灯が、休むべき港の在り処を教えてくれる”
まさに、”苦しい時の神頼み”。
苦しい時だけ頼ってもいいんやとの免罪符を頂いたようで、なんだか嬉しくなりました。
こういう解釈は、めんどくさがりやで、ヘタレの私にはぴったりで、有難い限りです。
ゆるゆる大好き!
そして、もうひとつ。
道路のために切り倒される桜の木を悼む住職の言葉が重いです。
確かに東京は立派な町だし、これからももっと大きくなるだろう。けれど、世界はそんなものよりはるかに大きいし、世界より……
心の方がもっと大きい
【おまけ】
◆酒と学問
酒好きの古屋先生が各章で口にするのは、『陸奥八仙』・『土佐鶴』・『タリスカー』&『トバモリー』と銘酒の数々。
酒飲みの戯言ですが、妙に納得させられます。
不満があるなら受けなければよい。酒も学問と同じだ。余人から押し付けられてたしなむものではない