蘭奢待(らんじゃたい)は、東大寺正倉院に収蔵されている香木で、
天下第一の名香と謳われています
正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、
「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名だそうです。
その香は「古めきしずか」と言われ、権威者にとって非常に重宝されました。
写真からわかるように、蘭奢待には3箇所の削り取られたしるしがあります。
左部分が明治天皇、右手前の二つのうち右が足利義政で左が織田信長が削った部分。
正倉院を開けて中の宝物を見た人というのが・・・
寛仁三年(1019年)、藤原道長が宝物を見る。
至徳(元中)二年(1385年)、足利義満が宝物を見る。
永享元年(1429年)、足利義教(よしのり)が宝物を見る。
寛正六年(1465年)、足利義政が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
天正二年(1574年)、織田信長が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
明治十年(1877年)、明治天皇が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
・・・と、まぁ、最後の明治天皇は天皇なので除外するとして、
それ以外のメンバーを見てみると、まさに、その時々の一番の権力者!というメンツですね
このメンツの中では、足利家はもともと天皇家だった源氏の家系ですし、
藤原家も姻戚関係にあったわけなのですが、
織田信長は・・・といった感じなのではないでしょうか
それなのに、このメンツの中で蘭奢待を削った3人の内に入っているとは・・・
やはり信長・・・恐るべしですなぁ
天下第一の名香と謳われています
正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、
「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名だそうです。
その香は「古めきしずか」と言われ、権威者にとって非常に重宝されました。
写真からわかるように、蘭奢待には3箇所の削り取られたしるしがあります。
左部分が明治天皇、右手前の二つのうち右が足利義政で左が織田信長が削った部分。
正倉院を開けて中の宝物を見た人というのが・・・
寛仁三年(1019年)、藤原道長が宝物を見る。
至徳(元中)二年(1385年)、足利義満が宝物を見る。
永享元年(1429年)、足利義教(よしのり)が宝物を見る。
寛正六年(1465年)、足利義政が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
天正二年(1574年)、織田信長が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
明治十年(1877年)、明治天皇が宝物を見て、「黄熟香」を削り取る。
・・・と、まぁ、最後の明治天皇は天皇なので除外するとして、
それ以外のメンバーを見てみると、まさに、その時々の一番の権力者!というメンツですね
このメンツの中では、足利家はもともと天皇家だった源氏の家系ですし、
藤原家も姻戚関係にあったわけなのですが、
織田信長は・・・といった感じなのではないでしょうか
それなのに、このメンツの中で蘭奢待を削った3人の内に入っているとは・・・
やはり信長・・・恐るべしですなぁ