田中英晴のブログ

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2016年3月13日知床夢ホールにて斜里文化連盟の依頼で「ほろ酔いダべリングinしゃり」のスピーチに参加して来た。講演者も昼間から飲めるので私には嬉しいものであったが、酔っていることもあったのか、あっという間に時間が足りなくなり、話し足りない部分をまとめてみた。


故郷斜里での陶芸活動

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1 縄文式土器の発掘  


子どもの頃、切り崩されつつあった楓が丘で土器を発見したことがあった。


斜里高等学校の裏にあった今は亡きその丘からはオホーツク海が一望でき、冬はスキー、夏は神秘的な森の探検など子どものプレイスポットとしては人工的な何物にも勝る格好の場所であった。広大な面積を有する斜里町で、斜里高校の校歌にも登場するあの丘がなぜ切り崩されることになったのか今でもわからない。


その楓が丘で見つけた土器は郷土資料館で見た縄文式土器と同じものであった。資料館に記された説明と合わせて子どもながらにそこから古代人の生活への思いが心の中に広がって行った。 

東京の大学を卒業し社会人の生活を始めた頃、東京から山梨の友人宅に向かう途中、中央自動車道工事の過程で発掘された釈迦堂記念館に何十体も陳列されていた無傷の縄文式土器、弥生式土器に出会い、縄文式土器の精神性の高さに圧倒された。


その頃時を同じくして、三内丸山遺跡から発掘された縄文時代の人骨などの調査から学者専門家らによってその時代、人同士の殺戮のないことが報告された。
すなわち弥生時代に入り農耕文化稲作が栄え、富の独占と蓄積、拡大を目的として行われたであろう水と領土の争奪戦の結果、頭蓋骨に矢じりなどで開けられたと推定される殺戮の痕跡が縄文時代には認められなかったのである。

この土器は知床斜里においては7000年前のものが発掘され、一般的に縄文時代は1万年から2万年続いたと報告されている。  

                 
2 障害者施設における陶芸との出会い


重度施設利用者の脳障害を起因とする感情発作、ヒステリー発作、作業所通勤拒否など不適応への心理学的対応で陶芸をアートセラピーに採用、問題解決に向けて明確な成果を得る。この成果は後に健常者、一般人にも陶芸教室という形で応用している。


3 自主生産としての陶芸、販売に取り組む


不況の影響で下請けの下請けとしての福祉作業所は仕事の利用者への供給が不安定。景気に左右されない自主生産の開拓。記念品として5000個のぐい飲みを受注し納品を完了させ陶芸作業に弾みをつける。

利用者の参加範囲を拡大できると期待された機械化にこぎつけるが、そこで異動となる。後に施設の民営化に伴い陶芸は衰退した。
機械化については、アートセラピーとしての陶芸の役割機能にとっては逆にマイナスだったと評価する。
それまでは販路拡大、宣伝のため都内一流デパート、お祭り、ぼろ市、美術館などに出品する。


4 無常窯を建設する


白崎秀雄著「北大路魯山人」の書評依頼者からの斡旋で川崎市宿川原に土地を借り、居住家に隣接した空き地に無常窯を建設する 。 


5 川崎市美術展入選


審査員美術評論家吉田耕三(北大路魯山人の弟子)に講評時「色も形も誰にも真似ができない」との評価をいただく。吉田耕三は「北大路魯山人」にも登場しており、何かのご縁ではないかと感じる。

 
6 個展の展開


三軒茶屋、下北沢の画廊で「無常窯展」、東京八重洲大丸東京店では「田中英晴作陶展」を2005年、2006年の2年連続で開催する。

毎年恒例になった行きつけの飲み屋スナックなどでクリスマスの夜に好評を得た失敗作プレゼントが目利き、美術商の目に留まり大丸東京店への開催につながった。


7 故郷斜里での陶芸活動

 

父の重度アルツハイマー発症による問題行動、病状の悪化に伴い、定年を待たず陶芸の志、計画半ばにして故郷北海道知床斜里に帰郷。
 同級生の飲食店長のはじめとする建設会社社長、木工職人など多くの支援者により低コストで新しく無常窯を青葉町に建設。

 障害者から学び助けられたこと、本人の能力を見極めそこを伸ばすことが大切なこと、 粘土こねによって粘土の性格を知りそれに従うこと、教育も同じ方法論ではないかということ等今まで学び得たことを今後の陶芸活動に生かしていきたい。


 7000年前の縄文式土器発掘の大地、生態系がまだ守らているとされる知床の大自然から受けたエネルギーを陶芸に乗せて多くの人々に伝えたい。


 西洋合理主義に行き詰った現代文明を打開する手掛かりは縄文の精神にあると考え、自然と調和した生き方、陶芸活動の展開を目指して行きたい。


 帰郷してから今日まで、斜里周辺や川湯の施設を活用した発表の場に参加させて頂いて来たが、今後もさらに斜里周辺で芸術活動を展開している人々と連携し、地域の人々にも受け入れられるような、より面白いものになるよう期待し推進して行きたいと考えている。