路上から眺める平和なような日常

路上から眺める平和なような日常

拙著『憲法9条の逆襲!』連動ブログから衣替えしました。
たまー・・・に更新します。きっと。

Amebaでブログを始めよう!
「報道批判 加速する為政者の暴走」と題された神奈川新聞の社説を読みました。

いろいろ考えさせられます。
権力の暴走に歯止めをかけるのが憲法。
今後あるべき形を探ることは大事だし、その意味で改憲論議も行うべきとは思います。
しかし憲法そのものを軽視することは民主主義に反することであり、アウトです。


ふと思い出すのは十年近く前、
大田昌秀先生(元沖縄県知事)にインタビューさせていただいた際の一コマ。
戦後、日本への復帰については反対意見もある中で
「平和憲法の下に帰る」と主張したことを後悔してはいないかと尋ねたところ、
こう語ってくださったんです。

「たしかに『平和憲法を空洞化させた日本になど帰ってもロクなことはない。沖縄は沖縄に帰ろう』という意見は当時からありました。それに当時の日本政府とマッカーサーは、平和憲法をつくる担保として沖縄の軍事化・基地化を進めたという面もあります(当時のソ連・中国に睨みを効かせる意味で)。だから沖縄からすればけしからん憲法ということにもなるわけだけれどね、しかし僕らみたいに戦争の体験を持つ者からするとね、非常にありがたい憲法だと。二度と戦争をしてはいけないと……。そういう思いがあるから、この憲法はどうしても大事にしていきたいと思っているわけです」    

久々に読み返して、やはりグッときました。

東京ではどうだったのでしょう。
現行の日本国憲法が生まれた時の東京では?
当時の新聞を見てみましょうか。


憲法公布時の読売新聞 1面(1946.11.4)
「永遠平和の礎ここに 国民総意の憲法公布の感激」
憲法公布時の読売新聞

憲法公布時の読売新聞 3面(1946.11.4)
「両陛下へ十万の歓声 お馬車を包む人波 二重橋前の憲法公布祝賀大会」
同じく公布時の読売新聞

憲法施行時の読売新聞 1面(1947.5.4)
「新憲法に誓う忠誠 風雨を衝き宮城前広場の祭典」
憲法施行時の読売新聞


憲法施行時の朝日新聞(1947.5.4)
「冷雨にめげぬ大群衆 首相の発声またず万歳三唱」
憲法施行時の朝日新聞

当時なぜこんなにも有り難がられていたのか。
それを考えてみてから、今後、日本の憲法と民主主義がどうあるべきかと…。
なかなか自分の答えが出せないんですけどね。

友人の勧めで『日米開戦の真実 ー大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解くー』(佐藤 優)を読みました。

集団的自衛権が行使される範囲を徒に拡大させない方法は?
と考えた時、
もしかすると「大東亜戦争」っていう呼称にヒントを
見出せるのかなーと思っていまして。

そこで「参考になると思うよ」と、この本を紹介してもらったんです。
いやあ、すごい本。

壮大で重い題材が読み易くまとめられています。
まー読み切るのに何カ月もかけちゃいましたが、
それは僕の能力とか根性がアレなもんで。

『大東亜侵略史』とは、
日米開戦の直後に放送されたNHK講演を書籍化したもの。
これを読み解きながら、
「八方塞がり」な日本の外交を考えようと説くのが『日米開戦の真実』です。

どんな流れで日本がイギリス、アメリカに
「追い込まれ」て開戦に至ったか。
インド、中国が植民地化される中、
東アジアの盟主として立ち上がる姿勢が
どうして中国に理解されなかったか。
また細かいところでは、
「宣伝」と「煽動」の使い分けについて…。

すごく勉強になりました。

お時間ない方は
第四部「21世紀日本への遺産」だけ読んでも
かなり参考になるかと。

第二部「『国民は騙されていた』という虚構」も衝撃的なんで、ぜひ。

1941年当時の国民は、
騙されていたというより
戦争の現実を知らなかったのかなと。
後の惨状をイメージできるはず、ないですものね。

でも今は違うのでね。
例えば極端な話、
イスラム国との戦いに踏み込めばどうなるか、、、
といった想像はできると思うんです。しましょうよ。

また米中という二大大国に挟まれた現在の日本を考えるきっかけとしても、
同書は非常に役立つと思います。

中国をTPP交渉に引き入れる!
…くらいの外交力を持てれば最高ですね、日本。
そんな絵を描いてみせてくれる政党があれば、
結構ワクワクして投票しちゃうんじゃないかな。

では最後に同書から一カ所だけ引用します。


《引用》
日本の改革は外国の成功例、具体的にはアメリカの新自由主義をそのまま日本に輸入することで可能になるとする慈円型の知性と、改革とは自国の善をもって自国の悪を討つことでなければならないと考える北畠親房型の基本哲学が対峙しているように筆者には見える。(『日米開戦の真実』 第七章「現代に生きる大川周明」より)

この後者の立場をとるなら、
まさに歴史に学んで日本の弱みと強みを知ることが必須でありましょう。
勉強します。はい。。

約2年ぶりの更新ですが(苦笑)、
ちょっと集団的自衛権を巡る論議で気になることがありまして。

駆けつけ警護に関わる部分…になるかな?
2013年1月に起きたアルジェリア人質事件のようなケースで、
自衛隊が邦人救出に向かう際はどうするか。

既に自衛隊法は改正されていて、在外邦人等の輸送における「輸送手段への車両の追加」「輸送対象者の拡大」「武器使用の場所と防護対象の拡大」が認められていますね。

出典:平成25年版防衛白書 第3部  第1章 第1節「7 在外邦人等の輸送への対応
http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2013/pc/2013/html/n3117000.html

ただ、その際の武器使用が「自己保存型」のままであることが問題だという意見があるようです。

自己保存型とは・・・
「憲法9条に違反しない武器使用類型の1つで、自己又は自己と共に現場に所在する我が国要員又はその職務を行うに伴い自己の管理の下に入った者の生命又は身体を防衛するための必要最小限の武器使用。いわば自己保存のための自然権的権利というべきものであり、仮に「武器の使用」の相手方が国家又は国家に準ずる組織であっても、憲法の禁ずる「武力の行使」に当たらないとされている」 

出典:第2次安倍内閣の防衛政策をめぐる国会論議 - 参議院
http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2013pdf/20130903015.pdf


ははあ、
必要最低限の武器を持って現場に赴くというのは、何だか難しそうな気がしますね。
この点からも憲法解釈を変えなきゃって話になるのかな。やっぱり。

ここを整備しながら、なおかつ武力行使を最低限に止める知恵はあるか。

いや~ないかな~~

難易度は高そうです。

でも、紛争・戦争へのハードルを高く保つ努力は必要ですよね? ね?

オスプレイ配備の問題は、やはり国に慎重な対応を求めたいですね。

もし米軍機が住宅地に墜落すると、どんなことになるか?
35年前に僕の地元で起きた出来事を振り返りたいと思います。
神奈川の厚木基地から岩国基地へ向かう米軍の偵察機が、
横浜市北部の町に墜落して死傷者が出てしまった件です。

≪以下の記述は拙著『憲法9条の逆襲!』から引用し、一部修正したものです≫


1977年9月27日午後1時30分頃。

幼稚園の教室から、僕らは大火災を目撃した。
西南へ数キロ離れた現場は、現在でいう横浜市青葉区荏田北(当時の同市緑区荏田町)。

大きな大きなオレンジ色の炎と空高く上がる黒煙の中にあったのは、
墜落した米軍RF4Bファントム偵察機と、いくつかの、幸せだったはずの家庭……。

たしか幼稚園で運動会の踊りか何かを練習していた僕らは、
その炎を見つけるやお遊戯中断! 皆で窓際に駆け寄った。

「えだえきのちかくだ!」
「このままじゃ、あざみのえきも、もえちゃう!」
「ええーっ!? せっかくできたばっかりなのに」

いや、よくよく考えてみれば、いくら何でも現場はまだ空き地も多い造成地。
そこから数キロも燃え移るとは考えにくいのだが、
それほど、もうクラクラするほど大きな火災だったのだ。

正直、僕らは、恐怖すると同時に興奮していたように思う。

「ついらく……」

級友の一人が言った。お遊戯をさぼって外を眺めていたのだろうか。
エンジントラブルを起こして墜ちる機体をしっかり見ていたのだ。

「ついらくだー! ついらくだー!」

帰り道、その幼稚園の敷地内にある坂道を僕は叫びながら駆け下りたのを覚えている。
とにかく興奮していた。

が、まさにそのとき、実は自分よりも年少の子供たちが生死の境をさまよっていたのだった。

犠牲者がいたことを僕が知ったのは、実のところそれから数年後、
小学校の図書館で一冊の絵本を手にしたときのことだ。

『パパママバイバイ』と題されたその絵本には、
米軍機墜落事故によって2つの生命が失われた事実が描かれていた。

墜落現場付近にあった林さん宅では、和枝夫人(26歳)と2人の息子、
そして夫人の妹が一緒にアイスクリームを食べていた。

そこへ無人の米軍機が墜ちたことで、ジェット燃料による大火災が発生したのである。

絵本に描写された地獄絵図はさほど写実的なものではなかったものの、
まさにその炎を目撃している僕にとっては十分ショッキングだった。

「あの中でこんなことが……」と目を剥くわけである。

そしてその米軍機が何故無人だったかを知って愕然とする。
パイロットはさっさと脱出して難を逃れていたというのだ。
そして林さん宅にいた4人は全身を焼かれて病院へ。

特に子供2人は身体の大部分に火傷を負い重体。
そのまま翌朝までに相次いで亡くなってしまった。
3歳の長男は「パパ、ママ、バイバイ」と言い残し、
1歳の次男は「ポッ、ポッ、ポー」と口ずさんで事切れたと伝えられている。

兵器で命を落とす子供が、平和を象徴する鳩の歌を口ずさむとは皮肉じゃないか。
そして、現場に駆けつけた海上自衛隊のヘリが、負傷した民間人でなく、
かすり傷だったという米軍パイロット2人だけを救助して去ったということもだ。

ここに問題がある。

事故が起きたとき、被害者を放置して加害者だけを救助したのなら、それは事件だろう。


酷い話にはまだ続きがある。


二児を失った林 和枝さん(後に自らの申し出により離婚して旧姓・土志田さんとなったそうだが)もまた、
事故から4年4ヵ月後に息を引き取っているのだ。

全身の80%に火傷を負い、苦痛を伴う治療や幾度もの皮膚移植を受けて生還を遂げたにも関わらず……。
享年31歳。何故か、精神科専門の国立武蔵療養所で迎えた最期だった。

彼女に皮膚を譲った80人近くのドナーは、そして全国で1080人に上ったという皮膚提供希望者は、
どんなにか無念だったことだろう。

もちろん彼女を支えたご遺族と、そして誰より「平和のための生き証人になる」と語っていた和枝さん自身もだ。

「和枝さんは国に殺されたんだと思います」 

そんな風に言う人もいる。たしかに日本政府の対応は不誠実と言わざるを得ない。


それは林さん一家と同じく被害にあった椎葉さん一家の例を見ても明らかである。

椎葉寅生さんが事故の報を受けて帰ったとき、
燃え落ちた自宅に立ち入ることができなかったという。
現場検証をしているからと米軍が許さなかったのだ。

そして現場検証を終えるとどうなったか。
事故の証拠となる墜落機の残骸は本国に持ち帰られ、
日本政府としては証拠がないから事故の原因も責任も追及できない……との立場をとった。

そこで椎葉さん一家は事故の翌年である1978年、
米軍パイロットを業務上過失致死罪などで告訴したが、これは不起訴となる。
それでも真相を究明しようと、1980年には日本国と米軍パイロット2名を相手取り、
総額1億3900万円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こした。
これは1987年に総額4880万円の損害賠償額を認定されることとなった。




--------------

いかがでしょう。

35年前の事件(事故)で、米軍のパイロットたちは刑事責任を問われませんでした。
自らは無傷のまま機体から脱出し、結果的に民間人の命を奪うことになったのですが。

たしかに交通事故のように裁くことはできないのかもしれませんが、
少なくとも原因を究明する必要はあったのではないでしょうか…。

もし万一、日本のどこかでオスプレイによる事故がおきてしまった場合、
結局またこんな悲劇が繰り返されるのではないかと心配してしまうわけです。

なのでもし配備された場合は、堕ちてきませんようにと祈るばかり。。
いや~~~~~っ!
ご無沙汰しております。気がつけば2年以上更新しておりませんでした。
昨日ちょっと復興支援ボランティアに従事してまいりましたので、ご報告したいと思います。

今回参加したのは、
【アミー号で行く!!がんばろう東北!災害支援ボランティアバス】
という企画です。
もう1年ほど続いているようです。


先の震災直後から多くの友人知人が様々な支援を行うなか、
僕自身はこれまで具体的な行動をせずにおりました。



「阪神淡路大震災のときも個人としては動けなかったナァ」
なんて思いを抱えていたもんで、
ちょうど転職のタイミングを利用してツアーに参加した訳です。



しかしボランティアツアーというのは、いま現在も結構あるものですね。
「復興支援 ボランティア ツアー」で検索すると、リスティングで2件出てきました。


ひとつは観光を組み合わせたツアーで、2泊3日がメインでした。
これも魅力的でしたが、
日程と予算の関係でもうひとつの方を選んだのです。
それが「アミー号」。こちらは車中泊の日帰りとなっています。

アミー号


深夜に東京・埼玉で参加客をピックアップして、
翌朝に宮城県の七ヶ浜ボランティアセンターに到着し、
半日働いて帰るといった内容です。
昼食付き、帰りは風呂にも寄ってくれるというのもありがたい。


作業内容は行った時々によって異なるようですが、
今回僕らが行ったのは畑のガレキ除去でした。
こちらがその現場です。

作業現場_1


草が積んであるのがわかりますか?
ちょうど右手の道を隔てた田んぼが草刈り前の状況です。

隣_2


手前に女性物のサンダルが落ちています。
また、こういった生活感のあるものも……

隣_3


被災した直後は船や家屋も漂着していたようですが、
さすがにそれは重機で取り除かれています。

ただ現在もこのようにガレキを運搬する車が往来していますし、

運搬


現地ボランティアセンターのすぐそばにも巨大なガレキの山があります。

瓦礫_2


そのボランティアセンターと作業現場の間にも、
こうした光景が広がっている訳です。

爪痕_2


当初から言われていたとおり、
復興への道のりは本当に長いのだなと実感した次第です。



原発事故に見舞われた福島県沿岸部は言うに及ばずですが、
復旧作業が続く宮城県内もまだまだ先が長いですね。

ここ七ヶ浜町や山元町は特に遅れているとの声もありますし、
また先週、石巻に行ってきた知人も「まだまだって感じ」とおっしゃってます。



本当に地道な作業を人海戦術で進めなきゃならないんですね。





例えば僕が行ったような田畑では、こういった具合です。



■先述のとおり草を刈って目に見える物を取り除いて分別処理


■シャベルで土を掘り起こして岩やガレキを拾って分別処理

作業_1


■クワなどで掘り起こした土を砕きながら残ったガレキをチェック

午後の作業



と、こんな具合にやってから耕運機が登場して作付と相成るそうです。
いきなり耕運機入れると石や岩を噛むと傷んでしまう危険もあるそうでして。
またプラゴミや陶器などが残った土でも耕作できませんよね!



これを各所で行う訳ですから、そりゃあ人手が要るってもんです。

昨日も七ヶ浜には70名ほどのボランティアスタッフが汗を流しました。
平日にも関わらず、幅広い方々が集まっていたことは正直驚きでしたね。




「学校をサボって来ちゃいました」と笑う女性もいました。大学生かな?
名古屋から新幹線で東京まで来てバスに乗り込んだ男性も初参加とのこと!
もう二十回ほど参加しているという男性からは、
「怪我するから」といって鉄板入りの中敷を貸していただきました。多謝!


また現地で指揮をとってくださった渡邉 弥さんは、
なんと僕と同じ神奈川から
休日のすべてを費やして来ているとのことでした。
J-WAVEに出演したこともあるそうです。
彼からは現地の状況を友人知人に伝えて欲しいと言われました。
それが、このブログを久々に更新している動機かな。

いやぁ、、、
僕なんか有給休暇を使ってたった一度来たくらいで物知り顔はできませんけどね。
とにかくまだまだまだまだ人手が要るんだ、ということだけは痛感しましたよ。



うーん、来年3月末までにもう一度くらい行けたらいいなァ。
今回せっかくボランティア活動保険に入ったんで、
そいつが残っているうちに一度くらいは……何とか。
この6月には大豆の種が蒔けるかもしれないと聞いたし、
そういう経過も知りたいものですよね!

まだまだ



また最後に、「アミー号」のスタッフにも敬意を表します。

今回参加した25名ほどのうち、
僕を含めて6~7割が初のボランティアということでしたネ。
毎回多くの初心者を引率してうまいこと運営するって、
大変なことと思います。ただただ感服いたします。


今後もどうぞお気をつけて!


ファイナンシャルプランナーの試験を1月に受けました。
で、昨日合格通知と証書が届いた次第。随分ゆっくりな話だね~

田園都市から眺める平和なような日常

6割とれば合格なんだけど、うむ、なかなかの高得点。
試験5日前は休暇とって追い込んだからね~。落ちたら相当恥かくとこだった。

さて、このあと上にチャレンジするかどうか。
2級なら履歴書にも書けるって聞いたけど、
まー保険や不動産の業界に行こうってワケじゃないしねえ。
でもさらに理解を深めたい欲求も少々あり。。。

てなことを考えてます。最近。
いや~!全然レポートできませんでした。

今の考えを書きとめておきます。


■衆院選
神奈川8区を前回制した、みんなの党・江田けんじ氏が本命なんでしょうね。
2002年の補選でも、2005年の「郵政選挙」でも、
当時無所属だった江田氏に今後のビジョンをうかがったところ…
・民主党はまもなく分裂するから連合と決別した方と組む
・自分は枝野志氏や原口氏と近いから
てなことをおっしゃってました。ついにその日は来ませんでしたね。
今後の再編に期待、なのかな?

これを追うのが元市議の民主党・山崎誠氏ですか。
「チーム中田」の新年会などでプレゼン拝見しましたが、
真面目ながらアイデアマンという印象。面白そうではあります。
今回はこの人に投票しようか、どうか。

自民党・福田峰之氏は厳しい戦いですね。
市議時代から取材協力などしていただいた方です。
あざみ野近辺のスーパーや道端でよくお目にかかります。
頑張れ!!


■横浜市長選
政治的野心から辞めたとしか思えない前市長。
初当選した2002年の選挙で彼を推薦して回ったことを、
自分は今恥じております。
当時も野心家ではあったけど、
今よりは面構えよかったんだよなあ。。。。

で、今回。
偽装無所属な中西氏は、今回の中田氏と同じく市民を
小馬鹿にする危険を感じちゃいますね。

林氏は民主党推薦ってことだけど、
民主=連合政権となると市職員のための市政を展開しないか。
そこ心配。

今回は共産党に入れようか、どうしよか。


■市議補選@青葉区
うー…
情報不足。全然わからん。
神奈川ネットワーク運動にしとこうかナ。


取り急ぎ、こんな感じで失礼します。。
みんな投票いこうぜ!!!!!!


まず北朝鮮が核実験に続いて短距離ミサイルを相次ぎ発射しているという問題。
外交戦略か、内向きな事情からか。その両方なんてこともあるのか。
どうなんでしょう。どういった対応が適切なんでしょう。

あんまり騒いでも彼の国を喜ばせるだけのような気もするし。

再燃した敵基地攻撃論もねぇ。。。
4月の「通信衛星」騒動のとき、発射するぞするぞ!
って最中でも彼らの動きを正確に捉えることはできなかったワケですよね。
こうなるともし有事の際があったとして、ミサイル防衛システムが有効かどうか疑わしい。
となると「抑止力」としても効かないかも?
・・・という観点からはアリなのかもしれないけど、
そっちに振れたところで国際社会の賛同を得られるのかどうか甚だ疑問ですな。

ま、今回はロシアが日米韓に同調している事だし、中国もいつもと少し違う雰囲気っぽいし、
それでヨシなんじゃないのかなぁ。
少なくとも大戦後60余年の議論をひっくり返す意義はあまり感じられないのです。



一方、国内の政権交代について。

数年前のツジウチ、
「民主党が自由党とくっついて民主自由党だ。自由民主党とどう違うんだ!?」
などと言っておったものです。
小沢さんが党首になって、いよいよ与党との違いが見えにくくなった気がしてました。
そして今回、小沢さんが降りて、「岡田さんの出番かな。民主党らしくなるかな」と思っていました。
僕のいう民主党らしさというのは、青臭さ。
それが戻ってくるのかなーと思っていたら、
民主党は国会議員だけで鳩山さんを代表に選びましたね。
全国の党員も(※僕は違います)、世論調査も無視して。
あ~
本当に議員個々人が勝ち馬に乗った結果だとしたら、
これまた自民党の総裁選とあまり違わないように思えますねえ。


一有権者として判断に困るよなぁ。どっちがアテになるんでしょう。
ってなワケで次の総選挙に向けて、
この場で争点とか地元(候補)の動向なんか整理してみようかと。

ちなみに僕の住む横浜市青葉区からは、現状なんと衆院議員が3人出ています。
無所属が選挙区で勝って、自民と民主の候補が比例復活。

次はどうなるかな。今から出来る範囲でウォッチしてみます。
やあどうも。元気です。
忌野清志郎が亡くなって寂しい思いはしていますがね。

訃報のあった晩にRCサクセション時代の『ヒッピーに捧ぐ』を聴いてたら、
涙がポロポロこぼれてきてしまって……。まいった。
本当にリスペクトしていたんだな、と実感した次第。


寂しいといえば、雑誌『広告批評』も休刊となった。
次回あたりこの話をしようかな。
(週に1本くらいは更新したいッス)


とりあえず生憎の雨となったGW終盤ですが、皆さん、元気にお過ごしください。
藁葺き

うむ!

駅前の 藁葺き屋根も 雪化粧


って見たまんまじゃん。お粗末。


この町に住んで、今年で32年になる。
実家を出て、事務所兼住居を借りるときも、
迷った末に結局ここを選んでしまった。

程良く田舎でいて、アクセスもすこぶる良好。
この環境が居心地いいんだな。ちょうど。


割と最近、大学時代の友人と飲んでいて言われたことがある。
「お前は若いうちから地域に関心を持っていたよなあ」
子どもも居ないのに何故だろう、
と、それはそれで関心を持たれてしまった訳だ。


はて。思い返せばいろいろ浮かぶのだけど、、
もしかすると中学のときベストヒットUSAで聴いた
ブルース・スプリングスティーンの“MY HOME TOWN”が染みたから?
ま、意外にその程度のことかもしれない。