オスプレイ配備の問題は、やはり国に慎重な対応を求めたいですね。
もし米軍機が住宅地に墜落すると、どんなことになるか?
35年前に僕の地元で起きた出来事を振り返りたいと思います。
神奈川の厚木基地から岩国基地へ向かう米軍の偵察機が、
横浜市北部の町に墜落して死傷者が出てしまった件です。
≪以下の記述は拙著『憲法9条の逆襲!』から引用し、一部修正したものです≫
1977年9月27日午後1時30分頃。
幼稚園の教室から、僕らは大火災を目撃した。
西南へ数キロ離れた現場は、現在でいう横浜市青葉区荏田北(当時の同市緑区荏田町)。
大きな大きなオレンジ色の炎と空高く上がる黒煙の中にあったのは、
墜落した米軍RF4Bファントム偵察機と、いくつかの、幸せだったはずの家庭……。
たしか幼稚園で運動会の踊りか何かを練習していた僕らは、
その炎を見つけるやお遊戯中断! 皆で窓際に駆け寄った。
「えだえきのちかくだ!」
「このままじゃ、あざみのえきも、もえちゃう!」
「ええーっ!? せっかくできたばっかりなのに」
いや、よくよく考えてみれば、いくら何でも現場はまだ空き地も多い造成地。
そこから数キロも燃え移るとは考えにくいのだが、
それほど、もうクラクラするほど大きな火災だったのだ。
正直、僕らは、恐怖すると同時に興奮していたように思う。
「ついらく……」
級友の一人が言った。お遊戯をさぼって外を眺めていたのだろうか。
エンジントラブルを起こして墜ちる機体をしっかり見ていたのだ。
「ついらくだー! ついらくだー!」
帰り道、その幼稚園の敷地内にある坂道を僕は叫びながら駆け下りたのを覚えている。
とにかく興奮していた。
が、まさにそのとき、実は自分よりも年少の子供たちが生死の境をさまよっていたのだった。
犠牲者がいたことを僕が知ったのは、実のところそれから数年後、
小学校の図書館で一冊の絵本を手にしたときのことだ。
『パパママバイバイ』と題されたその絵本には、
米軍機墜落事故によって2つの生命が失われた事実が描かれていた。
墜落現場付近にあった林さん宅では、和枝夫人(26歳)と2人の息子、
そして夫人の妹が一緒にアイスクリームを食べていた。
そこへ無人の米軍機が墜ちたことで、ジェット燃料による大火災が発生したのである。
絵本に描写された地獄絵図はさほど写実的なものではなかったものの、
まさにその炎を目撃している僕にとっては十分ショッキングだった。
「あの中でこんなことが……」と目を剥くわけである。
そしてその米軍機が何故無人だったかを知って愕然とする。
パイロットはさっさと脱出して難を逃れていたというのだ。
そして林さん宅にいた4人は全身を焼かれて病院へ。
特に子供2人は身体の大部分に火傷を負い重体。
そのまま翌朝までに相次いで亡くなってしまった。
3歳の長男は「パパ、ママ、バイバイ」と言い残し、
1歳の次男は「ポッ、ポッ、ポー」と口ずさんで事切れたと伝えられている。
兵器で命を落とす子供が、平和を象徴する鳩の歌を口ずさむとは皮肉じゃないか。
そして、現場に駆けつけた海上自衛隊のヘリが、負傷した民間人でなく、
かすり傷だったという米軍パイロット2人だけを救助して去ったということもだ。
ここに問題がある。
事故が起きたとき、被害者を放置して加害者だけを救助したのなら、それは事件だろう。
酷い話にはまだ続きがある。
二児を失った林 和枝さん(後に自らの申し出により離婚して旧姓・土志田さんとなったそうだが)もまた、
事故から4年4ヵ月後に息を引き取っているのだ。
全身の80%に火傷を負い、苦痛を伴う治療や幾度もの皮膚移植を受けて生還を遂げたにも関わらず……。
享年31歳。何故か、精神科専門の国立武蔵療養所で迎えた最期だった。
彼女に皮膚を譲った80人近くのドナーは、そして全国で1080人に上ったという皮膚提供希望者は、
どんなにか無念だったことだろう。
もちろん彼女を支えたご遺族と、そして誰より「平和のための生き証人になる」と語っていた和枝さん自身もだ。
「和枝さんは国に殺されたんだと思います」
そんな風に言う人もいる。たしかに日本政府の対応は不誠実と言わざるを得ない。
それは林さん一家と同じく被害にあった椎葉さん一家の例を見ても明らかである。
椎葉寅生さんが事故の報を受けて帰ったとき、
燃え落ちた自宅に立ち入ることができなかったという。
現場検証をしているからと米軍が許さなかったのだ。
そして現場検証を終えるとどうなったか。
事故の証拠となる墜落機の残骸は本国に持ち帰られ、
日本政府としては証拠がないから事故の原因も責任も追及できない……との立場をとった。
そこで椎葉さん一家は事故の翌年である1978年、
米軍パイロットを業務上過失致死罪などで告訴したが、これは不起訴となる。それでも真相を究明しようと、1980年には日本国と米軍パイロット2名を相手取り、
総額1億3900万円の損害賠償を求めて民事訴訟を起こした。
これは1987年に総額4880万円の損害賠償額を認定されることとなった。
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いかがでしょう。
35年前の事件(事故)で、米軍のパイロットたちは刑事責任を問われませんでした。
自らは無傷のまま機体から脱出し、結果的に民間人の命を奪うことになったのですが。
たしかに交通事故のように裁くことはできないのかもしれませんが、
少なくとも原因を究明する必要はあったのではないでしょうか…。
もし万一、日本のどこかでオスプレイによる事故がおきてしまった場合、
結局またこんな悲劇が繰り返されるのではないかと心配してしまうわけです。
なのでもし配備された場合は、堕ちてきませんようにと祈るばかり。。