人がやるべきことロボットやインターネットではできないことをやらないと人間がやる意味、人間の価値がなくなってしまう。誰かの言葉を考えず鵜呑みにして、思考停止して、検索したら出てくるようなアイデアや仕事や暮らし方をして。私にしかできないこと、人間にしかできないことを#暮らし方 #思考停止
20代で必死に何かを成し遂げていない人は20代で必死に何かを成し遂げてもいない、最後の責任からいつも逃れて、自分で選択も決断もしない人は30.40.50代になってもそのまま。それ以上成長していないのが明らかな事実
イランで知った政府と民間のズレ日本人であることを誇りに思う。34カ国目の旅はイラン!また今回もたくさんの人に助けられました><各都市を移動する際に使った長距離バスで出会ったイラン人の女性には、家と別荘にそれぞれ2日も泊まらせてもらい、日本人がほとんど来ない山の中のマースーレ村やカスピ海に連れて行ってもらったりイランの家庭料理をたくさん振る舞ってもらいました;)そしてなにより、近隣諸国での戦争や暴動とは反対に、とても親切でおせっかいやきの多いイランは、私の大好きな国の一つになりました!私のイランでの母親となった彼女と話す中で、私たちのイランに対するイメージと市民の声が全く異なることを知りました。1つはイランの革命前後での生活が大きく変わった事。イランの政府が革命の後、女性たちに対して黒い服を、仕事をせず家庭で子づくりをすることを強要し、街は歴史的な景観よりもより新しい建物に変え、共感・共鳴が起きにくいようにFacebookやgoogleを使えなくし、WiFiの金額をとことん高めネット自体を使いにくくしました。そんな政府に対して、みんな嫌悪感と恐怖心があり、元の国に戻ってほしい、革命も戦争もやめてほしいと願っていました。そしてそれは彼らが選択したのではなく、強制的にこのような生活になっているということを知りました。2つ目は、世界が質より安さを求めだし、戦争が仕事を失わせたということ。元々はイランにはたくさんの質の高い製品を創り出す工場がたくさんあったのに、中国が質が低くそれをはるかに越える安さで販売することで、世界中が中国での生産を選択するようになりました。そして同時に戦時は教育にお金が回らなくなり、教育を受けなかった人ができる仕事も大幅に減り、仕事のある地方に父親だけ引っ越し家族が離ればなれに暮らしたり、他にも毎日働かずただ街をふらふらする人も多くなったと聞きました。イラン中どこに行っても私は日本人だと言うと、「私はヨーリピアン・アメリカンは頭が悪いから嫌い、中国人は大嫌い、 日本人は親切で勤勉だから好き」と言われました。これもイメージが偏ってはいるけれど、国が違うだけで対応が違ったかと思うと。。とにかく、たくさんの刺激と人のあたたかさと、わくわくをもらったイラン。旅をしていても、仕事をしていても、一方向の情報だけで判断し勝手に思い込んだり、悩みに悩んで行動を起こさないよりも、たくさんの人に助けたもらったり相談しまくって、もっともっとたくさん失敗して、受け入れて、やっぱりもっとhappyに、そしてシンプルに、もっとhappyに社会を変えていきたいなと思いました。