こんにちは、3年後、粗利を2割アップするにはどうすればいいか社長と一緒に会社の未来を考える税理士 野口 万勇です。
今回は、第二回「なぜ信玄は、事業承継の対策をしなかったのか?」をテーマにお話ししたいと思います。
理由は、いくつか考えられますが、私の独断でずばり一番の原因をあげてしまうと
「自分がすぐに死ぬとは思わなかったからです」
他にも、勝頼を正式に後継ぎにすると血縁の重臣が離反する恐れがあったなどいくつか理由が考えられます。
それでも、私は、信玄が自すぐ死ぬはずがないと思っていたと考えています。
信玄が、上洛途中で死んだことは有名ですが、逆に言うと、上洛できるだけ体調が良かったと思われます。
また、死因は病気ではなくて「敵の城主の笛を聴きに行って鉄砲で撃たれた」という逸話があるくらいですからそれくらい急死だったのでしょう。
人間元気なうちは、自分が死んだ後のことはあまり考えたくないのは今も昔も同じです。
私の父は、息子(私)に対して子供のころから、もしものときは会社を継ぐよういっていましたが、高齢でも病気一つなかったせいか生命保険に一切加入せず、他の相続対策も全くしていませんでした。
「わしは、あと10年は働ける」
とどこかのアニメのセリフのように公言していました。
似たようなケースは、関与先でもよく遭遇します、息子さんが後継者として会社に入っている場合など特に生命保険に入るよう強く勧めますが、残念ですがいい顔されません。
結局相続の時、資産より借入金が多ければせっかく築いた事業も最悪相続放棄ということになりかねません。
よく名家といわれる家が何代にもわたって続いていますが、おそらく何代にも続くということは理由があって当主がなくなったときの対策がしっかりしているからだと思います。
どんなに資産があっても何の対策もしなければ
「相続が3代続けば財産はなくなる」
といわれるのは本当です。
さて、話は戦国大名の相続に戻りまして次回は、「やはり嫡男「義信」廃嫡のつけは大きかった」です。
最後までお読みいただきありがとうございました。