talk to her

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bebeの日常が垣間見れます

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初めて大晦日とお正月を石垣島で迎えた私でしたが、犬友達のノリコさんが作ってくれたおせち料理以外はお正月色の薄い印象でした。

大晦日は盛大な花火が上がって、石垣やるじゃん!っと思ったら、全日空ホテルが宿泊客の為に上げたものらしいです。

元旦も、石垣島の人は何故かお寺へお参りへ行ってました。神社に行くのが普通ですが、ま、沖縄の方々は「御嶽」という特有の神社みたいなものをいつも拝んでいて(御嶽の説明は今度させて頂きます)、お寺、神社の感覚がナイチの方とは少し違うようです。

お正月っぽくないというのは、石垣島の方は年越し蕎麦が八重山そば(ラーメンのようなものです)だったり、おせち料理は食べませんし、勿論お雑煮も作りません。

私が行きつけのレゲエBARのマスター「ココさん」におせち料理を差し入れして、他のお客さん達とお雑煮の話になった時

「何で汁の中に餅いれるか?気持ち悪いだろ」

と、当たり前の様に言われ

「じゃあ石垣の人は正月になに食べるのさ?」

と返すと

「中身汁に決まってるさ」

「その方が気持ち悪いさ」

そういえば、石垣の人は一年中お正月気分で泡盛を飲んでいます。だから、正月といえば美味しい日本酒!と思って、グイっといったら泡盛でビックリ!

そして泡盛飲みすぎた人達が、私の家の近所の路上で毎朝おやすみしています。

朝のラジオで毎日

「今日路上で寝てた人ね、美崎町3人。。。」

という感じで放送されているくらいです。

石垣島はクリスマスもお正月もお花見も一年中!っていう印象なくらい年中お祭りしています。

今は桜の季節です。

もう桜です。

3月にはもう海に入れる温度になります。

パソコンの調子が直ったら、写真を掲載したいと思います。

因みに中身汁とは、豚の内臓を煮た汁物です。

大変久しぶりにブログを書くので、何を書けば良いのか。。。

私は昨年6月から沖縄県の石垣島で暮らし始めました。

28歳から独り暮らしをしてきた私ですが、石垣島での独り暮らしは東京とは全く違った世界で、かろうじて日本語の通じる外国での独り暮らしという感覚でした。

石垣島には何度も観光で訪れていた私ですが、旅行と生活とではその土地の見え方がこれ程までに違うものかと驚きました。

旅行中、道を尋ねたオジイが何を話しているのかサッパリ分からない!これは笑い話になりますが、気温28度の暑さの中、電気屋に壊れたクーラーの修理をお願いするのになかなか会話が成り立たないのは笑えません。

石垣島の人は「だからよ」という言葉をよく使うのですが、初めこれが気になって仕方なかったのです。

「ピーチパインとっても甘いですよね」
「だからよ!」

だから、なんですか?と、聞き返すと

「だからよ」

。。。。。。。。

だからよの使い方は、だよねー!とか、そうそうそう!という意味で使うそうです。

私はいまだに違和感があって、だからよは使いこなせていませんが、語尾に「さ」「よ」をつけたりはたまにします。

「昨日よ、波照間島行ったさ。泡波がよ、ジョートー」

因みに、泡波とは、波照間島産の幻の泡盛の事で、ジョートーとは、1番とか最高に良いという意味で、
ヤンキーでない郵便局の窓口のお姉ちゃんも

「この切手、ジョートーですよ」

こんな風に使います。

「石垣島限定切手なんですか?」

「だからよ」

こんな使い方します。

やはり、だからよには違和感があります。


本日はブログ復帰第一弾ですので、この辺で失礼致します。

また石垣島や沖縄の面白い話や不思議な話をさせて頂きますので、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

この一ヶ月間、私に起こった事をこの場で文章にするのは難しい。

今の私は未熟だけれど、一ヶ月前の私はもっと未熟だった。

神の声と悪き霊、又は成仏しきれない彷徨える霊の声の区別も出来ず、友人達を怖がらせてしまった事を反省している。

私の発言で不安にさせてしまった大切な友達に謝らせて下さい。

ゴメンね。

この一ヶ月で私は、「ああ、人はこうやって発狂するのだな」と思うくらいの恐ろしい体験や、自分も含め、全ての人は決して孤独ではないのだという安らかな気持ちを味わった。

けれど、いろいろ意味での私の修行はまだまだ続く。


沖縄波照間島で仲良くして頂いた77歳のおじいさんに毎晩戦後の日本のお話をして頂いた。

今回だって日本人は立ち直れる。

その77歳のおじいさんは、どう見ても65歳くらいにしか見えない若さ?だし、とにかく元気でとても優しい方だった。

でも、定年退職するまでは大変なご苦労があったそうだ。

苦労を乗り越えた方だからあんなに優しくなれたのか、もともととても強い方だったのかはわからないが、言葉ではない、目には見えにくいが本物の優しさに触れて、ああ、これが日本人だな、と感じた。

波照間島の夜は果てしなく暗く(星が出るとめちゃくちゃ明るい)、鳥と虫の声が止むと怖いほど静かだ。

民宿で追悼式が行われた。

みんなで追悼歌を歌った。

私は最後にひとりで「涙そうそう」を歌わせて頂いた。

皆さんが知っている歌だし、この曲は亡くなっった大切な人とこの世ではもう逢えないけれど、生まれ変わったらまた逢おうね、という希望のある曲だから。

「とっても綺麗な声…ありがとうございました」

そう言ってくれたのは、岡山から来ていた、将来の夢は家業である農業をすることです!と話す13歳の素敵な子だった。

私は歌手をしていましたとは話さなかったので、そりゃあ、素人の酔っ払いおばさんがアカペラで、島中に響き渡るような声で「涙そうそう」を歌ったら驚くわよね。

私はもう歌手ではないけれど、あの夜の歌を歌うために神様が私にこの声を与えたのかな?と思うくらい、いままでの人生で一番声が役立ったと感じた。


津波で家族全員失ってしまったという方々も多いと思う。

私が出来る事は、亡くなられた方々の魂が救われるように毎日祈る事だ。

日本のため、家族のために一生懸命働いて生きて下さったあなた方を決して忘れません。

ありがとうございました。

成仏されて、安らかにお休み下さい。

本当にありがとうございました。

ガソリンスタンドには車の列が。

薬局からトイレットペーパーや生理用品が消えて、東京はまるで戦争が始まる前のような風景。

私も含めて、東京に住む人達は水道をひねれば水は出るわけだし、計画停電が始まったといえども、真っ暗闇の寒い夜を何日も耐えなければならないという状況ではないわけで。

落ち着いて下さいと呼びかけるテレビの報道がこういった状況を招いているように感じるのは私だけなのだろうか?

市場のおばちゃんが真剣な顔で

「一日食べなくても死なないわよ」

と、言っていた。そうだよね。

東北で救助を待っている人達は、寒い中で暖房もなく、飲み水にも困っている。

たくさんの方が亡くなってしまった。

豊かな生活という幻想が一瞬で去って、人間も地球で生きる生物のひとつでしかないという事をあらためて考える時が来ているのではないのか。

物を持ち過ぎないこと、大切な人との時間を大切にすること、自分らしく生きること、自分ができる事は何かを考える事。

人間は地球で生きる生物のひとつでしかなくて、ちっぽけな存在だけれど、だからこそ協力し合って共に生きてきたのだと思う。



不安感をあおるだけの報道しか出来ないのなら、電力量が回復するまでのテレビ放送は一つの局だけにするべきだと思う。



多くの方々の深い悲しみが、いつか少しづつでも和らぎますように。
亡くなった方々の魂が救われますように。
これ以上被害が広まりませんように。

起こる出来事全てに意味があると思いますか?

私は、意味があると思います。

でも、それを受け入れる事は意外と大変で、特につらい出来事はそうです。

久し振りにブログを書きます。

私が全てを受け入れる覚悟が出来たかどうかは自分でも正直分かりませんが、起こる出来事全てに意味があると思っているのなら、ま、いっか!的なノリですかね。


思い起こしてみれば、この半年以内に「占い師さん」みたいな方に3人も会っていて、それはどちらかというと私が探し出して会ったというよりは、向こうから、或いは私の知り合いが引き合わせた感じなのですが、まあ、会う方会う方に「でも、べべさんは霊感が強いから、自分で分かっているでしょ」みたいな事を言われました。

私には、銀座の夜の世界に入る前に友人から紹介して頂いた、信頼出来る占い師さんがいます。だいたい二年に一回のペースでみて頂いていたのですが、その方もいい加減

「だから、いつも言うけど、あなたはここに何をしに来てるの?あなた自分で全部見えてる筈なのに、何故運命に逆らった事をするの?運命は変えられないのよ。なのに私が何を言っても、あなたは分かっていて違う選択をするんだから」

私も、そうだよねと感じたのか?その方の所へは行かなくなりました。

でも、その方は本当に凄いエスパーでした。

まるでそこに私の亡くなっった父がいるかの様に、父の口振りで話したり、私の家に遊びに来た事があるかのように

「なんでこんな方角にベッド置いてるのよ!」

といって、私を叱りつけたり。

その方が最後に会った時に言った言葉を最近よく思い出します。

「あなたはとても孤独な人ね。でも、あなたは強い。使い果たしたかは分からないけれど、運も強運ね。でも、世の中のほとんどの人はあなたの様に強くないし、運もなかったりするのよ。そういう人を救ってあげなさい。そういう人たちを助けてあげなさい」

「で、私は孤独なまんまなんですか?」

「強いから大丈夫よ」

私って、可哀想じゃないか!とは感じなかったんですよね。ただ、じゃあ、どうしたらいいのさ?とは思いましたけど。


さて、だんだん書きにくい話になって来ました。

人生の中で霊感が強くなった時期は何度かありました。私は「蓋がはずれた」と感じています。

蓋が外れたのは、例えば、銀座にいた時は外れっ放しでしたね。

目の前に座るどう見ても紳士的なお客さんの後ろに突然黒い幕が、ダーって下がるんですよ。勿論私にしか見えていません。

後で知ったのですが、その方はヤクザさんでした。

逆に、お花が背後に咲いているように見えた方は、お寺に通っている方だったり、病院の先生だったり。

黒幕さんには近付かず、お花さんとは仲良くなりました。

他に蓋が外れたのは、まれえと沖縄石垣島へ行った時は毎回そうでした。

雨が降るのが分かったり、石垣島では、向こうから人が近付いて来て

「あなた、沖縄生まれだったらユタになってたね、」

と言われるんですよ。

ユタというのは、沖縄にいる霊媒師というか、占い師というか、そういう職業の方だそうです。

幼稚園児が私の周りを取り囲んで水をかけられた事がありました。えらい迷惑な話です。

でもその時に先生が駆け寄って来て

「すいませんね、でも、どうしちゃったのかしら?この水は聖なる水なんですけどね、あなたにあげたくなっちゃったのかしらね?」

こういう出来事があると、私は慣れている?ので、はいはいはい、って流せるのですが、一緒にいる友人は、びっくりする人、まただねって笑う人、私を気持ち悪い化け物を見る様に見る人、いろいろです。

石垣のほぼしょたいめんえのおじさんに

「あの人は、あんたの隣にいるべき人じゃないよ。あの人は外の人。あんたはここの人」

と言われた事がありました。

いやいや、私、ここの人じゃないし…。

最近、突然蓋が外れたのですが、過去最高の外れ具合で、今までになかった現象が始まりました。

なんか知らない人が私にああだこうだと話しに来るんですよ。

一人や二人ではなかったです。

勿論生きている人ではなくて、あの世かその世かは知りませんが、死んでる方です。

あいつにこう伝えてくれだとか、親父に似て頑固な奴だ!だとか、こいつにだけは気を付けるように言ってくれとか、まあ、皆さんよく喋るんだすよ。

私は、そんな事を突然言ったら、私の頭が狂ったと思われるじゃないですか!と、抵抗するのですが、だいたい最後は私が折れて、メッセージを伝えに行くわけです。

案の定、最初は「とうとうべべさんは精神病になってしまったのか。。。。」みたいな目で見られ、なんなんだよ、だからこういう事は嫌なんじゃんか!と、あちらの世界のかたにブチ切れそうになるのですが

「一日待ってくれよ、あいつは受け入れるから」

というので、待ってみると、その通りになっていたりして、不思議だなと感じています。

でも中にはやはり受け入れられない人がいて、それは私が未熟だから、本当に聞かなければいけない方ではない方の声まで聞いてしまっているからなんでしょうね。

なので、私もかなり傷付いたり肉体的に疲れてしまった日に

「もう、蓋しちゃって!」

って、叫んだら、本当に何も聞こえなくなってしまって、それはそれで寂しくなってしまったので、今は少しだけ開いている状態です。



まあ、これを読んだ方のほとんどが

「べべさん、とうとう頭が。。。。。」

そう思うのが当たり前だと思います。

私は自分自身を受け入れない私が、人の為になる事をできる筈がないんだから、もう覚悟を決めよう!そう思って、こうしてヤバイ話を書きました。


来週は石垣島へ行きます。

私の背後に居る方が行けってうるさいからです。

こんな言い方は失礼ですね。だって多分、亡くなっった父だろうから。

石垣島で何が起こるんだろう?

怖くはないです。楽しみとも違うけれど。

そうそう、父が先日言ってたんです。

最近私がメッセージを伝えに行った私の古い友人の事をね

「あいつの事はもう許してやった。葬式も、焼き場まで来てくれたからな。できる事があったら力になってやれよ」

その友人がこの文章を読んでいるかは分かりませんが、いつかそう伝えるつもりです。











前回、次回はイタリア旅行について書くと宣言したものの、何を書いたらいいのか分からない状態なわたくし。

そういえば、写真すら撮っていないし。

えー!って、誰が叫んだわけでもないのだが、私の友人の旅行好きな人たちは皆、えらい量の写真を撮って旅からもどるのだ。

今はデジカメで好きなだけ撮ってきて、後で選んでプリントするからだという。

昨年、韓国へ一緒に行った友人も、ずっと写真を撮っていたが私はカメラというものすら持って行かなかった。

今回のイタリア旅行へもカメラは持って行かず、(持っていないという噂も。。。)旅行らしい事をしたといえば、日記かな。

私は普段、日記なんて付けていない。

でも、旅行(一泊二日の温泉旅行なんかでは付けないが)へ行くと必ず小さなノートを買って日記を付ける。

行きの飛行機で観た映画、隣の席に座った人について、スッチーの態度、乗りかえ時のハプニング、旅行先で食べたもの、出逢った人々、天気、感動した出来事、建造物、ホテルについて、まあそんなどうでも良いことからそうでないことまで書き残す。

この旅行日記は、後で読んで笑えるだけでなく、同じ国へまた行く時に少し役に立ったりするのだ。

例えば、乗りかえが意外に厄介だったとか、お土産はここで買っておかないと店がなくなるとか、あのホテルのアメニティーはいいけど、歯ブラシはなかったとか、ここの市場では売っているけれど、こちらでは全く売っていなかったとかね。

今回でいうなら、ミラノスカラ座のオペラのチケット受け渡し場所が地下鉄構内だなんてビックリしたのだが、何年か後にそれを覚えているかどうかなんて分からない。でも日記を見れば思い出せるわけだ。(旅行本くらい買えよ!って?)

といいつつ、私の記憶力は良いので、忘れないかもしれないが、ここでひとつ思ったのは、私の旅の記憶が鮮明なのは(普段から記憶力は良いのだが)写真を撮らないから?

こんな事を考えた事はなかったのだが、実際、写真好きな人って、写真を見て思いだす事はあっても、話をしていて

「そんな建物だったっけ?良く覚えているね」

そう言う人が多いのだ。

あんなに沢山写真撮ってたのになんで忘れちゃうの~?

今回、私を連れて行ってくれたマイルスおばちゃんも、全く写真を撮らない方だったのだが、彼女がこう言っていた。

「写真を撮るとね、写真を撮る事に集中するから、目ではちゃんと見ていないのよ。ただじっと目の前にあるモノを観察する方が、記憶には残るものなのよ」

ほぉ。

確かに、巨大な建造物を写真におさめるのはなかなか難しい。いろんな角度から挑戦したりして、やっとキレイに撮れたりして。

けれど、ただただじっと、巨大な建造物を眺めていると、

どうやっって作ったのかしらん?あのてっぺんの少し下の辺りの怖い顔の彫り物なんか、どうやって彫ったのかしらん?っていうか、扉、デカイよ!お、防犯カメラだけは最新式なわけ?ソニーじゃなくてサムスンなのね!すごいね~!

絵ハガキでも、写真でも伝わらないであろう迫力を全身で受けて、圧倒される。参りました~ってね。



さて、今回もイタリア旅行の話からは少しそれた話を書いてしまったが、私が写真を撮らない本当の理由は、「あの頃私はこんなに若かったのに。。。」って落ち込まない為だったりしてね。

そういう点で、写真は嘘をついてはくれないからね!


映画「ソーシャルネットワーク」を観て一安心な私。

面白い映画だったけれど、これがアカデミー賞作品賞をとったら、地味だなぁなんて思ってしまう。

映画といえば、私、イタリアへ旅行してきたのさ。

久しぶりのヨーロッパ。

12時間の飛行機の楽しみはやっぱり映画。

しかしアリタリア航空、日本未公開作はあまりなく、しかも日本語で観られる映画は私の観たものばかりだった。

例えば「インセプション」。好きだけど、飛行機のちっちゃなテレビ画面で観る映画じゃないし。

「ソルト」はまだ観ていなかったので楽しめたけど、この2作って、微妙に最近公開された映画だよね。しかも、もう映画館ではやっていないという微妙な新しさ。

観る映画がなくなって、「キャッチミーイフユーキャン」とか観てしまったよ。

若かりし日のディカプ!可愛い!

私、この映画好きなんだよね。

お父さんのお金がなくなって家族がバラバラになったから、ディカプリオ演じる主人公は10代で詐欺に手を染めるんだけど、大金を手にしてもバラバラになった家族は元には戻らないし、犯罪者になった自分は帰る家を失って孤独になっていく寂しい話なんだよね。

主人公が「嘘つきの実話映画」でいうと、「ニュースの天才」も好きな映画。

この2作の主人公はとても良く似ていて、とにかく嘘が巧い。

多分、演技も巧かったのだろう。

そして、二人とも若かったということ。

嘘をつき続けるストーリー展開に、結構ドキドキさせられる。

「なんでそんな嘘をまたついちゃっても~!」


私は嘘が下手だね、と、良く言われる。

「美味しい?」

「不味くないよ!」

「不味いって言っていいよ」

こんな程度の嘘だけど。

嘘がとにかく巧い人に会った事がある。

その人は自分がついた嘘を後に忘れ、それをつっこむと、また新しい嘘をついた。でも、その新しい嘘も、結構真実味があったりして、私は信じてしまったのだが。


旅行ボケなのか、今日はイタリアについて書こうと思っていたのに映画の話になってしまった。

なので、次回、イタリア旅行について書こうと思う。

映画「バーレスク」観て来ましたよ。

シェールですよ!シェール!「月の輝く夜に」の、シェールですよ!

シェールって、65歳って、本当に?

確かに、顔が引きつり過ぎて、表情がないのが少し残念さんだったけれど、シェールならいっか!

そう、シェールなら全て許されてしまうのさ。

あの歌声、見た目も男か女か分からない感じだけど、声も男みたいな太い声。ただ低い太い声っていうんじゃなくて、他にない「シェールの声」なんだよね。

そして、クリスティーナアギレラ。

私、今まで彼女に全く興味がなかったんだけど、物凄く可愛い人!って、ファンになってしまった。

先日、来日していたときには、少々お太り気味?だったけれど、映画の撮影中はダイエットしていたたしく、私が男だったら絶対襲う!って断言できるくらい、素晴らしくいやらしいプロポーションだった。

マリリンモンローを連想させるような、少し惚けた可愛らしさと、セクシーさを振りまきながらも、歌いだしたら、シェールとはまた違った「男らしい声」で、圧倒されてしまった。

60代のおじ様客が

「ストーリーもへったくれもなかった」

ブツブツ言いながら、映画館を出て行ったのだが、私は心の中で

「ストーリーなんて、いらないんだよ。おっさん。だって、シェールだもん」

なんて呟いてしまったが、ストーリーはおっさんのおっしゃるとおりない!

田舎から出てきた、美声を持つお姉ちゃんが、バーレスクという大人の社交場で夢を掴むお話。

そう、よくある話。

ミュージカル映画でよくある話だが、映画「バーレスク」はミュージカル映画ではない。けれど、劇中で登場人物たちが歌う歌は、彼らの心情を歌っているわけで、音楽映画といえばいいのかな。

こういった映画は複雑なストーリーじゃない方がいい。

入り込み易いから。

私も入り込みすぎて、次が読める展開なのに、

「よし、!チャンスだ!さあ、歌っておくれ!」

なんて、主人公を応援してしまったもの。

音楽も衣装も次から次へと楽しいものが出てくるので、最後まで全く退屈することはない。

そして、脇役が!いいのよ!

だって、アランカミングが出てるのよ。しかも、チャップリンがゲイになった、みたいな格好してるし。

エリックデインという、私のお気に入りさんも出ていて、この方は「グレイズアナトミー」のフェロモン男役なんだけど、この人って顔がディカプリオに似ているんだけど、いつも役どころが、セクシーでイケメンで、金持ちで鼻持ちならない自信過剰男なんだよね。

今回もそんな役なんだけど、そろそろ主役で目立つ映画に出てくれないかな~なんて期待している私。

因みに、映画「バレンタインデー」にも出ています。ゲイ役です。

あとは、面白いなと思ったのは、やはりアメリカテレビドラマ「ヴェロニカマーズ」の、クリスティんベルという女優が、主人公のライバル(とうか、意地悪娘役)で出ているんだけど、はまり過ぎっていうくらいの意地悪顔」で笑えた。「薄情顔」っていうのかな。


心から楽しめた映画だったけれど、欲を言うならば、映画「ショーガール」ほどまでは言わなくとも、「バーレスク」にも、毒が欲しかったな、と。

多分、意地悪娘の意地悪が少なかった?

「覚えてらっしゃい!」

って言った割には。。。。。もっと意地悪してくれよ~。

主人公が大怪我するとか、さらわれるとか、そういった、韓国ドラマ的なやりすぎ感が欲しかったな~。と、感じたのは私だけかしら?

私とした事が。。。。。

ドリューバリモアの「25年目のキス」を、まだ観ていなかった事にやっと気づき、何でだ~?って考えてみたら、ドリュー映画って、何年目の、とか、何回目の、っていうタイトルがいくつかあって、25年目のキスも観たもんだと思い込んでいた私。

で、観た。多分この作品は1990年くらいの映画だ。

凄かった!何が凄いって、そうだよ、ドリューバリモアってデブだったんだよね!って忘れてたし!

現在でも、ぽっちゃりなんて言われているけれど、この頃の彼女は、ぽっちゃりなんかじゃない、デブ!


しかも、今よりも老けているし、あまり可愛くないし、演技もイマイチだし。でもこの映画は最高!

多分、彼女はこの映画でロマコメに目覚めたんじゃなかったかしら?



主人公は25年間彼氏がいないライター。才能はあるけれど、会社では部下にも馬鹿にされてしまうような「いじめられっこ」的存在。それは高校時代と変わっていなかった。

主人公の弟は、高校時代は学校のヒーロー、今は野球選手になる夢を諦めた、アロハショップの店員。

主人公に与えられたチャンス、それは、覆面高校生として高校に潜入し、現代の高校生事情?をスクープする事。

しかし、主人公が高校生だった頃と現在のハイスクールは流行の洋服と音楽が変わっただけで、他は何も変わっていなかったのだ。

みんなの注目を集めるヒーローがいて、彼は絶対的な存在だし、スタイルが良くて可愛い女の子のリーダーグループというものがあって、彼女たちはダイエットとおしゃれで頭がいっぱいで、少しでもダサい生徒をとことんいじめまくるのだ。そして、そのいじめっ子達が馬鹿にしていじめの対象にしているグループというのは、勉強が出来て、文化部で、新入生にも優しい、高校生らしい高校生な「オタク族」。主人公は高校時代、ここに所属していたが、今回はリーダーグループに入り込んで「現代の高校生事情」を調査しなければならないのだ。

そこで登場するのが、高校時代ヒーローだった弟。弟は一日目に「コールスローバケツ一気食い」で、あっという間にみんなの人気者になってしまう。
人気者になった弟は、嘘の情報を振りまいて、姉を人気者へと導いてゆく。

アメリカンハイスクールといえば、プロム。ラスト、主人公は、高校時代に果たせなかった「楽しいプロム」を迎えられるのか?という終わりではなく、この映画のラストこそ「25年目のキス」という邦題が意味する、25年間彼氏がいなかった主人公が本当の幸せを手に出来るのか?というものなのだが、私~!なんでこんなに良い映画観てなかったんだよ!



最近、友人が経営するバーで、私の高校時代からの友人しょはた君と、その彼女と、同じく私とショー君の同級生さくらちゃんで会ったのだが、しょはた君とさくらさんは高校時代スキー部で、我が高では、スキー部イコール人気者みたいな存在だった。

それに比べて私は、音楽クラスという、学年で1クラスしかない特殊なクラスだったのだが、まあ、音組?興味ね~し、みたいな存在?
音楽クラスは他のクラスに比べて授業科目が多かったので、部活動を禁止されてしたし、他のクラスの子との接触も少なく、孤立した存在だったから。
まあ、そんな音楽クラスの中にもリーダー格な子はいて、そういう子は他のクラスの子たちと夜のクラブ活動をしていたりしていた。

私?目立たない、真面目オタクに決まってるじゃんか!

高校時代の私は、趣味 映画鑑賞、好きな芸能人 マシューブロデリック(芸能人ていうか、ハリウッドスター)、 好きな漫画 キャンディキャンディー愛蔵版、 好きな歌手 マドンナ、好きなブランド アニエスb、好きな作家 三島由紀夫、休日の過ごし方 映画鑑賞、将来の夢 映画監督

モテなそう、というか、モテるわけないな。

そんな私が高校3年生の時、何を間違ったのか、体育祭のチアリーダーになってしまったのだ。
きっかけは、親友ヨッシーが「思い出つくりにやろうよ」と言ったことだったのだが、ヨッシーは背が高くスタイル抜群、今だったら絶対AKBでベスト3に入るくらい可愛い子だ。その子につられて、チビな私がチアガールに。しかも、何故か流れでリーダーに。。。他のチームがはロングヘアーの人気者女子たちが集まったチームばかり。私たち青組は、何でダサい音組と同じチームなのよ!ってムカつき顔の普通クラスの女子たちと、我ら運動音痴な音楽隊。困ったぞ!しかし、ぼ~っとしていても体育祭は訪れるのだ。私は勇気を絞って、学校で一番ダンスが巧いという、噂のリー君に接触を試みる。当然最初はこんな感じ

「体育祭?ダサ過ぎて無理」

「そこを、なんとか」

「ていうか、本当に同じ学年?見た事ないし」

「私は顔、知ってたよ」

「ふ~ん」

しかしながら、私のストーカー攻撃!ではなく、連日の「お願いします電話」アンド「休み時間毎にお願いします攻撃」の成果?か?

「曲目、決まってんの?」

「曲?曲はね、マドンナのホリデー!フ~!みたいな」

「嘘だろ。曲変えていい?マドンナはないでしょ!ダサ過ぎ」

「マドンナは素敵だよ!でも、振り付けしてくれるのなら何の曲でもいいから!」

そして、リー君は夜のクラブ活動を制限し、猛特訓の日々が始まり、ついに!私たち「絶対に最下位でしょう」チームを見事、優勝へ導いたのでありました!

奇跡ですよ、奇跡!

そして奇跡はまだまだ続いただよ。

何をトチ狂ったのか、この人気者リー君が私に恋をしたのだ。

「君みたいな子は初めて会った。クラブにも行った事ないなんてさ」

って、普通だろが!高校生だし!

しかし、リー君と「お付き合い?」をして、一緒に下校したりしだしたら、今まで私に話しかけなかった他のクラスの生徒が話しかけてきたり、後輩に「恋のアドバイス」を求められたり(これは良いアドバイスは出来なかった)、スキー部の人たちと仲良くなれたりと、私の地位は上がったのである。

浮かれた私は暴走した時期もあったが、結局オタクはオタク。映画好き仲間と

「渋谷に新しい映画館できたよ!」

なんて話題で盛り上がっている方が楽しくなって、元に戻ったけれど。



「25年目のキス」じゃないけど、アメリカも日本も同じ。

高校生らしい高校生はダサくて、ませた子が人気者。でも、人気者が「この子はいい!」と言ったら、それはダサい、から、素敵に一瞬で変わってしまう。

所詮高校生だから、自己主張よりもはみ出さない事が大切なのだ。でも、社会に出たら、全て関係ない。高校時代の法則なんて、卒業したら役立たず。世界は広いんだよ、校舎なんかよりずっと。

それを教えてくれる映画だ。
先日、仲良し友達のヨッシー&愛ちゃんと忘年会をしたとき、ヨッシーに



「なんで海老蔵について書いたの?」



と、聞かれて



「なんでって、書きたかったから。か、他に書くことなかったから」



と答えた私。





今日は、昨日見たDVDについて書きましょう。



「フローズンリバー」



とても素晴らしい映画なので観てください。



って!そんだけかい!



「50歳の恋愛白書」



キアヌリーブスって「恋愛適齢期」のいい人役のイメージから抜けられないのかしら?



或いは、悪魔と天使みたいな映画によく出てくる「マトリックス」に出てたイケメン。的な。



つまり、演技が下手ってこと?



とにかくお顔が美しすぎて、悪ぶっても似合わないのよね。



そんな彼、今回の役は「悪ぶってるけれど、心が優しい男」なので、適役といえば適役ですが、やはり「恋愛適齢期」の医師がフリーターに変わっただけ?という印象でした。



しか~し!「50歳の恋愛白書」ですが、この邦題からは想像できないほど実は病んだ映画でした。



主人公は「理想の妻」を演じている自分に飽きている自分に気づき始め、同時に自分の頭は相当病んでいることにも気づき始めます。



あんなに愛し合っていた年上の夫は「ただの老人」にしか見えない。



娘は自分を避けている。自分が昔、母にそうしたように。



若い頃の向こう見ずな自分はもういなくなって、今では夫に調教された「自分を持たない従順な妻」になりきっていたのに、ときどき下品な自分が登場する。



「私は狂ってる?」



でも、時々顔を出す、他人から見たら下品な自分は本当の自分なのかもしれない。



他人の求める自分を演じることに疲れ果てた主人公に向かって、隣人が言う



「ただ残念なだけ。自分が思っていた人と実際は違った、それだけ」



という台詞が印象的でした。



私らしいって何?っていうか、私って、誰?



母が本当の顔を見せたとき、母を避けていたはずの娘は心を開き、慕っていた息子は逆に戸惑いを見せるのです。



ノニー(ウィノナライダー)が弱い子ぶった自分勝手女を演じているのですが、笑えます。



「私は自分が許せない!許してくれないのならここから飛び降りて死にます~」



っていう場面があるのですが、いるいるこういう女!すぐ泣いて



「私は私が許せません。ごめんなさい~」



っていう人。そういう人に私も



「許すわ」



って言うと思うのです。でも、許すというより、どうでもいいのだと思います。



どうでもいい、勝手に自分を哀れんでちょうだい。



主人公が、ラスト、感情を取り戻し



「やっぱり許せないわ」



って笑うのだけれど、笑えるんだけど、怖っ!って感じました。



でも、私もよく言われるんです。



「べべさんみたいに、普段あまり怒らない人が一番怖い」って。



確かに、私も「許すわ」ではなく「許さないわ」になったときは自分でも何をするか分からないかも。



ふと、海老蔵の妻の顔が頭に浮かびました。


「許すわ」が「許さないわ」になったとき、一番恐いタイプの女性かもしれませんね。