永田よしのりの映画と唄と言霊と  映画批評と紹介記事など 
(立ち寄ってくれた人へ)
映画とバンドと本があれば、とりあえず精神的には生きていけそうな。そんな生活を送りはじめてはや三〇年。言いたいことや書きたいことだけを綴る私的論。もちろん意見には個人差があるから100%の人に好かれようとは思っていないので、気に入った人だけお付き合いくださいな。
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今年もあと20日あまり

毎年この時期になると、「もう一年も終わりかあ」という気分になる。
だいたい今週あたりで年末進行というやつが終わり、世間様より早く年末気分に。
今年は26日までインタビュー仕事があるので、合間に忘年会などが挟み込まれ、なかなか気分は一定しないが、掃除もちょこちょこしているので大掃除の必要もなく。
忘年会も今年は例年より少なくなりそうで、試写も行ってもあと10本くらい。
まあ、今年もなんとか生き延びられそうで、有難いことだ。
年明けの最初の原稿締め切りは1月半ばあたりなので、ポツポツやっておかなければ。

神谷町でうどん


神谷町駅から歩いてすぐのうどん屋で、早めの晩飯。うどんとカレーのセット。これで500円。
鰹節のだしが効いてうどんもカレーも美味かった。 夜に1本試写を観てから帰ろう。

ありあけのハーバー


懐かしくてつい。

「私の2019年度日本映画ベストテン」

 

「私の2019年度日本映画ベストテン」


 今年も早いもので、2019年度の日本映画ベストテン選出の時期がやってきた。
 僕が選考しているのはヨコハマ映画祭と日本アカデミー賞のふたつ。
 今年もやはり家族を描く作品が多かったように思う。
 その中から悩んだすえに選んだ10本が以下。

1/ひとよ
2/楽園
3/火口のふたり
4/ひき逃げ 最高の最悪な日
5/町田くんの世界
6/閉鎖病棟 それぞれの朝
7/蜜蜂と遠雷
8/洗骨
9/おいしい家族
10/翔んで埼玉


10位に入れた「翔んで埼玉」だけはちょっと異色ではあるが、この映画の持つあまりに馬鹿馬鹿しいパワーはベストテンに入るべき1本だと思い入れることに。

映画は観た人の数だけ意見や好き嫌いがあるが、今年の僕の10本はこんな感じに落ち着いた。ちなみに観た日本映画は160本ほど。試写がなかったり、機会を逃して見逃したりといった作品も数あるのだが、そこはどうしても全作品観るなんてことは不可能なのでお許し願いたい。

昨年の12月から今年の11月までの公開作品の中から選出するのがルールだが、みなさんの10本はどんな作品を選出しているだろうか。

 

 




 

この時期に続々と誕生


だいたい春頃に産まれるメダカたち。
今年は室内に移した楊貴妃たちがたくさん出産。
すでに百匹ほどが卵から孵化。
いつもとは違う季節に出産ラッシュとなっている。

スター・ウォーズ シール


映画館で売り始めた「スター・ウォーズ」シール。素敵。

「ゲゲゲの鬼太郎が令和の時代に発信するもの その12」

 

「ゲゲゲの鬼太郎が令和の時代に発信するもの その12」
 

 日曜日の朝に民放テレビ局で放送されているアニメーション「ゲゲゲの鬼太郎」。
  その内容が実に攻めている。
 まるで1970年代に多数放送されていた、視聴した子供たちにトラウマを与えた特撮テレビドラマのような内容が次々に放送されているのだ。
 ここには1970年代当時、そうした特撮テレビドラマを視聴してきたスタッフたちの思いが内包されていると思われるのだ。
 おそらく「ゲゲゲの鬼太郎」を製作しているスタッフたちは20代から50代くらいではなかろうかと推測しているのだが、その年代の幅の中でも、1970年代当時子供たちにトラウマを抱えさせるような内容を作っていた特撮テレビドラマを知っている、見ている、ファンである者たちがいるであろうことは想像に難くない。
 例えば「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」、「怪奇大作戦」、「宇宙猿人ゴリ」から「スペクトルマン」、「シルバー仮面」「レインボーマン」「バロム1」「人造人間キカイダー」「ウルトラQ」「帰ってきたウルトラマン」「猿の軍団」などなど列挙すれば実にたくさんの特撮ドラマが想起される。
 これらの作品群にはただ単にヒーローが人間を脅かす敵を戦う、というだけではなく、正義とは何か? 悪とは何か? 人は何のために産まれてきたのか? なぜ人は犯罪を犯すのか? なぜ人は差別するのか? 人を許すためには何が必要なのか? そして人間が幸福になるためには? などの生きるうえでの悩みが描かれているのだ。
 子供たちはヒーローたちの姿に憧れながら、人間の矛盾を知り、醜さを知り、人への優しさを知ってきた。それは作り手たちの願いでもあったはずだ。
 それを現在の「ゲゲゲの鬼太郎」では、かつてのエピソードをリメイクしながら、子供たちに向けて堂々と構築し、提示してみせている。朝9時からの放送でありながら、子供たちに向けながら、録画して観ている大人たちに向けながら。
 そこには現在のテレビ番組で立ち塞がるコンプライアンスという、邪魔でしかないものに向けての宣戦布告が見てとれるのだ。
 「ゲゲゲの鬼太郎」に登場するキャラクターは人間と妖怪である。そのふたつは事なる種類のもの。異文化交流である。
 そして異文化に産まれるものには必ずどこかでは差別があり、享受があり、思案がある。
 それを製作者たちは「ゲゲゲの鬼太郎」の中で提示してくる。
 こんなことがあったらどうしますか?
 君たちは他人にどう接しますか?
 どうしたら他人と仲良く生きていけますか?
 人はみな自分勝手な生き物ですよ、でもそれだけじゃないんですよ。
 地球上に存在するものはみんな仲間なんですよ。
 と、「ゲゲゲの鬼太郎」という人間と妖怪の存在を描く中で子供たちに語りかけている。
 あまりにも当たり前であることを、視聴者は時に辛く悲しいエピソードの中で気づかされていく。
 それが現在の「ゲゲゲの鬼太郎」なのだと思う。
 そうでなければ、最近の猫娘への辛い問いかけは生まれてこないのではないだろうか。
 来年の3月まで放送される予定らしいが、出来得るものならばまだ続けてもらいたい。
 そして子供たちに問いかけ続けてほしいと願うのだ。
 ただスポンンサーのオモチャを売るためだけに、物語を続けているようなどこかのプロダクションのようになってはいけない。
 もちろん今の時代、スポンサーがなければ製作は出来ないのは分かりきってはいるが、モノ作りをするということは、金稼ぎの道具になることだけではない、ということも残っていってほしいのだ。
 そうでなければ大人たちは子供たちに何を残すというのか?


 

桂 で昼食


我孫子手賀沼畔に出来たラーメン店・桂。
原稿書きの合間に昼食。
ラーメン小と半チャーハンを。

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

 

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

色々なものがギリギリの今の時代に受け止めるべきもの
 
                      

 まず最初に語っておかなければいけないこと。
 それは沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が米国から日本に返還となったのは1972年5月15日だということ。
 つまりそれまで沖縄は米国の統治下にあったということだ。
 日本の法令用語としてもこれを〃沖縄の復帰〃と呼称している。
 それは1945年の米国による沖縄占領時から、実に27年後のことだ。    
 ものすごく平たく言えば、沖縄は1972年まで〃日本ではなかった〃ということ。
 なぜ、日本は敗戦後にすぐ、沖縄を日本国の一部として主張しなかったのだろうか?
 そこには、1945年3月26日から6月23日までが戦場となった、沖縄戦の真実がある。
 
 その沖縄戦の真実を、かつて福島原発事故を題材にした「朝日のあたる家」で、監督を務めた太田隆文監督が、約3年前から何度も現地に入り、戦争体験者たちの証言、沖縄の現在、沖縄戦とは何だったのか? を我々に知らしめてくれるドキュメンタリーを撮った。
 実はまだ沖縄でも本作は公開されておらず(今秋公開予定で準備されている)、マスコミ試写なども行われていないのだが、僕は映画関係者として早めに観ることを叶ったのだ。
 なので、詳しい内容は書かないが、本作品をどのように感じたか、は伝えておきたくなったので、この文章を書いている。
          
 沖縄戦は、第二次世界大戦中、米国が日本中央本土を攻撃するための最前線基地として必要としたために開戦したもの。
 1945年3月から6月あたりは、すでに日本国軍は敗戦の色濃く、それでもメディアは、大本営発表の薦めるままに日本国軍有利をまだ伝えていた。つまり日本国民は真実を知らされないまま、戦争の渦中にいた時代。
 現在も沖縄辺野古基地問題が続いているが、単純に考えてなぜ、東京湾に米国基地を建設しないのか? という疑問は湧かないだろうか?
 その根幹にあるものこそが、沖縄戦争そのものであろう。
 これは私見だが、つまり中央政府は沖縄を日本と思っていなかったのだ。
 それゆえ、20万人以上の戦没者を数え、終戦後27年も経てからやっと沖縄返還を認めたのだ。
 ドキュメンタリーでは、1945年当時に沖縄戦を体験した生存者から数々の証言を引き出している。
 それは怒りと悲しみの声だ。
 その声を我々は今まであまり聞くことはなかった。
 それは沖縄が日本ではない、近くの観光地でもあるかのような認識で世間に拡散されているからだ。
 日本政府は沖縄戦を無かったことにしておきたいのではないだろうか?
 そこにある真実は、触れられては日本政府にとっては都合の悪いことだらけのような気がするのだ。
 その姿勢は2011年の東日本大震災時に起きた、福島第一原発事故の時と同じに見えないだろうか?
 我々はあまりに知らないことが多すぎる。
 それは自ら知ろうとしないからでもある。
 簡単に情報が入手できる時代なのになぜ?
 実は情報が簡単に様々に入手できることこそが、情報操作の一端を担うことでもある。
 手軽に情報を得ることには、実はあまり価値がない。
 そこにあるのはいくらでも描き替えることのできる事実。
 本当に知らなければいけない真実、知っておかなければいけない真実は、表層だけを彩る情報には描かれることはない。
 多くの人はそこでとりあえず満足する。
「自分はそのことを知っている」と。
 だが、手間をかけ、現地に赴き、様々な書簡をあたり、自ら求めることにこそ情報の真実に行き当たるのではないだろうか。
 我々は考えなければならない。
 なぜ、今、我々はこの時代を生きているのか。
 「戦争は嫌だ」
 と言うのは簡単なこと。
 もちろん間違ってはいない。
 我々は1945年以降に生まれた世代。
 当時の戦争を実際に知る者もどんどん少なくなってきている。
 今がギリギリ、本当のことを経験者たちから教えてもらえることに間に合う時代なのだ。
 そして後の世代に我々が伝えていかなければならない。
 真実を。
 悲しみを。
 怒りを。
 「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」には、我々が知っておかなければならない真実が焼き付けられている。
 それは抉るような引っ掻き傷を我々に残す。
 だが、その引っ掻き傷を身体に残さなければ、何も語ることは出来ないのではないだろうか。
 戦争を知らない世代、もしかしたら今後、戦争を知ることになる世代を生み出さないためにも、我々はこうした作品を、色々なものがギリギリの今の時代に受け止めなければならない。

(映画文筆業・永田よしのり)

 

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

 

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

2019年公開予定

色々なものがギリギリの今の時代に受け止めるべきもの
 
                      

 まず最初に語っておかなければいけないこと。
 それは沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権が米国から日本に返還となったのは1972年5月15日だということ。
 つまりそれまで沖縄は米国の統治下にあったということだ。
 日本の法令用語としてもこれを〃沖縄の復帰〃と呼称している。
 それは1945年の米国による沖縄占領時から、実に27年後のことだ。    
 ものすごく平たく言えば、沖縄は1972年まで〃日本ではなかった〃ということ。
 なぜ、日本は敗戦後にすぐ、沖縄を日本国の一部として主張しなかったのだろうか?
 そこには、1945年3月26日から6月23日までが戦場となった、沖縄戦の真実がある。
 
 その沖縄戦の真実を、かつて福島原発事故を題材にした「朝日のあたる家」で、監督を務めた太田隆文監督が、約3年前から何度も現地に入り、戦争体験者たちの証言、沖縄の現在、沖縄戦とは何だったのか? を我々に知らしめてくれるドキュメンタリーを撮った。
 実はまだ沖縄でも本作は公開されておらず(今秋公開予定で準備されている)、マスコミ試写なども行われていないのだが、僕は映画関係者として早めに観ることを叶ったのだ。
 なので、詳しい内容は書かないが、本作品をどのように感じたか、は伝えておきたくなったので、この文章を書いている。
          
 沖縄戦は、第二次世界大戦中、米国が日本中央本土を攻撃するための最前線基地として必要としたために開戦したもの。
 1945年3月から6月あたりは、すでに日本国軍は敗戦の色濃く、それでもメディアは、大本営発表の薦めるままに日本国軍有利をまだ伝えていた。つまり日本国民は真実を知らされないまま、戦争の渦中にいた時代。
 現在も沖縄辺野古基地問題が続いているが、単純に考えてなぜ、東京湾に米国基地を建設しないのか? という疑問は湧かないだろうか?
 その根幹にあるものこそが、沖縄戦争そのものであろう。
 これは私見だが、つまり中央政府は沖縄を日本と思っていなかったのだ。
 それゆえ、20万人以上の戦没者を数え、終戦後27年も経てからやっと沖縄返還を認めたのだ。
 ドキュメンタリーでは、1945年当時に沖縄戦を体験した生存者から数々の証言を引き出している。
 それは怒りと悲しみの声だ。
 その声を我々は今まであまり聞くことはなかった。
 それは沖縄が日本ではない、近くの観光地でもあるかのような認識で世間に拡散されているからだ。
 日本政府は沖縄戦を無かったことにしておきたいのではないだろうか?
 そこにある真実は、触れられては日本政府にとっては都合の悪いことだらけのような気がするのだ。
 その姿勢は2011年の東日本大震災時に起きた、福島第一原発事故の時と同じに見えないだろうか?
 我々はあまりに知らないことが多すぎる。
 それは自ら知ろうとしないからでもある。
 簡単に情報が入手できる時代なのになぜ?
 実は情報が簡単に様々に入手できることこそが、情報操作の一端を担うことでもある。
 手軽に情報を得ることには、実はあまり価値がない。
 そこにあるのはいくらでも描き替えることのできる事実。
 本当に知らなければいけない真実、知っておかなければいけない真実は、表層だけを彩る情報には描かれることはない。
 多くの人はそこでとりあえず満足する。
「自分はそのことを知っている」と。
 だが、手間をかけ、現地に赴き、様々な書簡をあたり、自ら求めることにこそ情報の真実に行き当たるのではないだろうか。
 我々は考えなければならない。
 なぜ、今、我々はこの時代を生きているのか。
 「戦争は嫌だ」
 と言うのは簡単なこと。
 もちろん間違ってはいない。
 我々は1945年以降に生まれた世代。
 当時の戦争を実際に知る者もどんどん少なくなってきている。
 今がギリギリ、本当のことを経験者たちから教えてもらえることに間に合う時代なのだ。
 そして後の世代に我々が伝えていかなければならない。
 真実を。
 悲しみを。
 怒りを。
 「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」には、我々が知っておかなければならない真実が焼き付けられている。
 それは抉るような引っ掻き傷を我々に残す。
 だが、その引っ掻き傷を身体に残さなければ、何も語ることは出来ないのではないだろうか。
 戦争を知らない世代、もしかしたら今後、戦争を知ることになる世代を生み出さないためにも、我々はこうした作品を、色々なものがギリギリの今の時代に受け止めなければならない。

(映画文筆業・永田よしのり)
 

 

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