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休暇届

いや、萬年放置がちなので休暇も休止もないのですが。

このたびわたくし、生還いたしました。性感じゃないよ生還だよ。
退院したんですよ。
どっかからと言うと病院から。入院してたんですね。
何で入院してたかっつーと手術したんですね。

何で手術したかと言うともちろん病気だった訳で、
良性腫瘍をテキシュツしました。

で、まぁわたしのことですので、ネタも山盛り仕込んで帰って参りましたが、
なかなかの大物ですけ、ちょっくらお時間頂きたい。

身も心も格別に駆使いたしましたので、
しばらくはレッツ療養で贅沢な時間を過ごさせて頂きたい。

ということで、しばらく休憩いたします。

ここ最近、邪悪なSNSってヤツのせいで、みんなろくにMailを書かない堕落生活を送っている様ですが(自分も含めて)、
まぁちょっと声をかけてみたいような方はぜひ、
右のどっかのMail Me ってのをポチットナーしてもらったら、
ひょっこり直メもでけるようになってまっさかい。

じゃぁまた、おしゃべりはじめるその日まで。

あったかくして、お過ごしください。

キコクキ 2 帰国したけど中国だった。

※http://d.hatena.ne.jp/kaekae/20070731 の続きです。帰国記は今後こちらに。

パキスタンの日本人おふたりと爽やかに即席社交したあと、そのホテルの唯一めぼしい晩ご飯を…と立ち寄ったのが中華バイキングでした。帰国一発目は中華! しかし日本の中華はなかなかイケてると信じる私としては順当な選択。

ホテル最上階の広々とした中華レストランは満員。なんと中国/台湾系の団体さんだらけでした。帰国早々、最近の祖国のある一面を垣間みた時間でした。で、やはり巷の闇で囁かれる通り、ご一行は…もの凄い荒れ食い!(苦笑)。みんな怒りながら食べてるみたいに食卓が乱れているが…まぁ、普通に団欒しているのでしょう。そんな10人がけみたいな大きなテーブルが何十とあり、我々はその端っこに通された。ここはどこやねんとは申さぬが、ああ、帰って来たのは日本っていうより中国の隣の国だった。と思ったり。で、そんな中国人御一行もなかなかいけるやんけって様子でがっつく中華料理は我々的にもOKで、やはり欧州各国の中華より野菜が豊富。似た料理もちゃんとそれぞれ味が違う(涙)。

しかしながら、やはり成田は東京じゃないよな。トウキョウ国際空港なんて名乗んなや!と思う。遠いし、文化も違う。このあと日暮里で再会する野村誠氏曰く「あの成田から日暮里の在来線は、独特のものがある」特急と言いつつ地域の人の生活路線としてもあるあのライン(名前なんだっけ)が、日本でいちばん最初に目にする風景になる外国人なんかにはきっと随分と…。

その前に、このホテルのレストランでバイトしてる兄ちゃん姉ちゃんも、お野菜のように地場産丸出しである。お兄ちゃんはみんな、先月まで甲子園目指して予選敗退したのかと思わせる髪型と眉毛。懐かしい風味。球児と思えないのはまっちろなお肌。お姉ちゃん達も東京他都市部の子達より若干茶髪の黄色味が強く、眉毛もどっちかと言うとトレンドよりも球児寄りだったりする。バイトをまとめて取り仕切るお兄さんはやたらこなれていてまさしく水商売風、昔のディスコの黒服みたいなヘラヘラした接客なんだけど、それがまた一層の地方都市風味を醸し出していた。
嗚呼ニッポン、帰ってきたアルヨ、と窓の外の空港を眺めつつ、満足気に先ほど運ばれてきたガン冷えのエビスに手を…??エビス?? 生意気にもすべてがシティホテルプライスなバカ高いメニューに驚愕して、わずかな倹約をとエビスの生をあきらめて注文したはずのサッポロ中瓶、サッポロ中瓶であるはずの私のビールが!ちいちゃいエビスの生小じゃないかコレ!お皿下げてる野球部崩れか族上がりの兄ちゃんを問いつめると、あっさり非を認める。
「瓶ビールっつったよね?」「あ、そうでした」「ここ生ビール高いのに!」「そうっす、すんません、取り替えます!」「呑んじゃったしいいよ、贅沢させてくれたなw」「いや、取り替えます!」「誰かが飲めるの?」「いや、流します、大丈夫っす」「大丈夫ちゃうよ、あかんやん、捨てんにゃったらええよ」「スンマセン!」
そのあと彼は、目が合うたびに小さく「ちっす、すまんっす」って感じで頭を下げた。三回くらい。

子ども料金も残酷な高さだったので、しっかりお代わりさせてアイスも食べさせちゃうぞとデザートコーナーへ行くと、チャイナシンジケートの一派が去ったあとだったからか、アイスクリーム用のディッパーが浸けてある水瓶がめちゃくちゃ汚い。もう、水に浸けてあるはずが、散々あらゆる種類のクリームが混入して、水とは真逆な、…ケロッパに突っ込んであるみたいだ。ケをゲにしてもらったら、言いたいことはわかって頂けると思う。
で、やたら愛想マンな黒服に指摘すると、泣き笑いみたいな顔になって「ただちに取り替えますぅ、申し訳ございましぇん」としなだれる。レストランの広いホールでは何人かの“偉い人”はインカブを付けてて、無線で指示を出す。かなーり待たされてバイトのお姉ちゃんが新しい水瓶をひとつだけ持ってきた。ちょっと謎、と思いつつ待っていると「しつれーしまーす」と言って、その水瓶に古い水瓶からディッパーを入れ替える。ディッパー、古いアイスだらけ、もちろん新しい水瓶一撃で濁る、汚れる。「あっ、いや、それならディッパーも洗ってよ!」思わず声を上げると(もうだってホントに汚くて気持ち悪かったんですよ)、お姉ちゃんは「はっ!」と言って顔を赤らめた。言われてみればそりゃそーだ、とでも思ったのだろうか、ぺこりと謝って古い水瓶ふたつとディッパーを持ってった。かなーり待たされたけど、戻ってきた時にはアリガトウと声をかけ、それでよそうのは子どもにアイスひと玉だけって言うのもちょっと申し訳なかった気がしないでもない。
でも、さきほど持ってきていた新しい水瓶、さっき汚いままのディッパーを一瞬だけ入れて即座に水を濁らせてしまった水瓶。案の定、指摘されてきちんと洗ってきたディッパーのひとつは、汚したてのその水瓶に突っ込まれてしまった。まぁねぇ、夜9時も回って、このあとどれだけの人が利用するか知らんし、ええのですけどねえ。最近の若者は、自分の徒労に鈍感な気がするんですけどもどうでしょう。

なーんてことありつつ、内心ではちゃんと謝る若人にホッとする帰国者だったわたくし。
しっかし。
このあと夫のわずかな休暇を利用して訪れる香港&マカオにて、悪夢のような中国(本土式)接客にゲンナリして今年の帰国旅を終えるとは、この時は知る由もなかったのであった。

つづく
(続けるよ、ホントに)

ドアを開ける  (前)



 火曜の昼下がりに、キッチンで片づけをしていたら窓の外から人を呼ぶ声がした。
うちのキッチンの窓の下はHofがある。建物が回廊状に空間を囲んでいるそこを、ドイツ語でそう呼ぶ。ウィーンではごくありきたりな建築様式で、庭として手入れされているところも時どき見かけるけれど、うちのような古いアパートのHofはゴミ捨てコンテナが並んでいたり表のカフェの裏口があったりで、取り立ててステキなものでもないけれど、大通りからドア一枚でこのHofに入るだけで、一瞬さわやかな静寂がそこにある。ぐるりと取り囲む建物が独特の音響効果を持っていて、遊びに来た友人たちは必ず、四角く切り取られた様に見える空を見上げたり、おかしな響き方のする音をしばし楽しんだりしている。

回廊の中はしっかりと二棟に別れており、我が家のある棟と向き合った別の棟の3階には、安い宿がある。値段を知らないけれどとても安いらしく、朝食も付いていないと言うその宿は、観光客と言うよりむしろ商用の人や、もしくは若い、低予算旅行の人々が利用するようで、このHofに面した窓辺に居ると、よく旅行者から値段を訊かれたりレセプションの場所を訊かれたりする。あいにくまったく情報を持ち合わせていないので、宿のドアベルを指差して教えてあげるのがわたしの対処法だ。
 その時窓の外から誰かを求める声がして、また宿の客が迷っているのかと顔を出してみると、初老の女性がそこにいた。
たたみかける様に何かを言われたので、何ですか? と聞き返すと、「ドイツ語か英語か、どちらがいいですか?」と訊く。「英語の方がわかりやすいです」と言うと、ちょっとこちらへ来て助けて欲しい、と言う。キッチンには家族も居るし面倒なことには特に成るまい。窓越しに聞いているより行った方が早いかと出てゆくと、両手に少しばかり荷物を持ったその人は、自分はそこの宿の泊まり客なんだけどちょっと手伝って欲しい、と言う。早口に話しながら彼女は両手の荷物をひょいと持ち上げて、自分の脚を見せながら「ちょっと難しいから」と言う。詳しく理解するまでもなく、ただすみやかに要求に応えればいいのだ、と察した私は向かいのドアに駆け寄り、宿のドアベルを押す。
彼女は脊椎異常があるのか、ゆっくりとした歩き方はぎこちなく、背骨か骨盤か、どこかがゆがんでいるようだ。棟の玄関は常時施錠されており、ドアベルを押すとレセプションからロックが解除される。かすかな解除音がしてから重いドアを押すと入れる様になっているけど、玄関には小さな2段のステップがある。その、たった2段の小さなステップを上がりながらドアを押す、という慣れるまではちょっとばかしコツを要する、とは言えごく普通の動作が、彼女には難しいようだ。私だって、スムーズにスマートに、「どっこいしょっと」ってしなくていい様に成るには回数を要したものだ。ごめんなさいね、ありがとう、助かるわ、ひとりでは建物に入れないから、いつもわたしはこのドアの前で誰かが来るのを待っているの。ありがとう、ほんとうに。そう、そのままドアを抑えていて、もう少し開ききった状態で、ありがとう…。
そう言いながら彼女はステップの前で、目の前の小さな段を睨みながらスカートをたくし上げた。そして腰のあたりに手を添えながらゆっくり、段を上がる。注視する訳にもいかないのでわからないけれど、真夏でもしっかりとしたタイツを履いたその細い脚は、義足かもしれないと思われた。どちらかがそうかもしれないし、どちらもがそうかもしれない。いずれにせよ自分には関係のないことなので、わたしはドアを抑えながら手を伸ばして、エレベーターのボタンを押す。
ステップを上がりきったところで彼女の表情がさっとやわらぎ、あの小さな2段を登ることは、回を重ねても一向に容易にはなり得ないことを知る。
 「ありがとう、ほんとうに助かったわ。素晴らしい。あなたはフィリピン人ですか?」
 「いえ、日本人ですよ」
 「あぁ、そう。日本、私は東京をよぅく知っていますよ、わたしはオペラ歌手なんです」
 「じゃあ旅が多いのでしょうね」
 「ええ。でもこの宿は問題ですわ。ほんとに困ったものです」
エレベーターを待ちながら、早口での会話。だったら、と思いつく。必ず助けが必要で、その説明や遂行に個人的なことに触れなくてはいけないなら、複数の人にその度説明するよりできれば同じ人が介助するのが、彼女にとっては気らくであるにちがいない。いつまでの滞在ですか? 5日間です。だったら、
「わたしはあの窓の部屋に住んでいますから、家にいる時はいつでもドアを開けに来ます。気軽に窓から呼んでみて下さい」一回1分もかからない。一日5度も6度も宿を出入りすることも、余程のことが無い限り有り得まいし、日曜までなら、ヘルゲとマルティナに一度晩ごはんに招待されている以外は特に出かける予定もなく、買い物や散歩以外は家に居るんだし。こんなこと、ワケ無い。エレベーターが到着し、細い身体から言葉を溢れさせる様に謝意を述べながら、彼女はエレベーターに運ばれて行った。

 その夜、気になりながらもほぼいつも通り、キッチンを片づけ寝室に行った。
翌日。お昼過ぎ、運良く彼女はまた、私がキッチンに居るところを捕まえることに成功した。彼女に我が家のドアベルを教えて、窓辺に人影が見えなければベルを鳴らして、と言った。それは名案だわ、と笑顔を見せたあと、また二段のステップを前に彼女は神妙な面持ちに成った。やはりわたしは、彼女がスカートをするするっとたくし上げたところでなんとなく目を反らせた。
無事にステップを登りきったところで、あなたは何時頃まで起きているの? と彼女が訊いた。ほんの少しだけ習慣より遅めの時間を告げて、蛾とか夜行性動物と言った単語が思い浮かばなかったので「私はまぁ、あぁいったものですよ、…夜のチョウチョ!」と言ったら、独特の倍音がいっぱいの印象的な声で笑った彼女は、
「では、深夜の帰ってきても助けて頂けるかしらね。私はもっと早く戻りますから。せいぜい零時半には帰ってくるわ。ああ、助かるわ。ありがとう、ほんと素敵よ」
そう言って、エレベーターに運ばれて行った。
頼みやすそうに振る舞われたのが、そこはかとなくこちらの気持をときほぐした。

その日、香音は気管支炎をこじらせはじめていた。
日に何度か、発作の様にひどい咳をしていた。午後は、彼女をいちども見かけること無く過ぎた。
予告した通り、彼女は深夜零時を過ぎた頃戻ってきた。キッチンで窓を開けて本を読んでいたのですぐに気づけたけれど、寸での差で彼女はうちのドアベルを押してしまった。あわてて表へ出て、待たせてごめんなさいね、夜は小さな子どもが寝ているから名前を呼んでください。私の名前はkaeです。ええ、わかったわ、これで私はあなたの名前を覚えたわ、ありがとうkae、素晴らしい、ありがとう、おやすみなさい、よく寝てね…。
家に戻ると、残念ながら香音はドアベルで目を覚まし、ひどく咳き込んでしまっていた。私が戻る頃には落ち着いてレメディを貰って、やっとまた眠りはじめたところだった。

 木曜の午後。ドアを開けに行くと、彼女はなんだかソワソワしていた。なんと、トイレに戻って来ただけでまた出かけるのだと言う。だったらうちのトイレを使ってよ、と言ったけれど、それはしっかりと断られた。このドアさえ入れれば、わたしは自分のトイレに行くのがいいのよ。でもkae、今はトイレに行ったらすぐまた出かけちゃうんだけど、こんどあなたとお茶でも飲んでお話ししたいわ、だってあなたは so nice だもの。私はドアを開けてるだけですよ。しかも趣味として。ね、こんどお茶しましょう今はダメだけど、ね、じゃあね…。
不自由な脚で、でも歌の才能を携えて、いろんなところを旅して来た人が、旅先で出会った私にいったいどんな話を聞かせてくれるだろう。そもそも彼女はなんて言う名前で、どこの国の人なんだろう…。そんなことを考えながら、溜まった洗濯物をマシンに押し込み、キッチンに溜まり過ぎたワインやビールの空き瓶を捨てに行った。
その夜、12時少し前に帰ってきた彼女はすこしばかりはつらつとしていて、ドアを開けに出てきた私を捕まえてすぐにこう言った。
 「あなたさえよければ、今から伺ってお茶でも飲みながらお話ししませんか?」
No、という時ためらってはいけない、といつの間にか反射的に振る舞える様に成ってしまっていた私は、思わず「ごめんなさい、子どもが今ちょっと病気で…」と率直に言いはじめた。すると彼女の表情が瞬時に変わり、いいのよ、いいのよ、ありがとう、またね、また今度、と、たった今口走ってしまったオファーをさっとかき消してしまった。あまりにも素早くオファーを引っ込めるので、わたしは「明日は? お昼間ならいつがいいですか?」と訊いてみたけれど、「いいのよ、いいのよ」と繰り返してそれには答えてくれなかった。折悪くか良くか、そこへひとりの男性が宿のエレベーターから現れた。
 「ありがとう、もう大丈夫よ、彼は宿の人よ、ドアを開けに降りて来てくれた。今日はこれで大丈夫、ありがとう、おやすみなさい…」

彼女が直情的なひとであれば、もしかしたらわたしの返答が彼女を落胆させたかもしれない。いやそれとも、名案と思って気軽に口走ってしまったけれど、当然ながら拒否されたことで、言わなければ良かったと悔いているのかもしれない。もっと違う言い方をするべきだったんだろうかと、後味の悪い気持が残った。


 金曜は朝からヴィザ更新手続きで心配したり慌てたり、バタバタとしていた。
それでも午後はまたHofに現れた彼女を見つけて、わたしはドアを開けに外へ出た。彼女もHofから唄う様に、私の名前を呼んでいた。
どこかから帰ってきた彼女は、疲れた疲れたと繰り返しながらもどこか晴れやかで、今は疲れてるから無理だけど、ゆっくりあとでお話ししましょうね、と言いながらエレベーターに消えて行った。昨夜の返事で懲りさせたりしていなかったことを知ると、内心とてもホッとした。週末は雷が来るらしいから、気をつけてね、と言うと、言葉がうまく通じなかったみたいで彼女は再度聞き返し、あぁ、あなたお天気の話をしてるのね! と笑いながら部屋へ戻って行った。
どうせならスムーズに彼女の帰宅に気づける様にと、窓のそばに椅子を置いて夜を過ごした。深夜零時前、表通りのドアが開く音がして、他の人の倍ほどの時間をかけてHofへ歩いてくる人影が見えた。わたしは立ち上がり手を振った。彼女もすぐわたしに気づいて、手を振る。素早く表へ出ると、「あぁ、もうわたしは何もしなくっても助けを得ることができるのね」と笑った。わかっていたことだから、と言ってドアを開ける。ステップ二段。たくし上げられるスカート。そこでカチッと、タイマーが作動していた玄関灯が消えてしまった。リンクしている廊下の電気も消えてしまう。慌ててスイッチを探して見回すと、彼女が強い声で制する。
 「いいの! 大丈夫! だからドアをしっかり開いて止めていて! わたしはちゃんと見えているから、大丈夫!」暗がりで見えるその表情は、段を睨みつけたまま硬く貼り付いている。ドアを し っ か り と 開ききって抑えていることは、彼女にとってとても重要なのだ。おそらく、気もそぞろにドアを抑えでもして、仮に手もとがくるってドアが彼女に直撃したり、灯りのスイッチを押そうとして彼女にぶつかったりしたら、大変なことに成り得るのだろう。しっかりと段を見据えて一歩ずつ慎重に上がる彼女は、どんな時もその間だけ強張った表情に成る。
そしてまたエレベーターが到着する頃に段を終え、ほっとした彼女が「わたし、目は良いの、よく見えるのよ。ほんとに、眼はね、…いいの」と言った。
明日こそお茶に来てもらおう、と思っていたわたしは、暗がりの中強い声で私を制しながら段差を睨みつけていた彼女のその表情を目の当たりにして、すこしひるんでしまった。ひるんでる間にエレベーターが到着し、彼女は乗り込む。
「ありがとう、kae。ほんとうにいつもありがとう。 よく眠ってね、よく眠るのよ。また明日ね」
わたしの肩をがしっと摑んでそう言って、彼女はまたエレベーターに運ばれて行った。


photo by ekke
http://www.pbase.com/ekke/

Hurt    その1

 Hello,hello...
ハローって、語源は何だったっけ。ドイツ語でも、ハロー、綴りがeではなくaなので、発音はまさしくハローである。
英語と同じく、Guten Morgen やGuten Tag, Guten Abent, Guten Nachat など一連の挨拶はあって、無理からに直訳Rock してみると“良い朝ですね”“いい一日を”みたいなことになるのかな。Hello はもうかなり万国普及の形相ではあるけれど、意味があるのか無いのか疑わしいほどその言葉は軽い。「もしもし」が実は、いちばん近いのかもしれない、というくらい。この軽さにも愛着は湧くもので、時としてあなたのハロウが聴きたい、みたいな時だって、ある。アメリカのド演歌、ライオネル・リッチー先生の曲を思い出すまでもなく。

ドイツを毛嫌いしながらドイツ語を話すオーストリアの市井の人々は、だからと言うわけではないけども様々なウイーン弁を持つ。ドイツ語初心者な私はもちろんアイサツ程度くらいしか知らないんだけど、そのアイサツ程度でも大きな違いがある。
道ばたで、オフィスで学校でお店でトイレで露天風呂で、たいそう頻繁にGruess Gott と言う。朝でも夜でも公でも私でも、Gruess Gott は便利な挨拶の言葉なのだ。けれど、GやDをあまり濁らさない訛りが特徴的なこの街では、どうしてもそれが「クスコット」にしか聴こえない私には。たいそう耳のいいうちのおチビもそれは同様で、我が家の発音リーダーたる彼女もあきらかに「クスコットゥ」と言っている。何度もトライしてみたけれど、わたし自身「クスコット」とつぶやくように発音するのが、いちばんその場でぽかんと浮かび上がらない気がする。そして何より、なんだか鳥のさえずりのようなクスコットの音感が、私は好きである。
が、しかし。
あらゆる言葉に意味があり、あらゆる物言いに歴史があると言う様に。
この、はにかんだ控え目なごあいさつ、みたいな言葉にもそれらが背後に起立している。Thanks God. 神に感謝を。
ラブリーなお天気です、神に感謝を。いらっしゃいませ、神に感謝を。
おそらく総てのガイドブックに書かれている通り、この国ではお店に入る時お店を出る時、「こんにちは」「さようなら」を必ず言う。無愛想なスーパーのレジでも、駅の窓口でもキオスクでも、かならずと言えるほど人々はサヨナラって言う。
とりわけ、田舎のガストハウスの様な、地域密着型の老人たちの憩いの場なんかだと、店の人のみならず常連客どもも目をみて挨拶をする。
ウィーンに引越して最初の夕飯を食べにヘルゲとマルティナと一緒に近くのガストハウスに行った時、ヘルゲにこう言われた。
「これからウィーンに住むんだから、この田舎くさい風習にも慣れるんだね。そこらにいる爺さんたちにもコンバンハって言うんだよ。奴等はそれでよそ者を値踏みするんだよ」クチ悪く解説するヘルゲもマルティナもひと通り挨拶している。けれどこれは、保守的な悪しき慣習というよりも、ちょっとビクビクした怖がりな人々のクセ、とでも言う感じだ。友人に倣って怪しいアジア人一家が口々に「こんばんは!」と片っ端から挨拶してみたら、どでかいビールを啜っていた地元の爺様たちは皆、ホッとした様に挨拶を返してくる。それだけのこと。
クスコット。Thanks God. もちろんこれは、古いカトリックの風習である。
難民みたいな我々一家に「挨拶せよ」令を下したヘルゲではあるが、はじめてこの言葉の意味を問うた時、彼は鼻先をしかめてこう言った。
「あれはカトリックの挨拶だ。Thanks God, あの挨拶をすることで、カトリックの信心を問うのだ。特に保守的な田舎では! 俺は言わん! たとえ田舎町で老人たちに囲まれ、問う様にクスコットと言われても、俺は必ずGuten Tag! と言ってやるのだ!」
潔癖なほどの無神論者でコスモポリタン、アンチ保守な我が友は、頑にクスコットがお嫌いらしい。しかしすべてに公正を記したい彼は、「わたしにはあれ、クスコットって聞こえてね、小鳥みたいでカワイイなーって思うのよ」と言うと、グッと嫌悪を飲み込んで、堪える様に頷き黙る。己の主義を決して決して、他人に強制してはいけない、と、マゾヒスティックに堪えてるのね。どうもどうも。朋友への敬意を持って、彼の前では“カトリック教徒の挨拶”を控えることにして、時どきわたしは小さな商店のドアを押しながら小鳥の様にさえずったり、してみている。

ウィーンが誇るもうひとつの挨拶に、Servus!というのがあって、これは友人間で使われる親しみを込めたもの。はっきりとした英語訳を失念してしまったけれど、意味としてはなんと、喜んであなたに仕えますよ! みたいなことだった。何たること。
しかしたいていの人は言葉の語源的背景を一々気にして挨拶なんかしていないし、語源と実際のメッセージは必ずしも一致しない。そして何より、挨拶の言葉が生まれた頃というのは各言語・各文化の黎明期であったのだし、現在のカルチャーを照らして考えたら保守的に見えざるを得ないのは当然だ。
とは言えあたしゃ外人。しかも30代からはじめる第二外国語である。頭の中は昭和の文学少女だしいちいちトリビアを増やしては脳内仰天ボタンを連打してる私には、神に感謝もあなたにお仕えも、いちど言葉に貼付いた意味ってものが沼のヒルとか時間が経った便器のうんこみたいに、なかなか簡単には剥がれないし洗い流せない。まったく、大袈裟で意味重でやたらとやかましいメッセージソングを鼻歌にするのは時どきうんざりもしちゃうもの、そのプッチヴァージョンだと、言えなくもない。

そんな余計なことを考えるほどではないにしても、お天気いいなぁ、やっと春だなぁ、とニヤついて散歩してる時はクスコットなんてさえずってもみたいし、さぁ宴会!って時に友達に会ったらセアヴァス!なんて言ってもみたい。
逆に、ココロにちょっと重たいものがつっかえた時は、小鳥の様にさえずったり朋友にはしゃいだりしてないで、ハロゥって、あ、どぅも、なんて、控え目に笑いたいような時もある。“元気?”って訊かれる前に、時間稼ぎの様にもじもじっと、したい時もある。挨拶のなかに、いっぱいの感覚が押し込まれたり走りぬけたり、しているのかもしれない。

Hurt    その2

 ーーこころにちょっと重たいものがつっかえた時は、小鳥の様にさえずったり朋友にはしゃいだりしてないで、ハロゥって、あ、どぅも、なんて、控え目に笑いたいような時もある。“元気?”って訊かれる前に、時間稼ぎの様にもじもじっと、したい時もある。挨拶のなかに、いっぱいの感覚が押し込まれたり走りぬけたり、しているのかもしれない。

 香音も私も、挨拶が好きなんだと思う。わたしはあの子ほどではないけれど、挨拶が苦痛なタイプではない。絶好調な時のあの子は、その場にいる片っ端からの人々に挨拶をして回るし、人々がビックリして挨拶を返してくれるのが嬉しくてたまらないらしい。東洋人の、やせっぽっちなメガネッ子のそんな振る舞いを、この街の人はたいてい笑ってくれる。だからわたしには、近所の顔見知りの人も道端ですれ違う人も、行きつけの八百屋もスーパーの店員も、誰もが微笑して挨拶してくれる。愛想の良い子どもへのそれのついでに。

何かあって、家のなかで週末を喰い潰すような時があると、少しでも外に出なくちゃと思う。古い西洋式の建物の一階は、真夏にもひんやりするほど涼しく寒く、住まいの半分は朝でも昼でも薄暗い。放っておくと一日中絵本や写真集を眺めて暮らせる香音と、何かで落ち込んだり滅入ってるような自分とふたりきりの時、うかつに出かけそびれたらもうすっかり沈鬱なスイッチオンになってしまうので、ここでのふたり暮らしがはじまってすぐ、必ず一日一回出かけなくちゃと気がついた。
出かけると、救われるのだ。外に出かけさえすれば、人々は優しい。人々はささやかな笑顔を添えて、軽い挨拶を投げてよこす。
外に出れば、香音は笑顔で挨拶小僧に早変わりし、人々はクスッと笑ってハロッとつぶやき、通り過ぎる。どんなに落ち込んでいても、それを無視することはできない性分なので、燃えかすみたいなエネルギーを振り絞ってハロッとだけ返す。それだけしてると、救われる。陽の下を歩いて、何人かの人と小さな挨拶を交歓して、はしゃぐ小さい人を見ていたら、とりあえずため息ばかりじゃなくって深呼吸をすることを思い出せる。つつましい気分転換ではないか。挨拶は大事。
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