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サンキュー!黒木彰一、愛してます!!







黒木彰一


大切な仲間が闘病の末、旅立った。

テレビとロックをこよなく愛し、テレビで遊び倒した男だった。

最初にアイツを見かけたのは1994年4月、
「お熱い夜をあなたに」というイザワオフィス制作の音楽番組の収録中の旧フジテレビ河田町の4スタ。
オレは入社二年目、末端のAD、
MCの佐伯伽耶さんが、
「さっきから冬彦さんみたいな子がずっとこっちを見てるんだけど…怖い」
と不審がっていて、前室に目を
やると、痩せっぽちのマッシュルームカットの怪しい青年がいた。

それがフジテレビに入社したばかりの黒木彰一だった。

当時の河田町時代のフジテレビのセキュリティは甘々だったので、部外者が入ってきたのだと思い、
前室に向かい、追い出そうとしたら
「新入社員です。音楽番組やりたいんです。見学しても良いですか?」
と。

フジテレビも変なヤツとったなぁ、と人のことは言えないけどその時は思った。

変なヤツだけどメガネの奥の目は真剣そのもの。

目の前にいるこの痩せっぽちのビートルズ好きそうなオタク青年が
後に日本を代表するテレビプロデューサーになるなんて当時は夢にも思わなかった。

黒木はあの頃からいつも明確な意思を持っていた。
自分が何をやりたいかをはっきりと自覚し、その方向に猪突猛進に突き進んでいた。

AD時代は苦楽を共にし、共に戦い、共に喜び、いっぱい泣いて、いっぱい笑った。
まさに戦友。

オレはHEY!HEY!HEY!、
ヤツはLOVE LOVEあいしてる

AD仕事の合間に黒木と話すロックの話がオレにとっては最大の息抜きだった。

二人ともそれはそれはダメADだったけど、
夢だけはデカかった。

1998年、FACTORYという音楽ライブ番組が始まり、俺たちはディレクターとして、更に濃い時間を共にした。
ロック好きだけど、不思議と被りがなく撮りたいバンドも違うのでやりやすかった。

FACTORYを機にオレはどんどんテレビのメインストリームからドロップアウトして、
好きなロックの番組ばかり作っていた。
黒木は、逆に徐々にその頭角を現し、表通りで、メインストリートのならず者として、
SMAP×SMAPという大ヒット番組をプロデュースするようになった。
テレビのど真ん中で芸能と向き合っていたアイツをリスペクトしている。

そんな激務の中ても、清志郎さんや鮎川さんやウィルコや細野さん達の
愛のある番組をやり続けたアイツを心からリスペクトしている。

清志郎さんの追悼番組も一緒に作った。
きくちさんと冨田さんと黒木とオレで、
ありそうでない組み合わせで作った。
FCI NYから帰任することが決まった冨田さんが演出で
Skypeでリモート会議して、構成を詰めた。
あの時点でリモート会議なんて、俺たちはかなり先をいってた。

口癖は「とりあえず回すだけ回しときます」
収録したテープやデータの多くは編集されずにどこかに保管されているだろう。
チャンスがあればまとめたい。

黒木には、会社の番組の仲間とは別に「チェリーズ」という屋号の黒木を慕う制作集団がいた。
日本語に訳すと「童貞達」、
なんてセンスのないグループ名なんだ、と当初は思ったけど、直ぐに馴染んだ。
チェリーズはとても優秀で、黒木のロックサイドの仕事を忙しい黒木に代わって、黒木の指示の元、 遂行する映像のプロ集団だった。

それと、もう一つ、「リズム&ペンシル」という音楽のミニコミ誌を作る仲間もいた。
結局、一冊出しただけになってしまったらしいが、
恐らくとてつもない時間をそのミーティングという名の音楽談義に費やしたはずだ。

黒木はいつも何かをやろうと企んでいた。

そのほとんどが途方もない、夢物語みたいな話だったけど、
黒木が言うなら乗っかってみるか?と思わせるような
そんな不可能を可能にする熱き男だった。

「雄大さん、やりましょうや!
ロックに恩返しせな!」とハッパをかけられたこともある。

「何がロックンロールや!?何が平野雄大や!?」と喝を飛ばされたこともある。

思い起こせば二十世紀末、新宿二丁目のdmxで朝まで飲んで、黒木は飲めないのにシェリー酒を舐めて、
酔っ払って朝帰りした挙句、小さな子供達を叩き起こして「激しく生きようぜ!」と言って家族に嫌がられたこともあったらしい。

ミレニアムカウントダウン一週間前に全ての資料を持ったまま失踪して、
入社一年目の塩谷が代わりにセンターをやったこともあった。
あん時はマジで焦ったけど、
塩谷を皆が支え、なんとか成立した。
黒木はあの時、育児が大変過ぎて弱ってる奥さんを助ける為に大好きなテレビの仕事全てを投げ出して子育てに専念したんだ。
初めて育休取った男性社員じゃないかな?
アイツはかなり先をいってた。

今、子を持つ親になって初めて、本当によくもまあ、あの激務の中で黒木は、黒木の奥さんは、子育てしたものだと思う。
AD時代に子育てなんて、ちょっと想像つかないよ。
オレが子供ならグレる。

でも、黒木の子供たちは立派に真っ直ぐ育った。

2013年、黒木の子供達と一緒にドームの最前列でストーンズを観たこともある。
黒木は同じドームにはいたが、日本を代表する男性アイドルのアテンドで子供たちと一緒に観れなかった。
結果、黒木の子供たちと我々カップルという風変わりな集団になり、
その様はストーンズオフィシャルTwitterに掲載された。

スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソン、レディ・ガガ、アリアナ・グランデをスマスマに出演させ、
ブラック・アイド・ピーズのメンバーとメールを交わす大プロデューサー黒木彰一

ロックの話ばかりしてるからアイツが偉大なるテレビプロデューサーだってこと、忘れがちだけど、
葬儀の供花の札を見て改めて、そーだった、黒木は大プロデューサーだったんだ、と思い知る。

オレの前ではただのロックオタクだったけど、
本当はすごいヤツなんだ、黒木って。
みんなに自慢したくなるような凄いヤツなんだよ黒木彰一は!

テレビマンぽくなく、決して偉ぶらず、腰低く、気配りの人。

黒木にはいっぱい助けられたよ。
面と向かって言った言葉ないけど。

本当にありがとう。
心から感謝しているよ。

お前がいたから楽しくやれた。

もういないなんて寂しくて仕方がないよ。

琢がいなくなって悲しみが癒えなうちに黒木もいなくなって、もう寂しくて仕方がないよ。
同期より一個下の黒木たちの方が仲良かったからな。
本当に寂しいよ。

でも、心の中にはいつもいるから、お前らが何を考えて、何をやりたいか、手に取るようにわかるから、
勝手に意志を継いでやることにする。

早く死にやがって馬鹿野郎!

オレはお前らの分も生きて生きて生き抜いてやるよ。

YOU-DIE!!! NEVER DIE!!!!!

最早そっちの方が楽しそうだけど、
オレはしばらくそっちに行くつもりは全くないから楽しくやっててくれ。

奥さんとまた一緒にいれるな。
ずーっと忙しかったから、
少しゆっくり休んだ方がいいよ。

合掌
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