ハザマランド
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

桜の爪

 

椿の道

 

 

 

優しいおみくじ

 三寒四温の切れ目のような日。夕方の雨が降る前に散歩へ出掛けた。歩きながらスマホで検索をかける。三寒四温の寒い日は天気が良く、暖かい日は曇るらしい。
 空を仰いだ。千本鳥居の間から仄暗い空が覗いている。朱(あか)、白、赤、白、橙(だいだい)、黒、紅(あか)、灰色。新古混じった千本鳥居も空もまだらで、温まってきた体に稲荷山の冷たい空気が入ってくる。
 心地よく、少し怖い。
 連なる鳥居と長い石段、おびただしいお塚と狛狐が相まって、異界の入り口を思わせる。
 畏まる。
 山を登るほど人気は減って、とある社に着いた。社の名を伏せるのはおみくじが優しかったから。
 六角形の振出箱は、つらつらと筆字で書かれた掲示板の手前にあった。三十二のご神託。参拝を済ませて箱を振る。小さな丸穴から二十八番の棒が出た。掲示板から探すと大吉だった。
 諸人の為に尽力したならば善い兆しあり。
 そう告げられて、多くの人が出すであろうご神託を眺めた。
「へぇ。優しいな」
 ご神託は一工夫されていた。大大吉から凶まであるが、下の方が混ざっている。凶後吉や吉凶相央(きちきょうあいなかばす)。良い兆しは良いままに。悪い兆しは良き前兆に。
 諸人に引いて欲しいなと思った。ただ、優しいおみくじを出す社には優しくありたい。この乱文を読み解き、稲荷山を四十分登り、おみくじを見つける人は、社に迷惑をかけない人であって欲しい。そんな貴方にもう一言。
 その社のおみくじはお財布にも優しい(無料)です。

久しい懐(ふところ)

 電車内に夕日が射し込んだ。海沿いを走るローカル線に乗っているのは、私の他に親子らしき女性の二人で、臙脂色の長椅子はとても空いている。床の木目がより縦長に見えて、自ら乗車したのに、運ばれてしまうように感じる。
 背中の車窓へ首を回した。ガラス窓の中央は菱形に色を抜かれて、四隅は白く擦られている。顔を寄せて菱形を覗くと、車内と同じ茜色に染まった木々が後ろへ流れていった。体が揺れる。古い車両なのだ。手入れをされていても無理は利かないのだろう。改めて車内を眺め、茜が外より濃いのに気づいた。真鍮の手すりや窓枠に光が乱反射しているためだ。
 初めて乗る電車なのに、どうにもノスタルジアで、自分はこんなに感傷的だったかなと苦笑いがこぼれた。しまいにはこうして長く放って置いたブログを記している。深夜の手紙と同じだ。後に恥ずかしくなるやつだ。
 軌道修正したくて、斜め前に座る親子を見た。母と娘だろう。娘は既に母の背丈に並び、話し方も対等だ。話題は縦横無尽に飛びまくる。体に良い食べ物や化粧品、好みの服装、身内の近況、数時間前に訪れたカフェの感想、芸能ニュースを交わし出した際には、別な苦笑いがこぼれて耳を澄ますのを止めた。ゆっくり立ち上がって、つり革に手を伸ばす。輪っかの木を握ると滑らかで、よく鞣された皮が軋んだ。親子と離れて座ると、内容は聞き取れず、笑い合うのだけが見て取れた。こちらの笑いと比べて、彼女らは楽しげで、つい写してしまい、ふふっと苦さが取れた。
 無人駅に電車が止まると、二人は話し続けながら降りていった。
 貸し切りとなった車内で私は、久しぶりにブログを更新させた。懐の切なさはいつの間にやら薄らいで、お母さんと娘さんの幸せを思い体を揺らした。車内の茜も薄れて、蛍光灯は柑子色に灯っている。

分かちの皿

 
「起きて……起きて」
 柔い女の手のひらで肩を揺すられた。
「今夜はお祭りへ行くのでしょう」
 畳に手を付き、体を起こした。
「そうだったかな」
「そうですよ。さぁ、あなたも浴衣を纏って」
 女は立ち上がって、縁側に続く障子を開けた。
 夕暮れのまばゆい西日が目を突いて、ヒグラシの遠い声がさざめいた。カナカナカナと聴こえた試しはないが、ヒグラシの歌いは好きだ。
「祭りか。ところで君は誰だったかな」
「寝惚けているの? 」
 振り返った女の顔は逆光でよく見えない。浴衣の袖が夕風に揺れた。
「まどろんでいるよ」
 女は曲げた指先を口元へ。笑った。
「物語の始まりみたい。わかりました。あなたは洋服のままでいいですよ。展開は、目まぐるしいほうがいい」
 手を引かれて立ち上がった。
「まだですよ。私が誰かまだ明かさないで。そちらのほうがおもしろい」
 玄関への縁側を先に歩く女の声は楽しげで、少し揺れながら後を追う。
 結わえ上げた黒髪と襟足は柑子色に濡れている。
「明かすもなにも僕は君を知らない」
「その調子」
「そうではなくて」
「私はあなたの妻です」
「まさか」
「ええ。あなたに結婚は無理でしょうね。モテないもの」
 あ然と立ち尽くすのを見て、細い両肩を揺らす。
「ちょっと待ってくださいね」
 女は下駄を履くと、腿を押さえながら腰を下ろした。腰から下の体の線が浴衣越しに浮かぶ。雪駄が仕舞われ、男物の革靴が出された。
 霞(かすみ)のかかった頭のまま足を入れて、先に夕暮れへ踏み出した。
「鍵を忘れないでね」
 背後の声に振り向いて、服のポケットを弄(まさぐ)る。
「持っていないよ」
「それなら構いません。盗る人も、盗られるものもありませんしね」
「よく知っている」
「泥棒ですもの」
「君は嘘吐きだな」
 女は微笑みながら繰り返した。
「泥棒ですもの」
「嘘吐きが泥棒の始まり? それとも泥棒だから嘘を吐く?」
「さぁ? 知りません。泥棒というのも嘘ですもの」
「君なぁ」
「それよりも早く行きましょう。お祭りが終わってしまいます」
 ヒグラシの声の降る杉並木を並んで歩いた。
「僕は君を知らないけれど、君は僕を知っている?」
「あなたを知っている私と知らない私。どちらがいいかしら? おもしろいのはどっち?」
「知らない男の家で、その男を起こしても、君はそいつを知らないと?」
「あぁ、そうですね。うっかりですね。謎のさじ加減は難しいとあなたは言ってますものね」
「僕が? そう言っていた?」
「明かすタイミングも重要だと、よく眉間に皺を寄せます」
「君は僕を知っているね」
「あなたは知りませんね。私も、あなた自身も」
「忘れているだけかもしれない」
「奇妙な話」
「出来が悪いだけかもしれない」
「物語が? それともあなたが? どちらもかしら?」
「君が少しわかってきたよ。いぢわるな人だね」
「それ。じではなくてぢですね。なんだか甘い」
 女の手を取った。
「名前。君の名前は」
「ショウですよ。リョウさん」
「歳は」
「いやね」
「仕事は? 僕との関係は?」
「いっぺんには教えません。それではつまらないもの」
「祭りへ行けばいいんだな」
 薄闇の中でうなじが緩やかに折れた。
 柔い手を潰さないように柔く握る。
 ヒグラシはもう鳴いていない。杉並木を抜けると、苔生した石段と石の数だけ鳥居が伸びていた。柱と並ぶ提灯の朱(あか)が、鳥居をより朱く見せている。
 

 握られた手を抜いて、ショウは石段に足をかけた。全身が朱く染まる。ショウの後ろ姿を見上げながらリョウも登った。
 道の外の闇夜は粘度があって、妙な気配を覚える。いるような、いないような。はしゃいでいるような、泣いているような。認めるとなにやら現れそうで、含み笑いが漏れた。
「どうかしました?」
 立ち止まったショウの視線がリョウへ流れる。
「いや、祭りだね。祭りの夜だね」
「楽しいような、恐ろしいような。でしょう?」
「よく知っている」
「ずっと見てきましたもの」
「祭りを? 僕を? どちらもかな?」
「さらにわかってきましたね」
「ああ、君はそのまま微笑んで、先を行くんだ」
 
 登り続けると、実のある賑やかさが届き始めた。鳥居を抜けて、祭囃子の響く境内に踏み入った。円形の境内の縁には屋台が並び、中央に櫓が組まれている。
「踊りはまだですね。それまで遊びましょうか」
 人々の間を縫って、ショウは金魚すくいへ向かった。
 金茶に灯る裸電球を矩形の水面が照り返している。水槽の前には浴衣の少女がポイを右手にしゃがんでいた。
 少女の背後に立つショウの隣りにリョウは並んだ。
 少女の手元で、赤と黒の金魚が互いを追いかけている。少女は左の腰にぶら下げた水風船を揺らさないままポイを水中に差し入れた。赤と黒の混じった円が、ポイの白に描かれる。掬い上げると、赤が零れた。黒が追いかけた。ポイの破れた少女はうつむいて、水面(みなも)に影を映した。
 ショウは一歩下がって少女を拝んだ。両手を下ろして、隣りのお面屋へ歩き出す。
「やらないの?」
「掬えませんもの」
 少女を振り返ると、新たなポイを取り出して、出目金に寄せていた。
 お面屋はどれも動物の顔だった。鳥、蛇、豚の三種類しかない。
 ショウは一目眺めただけで、隣の射的屋へ向かった。
「被らないの?」
「害しますよ」
 意味を尋ねてもはぐらかされる。
 射的屋も素通りだった。
「撃たないの?」
「跳ね返ります」
 たこ焼き、焼きそば、かき氷。綿菓子、から揚げ、リンゴ飴。食べ物に至っては見向きもしない。「食べないの」と訊いても「燃えますから」としか答えない。腹は減っていないが、腹は立ってきた。
「いい加減にしてくれ。さっきからわけがわからない。こんなのがおもしろいとでも? 僕は、おもしろくない」
「やはりまだ迷われますか」
「それだよそれ。煙に巻くのも大概にしてくれ」
 境内を一周するのを見計らい切り出した。
 先を歩いていたショウは立ち止まり、リョウに正面を向けた。
「六道です」
「はぁ?」
「地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道。祭りはそれらの象徴です。あなたは亡くなって九十一年。日が浅いから惹かれてしまうのです」
「僕が死んでいる?」
「産まれてから亡くなるまでずっと見ていました。その後も。私はあなたより二百十五年ほど年上です。あなたは死者です。私も死者です。どちらも輪廻の途中です」
 言われて思い出した。
「あぁ、またお盆を迎えたんだ」
「今年も無事にここまで来れました。ほら、満月が昇っています。もう明かして大丈夫。踊りましょう」
 精霊(しょうりょう)は、櫓を囲んで子孫らと踊った。その内に全身が透け出して呆けてきた。
「あなたがショウの役目をするのはまだ先です。リョウのままもうしばらく魂を洗ってください」
 振り返ったショウに囁かれる。
 落ちる瞼の先で、盆踊りに交わらない少女がいた。ビニール袋に入った金魚を携えている。
「あの方は地蔵菩薩様です。あなたもああして救われたのですよ」
 少女はにこやかに手を振っている。
 リョウは再び眠りについた。

京都大原 cafe APIED(アピエ)

 テーブル席を余裕を持って配置した広い店内だった。
 店主の本好きがわかるcafe APIED(アピエ)。
 ゆっくりと歩き出すように頁を捲れば、席はもう己の世界で囲われて、どこまでも進んでいけるだろう。
 隅の机に並べられた色とりどりの文芸誌は虹の架け橋か。
 春と秋。週末、祝日のみの開店が悩ましい。

 

 

 

 紅茶とケーキを堪能して、新緑に塗られた庭へ足を進めた。
 つくばいに落ちる滴が水面を丸く揺らしている。

 静まっていた。
 つくばいは大原の清流を湛えて、清流は芽吹く緑を湛えている。

 寂びていた。
 まどろみに似た息遣いで涼気を吸い込む。
 店内へ戻ると、小説好きのパティシエが笑って迎えてくれた。

 

 

 

 

京都大原 マリアの心臓

 気さくな主人の深淵を覗いた気がした。

 どこにでもありそうな日本家屋の中は、玄関から座敷、屋根裏に至るまでヒトカタ、ヒトカタ、人の形が展覧されていた。みっしりと濃厚に在している。
 ともすれば床下にまでと考える。板を剥がした先の湿った土に並べられているのではないか。ぞんざいではなく、そっと寝かしつけられている。
 妄想をふり払い数えてみた。十体、三十体、五十体……椅子に座っていた童子は何体だったか。鏡に映っていた遊女は数えたか。ガラス棚のフランス人形は、縁側に佇んでいるのは、床の間で囲まれたのは何人だった。あぁ、単位が違う。人ではない。
 両肩が強ばる。声を出す気がなくなる。眺める、眺める。
 眺められている。
 裸電球の加減だ。ガラス玉の絶妙な反射だ。展示の手腕のなせる技だ。
 屋根裏に登り、跪いて太い梁を潜る。顔の横で少女の球体人形が横になっている。潜り抜けて、仰いだ先に妖精が浮いている。
 おどろおどろしくも美しい空間だった。そこに掴み切れない舞があった。蝶のようにふわり、するりとこちらを翳める。
 屋敷を出て、庭先の一体を最後に眺めた。胸に穴が空いている。
 あぁ、そうか。
 私は蝶を摘んだ。
 心、非ず。
 摘んだ指を広げると、悲しみは屋敷マリアの心臓に戻っていった。

 


 

しだれ

 谷の桜は短い石橋を覆いながら咲いていた。 

 枝垂れ枝垂れて、石竹色の雨は雪で止まっている。

 あぁ、春だ。 

 季節が移ろう。 

 大気が香る。

 石橋に佇み、息を吸う。

 

 

春秋山荘 狐娘展

 山の麓はまだ寒く、春は降りていなかった。

 春秋山荘の板間は靴下越しでも冷たい。部屋の明かりは抑えられ、危うい眠りを誘う。

 灯ったのは狐で彩られた品々だった。壁にかかった狐面に、小机の孤頭根付け、床の間の狐玉、座敷には尾のある少女が横たわる。

 けぇん。

 庭で鳴き声がした。

 縁側に立つと、羽衣がたなびいている。 

 春が、揺れて微笑っていた。

 

待春(たいしゅん)

 花びら小びら。梅は開いても、まだ寒く、鳩は首を竦めている。春はまだかとカメラを持つ手を擦る。冷たい風に薄鈍(うすにび)の雲が流れて、線路脇に日が差した。気の早い菜の花が一本だけ咲いていた。
 もうすぐだ。
 濡羽色の機関車が乳白色の蒸気を噴いた。高い汽笛が空へと抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>