文学どうでしょう

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立宮翔太の読書ブログです。
日々読んだ本を紹介しています。











「文学どうでしょう」では、様々な本の紹介をしています。

とりあえず「レビュー検索」を見てみてください。結構幅広いジャンルの作品を扱っているのではないかと思います。

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エラリイ・クイーン(越前敏弥訳)『靴に棲む老婆』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。

 

 

ここ最近(半年か一年ぐらい)家庭の事情やら色々あってほとんどまったく小説を読んでいなかったんですけど、(なにかを数冊読んだ気がしないでもないですが)久々にしっかり小説らしい小説を読みました。というのが今回紹介する一冊。

 

エラリイ・クイーンという作家はミステリ好き(特に「本格」と呼ばれる、ロジカルさの強いものを好む人)なら知らない人はいない超有名作家で、日本のミステリ作家でもエラリイ・クイーンの影響を受けた人がたくさんいます。(「読者への挑戦状」が含まれる形式があれば、まさにそう)

 

それだけ有名かつ人気の作家なので、新訳が定期的に刊行されているんですよね。「国名シリーズ」などの代表作はもちろんのこと、わりとマイナーというか、地味な作品にもスポットが当てられているのがうれしいところ。

 

特にハヤカワ・ミステリ文庫からは、ニューヨークで起こった連続殺人事件に挑む『九尾の猫』や、架空の町ライツヴィルを舞台にしたクイーン中期の一連の作品(『災厄の町』 『フォックス家の殺人』 『十日間の不思議』『ダブル・ダブル』)が新訳で刊行されています。

 

 

その刊行ペースが個人的にはかなり心地いいというか、一年はかからないくらいで継続的に出版され続けていて、ちょうど「クイーンみたいなロジカルな海外古典ミステリが読みたいな」と思うタイミングで出してくれる感じがあって、毎回発売が本当に楽しみなのです。

 

何気に僕がもっとも楽しみにしているシリーズ(シリーズと言っていいのか?)かもしれません。というわけで、今回紹介する『靴に棲む老婆』は昨年末に出版されたばかりの、ハヤカワ・ミステリ文庫のクイーン新訳シリーズの第六弾にあたる作品です。

 

作品の舞台となるのは、コーネリア・ポッツ夫人という七十歳の老婦人と、風変りな子供たちを中心にしたポッツ家。「”〈ポッツ靴〉はアメリカの靴――どこでも三ドル九十九セント“」がキャッチコピーの超有名製靴店を営む一族です。作中ではこんな風に紹介されています。

 

〈ポッツ靴〉は単なる事業ではなく、名物ですらない。それは文明そのものだった。国じゅうのいたるところに〈ポッツ靴店〉があった。小さな子供たちは〈ポッツ靴〉を履く。子供たちの母親も、父親も、兄弟姉妹も、おじやおばも履く。さらに忌まわしいことに、祖父母さえも、ずっと前から〈ポッツ靴〉を履いてきた。〈ポッツ靴〉を履くことは、アメリカの低所得層の勲章を身につけるに等しい。その階層はわが国最大の集団なので、ポッツ家の財産は地球規模にとどまらず――天文学的だった。(21頁)

 

大金持ちだけれど変わった人ばかりが集まるポッツ家とひょんなことから関りを持つこととなったのが、作家を生業としているエラリイ・クイーン(小説の作者と、探偵役をつとめる主人公は同じ名前)。エラリイとその父であるクイーン警視は、やがてポッツ家で起こった奇妙な事件に巻き込まれていくこととなるのです。

 

作品のあらすじ

 

以前関わった事件の証言をするため、父のクイーン警視やトマス・ヴェリー刑事らとニューヨーク州第一審裁判所を訪れていたエラリイ・クイーンは、有名な靴店を経営するポッツ家のコーネリア・ポッツ夫人とその長男サーロウが裁判所にやって来たところに出くわします。

 

サーロウは酒場でいざこざを起こした挙句、名誉棄損で裁判を起こしたのでした。しかしそれはいつものことなので、裁判所からはまともに取り合ってもらえず、訴えは即座に却下されてしまいます。

 

怒りのおさまらないサーロウは裁判所に集まった記者団に向かって、「教えてやろう。わたしはこれから銃を手に入れる。わたしや、わたしに与えられた名誉ある名をつぎに侮辱した者は、腐敗した裁判所のスカートの陰に隠れる間もなく命を落とすことになる!」(33頁)と宣言したのでした。

 

ポッツ家の顧問弁護士を勤めている青年、チャーリー・パクストンとクイーン警視は知り合いだったので、紹介を受けたエラリイは、チャーリーを自分のアパートメントに招き、ポッツ家について色々な話を聞きます。

 

コーネリアがいかにして大金持ちになっていったか。コーネリアが失踪した最初の夫との間に三人、二番目である現在の夫との間に三人、全部で六人の子供をもうけたこと。最初の夫との間にできた三人の子供はみんないかれているとチャーリーは言います。

 

自分を侮辱されたと妄想しがちな神経質な長男サーロウ、四十四歳になるにもかかわらずいまだ独身で自分を偉大な発明家だと思い込んでいる長女ルーエラ。自分の世界に入り込んでいて、言葉ではうまく説明できないほど変わっている次男ホレイショ。

 

「チャーリー、いったいきみはなぜその奇怪な家族にかかわるんだ」(48頁)と訊ねたエラリイに対してチャーリーは、コーネリアの二番目の夫との間の子供は理性的な人たちなのだと説明し、実質的に〈ポッツ製靴〉を経営している上の二人ロバートとマックは双子であること、そして赤毛とえくぼが魅力的な末娘、二十四歳のシーラと自分は実は恋仲なのだと打ち明けたのでした。

 

やがてサーロウが本当に銃を、しかも色んな銃を十四挺も購入したことを電話で知り、心配になったエラリイとチャーリーは、法律事項の打ち合わせをしに行くチャーリーがエラリイをポッツ家の夕食に招くという形で、さりげなくサーロウの監視をすることに決めたのでした。

 

ポッツ家の屋敷を案内されていたエラリイは、まるでおとぎ話の家のような離れ家を見かけます。傾いた小塔、ピンク色の不揃いな窓、ペパーミント色の鎧戸、緑色の煙の出る小さな煙突。太っていて、まるでひげのないサンタクロースのような見た目をした、次男ホレイショの家でした。

 

大量のおもちゃや動物であふれかえった、子供部屋の理想のような空間のホレイショの家。「男が人生でいちばん幸せなのは少年時代だ」(68頁)という人生哲学を持つホレイショはそこで漫画を読んだり創作活動をしたりして、ただただ愉快に遊んで暮らしているのです。

 

夕食の席でロバートとマックは裁判のこと、そして仕事上の不手際でサーロウを責めます。尻ぬぐいはもううんざりだと言ったロバートに対してサーロウは激高し、なんと昔ながらの決闘を申し込んだのでした。サーロウは二挺の銃を持ち出し、好きな方を選べとロバートに迫ります。

 

ロバートはやむを得ずスミス&ウェッソンの三八口径のリボルバーを選び、サーロウは残ったコルトの二五口径オートマチック拳銃を使って、夜明けに決闘することとなりました。銃にはそれぞれ一発ずつ銃弾が込められており、当たっても外れてもそれで決闘は終わりです。

 

サーロウから介添人に指名されてしまったエラリイと、チャーリー、ロバート、マック、シーラの五人はどうしたらサーロウの気持ちを落ち着かせ、この馬鹿げた決闘を無事に終わらせられるか相談を始め、最終的には、それぞれの銃に込められた一発の銃弾をどちらもこっそり空包に変えておくことに決めたのでした。

 

そうして行われた、見かけだけの決闘は怪我人もなく無事に終わるはずでしたが、思いがけない出来事が起こり、それを皮切りにポッツ家で奇妙な殺人事件が続いていくこととなって……。

 

はたして、エラリイはどこかおかしな人々が集まったポッツ家で起こった事件の裏側にある、驚くべき真実を暴き出すことが出来るのか!?

 

とまあそんなお話です。この作品の大きな特徴として、ポッツ家の奇妙さがあります。王国に君臨する女王を思わせる、他人の言うことに耳を貸さないコーネリアの濃いキャラクター設定や、おとぎ話のような家で遊んで暮らしているホレイショの描写などが特にそうですが、まるで不思議な世界に迷い込んでしまったような趣があります。

 

そうした奇妙さを描く物語の場合、その奇妙さというか外連味(けれんみ)というか、とにかくその変な感じが際立っていて、魅力的であればあるほど面白くなるものだと思います。

 

しかしながら、飯城勇三氏の解説でも「現在では失われてしまった魅力が一つだけあります」(432頁)と指摘されていますが、たしかに、ポッツ家のいかれた三人の描写が現在の感覚からすると、やや弱い印象を受けるのです。

 

とりわけ自分の趣味に没頭するあまりいい年をして独身ということに、現在ではさほど異常さを感じることはないでしょう。ポッツ家が醸し出す奇妙さやおどろおどろしさの感じはやはり薄れてしまっているように思います。

 

そういうわけで、突出した世界観の魅力は今では感じられないのですが、作品全体を通してテーマとなっている理性と狂気のねじれの観点は独特で面白いですし、後半の息もつかせぬ展開には思わず引き込まれる、満足感の高い一冊でした。

 

クイーンの新訳はこれからも出るのでしょうか、どうなのでしょうか。新訳が出ると手に取ってみようという気になるので、ぜひ刊行が続いていってほしいものです。ハヤカワ・ミステリ文庫のクイーン新訳のシリーズ、カバーのデザインとかも個人的にすごく好きなんですよね。

 

ミステリの新訳と言えば、アガサ・クリスティの話していいですか? クリスティと言えば、それこそ早川書房のクリスティ文庫がもはや決定版という感じだったんですけど、最近ぽつぽつ創元推理文庫から新訳が刊行されていて、そちらもかなり気になってます。

 

ちょうど来週あたりに「トミー&タペンス・シリーズ」の『秘密組織』が出るので、それはもう絶対読みたいですね。クリスティは代表的な作品なら読んだことがあるはずですけど、さすがに全作品は読んでいないので、その内クリスティ文庫全巻読破とかも挑戦してみたいと思っています。