お久しぶりです。
 ちょこちょこのぞいてくださる方がいて、ありがたい限りです。
 少しずつですが、更新がんばります。

 最近、よく「若手」という言葉を耳にします。私も若手のつもりだけれど、どうもそうではないらしく、センセイになって数年以内限定ぐらいを意味するらしく…

 「若手対象の研修」
 「若手の先生が元気が出るような講演」
 「若手の先生大歓迎!」

 ・・・
 ってことは、それって私たち中堅どころからベテラン組は行っちゃダメですか???


 でも、今、若手と言われているセンセイって甘い人多いと思うのは私だけでしょうか?

 私が勤務する学校の新任のセンセイの言葉。

 ①「どうやったら授業うまくなりますかね~教えてくださいよ~」
 ②「どうやったら生徒は静かに聞いてくれますかね~教えてくださいよ~」
 ③「あ~私もう不登校になっちゃいそう…」

 ①は「いい教材ないですか~あったらくださいよ~」の時もあり。まず自分でやってみようという意思がなかなか感じられないのが悲しい。

 ②は①と同類。でも言葉に悲壮さがないのが救いなのか、深く考えていないだけなのかは不明。(たぶん後者だと思うけど…)

 ③は何か仕事をたのまれた時に言う台詞。私が「甘い」と思う典型的パターン。

 確かに世の中には立派な新任のセンセイはたくさんいると思う。
 でも私がこの数年出会ってきた新任のセンセイは例外なくこのタイプ。授業がうまくいかないのは自分のせいじゃない。いやな仕事はやりたくない。ダダをこねるか拗ねる。

 新任であるかどうかは生徒には関係なく、生徒にとってはどの学年にしてもたった一度しかない一年間なんだから、その授業をきっちり保証してあげるのは、私たちのもっとも重要な使命。

 自分が研修などで出会った素晴らしい実践や講師のセンセイの言葉を紹介したり、また自分の授業を見にきてもらったりして私もなんとかサポートはしているけれど、当の本人がもっと真剣に自分の置かれている立場を理解しなければ、成長なんてありえないと思う。

 学校批判、センセイ批判なんて、一瞬で作り上げられてしまうことを私は経験を持って知っている。生徒、保護者、地域と信頼関係を築いていくには、私たちの日頃の小さな努力の積み重ねであることを「若手」のセンセイにはもっと学んでほしい。そのための「若手」対象の研修であるなら、大歓迎だ。(もうすでにそんな研修が行われているとしても、私のまわりでその効果はまだ見られません。念のため)
 今日は授業が5つありました。
 6時間のうち5時間の授業。
 正直、空いているのが1時間だけ…というのはツライですしょぼん
 6時間の日なら3時間か4時間がベストだと思う。

 このブログを見てくださっている方で、センセイをしている方がいらっしゃいましたら、一日の平均の授業時数(一週間でもOK!)を教えてください! 校種によっても大きな違いがあるかもしれませんね。みなさまのご意見をお聞かせください星

 みなさま、お久しぶりです。
 いろんなことがあり、ブログの更新に時間をとることがなかなかできませんでした。
 申し訳ありません。

 さて、私、このたび転勤いたしました。
 初めての転勤ではないのですが、やはり転勤というのは大変ですよね。
 会議の持ち方、学級開きのやりかた、生徒指導のやりかた・・・ いろんなことが違います。
 まさに新しい文化に慣れる必要がある感じです。

 ただ転勤というのは、自分自身をリセットすることができるという大きな利点はあるのではないかな…と思います。もう一度、気持ちをゼロにして、がんばっていこうと思えます。少なくとも私はそうでした。

 授業にもっと力を入れて行きたい。
 今回の転勤で私が誓ったことです。

 生徒指導やらクラブ指導やら、いろんなことで忙しい毎日ですが、原点はやはり授業だと思う。
 これからしっかりと自分自身も勉強して、授業力を高めていきたいと思います。


 授業から不登校をなくす。
 授業で生徒指導をする。


 私が尊敬する先生がおっしゃった言葉ですが、私もまさに同感です。
 そんな授業ができるように、日々がんばっていきます。


 ブログも時々、更新していきますあせる
 今後ともよろしくお願いいたします
アップ

先日、ある生徒(中学3年生)が泣いていた。

話を聞いてみると…


授業中、友達とおしゃべりをしていたらしい。

それを注意された。

その時の言葉がつらかったらしい。


「自分は進路が決まってるかもしれないけど、みんなはまだ受験が残っている。あなたはみんなの邪魔になっている。」


彼女は、家の都合で高校ではないところに進むことが決まっていた。(就職や専門学校とも少し違う)


学力も高く、行きたい高校もあったが、悩みに悩んで自分の進路を自分で決定した。

いくら決断したとは言え、そこは中学生。自分の進路にまだ自信を持てずにいた。

そんなところに言われた言葉。


授業中のおしゃべりはいけないこと。注意されるのは当たり前。

でもその注意のやり方は気をつけるべきところ。配慮は絶対に必要。それも当たり前。


そのセンセイの言葉で彼女が傷ついたことは事実。


でもワタシが悲しいと思ったのは、そのセンセイの考え方。


受験が残っている子たちのための授業なのか。



受験のための授業・・・



いつもそんな感覚で授業をしているのか・・・



確かに、

「ここはテストに出ますよ」

「これは入試によく出ます」

等の言葉はよく使われる。

それも生徒が求めている授業のあり方ではあると思う。


でも、受験はひとつの通過点でしかなく、ワタシたち中学校のセンセイに課せられた任務は「学力をつけること」であると思う。

受験の有無にかかわらず、必要な学力を得るための授業を提供するのはワタシたちの義務であるはずだ。



だから受験が終わったからと言って、授業をおろそかにしている生徒への声かけとして、いろんな意味で、さきほどの言葉は適切ではない。


前任校が落ち着いた学校だったため、「入室指導」というものを経験せずに今の学校に転勤となった。


今の学校にきて、授業に参加できていない生徒が多かったので、空き時間は当たり前のように「入室指導」だった。



○○は階段のところにいる、□□はトイレにいる、と学校中を走りまわっていた。



でも「さぁ!教室に行くよ」と声をかけたところで「ハイそうですか」とすぐに動いてくれるわけはない。


幸い、ワタシは無視されたり、「うるさい」などと否定的な返事がかえってきたことは、ほとんどなかった。


ほとんどが  「あとで行く」

でもそれも許せなかった。



どうして自分で教室に行けないのか?

どうしてワタシが呼びにこなければならないのか?


腹がたってしょうがなかった。


で、ワタシはいつも

「あとじゃなくて、今!」

とせかせていた。


時には腕をひっぱったりもした。


たいていの生徒が腕をひっぱられたり、無理強いされることを嫌う。


で、バトル勃発となった。


何度も経験した。


昔は「待つ」という余裕も知識もなかった。



今では

「じゃあ、あと何分?」

「10分」

「わかった。じゃあ10分したらまたくるよ」


・・・10分後

「10分たったよ」

「・・・え。もう10分。わかった」


と出来るようになった。確かに学校が落ち着いたという大きな背景もあるが、ワタシ自身に気持ちの余裕というか、無理強いすることの無意味さがわかったからではないか…と思う。



少しひいて、広い視野を持って、生徒と接することで自分に余裕ができ、その余裕が生徒との距離をちぢめてくれたように思う。少しひくことは、生徒との距離が遠くなるのではなく、その逆なんだな…と最近実感している。

久々の更新です。

3年生担当だとやはりこの時期は忙しいですね。



ずっと気になっていたのですが、前回のワタシの書いた記事 の本意が伝わっていないようです。



ワタシはこの記事で、クラブ活動の是非について述べたわけではなく、あくまでも「ゆとり」の活用のしかたについて述べたかったわけで…



「ゆとり」の時間をクラブ活動に費やすことは、決して悪いことではない…と言いたかっただけで、クラブが良いや悪いや…というようなことではない。




クラブ活動についてのワタシの考え方の一端は以前、こちら に書きましたので、よろしければそちらもごらんください。






話はかわって・・・




少し前、不登校の生徒たちとの合宿について書いたことがある が、これ以前にも1年生の不登校生徒と共に浜辺で焼きそばパーティーをおこなった。



小学校1年生の時から登校できてなかった彼女が、恥ずかしそうに、でも確実に楽しそうにしてくれているのがすっごくうれしかった。




1年生の教員だけでなく、2年生の教員も3年生の教員も管理職もみんな参加した!ギターを持って行って歌をうたう者、ひたすら焼きそばを焼く者、彼女のそばでひたすらいっしょに焼きそばを食べる者(ワタシ)、彼女を囲んでホントに楽しい一日だった。



明日、彼女が午後から登校して、調理実習を行うらしい。

調理室に行き、お手伝いさせてもらおうと、今からとても楽しみにしている。

中学生、半数が部活--休日の過ごし方アンケート /静岡  


こんな記事があった。



たしかに生徒たちを見ていると、大半の生徒は休日にクラブをしている。


半数というよりも、学校によっては、半数以上だと思う。



この記事でワタシが気になったのは、


「ゆとりを目的に導入された週5日制だが、休日は部活の大会も多く、なかなか休む間がないのではないか」


というコメントだ。


ゆとり=休むこと


ではないはずだ。



部活に参加することは、意義のある休日の過ごし方ではないのか。



部活で汗を流し、教室では得られない「何か」を学ぶことは、最終的には、心にゆとりのある人間へとつながっていくのではないか。



「ゆとり教育」という言葉がもてはやされ、その言葉だけが一人歩きをしてしまい、その本来の目的が忘れ去られているような気がするのはワタシだけではないはずだ。



勉強勉強と目の色変えて、まわりのことに関心を持たず、自分さえ良ければいいという子どもではなく、心にゆとりのある子どもの育成が一番大切なのに…



ワタシももう一度じっくり考えてみたい。

以前書いたことがある んだけど・・・


今日もそれ関係。



相手を見て態度を変える生徒の話。



今日、女性のセンセイ二人と話していた。


二人は若手だけれど、生徒指導面では力を発揮していて、クラブ指導も一目置かれている存在。


その二人が楽しそうに話してくれた。



「ワタシたち二人が廊下を歩いただけで、生徒の態度はまったく変わるんだってぇ~!○○センセイが言ってたよ。」



授業中、集中できない(うるさい!)子が、クラブ顧問である彼女たちの姿を見た途端、一生懸命やっているフリをするということ。



それをすごく愉快そうに話している二人にどうしても賛同できなかった。



日頃から二人とはすっごく仲良しだし、生徒指導における考え方もよく似ているので、よき相談相手でもある。でも今日の話だけはうなずけなかった。



クラブ顧問が力を持っているなら、どの授業にも集中して取り組むように指導するべきだし、自分の前だけがんばっているフリをする生徒を育てても意味がないと思う。



でも、確かに授業の中や、学級の中でついついセンセイが発してしまう言葉にこんなものがあるのも事実だ。


「○○センセイ(顧問の名前)に言うよ」



これもワタシが嫌いなセリフ。


その場にいない○○センセイの力を借りてしか指導できないようでは、あなたの指導力はゼロだということです。



やっぱりムズカシイ問題です・・・



かつて「荒れ」を経験して、今は少し落ち着いた状態の学校でよく言われることば。



「荒れていた頃を知っている教員が少なくなってきて、教員の中の危機意識がなくなってきている」



実は、ワタシが勤務している学校が今まさにこの状態。



かつては大荒れに荒れていて、ここ5年ぐらいで信じられないぐらい落ち着いた。

ワタシはラッキーなことにその様子をずっと見てくることができた数少ない人間である。

落ち着いた理由はたくさんあるし、荒れていた頃をのんびりと振り返ることができるほど、「あの頃」が良い思い出ではない。



ただ、今、痛感しているのは

「危機意識はうすくなってきているんだな…」

ということ。




先日、職員室の中のある場所のカギがなくなっていた。

そこは学校中のいろんな部屋のカギが収納されているところで、教頭から「カギがないの」と相談された私は血の気が引いた。



荒れていた頃はよくカギがなくなった。そして、そのカギを利用して、いろんな教室に侵入された。器物破損、盗難などもあった。


そのことが頭をよぎった。



今の落ち着いた状態で、そんなことをする生徒はいるはずがない。きっと使ったセンセイがカギを元にもどすのを忘れているだけだ。


自分にそう言い聞かせながら、必死で探した。



そこに、女性教員(新採3年目)がやってきた。そしてケロッと言ってのけた。


「昨日の夕方からなかったんですけど、教頭先生に言うの、忘れてました。」



そばで聞いていたワタシは大人気ないと思いながらもどうしても黙っていることができず、思わず

「大問題だよ。そんなこと忘れてどうするの」

と声を荒げてしまった。



でも彼女は悪びるわけでもなく

「あ、スイマセン」

とすっごく軽い感じ。



それからしばらく不快な気持ちはおさまらなかった。

ムカムカしながら必死で探したけど、結局カギは出てこなかった。



いろいろ考えさせられた。


学校が荒れていた頃を知らない人にとっては、カギがなくなったぐらいで大騒ぎしているワタシがおかしな人にうつっているんだろうなぁ…


うちの学校は

「学校が荒れるのは一瞬。教員は常に危機意識をもちましょう」

としょっちゅう確認しあっているけれど、結局、『危機意識』ってモンがどういうモノなのか、わからないんだろうなぁ。


危機意識なんて、そんな大きなものではない。

カギがなくなったぐらいで大騒ぎすることが危機意識だと思う。


そんなワタシが変わり者になっている学校は、やはり危機意識が薄らいでいるんだと思う。

もはや恒例となりつつあると思うのはワタシだけではないはずだ。


このニュース


乗り過ごした受験生のために通常ではとまらない駅に特急が緊急停車したという。



JRは特別措置だと説明しているらしいが、コレも毎度のこと。


こう毎年毎年こんな報道があれば、何かあれば車掌に訴えていけばなんとかしてもらえるんじゃないかと受験生が考え始めても不思議はない。



そもそも受験会場の下見というか、交通手段を確認するぐらいは至極当たり前のことで、特急を乗り過ごしただとか、まちがえて急行に乗ってしまっただとか、そんなことはすべて個人の責任である。

乗ったことのない電車に乗るなど、不安な時は早めに出ればいいのだ。受験という人生において非常に重要な日に電車を間違えるとか、乗り過ごすというミスはあってはならないことだ。細心の注意をはらうべきなのだ。



こんな「特別措置」はいらないと思う。