真の国益を実現するブログ

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真の国益を実現するため、外交・国防・憲法・経済・歴史観など
あらゆる面から安倍内閣の政策を厳しく評価し、独自の見解を述べていきます。

日本銀行のワーキングペーパー『国際経済環境の変化と日本経済』(2024年2月1日)から、特筆すべき点を自分なりにまとめてみた。

〇対外部門の経済構造の変容
・貿易収支で稼ぐ経済から、海外からの所得移転などを含む所得収支で稼ぐ経済へ

〇交易条件の悪化

・交易条件(輸出物価指数/輸入物価指数)が1990年代半ばから2000年代前半にかけて悪化(これは実質実効為替レートの円安傾向とも深く関連)。その後も、原油など資源価格高騰もあり、悪化は継続中。
 主因は、貿易部門の競争力・価格支配力低下や、IT関連財や中国との競争激化。
⇒我が国は海外との競争激化により、貿易部門の競争力が相対的に低下。
・交易条件悪化の影響でGDI(国内所得)が伸び悩む一方、GNI(国民所得)はFDI(対外直接投資)の効果で伸びが高く、他国との比較ではこれらの指標の乖離が大きい。
※GDIとは国内総生産(GDP)を所得面(分配面)からとらえたもので、国内で1年間に支払われた賃金と利潤、配当等の総額を示す指標。GNIとはGDIに日本企業(日本国民)が海外投資で得た配当等の所得収支を加味したもの。
とはいえ、交易条件の悪化を起点に国内所得が海外に流出したことが、個人消費の長期停滞に繋がった。
 なぜか⇒我が国企業のFDI収益(現地法人からの配当等)は、海外展開のリスクを念頭においた予備的貯蓄選好や担保需要などから、半分程度が海外拠点の内部留保(再投資収益)となっている。(海外からの配当金などが国内の設備投資や賃金に活用されていない点が課題)
・交易条件の低下⇒家計の可処分所得(実質)を通じて、個人消費に影響。
・意外にも、長期的な交易条件の悪化の6割程度は原油以外の要因による。
・なお、名目為替レートと交易条件との関係は、はっきりとした傾向は見て取れない。

〇貿易構造について
・我が国では、革新的な製品・サービスをグローバルに提供する「プロダクト・イノベーション」よりも、製品を効率よく生産する「プロセス・イノベーション」の比率が高まってきた。⇒「プロセス・イノベーション」では、付加価値は生まれない。
・貿易型大企業の労働生産性が、それ以外の企業より大きく上昇。経常利益率にも影響。
輸出の為替感応度は大きく低下(円安でも輸出数量は増えないが、ドル通貨取引では円換算金額は膨張)。
・我が国製造業は、海外生産比率の上昇局面において、雇用を減らしながらオフシェアリングなどの効果で生産性を高めた一方、サービス業は殆ど生産性が高まらないまま雇用が増え続けた。
・グローバル化の進展は、熟練労働者の賃金上昇を主因として、多くの先進国で賃金格差をもたらした。

〇グローバルショック(リスク)
 各国実質GDPの変動に占めるグローバルショックの影響は、2000年代前半までは3割程度であったが、それ以降(2004~2015年)は8割程度まで増大したと分析。
・GFC(世界金融恐慌)・自然災害・感染症拡大といったストレス・イベントの分析からも、経済へのショックは、サプライチェーンを通じてグローバルに波及することが示されている。
GVC(グローバルバリアチェーン)は経済に生じたショックを拡散させる一方、企業における調達先の多様化は、供給制約の影響を和らげるという見方もある。
 実際、グローバル化の進展度合いは、貿易額(輸出入の合計)のボラティリティと負の関係にある。また、自然災害や感染症の経験からも、企業の調達先多様化が、サプライチェーンを通じた影響を緩和する手段としては有効。⇒供給制約の影響は和らげられる。
結論として、有事には機動的に生産を移管できる体制を整えることが重要。
・海外との競争激化によって、製品の差別化を仕切れなかった企業ではマークアップ率が縮小、価格支配力の高いいわゆるスーパースター企業などでは、マークアップ率が拡大。
・我が国の実質実効為替レートの円安から示唆される競争力の低下は、価格マークアップ率の縮小と有意に関連している。
・我が国はマークアップ率が縮小するもと、賃金マークダウンは大きく拡大。(企業の賃金交渉力の向上が示唆される)これは、企業がマークアップ率縮小を、賃金マークダウンの拡大により相殺することで利益を確保してきた一因である。
結果、物価・賃金が長らく上がりにくかったと事実と整合する。


〇(コロナ禍以降)グローバル化後退の影響
・経済・物価への影響は、主として、①実体経済押し下げ(生産性低下等)、②物価押し上げ(限界費用上昇等)、③供給の代替性低下による経済・物価のボラティリティ増大と整理されている。
・生産性に関しては、グローバル化の後退により企業間の共同技術開発等が停滞しえることや、関税引き上げによって研究開発インセンティブが減退しえることなど。
・インフレに関しては、グローバル後退によって、貿易が分断されれば、供給量の減少で物価上昇等の大きなコストを伴いえる。また、リスクシェアリング機能の低下により供給の代替性が低下すれば、経済の脆弱性が高まり、供給制約によって物価が上がりやすくなるとの見方もある。
※グローバル化の後退がグローバルショックの波及を弱め、その結果として、より経済の頑健性は増すとも考えられるが、そのような考え方を主張する文献は見られなかったとのこと。
・一般論としては、国内回帰(リショアリング)を進めた場合には、調達の代替性が効きにくくなるため、供給制約による負の影響が大きくなると言われている。供給の安定性を高め得る一方、経済成長の停滞や大きな経済的コストも伴いえる。特に、関税引き上げ等の貿易制限策は、当該国間にとどまらず、GVCを通じて、幅広い国・産業に悪影響が及ぶ可能性がある。

<我が国の展望>
①貿易部門の生産性向上は、非貿易部門の波及を含め、マクロ経済の好循環の起点となり得るため、同部門の先行きはマクロ経済を見極めていくうえでも特に重要と言える。
②我が国貿易部門の生産性は、米欧と比べると、安価な輸入品の活用等による生産プロセスの効率性改善により伸びてきた面が相対的に大きいもと、海外生産の割安メリットは徐々に減衰している。(プロセス・イノベーションではダメ)
R&Dや特許技術を活用したプロダクト・イノベーションに転換していくことが重要。
※輸送機械などでは米中を上回る特許数を有している。一方、IT産業関連の特許数(コンピュータ技術・デジタル技術)は米中対比で割り負けている。
④ 自然災害リスクに対して、より強靭性を高めるという観点からは、企業の調達先多様化によって、供給制約ショックの影響を和らげ得ることがポイント。
 国内生産体制の強化は安定供給に資するとの見方はあるものの、ストレス時などで調達の代替性が効きにくくなり、ショックの影響が大きくなり得ることには留意する必要がある。
④グローバル化後退の影響で、今後、我が国のインフレ傾向が高まる可能性がある。(最近、従来海外ショックの影響をあまり受けていなかったサービス価格や名目賃金についても、海外ショックの影響を大きく受けて押し上げられている。)

交易条件に興味のある方は、次の報告書なども是非ご覧あれ。
「交易条件の変化と付加価値の分配」(財務省の報告書)
「貿易・経常収支の50年」(住友商事グローバルリサーチ)


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今回のブログは著書名『日本の教育はダメじゃない』をそのままタイトルにして、そのポイントを紹介します。

今の日本の教育ではどんどん学力が低下するし、創造性は一向に育たない。またいじめも多い。したがって、教育改革は早急に必ず行わなければならない。
このような言説については、目に触れない日がないくらいマスコミや学者などから繰り返されてきました。そして、実際に教育改革が進められてきました。

結論から言うと、信用ある国際的な調査において、他国との比較で日本人の基礎学力や創造性が劣っている、またいじめが多いなぞというデータは確認されていません。むしろ逆の結果が出ています。

という私も、いじめの件数はともかくも、日本人の基礎学力は低下しているし創造性も高くないと思っていました。

ということで、日本の教育について客観的なデータをもとに検証・分析した著書である、ちくま新書2021年2月発行の『日本の教育はダメじゃない-国際比較データで問いなおす』からポイントを紹介(抜粋)しておきましょう。

なお、国際比較データですが、主に次の二つの調査の結果によっています。
A 「ピサ(PISA)」( Programme for International Student Assessment)
 15歳時点の世界の子どもの学力を調査するテストで、日本では「学力到達度調査」と呼ばれているものです。
 2000年から3年に1度行われていて、2018年までのデータからの分析で80か国が参加しています。
 実施している主体は、OECDを中心とした先進国グループです。

B 「ティムズ(TIMSS)」
 日本では「国際数学・理科教育動向調査」が正規名称です。ピサ(PISA)との違いは測る学力のタイプで、ティムズは「学校で習った内容をきちんと覚えていて使えるか」、一方、ピサは「学校で習った基礎的な内容を、新しい目的に対して創造的に使えるか」を測っています。

★ 日本は学力が高い
①日本のこどもたちは、基本的な知識という点では世界でトップクラス
知識を創造的に使うという点でも、数学と理科については、世界トップクラス。
③創造性を現実的な問題解決に活かす能力は世界トップクラス。

④学力格差に関して、基本的な事項を理解していない子どもは少ない。ただし、学力には社会階層の影響が認められ、他の先進国と同程度に不公平な社会である。
大人になったときの能力は世界トップクラス。
学力の一貫した低下傾向は認められない。

ここで学力が高いのは理解したが、勉強のしすぎであるとか、その代償も大きいのではないか、あるいは何かを犠牲にした結果ではないのかという疑念を持たれた方も多いと思います。
各種教育の代償についての分析も紹介されています。

★ 教育の代償は大きくない。
①国際的にみると勉強時間は少なめ。
②受験やテストに対して感じるプレッシャーの程度は、国際的に見ると普通。
高い学力を塾通いから説明するのは難しい。
高い学力は、むしろ、子どもたちの学習に対する考え方や、先生方の授業のやり方によるかもしれない。
⑤勉強に興味をあまり持っていないが、これは「学び」のために必要なことかもしれない。
⑥自分の能力にほとんど自信を持っていないが、そのことが高い学力を支えているのかもしれない。
⑦国際的に見ると、学校が楽しいと感じている子が多い。
いじめは国際的に見ると少なく、不登校も学業の修了という観点からは欧米のドロップアウトの問題よりは相対的に軽微である。
⑨10代の自殺率は国際的にみて中程度。

⑩肥満の割合という観点からは、非常に健康。

推論も含まれていますが、驚くべきデータ分析結果です。人口に膾炙している言説とかなり違いますね。
もしかしてマスコミや学者はデータを見ないで発信していたのでしょうか?

★ 教員の質の高さとその多忙さ
アメリカの教育研究者ジェームス・スティグラーの日本の小中学校とアメリカの小中学校を比較した研究によると、日本の中学校の授業は、アメリカやドイツに比べて質の高いものだと結論付けています。これは教員の質の高さがあってこその結果でしょう。日本の教育はしばしば、創造性を育まないからダメだと言われますが、スティグラーの調査では、発見・思考型の課題が使われていて、創造性を育む教育が行われていたとのことです。日本の教員の特徴としては、数学の別解(別の解答法)について、より多くの時間を子どもたちに与えて考えさせて発表させていることなどを挙げています。

ただ悲しいのが、日本の教員の多忙さで、労働時間の比較では群を抜いて世界一です。これは何とかしないといけません。今必要な教育改革は、教員の労働環境改善でしょう。

★ゆとり教育
「ゆとり教育」については、小中学校では2002年から、高校では2003年から実施され、第一次安倍晋三内閣が設置した教育再生会議での議論により、2011年以降「脱ゆとり教育」へ転換されています。
教育再生会議における議論では、「ゆとり教育」が学力低下の主因であるとして、「ゆとり教育」は撤回されたのですが、先にあげたピサ(PISA)データをきっちり見ると、「ゆとり教育」が学力低下の原因であったと言うことはできないようです。

★教員免許更新制
安倍晋三内閣設置の教育再生会議では、もう一つ大きな間違いを犯しています。学力低下の一因として、教員の質の低下をあげ、「教員免許更新制」を提案したことです。2007年に法制化、2009年に現場に導入されています。
では、「教員免許更新制」とは何か。これは文字通り、教員の免許を一定期間ごとに更新するものです。教員免許更新制の目的は教員の能力の保持・向上ですが、それを教員コミュニティの内発的な活動に任せるのではなく、講習を担当する外部専門家にゆだねる点で、「授業研究※」とは異なっています。学校の教員の持っている時間は限られているので、教員免許更新のために時間や労力を割いたら、授業研究がその分だけできなくなってしまいます。この「授業研究※」が日本の授業の質の高さだと国際的に注目されていたのに。。。
※「授業研究」とは・・・・教え方の改善を目的にした活動で、次のように行われます。まず先生方はグループを作って、一つの授業をどのように構成するかを考えます。その構成に基づいて、一人の先生が実際にクラスで教えてみます。他の先生方は、その授業を教室の後ろで生徒の反応を観察し、授業のどの部分が生徒にとって分かりやすく、どの部分がそうではないかを探ります。そして、先生方は再びグループで集まり、より良い授業構成や実践を考えます。この繰り返しを通じて、より良い授業を作り上げるとともに、教育能力を高めていくのです。

★繰り返される、エビデンスに基かない改革
このようなエビデンスに基づかない改革は教育行政に限ったことではありませんね。
「今のままでは立ち行かなくなる、抜本的に改革しないと!」、「まだまだ改革が足りない!」
政治改革・公務員制度改革・経済構造改革・少子化対策など枚挙にいとまがありません。
教育改革に関しては、日本に限ったことではないようです。アメリカでもオーストラリアでも、この20年、学力向上のための教育改革を数多く行ってきましたが、芳しい結果は出ていないようです。たぶん、教育やそれをとりまく社会というのは、私たちが考えるほど単純なものではないのです。
政治経済しかり、年金等社会保障制度もしかり、非常に複雑かつ有象無象の利害調整が発生する制度の抜本的改革なぞ、たいてい失敗するのです。いや、むしろ悪化するケースの方が多い。

★最後に
『日本の教育はダメじゃない』のポイントを紹介してきましたが、ぜひ読んでいただきたい本です。
先にあげた二つの国際的な学力調査記事とデータのURL貼っておきます。

まずは、ピサ(PISA)に関するNHKの記事から
『子どもの国際学力調査 日本は順位上昇 世界トップレベルに』

次にティムズ(TIMSS)の日本の成績の国際比較表
https://www.mext.go.jp/content/20201208-mxt_chousa02-100002206-2.pdf



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2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の皆様にお悔やみを申し上げます。また、被災された方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

ところで、次のような意見を目にしました。
山本一郎氏、JBpressに掲載「能登半島地震であえて問う、20年後に消滅する地域に多額の税金を投入すべきか」
永江一石氏、AGORAに掲載「残酷ですが地方の過疎地を復興させる力はもう日本にはない」

両者に共通しているのは、「財源に限りがある中、被災地域の中には、地震前から維持が困難になっていた集落もあるので、そのような集落の復興のために多額の費用をかけるべきではない。」というような意見です。

いわゆる限界集落と言われる集落の存続に関して、地震前から様々な意見があるのは承知していますし、拙ブログでも全ての集落を存続させよと提言するつもりはありません。しかしながら、まだ震災から2週間しか経っていないのにも関わらず、このような意見を述べること、また財政面や集落の機能維持という面からしか見ていないことについて、非常に憤りを感じた次第であります。

財源の問題ですが、拙ブログで何度も主張してきたように、国家財政においては借金(国債)の額が膨らむことは問題でなく、あくまで人的・物的リソースを確保できるかが問題なのです(これに付随したインフレの問題もあります)。財源論についての詳細はここでは述べませんが、「財源に限りがある」とか「国債が多額になり納税者負担となる」、「国が破綻する」、「既にコロナで馬鹿みたいに使ったから、国には金がない」、「次世代に負担が回る」などは、はっきり言って間違いです。
もちろん、「災害復興にこれ以上税金を使うな」という国民の意見が大勢を占めるとか、国会で災害復興資金を賄うための増税決議とかは十分にあり得ますが、まずは会計的に国家財政には限りがあるとして、震災復興に関する論を進めるのは避けなければなりません。

そして、地震前から維持が困難になっていた集落について、多額の費用をかけてまで復興させるのか、という問題は当然検討すべきかと思いますが、ただ今ではないと考えます。
ここで欠けている視点が、人々の「ふるさとへ想い」です。
どんなに不便であろうと命が縮まろうと独りになろうとも、生まれ育ったところで暮らしたい、死にたいという人々の想いです。先祖の土地を守り抜きたいという使命感もあるでしょう。これらは人類共通の根源的な感情と考えます。
この人々の想いに至らない根無し草の識者に、復興計画に意見を述べたり、携わったりする資格はないと考えます。

まずは全ての集落の復興を目標に進めましょうよ。その過程で、住民自身が集落を放棄するなら仕方ありませんが、ただ集落を放棄せよというのは、東京等都会からの上から目線以外の何ものでもないでしょう。

次に機能論から言っても、輪島塗なぞの伝統文化は、技術が廃れると二度と復活は出来ないでしょうから、その担い手を半公務員化してでも残すべきです。伝統的な祭りも残すべきです。
また、被災した熊本県においては、半導体受託製造の世界最大手、台湾積体電路製造(TSMC)が菊陽町という町に生産拠点を整備しています。能登半島のような交通の便が劣悪なところと同じように論じることはできませんが、ネットでビジネスが可能となった現在において、国策として積極的に企業を誘致することも排除すべきできないでしょう。
さらに言うと、人が住んでいること自体が、防災・国防安全保障上から有用・有効となります。そのような見地からは、東京等都会への一極集中は最悪の事態で、半島や離島にも人や生産拠点等を分散すべきとなります。

山本一郎氏の論は、まだ被災した地域住民の思いも考慮され、それなりにバランスがとれていると思いますが、永江一石氏の論は、とにかく財源がないから復興も国土強靭化も諦めよということが前面に出ており、全くもって論じるに値しませんね。

そもそも、次のように神戸大学大学院工学研究科 小池教授が論じていますが、能登半島のような過疎地を生み、道路が寸断された大きな要因として、道路等インフラへの過少投資が上げられます。
「能登半島地震、なぜ道路復旧が進まないのか?」

「鹿しか通らないようなコスパが悪い道路建設なぞ止めよ」との国民を上げての公共事業批判の大合唱により、地方の道路整備は後回しにされてきました。先のような識者をはじめ、それに乗った国民や政治家には猛反省いただきたい。インフラ整備等による国家財政の赤字増加は、問題ではありません。  

拙ブログで何度も書いてますが、国の借金が将来世代の負担なんて論も成り立ちません。問題になるのは、人的・物的リソースなので、将来から人的・物的リソースを奪ってきて今現在においてはそれを費消するなんて出来ないわけですから。

色々書いてきましたが、既に限界に近付いている全ての集落を復興せよとは言いませんが、一度、財源の問題はないものとして、当該地域住民の意見をよく聞いた上で、じっくりと冷静に議論すべきだと考えます。
今は、とにかく震災前の姿、元に戻すことを目標に、国家主体でインフラ復旧、各種支援に全力を挙げて進めていくことが先決でしょう。

(永江一石氏は、大阪万博を中止にしたとしても、万博工事に携わっている関西在住の労働者を石川県のインフラ復旧現場に回すのは非現実的と述べていますが、能登半島の惨状を目の当たりにして復興を意気に感じ、それなりの賃金が支給されるなら、石川県の復興現場の方に俺は行くぞと考える職工さんは多いと思いますけどね。)


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