【脱力すればするほど良い、とは限らない】


エネルギーを受け取る、
エネルギーを流す、となると、
状態としては中庸が良いと言われています。


私もヒーリングを習った時は、
自分にやるにも、他者にやるにも、
エネルギーの仲介役であれと言われました。


私(人)というフィルターを通すのだから、
なるべく自我を静めにする。


それはつまりリラックス状態。
そりゃあね、送り手がさ、
わちゃわちゃ考えていたら、
エネルギーの純粋さは失われるよね。
思考によってフィルター詰まっちゃう。


ならやはり、
リラックスすればするほど良くて、
めっちゃ脱力すればするほど良いんだなと。
かつての私は、そう捉えていたわけですよ。


しかし、それは、ある意味正解なのだけれど、
ズレているというか、
ズレてしまう可能性がある捉え方でした。


リラックスは脱力へ至り、
脱力が過ぎれば、ぼーーっとし過ぎた状態が出来上がる。
それじゃあね、いかんのですよ。


体はいくらでも緩めて良いし、脱力しても良い。
けどね、意識までもが、同じように脱力していては、
ズレる。ズレやすくなる。
危うい、と言っても良い。


今の私としては、
そう考えていますね。


リラックスしても、脱力しても、それは体の話。


意識は、リラックス状態であっても、自分を見失わないよう。
【逃げたい気持ちは、願望とは異なる】


逃げたいと思うことはある。
ある1つの状況から、あるいは、すべてから。

頭や心がいっぱいいっぱいになると、
そのストレス源から距離を置きたいがために、
極端な考え方に至るもの。

そんなのが、私達の考え方の仕組みだとしたならば、
極端な考えに至っている時点で、
頭か心、あるいは両方が、
いっぱいいっぱいで、しんどくて、しょうがない。
そういう状態なわけなのだから、
楽しさや喜びではない、
逃げたいという気持ちは、
そもそも本音ではないことに気づいたらいい。

だからといって逃げるなと言うつもりは微塵も無く。
今はただ逃げねばならないし、
それが最善の一手ということも、当然ある。

ただ、それはそれとして、
やたらめったらストレスかかって、
極論になってしまって、
それが本音だと思い込んでいるならば。

落ち着いてからでいいから、
そこらへん見直しておくと良い。

嫌な事柄から逃げるのが願望ではなく、
好ましい事柄こそが願望であるはずです。

【自分と向き合える環境でしょうか】



自分と向き合うとか、自分の声を聞くとか、
そうやって自分自身と対峙する方法は、いくつもある。

誰かの方法ではしっくりこなくて、続かなくて、
別の誰かを探したり、自分なりにアレンジしてみたり。
それは決して悪いことではないし、
自分にマッチする方法というかアプローチは、
探求してみると良い。

ただ、前提として、まずは、
「自分一人の静かな時間」
をなんとかして創出しなければならない。

まわりが騒がしかったり、
テレビや音楽をつけっぱなしだったり、
そんな環境下で「なかなか出来ない」って落ち込んでも、
そりゃそうだよね、としか言いようがない。

癒し系の音楽だって、
リラックスさせてくれるかもしれないけど、
自分自身と向き合いやすいBGMか?というと、
話が違ってくる。

音が無いと落ち着かないなら、
それが今の自分自身なわけです。
そこと向き合うのだから、
ざわざわする自分と向き合うのだから、
まずは音を消して、静かな環境を作る、あるいは探す。
方法はそれから。

出来ない理由は、
「自分に合った方法じゃないから」
ではなく、
「方法を試す環境じゃないから」
なのかもしれません。

自分自身と向き合うことは、
自分自身へ愛を向けることに他ならない。

静かな環境じゃないと愛を受け取れないと言っているのだから、そこはどうにかして、環境を作ってあげるしかないのです。
【あなたがこれと決めたなら、私はそれを応援する】


成功も失敗も関係ない。
やりたい気持ちがあるならば、
それはやらねばならない。

やってみない限り、
あなたの心は、
いつもいつも刺激される。
悶々として落ち着かない。

似たようなことをやっている人や、
やりたい気持ちを素直に表現している人を
羨み、ときに、嫉妬してしまう。

やりたい気持ちが沸いたなら、
そこには何か理由がある。
それそのものか、
やってみることで見えてくる何かか、
きっかけとして何かが生まれるか。

それは誰にもわからないけれど、
その為に必要だから、
あなたの心は響いたんだ。

時代が移り変われば、考え方や価値観は変わる。

変化は大概、良くも悪くも刺激をともなうから、

歓迎する人もいれば、拒絶する人もいる。





いずれにせよ、

戸惑いや違和感は味わざるを得ないし、

そういった感情の揺らぎが、

後押しとなったり、

モチベーションとなったりするわけで。





社会といった大きな世界にて、

これまでの仕組みや枠組み、ルールや流行は変わる。

個人といった小さな世界にて、

同様に、いろいろなことが変わっていく。

ある程度の年月を経たあとで振り返ると、

そうした【変化】は、

当然のように起きて、

当然のように拡大し、拡散し、

いつしか当たり前になっていき、

スタンダードになっていく。





とはいえ、

そうした時代の変化という【うねり】の、

渦中にいる人、渦中にいる時、

そんな大局を眺めるような、俯瞰するような、

そうした心持ちではいられない。





冷静に落ち着いて構えていられるタイミングでは、

一時的に、そうした高い視点(視座)で

観察することは可能だし、

可能であるなら、

そんな観察タイムを今後も取ろうと試みるだろう。





けれども、

基本的には、

【そんな悟ったかのような考え&心持ちを維持しつつ日常を送る】

なんてことは難しいものです。

無理ゲーです。




 




変化の兆しが垣間見えたなら、

戸惑います。違和感を覚えます。

これまでとは違う何かを感じます。

私達の人生において、

就職や結婚などの、

転機となるようなイベントごとでさえ、

いろいろと気持ちがうごめくのです。





私達個人という単位ではなく、

時代という単位で訪れるのならば、

それはもう、お手上げです。





これまでと同じ考えでは、

何かと不都合が生まれるでしょう。

私達自身も、少なからず変わらねばなりませんから、

そこには葛藤も、不快感も、憂鬱さも生まれます。





そしてそれは、

もちろんあなただけのものではなく、

誰にとっても訪れます。





私は…

揺らぎ、葛藤し、

時に歓迎する変化はあるけど、

拒否したいほどの事柄だってあるかもしれない。


あなたは…

揺らぎ、葛藤し、

時に歓迎する変化はあるけど、

拒否したいほどの事柄だってあるかもしれない。


見知らぬ誰かも…

揺らぎ、葛藤し、

時に歓迎する変化はあるけど、

拒否したいほどの事柄だってあるかもしれない。





みんながみんな、

変化のうねりに巻き込まれる。

時代という大きな単位での変化は、

つまり、そういうことです。





ただ、そこには【グラデーション】があります。





揺らぐ度合いと、

揺らぐ方向性のグラデーション。

要は、

どのように感じ、

どれくらい感じるのか。





大小さまざまな波があって、

それらが目の前に起こるタイミング。

要は、

変化の兆しはいつあって、

変化を促されるのはいつなのか。





それらは人それぞれなのでしょう。

早めの変化を促される人もいれば、

大多数とともに変わる人もいれば、

遅めの人もいるでしょう。

そして、

時代の大きな変革の時期が、

そろそろ訪れる、あるいは、すでに訪れている。

今は、そういうタイミングと言えます。





変化と聞いて、

ポジティブよりもネガティブに

捉えてしまう人が多いのは、

生命の維持を根幹とする

我々人類として当たり前のことかもしれません。





ただ、「変化が起きやすい」ことと「怖い」ということは、イコールではありません。

結果的にそう感じる、

という繋がりはあるでしょうが、

全部が全部、そうではありません。





見通しを立てにくい変化は怖いものです。

未知というのも怖いものです。

けれど、これまでの人生、

そうした恐怖は、程度はどうあれ、

日常的にあったはずです。





私達は成長する存在です。

成長とは、変化をともなっています。





時代の大きな変革であっても、

私達は、これまでと同様に、

少しずつ、たまには2段飛びで、

進んでいくわけです。



 


- 新しい器 -





変わりたい!

変えたい!

と願っても、

なかなか進まなかった過去があったとして、

この度のタイミングでは。

時代という大きな波が、

後押ししてくれる、とも捉えられます。





これまで通り、いえ、これまで以上に、

安定を求める動きであるならば、

時代に尻を叩かれるような、

そんなことも起こるかもしれません。





けれど、変化の流れに乗るならば、

大きなサポートがあるようにも思いませんか?





戸惑い、違和感を覚え、

最初は拒絶したくなる。

けれど、心を落ち着ける時間にて、

少しずつ受け入れていく。

すべてを拒絶することなく、

すべてを受け入れる必要もなく、

揺らぎつつ、少しずつ少しずつ、

選択していく。





あなたの近くにいる人も。

見知らぬ誰かも。

そうした揺らぎの中にいて、

うねりの中にいます。





だから、

自分以外の人も、ある程度、大目に見てあげてください。





そして、

自分自身をも、大目に見てあげてください。





【変化しなければいけない時期】

ではなく、

【変化しやすい、後押ししてくれる時期】

と捉え、

変化そのものを

味方につけていきたいですね☆