どしゅこいの大嘘吐き日記

2022年6/29発売


大野方栄の新譜「蓬莱」


https://www.amazon.co.jp/dp/B0B34R8G4K/ref=olp-opf-redir?aod=1
このページの右下 HOUEI MUSICから買われると 私のサイン入りになります。

クラウンレコードのディレクタ-だった中根康旨さんから電話が入って

今度レコーディングでバックボーカルが必要だから 呼びますっと言われた。

そして赤坂見附のクラウンのスタジオで コーラスを2曲歌った。

 

これが大学入学当時の私の 音楽の仕事始めとなった。

確か女性ボーカルのラジさんも御一緒した筈なんだけど

他の仕事で御一緒したのか ちょっと記憶が曖昧です。

ムーンライダースのコーラスで御一緒したのかな?。(あるつ)

 

ラジさんは とっても素敵なお姉さんっていう感じで

新参者の私にまで コーヒーをご馳走して下さった。

大人の女性のお心遣いに 吃驚して恐縮した私。

素敵な大人の真似をして 私も大人になっていくんだなって思いました。

 

 

生まれて初めてのレコーディングで 印象に残っているのは、

ドラムの林立夫さんがとっても気さくなかたで

待ち時間に 椅子に座った状態で 「 足だけのサンバの踊り方 」を 

レクチャーしてくださったこと。

とっても洗練された大人の男性だなぁって 思いました。

 

今 昔の自分の歌を聴いてみると 超・赤面モノで

ヘッドホンの使い方とか マイクの使い方が全く判っていないので

ただ大声を出して 必死に歌っているし ピッチも悪いぜよ。

それにしても高校生の時の憧れのティンパンアレイと前田憲男さんの共演のアルバムが、

私の仕事始めになるとは・・・。

 

それにしても当時の私は、

まさか この年齢まで(65歳)音楽を続けるとは思ってもいなかった。

 


 

 

 

 

 

私の記憶違いかも知れませんが、

俳優の吉岡秀隆さんは ずっと俳優を辞めたくて辞めたくて 

しょうがなかったみたいですね。

子役からずっと仕事をされていらっしゃるし 

そういうイメージではなかったので 驚きました。

『 近いうちに辞めるんだ!』・・・っと思っている人に限って 

意外と長く俳優を 続けてしまうものらしいです。

勿論 仕事は一人では出来ないし 

色々なご縁や 思いがけない事が起こって モノは進んでいくものらしい。

 

・・・人生 振り向いたら続いていた、

或いは 途中で諦めて辞めた、

或いは 途中で辞めたけど またやっている・・・という感じですかね。

 

 

忘れもしない去年のクリスマスの日に 

素晴らしいフランスのジャズボーカルのアルバムと出会ってしまいまして、

『 うわ-!こんな音楽の世界があったんだ! 』っと 

100点満点200点のアルバムに心酔してしまいました。

 

私は 可也のハードリスナーな方だと思いますが、

その私が そう思えるアルバムと出会えるのは 

10年ぶり以上の 事だと思います。

本当に 全く予期していませんでした。

 

でも ひとたびそういう音を聴いてしまうと、

自分でもやってみたくなるのが 私のサガで御座います。

アルバムの一曲目の日本語歌詞をひとつ書いたところで、

急に冷静になりました。

もし万が一 私がアルバム全12曲の歌詞を書きあげられたとしても

許諾の申請後 先方からのOKを貰えなければ 

一歩も先には 進めない事に気が付きました。

 

慌ててアルバムを歌っているシンガーに

フェイスブック経由で その旨を伝えて

作曲者たちに 頼んで頂く事にしました。

こういうことが出来るインターネットは 本当に凄いと思います。

駄目でもOKでも 直ぐにそれが判るということは余計な時間の無駄がないから

本当に素晴らしいです。

 

大学生時代に 音楽の仕事をするようになって

当時 学生にしては破格のギャラを頂きましたが、

あまりにも高額だったので 

『 こんな事は いつまでも続くわけはない 』っと思っていた私です。

また両親からは 音楽を反対されていて

 「 お前はカブキモノだぁぁぁ~」と常に軽蔑され 非難されていたので

『 自分がやっている事(音楽の仕事)は 虚業である 』という思想が 頭の半分を支配していました。

そういう迷いがあった為に 俳優の吉岡秀隆さんみたいに

「 きっと直ぐに辞めるんだ 」っという気持ちが 常にありました。

 

誰が何と言おうと私が正しい!っと思えていたら 

私の人生は 可也変わったと思います。

フェアーチャイルドのyouさんが まだ有名ではなかった頃の話、

小さなライブスポットのコンサートに出演する時、

ご家族が観に来てくれて いつも応援の意味で1万円をくれたそうです。

そういうご家族がいると いいですよねぇ。^^

 

現在の私は 65歳です。

途中 長いブランクもありましたが、

50代で再び録音をすることになり、

そういう意味では 意外に長続きしていますよねぇ。

60代になって 大病も経験したし 

でもその後アルバム「 蓬莱 」もリリース出来たので

私がやりたい事は 遣り尽くしたかなっと思っていたのですが・・・。

 

去年の暮れに出会ってしまった凄いアルバムのせいで

またアルバムを 作ろうと思っています。

今朝 全曲の許諾がおりました。^^

 

・・・ただし いつも私のやっている事は ふとした思い付きであり 

あくまでも 気分でやっている事です。

今回は いつも以上に、計画的に どうのこうのという事でもなく

成り行き任せで あるがまま なすがパパですが、

兎に角 やれる所まで 頑張ってみようと思っています。

 

 

 

私が 人生で一番お世話になった女性Aさん(89歳)が、

養老院に入るとの事だったので、

今日は民生委員のかたと 入所の付き添いをしてきました。

 

昔から 非常に明晰で聡明な女性だったのですが、

年齢的な問題で 深刻な物忘れが頻発していて

ご本人も ご自分にすっかり自信が無くなってしまい 

最近は ダウナーな状態です。

 

週に何度かは 使用人の方達が来訪はしますが、

原則的には 独り暮らしをされているので、

万が一 夜中に自室で転んで大怪我をしても

誰も気が付かない事があるかもしれない・・・っと随分前から心配していました。

 

入所されるにあたっては 何か月も前から

「 今直ぐに入所する! 」っと言ってみたり

「 やっぱり自分の家で暮らしたい 」っと言ってみたり

可也お心が 不安定に なられていらっしゃいました。

 

子供がいようといまいと 絶対にアテにしてはいけないし

これからの時代は 

自分の身は 自分でしっかりと考えて 進んでいかなければいけないと思います。

 

里心が 蘇ってはいけないので

帰る時のご挨拶は わざとしないで 家に戻った私です。

私が家に到着した時に 今日一緒に付き添った民生委員のかた(男性80歳)からお電話が入り

「 自分の家に帰りたい 」っと Aさんがずっと駄々をこねていて困っている・・・っと言われてしまいました。

これは 想定内の事ではありました。

 

たまたま近くにいた息子に その話をしたら

「 危なくて もう一人で暮らせなくて入所したんだから 

 このまま施設で お世話になった方がいい 」っと

瞬時に解答してくれました。

こういう事って 正しい事だと判っていても

当事者になってしまうと 心が揺れて 中々実行できない事だと痛感しました。

 

民生委員の方に電話をし直して

「 施設の方達は そういう事に慣れていらっしゃると思うので、

  彼らに全てを任せて

  心を鬼にして 挨拶はしないで 家に戻られた方が良いと思います 」

・・・っと 申した私です。

 

結局 民生委員の男性も、彼女には声をかけないで

その後 家に帰ったとの事でした。

 

・・・いやはや私も65歳で 立派な前期高齢者です。

明日は我が身と 気の引き締まる思いで、

とても他人事とは思えない 切ない一日を過ごしました。