シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」

「挑戦する人」を創出し、広く社会に「勇気と自信と感動」をもたらす「新しい社会的価値」を創造する。株式会社ドリームビジョン

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これが最後のアメブロ・・・。

新聞の折込チラシで見つけた今の住まい。僕たちは今から11年3ヶ月前、今のマンションに移り住んだ。それまでは、中目黒の賃貸マンションに住んでいたが、創業メンバーとして立ち上げに参加したウェブクルーの上場に伴い、恵比寿にマンションが買えるおカネが舞い込んだ。

貧乏生活なら負けないという苦節13年が報われた瞬間だった・・・。

その思い入れがあり、愛着があり、家族全員とても気に入っている恵比寿のマンションに、あと2日でサヨナラする・・・。

後ろ髪を引かれないと言ったら嘘になる。本当は明日に備えて寝ようと思ったのだが、寝る前に白ワインを飲み、10cc の I'm not in love. を聞いていたら、どうしても今の気持ちを文字に残しておきたくなった。

世の中には戦争で亡くなったり、テロに巻き込まれたり、病に倒れたりして、不幸にして早くに亡くなってしまう人たちがたくさんいる。

そういう人たちのことを考えたら、僕は本当に恵まれている。

「挫折のすすめ」に書いたとおり、1年半で夫婦で外食したのは、たったの1回。それも吉祥寺で「もんじゃ焼き」を食べて、生ビールを一杯ずつ飲み、2人で3,500円のお会計をしたその瞬間、こんな贅沢をしてバチが当たらないだろうか・・・と思ったほど、貧乏な時期があったが、それでも、こうして、好きなことにチャレンジでき、子どもたちも素直に育ち、新しい家に越せるわけで、そのことに感謝をすると共に、何かを世の中に残したいと思っている。

ところで、ブログのタイトルに書いたとおり、アメブロでブログを書くのは、これが最後になると思う。2006年4月から10年以上に渡って書き続けてきたわけで、少々寂しい気もする。

僕がサンブリッジの仕事を始めた2011年の秋。ネットで見つけてインターンに応募してきた、当時、東大の学生だった「下川さん」という若者がいる。彼がボランティアに近いおカネで、僕のブログサイトを作ってくれた。

僕と一緒にシリコンバレーに行ったことがキッカケで(実はそれが彼にとっては初海外だった!)、その後、シリコンバレーに移り住んでしまったベンチャーナウの竹内さんと一緒に2011年5月に始めたピッチイベント「Innovation Weekend」の年間チャンピオンを決める「Innovation Weekend Grand Finale 2011」は、下川さんがいなかったら、きっと実現できなかっただろう。

とあるイベントの審査員として京都に行かなければならなかった僕に代わって、僕の名刺の束と格闘し、500-600人に対して、Innovation Weekend Grand Finale 2011 の案内メールを、僕に「成りすまして」打ってくれたのが彼だった。

形容する言葉が見つからないほど優秀で、滅茶苦茶いいやつだ!!!

今までの僕の人生で最も大きな勝負も、彼が相当に手伝ってくれている。

彼のためにも是が非でも、この勝負は勝たなければいけない!

もうひとり、僕にとっては掛け替えのない若者がいる。

New York 出身の彼とは、僕らの投資先だった co-meeting というスタートアップのサービスを彼が見つけて、アメリカで売りたいと言って来たのがキッカケだった。

僕がNew York に出張した際、ステーキハウスでランチをしたのだが、彼が払おうとしたので、お前が払うのは10年早い!という話をし、僕が払ったことを覚えている。

その後、彼は大学時代の友人と一緒に AdTechのスタートアップを立ち上げ、日本のクライアントを獲得しようと東京に来て、僕のところにアドバイスを求めに来た。

あまりのダメさ加減に、僕は、自分の子供に説教をするかのごとく、ダメ出しをした。

彼の名前は Daniel というが、彼は今、僕らの投資先である Peatix のNY Office のスタッフであり、NYのビジネスを急速な勢いで伸ばしている!

そして、Innovation Weekend World Tour のメンバーとして、僕と一緒に世界各都市を回っている。

彼がいなければ、言葉にするまでもなく、Innovation Weekend World Tour は継続できていない・・・。

そして、Innovation Weekend World Tour は、Peatix のビジネスディベロップメントにも貢献できており、株主としては、こんな嬉しいことはない。

1986年2月。初めてNew York に行った時、22歳だった僕は、いつかこの街に住みたい・・・と思った。未だにそれは実現できてないが、こうして、定期的にNYを訪れ、純粋培養の日本人の僕が、NYでイベントを主催し、また、他のイベントのスピーカーとして招かれて、僕の起業家人生の話をさせてもらって・・・と、住んでこそいないが、あの頃の夢は叶ったように思う。

そのDaniel は先日、Tokyo に来ていた際、彼に co-meeting を紹介した女性に、下北沢(僕が学生の頃、住んでいた街だ)で会ったそうだ。

僕たちの人生を変えたその女性に、僕も会ってみたい。

ところで、元SONYの出井さんが言ったように「人間の死亡率は100%」である。

3個100円の納豆が買えず、聞いたことのないメーカーの4個100円の納豆しか買えなかった時があったし、あの頃は本当に辛かったけど、生きていることは、それだけで本当に素晴らしい・・・。

その人生がいつか終わってしまうなんて、僕には信じられない・・・。

あと何年、神様が僕に人生を与えてくれるか分からないし、無い物ねだりをしても仕方ないけど、せめて、両親からもらったものを100%発揮できるようにしたい。

マラソンの有森裕子さんが2つ目のメダルを獲った時に言った「メダルの色は金じゃないかもしれないけど、初めて自分で自分を褒めたいと思いました」と言える人生を送りたい。

亡くなった両親のためにも、子どもたちのためにも、そして自分自身のためにね。

本当はもっと「クール」なエントリーを書きたかったんだけど・・・w。

まあ、それは下川さんが作ってくれたブログでということで!

長男は暇さえあれば、ピアノを弾いている・・・。

ここのところ、尋常ではなく忙しい・・・。恐らく、今までの人生で今以上に多忙な時期はあったと思う。でも、今、感じている忙しさは、今までに感じたものとは次元が異なる。

仕事に費やしていた時間という意味では、インタースコープというネットベンチャーを立ち上げた頃は、午前0時過ぎに帰宅すれば早い方だったし、土日のどちらかは仕事をしていた。月間労働時間が300時間を超えていた。

その頃は、言ってみれば「仕事だけ」していれば良かったし、僕の人生の「95%」ぐらいは仕事だった。

でも、今は違う・・・。子供が2人いるし、彼らの教育や将来のことに精神的にも物理的にも時間を割いているし、家族旅行にも行く。子供繋がりのお父さんやお母さんとの付き合いも大切だ。

一言で言うなら、僕という人生の構成要素が遥かに多様になっているし、充実してきているとも言える。ありがたいことだ。

しかし、ここ数週間は、やろうと思っていることの半分もできず、フラストレーションとストレスが溜まっている。

でも、どんなにフラストレーションとストレスを溜め込んでも、一日の時間が36時間になるわけではない・・・。

・・・と、今は比較的冷静に、こうしてブログを書いているが、数日前までは、とにかくイライラし、思うように仕事もプライベートも進めないことが腹立たしくて仕方がなかった・・・。

また、話が通じない and/or 説明に手間が掛かる人と話をすると、首と肩の結節点辺りが急に凝ることが分かった。これが僕の肩凝りの原因なんだな・・・と自覚した。

ところで、ニーチェは【自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。】と言ったそうだ。

たしかに、そうなのだろう。今までに何度も「もうダメか・・・」ということが幾度と無くあったが、その都度、ギリギリのところで神風?が吹き、何とかなってきた。

ここ数週間の尋常ではない忙しさの原因は、仕事では「人生最大のチャレンジ」「Innovation Weekend Berlin」「Tokyo-Munich FinTech Symposium」「Innovation Weekend San Francisco」「某独スタートアップの日本市場参入に際するフィージビリティスタディ」「既存投資先の資金調達のサポート」等々、なんでここまで重ねる?重なる?かね?ということなのだが、それに加えて、プライベートでは、人生で初めての「一戸建て」の住宅を「建築中」であり、これがまたここへ来て、様々なトラブル(でないことも含めて)が発生し、とにかく、僕の時間を奪っている。

30代の頃は、まだまだ体力があったので、平均睡眠時間4~5時間でも何とかなったが、今、そんなことをしたら死んでしまう・・・。

もうひとつ、ドラッカーの本で学んだことだが、人間は「苦手なことをしてはいけない」ということだ。

僕は神経質で心配性な性格なので、例えば、銀行に提出する書類や区役所での手続き、そのために司法書士の方等との書類のやり取り等、「間違うとイタイ!」事務手続き(管理業務)になると、とたんに生産性が悪くなり、尋常ではないストレスが発生する。

そのことが「自分が得意なこと」に投下する時間を奪い、ストレスにより集中力が無くなり・・・と、尋常ではない悪影響をもたらすということを身を以て実感した。

弟に言われたことだが、僕は「守りに弱い」。起業家として、投資家として、攻めることは好きだし、得意だが、たしかに、守り(管理業務)は嫌いだし、超不得意である。

「組織は構成員の苦手なことの意味を無くし、得意なことに集中させるためにある」。

でも、今の日本の組織は、そうなっているだろうか?全員に同じことを期待してはいないだろうか?

小学校5年生の長男は、学校の先生の「矛盾」を指摘する。今日は、とある私立大学が主催するワークショップに参加し、「LEDで造る花火」なるものの制作にチャレンジしてきたらしい。

妻が言うには、お昼休みも取りたくないほど、熱中していたそうだ。人生で初めて、ハンダゴテを使い、回路を制作した。

きっと楽しかっただろう。

その長男は最近、中学受験のための塾通いで忙しい・・・。

ストレスが溜まっているようで、暇さえあれば、ピアノを弾いている。

彼にとっては、最も良いストレス発散方法のようである。

ピアノが弾けない僕は、こうしてブログを書くことで、自分自身と向き合い、心の襞に溜まったものを文章にして吐き出し、ストレスを発散している。

そんな僕んブログを読んで下さっている方々には感謝の言葉しか見つからない・・・。

少しでも、何か参考になるものがあれば幸いである。

僕はベンチャー支援はしていない!

昨日の午後1時、とある外国人とのMTGのため、有楽町にある「日本外国特派員協会(FCCJ)」に初めて行った。様々な著名人の記者会見が行われた場所で、壁には所狭しと要人の方々の写真が飾られている。

そういえば、ケンコーコムの後藤さんが、インターネットでの市販薬の販売に関する規制に関して反論する記者会見を行ったのも、日本外国特派員協会だったと思う。

ところで、日比谷線で有楽町から恵比寿に戻り、地上に出たところ、黒いスーツに白いブラウス、ピンで止めたひっつめ髪の就職活動と思しき女子学生数人と遭遇した。

個性も何も感じられない格好を何故、するのだろう?訪問先の会社が、そういう格好を求めるのだろうか?まあ、そういうことなのだろう。

そういう僕は、カジュアルなシャツに、カジュアルな薄いジャケット、白いGパンにスニーカー。髪の毛は茶髪だ・・・。

50歳過ぎのオジサンがそういう格好をしているのに、どうして、20歳そこそこの若い女性が、判で押したような決まり切った格好をしなければならないのだろう?どう考えてもオカシイよね?

個性を尊重する価値観も自由も感じられない。僕だったら、そんな会社には就職したくない。

ところで、僕は「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じる。というか、その表現が嫌いである。

3~4ヶ月前だったと思うが、日本ベンチャーキャピタル協会主催の会合に初めて参加した際に、「ベンチャー支援」という言葉に違和感を感じるという持論を吠えた。

僕のことを「ベンチャー支援を熱心にやっていますね」という人が多いが、僕はそう言われるのは不愉快だ。

「ベンチャー支援」と言っている人達(会社)は、実は「自分たちのため」にやっている。

何故なら、新規事業を開発するために、自社内だけでは埒が明かず、ベンチャーの人達に投資したり、事業提携したりしているわけで、最近流行りの言葉で言えば、オープンイノベーションを推進しているということだ。

本当に「支援」したいなら、手弁当でやればいい。自分たちのしていることを誤解してはいけない。

では、僕がやっていることは何で、何のためにそれらをやっているのか?

僕は起業家やベンチャー企業が好きだし、僕自身、28歳の時から起業家として生きていた。

2011年3月からは、若い起業家や創業間もないベンチャー企業に投資する仕事をしてきたし、Innovation Weekend なるピッチイベントを始めて、2014年からは「World Tour」と称し、Singapore, London, Boston, New York, Sn Francisco, Berlin 等で開催するなど、ある意味、経済合理性を超えてやっているところもあるのは事実である。

投資をしていなくても、僕を慕って来てくれる若い起業家や起業家の卵の人達には、自分の時間が許す限り、相談にものっている。そして、僕自身、今もメンタリティーは起業家である。

でも、支援をしているというつもりはない。

僕が自分で起業したり、ベンチャー投資をしたり、Innovation Weekend World Tour を行っている目的は、日本のベンチャーシーンをグローバル化し、国際競争力を高めたいということと、面白い事業や企業を創ることにより、若い人たちに「雇用」をもたらしたい、それも「Innovative」な仕事をもたらしたい!ということだ。

高齢化社会の到来を踏まえて、政府は大企業に「定年延長」を求めたりしているが、それはイコール、若者の雇用機会を奪うことにもなり兼ねない。というか、なっているだろう。

また、同じ60歳なり65歳でも、能力、体力、健康状態は人によって異なるだろう…。定年という制度自体、議論の余地がある。

いずれにしても、経済が成長しない国では、雇用は「椅子取りゲーム」になる。

また、統計的にも検証されているが、雇用を生み出すのは、既存の事業を行う「中小企業」ではなく、ベンチャー企業である。

若者に「イノベイティブ&クリエイティな仕事」を創りだす!

そして、僕自身、自分の仕事として、その過程や仕組みづくりを楽しみたい。それが僕のやりたいことである。

ところで、クレア法律事務所を経営されている、本業は弁護士の「古田さん」という方がいる。プロジェクトニッポンの松谷さんという方から紹介されて知り合ってから、かれこれ8年くらいになる。

その古田さんはまさしく、「ベンチャー支援」をしている。つまり、手弁当でやっているということだ。

Founder Institute(FI)というアクセラレーターがあるが、その東京ブランチを立ち上げ、運営されている。

FIは、Adeo Ressi という起業家が立ち上げたアクセラレーターで、シリコンバレーに本拠がある。

卒業率は7%だったかな?という、かなりシビアなプログラムで有名だ。卒業生には、Evernote の元CEO, Phil Libin もいるらしい。

古田さんに頼まれ、その FI Tokyo で、何度か講演をしたり、メンターとして、参加者の発表にコメントや質問をしたりしたことがある。

実は、5/25(水)にも、メンターとして参加させていただくことになっている。

僕が1990年代後半、ネットビジネスを立ち上げた頃と較べると、日本、特に「Tokyo」の起業環境は見違えるほど充実してきたが、シリコンバレーと較べると、まだまだ見劣りするのも事実である。

ベンチャーキャピタルに集まる資金の金額、ベンチャー企業に投資される金額ともに、シリコンバレーと較べると一桁小さいのは勿論だが、起業して成功し、エンジェル投資家として次世代の起業家に投資をしたり、メンターとして、文字通り、ベンチャーを「支援」する人がもっと増える必要がある。

そういう意味で、古田さんのような方は、とても貴重な存在である。

話は変わるが、僕が株主兼社外取締役を務めるラソナという会社の経営会議を終えて、日本外国特派員協会に向かう途中、東郷公園という公園に、遠足か何かから帰ってきたと思われる保育園(or 幼稚園)の園児たちがいた。

僕は思わず、嬉しくなり(僕は子供が好きだ)、ギャーギャーと騒ぎうるさい子供たちでいっぱいになっている公園の敷地をわざわざ通って、広い道路に出た。

子供の声が「騒音」だと言って、保育園の建設に反対する人達の気持ちが僕には理解できない。

彼らこそ「未来」なのに・・・。

子供たちという意味では、日本外国特派員協会から帰る途中、広尾駅から乗ってきた、小学校高学年もしくは中学生の男の子二人組にも言葉にできない感情を覚えた。

彼らの健やかな成長を願って止まない。

良く言えば「少年ハート」。要するに「バカ」ということだ。

GWが終わり、日曜日の夜から仕事モードに戻った。一昨夜、昨夜と夜遅くまで仕事をしたせいで、体調が思わしくない。何度も書いているが、20代、30代の頃のような体力はない。でも、やらなければいけないこと、やりたいことはたくさんある・・・。

集中力がなく、睡眠不足で心と身体がハイになっているので、気持ちを静めるために、ブログを書くことにした。

今朝、大阪へ向かう新幹線を待つ品川駅のホームで、Peatix 原田さんが4年半前に書いたブログを再読した。そのブログに登場する「藤田遼平さん」という若者とは、昨年のSLUSH ASIAで会っていたが、その時は、その藤田さんが、原田さんのブログで紹介されていた人だとは分からなかった。今朝、藤田遼平さん自身が、原田さんのブログをfacebookにポストしていたことで、彼が、原田さんが「一流のバカ」と形容していた人だと知った。

とても良いエントリーなので是非、一読して欲しい。

そのエントリーで、原田さんはご自身のことも「バカ」と言っている。自慢しても仕方ないが、バカという意味では、恐らく、僕も負けない・・・。

僕がまだ起業したての30代前半の頃、ある女友達が僕を称して「少年ハート」と呼んでいたが、要するに「バカ」ということだ。

同じバカでも、原田さんは御三家と言われる「武蔵」という進学校(高校)を卒業し、大学は米国の名門「Yale 大学」に進んでいる。言ってみれば、「エリート兼バカ」なわけだが、僕は正真正銘のバカである・・・。

でも、最近、浮名を流したミュージシャンが歌っているように、自分は自分にしかなれないわけで、僕という人間を極めよう。

今朝は、もうひとつ、久しぶりに読んだものがある。谷内進さんという人が4年前の今日、facebookに投稿した「ホンダアップル」の会社としてのメッセージ(姿勢)の比較である。

両社のメッセージの詳細は、YOUTUBEのリンクを貼っておいたので、そちらをご覧いただきたいが、ホンダのメッセージに僕がコメントした内容を4年ぶりに読み返して、少々違和感を覚えた。

簡単に説明すると、ホンダのメッセージは「頑張っていれば、いつか夢は叶うとか、努力は報われるとかいうのは幻想だ。たいてい、正義は勝てやしないし、現実の世の中ではよくあることだ。でも、それがどうした?スタートはそこからだ。技術開発は失敗が99%。だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。昨日までの自分を超えろ。昨日までのホンダを超えろ。負けるもんか」ということだ。何だかんだ言って、殆ど書いてしまったw。

それに対する僕のコメントは「HONDAがHONDAたる所以ですね。こういう青臭い?想いが大切だと思います。経済合理性では、人は感動しませんから!」だった。

でも、今の僕は、そうはコメントしないだろう・・・。

ところで、思いの外、多くの人が読んでくれたようで、中にはわざわざ直接、メッセージをくれた人もいたが、今年(おそらく僕の人生で)最大のチャレンジである某ビッグプロジェクトが、思うように進展しない。

理由は単純で、充分な時間を投下できていないからだ・・・。

冒頭に書いたように、「体力の衰え」は「稼働できる時間が短くなる」ことを意味している。

であれば、物事を整理し、自分の人生にとって、敢えて少しカッコつけて言えば、自分が世の中に貢献できないことは、思い切ってバサバサと捨てて、本当に自分が「世の中に価値」をもたらすことができることに集中する必要がある。

さらに言えば、50歳を超えてからでなく、若い時からそういう生き方をして来るべきだった。考えてみれば、結婚して以来、表現は違うが、いつも妻が言っていたことだ。

でも、時間は戻すことができないので、この先の人生をそういうふうに生きるしかない。

さて、話を「今の僕だったら、なんとコメントするか?」に戻すと、たぶん、こうコメントするだろう。

「自分が持って生まれた能力には限界があるし、捨てられないものもある。また、世の中のことは、自分ではどうにも出来ないことの方が多い。恐らく、殆どすべて。でも、自分だけはコントロールできる。でも、それすらも出来ない自分がいる。でも、それが自分でもある。そういう自分を認めて、結果を案ずるのを止めて、とにかく、自分にできることを精一杯やる。それでダメだったら、潔く、それを受け入れる」。

たぶん、そんなことを書くと思う。

品川駅へ向かう山手線の中で考えたが、僕という人間は結局、「自分が傷つくのが怖い(人間)」ということだ。

でも(という接続詞が多くて申し訳ない)、年齢のせいというか、この先の人生を意識するようになったせいか、具体的には、残された時間は少ないということを意識するようになったせいか、多少は変わってきた気がしている。

仮に、失敗しても、上手く行かなかったとしても、いいじゃないか?

でも、自分にだけは負けたくない、と思っている。

僕の人生の目標は、マラソンの有森裕子さんがオリンピックで2度めのメダルを獲った時に「初めて、自分で自分を褒めたいと思った」と言ったように、「一度でいいから、自分で自分を褒められるようにしたい」ということだ。

まあ、それもそう簡単なことではないんだけど、この世を去る時に「どうしてあの時、もっと頑張らなかったんだろう・・・」とは思いたくないから…。

カッコつけずに頑張ろう!ってことだ。

カッコつけずに頑張ろう!ってことでは、Innovation Weekend San Francisco 2015優勝で、Innovation Weekend Grand Finale 2015 準優勝の Lisa Q. Fetterman が、どういう理由か分からないが、僕に「松岡修造さん」のビデオメッセージを送って来たw。

これも「人生はすべて必然」か・・・。

@大阪へ向かう新幹線の車中

追伸その1:次回のエントリーでは、イアン・ブレマーの「スーパーパワー。Gゼロ時代のアメリカの選択」を読んだ感想を書くことにする。備忘録として書いておく。

追伸その2:今朝の山手線の車両で、ベビーカーで、1歳半ぐらいの男の子を連れた、たぶん40代前半と思われるお母さんと一緒になった。何人目のお子さんかは分からないが、とても幸せな気持ちになった。そういうお母さんと子供に優しい日本であって欲しい。

「野菜工場」と「シリコンバレー」。

先日、とあることで、千葉県柏の葉キャンパスにある「千葉大学」を訪ねた。「水耕栽培」や「LED」による「野菜作り」に関するレクチャーを受け、キャンパス内に広がる「野菜工場(研究施設)」を見学するためだ。

レクチャーをして下さったのは、野菜工場に関する日本の第一人者の丸尾教授。丸尾教授の話は非常に分かりやすく、予備知識の乏しい僕にも、日本そして農業先進国オランダの野菜工場の現状がとてもよく理解できた。

日本におけるLEDと水耕栽培による野菜作りは、露地物に対してまだまだコスト競争力がなく、すべての野菜生産量に占めるシェアは、まだ数%と記憶している。

それでも、今から10年後には、野菜の種類によっては30%程度にはなるだろうということだ。

現状はどうか?例えば「朝取りレタス」は「朝10時に店頭に並ぶ(その必要があるかは疑問)」が、そのためには「午前0時」から「投光器」を使って収穫しているという。そんな激務の後継者は見つからないし、親も継がせたくない。

一方、レタスを含めて、野菜の5~6割が「業務用(カットレタス:スーパー、レストラン向け)」になって来ているらしく、となると、味は勿論、食感(歯応え)、色味等は大切だが、見てくれが悪くても問題はない。LEDと水耕栽培によるレタス(に限らない)栽培では、そのような需要を反映した品種開発をすれば良い。

また、ご存じの方も多いと思うが、日本の農業人口の約半分(46.8%)は「70歳以上」。 日本の就農人口は、10年後には確実に「半分」になる!

ひょっとすると、一年中、好きな野菜をリーズナブルな値段で食べられる今の時代は、ある意味、特殊とも言えるかもしれないし、今後は就農人口が減り、国産野菜は値段が高くなり、その野菜の旬な季節しか食べられなくなるかもしれない(丸尾教授)。TPPによる廉価な野菜の輸入は増えるだろうけど、日本人は「国産」が好きだからね・・・。

では、農業先進国のオランダではどうか? DENSO等の「日本の技術(農業ロボット)」が使われているが、それを「オランダの企業」が「システム化」しているらしい。どこかで聞いたような話である。

因みに、日本の技術は、定植日に、開花日、収穫日が予測できるらしい。つまり、光量や温度をコントロールすることで、出荷日を調整することが可能ということだ。凄いことである。

また、オランダには「Glass City」なる「10km x 10km」の広さの「野菜工場の集積地」があるらしい。然るに、ロジスティクスを含めて「労働効率・生産性」を高くできる。

この「集積地」であるが、I.T.の世界で言えば「シリコンバレー」である。

リスクマネー、リーガル(法律)、アカウンティング(会計)、起業成功者によるエンジェル投資、EXIT候補企業(スタートアップを買収する大企業)、起業家を歓迎するカルチャー、グローバルな銀行等が、50マイル内に存在している。

それが、ユニコーンと呼ばれる時価総額「10億ドル」以上のスタートアップ(株式未公開)を多数産む理由である。

日本における「I.T.系スタートアップ」の「集積地」は間違いなく「東京」である。

では、日本に「農業」における「集積地」はあるのだろうか? 現時点では恐らく無いだろう。

シリコンバレーは政策で出来たエリアではないが、オランダの農業の成功には政策が働いているように思う。

政府は事業には介入せず、民間に任せれば良い、という話はよく聞くし、僕も基本的にはそう考えているが、ある程度のモーメンタム(勢い)が着いた後は、New York や London が成功しているように、政府が後押しすることは有効なように思う。

たった半日の「野菜工場ツアー」ではあったが、想像していた以上に「農業」は「サイエンス」であり、「テクノロジー」だということが理解できた。

僕が20歳若かったら、農業ベンチャーをやろうと思ったかもしれない・・・。そのぐらい「可能性」を感じた。

日本には素晴らしい技術がたくさんある。問題は、どうやってそれらを事業化するか?である。

甚だ微力ながら、貢献したい。

「人生」には「今」しかない。「GW」と「ぎっくり腰」。

2016年のGWが始まって4日目。皆さんはいかがお過ごしだろうか?僕は情けないことに、GW2日目、ぎっくり腰をやってしまい、残念なスタートとなった・・・。

原因は自分なりに推測がつく。先々週、New York と Silicon Valley に出張しており、往路のNRT-JFKが約12時間、帰路のSFO-NRTが約10時間、その途中、NYCからSFOまで約5時間の国内線にも乗っており、唯でさえ腰痛持ちの50歳を超えた身体にエコノミーは堪えた。

帰国後はアポが詰まっており身体を休める暇もなく、また、GW初日は、建築中の自宅に行き、次男を右腕で抱えながら脚立を登って3階まで行ったのだが、限界に達していた腰には無謀だったのだろう。翌日、次男にトイレから呼ばれて、彼のお尻を拭こうと思い前屈みになった瞬間、左腰に「ピキピキ・・・」という痛みが走った。これはヤバイ!と思い、すぐにアイスノンで腰を冷やし、スポーツマッサージの先生に電話して、鍼治療を予約した。

40代後半までは、体脂肪率は15~16%。体内年齢は25~26歳をキープしていたが、さすがに、50歳を超えた辺りから徐々にスコアが悪くなり、体脂肪率が17%、体内年齢は27~28歳になった。

ところが、この前の年末年始で帰省中に太ってしまった結果、体脂肪率が18~19%、体内年齢が31~33歳になり、そこから戻せず、不本意なスコアに甘んじている。

因みに、僕の身長と年齢では、体脂肪率18%でも「やや多い」と表示される・・・。

結論として、運動するしかない。要するに、その「時間」を作り出すことが必要になる。

「時間とは最も厄介な資源」だと言ったのはドラッカーである。「形も無いし、目に見えないし、保存もできない」。最後の「保存ができない」という点が最も厄介な点である。

つまり、今、やるしかない・・・。

ドラッカーはこうも言っている。「大きな成果を上げるには『まとまった時間』が必要である」。細切れな時間がいくらあっても、大きな成果を上げることはできない。

「何かを得るには何かを捨てないとね」。テレビ朝日の戦隊ヒーローシリーズ「海賊戦隊ゴーカイジャー」に登場する「バスコ」が言うように「古いものを捨てないと、新しいものは入らない」わけで、時間を増やすか?処理能力を上げるか?そのいずれも出来ないのであれば、新しい何かのために、優先順位の低いものをバサッと捨てるしかない。

「どうしてもやりたいこと」か「どうしてもやならければいけないこと」以外は思い切って捨ててしまう勇気が必要だ。

ところで、facebookの「過去の今日(だったと思う)」という機能が気に入っていることは以前のエントリーにも書いたが、実はこのエントリーで書こうと思っていたことは、何年か前の「5月1日」のことだ。

ところが、facebookで久しぶりに見た、その何年か前の「5月1日」の出来事を思い出すことができない・・・。もう一度、その日のポストを見つけようとしても、facebook の機能は何年か前の「5月2日(今日)」のことを表示するようになっている。

それではと、Timelineの機能で、2013年、2012年の「5月1日」を探してみたが、2013年5月1日には何もポストしておらず、2012年5月1日は、何度やっても途中でスタックしてしまい、数十分ほど使った後、探すのを諦めた・・・。

「後でやろう・・・」は、時間を無駄にするだけということだ。

年齢と共に記憶力が衰えたのであれば、キャプチャーを撮るなり、メモをするなりする必要がある。

人生には過去も未来もなく、「今」しかない、ということだ。

ところで、上述の通り、過去のタイムラインを辿る途中、ここ数年の自分のポスト、特にブログを見つけた。

自画自賛で恐縮だが、それなりにいい事を書いている・・・。

問題は「君は、それを実践できているか?」ということだ。

臨床心理士をしている妻に言わせると、知識や理屈としては知っていても、行動が伴わないのであれば、それは理解できたこととは言えない、ということだ。

まだまだ修行が足りない・・・。

Always do what you say you will do.

New York や Silicon Valley に滞在していても、熊本の地震のニュースが目に入って来る。文字通り、距離を感じるが、何とも痛ましい気持ちになる。お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると同時に、被災された方々が一日も早く普通の日常に戻れることを望みます。

今回の出張も、いつもどおり得るものが多く、とても生産的な一週間になったが、それが年齢のせいか、他の要因かは分からないが、今までは感じなかったことを感じた。

New York 行きのフライトの中で、「杉原千畝(すぎはら ちうね)」という日本人の外交官に関する映画を見た。

彼は、第二次世界大戦中のポーランドで、ナチスドイツの迫害によって祖国を追われたユダヤ人を救うために、本国(日本)の外務省の許可を得ず、2,000人を超える人達に「日本行きの通過ビザ」を発給した。

僕は、2012年6月、初めてロンドンを訪ねた時に、偶然?にも、自分の父親が「杉原千畝」によって助けられたという人に会った。シリアルアントレプレナーであり、Innovation Warehouse というアクセラレーターを運営する「Ami Shpiro」という方だ。

「当時の日本で、組織の命令に背くことがどれほど大変なことかは想像に難くない。自分が今、こうして生きているのは、杉原千畝が父を救ってくれたからだ。日本には本当に感謝している」と彼は言っていた。

杉原千畝は、満州の学校(中学?高校?)を出たらしいが、その学校には、以下の「3つの教え」があったそうだ。

「人の世話になるな」。
「人の世話をしろ」。
「見返りを求めるな」。

僕は、28歳の時に「徒手空拳」で起業し、苦労をしながら頑張ってきたし、1990年代後半のネットバブルの最終列車に飛び乗り、VCから資金調達をし、エクセレントではないにしても、それなりの結果を残してきたと思っている。

そして今は「日本のスタートアップシーンをグローバル化する」こと(に挑戦する)で、今後の日本経済の発展に微力ながら貢献したいと思っている。

でも、いったい自分は何をしたいのか?その根底を自分自身に問い質していくと、結局は、そういう仕事を通じて「社会から認められたい」という欲求に支配されていることに気がつく。

所詮は"自分のため"である・・・。

ナチスドイツという意味では、もうひとつ、「Woman in Gold」という映画を見た。第二次世界大戦中の「オーストリア」で、ナチスドイツの迫害を逃れて、米国に亡命した女性のことを描いた実話に基づく映画である。

また、途中で時間切れになってしまったが、「ネイティブ・アメリカン(インディアン)」と「白人」の戦いを描いた映画で、レオナルド・ディカプリオ主演の「Revenant(帰ってきた人)」という映画も見た。

昨夜、San Francisco でお会いした、こちらに住む日本人の方々から伺った話だが、今も「ネイティブ・アメリカン」の方々が存在し、彼らの保護区のような地域があるそうだ。

極少数となった彼らは、自己の「アイデンティティ」や「米国社会における存在意義」に思い悩み、アルコール中毒や麻薬中毒になってしまう人が少なくないという。

人類は、筆舌に尽くし難い悲惨な歴史のもとに、今を生きている。僕たちの平和な生活は、多くの人立ちの犠牲の上に成り立っている。

ところで、NYCで会ったベンチャー投資をしている、ある男性が、自分のポリシーだと言って教えてくれたことがある。

Always tell the truth.
Always do what you say you will do.
Obey billionaire!

3番目には色々と思うところがあるが、それなりに真実を突いていると思う。

これからの人生を考える上で有意義な出張だった。

at San Francisco Int'l Airport

「責任」を「引き受ける」。

自分で約束した期限は守れなかったが、何とかNYC&Silicon Valley出張前に「宿題」は提出した。清々しい気分だ。

先々週の金曜日から次男の体調が悪くなった。最初はヘルパンギーナ(幼児が感染するウイルス)と診断されたものの、一週間経っても症状が回復せず、先週の木曜日、急遽、予定を変更し、僕が次男を総合病院に連れてった。

診断の結果は「溶連菌感染症」。実は3月下旬にも罹っており、まさか&ひょっとして・・・とは思っていたものの、やはり・・・という結果だった。

物事はそこで収束せず、次は「妻」が感染し、その次は「長男」が感染した。つまり、僕以外の家族全員が「溶連菌」に感染したということだ。

僕は何故か、インフルエンザも、家族全員が感染しても移らない・・・。

というわけで、こうして、成田エクスプレスに乗り、New York 出張へ向かうことができている。

ところで、ETICを通じて知り合い、何度かお話をさせていただいたことのある田坂広志さんが、ご自身の著書のなかで「責任」を「引き受ける」ということを書かれている。

文字上の意味は誰にでも理解できることだし、僕も理解したつもりでいた。しかし、田坂さんがご著書で仰っていた「その意味はとても深く」、僕はその本質を理解していなかったということを理解した。

つい先日のことである。

人間は本能的に、いや、僕のような我儘な人間は、と言った方がよいかもしれないが、冷静に考えれば「やらない選択肢は無い」という事実を理解せず、「やりたくない」という理由で「意思決定」を避けたがり「先延ばし」にする。

でも、よくよく冷静になって考えると、嫌なことでも、あるいは自分が責任を負いたくないことでも、それを「捨てるという選択肢」が「現実的ではない(捨てることはできない)」のであれば、その「責任」を「引き受ける」しかない。

結局はそれが「自分自身にとっても合理的」であり「メリット」を享受することになる。

もうひとつ、別の話になるが、僕は何でも「自分でやらなければ気が済まない人間」だ(だった?)が、それは裏を返すと、結局は「他人を信用しない」ということになる。何でも自分でやった方が満足の行く結果になると思っているわけで、それは傲慢な考え方だ。

当たり前のことだが、大きなことを成し遂げるには、たくさんの人、それも「たくさんの優秀な人達」を巻き込む必要がある。

誰かに任せて、仮に、それが上手く行かなかったとしても、自分にキャパシティが無かったのであれば、結局は出来なかったのと同じことだ。

能力的には出来たとしても、それをする「時間」がなければ結局は出来ないことと同じである。

とある会議での議論で、田坂さんの仰ることの意味が、少し分かったような気がした。

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

アメブロでブログを書き始めたのは2006年4月16日だったので、ちょうど10年になる。先程、過去のエントリーを確認して、その事実に気がついた。

今の仕事を始めた2011年3月以降は書く頻度が激減し、2012年以降はせいぜい月に1~2回ほどの更新しかできなくなった。2015年は年間で僅か1回だった。

色々と心境の変化があり、また、心境だけでなく物理的な変化もあり、数週間前から、またブログを書くようになった。10年を意識したわけではないが、ある人に、Wordpress で僕のオリジナルブログページを作成してもらっており、近いうちにアメブロから引っ越す予定である。

何かをするには時間が要る。ブログを書くのにも同じように時間が必要だ。

年齢のせいするのは哀しいが、歳とともに体力は確実に衰え、長時間労働はできなくなる。しかし、やるべきこと、やりたいことは減るわけではない。となると、自ずと「何かを捨てる」必要が出てくる。

実は「書きかけ」のエントリーに、10代の頃のことを書いた。当時の僕は「あわよくば」ミュージシャンになりたい!と思っていた。でも、世の中、あわよくば・・・なんかではミュージシャンにはなれない。

本気でミュージシャンになりたいと思い、毎日毎日、死に物狂いで練習し、曲を書いてもなれない人が殆どであり、仮になれたとしても、ミュージシャンで食べていける人は極々一握りだろう。

あわよくば・・・なんかでなれてしまったら、そういう人達に失礼だ。

何事も「成功する保証はない」。二度と戻らない時間が過ぎ去った後でなければ、そのことが成功したか、それとも失敗したかは分からない。

つまりは「失敗しても構わない」と思えることでなければ、勝負はできない。

男は何かの勝負をする時、「負けることを覚悟する必要がある」と、僕が好きな「相田みつを」が書いていた。

ところで先日、facebook のポストで、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文会長の辞任に関してコメントするような経営に関する知見はないと書いたが、「老害」批判一色の報道やコメントには違和感を感じるところがある。

確かに、それこそ、いい大人が、記者会見の席でお家騒動の話を延々とするのは興冷めな話ではあるが、周囲の猛烈な反対を押し切ってセブン・イレブンを開業し、同様に猛烈な反対を押し切ってセブン銀行を立ち上げてきた功績に対する敬意を表さないのは、失礼な話だ。

また、僕はどのような方かは存じ上げないが、セブン・イレブンの井阪社長の交代人事提案に関しても、世の中が批判している「世襲」に関する噂は噂でしかないとしたら(という前提だとして)、鈴木敏文会長ならではの「嗅覚」があったのかもしれない。

あれだけの経営者が、最高益を更新している最中の会社の社長交代を提案するには、それなりの判断があったのではないか?という気もする。いずれにしても、後味の悪い結果だったことは間違いない。それも鈴木敏文会長の責任と言えばそれまでだが・・・。

話を元に戻すと、僕は「あわよくば」のミュージシャンを諦めた後は、また「あわよくば」で俳優を目指し、オーディションには受かったが、負けを覚悟してまで勝負する勇気は無かった。僕にとっては、それだけのことでしかなかったということだ。

あと7年という年月が過ぎれば、僕は還暦を迎える。インタースコープというベンチャー企業を立ち上げ、Yahoo! Japan に売却するまでの時間と同じである。

中学生の頃、地元(福島県郡山市)の本屋が、本を買った客に配っていたカバーには、こう書いてあった。

「あの本を読めば、この本は読めない。読む価値のある本は、買う価値がある」。

これからの7年間。「積読」というわけにはいかない。

「人生は短い」。

祝「起業25周年」。父の思い出。

桜の季節になると、父のことを思い出す。今日(4/4)は父の命日。昭和6年4月27日に生まれ、昭和62年(1987年)4月4日に亡くなった。55歳だった。

父には色々なことを教わった。

「いいか、世の中には2種類のタイプの人間がいる。一人は自分で経験したことからしか学べない人間。もう一人は、本を読んだり、歴史から学んだりできる人間だ。何でも経験できるに越したことはないが、人生の時間は限られている。ところで、お前はどちらの人間だ?」

僕がいくつの時のことだったかは忘れたが、その時の父の気持ちが、今は痛いほどよく分かる。というか、申し訳なくて、涙が出そうになる…。

大腸ガンになり、あまり先が長くないと知っていた父は、ある時、僕たち3人兄弟を病室のベットの足元に立たせて、ひとりずつ、説教をした。僕に対しては、こんな話をした。

「お父さんが生きていれば、お前が結婚する時には、マンションの頭金ぐらいは出してやれる。事業を始める時には、資本金ぐらいは出してやれる。でも、これからは一切、そういう援助は無いと思って生きていけ。それがどういう意味か分かるか?お前の友達が一万円を使うとき、お前は五千円しか使えないぞ。もし、お前も一万円を使いたいなら、友達の2倍のおカネを稼ぐ必要がある」。

放蕩息子だった僕も、こうしてブログに書けるほど(今までにも何度か書いているし、「挫折のすすめ」にも書いた)、よく憶えている。

実際、周囲の友人たちが結婚するようになり、僕は父の言葉の意味を理解した…。

もし、今、父が目の前に現れたら、僕は何と報告すればいいだろうか・・・?

子供(おそらく、特に男の子)の躾や行動は、「父親」の日頃の行動に強く影響を受けているという。

天国の父親にこれ以上、心配を掛けないように。そして、子供たちが立派に育っていけるように。日々の感情や怠惰な心に流されず、少々のことにへこたれず、立派な人間になれるように・・・。


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