ホイアンナのエーデルな日々
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遠いんだ

もし、タクシーで10分くらいで
着くような場所にいたら、と、
考えても仕方ない事なのに考えてしまう。

観たかったな。
聴きたかったな。

気持ちだけ飛ばすとかいうけど、
飛ばしたってどうにもならないもん。

なにも、見えないもん。
なにも、聞こえないもん。

まだまだ、自分のショックさえ
捉えきることが出来なくて、
思い出すと呼吸が苦しい。

観たかったな。
聴きたかったな。

嬉しかった。

本当に嬉しかった。

何もかもが嬉しかった。
とっても恐かったけど、
勇気を出せて良かったな。

そして私は、
相変わらず何も変わってないね。

呼吸が素敵。
なにもかも、っていうのは、
結局、呼吸に帰結する。

あたりまえのこと

私は、何も変わらず、
とてつもなくあなたのことが好きで、
ピアノが弾きたい。

それだけ。

風の日

今日は風の日。
平地にいても山にいるときのような風。

ありがとうを
風に乗せたら地球の裏側まで
すっ飛んでいってしまうかな。



そのまま。

どんなに割れてても、
どんな苔が生えてても、
どんなにギザってても、
どんなにグラグラでも、
どんな岩でも、岩は岩。

どんなあなたでも、
あなたは、あなた。



どうして

どうして、私をひとりにするの?

どうして、一緒に来てくれないの?

ひとりで立ち向かうの?

ひとりは嫌だよ。

ぐわっと。

私はもともとクラシック音楽の
教育を受けていたこともあり、
自分の感情を本気で動かしてしてくれる
音楽はクラシックなのです。

音楽はほんとに何でも好き。
気分はどんな音楽でもかわるもんね。

気分と感情は違うじゃない。

すごくすごく深いところから
感情がぐーっと上がってるくる感覚を
持てるのはクラシック系。

先日から突然、合唱曲聞きまくってて。
東混すげー!みたいな。

そしたら、涙がポロポロポロポロ
出てくるのですよ。
顔が溶けるんじゃないかってくらい。

声の重なりってすごい力なのね。

ほとんど溶けた顔をぶら下げて、
私は、やがてそのひとつひとつの
和音のなかに、ずっと大好きな人の存在を
感じ始めたのです。

ひとつひとつの和音が、
私の体の細胞にどんどん働きかけて、
好きだという気持ちを感じられることの
興奮と喜びを絶叫させていました。

涙は別のものの浄化なんだろう。
そして、細胞の喜びは本物なんだろう。

じっと動かずに、
味わいつづけたい瞬間だった。

本当は。

本当は行きたい。

本当はそこに座っていたい。

でも、もう勇気がでないね。

ごめんね、私。

悲しいね。

でも、この悲しみも含めて
自分が選んだことなんだよね。

もちろん、納得している悲しみ。

作るもの、発するもの、
すべてを味わいたい。

それができたら
どんなにか幸せでしょう。

さらさら

七夕が晴れてた記憶も
あんまりないけど、
今年は雨がいいな。

織姫と彦星が会ってる様子、
特に見たくはないもの。
うらやましいじゃない。

まぁ、そもそもさ、
向こうの時間軸だったら、
意外に年中会ってるふたり、
みたいな感覚かもよ。

え、もう?1年てはやいね。
みたいな。

週末に会ってる感覚かもよ。
あれ。もっと羨ましいじゃないか。

会えるっていいな。

久々に。

なんか、久々に書きたくなって。

私の毎日は、
いろんなものを切り捨てて、
とても純度が上がってる。

いろんなことの
謎が解けたりもしてる。

そうやって、
表面的に変化を起こしつつ、
わたしの心の中にある
とても大切な気持ちはぶれていなくて。

その事をたまには
記録しておこうと思い立つ。

自分の気持ちを、
まだ信じられている自分が
ここにいますよってこと。

変えない、と、意地になって
いるわけでもないのに、
むしろ、風にたなびくようにしているのに、
変わらずにここにあります。
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