黒田龍之助さんといえば言語に関する様々な方面での著作の多いことで有名です。このブログでも何冊か紹介しましたし、これからも紹介すると思います。
今回はそんな氏の原点ともいえる、ある語学学校について回想した本を紹介します。その名も『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』。
ロシア語に興味を持った高校生・黒田龍之助が勧められて入った「ミール・ロシア語研究所」は、代々木の雑居ビル「平和ビル」に教室を構える入門科・予科・本科・研究科に分かれた昔気質の学校。
カリキュラムは、ひたすら発音・暗唱。教科書の文を予習で覚えて、教室では時に口頭で露文和訳、和文露訳。ウダレーニエ(英語のアクセントにちかいもの)をあえて不自然に聞こえてでも強め、長めに発音しなければなりません。東多喜子先生の言う通り「音を作る」と評された指導方針ですが、「発音はネイティブに習うより、日本人の専門家から指導されたほうがいい。」(p.24)との黒田先生の指摘には深く納得しました。ネイティブが聞き取れればそれでいーじゃん、ではイカンのです。
ミール・ロシア語研究所は知る人ぞ知る学校だったようです。黒田さんが通訳のバイトでご一緒したプロ通訳は最初キビシク接していましたが、ミールで習っていると聞くや態度が一変。自分もミールで習った、才能あるわと励ましたそう。実力を鍛えてくれる学校だったのです。
個人的には、角田安正さんが生徒、そして講師としてミールに居たのに驚きました。原文が英語の『菊と刀』の訳がロシア文化も対照しての深い洞察に基づいたものに仕上がった原点がここにあったのかと考えると、その偉大さが分かります。
どの学校にもある出会いや別れもミールならではのものが。高校生から社会人までみんな同じ方法で愚直に学んでいました。後にロシア文学の大家となる大学生・貝澤哉さんとも出会う一方、優秀で親切だったのにあっさりとやめてしまうエリートもいました。
彼女だけではない。このような優秀なタイプにかぎって、実にきっぱりとロシア語に見切りをつけてしまう。もちろん多喜子先生も残念がるのだが、外国語は本人のやる気がなければ、誰も強制できない。去りゆくうしろ姿を見送るしかないのである。
わたしは考えた。
優秀でないわたしにできるのは、止めないことだけだな。
(p.60)
今、プーチー・プーによる笑えない笑い話より笑えない戦争がただでさえ遠い国をますます、ソ連よりも遠い国にしています。それ以前にこの21世紀では教師が身を削って生徒に寄り添って教える教育スタイルが消えつつあります。ミール・ロシア語研究所もその流れに逆らえませんでした。そんな学校が2013年まで存在できたこと自体奇跡に近いものがあります。
それでも、ひとつの学校を軸にした「ロシア語が勉強したいだけのヘンな高校生」(p.164)の青春は、何があっても色あせないでしょう。
-¿En Londres hace tan mal tiempo siempre como así? ¿Cuándo es el verano?
-Es una cuestión algo difícil de contestar. El verano pasado fue el miércoles.
(「あなたがたのロンドンでは、いつでもこんなに天気が悪いのですか? 夏はいつなんですか?」)
(「どうもお答えするのが難しいですな。去年の夏は水曜日でしたがね」)(p.38)
『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』
黒田龍之助
現代書館
高さ:18.8cm 幅:13cm(カバー参考)
厚さ:1.5cm
重さ:232g
ページ数:188
本文の文字の大きさ:3mm