これまで何十年も好きで、この先もずっと好きなままだろうと思っていたアーティストがある日突然自分の中の圏外に落ちてしまうこと、ありませんか。

 

例えば、自分の中での好きなアーティストのベスト5に入れているような人だったのに、新曲がリリースされているのを知りながら、まったく興味が湧かず聴かないというようなことになってしまう。

 

自分にはつい最近そういうことがありました。

 

なぜなのかが分からず、自分の中でそれがすごく引っかかっていて、頭の中を整理していました。

 

あんなに好きだったのになぜ心が離れたのか。その理由が最近分かりました。

 

アーティスト側から、昔の曲を聞きたいですよね、だって昔の曲のほうがいいですもんねという空気を醸し出された時に気持ちが切れてしまうのです。

 

演歌歌手じゃないんだし、ファンの気持ちにあからさまに寄り添ってほしくないんです。

 

昔の曲のほうがよかったと言うファンはよくいます。けどそれは楽曲そのものだけではなく、ファン自身の思い出や思い入れが入った上で言っていることだし、アーティストが望んだことではありません。


昔の曲のほうがよかった=今の曲はよくないとも受け取れるわけで、アーティスト側からするとこれ以上の屈辱はないのではないかとすら思うのです。

 

なのにそれを自分から言ってほしくはなかった。最新アルバムが最高だという態度でいてほしかった。昔の曲はファンからの要望があるからやっているのだというスタンスを貫いてほしかった。

 

ローリング・ストーンズはライブで昔の曲をやることが多いです。ですが最新アルバムは最高にかっこいい。あれは過去の成功に生きているバンドがやる音楽ではありません。そういうことなのです。

 

自分が変わったのか、アーティストが変わったのか、それとも自分が変われなかったのか、それは分かりません。

 

昔の曲のほうがよかったというファンをあまり信用していないというのは昔から変わりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと前から気になっていた「82年生まれ、キム・ジヨン」を見ました。

 

予告はこちら。

 

 

原作が話題になり、その映画化です。原作は未読。

 

男性だから、女性だから、あいつらは分かってない、こっちも苦しいんだとかそういったものを超えて、この作品がどういう意味を持っているのかを考えなければならないと思いました。

 

人は生まれてくると誰かに育ててもらうことから逃げられないし、避けられません。生まれた瞬間から1人で生きていくのは不可能です。

 

よくも悪くも自分を育ててくれた存在から影響を受けることが避けられず、肯定否定に関わらずそれを完全に払拭するのは難しいです。

 

違う時代を生きた人に、今の時代の生き方についてあれこれ言われてもあまり参考にならないのですよね。なぜなら今は時代が変わってその考え方はもう古いから。誰もがかつて同じことを思ったはずなのに、年を重ねると忘れてしまうのはなぜなのか。

 

あなたは育てた子供が大人になったら1人の人間として認めるのか否か、という問いを突きつけているようにも思いました。

 

こういった世代間のギャップとは別の側面で、今の社会は大きな問題も抱えています。

 

企業の論理での効率を考えると、職場に人を集めて働くという仕組みは適しているのでしょう。けど働いている人たちは、それと引き換えに大きな代償を払っているのではないかと。しかもそれは人類の存亡がかかるレベルでの代償。

 

顔を合わせていない時間が長いほうがお互いのためになるという考え方もあるでしょう。ですが子供は2つに分かれてくれないわけで。

 

男が変われば話は済むというような簡単な話でもなさそうです。

 

ひとつ確実に言えるのは、女性の人権を軽く見ている男性は、遺伝子を残さず孤独に生涯を終えてくれたほうが人類のためになるということ。

長年ずっと通っているお気に入りの飲食店があって、味はもちろん店員も最高、店長はその業界ではトップを走る有名人。

でもその有名人の店長は長年に渡り授業員に手を出していて、競合するほかの飲食店に圧力をかけていたと知ってしまった。

あなたはどうします?その店に通い続けますか?という話なのかなと思った。

元従業員に向かって「なぜ言ってくれなかったんですか」と、競合する飲食店の店主に向かって「なぜ告発しなかったんですかと」と、同じ常連客に「あなた知ってて通ってたんですか」と言えますかと。

 

強大な権力に立ち向かうのは刺し違える覚悟がなければできない。

 

沈黙を強いられ声を上げることができなかった時代は終わり、言える時代になった。潮目が変わったということ。

 

数年前に、ハリウッドのプロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインを告発した事件の顛末を描いた”SHE SAID その名を暴け”という作品がありました。この作品を見ると、権力を持つ加害者を告発することがいかに難しいかが分かります。

 

加担した者全員を再起不能になるまで罰しろとは言わない。しかし、ぼんやりした話に終始し、なかったことにしてはいけないとは思います。

 

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」

これです。

宮崎駿監督の新作「君たちはどう生きるか」を見てきました。

 

いまだ公式HPも予告もなく、「宣伝をしないことで宣伝をする」という前代未聞の手法がとられたこの作品。

 

ネタバレを避けるために公開3日目に見てきました。

 

ネットではさまざまな感想が上がっています。批判的なもののほとんどは、昔の作品ような娯楽活劇を見たかったという論点に集約されているのではないかと思います。

 

しかし、思い返してみると、宮崎駿監督は過去に一度でも分かりやすい作品を送り出したのかという疑問が残るのです。「ナウシカ」は物語の構造がとても複雑でしたし、特大ヒットをした「もののけ姫」も、こんな分かりにくい作品がなぜここまで受け入れられて大ヒットしている?という感想を持ちました。

 

何を求めて映画を見るのかという点で齟齬があると、議論は永遠に着地しません。お金を払った分だけ楽しませてもらいたいのか、それとも作品から何かを得ようとしているのか、それともまた別の何かなのか。

 

宮崎駿監督は80歳を超えています。そして世界のアニメファンのみならず映画ファンがその新作に注目するような監督。昔のような作風に戻れと言うのはちょっと酷な気がします。もちろん監督ご本人にそのつもりもないでしょう。

 

個人的には宮崎監督は映画作家だと思っています。「君たちはどう生きるか」は、映画作家が作った映画という視点で見ないとなかなかツラいのではないかなと。

 

宮崎監督は、誰もが楽しめる娯楽活劇なるものを過去に一度も作ったことはないのではないかと思います。

 

*以下、物語には一切ふれませんが感想を書きます。知りたくない方はここで閉じてください。

 

先日、10年来の知人(アニメ好き)と感想を話しまして、ある作品がキーワードとして浮かんだという点で一致しました。それは黒澤明監督の「夢」。この作品の公開年度は黒澤監督が80歳の時で、今の宮崎監督とほぼ同年代です。

 

なぜこの作品が浮かんだかというと、両作品とも監督の頭の中にある強烈なイメージをコラージュした内容だということ。

 

それを延々見させられてウンザリした人もいるでしょうし、画の迫力に圧倒された人もいると思います。ちなみに自分は後者でした。

 

どの感想が正しい正しくないという議論は不毛なので、自分はこう思ったという記録として残しておきたいと思います。

 

9年前の2014年に書いたこのブログ。

 

CMにCGのオードリー・ヘップバーンが出てきて驚いて書いたものです。

 

その時に、将来俳優はCGデータを売る存在になるかもなんてことを笑い話のつもりで書いたのですが、今ハリウッドで起きている俳優組合のストライキの理由の一つに、AIに職を奪われるかもしれない危機感があると知りました。

 

有名な役者さんならば、自分の演技のデータを作ってそれを売るということも可能でしょうが、現実は有名でない人がほとんどです。

 

「トイ・ストーリー」が作られた時に「この作品がうまくいった要因の一つは、出演者が誰一人として自分のアップのカット数に不平不満を言わなかったからだ」と書いてある記事を読んだことがあり、そういうことにウンザリしているというのも、俳優を排除したい理由にあるのかなと思ったりもします。ギャラの交渉もしなくて済みますし。

 

個人的には、生身の人間が出てこない実写作品に興味はありませんし、観客がそれを望んでいるかも分かりません。

 

大ヒットした作品のアルゴリズムをAIで解析して、ヒット間違いなしの作品を作る計画という話も目にしたことがあります。

 

こうなるともう映画ではなくアトラクション。才能が出会って偶発的にできあがったすばらしい作品は生まれなくなり、仕掛けられたとおりに感情を誘導されるだけの見せ物になってしまう。そんな気がします。

 

一つ言えるのは、チャップリンやギリアム、キューブリックやスコットが描いた未来はそぐそこまで来ているということです。AIが描いた想像の未来に誘導される時代が来ませんように。

 

「怪物」を見てきました。

 

HPはこちら

 

予告編はこちら

 

是枝裕和監督はほぼすべての監督作品で

脚本も書いていますが

今回はカンヌ受賞のニュースでご存じの通り

坂元裕二が脚本を書いています

 

いつものようにストーリーには一切触れません

 

とにかく不穏な空気に包まれた作品

ザワザワ感というかモヤモヤ感というか

嫌な予感に包まれ続けてとても居心地が悪い

そんな作品

 

いろんな人が指摘しているように

今回も子役の演技が最高だった

どうやってあれをカメラに収めているのか

別の人が同じやり方してもうまくいかないと思う

 

この作品を見た後

子役がメインの別の作品を自宅で見たのですが

見ていて辛くなってきた

 

 

脚本を自分で書かず依頼したということから

これまでとは違うことにトライしているように

思えた

 

もしかすると

鑑賞中にちょっとした違和感を覚えたのは

そのせいかもしれない

モヤモヤザワザワはそれかもしれない

 

つまらないとかおもしろくない

というわけではなく

高次元でうまく融合しなかったというか


「怪物」って誰だろうとか何だろうとか

そこを探るのはあまり意味がない気がした

 

そこは重要ではない気がする

探ったとしても凡庸な着地をしてしまいそう

 

自分の中の怪物を探る旅をさせる作品かも

しれません

 

 

最後に、この作品の上映サイズはスコープです

調べてみたのですが、これまでの是枝作品で

スコープなのは「三度目の殺人」だけだと思います

 

映画泥棒の映像がスクリーンの端まで

映し出されたとき

ちょっとした驚きがありました

 

それも違和感の一つかもしれません

 

芸能やスポーツなどで

何かに秀でた才能がある人って
昔はある程度のやらかしが許されていて

多少人格に欠陥があっても
この人は一芸に優れているから
ほかの人にはないものを持っているから
みたいなことで許されていたような空気が

ありました

でも今は違っていて

Jリーグなんかは入団してすぐに
プロとしての心構えをレクチャーされる

もう時代が違うわけです
秀でているから許される時代はもう終わった

芸のためなら女房も泣かす
それがどうした文句があるか


みたいなのをやってたら大問題になる
パワハラモラハラになってしまう

 

お互いに納得してるならいいという話ではなく

でも
それが許されていたからこそ
優れた何かが生み出された可能性も否定できず
難しいです
 

守ってあげる人がいなくなったのかな
という気もしたり

マネジメントしてコントロールする人
と言いかえてもいいかもしれない

 

もし「アマデウス」に出てきたようなモーツァルトが

現代に生きていたらどうなっていたでしょう

 

 

坂本龍一さんが残念ながらこの世を去りました。

亡くなってから、その存在の大きさに改めて気づかされた人も多かったのではないでしょうか。

 

「戦メリ」「ラストエンペラー」もリアルタイムで見た世代です。特に「ラストエンペラー」は最後に立ち見した作品として心に刻まれています。「戦メリ」は松竹セントラル1、「ラストエンペラー」は丸の内ルーブル、「スネークアイズ」歌舞伎町の映画館で見ました。すべて今はもうない映画館です(「シェルタリング・スカイ」は自宅鑑賞)。

 

オスカー授賞式後のインタビューで「ベルトリッチのリクエストに応えるのが大変だった」というようなコメントを耳にし、確かリドリー・スコットの音楽を手がけた人も同じようなことを言っていたなと思い出しました。

 

坂本さんはプロなのだなと改めて思った瞬間でした。演奏技術のレベルの高さや作品の素晴らしさももちろん大事でしょうが、クライアントの要求に応える確かな技術を持っているのが真のプロ。しかもそこにクリエイティブな要素が詰まっている。誰にでもできることではありません。

 

調べれば分かりますが、坂本さんがオスカーを受賞した「ラストエンペラー」以降、日本人はノミネートすらされていません。

 

目指していないとか目標にしていないという話以前に、日本人のアーティストが海外作品の映画音楽を手がけて話題になったというニュースすら見かけたことがないですし、もしかしたらノミネートされるかも、といった話も聞いたことがありません。

 

グラミー賞では受賞してる人がいるだろとおっしゃる方もいるかもしれません。もちろんそれはそうですけど、音楽に関心がなくても知っている人物でしょうか?と思うのです。


最後に、日本の歴代興行成績ランキングを見ると、アニメが7作品、国内作品が同じく7作品を占めています。これは世界的に見ると少々異常な現象で、日本全体の空気が内向きになっているのではないかという、外国に関心がなくなっているのではないかという危機感を覚えます。
 

コロナ禍の影響も若干ありますが、今パスポートを持っている日本人は2割以下です。

クレムリンが攻撃されたというニュース

世界で最も強大な国のひとつなのに
アメリカで起きた同時多発テロのような
周到に計画されたものでなく
ただのドローンに攻撃されたというのは
かなり恥ずかしい事態

普通に考えてフェイクだと分かる
現代の戦争は情報戦でイメージ戦略がものを言う
ロシアが弱さをアピールしたのは
弱い者いじめのイメージを払拭したいから

プーチンは独裁者で敵には容赦しない
自分を守る手段にも長けている

すべては
国を守るためではなく自分を守るため
権力者は誰かの犠牲になる気などさらさらない
それは歴史が証明している

 

国家という制度が始まってから

国を守るために自身を犠牲にし粉骨砕身した人物が

1人でもいただろうか

 

振り返って日本を見てみると

あの人は国を守るために戦ったと

だから犠牲になってしまったと

偉い政治家だったと言っている人がいる

 

見ている世界が違うのではない

視点や意見の相違でもない
 

政治家のイメージ戦略に引っかかっているだけ

 

国を守るために立ち上がった政治家などいない

権力が欲しくてそこにいるのだから

 

兵士に死んでこいと命令した上官は

畳の上で死んだという事実を忘れてはいけない

「劇場版 きのう何食べた?」を見ました。

 

HPはこちら

 

予告編はこちらです

 

原作はコミック、テレビドラマ化されて話題となり、その映画化作品です。原作は未読、ドラマは見ました。

 

LGBTQカップルのありふれた日常を描いた作品といってしまうと大ざっぱすぎるかもしれません。でもほぼこれで説明がつくのではないかと思っています。

極端な話をすると「となりのトトロ」レベルで何も起こらないです。でも退屈させずに最後まで見せきります。

それは、シロさんが作る料理だったり、2人の何気ない会話だったり、周りの人物たちがそれぞれきちんと描かれているからなのでしょう。

 

そして役者陣の素晴らしい演技。主役の2人はもちろん、脇役陣もです。特筆したいのが磯村勇斗さん。「ヤクザと家族」のギラギラした感じとはまるっきり違うキャラで、しばらく気がつきませんでした。というか、ドラマはクレジットを飛ばしていたので出演されていること自体知らなかったのです。同じ顔のはずなのに…笑

 

なぜ久しぶりの更新でこの作品を取り上げたかというと、LGBTQは嫌いだからこの映画も嫌いだと語っている人をあちこちで見かけたからです。

 

なぜ他人に迷惑をかけずに普通に日常を生きている人たちを、そういった人たちを描いた作品を嫌うのでしょう。あなたの人生になんの関わりもない人たちを、自分が嫌いだからという理由で切り捨てるのはどうなんだろうと思ったからです。

 

トマトが嫌いだからトマトは地球から消えてしまえという話とはだいぶ次元が違います。

 

実は「あなたが生理的に嫌いでまったく受け付けないけど、あなた自身には全く迷惑をかけていない人がこの世に生きていて、生き続けていくことを許せますか?」「あなたは誰かの生きる権利を軽率に脅かしてはいませんか」という、ものすごく重い問いかけをしているような気がしました。人間を人間として受け入れるということはできませんか?と。

 

とはいっても作品自体はそこまで重たくありません。原作やドラマが好き、料理が好き、出演者の誰かが好き、以上に当てはまれば必ず楽しめます。