3月末、いつもなら桜満開の長良川沿いも今年は蕾、楽しみにしていたのに・・・4月1日にバロック音楽のリュート奏者 佐藤豊彦さん(オランダハーグ王立学院教授)、奥様のバロックソプラの歌手の千代美さん(新作の「うつろい」は目から鱗の素敵なCD) 宅を亜子姫と熊本の荒尾に訪ね、御庭の八部咲きの桜にやっと出会えた! 桜を見ると何とも幸せ、有難い!!
「世界がかわる シマ思考」が発刊された。離島経済新聞社の鯨本編集長が中心になってまとめられた本だ。僕も少し参加させて頂いたが、その折は全体がまだよく見えておらず、今回、本を手に取って初めて全体が見えてきた。離島というより田舎、あるいは地域分散型の社会に必要なものが何なのか、あらためて考えることが出来る良い本に仕上がっている。解剖学者の養老先生や霊長類学舎の山極先生が推薦されるだけの内容だ、是非に読んで頂ければと思う。
人間はいくつの細胞で構成されているのか? 何十年か前には60兆個と習った覚えがあるが、2004年には37兆個で、さらに500種を超える細菌が体内に存在し、その細胞数は100兆個以上になると報告された。最新の報告では、平均的な男性の身体は30兆個の細胞で出来ており、40兆個の細菌が含まれることが明らかになっている。
細胞には体細胞、幹細胞、生殖系列の3種類がある。体細胞は、組織や器官を構成する細胞で、約50回分裂すると分裂をやめてしまい、死んでゆく(アポトーシス)。失われた細胞を供給するのが幹細胞で、卵や精子をつくるのが生殖系列の細胞である。共に生涯生き続けるが、ゆっくりと老化する。老化した幹細胞は分裂能力が低下し、十分な細胞を提供できなくなる。血液や免疫細胞をつくる造血幹細胞などが老化すると、感染した細胞や異常細胞の除去が出来難くなる。
組織の細胞の入れ替えは、新しい細胞の供給と老化した古い細胞の除去が必要になる。これには、細胞自身が「アポトーシス」という細胞死を起こして内部から分裂、あるいは免疫細胞によって食べられて除去される必要があるが、加齢した個体の老化細胞では、除去が起こりにくくなる(残留)。老化した残留細胞はサイトカインを周囲にまき散らし、炎症反応を持続的に引き起こし、その結果、臓器機能を低下させ、糖尿病、動脈硬化、ガンなどの原因となる。本来、サイトカインは、傷ついたり、細菌に感染された細胞を排除するために炎症反応を誘導し、免疫機構を活性化させる「生理活性物質」とも呼ばれるタンパク質なのであるが、それを老化した残留細胞が暴走させてしまうらしい。
細胞が新しく入れ替わっても老いる原因は細胞の老化による情報のコピーミスが積み重なるためで、加齢によるDNA変異の蓄積と共に、ガンなどによる死亡率が急激に増加する55歳ころが、生化学から考えられる人の寿命と最近では言われている。
30年ほど前に「ゾウの時間、ネズミの時間」という本が出たが、哺乳類動物の生涯総心拍数20億回仮説から考えると、人の寿命はおよそ50歳になる。人間とほぼ遺伝情報が同じゴリラやチンパンジーの寿命もおよそ50歳であることを考えれば、人の寿命55歳説もどうやら正しいように思える。
では、我々は55歳を過ぎてもなぜ生きているのか? それは哺乳類の中でも極めて珍しい現象で「老後」という。 哺乳類の中で老後を持つのはヒト、シャチ、ゴンドウクジラだけで、人間の老後はその中でも圧倒的に長い。老後のある生物は例外的で、ふつうは無い。つまり、子供が産めなくなったらすぐに寿命を迎えて死んでしまうのが生物の基本なのだ。
なぜ、老後があるのか、老後の存在は、それぞれの生物の共通の祖先から受け継いだ性質ではなく、その種固有の性質と言われているが、一つに「おばあさん仮設」がある。森から地上に降りて2足歩行を始めた我々の祖先は、足も遅く、力もなく、外敵に容易に襲われていたのだろう。そのために、毎年子供を産むことが出来るように進化したものの、少なくとも4-5歳までは付きっきりで育児が必要になり、それを子供が産めなくなったお婆さんたちが担当することで老後が始まったというのである。今でも、お爺やお婆の加齢臭に子供が惹きつけられるのは、その名残なのだろう。
現在、およそ30年にも及ぶ老後を我々は持っているのだが、それをどう使うべきなのだろうか。歴史的に見れば、これは子供たちのための時間であり、多くの経験をもとにその知恵を後世に伝えるためのものでもあろう。当に利他的な心を持って社会に尽くす時間といっても良いのかもしれぬ。
しかし、残念ながら現実には21世紀だというのに、あちらこちらで戦争が続き、政治家の裏金問題や詐欺などの胡散臭い話が毎日のように報道される。地球環境問題は誰でも知っている時代になってきたが、その対策は遅々として進まぬ。それは、自分を中心とした(利己)今、だけを見ているからだろう。今、豊かで幸せだと思うことが、未来にとってはとんでもない不幸せをつくっていることも多い。30年後の未来の子供たちに手渡せるステキなバトンとはどんな形をしているのだろうか、30年後の憧れの島にはどんな笑顔が詰まっているのだろうか、そんなことを考え続ける老後があってもよいのではないかと思う。