ビジャレアルラボ -Laboratorio Villarreal-
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ビジャレアルジャパン代表としての活動無期限停止について

■ビジャレアルジャパン代表としての活動無期限停止について

このままブログを放置したままだと気持ちが悪いので、ビジャレアルジャパン通信メルマガ限定でお届けしていた昨年秋の「スペイン滞在記」の公開とご挨拶を添えておきます。

結論から申し上げますが、今月末を持ちましてクラブ公式応援団体「ビジャレアルジャパン」の代表としての全ての活動(メルマガ、Twitter、amebaブログ、ホームページ等)を無期限で停止いたします。
「無期限停止」にしたのは、仮に来季1年で再び1部に復帰しても活動再開はお約束できないということです。

私が決意した背景は、決して今回12シーズンぶりにビジャレアルが降格したことが理由ではありません。

クラブの経営方針がぶれて、ビジャレアルの補強、選手ラインアップ、監督、サッカーの内容全てが変わってしまい、もはや私が熱を入れて応援していたビジャレアルではなくなってしまったというのが最大の理由です。

なので、降格して2部になったからもう応援するのはやめるという短絡的なことではありません。

ただ、メルマガに関して言えば、降格したのが決定打になりました。
なぜなら皆さんにお伝えするためのネタ・情報がセグンダになってしまうと物凄く少なくなってしまうためです。
有益な情報でなければメルマガを有料で配信する意味が無いですし、私自身もそこまで労力をかけて気持ちが離れているチームのわずかな情報をかき集めるようなことはしたくありません。

私がビジャレアルを応援し始めて10年、ビジャレアルの日本の応援団体「ビジャレアルジャパン」を設立して4年が経ちました。
ビジャレアルを応援し始めたきっかけはこれまでに何度もご紹介していますが、大好きだった元アルゼンチン代表MFファン・ロマン・リケルメが03/04シーズンにバルセロナからのレンタル移籍でビジャレアルに加入したことです。
それ以来、南米選手とスペイン人が絶妙に融合していて、ボールを1タッチ2タッチでリズム良く回しながら「ボールポゼッション&ショートパスサッカー」を繰り広げて躍進し続ける小さな街の新興チームの虜になり、リケルメがチームを離れてからもずっとビジャレアル一筋で応援してきました。

リケルメからマティへ、マティからカプデビラへ、カプデビラからロッシへ、そしてワカソへと好きな選手が変わっても、ビジャレアルをずっと応援していこうと心に決めていました。

でも終わりの始まりは訪れるのでした。

1つはペジェグリーニ元監督の退団。
彼が植えつけた哲学の元、組織的で魅力ある攻撃が実り、安定した成績が残せるようになりました。
しかし、彼がいなくなってからバルベルデ、ガリード、モリーナ、ロティーナと監督は次々に変わっても、誰一人として魅力的なサッカーをした者はいません。
フロントも監督交代をずるずる先延ばしにして全てが後手後手に回り、結局致命的な状況でバトンを引き継いでいるので成績と内容が上向くようなことはほとんどありませんでした。
最後のロティーナなんて、ビジャレアルのサッカースタイルとはまったく異なる監督の人選でしたし、この辺の方針のブレがどうしても納得いきませんでした。

もう1つが世界的な不況と、不動産バブルがはじけて悪化したスペインの経済状況。
ビジャレアルの経営にも大きく影響して2008年から毎年予算は15~20%前後縮小。
特に影響の大きかった主力のカソルラを売却することになったのも、この経済悪化が大きな引き金になりました。

突然の活動無期限停止となり、皆さんには大変申し訳なく思っています。
おそらく多くの方にとってもこの度の降格によって気持ちが落ち込んでいると思います。
もちろん私もそのうちの一人で、他のクラブと掛け持ちせず、ビジャレアル一筋でずっと応援していたため、リスクヘッジをしていない分悲しみも大きいです。
もう仕事をしながら午前3時に起きて試合を見るような生活ともしばらくおさらばします。

私はスペイン代表も1998年のフランスW杯からずっと応援しているんですが、こちらも同様に近年は強くなりすぎて、また固定の選手ばかり起用するデル・ボスケのやり方にも疑問を抱いているため、私の好きなスペイン代表とは大きくかけ離れてしまいました。
よってEUROでスペイン代表を応援することも無いです。

(ビジャレアルジャパン通信第70号 2012年5月14日より抜粋)

■終わりに

今朝親しい友人の家でCL決勝を見てきました。
劇的な展開で勝者と敗者の明暗がくっきりと分けられてしまうのはある意味残酷ですが、これが勝負の世界の厳しさと極限の達成感を創出しているのでしょうね。

今となってはその挑戦権を掴み取るのもあと何年、何10年かかるか分からなくなってしまいましたが、強豪ひしめき合う素晴らしい欧州の舞台でカップを掲げるチャンスがいつかビジャレアルにもやってくると信じて疑いませんでした。
私は少なくてもCLベスト4、CLベスト8になった時は、あとは運があれば決勝に行けるとさえ思っていました。

しかし、もうビジャレアルにとってはCLの檜舞台は夢物語。理想と現実のギャップは残酷です。
ビジャレアルジャパン発足の理由も、もしビジャレアルがこの先CLを優勝して日本にクラブW杯で来日することがあったら、その時のサポートをしたい、その可能性はゼロではないということも含まれていました。

私がまたビジャレアルジャパンの活動を再開するときは、まずはビジャレアルというクラブが確固たる経営哲学を持って、監督、スタッフ、選手にその意思を伝えて一体となっていることが最低条件です。
そのうえで、最適な選手を補強して内容のあるサッカーが出来ていれば私はまた熱を入れて応援することになるでしょうね。

いつかそんな日が来てほしいなと切に願います。

幸いなことにカピタンのセナは「1部の時に加入したのに、2部のままで去ることなんてできない」とセグンダでの現役続行を表明して1年間の契約更新を行いました。

またトップチームの降格に伴い3部に自動降格となってしまうBチームは、シーズン途中から指揮を執ったベラスケス監督のもとでチームがまとまり直近3連勝と2部でも結果を出しています。
ほとんどのトップチームの選手が夏に放出されて予算も大幅に縮小されてしまいますが、Bチームの主力組がそのままトップチームに昇格すればダメージは最低限で食い止められますし、その若手チームを精神的支柱のセナがまとめあげてくれると思うので、僅かながら明るい希望も見えています。
もしも願いが叶うのなら、生粋のカンテラーノであるブルーノだけは放出してほしくないですね。

ビジャレアルのファンの皆さん、またリーガ・エスパニョーラのファンの皆さんとWeb、リアルを通じて様々な交流が出来たことは私の財産です。
今まで本当にありがとうございました。

(ビジャレアルジャパン通信第71号 2012年5月20日より抜粋)


■メルマガ廃刊にあたり

当メルマガを始めて約1年半、創刊からずっとご購読頂いた方も、途中から興味を持ってご購読頂いた方も、全ての皆さまに感謝いたします。
私がこれまで週刊でビジャレアルジャパン通信を続けてこられたのは、お金を払ってでも見てくれている方がいるというモチベーションがあったからです。

よく「サイクル」という言葉を耳にしますが、私の中でビジャレアルのサイクルが終わったと思った瞬間が過去2度ありました。

1度目は5年間指揮を執ったペジェグリーニが退任した2009年6月1日。
この時は本当に悲しかったけど、まだまだいい選手も残っていましたし希望は残っていました。
しかし、その希望は次期監督として招聘したバルベルデの失敗で無残にも打ち砕かれるのでした。

2度目はカソルラが放出された2011年7月26日。
私は寂しさを紛らわせるために、カソルラの移籍金で新戦力をたくさん補強できれば結果チームとしての上積みも期待できる、とメルマガにもTwitterでも書いていましたが、あれは本心ではありませんでした。
どんなに大金を積まれても守らなければいけない大事な選手の1人だったのに。
この頃からクラブにはっきりとした不信感を抱くようになったのです。

結果的に坊っちゃんの2,000万ユーロで獲得したカムーニャス280万ユーロ、サパタ800万ユーロ、デ・グズマン850万ユーロは全て失敗に終わりました。
結果論ですが、あの時放出していたのが3,000万ユーロ以上の値が付いていたロッシだったら違った結果になっていたことでしょう。
さらに監督を不振のガリードからさっさと替えずに年末まで延命させたこと、まだ監督として実績のないモリーナをやすやすと昇格させたこと、土壇場で降格請負人というレッテルを貼られているロティーナをサッカースタイルが全く異なる監督とわかっていながら招聘したこと。
これらは全てクラブの判断ミスです。

ただ、1つだけクラブの明確な哲学が残っています。
それはカンテラを充実させて、どんどん上のカテゴリに優秀な選手を上げていくという方針です。
私が期待して信じられるのは今この1つだけ。

一筋の光である若い力に来季の期待をこめて最後の挨拶とさせていただきます。

今まで本当にありがとうございました。

(ビジャレアルジャパン通信廃刊 第72号 2012年5月27日より抜粋)

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ビジャレアルジャパン代表 兼 艦長
debin
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スペイン滞在記「第1話 出発」

今回から何回かに分けてスペイン滞在記をお送りします。
スペインでの滞在は私に大きなものをもたらしましたが、大変な面もたくさんありました。
スペイン旅行の参考にしていただければと思います。

■2011年10月27日(木)
スペインへの出発の日。
今回の旅の目的は大きく5つあった。

1.ビジャレアルの試合を現地エル・マドリガルで見る
2.現地のビジャレアルファンとの交流を深める
3.可能であればVillarreal Japanの公式ファンクラブ申請を行う
4.スペイン語短期留学
5.ホームステイ

1については4年前に大学の卒業旅行で初めてスペインを訪れた際にビジャレアルを訪れたことはあったのだが、その週は残念ながらアウェイの試合でチームは遠征しており、試合はおろか練習さえ見ることができなかった。
初めてビジャレアルの試合をエル・マドリガルで観戦することがある意味ビジャレアルファンとして旅の最重要目的であった。

2についてはビジャレアルファンの代表として以前からメールやTwitterで交流はしてきたものの、やはり現地で直接会って交流を深めることが一番心に残るし思いが伝わると思ったのである。

3についてはVillarreal Japanを公認ファンクラブにしたいという目的を果たすため、設立時からビジャレアルのファンクラブを統括する代表者や広報部長のエルナン・サンス等、公式ファンクラブ許可のキーマンと思われる人物にコンタクトを取り続けた。
スペイン語を駆使したり拙い英語しかできない自分に代わって英語が堪能なビジャレアルファンのアキコさんハルカさんに助けてもらってやり取りをしたりしていたのだが、返事はいつも「我々はVillarreal Japanを歓迎します!」という玉虫色の回答。
誰が公式ファンクラブの決定者なのかわからず、不毛なやり取りがしばらく続くことになる。
ということで決定者は誰なのかを確かめるべく、そしてしばらくビジャレアルには行かないと思うので今回の旅で申請をしてしまおうと思ったわけである。

4については以前から考えていたことで、本当は来年の夏に仕事を辞めて1年間スペインのマスター(日本でいう大学院)に通ってスペイン語をペラペラにしてこようと考えていたのだが、急遽転職することになったので、せめて少しでも留学というものを体験しておくために語学学校での短期留学を決意したのだった。

5についてはただ単にスペイン語を語学学校で学ぶだけではなく、どうせならホームステイしてホストファミリーと一緒に生活することでスペイン語漬けの毎日を送ることができると考えたのである。

さて、御存じの方も多いと思うが日本からスペインまでの直行便は以前はあったが今は無い。
必ず乗り継ぎが必要となり、まあ有名どころでいうとフランス、オランダ、ドイツ、イギリス経由でスペインに入ることになる。
私はANAで成田からフランスのパリ・シャルルドゴール空港までの道を選択した。
本来であれば乗り継ぎなのだが、この日はたまたま飛行機が飛ばないとのことでパリに1泊するプランを選択していた。

フランス・パリまでは約12時間かかる。極度の乗り物酔いの私には過酷なフライトである。
「ここは寝て脳をごまかすに限る」
そうそう考えた結果、飛行機で爆睡する為に寝ないで朝を迎える。
朝11時の飛行機だったので2時間前に空港に到着しているのがベストだと思い、朝8時に電車に乗り成田空港に向かう。
そんなに詰め込んだつもりは無かったのだが荷物が22kgもあったため成田まで行く際の階段がきつかった。

成田空港に到着。早速搭乗手続きを済ませてEUROに換金して搭乗。
当然だが乗客はほとんどが日本人のためここではまだ海外に行くっていう感じはしない。
酔い止め薬は30分前に飲んだ。耳栓をしてガムを出していざ離陸。
飛行機では映画を見ることができるので、私は「ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える」「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」を見て、後は音楽を聞いていた。
機内食は2回出たが普通に美味しいと思う。

ロシア上空をひたすら飛び、オランダやドイツの田畑を眺めながら12時間後にパリのシャルルドゴール空港に到着。
ここから先は完全アウェイ。今回は1人旅のため頼れるのは自分のみ。旅は自分との戦いでもある。
到着したのが18時ということもありすぐにホテルにチェックインすることに。
しかしホテルまでの情報が少なく、フランス語も話せないため、数少ない英語の情報を探しながらインフォメーションに行って英語で聞いて何とかホテルに到着。
ホテルにチェックインしてしばらく休んだ後、外を軽く散歩して夕食をとる。
長旅で疲れていたのと明日飛行機に乗るため朝5時起床しなければならないので23時に就寝した。

スペイン滞在記「第2話 対面」

成田からパリまでの12時間の長旅を終え1泊。旅行2日目を迎える。

■2011年10月28日(金)
今日は10時発の飛行機でバレンシアに移動するため余裕を持って行動したいので朝5時に起きて6時に朝食をとった。
ビュッフェ形式の朝食だったが、さすがフランスだけあってパンは美味しかった。
その他にもスクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコン、ハム、チーズ、フルーツ、ヨーグルト等、結構満腹になるまでゆっくりと食べた。
7時30分にチェックアウト。そのまま駅まで歩いてパリ・シャルルドゴール空港のターミナル2まで電車で行き、バレンシア行きの搭乗準備をする。

パリ・シャルルドゴール空港はフランス最大、ヨーロッパでもイギリスのロンドン・ヒースロー空港に次ぐ2番目の利用旅客数の国際ターミナルということもあり、ターミナル1、ターミナル2、ターミナル3と航空会社別に3つに分かれているのだが、パリ初心者にとっては自分がどのターミナルに行かなければならないのか事前に把握して搭乗口まで行かなければならないのでなかなか大変である。
ちなみに「シャルルドゴール」というのは第二次世界大戦時の英雄であり、空港建設開始時の大統領でもあった「シャルル・ド・ゴール」にちなんで命名されたらしい。

無事ターミナル2に到着。スムーズにチケットは発行できてゲートの待合室へ。
フランス語とスペイン語が飛び交うアウェイ感満載の状況に若干疲れるがそんなことは言ってられない。
スペインのエアー・ユーロッパに搭乗して約2時間でバレンシア空港に到着。
預けた荷物も無事回収できたので空港を出てすぐにタクシーでバレンシア北駅(Valencia Estasio de Nord)に。
メトロやバスもあるみたいだが、手っ取り早く、そしトラブルなく時間通りスケジュールを進めるためにはケチケチしていられない。というかそんなにタクシー代は高くない。
タクシーを降りたらすぐに同じバレンシア州のカステジョン行きの切符を買って、電車に乗る前に語学学校の担当者に電話。

14時半、カステジョン駅に到着。
すると私を呼ぶ声が。
ホームステイ先のホストファミリーの父ラモンが迎えに来てくれた。
駅を出て駐車場に行くと母チェレスと、語学学校のスタッフで先ほど電話で話したアンナと合流。
語学学校に必要なノートや地図等の道具一式を受け取り、挨拶も早々にスーツケースを車のトランクに積んでラモン家へ出発。
ラモン家はカステジョンの中心に位置しており、だいたい車で10分くらいで到着。徒歩だと25分くらいはかかるだろう。

ここでホストファミリーであるラモン家の4人の家族構成と家を紹介。

父ラモン50歳はスペインの国立バレンシア大学を卒業後、航空関係の仕事で数年前まで勤務。
その後カステジョン市から車で15分~20分で行けるビジャレアル市のセラミック工場(ビジャレアルのロッチ会長が経営する「パメサ・セラミカ」ではなかった)で勤務。
しかし、近年スペインの深刻な不況の煽りを受けて現在は働いていない模様。
サッカー観戦が大好きで一番はビジャレアル、次にレアル・マドリーを応援している。

母チェレス47歳は話好きな明るいザ・スペインのお母さんという感じの女性。
兄はカステジョンの議員で、この時点では野党(11月20日のスペイン総選挙の結果、野党が勝利。新首相には国民党のマリアーノ・ラホイ党首が就任予定)
料理上手だが掃除は大雑把。英語の本を読むのが趣味らしいが、私の拙い英語と大差なかった。

息子ライモンは首都マドリーの大学に通う20歳の大学生。とても礼儀正しい。
ファッションなどは今時の若者っぽく、ゲーム「FIFA」に熱中すると「プータ」「コーニョ」「ミエルダ」と禁止用語が飛び交う。
フットサルが好きでポジションはGK。

娘カンデラは近くの中学校に通う14歳。週に2回近所のテニスコートでテニスをしている。
常に携帯音楽プレイヤーとヘッドフォンと黒いサングラスを欠かさない可愛い女の子。
普段は笑顔が素敵だが、親に注意されると口調が激しくなり荒れる。難しいお年頃だ。

4人は私に対してとても優しく接してくれた。
少しでも滞在を楽しんでもらおうと色々なお店に連れて行ってくれたり、みんなが顔を合わせる食事の際は積極的にコミュニケーションを図ってくれたり、勉強している時は干渉しない気配りもあった。

ラモン家は1階にガレージと玄関とトイレ。車は2台。アウディと日産。
2階に夫婦の寝室、妹カンデラの部屋、兄ラモンの部屋、トイレ、お風呂、そして私のために用意された6畳くらいの綺麗な部屋。
3階に広々としたリビングと食器乾燥機付きシステムキッチン完備のダイニング。ここにもトイレとお風呂がある。
4階は書斎と小さなリビングとトイレ。

そう、お気づきの通りトイレが4つもあるのだ。言うまでもないが私は全部のトイレを制覇した。
また、スペインではガレージが無いと車がすぐ盗難に遭うそうで、コインパーキングを使用しないほとんどの家がこういう作りだ。
さすが盗難が世界レベルの物騒なスペインだけある。

話を戻そう。ラモン家に到着後、スーツケースから荷物を取りだし棚や引き出しに荷物を整理。
その後お腹がすいていたこともあり学校から帰ってきた娘カンデラと食事。めちゃくちゃ美味い。
食後にラモンがカステジョン中心部を案内してくれるというので一緒に散歩。
初めてきた街なので当然方向感覚は無い。語学学校からもらった地図と睨めっこしながら位置を覚える。

日本に居ればスマートフォンで簡単に利用できるGoogle Mapがあるので道に迷うことは無いが、私はスペインではネット環境が使用できない状況にある。
ラモン家にはwi-fiがあるので家ではネットが使えるが、家を一歩出るとネット環境がない状況なので紙の地図というアナログなものに頼らざるを得ない。
ちなみにスペインではwi-fiのことを「ワイファイ」といってもほとんど通じない。
「ウィフィ」とみんなスペイン語読みで呼んでいるのだ。なんだか可愛い。

散歩から帰宅後、半年ぶりに兄ライモンがマドリーの大学から帰省していた。
なんと私のカステジョン到着と偶然同じ日だったのだ。
ライモンは5日間だけカステジョンに帰省してその後またマドリーの大学に戻るとのこと。
久しぶりの親子対面で話が膨らみとても賑やかだった。

ライモンと少し話をして今度はラモンと徒歩での買い物に付き合う。
その途中でホテルに前日入りしているラージョのバスを発見。
ホテルを覗くとタムードの姿が。
ラモンがタムードに写真をお願いして快くOK。ラモンに写真を撮ってもらう。
ラモンの話だとビジャレアルがホームの試合だとアウェイのチームはビジャレアルではなくカステジョンのホテルに宿泊することが多く、中心部にあるホテル2つのうちどちらかに宿泊するので待っているとたいていサインや写真をゲットできるとのこと。
大好きだったタムードと一緒に写真撮影。いきなりのサプライズに大満足だった。

買い物から帰宅して夕食。スペインの食事はとにかく美味しい。
食にこだわりのある方なら間違いなくスペインをお奨めする。
米や魚や野菜を使ったヘルシーな料理が多く日本人の口に合っているからだ。

ホームステイとはいえもうちょっとサバサバしたものを想像していた自分にとって、この温かい歓迎振りは本当に嬉しかった。
明日はいよいよ初めてエル・マドリガルでビジャレアルの試合を観戦することになる。
相手はラージョなので勝利が必須だ。
早起きしたのと長時間散歩したり見知らぬ人にたくさん会ったりで疲れたので明日の試合のことを考えながら23時に就寝した。
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