― 西京の門 ―

 

 山寺を出発したばかりの頃は雨足も強くなかったから、馬も軽快に走って馬車を引っ張ってくれていたが、雨が強くなるにつけ立ち止まる事が多くなった。

 ぬかるみが気持ち悪いのか、鼻息荒くブルルルと鳴いては白い息を吐きだし、しきりとその場で脚を踏む事が増えていく。

 進んでは止まり進んでは止まりを繰り返すうちに、ミニョはふとヘイが馬を用意していた事に気が付いた。

 馬が手に入るなら全員で移動する事もできたんじゃないかと思ったのだ。

 だがすぐに一緒に模諜に入ったとして、ミニョだけが模諜枢教に向かう事を認めるはずがないと思い至る。

 テギョンの身に起きた禁忌を思い返しても、テギョンのいない事への不安から逃げてはダメだと額を叩いて戒める。

 勿論テギョンの身に起こった事や、ここにジェルミと二人でいる意味を忘れていたわけではない。

 ただずっと一緒だっただけに、淋しいとか不安だって思いが綯(な)い交ぜとなって胸を占め、雨の冷たさも手伝ってか、ただ会いたい戻りたいという思いが、一緒に来たかったに変換されてしまったのだ。

 馬が走り始めた時にはすぐにも遠く離れそうだったのに、雨は降り続き、今もまだ山道にいるというのに、テギョンの事を考えるなというのはミニョにはとても難しい事だった。

 

 「あの山寺の辺りはここよりもっとひどい雨だよ。

 雨雲がこっちまで流れて来なくて、あそこで止まって雨を降らすから、みんな暫くは動けないはずだよ。」

 

 馬を操りながら、振り返ってジェルミがそう言った。

 ミニョは相槌を打ちながら、追いつかれる心配がないのなら、急がなくてもいいのにと思う。

 だけどジェルミはというと、ずっと馬を走らそうとしている。

 

 「ジェルミ、追いかけて来る心配がないならそれほど急がなくても・・・・・・」

 「そっちの心配はなくても、別の心配があるんだ。

 この雨だからね、誰も僕らが二人で戻って来るとは考えていないはずなんだ。

 だから今の内にね、少しでも早く模諜枢教に行きたいんだ。」

 

 ミニョは最初その意味が分からなかった。

 少し考えて、模諜・・・・・・いや西京に敵がいるのかと首を傾ける。

 テギョンやミニョに対してなら分かるが、ジェルミは模諜枢教の継承者で、襲われる理由が分からないと言うのが本心だ。

 

 「それって・・・・・・」

 

 何気なく漏らした言葉に、ジェルミは雨に濡れた真剣な顔で振り返った。

 ミニョはふと昔の事を思い出した。

 洪水の事件以来、隠されるように育てられていたミニョは、ある日外に出たいと頼んだ。

 ずっと外から聞こえてくる賑わう声に、それを見たいと思っていたからだ。

 まだ幼かったミニョにとって、門主である父はいつも忙しく、会いたくても会えない人だった事も理由だ。

 父が来れないなら自分が行けばいい、道さえ分かればいつでも行ける、そう思ってのお願いだったのだ。

 父は困った顔をしていた。

 その顔に、モ教主の顔が重なった。

 ミニョと一緒に外を見たいと、ジェルミが頼んだ時のモ教主の顔はあの時のコ門主と同じ顔をしていた。

 

 結局ミニョは、斐水門を見て回る事が許された。

 願いを叶えてくれた父に手を引かれ、外に足を踏み出したミニョは、幼心にもワクワクしていたのにそれはすぐに落胆に変わったのだった。

 いつもの賑わう声はなく、静まり返った中に風に揺らされる葉の音や川の漣(さざなみ)が聞こえるだけだ。

 斐水門には門徒の誰一人いなかった、いるのはミニョと父だけ、これこそが父が考え出した苦肉の策だったのだ。

 逆にジェルミと一緒に模諜の都を散策した時は、周りを取り囲む者は多くいた。

 ただそれは監視の目で、ここにも自由はないと思った最初の出来事となった事も思い出された。

 だけど今から思うと・・・・・・、ミニョはジェルミに訊く。

 

 「模諜枢教の外に出たのを覚えてる。

 あの時、沢山の監視がいるって不満を漏らしたよね、でももしかしてあれって・・・・・・」

 「うん、あの時は知らなかっただけで、あれは監視じゃなくて警護だったって、縹炎に行くって話になった時に教えられた。」

 

 それを聞いてミニョは新たな疑問が沸く。

 

 「でも縹炎には一人で来たのよね。」

 

 縹炎に来たジェルミを見た時から不思議だった。

 モ教主がどうして許したんだろうって。

 

 「あの時も大変だったんだ。

 僕に扮した警護付きの囮が数人、模諜枢教にある門という門から時をおいて出発した。

 その中に僕も紛れ込んだんだ。」

 「追手はあったの?」

 

 ミニョの不安そうな声にジェルミは首を横に振る。

 

 「分からない。

 模諜の宗家間に確執があるのは事実だけど、それってどこにだってあるものだよね。

 それが命に関わるほどだとは思えないんだ。

 だけどさ、ミニョがいるから危険は冒したくないんだ。」

 

 ジェルミはニッコリと笑って言う。

 僕に任せておけば大丈夫だからと言いたげな笑顔だ。

 

 (つまり虚を衝こうというわけね。)

 ミニョは頷きながらそう思う。

 なんといったってジェルミは模諜枢教の継承者で、能力だって十分に備わっているとジェルミは言っていた。

 それを信じない訳じゃない、虚を衝く事も間違っていない、だけどテギョンを騙してまでここに来たのに、モ教主に会う前に他の宗家に掴まる訳にはいかない。

 虚を衝くだけで大丈夫だろうかと思えて来る。

 ミニョは考え込まずにはいられなかった。

 ただ、ミニョが考えたところで他に良い考えが浮かぶはずもない。

 沈むミニョに、ジェルミは少し淋しく思ってしまう。

 以前なら宗家の話になると、打てば響く太鼓のように宗家の不満や繰り言に花を咲かせたものだったのに、今は黙り込んで何を考えているのかさえも分からないのだ。

 

 「ねえミニョ、やっぱり宗家はいろいろと制約が多いんだよ。

 斐水門や模諜枢教だけじゃなくて、縹炎宗にだって自由はなかっただろ。」

 

 ジェルミは縹炎宗だって模諜枢教と変わらないと言おうとしたが、ミニョは一瞬キョトンとした後で「自由だったけど。」と返してきた。

 

 「だって行けない場所は多いし、あれもダメこれもダメで危険も多かったじゃないか。」

 「だけどそれは私だけじゃなくて、縹炎に住む人全員だったから。

 ジェルミたちが来る前は、朝起きて自由に散歩に行く事もできたし、宗徒に挨拶したり話したり一緒に食事をする事もできて、それは初めての経験ですごく楽しかったの。

 ここは宗家だからって修行もさせられたけど、それもかなり厳しく叱られたりもしたけど、それは模諜枢教や斐水門で叱られたのとはまったく違ってて、テギョンさんは自分で考える力をつける為に鍛錬しろって事だった。

 あそこにいた時は未熟で分からなかったけど、今なら私の為だったって分かるの。」

 

 あの頃は、ただ怖くて逃げ出す事しか考えられなかったと、ミニョは縹炎での日差しや風を浴びながら、ニコリともしないテギョンの顔を思い出していた。

 それは遥か昔のような気がして、不思議な感じだ。

 模諜枢教でジェルミと過ごした日々の方が古い記憶のはずなのに、はっきりと思い出すのは模諜に近づいているからなのだろうか。

 (ううん、ミナムになったから記憶があやふやなのよ。)

 ミニョは小さく息を吐く。

 すべては逃げ出した自分が引き起こした事のような気もしてくる。

 言い出せない疲労感はずっと馬車に揺られているからで、ミニョは考えるのを止めようと目を閉じた。

 しかしジェルミには縹炎宗と模諜枢教を比べられた気がしていた。

 その後のジェルミはミニョに話しかけるのも止めて、ひたすらに馬を走らせることに専念した。

 西京の門まであと少しというところまで来ていた。

 

 

― 苔むす山寺 ―

 

 ざんざざんざと響く雨音から雨がいっそう激しくなったのだと分かる山寺の一室で、テギョンは肘掛けについた手に額を乗せて目を閉じている。

 黒い髪は束ねられることなく肩に流れ落ちていて、眉間には筋が一本、薄い影を落としている。

 

 「この雨音ですからね。

 嫌いなんですよ私の宗主は、この雨の音が。」

 

 フニは危険の皺の理由をこう言った。

 

 「この雨音では何をどう言ってもここを出られないって事は宗主自身も分かっていますからね。

 だからほら雨音に身を任せて足を投げ出して、楽な姿勢をとっているでしょう。」

 

 心配ないと言いたいフニにシヌは頷いた。

 確かにテギョンは寛いでいるように見えるし、妖しい色香さえ漂わせているのだからそうなのかもしれないと思える。

 だからといって思考を放棄しているわけでも、投げやりになっているのでもない。

 むしろ微動だにしないのは、あれこれと深く考えているからで、その証拠に近づきがたい空気を作り出しているのだ。

 だがそんな空気ももろともせずに、テギョンの傍にいるのはヘイだ。

 いつもなら嫌がるはずが、テギョンは何も言わずにするに任せている。

 といっても相手をするわけでも、指示をするわけでもないが、ヘイは常にテギョンの傍にてにこやかな笑みを向けていた。

 テギョンと出会って以来、今夜は千載一遇の機会なのだ。

 この雨の間はここに止まるしかないとほくそ笑むヘイとは対照的に、この雨雲を憎々しく睨みつけている者が二人いた。 一人はドンジュンでもう一人はジフンだ。

 特にジフンはテギョンに伝えなければならない事を、まだ伝えられずにいて、内心ではヤキモキとしていた。

 テギョンの前に出ていって、真実を告げる勇気がないというのが理由だ。

 そう言う意味ではドンジュンの方が周りの空気を読めない、雨だから、動けないからとずっと我慢していたが、待ちきれないと言ったように、突然テギョンの前に座って問い質し始めた。

 ヘイが止めても聞き入れられない。

 

 「もしミニョが捕まってたら・・・・・・危害は加えないとは思うんだけど、いやそうじゃないな、返してくれない、隠されるかもしれないと思うと、ここでじっとしているのが怖くて・・・・・・」

 

 行かせた事の後悔、動けない不安が吐露させたドンジュンの本心だった。

 だがテギョンは、誰が行かせたんだとドンジュンを睨むだけだ。

 結局ドンジュンは言った後で頭をポリポリと掻いて俯いた。

 

 「雨を降らしているのがテギョンさんでなければ、ここに居るのもテギョンさんが決めた事ではないのよ。」

 

 テギョンに代わって言ったヘイは、せっかく二人だったのに邪魔をしないでとドンジュンを追い出そうとするが、今度は戸口の傍にいたシヌが、テギョンに休む事を進めてきた。

 ヘイは顔を引き攣らせたが、シヌの方はこの雨が長引くと分かっている。

 となれば、陽が射す前に動かなければならなくなるかもしれないのだ。

 だからそれまでは鋭気を養っておいて欲しいというのに、ずっと黙り込んで、考え込んで神経をすり減らしているのは、見ていられないと言うのがシヌの意見だ。

 それにもし軽率にもこの雨の中、こっそり抜け出す(これはテギョンなら考えられない事ではない。)なんて事もあり得ると思うと、テギョンが休まない事には安心して誰も休めないと言う理由もあった。

 だが当の本人にそんな考えは一切なかった。

 テギョンは何事も理性的に考える事が習慣だったから、この雨の中突っ走るのがどれほど無謀な行為か分かっている。

 テギョンは濡れる事を極端に嫌い、濡れると身体に支障をきたすからだ。

 といってすぐにどうという事ではない。

 例えるならミニョは熱にも冷気にも弱くて、すぐに冷たくなったり熱を出したりしたが、テギョンの身体は頑強で模諜までなら身体が持たないというわけでもなかった。

 だが雨に濡れると熱が外に放出されずにある日突然身体の中で暴れだすすのだ。

 そうなってはミニョ救出どころではないと分かっているからこそ、テギョンはこの考えを最初の段階で除外していた。

 そもそもドンジュンは模諜枢教に対して脅威を感じているようだが、テギョンが気にしていたのは西京の門から模諜枢教までの方で、模諜枢教以外の宗家に連れ去られる可能性だ。

 すぐに命の危険はないと思っているが、その宗家の教主の性格によっては追い詰めればどうなるかも分からない。

 

 

― 西京の門 ―

 

 テギョンが情報収集の為に西京の都に潜む手段を考えている頃、ジェルミとミニョの馬車は西京の門前に辿り着いていた。

 だが遅い刻限という事もあって、門は厚い扉で閉ざされている。 ジェルミは模諜枢教の者だと示して開けさせる事も出来たが、ここで身分を明かす事は危険を呼ぶことになるかもと野宿を選んだ。

 山道ではあれほど雨に降られていたが、山の裾野から離れるほどに雨は小降りになり、今や小さな雨粒さえも馬車を打たない。

 雨に濡れないだけでも、門前での野宿も苦痛ではないと言えたが、北に近い西京の空気は夜だという事もあってかひんやりとして肌寒かった。

 

 「ミニョ、火を熾す?」

 

 ジェルミの問いかけにミニョは大丈夫だと答えた。

 正直、火を熾して欲しい思いはあったが、どこもかしこも雨に濡れてしまっていて、よほどの火力がなければ火はつかないと思ったからだ。

 ミニョの脳裏にまたテギョンが浮かぶ。

 

 「ずっと手綱を握って、ジェルミも疲れているでしょう。

 休みましょう、明日も朝から馬を走らせないと。」

 

 ミニョは馬車の中で横になるとすぐに眠りに落ちていく。

 ジェルミは雨上がりの満天の星空を眺めて、音を立てずにため息を落とした。

 模諜枢教を出た時は、こうして二人で戻る事を胸に抱いていて、その願いが叶ったと言うのに、嬉しさよりも淋しさが胸に渦巻いているからだった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

また話が進まない所で区切れた~~えーん

次の展開に入る前に、

テギョンとミニョの対比を書いておこうと思っただけなのよ。

 

全く動じていないように見えるテギョンと、

事あるごとに揺れるミニョ。 

これがメインで、シヌやヘイは安堵し、

ジェルミは以前と同じ二人なのに距離を感じる。

 

書いてしまえば4行なんだけどね、

夜明けまでには至らなかった。

次回、朝になって門が開く所からです。 

 

にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村