― 西京の門 ―

 

 夜が明けると柔らかな日差しが馬車を包み込んでいた。

 ここに着いた時は、まだ水滴を落としていた馬車も今では薄っすらと朝露が滲む程度だ。

 馬車から顔を覗かせたミニョが、その陽射しに手をかざした時、閉ざされていた門が重々しい音を立てて開かれる。

 ミニョは馬車の壁にもたれる様にして眠っているジェルミに声を掛けた。

 その声は不安はあっても、先に進む為には門をくぐらなければならないと緊張している。

 だがそんなミニョとは違って、欠伸をしながら手綱を握るジェルミからは緊張感など微塵も感じられない。

 そしてそれが正しいように、門番からは何一つ問い質される事もなく、ミニョが拍子抜けしてしまう程にすんなりと通る事が許されたのだ。

 

 「ジェルミ、あの門は必要なの?」

 

 通り過ぎた門を振り返ったミニョが怪訝な声で訊く。

 考えてみればここに通じる道は、自分たちが通ってきた道だけだ。

 この辺りは山が多いため、道は一本一本交わる事がなく、昔は道ごとに門を配して出入りを制限していたのだろう。

 だがこの先は今や模諜の領地だ。

 門など必要ない、壊せとまでは言わないが、開け放しておけばいいのにどうしてわざわざ閉めるのだろうか、との疑問がミニョの中に生じたのだ。

 おかげで不要な心配を重ねてしまったと、ミニョは言った口をムッと窄めた。

 

 「ん~、あの門の管轄は西京の宗家だから・・・・・・」

 

 ジェルミはそれ以上言わずに馬を走らせる。

 ここはまだ模諜の都ではなく、西にある都に過ぎないが、石が敷き詰められた道は幅も広く、斐水の都よりも立派な街並みが続いている。

 このまま真っすぐ行けば、模諜一賑やかだとされる西京の歓楽街だが、通りからは賑わう気配は感じられない。

 

 (朝だから? きっとまだ先なのね。)

 

 これまでずっと模諜入りを心配していたミニョだったが、あまりにすんなり入れた事で、一気に気が緩み、観光気分となって楽しんでいた。

 だがそんなミニョの気持ちを知ってか知らずか、ガラガラと大きな音を立てる馬車は、大通りを左に折れて南京の方へと向かう。

 模諜枢教に向かうならこっちの方が近道なのは、漠然とではあったがミニョにも分かっていたから、その時は仕方がないと何も言わなかった。

 都の中心から離れても窓から見える風景はのどかとは言い難い。

 道幅は変わらず広いままで、道を挟むように大きな屋敷と共に幾棟もの蔵が並ぶ静かな通りだ。

 それだけに車輪の音が一層大きく響いたが、この時もまだ二人ともに追手が来るとは思ってもいなかった。

 ただジェルミは、少しだけあまりに静かすぎると思い始めていた。

 

 (ここには隠れる場所がない。

 後ろからなら逃げ切る事も出来るけど、もし前から道を塞がれたら地の利がない分こちらには不利だ。)

 

 ここに来て漸くジェルミは、自分が道を選び間違えたのではと思い始める。

 テギョンの言った西京の都に行くのには、ちゃんと意味があったのだ。

 

 (どうする、もう一度右に戻って道を探すか。

 それともこのまま強行突破するか。)

 

 ジェルミは一時考えて、突破の道を選ぶ。

 あの雨の中、二人だけが都入りするとは気づくはずがないと最初に考えた方に賭けて馬の速度を上げる。

 音は響き渡るが、急ぎの馬車が走らない事もないだろうとやはりまだ楽観的だ。

 しかし、それもしばらく走ると間違いだった事に気づく事になる。

 天界では若き雷神であったとしても、今のジェルミはただの人に過ぎない。

 継承者だとは言っても神のような威厳もない。

 むしろ可愛いと形容する事がしっくりくるような、クルンとした容姿からも無邪気さが感じられるように、ジェルミはモ教主に大事にされ過ぎて危機感というものが育っていなかった。

 実際、模諜枢教の中にいてこの危機感を育てる方が難しい事だと言えた。

 逆にテギョンはこの能力が群を抜いている。

 彼がこれまで生き延びて来られたのは、この危機感があってこそだと言えた。

 ジェルミは、頭のどこかで何故もっとファン宗主の言う事に耳を傾けなかったのかと今さらながらに悔いて反省はしたが、それも時すでに遅しだった。

 ここまでくれば走り続ける以外にないと思えて来る。

 ジェルミが馬に鞭をくれると、中からミニョが声を掛けてきた。

 

 「ジェルミ、何か音がしない? ガチャガチャってぶつかるような、馬車以外の音が・・・・・・」

 「どこ? 前? 後ろ?」

 

 走らせることに集中していたジェルミが、慌てた声を上げる。

 

 「まっ 前・・・・・・」

 

 ミニョが指さした先には、鉄の壁がこちらに向かって走って来ていた。

 それが壁ではなく人だと分かったのは、剣を握る手を前後に振って走っていたからで、音はその剣が仰々しい鉄の防護服らしきものにぶつかって出ていたからだ。

 もしこの音がなければ追手だとは気付かなかった。

 気付かなければもっと着前まで迫れただろうにと、この時はまだ少しばかりの余裕もあった。

 だがすぐにミニョが切羽詰まった声を上げる。

 

 「ジェルミ、曲がって・・・・・・道・・・・・・どこでもいいから。」

 

 ミニョの声にジェルミも馬の手綱を引く。

 たとえ防護服を着ているといっても、向こうはただの人でこちらは馬車なのだ。

 突っ切れない訳がないと思いながらも曲がったのは、これがおびき寄せる罠じゃないかと、ミニョの目が訴えたからで、ジェルミはいよいよ追い詰められていた。

 角を曲がると一目散に逃げるジェルミにミニョが訊く。

 

 「ジェルミ、今の人たちは模諜宗家の教徒だった?」

 

 防護服のせいでどこの宗家なのか、いや宗家ではないのかもわからない。

 だけど宗家以外の者が馬車の前に突っ込んで来るとは考えられないのだから、やはりどこの宗家かが気になった。

 しかしジェルミはこれに答えられなかった。

 

 (模諜枢教は模諜の全宗家の頂点に立つ宗家で、僕はそこの継承者なのに・・・・・・)

 

 模諜枢教継承者だと分かった上で馬を止め、取り囲まれたとしても、挨拶はするだろうし、何らかの要求があるにしても口頭なり文ではないかと想定していたのだ。 

 それが鎧のような防護服に、ジェルミの思考力は奪われてしまっていた。

 動揺するジェルミに、それでも訊かなければならない事がある。

 ミニョはそっと「どうする?」と問いかけた。

 ミニョはジェルミが模諜枢教から外に出た事がない事も、模諜には宗家問題があるとテギョンが幾度となく口にしていた事も踏まえた上でそう訊いた。

 ジェルミが二人だけならと言ったからだ。

 ミニョは、ジェルミには何か勝算があるのだと思っていたのだ。

 追手がどこの誰かなどはこの際どうでもいい、問題なのは逃げ切れるか、走り続ければ模諜枢教に行けるのかだ。

 

 「ジェルミ!」

 

 茫然自失のジェルミに向かって、ミニョはさっきより少し強い口調で呼びかける。

 

 「うっ後ろは? 追って来てる?」

 

 ハッとしたように声を上げたジェルミに、馬車の窓から後ろを見たミニョは、耳を澄ましても、さっきのようなガチャガチャとした音も聞こえてこない。

 

 「大丈夫。」

 

 こっちは馬で、向こうは重い防護服を着て走っているのだ、追いつくはずがないと思ったからだが、まだ安心はできなかった。

 

 「ジェルミ、私たちを分かって襲って来たのだとしたら、位置も知られて次はどんな手で来るか・・・・・・」

 

 不安がつい口をついて出る。

 

 「わっ分かってるよ。」

 (そう、分かってる。 この窮地を脱するには模諜枢教に知らせないと・・・・・・)

 だけど、どうやって・・・・・・

 (それにどうして襲って来るんだ? 目的は?)

 

 頭には次々に疑問が浮かんでくるが、馬を走らせながら考えに没頭する余裕はない。

 その時、ある事が閃いた。

 

 「ミニョ、ちょっとの間だけこの手綱を握ってて。」

 

 言われたミニョはジェルミの横に座って手綱を受け取りはしたが、落としてしまわないよう持っているだけだ。

 斐水でも模諜でも、縹炎でも馬を操った事はないのだから、手綱を握ったからと言って馬を御する事などできるはずもない。

 心配顔のミニョにジェルミはもう一度繰り返した。

 

 「大丈夫、本当に少しの間だけだから。」

 

 その場に立ち上がりながら言ったジェルミは、両手を動かして手の中に気を集め始めた。

 そしてそれを空へと向ける。

 

 「・・・・・・雷功。」

 

 地上から空へと雷電が走る。 それを見てミニョが呟いたのだ。

 ミニョ以外に、同じ言葉を口にした者が二人いた。

 一人は模諜枢教のモ教主で、晴れた日の雷鳴に反応して西の空に上昇する稲妻を見たのだ。

 稲妻は時に青天の空に光る事はある、だが空から地上へと落ちるものだ。

 すぐさまそれが誰によるものかを理解したモ教主は、教徒にジェルミ救出の命を下しした。

 模諜枢教はにわかに慌ただしくなっていく。

 残るもう一人はテギョンだ。

 テギョンは降り続く雨とどんよりと重い空を睨み、その空に続くミニョが行った西の色の薄い空を眺めていた。 

 そして、はるか遠い空に小さな光を見たのだ。

 普通なら見落とすほどの光で、たった一度、それでもこの鈍色の空で光る雷とは違って、それは青い空の下に見えた光だ。

 雷功と呟いた後で、テギョンはジェルミにこれほどの力があるとは思っていなかったと目を細めたが、少し安心したかのように背を向けた。

 気にかかっていた模諜枢教までの道のりが、とりあえずは気に病む事はないと思い直せたから、とも言えたし、ここを動けない自分に苛立ってとも言える。

 とにかくこうしてミニョに背を向けたのは、テギョンにとって二度目の事だった。

 

 一方ジェルミは、なぜこの方法がすぐ思いつかなかったのかと思っていた。

 だが雷功は軽々しく使っていい技でも、見せびらかすものでもない事も分かっている。

 立ち上がっていたジェルミは再び腰を下ろすと、ミニョから手綱を受け取りながら少し得意そうな顔を見せた。

 ミニョを守れたのだから、これで面目躍如が果たせたと、自信を取り戻すのも悪い事ではなかった。

 ただこれでさっきの者たちが鳴りを潜めれば、どこの誰だったかは分からないままになるのだが、今のジェルミにそこまでの考えを巡らせる余裕はなかったのだ。

 

 ジェルミたちの馬車は、模諜枢教まで一日ほどの距離にいたが、モ教主はその日の午後には馬車と二人を発見したとの報告を受け取っていた。

 馬車は駆け付けた教徒によって二重三重に守られて、このまま模諜枢教まで護送される事になった。

 これで何も心配する必要はないとジェルミが笑う。

 確かに大きな危機は去ったのだからとミニョも笑い返したが、その笑顔はどこかぎこちないものだった。

 その日の夜、見覚えのある模諜枢教の大きな門をくぐって中に入る。

 ミニョは極度の緊張に全身が固く冷たくなるのを感じていた。

 必死に逃げ出した場所にまた戻って来たのだと、その顔からは表情が消えたが、ジェルミはミニョの心情に気付かないまま中へ中へとミニョの手を引っ張っていった。

 

 

― 苔むす山寺 ―

 

 雨は二日もの間、まったく止む気配を見せなかった。

 時に激しく、時にシトシトと続く雨音はここに居る者を鬱々とさせたが、廃墟となっていた山寺の屋根も壁もこの雨に壊れる事はなく、濡れる心配だけは必要なかった。

 とはいえ、緑成す苔に覆われた木々や石さえも、降り続く雨をたっぷりその身に溜め込んで、鮮やかに光っているのだから、その地の湿度の高さは言うまでもない。

 だから、誰もがこの空気の重さがテギョンを神経質にしているのだと思っていた。

 やがてテギョンの纏う気が、ピリピリと触れる事を許さない程に張り詰めている事が伝わって来る。

 ここに止まっているのも限界が来ていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

ミニョとジェルミはどこかの宗家に掴まるか?

これはかなり悩んだのです。

そこからの脱出は、ある意味ジェルミの見せ場だしな~と、

思いはしましたが、

問題の相手の宗家を特定するのが面倒で、

(書くとなったら宗家名や教主の名とか、

 いろいろとその背景まで考えないといけないので

 多数の宗家をひっくるめてにしておきたかったの。)

この展開にしてしまいました。

 

なにより宗家の首位の座争いの話を膨らませると、

面白くもない言葉がダラダラと続く事になるので、

私のモチベーションがダダ下がりしてしまう。

一足飛びに萌えシーンに行きたいのを、

グッと我慢している状態なので、

案外簡単に模諜枢教に、いやいやも教主の手の中に、

入ってしまったミニョ、ってところまで進みました。

 

なんとかテギョンの状況も少しだけ滑り込ませられたし、

次回はやっと出発となるテギョンからです。

 

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