スローライフでCMプロダクションinとっとり

スローライフでCMプロダクションinとっとり

テレビCM専業のワンマンオペレーションプロダクション。
クロマキースタジオ、ロケ車、特殊効果編集、NA録音、完パケ製作。
趣味が仕事なのか、趣味を仕事にしているのか曖昧。好きなことやって金儲け。
そんな仕事的コラムはかなりマニアックだったり…

世の中というのは変化するものだ。

まずもって、若者が酒の席に行きたくない、酒をあまり飲まなくなったといった流れがある。

そして自分の場合、田舎に住んでいるので足の確保が難しい。

公共交通機関の時間帯が短すぎる。21時くらいが最終…本数も少ない。

最近は人手不足からタクシーが減って深夜殆ど捕まらないという噂を聞くと、怖くて飲みに出かけようと思わない。

だいたい飲みに行くと3~4軒梯子するので帰りは23時以降…もちろん公共交通機関は無い。

もしタクシーが捕まらなかったら歩いて帰る?歩いたことは無いが約10km、2時間以上かかるし暗くて怖い道のりだ(;一_一)

ホテルに泊まるという選択肢もあるが、そこまでして飲みに行きたいと思う飲み会も少ない(笑)

 

ということでコロナ前からだが、5年くらいは飲みに出かけてない。

誘われるがすべて断ってきた。

まぁ、コロナで一気に飲み会が無くなったというのもあって余計に腰が重くなっている。

 

2004年45歳から鳥取でローカルCMの制作を自営で始めた。

その前は大阪で3DCGプロダクションを1985~2003までやっていて後半では実写取り込みの合成編集などにも広げていたのでUターンしてからのCM制作に役立っている。

 

40代後半と言えど気力体力はまだあったのでロケ撮影にワンマンオペレーションで出掛けていた。

好奇心の方が強かったのでオーバークォリティーの機材を持ち込んで自己満足でやっていたのだが、さすがにロケ終わりの疲れは相当なもので数日やる気が起こらなかった(*^_^*)

 

コロナのタイミングもあり60歳くらいからほぼロケには行かなくなった。

外注できる若いカメラマンが出てきたのも理由の一つ。

開業当初はライバルが無かったので仕事が集中していたが、逆に外注出来ないプレッシャーもあった。

今は、面倒くさい仕事が来ると「うちは向いてないので他当たってください」などとお断りしたりする。

分単位の映像編集などは最初からお断りしている。

 

では今何が出来るのか?

ありがたいことにレギュラースポンサーが20年近く続いているものもあり、モーショングラフィックス系のPCで完結するCMが8~9割になる。レギュラー物だと手間をかけた本編をベースに部分改定といった形式で長年続いているものも多い。

こういった改訂物はベースが自分のところにあるので簡単に他社に移行出来ないというメリットはある。

単発物でもほとんどがモーショングラフィックス系で、ロケ撮影スタジオ撮影物は数パーセント程度しかない。

 

編集物だけでもそこそこの売上があるので今のままでもいいのだが、刺激が欲しいと思うわけで、スタジオ撮影物がもっと増えて欲しいと思うわけだ。

今までも何度かモデルを含めた売り込みなどをやったことがあるが、ほとんど空振りだった。

代理店のセールス方式として企画持ち込みよりスポンサーからの依頼で企画するというパターンが多いようで、なかなか費用の掛かる撮影物の企画が浮上しないという構造のようだ。

 

65歳、ロケはきついがスタジオ撮影はほぼ常設なので体力はあまり使わない。

人もたくさん来るし、美女の撮影などは楽しい(*^_^*)

もっとスタジオ撮影を増やしたいのだが、どんな方法があるのか模索中である。

レンタルスタジオのように勝手に使って下さいという形式は好きではない。機材はやはり自分で管理したい。

 

iPhone7PLUSとiPadAier2を購入したのが2016年、8年前になる。

価格はiPadが48,000円、iPhoneが100,000円である。

では今の価格は?

iPadが92,800円、iPhoneが219,800円である。

どちらもほぼ倍なのだ。

そんなに上がる?😱

金額的にはいいんだけど、使用頻度を考えるとコスパ悪すぎるなと思うわけだ。

両方合わせて30万を8年で割ると月に3,000円ほど。

そう考えるとまぁ、そのくらいは使ってるかな…

でも今使ってる機種なら1,500円だからねぇ…それほど性能が変わるわけでもなく😰

物は変わるが、1992年に購入したランクル80が370万円。

2024年同クラスのランクル300は800万円。

まぁ32年前だからそれなりに物価も違うけどずいぶん高くなったなぁという印象しかない😰

 

乗り降りが簡単かなと思って20インチの小径自転車。

疲れても帰れるからと電動アシスト。

自転車がこんなにも重いとは…(;一_一)

 

車に積んで持って帰ったのだが、その時は店員さんが乗せてくれて自分も少し手伝った。

FITの荷室ギリギリだった。

後にかごを取り付けてもらうため自分で乗せようとしたが断念…車に傷をつけそうになったためだ。

結局かごだけもらって自分で取り付けたが、取説が不親切なのと、かなり複雑な構成になっていたので難儀した(;一_一)

 

やっと走れるようになり近場をあちこちサイクリングしてみたが、結局アシストはハイパワーオンリー(笑)

実に楽だ。さすがに近くのお城山はギヤを一番軽くしても1/3も登るとかなりきつく、Uターン。

 

あと、住宅街の路地ばかり走るので舗装の段差がありまくりで腕にもお尻にも衝撃が常に伝わってくる。

そこでサドル用のクッションカバーとサスペンションを購入してみた。

これは大成功!実に快適。

その他にもバックミラーやサイクルコンピューターなど付けて遊んでいる。

 

その一つにネックスピーカーがある。

ウォーキングの時はカナルイヤホン付けて音楽聞いているのだが、自転車の場合は違法になるので首から掛けるスピーカーを買ってみた。

これが想像以上に心地いい。エンヤなどまったりした曲を流しているのだが、イヤホンやヘッドホンのような閉塞感が無く、どっか他から流れてきているような錯覚さえ覚える広がり感がある。

もちろん周りからもある程度聞こえるのだが、自転車なのであっという間にすれ違うので気にはならない。

 

大阪にいた時は移動の7割くらいが自転車だったのだが、鳥取に帰って道路事情が悪く車道を走りにくかったので持って帰った自転車は早々に処分してしまった。

それから20年ぶりである。自転車の復活。

 

さすがに間に平日3日もあると連続休暇取れる人は少ないだろうね。

 

まぁそもそも一週間以上の休み貰って海外でゆっくりなんてセレブも少ないだろうけど^_^;

 

自分の場合は毎日仕事で毎日休日みたいなフリーランス(*^_^*)

歳とともに早寝早起きになっていく😅

周りからはちょっと馬鹿にされる😰

夜はテレビを見るくらいしかやることが無いけど目が疲れやすく晩酌飲んでいるので早々に眠くなる。20~21時には寝床に入る。

朝は5時起き。6時からのFM東京の番組を聞きたいためだ。

なので長い時は10時間寝ていることになる。

とはいえ、頻尿で夜中に数回トイレに起きる。

ただ寝入るのは早い。5~10分程度で夢に入る😌

で、先日「ホンマでっか!」でこんなのをやっていた。

「やはり出来る人間は長時間睡眠を取っているのだ!」

と、堂々と言いたい🤣

 

開業当初、モーショングラフィックスだけでは物足らないと、渋々撮影を始めた。

2003年、ホームシアターだった我が建物をクロマキー専用スタジオに改造し、VX1000というDVカメラで撮影した。

まだSD時代なのでクロマキーのクォリティーは今見ると酷いものだった。

2006年、クロマキーの精度を上げるべくHVX200を導入した。HDでも撮影できるし4:2:2記録ということで一気に合成精度は上がった。

 

せっかくハンディーのデジタルカメラを導入したんだからとロケも恐る恐る始めたのがきっかけで、その後結構本格的なデジタルシネカメラ、照明セット、特機などをワンマンオペレーションでやることになる。

 

2020年、コロナとともにロケ撮影は断るようになった。

そしてコロナ明けても、もう体力的に厳しいということでロケ撮影は卒業。

約14年間のロケカメラマン。振り返ってみるとよく頑張ったものだ。

カメラもHVX200、XF305、EOS7D、FS100、C100、C100Ⅱ、C200、EOSR6Ⅱと変遷している。

照明もハロゲン→蛍光灯→LEDバッテリー駆動と進化してきた。

特機はレールドリー、ジブアーム、リモートヘッド、グライドカム、ジンバル、モーションコントロールといろいろ。

 

これらの機器もスタジオで使えるものは今でも現役だが、ロケ専用のものは倉庫で眠っている。

またいつか軽いロケでもあればと置いているが、4年以上ロケしてないと感覚が戻らない(;一_一)

 

ということでCMロケカメラマン卒業なのである(笑)

 

 

歳とともにロケをしなくなったし、スタジオ撮影も元々多くはない。

そのため新しい機材に対する欲が薄れてきているのだ。

 

仕事は編集物中心にそれなりに動いているのだが、設備はPCなのだが、10年くらい前からPC系の機材にはあまり興味が無くなってしまっている。

進化があまりないからだ。

 

そんなこんなで、日々考えるのは健康のこととか、老後のお金の使い方とか^_^;

 

機材ネタを書いていたころのアクセス数を考えると1/3くらいにはなっているだろうか…

 

ちょっと毎日が厳しくなってきたので気が向いた時ということに変更します。

ちなみにFacebookは毎日、日記のように書いてますので興味のある方はそちらで友達申請してください。

 

小心者の自分は何事もやる前に頭でシミュレーションしてしまう。

そしてちょっとでも不都合なことが霞めるとやらない。

ま、よくあるパターンの性格なのだが…(;一_一)

 

大きな冒険はやらないし、大きな失敗もしない。

自分の性格には山谷の少ない無難な人生が向いているような気がしてきた。

見方を変えると「後悔先に立つ」ということになる。

あの時あれをやっておけばよかった… なんて後悔もしない。

後悔なんて何のプラスにもならない(笑)

 

前向きに未来のことしか考えないのだ!(*^_^*)

 

まぁ人に寄るんでしょうけどね(笑)

自分の場合、若い頃親父に言われたような気がします。

父も商売をしていたのでお金に関してはシビアだったんですね。

ただ、母から聞いた話では父が知り合いを信用して保証人になって大損をしたので絶対に他人の書類にハンコは押すなと言われ続けてきました(*^_^*)

そして父も自分主義だったので子供に財産は残さないと若い頃から言っておりました。

 

そのため自分が大阪に出る時は一匹狼で生きていくと決心したものです。

 

とにかく自分で稼いだお金は自分に投資。

とはいえ、20代前半はたいした収入も無いので母に仕送りしてもらったりしてましたが、説得材料は自分に投資。稼ぐようになったら倍返しするからと…  ランクル買った時も長々と電話して説得した(笑)

 

30代になるとバブルの後押しもあってそこそこ収入はあったが、通帳に貯まって来るとすぐに使っていた。

全ては自分に投資だと自分に言い聞かせて。

その内容は趣味半分である。コンピュータ、カメラ、ビデオ機器、オーディオ…ま、今と同じような物である。

その投資が自分の価値を上げていき、単価の高い仕事が出来るようになっていったわけである。

 

なので大阪にいる時はたいした貯金は残っていなかった。

貯金を意識し始めたのは、老後を意識しだした50代からである。

大阪時代はバブルで動くお金は大きかったが、サラリーマンという立場を取っていたので可処分所得は今ほどではなかった。

Uターンして1年ほどで起業したが、鳥取ローカルと言えど、やり方次第では付加価値の高い仕事が出来るのだと驚いた。

やはり大阪で得たノウハウは鳥取でも役立ったわけで可処分所得は鳥取の方が多かった。

そのため、起業して10年くらいは利益のほとんどを設備投資に回していたが、その後は貯金に回すようにした。

近年の売り上げはピークの半分くらいになってはいるが、設備投資が落ち着いたので可処分所得はそれほど減っておらず着々と貯金額は増えている。

 

未だに仕事が絶えないのは、ライバルが少ないからである。

これは若い時に自分に投資として注ぎ込んで来たことが今、役に立っていると思うわけだ。

これこそ「お金は後からついてくる」!?ということなんだろうな(笑)