今期はサボってマイリスのみです。

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基本レギュレーション
・対象は2012年上半期(1月1日~6月30日)に公開されたニコマス作品
・自身のセレクトを20作品以内でブログ及びマイリストにて公開
・1Pにつき1作品
※作品と一緒にP名を表記していただけると非常に助かります
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11年上半期はさぼってしまいましたが今期は選びました。18作+サムネ1作。


例によってレギュレーション↓

基本レギュレーション
・対象は2011年下半期(7月1日~12月31日)に公開されたニコマス作品
・自身のセレクトを20作品以内でブログ及びマイリストにて公開
・1Pにつき1作品
※作品と一緒にP名を表記していただけると非常に助かります


後は説明はいらないよね。久しぶりですけどいつも通り行きましょう。




「NoNoWire11_The Shouty Track」獣道を逆走P

再現とアレンジの相乗効果が無二の世界を描く本編もさることながら、泣きたくなるほどリリカルな冒頭がまさに絶品。アイマスはこれからも様々なものを呑み込んで歩むでしょうが、振り上げた腕の力はいつも本物。



「アイドルマスター 美希 ”Why Aren't We Talking” Kettel」SquareP

言葉のいらない世界です。荒ぶるサウンドのひとつひとつを美希は全身で、全力で掬い上げ、踊りきる。ただそれだけで良く、それこそが極上、まさにダンスMADです。



「アイドルマスター2 やよい Light Dance」アリシャスP

アリシャスPについてはVRFレビューでも語りましたし、俺得のニカマスもたくさんあるのですが、下半期で選ぶとしたらこれ。降りそそぐピアノの音を手のひらに載せていくように、やよいのダンスがあらゆる時間を拾い上げる。おだやかで無言の、それでも高らかに響き渡る、それは賛歌。



「アイドルマスター missing」toai氏

ステージを引きずり回すような、あるいはステージが千早を導くような。下半期を風靡したジャンプカットスタイルが、空間とアイドルを溶け合わせます。すべてが鮮烈な青に染まっていく。



「【アイドルマスター】おなじ話【春香】」浅葱P

どこまで遠く歩いてもあの夢の大橋に後ろ髪を引かれ続けるように、ひとときの出会いは一生を通じて人を決めてしまうことがあります。ただ、それがどういう力を持っていたのか、一生わからない。そんな多義性と暗喩に満ちた、ちいさな恋の物語。



「@常」リンP

ここまで来たし、これからも行く。目まぐるしいほどに歴史を詰め込んだ映像をハイテンションなサウンドに乗せて、心地よいリズムで突き抜けていきます。長いようであっという間だった日々は懐かしく。



「アイドルマスター P・N・E」まちぼんP

悪夢的なサイケデリックサーカス。ねじくれて引きちぎれそうなキュートとイルの混じり合いが、映像空間さえも引き裂いていきます。そんな中で悠然と踊るアイドルは、あたかも世界のすべてが落ち込む特異点。



「アイドルマスター「 ζ*'ヮ')ζ<あぃのぅかんふぅ~! 」」TataguP

いっそ狂ってしまえ、とばかりロリトリオが自由を謳歌します。サイケデリックな歪みを足場に、ハンマー投げのようなダンスの暴走が視聴者を振り回し、世界の果てまで吹っ飛ばす。無敵の遊び心。



「浴びるほど浴びる」もぼぞんえP

こなごなになりながらきらきらしく、こんなに心揺さぶられるのにこんなにも静謐。Pらしい寸断と再構成の美学の奥底から、律子の優しい視線にのぞき込まれて、居住まいを正したくなる耽美の6分間。



「アイドルマスター 空蝉」nu氏

近いようで遠い、デュオという距離。雪歩と貴音の間には、手が届きそうでもあり、無限の彼方でもあるような異界が広がっています。精緻な構成は時間と空間の哀しい遠さを暴き出し、それでもダンスは続いていく。



「Anesthetic」戦前P

卓抜な画面構成の勝利。貴音の端正なダンスさえもまるで夢か幻のようで、あおぞらぽっぽの行く先に思いを馳せます。彼女がどこに立って、どこへ向かうのか。まだ誰も知らない線路の果てに、その終着点はあるのか。



「Ami&Mami #The Invisible Man」tinoP

ほぼバストアップのみのダンスが、ここまで魅せてしまうという衝撃。白と黒に塗り分けられた双子に挟み撃ちにされ、あれよあれよという間に映像に引き込まれてしまい、自分の居場所さえわからなくなりそうなクールなカオス。



「【VRF'11】  「銀世界」」ジェットP

VRFからの1本目はジェットPの白い傑作。切り絵とゲーム映像がまるで光と影のようにぶつかり合い、荒涼とした雪景色へのやるせなさで共鳴していく。圧迫してくるような、心の奥を抉り出すような、痛切で美しすぎる世界観。



「アイドルマスター だからもっと遠くまで君を」わるつP

市民ホールのカジュアル春香というのは一種の魔法がかかっていると思うのですが、わるつPのふんわりした色調と作り込まれたダンスは、その魔法をいっそう強調するかのようで、一滴のエリキシールに似て、心の隅々まで思いを行き渡らせてくれるのです。
















「Meteorites VRF Edit」ハニハニP

非表示になっていますが、改訂版公開予定というPの言を信じて敢えて載せます。端正な色調に裏付けられた華やかなスローバースト、奇跡のように隙のない長回しダンス。研ぎ澄まされて精巧な、ずっと見飽きることのないダンス映像の美学です。



「如月千早 - VERROCK FESTIVAL '11」しょじょんP

VRFを離れてこの動画を単体で推すことは、ある意味邪道かもしれませんが、そうする価値はあるでしょう。観客の息の根さえ止めるような、如月千早渾身のソロライブ。



「Harka」SAId氏

アニマスMADから奇才SAId氏。あの凄絶な24話を描き出していた映像は、その堅牢さを顕在させると同時に、アイドルたちと視聴者の距離感を暴き出すような痛切なインパクトを持つ映像へとその形を変えています。実にMADらしい、再構成の妙技。















「Keith Jarrett, Gary Peacock, Jack DeJohnette with THE iDOLM@STER Riot」一一P

今回はもう動画は貼らずにタイトルだけ記述することにしました。一寸先も見えないようなフリージャズの危うい音の上で、恬然と踊りきる律子の姿たるや。曲とダンスのつながりの有り様さえも変えてしまいそうな、もはや曰く言い難い無二の領域。



サムネ一選。




ファンタスティックプラネットは一見の価値はあると思います。


マイリスト。貼ってない2本へのリンクもあるよ。

http://www.nicovideo.jp/mylist/29765464


アニマスのネット配信もそろそろ最終回に近づき、大きな祭りも一段落という所ですが、アイマスとニコマスはこのままゆるゆる続いていきそうな気がします。これからも楽しくいきましょう。

アイドルマスター2という新たな舞台は、ダンスMADの世界を大きく様変わりさせました。これから語るのは、まさに舞台の話――アイドルたちが立つ、ステージという場所そのものについて。



影彦Pの「大きな翼」のダンスシーンは3つのステージから構成されています。タイムラインの主体になるのはメイデンインブラックを着た千早の踊るヘキレキウェスト、そこへラフタイム千早のいるライブハウスの映像がカットインする形で展開し、後半にはシャイニングオーキッド&船上ライブが入ってくる、という構成になっています。
それぞれに特徴のある3つのステージ、それはそのまま、彼女の置かれた局面と、それに応じる千早の内面とを表現するすぐれた指標となっています。

この映像を総じて際立たせているのは、ヘキレキウエストという「ステージの表情」が著しく強い画面でしょう。実に印象的な0:50、落ちる稲妻と、その片隅で不安な表情を浮かべる千早などはその典型例です。
この稲妻のインパクトは強烈なものです。こうした天候の時間的変化というのは、もちろん屋内では見られることがなく、L4Uの野外ステージでもここまで強烈な変化はありません。照明や紙吹雪、シャボンといった人工的な演出を主体としてきたアイマスのステージにあって、このような自然の変化への着目は、2のステージにおける大きな変化の一端をなしています。



野外ステージの様々な表情は、農民プーPの”You've Got To Help Yourself”を見れば一目瞭然でしょう。
スノーマンズランドの雪、ビーチライブの打ち寄せる波、そして先の稲妻と、ステージの枠に収まらない雄大さ、自然現象の持つ強度というものを、ステージ上のアイドルの表現にまで持ち込もうとするかのようです。(あるいはバルーンの気球や船上ライブの花火もでしょうか?)

0:50に戻りましょう。この稲妻のカットは、千早の表情と相まって、彼女の胸の内にある大きな不安を表現しているかのようです。広大で不穏な黒い空に押し潰されそうな千早。その視線は、どこか遠くを見ています。
このカットに象徴されるように、特に前半部のヘキレキステージでは、千早の視線はほとんどカメラの方を向きません。そのせいか、静かなモーションもどこか明後日の方、あるいは自分の内面へと閉じていくような印象を受けます。
これは、途中で挿入されるライブハウスステージのシーンと好対照をなすものです。ここでの千早は活力に富み、カメラ目線でのポーズや笑顔、ウィンクまでも決めてみせます。
ライブハウスは、どちらかといえばかつてのL4Uのライブハウスステージに近い、狭く人工的な印象のステージです。しかし、それがかえって視聴者との親密性を強調しているかのようでもありますし、白色光を強調した空間の明るさは、闇の近づくヘキレキステージとの差を感じさせます。
0:23や1:05のスーパースローカットが象徴するように、おそらくこのライブハウスは、かつて千早が演じたステージなのでしょう。その明るさが、今はこのヘキレキのような暗雲に覆われている、ということ。そこに千早の内面の変化を想像するのは、難しくないでしょう。

そのヘキレキステージの前半の終わり、1:23~25にかけて、印象的な止めフェードが使われています。



止めフェードといえば、最近ではぐぐるPの”甘く深く”において多用されていました。こちらではモーションやカメラ角度の変化に合わせて用いることで、ひとつながりの時間を細かく分断し、まるで個々の瞬間を宝石箱に閉じ込めるような鮮烈さを醸し出していました。
しかしこの止めフェードは、それらとは異なります。フェード自体、ここまででは1:06、ステージの違うシーンを接続するポイントでしか使われていません。そこへ、カメラ角度もモーションもほぼ連続したまま、止めフェードを2段も使って映像をつないでいます。それは先のフェードと相まって、むしろ千早の内心の表現……過去にとらわれる彼女の内心の現れとなっているかのようです。



(ちなみに影彦P自身も過去には”moonlight”で止めフェードを使っていますが、それも”甘く深く”同様に大きなカット変化を伴っています。”moonlight”も複数のステージのクロスカッティングを駆使していますが、全体のカラーは比較的統一されており、時間的な差異よりもむしろ夢の中のような幻惑感を表現しています。)

そうして閉塞していく千早のステージは、しかし新たなステージによって揺さぶられます。それが後半の船上ステージです。
夜景に鮮やかに浮かぶシャイニングオーキッド、そして一気に加速していくダンスと散乱するカット。この強烈な映像的カタルシスはそのまま、千早の心理にも大きな変化があったことを示しているようです。
彼女に何があったのか。それを教えてくれるのも船上ライブというステージの様相です。水面の変化が美しいステージですが、重要なのはそのさらに向こう、窓に明かりをともしたビル群でしょう。
L4Uのステージにおいては、観客の姿はありませんでした。DSのステージがライブの客席を映すためには、アイドル側の視点という方策を取るしかありませんでした。
このビル群は、そうした「観客の視点」を表現する困難への変則的な回答になっています。街は活動し、ビルに明かりが灯る。そこには仕事に疲れた会社員が働きづめ、息抜きを求めて河に目をやることもあるでしょう。あるいは橋の上、あるいは河原、そこかしこで人々は活動し、偶さか、この船上ライブを目撃することでしょう。
仮想上の観客とアイドル(そして画面の向こうの視聴者)の間で閉じていた世界は、ここにおいて解放されています。背景から到来する無数の目線に、千早は晒されます。荒々しいカットワークは、その様々な角度の視線の象徴でもあるのでしょう。
事ここにいたり、如月千早は世界と対決した、のだと思うのです。
1:52~、実写の青空と、シルエットの千早。この青空は、あるいは0:18、あるいは1:34の船上ステージの直前にもインサートされています。そして1:54のこのカットで、千早のシルエットは無数の羽根となる。美しい昇華の表現ですが、ともするとこの描写さえもが余剰に思えるほど、饒舌なステージとダンスの表現は、映像に強い説得力を与えています。

過去の喜びと、迷い、そして昇華という一連の流れをひとつ解釈するならば、それはやはり千早の物語なのでしょう。羽根のイメージは「蒼い鳥」、さらには2の千早シナリオをも連想させます。また、稲妻は古来より、咎なくして死んだものの怨念を象徴しますが(菅原道真は死後に雷神となり内裏を雷で焼き尽くしました)、一方で豊作をもたらす慈雨の予兆でもありました。そうした象徴表現の読解は面白い所ですが、それをするにはまた別の記事が必要になるでしょうから、ここでは立ち入りません。

昇華の後のラストシークエンス、稲妻は遠ざかり、千早が天に伸ばした腕は止めフェードによって固着されます。そのたたずまいには、彼女のみなぎる決意、迷いない意志が彫像のように映し出されています。
2:25。ヘキレキステージでは、曲のイントロとアウトロに風が吹きます。髪の長いアイドルの場合、その髪が大きくあおられて、その風の強さをまざまざと思い知らされます。
そしてその強風の中で、千早は憂いを秘めた瞳と共に決然と立つのです。そこにはもはや迷いはなく、吹き付ける風も、もはや彼女の思いを乱しはしない。雷鳴の終わりと強くなる風は雨を予感させますが、千早はきっと、もうそれを懼れることはありません。