「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

「最後まで諦めない」~医師、時々作家、そしてランナー

医師であり、時々作家、そしてランナーである筆者が日々の出来事について徒然なるままに綴っております。「最後まで歩かない」事をレースでも、人生でも目指しております。

今日は月曜日です。今日から4月、そして新年度の始まりです。私は自営業なので、新年度と言っても、特に大きく何かが変わる

わけではありません。

 

私は2021年4月1日に南町田病院で両側の外反母趾の手術を受けました。執刀して下さったのは「足のクリニック表参道」を経営

している桑原靖先生です。

 

術前から今日までの足の写真を添付させて頂きます。

 

術前

 

術後1年目

 

術後2年目

 

術後3年目

 

足の爪白癬の状態が今日は少しよくないです。私は術前からランニングを趣味にしていました。昨年11月末に走っている途中に

転倒し左腸骨と鎖骨を骨折しています。

 

腸骨は骨盤を形成する骨ですので、今シーズンはかなり多くのレースをDNSにせざるを得ませんでした。しかし、2024年に入って

からジョギングを経て、ランニングをする事も許可されました。

 

シューズが合っていないのかもしれませんが、右足の示趾と環趾の爪は、他の足趾に比べて傷んでいるなと感じます。もう一点、右の示趾が母趾側に倒れ込む傾向は術後2年目から続いています。

 

術後4年目に足の形がどのようになるのかを注視しなければなりません。

 

足のクリニック表参道の桑原靖先生に手術してもらった方が他にも多く手術後の経過をまとめていますので、私もその沢山の患者

の中の一人です。

 

私は東京都町田市にある南町田病院を術前に一度受診し、術前検査と診察を受けました。そして手術前日に入院し、入院翌日に

手術を受けました。

 

手術翌日から歩行開始となり、リハビリが始まっています。そして術後2日目には羽田空港から飛行機で山口に戻っています。術後2日目の退院は決して簡単ではなかったですが、仕事を休んだのは水曜日の午後から土曜日にかけての4日間でした。

 

術後5日目の月曜日からは普通には歩けませんでしたが、訪問診察を含めた仕事は何とかこなす事が出来ました。2021年はまだ

コロナが2024年4月現在よりは恐れられていた時期だったので、そこは結構大変だったなと思っています。

 

今でも医療用インソールが入っているシューズしか履きません。そして一日に一度は母趾のストレッチをしています。外反母趾の

手術を受けたら、そこで何も自助努力をしなくていいという訳ではありません。

 

誰もが順調な経過を辿るのか分かりませんが、少なくとも私は桑原先生に手術をして頂いてよかったと思っています。

 

又、術後4年目、5年目といった節目には外反母趾の術後経過を報告したいと思う今日の私です。

 

 

 

 

 

今日は日曜日です。

 

私は福岡県小郡市で開催された“福岡小郡ハーフマラソン”のハーフマラソンの部に出場しました。ハーフ以外にも10キロと2.5キロ

の部があります。

 

タイムは1時間51分58秒(ネット1時間51分31秒)でした。早朝は冷え込んでいましたが、今日はスタート時点からさほど寒さは感じなかったです。

 

かと言って暑さもさほど感じる事はなく、絶好のレースコンディションだったと思います。

 

私は昨年11月25日に左腸骨と左鎖骨を骨折しています。もう3ヶ月以上経ちます。日常生活には全く何の支障もありません。

しかし、下肢筋力の低下はまだ十分に回復していません。

 

私は転倒し、骨折した事を契機に自宅にトレッドミルマシンを設置し、早朝の練習を屋外を走る事から自宅内でトレミを用いた

トレーニングに切り替えています。

 

天候に左右されないとか洗濯物の量が少ないと言ったメリットはあります。しかし、レースを実際に走った時に走っているペースが突っ込み過ぎているのか、それとも程々なのかが分かりません。

 

今日のタイムは骨折から復帰して走ったハーフマラソンとしては最もよいタイムだった事は事実です。しかし、何度か歩いて

しまった事が悔やまれます。

 

もし、ペースは落としても歩かなければ1時間50分を切る事も可能だったと思うからです。

 

夜明けも次第に早くなってきたので、天候を見計らって週に何度か屋外を走ろうと思っています。くれぐれも転倒には注意します。

 

さて、福岡小郡ハーフマラソンに関してですが、この大会に私が最後に出場したのは2019年の大会でした。

 

ご多分に漏れず、2020年から2022年までの3年間は大会が開催されていません。昨年から大会が再開されるようになっています。

 

今回、なぜ私がこの大会に出場しようと考えたかと言えば、この大会が日本陸連の公認大会になっているからです。残念ながら

私が住む山口県で開催されるハーフマラソンの大会で公認大会になっているものはありません。

 

福岡県でも公認大会になっているものはさほど多くないので、今日のレースにもかなり多くの方が出場していた気がします。

 

全然、関係のない話ですが、今回の大会のゲストに石原良純さんが来ていました。当初、10キロの部に出場予定でしたが、膝の

調子がよくないとの事で、2.5キロの部に出場なさったようです。

 

私は2月26日の大阪マラソン、そして3月3日の東京マラソンの2大会をDNSにせざるを得ませんでした。大阪マラソンは天候も

よくなかったので、出なくてよかったと正直感じました。

 

しかし、東京は天候にも恵まれていたので、出来れば走りたかったです。まあ、開業医でも余り遠方に行く事が憚られる事もあります。

 

正直、今日も大会に出場し、無事に完走し、アフターレースも楽しんで家に戻る事が出来たのは有難い事だと感じざるを得ません

でした。

 

次に挑むのは3月24日に開催される“さが桜マラソン”です。その時までには今自分が走ってるペースは適性なのかどうかを把握して

おきたいと思う今夜の私です。

 

今日は日曜日です。

 

私は福岡県北九州市で開催された“北九州マラソン2024”に出場しました。この大会もコロナ禍の影響を受け、昨年から3年ぶりに

開催されるようになっています。

 

私は2023年の11月25日に走っていて転倒し、左腸骨&左鎖骨を骨折し、2024年の1月初旬からジョギングを再開する事が出来るようになりました。

 

現在は自宅に設置したトレッドミルマシンを用いて早朝に1時間走る事にしています。まだ夜明けが遅いので、中々屋外を走る気に

なれません。

 

1月に新宿シティハーフマラソン、2月11日に神戸バレンタインラブラン、ハーフマラソンの部に出場していますが、これらの大会

で走る時しか屋外を走っていません。

 

そんな状態で挑んだ北九州マラソンでした。結果は完走する事は出来ました。記録はグロス4時間11分48秒(ネット4時間11分40秒)でした。

 

大会前に立てていた目標が完走でしたので、タイムに関してどうこう言う事は避けます。実は32キロを過ぎた辺りで結構な勢いで転んでしまいました。特に左膝を強く打ち、スタッフの方々には「医務室に行きますか?」と問われています。

 

しかし、医務室に行ったらもうレースに戻らないと思いましたので、膝から血を流しながら走る事を選択しています。

 

北九州マラソンのコース、折り返しまでは変化もある程度あります。しかし、門司港レトロで折り返した後は変化に乏しいと思います。

 

そして地味なアップダウンが繰り返されます。そんな小刻みなアップダウンをものともしない人達も沢山いますので、コースの

せいにしてはいけません。

 

実際、昨年の大会では雨が終始降り続き、風も今年よりも更に強かったです。帽子が飛ばされたのをよく覚えています。

 

今年は気温は高かったかもしれませんが、走っている途中のエイドで頭から水を被るほどではなかったです。条件は昨年に比べたら遥かによかったのは認めざるを得ません。

 

長い距離を走る練習なしでフルマラソンに挑むのはやはり無謀だなと今日は痛感させられました。

 

来週の日曜日は大阪マラソンに出場します。又、今回の北九州のような目に遭う可能性は大いにあります。しかし、レースは最大の練習でもあります。

 

前半に突っ込み過ぎると後半に痛い目をみる事だけは学びましたので、今度は前半を抑えて入る事を心がけようと思う今夜の私

です。