好きは 好きだし

 

キライは キライだし

 

そんなふうには 思ってるんだけれど

 

 

ふとしたはずみで 

 

なにかが ズレたら

 

 

それが 

 

キレイ! とか

 

ヤバくない? とか

 

そんな方向へ ズレたとしたら

 

 

キライが 好きになったりして

 

そんな好きから始まって 

 

もっと知りたい! がムクムクしてきて

 

知れば知るほど 「?」が大きくなってきて

 

しばらく 距離が離れるときもあるんだけれど

 

 

どうしても 生きるや死ぬや 命を考えなきゃならない時

 

そんな時が わたしに訪れたとき

 

キライが好きになって 好きがもっと知りたいになって

 

もっと知りたいが「?」となって 

 

放ったらかしにしておいたつもりの そんなものが

 

わたしを支えることが あるのだなと

 

 

たいせつな存在をたくさん失ってきた

 

わたしの前を歩いた わたしの前を歩いている

 

たくさんの人が 身をもって感じていて

 

 

そのことへの感謝というか

 

そのことへの後悔というか

 

まったく わたくしごと なんだけれども

 

まったく だれの身と 宇宙を結んだとしても

 

通用する感覚の話として

 

「センス・オブ・ワンダー」として 語られている

 

 

だから どうか ー

 

はじめから 身につけたい 素晴らしきものとして

 

センス・オブ・ワンダーが 語られませんように と

 

天邪鬼な僕は 願います

 

 

クモ キモいし…

 

と言っていた まつ毛クルリンのおねえさんが

 

光に透けたクモの脚を 目にしたときに

 

ねえ?ヤバくない? 

 

と 口にした そのズレが

 

やがて その身に訪れる 深い悲しみ

 

ときに絶望 そして 我が死に 

 

寄り添い さすり 包み込む

 

ただ一つ だれにも与えられている

 

魂のケアなんだとしたら

 

 

センス・オブ・ワンダー という

 

ケアなんだとしたら

 

 

強いることなく

 

そのまつ毛イイね!って

 

笑って 歩くしかないんじゃないかと

 

もう それくらいのことなんじゃないかと

 

気弱に 言ってみたい

 

 

なぜ 気弱なのかというと

 

まつ毛クルリンのおねえさんの大多数は

 

僕と笑って 歩いてくれないんじゃないかと

 

自覚しているからであります

 

 

 

I くんが

 

ちょっと歩いては 座りこむ

 

 

言葉を交わして

 

笑いあって

 

 

また ちょっと歩いては 座りこむ

 

そして また

 

言葉を交わして 笑いあう

 

 

さっきから その繰り返し

 

 

ぜんぜん 進んでないけれど

 

社会が ずいぶん遠くに行っちゃったな

 

こういうの いいな

 

 

I くん ありがとう

 

そんなふうに 連れてきてくれてありがとう

 

 

 

 

 

オオバコの風車 のような

 

おとなからすれば

 

なんとも ちっぽけな 遊びであっても

 

 

Rくんが

 

なんども なんども

 

夢中になって 吹き続ける その姿に

 

 

20年とか 30年とか先の 

 

Rくんの 輝きを 

 

ちょっと予告編で 見させてもらっているような

 

 

そんな錯覚が 僕は好きで やってきたし

 

たとえ それが 錯覚だとしても

 

その錯覚こそが

 

ちいさな人を 足りない扱いしない感覚を

 

育んできた 土壌のようなものでしょう

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が続いている森を 歩いて

 

思いがけず 出会う

 

 

 

葉の底で

 

縮こまって 動かないものに

 

 

 

葉の上で

 

仰向けで 動かないものに

 

 

死ぬは 生きるの先にあると 描いて

 

死ぬは 生きるの 対極として 描くこうとすれば

 

怖くて 怖くて

 

 

死ぬは 生きるを 包んでいるものとして 描けば

 

科学と宗教の言葉は

 

わたし 一人称の言葉になる

 

 

そんなわけで

 

思いがけず出会うような 散歩に出かける

 

 

強く降り出してから 微笑んで出かける

 

死を想え なんて お節介も甚だしい

 

野にある 万の死が

 

わたしの生を どんどん包んでゆく

 

 

慈悲 と つぶやいてみる

 

雨の森に わたしも にじんで 溶けてった

 

 

 

 

 

無茶苦茶でいいとは思わない

 

でも その人が満たされていることは たいせつ

 

 

Sくんが かえり道

 

何度も何度も 言うのです

 

ー きょう たのしかったねえ

 

 

満たされた感覚を 言葉にすることがたいせつだろうと思ったから

 

そうねえ くらいの言葉しか

 

返しませんでしたら

 

 

ー ぼくは きょうが いちばんたのしかったからね!

 

ー すっごい たのしかったからね!

 

と 何度も念を押すように言うのです

 

 

ねえ わかってる?

 

たのしいって どういうことか わかってる?

 

と 言わんばかりに ー

 

 

ねえ みなさん

 

たのしいって どういうことですか?