この4月から東映チャンネルでは特撮ドラマ『大戦隊ゴーグルファイブ』の放送を開始している。

 

東映チャンネル | 大戦隊ゴーグルファイブ 4月7日(日) 放送スタート!毎週(日)10:00~11:00 (toeich.jp)

 

東映の制作により、1982年2月6日から1983年1月29日までテレビ朝日系にて放送されたもので、現在も続くスーパー戦隊のひとつ。

 

この手の番組には珍しく車両協力でトヨタ自動車が入っており、二代目セリカXXが、ゴーグルファイブが変身前の姿で事件を探索する際に移動手段として用いられる。

 

白いボディ色で、グレードは2800GT、そしてナンバーが「品川33 な 34-75」

 

当ブログの読者諸兄ならば、このナンバーに既視感があるはずでしょ?

 

そう、1981年10月から日本テレビ『太陽にほえろ!』に投入された銀黒ツートンのセリカXX2800GT「品川33 な 34-74」とナンバーが一番違いなのである。

 

徒然なるままに、クルマを中心に「太陽にほえろ!」 in 1981 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

二代目セリカXXの発表時、トヨタ自動車が広報車として2800GTを運輸局へ登録したのは三度に渡る。一度目は広告写真やカタログ用に、二度目のものが発表時の雑誌媒体へ大々的に貸し出されたものなのだが、それでは台数が足りないと思われたのか、三度目はその目的で34-74と34-75が追加された。

 

7月の登録から一カ月余り後、8月下旬から9月上旬の撮影となった『太陽にほえろ!』第477話「俺は誘拐犯だ!」(1981年10月2日放送)で初登場した銀黒の34-74は雑誌媒体などで使われた形跡がなくてほぼそのまま『太陽にほえろ!』に直行したのだけど、白の34-75はセリカXX発表以後に日産が出してきた新型スカイライン(あのRSがラインナップ)、新型マツダコスモらライバル車との比較試乗なんかに用いられたのを経て、1982年2月開始の『大戦隊ゴーグルファイブ』に貸与された。

 

『大戦隊ゴーグルファイブ』へ貸与される前に自動車雑誌の取材で使われた白の34-75

他にも女性ファッション誌のドライブ記事などに使われていた

 

しかしながら、第1話からではなく、第7話「幽霊になったパパ」(1982年3月20日放送)から登場してきている。

 

大戦隊ゴーグルファイブ|大虎のブログ|開店休業中 - みんカラ (carview.co.jp)

 

来週ようやく、東映チャンネルでその回が観られる次第というわけなのである。

先日、『火曜日のあいつ』を初ソフト化したベストフィールドがX(旧:ツイッター)で「お客様のリクエストに耳を傾けます」と投稿したことから、様々なリクエストが寄せられた。既ソフト化ながら廃盤になって久しくて、現在は超プレミア価格の『華麗なる刑事』、それから『兄弟刑事』を自分もリクエストさせていただいた。

 

 

『兄弟刑事』は1977年12月5日から1978年3月27日まで東宝テレビ部の制作でフジテレビにて放送されたものである。

 

ソフト化もされたことがない、スカパー!でも放送されたことがない、そして制作局のフジテレビでも再放送されたことがない、今回の記事は、このレアな刑事ドラマを取り上げていきたい。まずは番組開始に至るまでの背景を紹介しよう。

 

1970年代半ば、それまで“事件もの”と呼ばれていたドラマのジャンルが、日本テレビ『太陽にほえろ!』(制作:東宝テレビ部)のヒットで“刑事ドラマ”と替わって呼ばれるようになり、追って開始のTBS『夜明けの刑事』(制作:大映テレビ)も続いてヒットを飛ばすようになると、いわゆる刑事ドラマブームが巻き起こる。それを受けてフジテレビは1975年秋改編期直前の9月6日から翌1976年2月28日まで土曜10時の枠で『新宿警察』(制作:東映)を放送していたのだが、裏番組の日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』が俗悪番組ナンバー1として槍玉に挙げられるほどその話題性で強かった時間帯だから、視聴率が5%とか当時の基準からしたらほとんど誰も観てないに等しい数字で惨敗に終わる。この1975年の土曜夜と言えば、5月からTBSが9時枠で『Gメン’75』(制作:東映)を開始して瞬く間にヒット。同じ東映制作ながら明暗が分かれてしまったのは、いやはやなんとも…。

 

「新宿警察」特集 | 東映ビデオオフィシャルサイト (toei-video.co.jp)

 

フジテレビは1976年春改編期開始のものに刑事ドラマは置かなかったが、1976年秋改編期開始で『刑事物語・星空に撃て!』を月曜8時枠にて放送(1976年10月4日~3月28日まで放送)。まず、視聴率のことを持ち出せば、こちらもTBS「ナショナル劇場」が強い時間帯だから、やはり6%とかそんなものに陥る。また、この同じ1976年秋改編期開始のものに、フジテレビの準キー局である関西テレビが制作局となって『コードナンバー108 7人のリブ』(制作:宣弘社)というアクション刑事ドラマを作って火曜10時枠で放送していくのだが、そちらも視聴率が一桁しか獲れず、哀れにも1クール打ち切りとなっていく。当時のフジテレビはTBSと日本テレビにだいぶ差を開けられた民放第3位だからどの時間帯も弱かったし、「母と子のフジテレビ」というキャッチフレーズからその対極にある刑事ドラマなんて、からきし振るわなかった。でも、刑事ドラマはブームだから作らなきゃソン!とばかりに作っていく。

 

 

『刑事物語・星空に撃て!』の内容は『太陽にほえろ!』の新人刑事成長談を模したもので、江藤潤演じる新人刑事が本庁の捜査課に配属され、その若さと未熟さゆえから刑事という職務に徹することが出来ず、とくに同世代の若い犯罪者や被害者へは感情を割り切れないまま対処してしまうので何度も失敗をしてしまうのだが、厳しくも温かい先輩刑事たちに揉まれながら諦めずに事件を解決していくという筋立てとなっており、以前からこの時間枠のベースである青春ドラマの体裁で作られている。

 

この時期、制作元の大映テレビは、先に挙げた『夜明けの刑事』(TBS)、『新・二人の事件簿 暁に駆ける』(朝日放送)、そして本作で、三本もの刑事ドラマを手掛けており、さらにTBS金曜9時枠で11月から始まる『赤い衝撃』(1976年11月5日~1977年5月27日まで放送)では、主演・山口百恵の相手役・三浦友和が刑事という役どころ。中条静夫演じる百恵の父親は、表向きは実業家だけど、やっていることは悪どい企業乗っ取り屋。だから、氏に恨みを持っていて付け狙っていた谷隼人が襲おうとしたところ、事前情報からその警護に就いていた友和は拳銃を発射して阻止したつもりが、弾丸は誤って百恵に当たってしまい、下半身不随という取り返しのつかない過ちを犯してしまうところから第1話が始まる次第だ。

 

赤い衝撃|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

うーん、また悪い癖で話が逸れてしまったので、そろそろ戻そう。

 

なんとか『刑事物語・星空に撃て!』は半年間の放送を終えて、次の改編期である1977年春からもフジテレビは月曜8時枠で引き続き刑事ドラマを続ける。今度は『華麗なる刑事』(1977年4月4日~11月21日まで放送)。主演は当時女性人気ナンバー1の若手俳優だった草刈正雄。ロサンゼルスでの研修帰りという凄腕刑事を演じ、それでいて優しい心が玉にキズという二枚目・草刈正雄に相応しいキャラクターを演じた。制作は東宝テレビ部が手掛け、『太陽にほえろ!』と同じく国際放映スタジオで撮影していたことから幾つもの共通項があるのはマニアには知られているところ。

 

 

DVDソフトのライナーノーツに記載されたことで、続編ではなく設定を刷新しての同じ草刈正雄主演による『華麗なる刑事II』も企画されたことから、視聴率は依然としてTBS「ナショナル劇場」に及ばなかったが、わりと好評だったことは伺える。

 

そして後番組となったのが『兄弟刑事』(1977年12月5日~1978年3月27日まで放送)である。引き続き、制作は東宝テレビ部が手掛けていて、国際放映スタジオでの撮影だったが、東宝側プロデューサーは変更されていて、本作ではTBS『火曜日のあいつ』(1976年4月20日~9月28日まで放送)などを担当していた黒田正司となった。だから、作風にも影響があり、『華麗なる刑事』がドライなものだとすれば、『兄弟刑事』はウェット。

 

1977年10月改編期における刑事ドラマ一覧

月曜 TBS『刑事犬カール』、フジ『華麗なる刑事』→『兄弟刑事』

火曜 日テレ『大都会PARTII』

水曜 TBS『明日の刑事』、テレ朝『特捜最前線』

木曜 なし

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』

土曜 TBS『Gメン’75』

日曜 なし 

 

 

本作における一番の特長は、刑事ドラマでありながらもホームドラマの要素を併せ持ったことだ。それまでの刑事ドラマは刑事の家庭まで毎回は描けなかった。描いたとしてもベテラン刑事の「え~、今日もまた仕事?」→「事件が起きたんだから仕方ないだろ」と“家庭を顧みない因果な職業”の背景として時折出てくるに過ぎなかった。独身の若手刑事に至ってはそれが皆無。せいぜい田舎から親が上京してきてとかの1エピソードあれば良いくらいだ。

 

ストーリーはこう。猪突猛進の性格ながら現実主義者の弟・葉山健二(篠田三郎)と冷静沈着ながら理想主義者の兄・葉山隆一(岡本富士太)は共に警視庁八名川署の捜査課刑事。父親も警察官だったが亡くなって久しく、勤める警察署近くの実家で、母・志津江(奈良岡朋子)、看護学校に通う末っ子の妹・都史子(五十嵐めぐみ)の4人で仲睦まじく暮らしている。彼らには本庁捜査一課所属の敏腕刑事・明石鉄兵(黒沢年男)という家族がもう一人がいて、それは母・志津江が戦死した前夫との間に産んだ異父兄だった。鉄兵は、志津江が幼い自分を明石家に置いて葉山家へ嫁いだことから「母に捨てられた」という意識が強く、母子関係は断絶していた。志津江が心臓発作で倒れて病院に担ぎ込まれても見舞いへ訪れない鉄兵に隆一・健二兄弟は強い反発を覚える…。

 

目を見張ったスタイリングと動力性能 3代目三菱ギャランΣ(シグマ) | 朝日新聞デジタルマガジン&[and] (asahi.com)

『華麗なる刑事』に続き、車両協力で三菱自動車が入っていて

隆一・健二が乗り回す捜査車両がシルバーのギャランシグマ。

紅いギャランラムダと白いランサーセレステ、当時の若者が憧れた2ドア・スポーツカーが

縦横無尽にカーアクションをしている前番組『華麗なる刑事』と比べて地味…

 

青春ドラマとしての刑事ドラマ、そこにホームドラマを足してきて、ここまで来ると、たしかに他の刑事ドラマとは一線を画するものがある。ただ、それが成功したか否かは…、当初の予定通りに1978年春改編期までの1クールちょいで終わってしまったからなんとも言えない。

 

フジテレビの刑事ドラマは1クールの空白を置いて、今度は松竹からの持ち込み企画であった、当時開業したばかりの成田空港が舞台の『大空港』を1978年7月から放送を開始(1978年7月24日~1980年3月24日まで放送)。それについては、以前に書いた記事で詳しく取り上げたのでそちらを参照されたし。

 

(続)「新幹線公安官」~「鉄道公安官」、ついでに「大空港」と、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

『兄弟刑事』に加え、松竹側プロデューサー・升本喜年が手掛けたドラマにも出演したことがある

岡本富士太がレギュラー刑事の入れ替わりが激しかったのにも拘わらず

初回から最終回に渡って全話出演している。しかも、最終回は殉職!

ついでに後番組の『87分署シリーズ・裸の街』も引き続いてレギュラー出演。

 

フジテレビはこの『兄弟刑事』で描いた親子愛と兄弟愛、そしてその葛藤を気に入っていた節があり、フジテレビ側プロデューサーの中本逸郎が木曜9時枠で手掛けていた時代劇「江戸シリーズ」に投入させる。『兄弟刑事』が終わってすぐ、1978年春改編期最後の4月最終週~5月第1週、5月4日開始の『江戸の渦潮』がそれである。

 

まずは、その前史をちょろっと紹介。1975年春改編期の4月、東宝テレビ部の制作によって開始した『同心部屋御用帳 江戸の旋風』は一年ごとに『同心部屋御用帳 江戸の旋風II』、『同心部屋御用帳 江戸の旋風』(第3シリーズ)と重ねていく。時代劇版刑事ドラマの趣で、町奉行所が所轄の警察署、そこに所属する定町廻り同心を捜査課の刑事、若手の見習い同心を新米刑事、筆頭同心をいわゆるボス、幕府への体面ばかり気にする奉行を融通が利かない署長という刑事ドラマのポジションに当てはめた。

 

1978年春改編期、「江戸の旋風」シリーズで開始以来主役を張っていた加山雄三が、日本テレビで開始の刑事ドラマ『大追跡』(制作:東宝テレビ部、1978年4月4日~9月26日まで放送)へ半年間出るので、スケジュール的にその期間だけ降板せざるを得なくなったことから、好評だった時代劇版刑事ドラマという作風は残し、スタッフ陣も同じながら、その間を「江戸の旋風」シリーズとは別の作品にして繋げたのが『江戸の渦潮』(1978年5月4日~11月9日まで放送)となったわけである。

 

<時代劇名作選>『江戸の渦潮』|BSフジ (bsfuji.tv)

 

「江戸の旋風」シリーズに“ボス”役で出ていた小林桂樹と加山の替わりとなる古谷一行によるW主演。いまは一線を退いた元同心ながらその剣の腕と洞察力は現役当時のまま冴える唐木半兵衛(小林桂樹)と、半兵衛の息子で家督を継いで定町廻り同心となったけど、まだまだ青二才の唐木純之介(古谷一行)が、普段は仲が良いのにいつも事件の捜査方法で対立して父子の葛藤を繰り広げつつ、その父子二代に仕える凄腕の岡っ引き・辰蔵(露口茂)が仲を取り持って、最後は一丸となって江戸の悪へ立ち向かうという設定。

 

半兵衛・純之介の同心父子と辰蔵をフィーチャリングしたいから、他の同心は事なかれ主義に保身と杓子定規なことしか考えていない嫌味な奴(竜崎勝)がレギュラーで出ているだけで、あとは毎回のモブか著名俳優によるゲストに留めた。その分、辰蔵が暮らす“ふくろう長屋”の住人たちが辰蔵配下の密偵となって、唐木半兵衛と純之介・父子の御用を助けていくのが、本作ではもう一つの売りとなっている。

 

その“ふくろう長屋”の住人たちは、誰に対しても口が悪い下っ引き(小野ヤスシ)、仕事そっちのけで岡っ引きの真似事が好きな魚屋(左とん平)、夜型人間の派手派手な新内流し(小松政夫)、すべての宗派に通じてる!?通夜坊主(東野英心)、飯屋の看板娘(岡江久美子)らと個性的な職業かつ豪華な俳優陣。さらに『兄弟刑事』からは、おやっさん枠の刑事役だった梅津栄と新米刑事役の古沢カズオも招聘された。当たりそうもない手相占い師を演じる梅津栄は『兄弟刑事』で氏特有の怪演をあまり見せなかったが、こちらでは思う存分発揮していく。職業不詳・だんまりの定を演じる古沢カズオは『兄弟刑事』を制作するにあたって公募して選ばれた新人。しかし、ズブの素人ではなくて、劇団青俳に養成所時代も含めて三年半在籍した実績を持ち、テレビドラマ出演経験はなかったが舞台経験を持っていたからキャリア充分で、篠田三郎&岡本富士太の性格は違うが生真面目な先輩刑事に対して、イマドキな若造ならではの軽口を叩く新米刑事を飄々と演じた。次作『江戸の渦潮』では一転してハードボイルドに無口な刺客キャラを演じていて、賑やかすぎる“ふくろう長屋”の住人のなかでその個性が埋没しないようにとアクセントを付けられている。

 

その後、古沢カズオは本名の古澤一朗(読みは同じ)と芸名を変えて、この「江戸シリーズ」のひとつ、『江戸の激斗』(1979年5月31日~1979年12月27日まで放送)の末期にレギュラー入りしたりしたものの、数えるほどの出演作を残しただけで1980年代前半のうちに消えていった。しかし、「俳優メモ」なるマニアックなウェブサイトのコメント欄に、なんと御本人が最近になって登場したのだ。これには驚いた。

 

俳優メモ : 古澤 一朗(古澤カズオ) (livedoor.jp)

 

さらに、『兄弟刑事』と『江戸の渦潮』は共通項があり、音楽担当がともに服部克久。とくにオープニングテーマのインスト曲は、どっちがどっちだか一聴しただけでは判別出来ない(笑)。

 

服部克久* - 兄弟刑事 オリジナル・サウンドトラック (7"", Single) (mion.tokyo)

 

 

一方、『兄弟刑事』のそのオープニングテーマ曲が、同時期に放送を開始したTBS『ザ・ベストテン』のオープニングテーマ曲とアレンジ違いだという文言が昔からまかり通っているが、聴き比べてみると「どこがそうなの?」と疑う。これがアレンジ違いならば、大野雄二が『ルパン三世』のテーマ曲と同時期に手掛けた他作品のテーマ曲はそのアレンジ違いと言っているようなものだ。

 

 

さて、『江戸の渦潮』で親子愛とその葛藤を描いたが、『兄弟刑事』にプラスして入っていた兄弟愛とその葛藤は二年後の『江戸の朝焼け』(1980年9月4日~1981年3月28日まで放送)で果たされる。もちろん、こちらも木曜9時枠の東宝テレビ部制作による「江戸シリーズ」である。小林桂樹が引退間近の岡っ引き・湊や清兵衛、沖雅也がその実子役で武士の家へ養子に入った定町廻り同心・島佐太郎、鹿賀丈史の辰吉は清兵衛が捕まえた悪党の息子だったが、その情けから清兵衛の養子となった関係。辰吉は出自のまずさに後ろめたさを覚え、普段は二人の前にあまり姿を見せない。しかし、清兵衛と佐太郎には親子兄弟の愛情は持っていて、ふたりの御用を助けていく隠れ目明しとして悪党たちが巣食う危険な街を根城にして遊び人を気取っているという設定。

 

沖雅也 最後の輝き「江戸の朝焼け」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

『大空港』の後番組『87分署シリーズ・裸の街』(1980年4月14日~10月6日まで放送)で中本逸郎とその後を引き継いだ石川博康&河村雄太郎プロデュースの刑事ドラマは途絶え、別のプロデューサーによる木曜8時枠のアクション&刑事ドラマも1981年の『愛のホットライン』(制作:セントラル・アーツ、1981年5月14日~9月24日まで放送)を最後に終わっていく。また、裏番組『ザ・ベストテン』が視聴率を寡占するようになった木曜9時枠の「江戸シリーズ」も『江戸の用心棒』(1981年4月2日~9月24日まで放送)で終わるのだが、実質はその前番組『江戸の朝焼け』(1980年9月4日~1981年3月26日まで放送)で終わっていて、フジテレビ側スタッフは1981年春改編期から開始する単発2時間枠「時代劇スペシャル」へと移行していく。

 

“東宝が京都で作った時代劇”、古谷一行主演「江戸の用心棒」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

【のぞいてみたい「くノ一」の花園 ペリー荻野】アイドルから脱皮…大人の美しさ漂う浅野ゆう子 「おんな霧隠才蔵 戦国忍者風雲録」(1/2ページ) - zakzak:夕刊フジ公式サイト

1982年に放送された「時代劇スペシャル」の一編。

松竹の制作だが「必殺シリーズ」を撮っていた京都映画ではなく“大船”のほうが担当。

そのスタッフはかつて『大空港』を制作していた者たちであった。

だから、そのスタッフら“お気に入り”の岡本富士太も出ている。

 

奇しくも、刑事ドラマブームの終焉と、フジテレビ昭和55年の改革で生まれたスローガンが象徴する「楽しくなければテレビじゃない」の、フジテレビ第二の開局は重なった。そして、1970年代に作られたフジテレビの刑事ドラマと時代劇は、文字通りに前時代的なものとなっていった。

 

BS松竹東急で『熱中時代』が始まる。

 

熱中時代・先生編 第1回 | BS松竹東急 (shochiku-tokyu.co.jp)

 

水谷豊主演「熱中時代・先生編」を全国無料放送、一人の小学校教師が全力で子供たちと向き合う姿に「記憶に残る名作ドラマ」の声(WEBザテレビジョン) - Yahoo!ニュース

 

VHSの時代からソフト化がなされていて、いまではDVDやBDソフトでも観られ、スカパー!でも頻繁に掛かっているから、さして珍しいものではないのだけど、やはり放送で掛かるたび、話題を呼ぶ作品だ。

 

この作品の魅力とは、なんだろう?

 

水谷豊演じる新米教師の直向きさかな、やはり。

 

いや、それだけじゃない。もっと他にあるんだ。

 

水谷豊演じる主人公・北野広大は、一流大学を出てなくて、しかも補欠採用の新米教師という、なんとも頼りない設定。それまでの学園ドラマに出てくる先生というのも、この設定と似たり寄ったりだけど、どこかヒーロー然としていたし、一芸に秀でた部分を持っていた。ところが、北野広大にはなんにもない。

 

このドラマ独自の、北野広大を“熱中先生”に覚醒させる設定こそが、『熱中時代』を空前の大ヒットに導いたのだ。

 

それが、校長の自宅に下宿するというもの。

 

船越英二演じる天城校長というのは、もちろん年の功で先生稼業を一から百まで判ってて達観しているし、慕ってくる人へは誰に対しても優しいし、一方で悪意ある抵抗勢力に対しては毅然としていて、もうほとんど“聖人”なわけ。

 

また、下宿させているのは北野広大だけではなく、同僚の教師たちも複数いる。だから、もういつでもどこでも職員会議をやっているようなかんじ。なので、北野広大は先生でありながらも、“聖人”・天城門下の新入生徒でもあるわけ。この二層構造が、それまでの学園ドラマとは違った部分だし、視聴者にウケた要素ともなった。

 

脚本を担当した布施博一は、主人公が下宿するという設定に味を占めて以後結構使いまわす。

 

1981年春改編期にフジテレビでやった学園ドラマ『気になる天使たち』、すぐさま1981年秋改編期の直前にフライングスタートした堺正章版『熱中時代・刑事編』ともいえる『キッド』、そして1983年から1984年にかけてやった同じ水谷豊主演の『事件記者チャボ!』と。

 

まぁ、このなかで上手く行ったのは『キッド』かな。下宿先が上司の家であり、その上司役が船越英二だったから。ここでも船越が演じるキャラは、まんま天城校長なわけで。

 

いまでは忘れられたことに、『熱中時代』が本放送だけではなく再放送でもひんぱんにやっていた当時、北海道出身という設定でその北海道訛りだった、水谷豊演じる北野広大の口調とともに、船越英二が演じるこの天城校長の独特な口調のモノマネもすごく流行った。一説によると、息子の船越英一郎はそれが得意らしい(笑)。