質問への回答(解答ではありませんが・・・)
さて、このブログも復活の兆しを見せています。
(というか、勝手にさぼるなよ!という方もいるでしょうが・・・)
いろいろと皆さん悩んでいるようで・・・
質問を頂いたので、それなりに回答していきます。
解答とはいえないですが、アドバイス程度の気持ちでお読みください。
とりあえずコメント欄にある「ギター初心者」さんの質問を引用させていただきます。
(※一部読みやすいように書き直しました。ご了承ください)
コンクールで通用する最低限の力(技術力+スタミナ+レパートリー面で二次予選通過できる)は理想的なギター教師につき全く一から習い始めた場合では、何年ぐらいで獲得できるとお考えになりますか?
私は今一時間半ほど実際ギターを持って弾いていますが、自分で過去問などいくらか調べてみたのですが、そこで扱われたものが収まっている曲集をすべて弾きこもうと思うとそれこそ膨大であり、またそこまで本当にやりこまなければ力がつかないのだろうか? あるいは選曲はせめてたくさん弾きこんでいらっしゃる教室の先生の知恵が大切なんだろうなと色々迷っているところです。
実際きちんとした一曲が使い物になるくらい完成させるのにかかる平均日数がえらくかかる(そういうタイプの先生についている)ので、結局多くのものに手を出せない状態です。あるいは手を出すと精力が分散されてしまうような気がして手が出せないのです。そういう意味では独学している方に比べると弾いた曲の数では全然かなわないので、先生の選曲力を全く信じきるか、一時期独学になってでも時間を確保して自分でこれだと思ったものを弾く時間を持つのもいいのかなといった悩みも持ちます。
上記質問を私なりに整理しました。
以下、「ギター初心者」さんの心境を勝手に想像。
①コンクールにでたい
②コンクールに出場するためのレパートリー選曲をどのようにしたらいいか分からない
③予選の課題曲を調べてみて、それを全て勉強しようと試みているが、時間的にも膨大にかかりそうだ。
④現在習っている先生が一曲を丁寧に仕上げていくタイプなので、コンクールを受けるとなると課題曲、自由曲の完成までものすごい時間がとられそうだ。しかも、自分の選曲に自信がないので、結局先生の指示を仰ぐしかない・・・。
⑤独学している人にほうが、一曲じっくりタイプの先生に就いている自分よりレパートリーが多いような気がする・・・
こんなところでしょうか?
上記を踏まえたうえで、質問について考えてみたいと思います。
コンクールで通用する最低限の力(技術力+スタミナ+レパートリー面で二次予選通過できる)は理想的なギター教師につき全く一から習い始めた場合では、何年ぐらいで獲得できるとお考えになりますか?
→このあたりのことは個人差が大きいと思います。それをいってはしょうがないですが・・・
1次予選、2次予選、本選とあって、大体のコンクールは課題曲、自由曲があります。
とりあえず課題曲は告知されてから練習するものと考えてください。
もちろん、ソルのエチュードやヴィラ=ロボスのプレリュードや、ターレガの小品などがすでに自分のレパートリーにあって、それがたまたま課題曲になればラッキーですが・・・。
弾いていた曲が課題曲になったから出場しよう!という考えでは駄目だということです。
コンクールの課題曲は「後世に残したいギター曲の定番」を指定することが多いようです。コンクールに出るために課題曲を練習することが、実は結構勉強にもなったりします。
さて、実験として、出場したいコンクールの課題曲の譜面を見てください。おおまかに初見で演奏することができれば、おそらくそのコンクールには出場できる資格があるといえます。
初見では太刀打ちできない・・・先生に訊かないと運指もつけることができない・・・というのでは、音を拾うだけでもかなりの時間が経ってしまいます。課題曲は1ヶ月くらいで、スムーズに楽曲が要求するテンポで弾けるくらいでないと、出場はできない実力だと思っていいのではないでしょうか?
そして、そのような実力をつくのにはどのくらいの勉強期間が必要か?ということですが、それには個人差&教師の質によって千差万別です。
私は今一時間半ほど実際ギターを持って弾いていますが、自分で過去問などいくらか調べてみたのですが、そこで扱われたものが収まっている曲集をすべて弾きこもうと思うとそれこそ膨大であり、またそこまで本当にやりこまなければ力がつかないのだろうか? あるいは選曲はせめてたくさん弾きこんでいらっしゃる教室の先生の知恵が大切なんだろうなと色々迷っているところです。
→過去の課題曲を全て弾きこむ必要はないと思います。そして闇雲に弾き込むよりも大事なことがあります。自分の力である程度楽譜からフレージングや表現を汲み取る方法を先生から学ぶこと・・・これが理想的な「音楽のレッスン」です。
選曲の問題ですが、ギター史的にも音楽的にも「価値のある作品」を探す方法を知ることが大切です。
有名な奏者が弾いていなくても、「価値ある作品」はたくさんあります。
ギターの魅力&音楽の魅力を伝える楽曲であれば、どのような曲でもコンクール用の曲でありうるはずです。(審査員の好き嫌いもありますが・・・)
習っている先生に選曲を任せるのは楽な方法ですが、その先生がどのくらいギターレパートリーについての知識を有しているか?が問題です。
先生は、ギター史に関すること、ルネッサンス~現代にいたるまでのレパートリーについて知識がなくてはいけません。そして、それを普段のレッスン時にでも、伝えることができるのが優秀なギター教師です。
つまり、自分で選曲させる選定眼を生徒に持たせるようにすることも、教師の仕事の一部だと私は考えています。
実際きちんとした一曲が使い物になるくらい完成させるのにかかる平均日数がえらくかかる(そういうタイプの先生についている)ので、結局多くのものに手を出せない状態です。あるいは手を出すと精力が分散されてしまうような気がして手が出せないのです。そういう意味では独学している方に比べると弾いた曲の数では全然かなわないので、先生の選曲力を全く信じきるか、一時期独学になってでも時間を確保して自分でこれだと思ったものを弾く時間を持つのもいいのかなといった悩みも持ちます。
→先生に「自分の好きな曲をやりたいです!」とはっきり言ってしまえばいいのではないでしょうか?
それで、「駄目!ソルのエチュードを完璧に弾けるようになるまではディアンスなんて弾いてはいけない!」(想像です)といったなら、その理由を先生に訊いてみたらいかがでしょうか?
先生なりのレッスンポリシーがあるのでしょうから、正直に自分の今の悩み、要望を伝えてみるべきだと思います。もしかしたら違うタイプの先生を紹介してくれるかもしれません。そして違う先生についてみたら、もとの先生のポリシーの意味が掴めるかもしれません。
以上、具体的な楽曲や本人のことを知らないので「ギター初心者」さんの質問から、勝手に類推して話をしてきました。
質問者さんの悩みがぼんやりしていますが、なんとなく量をこなせばコンクール向けの対策ができると考えているようですね。
実際に量は必要ですが、質も大切です。
楽譜だけから、どれだけ表現や表情を読み取ることができるか?・・・それを教えていくのが本来の音楽レッスンです。
コンクールに出るレベルの人は、この楽譜読解が自分ひとりでもできる、というのが前提であると思います。
更なるアイデアをギター教師が呈示してくれる・・・
時には生徒と先生の間でアプローチの違いがでる・・・
2人でよりよい表現を探していく・・・
・・・というのが本来の「音楽のレッスン」です)
先生が「ここはフォルテね。ここはクレッシェンド。さあ弾いて!」というタイプのレッスンしかしていないのでは問題です。
コンクールを終えて、プロとして活動するためには、自分で楽譜を読み解き演奏する能力が必要です。その本来の意味での「読譜力」を鍛えるのが教師の役割でもあるわけです。
そのあたりも、根本から、「ギター初心者」さんは考えてみたほうがいいかもしれません。
とりあえず。参考になりましたか?
久々に更新(質問がきたので・・・)
以下のような質問がありました。
突然失礼します。
私はアコギのソロギターでプロを目指している、現在19歳、ギター暦4年弱です。
アドバイスをもらえたら・・・と思って書き込みします。
今私は主にタブ譜の曲、誰かがアレンジした曲などをそのまま弾いています。弾けるようになろうと思って、何度も弾いていますが、こういう練習方法でいいのでしょうか。
ソロギターのしらべシリーズのような楽譜を練習することで、プロになれるだけの技術がつくのでしょうか。教えてください。
いい加減に放置しておくのもなんですので、ひさびさに更新です。
「アコギのギターでプロ」ということですので、これでいいのかもしれません。
まあ、厳密にいってしまえば、なにをもって「プロ」というのか?という根本的な部分から考えていかなければならないのかもしれません。
おそらく、ほとんどの人が「プロ並みの演奏」と「プロ」というのを勘違いしているのかもしれません。
この質問をした方が、どのようなことを「プロ」といっているか若干わかりませんが、おそらく「プロ並みの演奏をする人」という意味で言っているのだと解釈しました。
技術は最低限必要です。ですがそれを表現する場が必要ではあります。
コンサートやコンクールなどで第三者が聴いて「いい演奏家だな~」と思えば、演奏依頼が飛び込んでくるかもしれません。
またあなたがスバ抜けた編曲能力があれば、「曲をアコギ用にアレンジしてください!」という仕事が出版社からやってくるでしょう。
また演奏技術、表現技術を他者に伝えることが上手であり、コミュニケーション能力が長けていれば、レッスンなどをして収入を得ることもできます。
おそらく(類推ですが)この質問をした方は独学であると思います。
できれば誰かに習ってみるといいと思います。
それもきちっとプロでギター一本で生活している人に。
そのお師匠さんにプロとしての技術を習うだけでなく、どのようにしてプロになっていったのか?・・・プロセスも学んでいったらいいと思います。
その人が演奏をばりばりやっている人であれば、ライブハウスなどを紹介してくれるかもしれません。
また、教わることによって、「教えることの魅力」に気づくかもしれません。そうすれば、ギター教師を目指すのも悪くはありません。
そんな感じでいっぱい書きましたが、参考になりましたか?
結論は・・・お師匠さんにつきなさい!・・・ということです。
やっぱりパークニングは素晴らしい!
昨年の来日時の演奏が素晴らしかった“巨匠”パークニング。
現在のギター界ではあまりメジャーではないかもしれないが、通の間では“セゴビアの後継者”としての認識が強い。
来日記念盤として久々に昨年発売されたものを最近聴きなおした。
ああ、なんと素晴らしい演奏・・・。
艶というか、色気というか・・・それがありながら、音が前にでてくる感じは現代の奏者にはない感覚のものである。
↓
ポンセ=セゴビアの共謀による“偽作”も混じっているのだが、曲目などは1977年発売当時のままであり、そこもまた面白い。
スカルラッティ作「プレアンブロとアレグロ」は、現在はポンセ作曲として知られている。
このアルバム中、もっとも心くすぐられるのが、ヴァイスの「パッサカリア」である。
これはしっかりとしたヴァイス作曲であり、オリジナルはリュート曲。
パークニングの十八番である。
たとえば、セルシェルなどの“バロックっぽい”演奏とくらべると、なんともギター的である。
が、これでよい!と思わせる「色気」がある。
ブリッジ寄りの音と甘めの音を巧みに対比させ、ダイナミックな演奏である。
細かいアーティキュレーションなど、どこ吹く風で・・・といった風情。
最後の一点に向けて突き進むといった演奏法は現代的な奏者にはない感覚であろう。
アルバムタイトルにもなっている「亜麻色の髪の乙女」での前半の、ふわっとした和音の鳴らし方も、ギターの本来の音の良さを伝えてくれる。
このアルバムを是非、現代的なギター奏者しか知らないギター愛好家にお勧めしたい。
演奏しないギター教師
最近、「教える」ということについてよく考えます。
誰にでも効果のある奏法を教えるのが、教師の役割であると思います。
つまり、それさえ身につければ、誰でも40分くらいのミニコンサートであれば、無理な負担がなく、腱鞘炎にもならず演奏することができる奏法・・・それを教師は教えなければならないと思います。
これが、私の教師としての基本理念です。
そのためには、教師というものが、さまざまな理論を実際に演奏会の場で実験しなければなりません。
人体実験です。
私自身フルコンサートで有効でないものは、生徒に教えても意味がないと思います。
人前で演奏しないで、「教える」べきではないと断言できます。
最低でも月1回は人前で演奏すること。
そのことがギター教師が「生徒を教えることができる」条件であると思います。
自分が人前で弾くことで「有効だったもの」を生徒に伝授する・・・このことは思っている以上に重要であると思います。
もし、このブログを見てギターの先生を探している人がいるのだとしたら、このことは「良い先生探し」のアドバイスだと思ってくれても良いです。
習いたいと思う先生のホームページなどを見れば、演奏活動などの予定などが書いてあると思います。
それを見て、定期的に演奏活動がある先生は、まあ信頼してよい先生であると思います。
その先、いろいろとチェックしてもらいたいポイントはいろいろとあるのですが、それは又、次回にしましょう。
「教える内容=教師の考え」?
各ギタリストが奏法について考えていることとレッスンで教えている内容に隔たりがあっても、まったくかまわないと最近思うようになりました。
セゴビアなどの奏法の良さも知りつつ、俗にいう現代的な奏法のみを教えることがとても重要な気がします。
またその逆、つまり、カルレバーロ的な現代的な奏法を理解しながらも、セゴビア風、ターレガ風のオールド・スクールの奏法のみを教えることも「あり」です。
そのようにしなければ、生徒は迷ってしまいます。
とりあえず教師側のスタンスを決めてしまうこと・・・このことが「教える」上で大切であると思うようになりました。
ここで、問題提起。
さて、一体どのくらいのギター教師がこのように考えているのか?ということです。
なんとなく漠然と「型」を教えているのと、様々な流派・奏法・理論を研究した上で、同じ「型」を教えるのとではまったく別物であるような気がします。
その「型」がどのような考えで出来上がったのか?・・・これを自問自答し、実際に演奏という場で実践して理論化している人が非常に少ないような気がします。
まあ、この話題はこのあたりで。
「奏法」というものを教える
クラシックギターを教える上での、私の基本方針は「体の動きに準じた奏法を教える」ことです。
どの生徒にも基本的にはこの方向で教えます。
いわば現代的な奏法ってやつですね。
具体的にいうと、アポヤンドもアルアイレも基本的には同じ右手のフォームで入るように爪の形を工夫する・・・といったものです。
でも、自分の実際の演奏では、少し指を寝かせるアポヤンド、つまりセゴビア風のテクニックなども使っています。
このフォームでしか実現できない音があります。またこれだけでなく、爪のアングル、弦を振動させる方向などによって、様々な音色がでるという部分がギター本来の魅力であり、それは若干基本からはみでた部分であると思います。
右手の独立のためにim交互のアポヤンド練習は非常に有効であると考えています。
ある意味、とても「オールド・スクール」な教え方ではあり、とても重要なものであると思っています。
まあ、分かりづらいかもしれませんが、右手のタッチや左手のタッチに関して、カルレバーロ的な現代的な奏法(嫌いな表現ですが、便宜上使わせてください)とターレガ&セゴビア的なオールド・スクールが存在すると考えてください。
ギター界というものが、そのどちらかに属さなくてはいけないような雰囲気があり、どちらが正しいか?お互い、両派が完全に分離しているという状況があるように思っていました。
しかし、最近、同年代のギタリストと話し合う機会が増えるにつれて、ほんとうにしっかりと演奏できる人は、その両方の派、つまり現代的な奏法(音楽表現を重視)とオールド・スクール(ギタリスティックなものを重視)を分かって上で、各自のスタイルを探し出しているのだと気づきました。
これこそ、私が常々考えていた「奏法のあるべき姿」であるのです。
漠然としたイメージですが、これら相反するかに見える両派の間をギタリストは彷徨わなければならないような気がします。
それが私が思う奏法について「考える」ことです。
そして、その「考える」ことと「教える」内容については、ちょっとした違いがあるように思います。
そのあたりはまた次回。
かれこれ5年経過
さて、ぼんやりしていると、1月も終わりそうです。
このブログもぼんやりとしていると、また更新しなくなるので、忘れないうちに更新しておきましょう。
さて、私の正体は分かっている人には分かっていると思います。
ということで、2000年から一応ギタリストという肩書きでやっていますので、6年目に突入しました。
なんとかまるまる5年「ギタリスト」という肩書きで暮らしてこれたわけです。
うーん、これはありがたいことですね。
本当に。
最近、後輩にあたるギタリストから相談を受ける機会も多くなりました。
「ギタリストとしてやっていくためにはどうしたらいいか?」という内容がほとんどです。
教室経営面については別として、やはり大事なのは、「考える」ことでしょう。
どのような先生に就いても、本人が考える能力がなくては、教えることは不可能でしょう。
プラス、それを「言葉で説明できる能力」がなくては、教える仕事はできません。
(演奏オンリーでやっていける人は別ですが)
生徒の質問などから得るものも多いです。
教師として、生徒の質問に的確に答えられること、
そして、即答できなくても常に考え続けることが重要であると思います。
その場のレッスンに解決できなくとも、長いスパンで教師のほうも「答え」を探し続け、生徒のは適宜その結果を公表する(教える)ことが大事であると思います。
いままで、このブログでも奏法やテクニック、表現上のコツなど、ちょろちょろと書いてきましたが、それも「考える」作業の途中経過であるような気がします。
途中経過ですから、その時点での「考え」であって、新たなアイデアが浮かんできて、その考えが変化していくことがありえます。
しかし、「教える」ということは、ある程度責任が伴います。
「考える」ということと、レッスンを機能させるための「教え方」は微妙に違うような気がするのです。
そのあたりはまた明日。
やっと復活?
やれやれということで、気分一新ということで、デザインを変えました。
これからは(本当に)更新します。
いや、更新するつもりではいます。
とりあえず、ひとつ記事を書いておきました。
2006年もご愛読よろしくお願いいたします。
何を聴けばいいのか?(初心者の方へ)
ギターをはじめて間もない生徒さんからの質問。
「何を聴いたらいいんでしょうか?」
・・・クラシックギターのCDなどで何がお勧めかということでしょうね。
決定的な答えはないです。
でも決定的な答えを期待している雰囲気の生徒さんにはこう答えます。
「とりあえずセゴビアのCD」
「それからナクソスの“期待の新進演奏家リサイタルシリーズ”」
まあ、以上2点から発展させていけばいいと思います。
クラシックギターの魅力を本当に理解したいのであれば、とりあえずアンドレス・セゴビアです。
私の個人的好みからいうと、セゴビアの「アランブラの思い出」と「魔笛の主題による変奏曲」は素晴らしい名演だと思いますので、上記のCDなどがお勧めです。
名演集みたいなものがいいでしょう。
ナクソスという廉価版CDシリーズの中で、“期待の新進演奏家リサイタルシリーズ”はとてもいいです。
ナクソスのクラシックギター奏者ははずれがありません。
みな、若手の奏者で、“現代的な演奏家”というのを知る意味でとてもいいでしょう。
値段も1000円程度。2~3枚くらい買ってみるのもお勧め。
その後、ジョン・ウィリアムス、ジュリアン・ブリーム、ぺぺ・ロメロといった「巨匠」も聴いてみる。
究極の結論は、「とりあえず100枚聴く!」という体育会系の答えとなります。
100枚買っても、20万くらい。一生の宝が20万で買えるのは安いものです。
ほんとに久々ですが・・・
みなさま。お久しぶりです。
ほとんど更新しなくなってますが、たまに見たら、
怪しいコメントやトラックバックが増えてますね(笑)。
まあ、自業自得というわけで・・・。
ということで、今年ももう終わりですが、いちおうご挨拶ということで。
みなさま、良いお年を。
ちょっと忙しくなっていまして、更新もままなりませんが、
来年も(一応)このブログ存続させるつもりではいます。
では、また来年。